go to ...かさなりステーション  坂の下の関所・一章  二章  三章  四章  五章  六章  七章  八章  九章  十章  十一章  十二章  十三章  十四章  十五章  十六章  十八章

坂の下の関所..六章

 新年度が始まって半月が過ぎた。
 4月中旬の鎌倉は、春を通り越して、初夏の陽気だ。
 ふだん、ビールを飲まないわたしでさえも、関所の奥のクーラールームを眺めて、エビス缶に手を伸ばしてしまう。
 このまま半そでと七部丈ズボンの季節になるのかな。
 タンスの奥から、夏物を出そうか。
 そう考えていたら、急に気温が下がり、雲が空を覆い、風雨が強い日が訪れる。春の終わりって例年こんなもんだったっけ。年齢を重ね、これまでの記憶がかなりあいまいになってきてしまったのかもしれない。
 期待をこめて、こうあってほしい。
 実際には、こうだった。
 その違いを記憶していたはずが、時間とともに違いが薄れる。実際にあったことを忘れてしまい、期待ばかりが思い出される。そうなると、期待だったはずが「昔はよかった」と、実際にあったことと入れ替わってしまう。脳はうまくできている。
 高齢になり、過去のいまわしい記憶を自動的に消去し、楽しかった記憶や夢や願いを、あたかも過去の出来事のように、思い出させてくれるのだ。
 関所の面々の会話を聞いていると、この分類に該当するひとがとても多い。
「昔はさぁ、ビールも酒も安くて、日に一升や二升はふつうにひとりで空けていたよ」
 いくら安くても、そんなにたくさんの酒を一日に飲んでいたら、いまごろ肝臓が悲鳴をあげていますよ。
「俺たちがガキだった頃は、センセーもいい加減でさぁ。昼飯のときに、バックから、ウイスキーかなんか出しちゃって、ちびちびやっていたもんだぜ」
 かなり無法地帯で育ったらしい。いまの学校は、親からも教育委員会からも管理が強化されているので、勤務中に飲酒するひとはいないだろう。かつての学校は、そこまで管理が厳しくなかったとはいえ、こどもの前で酒を飲んでたとは考えにくい。それに、そのセンセーは、いい加減ではなく、立派なアル中です。
「昔は、テレビって言ったら、野球中継しかやってなかった。それがいまはなによ。どこもやってないじゃん」
 こういう誇張された会話は気をつけなければいけない。なぜかというと、発言のすべてが嘘や想像ではないからだ。以前に比べて、テレビで放映するプロ野球中継は減った。しかし、野球中継しかやってなかった時代があったとは思えない。
 まぁ、関所のメンバーは、こういうどこまでが本当で、どこからが想像なのか、よくわからない話を、毎日毎日飽きることなく繰り返しているのです。

 相田さんが遅くまでいる。
 週末の金曜日にしてはめずらしい。
 蛍光塗料メーカー「シンロート」の相田さんは、関所に入って左側の洋酒棚を背にして、いつもウイスキーや焼酎を飲んでいる。声が大きい。
 だいたい金曜日は、チンザノというわたしの知らない洋酒を持って、お姉ちゃんのいる店に行く。土曜日が休みなので、金曜日はとことん飲むのだろう。
 お姉ちゃんとは、相田さんがいう言葉だ。酔いがまわってくると、「お」の字が消えて、姉ちゃんになってしまう。まさか、血のつながった姉の店に行くわけではない。相田さんがお気に入りのホステスが待つクラブがあるのだろう。その方は、よほどチンザノが好きらしい。相田さんはクリスマス、ホワイトデーなどのイベントデーにはもちろん、ふだんの週末でも、チンザノを関所で買う。店に置いてなければ、何日も前から注文を出している。
 その相田さんがきょうはいる。いつも手にしているチンザノはない。
 あちゃー、春は終わったのか。
 関所では、よほどのことがない限りメンバー同士で互いのプライベートなことは聞かない、言わない、話さない。まして、失恋のことなんて聞けない。わたしが勝手に決め付けているだけで、実際は違うかもしれない。
「ママさん、そこでお新香を買ってくるから、みんなで分けてよ」
相田さんが、レザーの財布を開いて、若女将に合図を送る。
「いいよいいよ、浅漬けでよかったら、うちのがあるから、それを出そうか」
 個人的には、わたしは浅漬けがいい。
「大丈夫、いつも世話になっているから、これぐらいはしないとな」
大柄の相田さんは、のっしのっしと自動ドアの向こうに消えた。
 どういう風の吹き回しだ。チンザノを買わないばかりでなく、関所のメンバーに差し入れを振る舞おうとは。何か魂胆があるかもしれない。「うまいうまい」とがばがば食わないように気をつけよう。そんなことをしたら、後日「センセー、ひとりで食いやがって」と言われかねない。
 関所の向かいに八百屋がある。相田さんの声が、通りをはさんで関所まで聞こえてくる。
「ただいまぁ」
相田さんの手にはレジ袋。なかには3種類ぐらいのお新香が入っていた。
「あら、こんなにたくさん、いいの」
若女将がお新香を受け取る。
「ひとつ、ブロッコリーの芯の漬物をサービスでくれたよ。もう3日も漬けちゃってるから、あげるって」
「へー、ブロッコリーの漬物。珍しいねぇ」
ほかのメンバーが驚く。
 わたしは、珍しい漬物にではなく、3日も漬けちゃってるという時間の長さをこころにとめた。

 若女将が奥で皿に相田さんが差し入れてくれたお新香を盛り付けてきた。
「あっちとこっちで、どうぞ」
「いただきます」
わたしは、割り箸を配りながら、相田さんに礼を言う。
 興味があって、最初につまんだのは、やはりサービス品のブロッコリーの漬物だった。
「うわぁ、しょっぱー」
口に含んだとたん、塩のしょっぱさが広がった。舌や歯茎が漬物になりそうだ。思わず、山猿を口に含む。これでは、肴ではなく、塩分を洗い流すために酒を飲んでしまいそうだ。
「こんちわっす」
 若いころ、国体の水泳選手で活躍した山中さんが登場した。
「山中さん、相田さん差し入れの漬物があるよ」
わたしは、皿の端で、固まっているブロッコリーの漬物を指差す。
「これ、珍しいよ。ブロッコリーの芯なんだって」
「いやぁ、本当だ」
生ビールを口に含んだ山中さんは、箸でブロッコリーの漬物をはさんで口に運ぶ。次の瞬間、唇が梅干を含んだように皺を寄せた。
「しょっぺーなぁ」
相田さんに聞こえると悪いので、わたしにだけ聞こえる声で、山中さんは感想を教えた。
 相田さんは、わたしと山中さんとは反対側のコーナーでチューハイをあおる。
「姉ちゃんのいるところに行くと、こういうお新香ってやつはないんだよな。ポッキーとかポテチとか、その辺の菓子が出てきて、めっちゃ高い」
そんなことを言いながら、ブロッコリーを口に入れているから、あまりしょっぱさが気にならないらしい。
「相田さんは、クラブとかバーとかでは何を飲むの」
若女将がレジから、やや大きな声で質問をする。
「だいたいボクはお新香さえあれば、いくらでも飲めるのに。あのポッキーとかポテチはやめてほしいんだよな、あはは」
近くで焼酎をちびちび飲んでいる永田さんに話している。
「聞いてないんだから」
若女将は、いつものことというふうに、それ以上の質問を中止した。
 わたしは、皿の反対側の白菜やきゅうりの漬物の味を確かめる。ブロッコリーに比べれば、塩分は少ないが、一般的にはそれでもかなりしょっぱい。ここで、よっちゃんの酢漬けイカを買ったら、相田さんに悪いなぁ。
「そういえば、山中さんはきょうは水泳ですか」
「うん、これから行く」
お新香に箸をつけるのをやめた山中さんは、生ビールでうがいをしている。お酒を飲みながら泳いで大丈夫なのだろうか。

 永田さんが空になった缶や菓子のビニール袋を持ってレジに来る。
 そろそろ会計をして、帰るのだろう。
 わたしは、立ち飲みでも、そのつど支払いをする。でも、関所のメンバーの多くは、缶ビールやポテトチップス、缶詰を手にしても、その場では支払いをしない。帰り間際に、空になった容器や袋を抱えて、レジで支払いをする。飲食店方式だ。
「あら、もうお帰り」
若女将が清算をしながら尋ねる。
「あと、これだけ飲んだらけぇる」
永田さんの手には、ペットボトルのウイスキー割が握られている。
 永田さんにお釣りを渡した若女将が、思い出したようにわたしに言った。
「冷凍のホタテをたくさんもらったんだけど、どうやって調理したらいいかな」
わたしは、凍っているホタテの貝柱を思い出す。
 ウイスキー割の栓を開けた永田さんが参加する。
「そりゃ、七輪で焼いて、蓋がぱかっと開いたところに、醤油と酒をたらしてさ」
「永田さん、冷凍のホタテは貝柱ばっかりで、貝殻はついてないんだよ」
わたしは、凍っている貝殻つきのホタテをもらったと勘違いしている永田さんに教える。
「なんだ、蓋はないのか」
 若女将に向き直る。
「やっぱ、フライパンに油を熱して、細かく刻んだニンニクと塩コショウで表面にこげ色がつくようにソテーするのがおいしいかな」
「そうよね。でもたくさんあるから、いろんなメニューにしたいのよ」
「さらっとゆがいて、細かく切ってサラダに混ぜるのもいいかも」
「あ、それ、おいしそう」
 永田さんは、会話を聞いていた。
「でも、やっぱり、ホタテは七輪で焼いてさ。蓋が開いたところに酒と醤油が一番だぞ」
「だからぁ、貝殻はないの」
わたしと若女将で合唱しながら、永田さんに説明をした。
 わたしもそうだが、アルコールがまわると、みなさん同じ話を、まるで初めてのように何度もしゃべる。きっとしゃべったことを、その瞬間から忘れてしまうのだろう。
「じょうずに解凍できたら、横に八分目まで切って開いて、握り寿司っていうのもいいかも」
 永田さんの目が輝く。
「俺、握り寿司には目がないんだよ」
「食べるのは永田さんじゃないの」
わたしと若女将でふたたび合唱。
 わたしもそうだが、アルコールがまわると、みなさんそれまでの文脈をきれいさっぱり忘れてしまう。興味あるフレーズを耳にしたとたん、脳みそが、そのことだけで占領されてしまうのだ。

 日曜日。
 わたしは、太り気味のお腹が気になる。
 いつも夏に人間ドックを受けている。最近は必ず「肥満傾向」という注意書きが登場する。
 肥満なら肥満とはっきり明記すればいいものを、傾向という言葉がつくと、まだ一歩手前かなと油断してしまう。むしろ、「通常の限界ぎりぎり」と教えてくれたほうが、通常の限界から標準の範囲に戻そうという気持ちになるのに。
 だから、歩くことにしている。
 出勤時、以前はバスやモノレールを使って、大船駅まで行った。
 しかし、雨でない限り、大船駅まで歩くことにした。歩き方も、のんべんだらりと歩くのではなく、早歩きだ。腰を使って歩く。モンローウォークとイメージしているが、実際にはペンギンのヨチヨチ歩きみたいかもしれない。
 元マラソン選手が、ラジオで、腰を使った歩き方をすると、大腰筋(だいようきん)が鍛えられて、ウエストがしまると言っていた。大腰筋は、腿と腹をつなぐ筋肉らしい。ここが鍛えられると、その周囲の脂肪が燃やされる。結果として、腹回りが縮小する。
 いつかは、ふだん電車に乗っている大船と藤沢間も歩いてみたい。
 酔っ払って、金がなく、最終電車に乗り遅れ、タクシーをあきらめる夜。そんな夜しか、歩いたことのないコースだ。左右に揺れながら歩き、2時間ぐらいして自宅に到着している。きっと、健康的に歩いたら、もっと早く歩けるのだろう。
 だから、天気のいい日曜日。なるべく早歩きの散歩をする。
 午前中に出発する。坂の上から下る。開店したての関所では、店のなかの商品を外に並べている。
「お、きょうは休みか」
大将が顔を上げる。
「うん」
「いいなぁ、少し俺にも休みを分けてくれよ」
 そうしたいところだけど、代わりにわたしが酒屋の仕事をしたら、迷惑をかけるだけだ。
「また、あとで」
 関所を通り過ぎて、歩く。歩き始めは、へそのまわりの肉が気になる。5分ぐらい歩くと、ペースがつかめてくる。
 富士見町商店街の午前中は静かだ。鎌倉街道を市内へ向かう車が多い。各地から行楽で来たひとたちが、高すぎる駐車料金を我慢して鎌倉観光をする。正面の東海道線の踏み切りは、赤いランプが点灯し、カンカンと甲高い音をあげる。地元では大踏み切りと呼ばれている。東海道上下線、貨物上下線、車両基地からの上下線。合計で6本も線路があるので、終日、遮断機が下りている。地元のひとで、ここを生活道路にしているひとはあまりいない。


 大踏み切りの手前で左折する。角のバイク屋はまだ開店していない。
 左折してしばらく歩くと、立体交差の横須賀線の踏み切りに差し掛かる。
 上り線が盛り土の上を走る。そこにトンネルが掘られ、ひとと車が往来する。トンネルの向こうに下り線の踏み切りがある。踏み切りからは大船駅のホームが見える。電車が駅に到着する前から踏み切りはしまるので、一度遮断機が降りたら、かなり待たないと開かない。
 わたしは、車両が好きなので、駅に発着する電車を見ていれば飽きない。しかし、遮断機を手で押し上げて、渡っていくひとは少なくない。
 そんなに急いで、どこへ行くの。
 大船駅の東側は、昔からの商売地だ。
 狭い路地や一方通行が多い。商店街もにぎやかだ。
 一番大きな仲通商店街は、一年中、ひとで混みあっている。生まれたときから、ここで育っているわたしは、本当は喧騒が嫌いなのに、仲通商店街のにぎやかさは苦痛にならない。活気から元気がもらえる気がする。
 商店街の端に「運ど運や」という暖簾の下がった店がある。「運」と「運」の間に「ど」があるので「うどんや」と読む。こどもの頃はそれがわからなかった。カツオ出汁の香りが、換気扇から漏れてくる。おなかが鳴る。
 仲通に入り、左右に店を見ながら真っ直ぐ歩く。距離にしたら100メートルぐらいの商店街だろうか。呉服屋、ドラッグストア、チケットショップ、菓子屋、園芸店、パチンコ、居酒屋、ラーメン屋、八百屋、果物屋、ゲームセンター、肉屋、質屋、100円ショップ、携帯ショップ。ありとあらゆる店がある。しかし、この通りにはコンビニはない。偶然かもしれないが、理由はわからない。商店街全体がコンビニだと思えば、あえてコンビニは不要なのかもしれない。
 通りを端まで歩くと家電ショップの大きなビルがそびえる。
 エスカレーターを使わずに、階段を使う。
 目新しい製品をチェックする。同じところに立ち止まっては、ダイエットウィークの効果はないので、次から次へと売り場を移動する。
 何も買わない。買い物が目的ではない。そもそも財布にはそんなに金もない。
 コインを預けてあるゲームセンターでカードゲームをする。ゲームに勝つとコインが増えて、預けることができる。だから、ここではお金を使わなくて済む。別にゲームがしたいわけではない。休憩と、ひとの観察をする。どういうひとたちが、来るのだろうかと観察をする。意外と親子が多いのは驚く。学生も多いが、9割は男だ。女の子はほとんどいない。楽しさの質ってやつを考えさせられる。
 仲通から一本外れたり、仲通に垂直に交わる道も多い。
 そういう斜(はす)の道に入る。わたしのお気に入りは、島森という小さな本屋とリリアンという生地屋だ。島森で最新本をチェックする。大きな本屋ではないので、本当の売れ筋しか置いてない。リリアンでは、とても買いたい衝動をおさえて生地を見る。

6173
 時計を見ると11時だ。
 チケットショップと八百屋の奥。週末のわたしのランチは、ラーメンだ。
 看板が出ていないので、店の名前がわからない。通称「ことぶき」。腰の曲がったおばあさんと、パーマに白髪が増えた息子のふたりで経営している。
 スープはあっさりした鰹だし。麺はストレートの細麺。具は、ネギとチャーシューとシナチク。具といっても、ネギは刻んだものが5つぐらい。チャーシューは親指の先ぐらいの面積のが4枚ぐらい。シナチクにいたっては、ストローみたいに細いのが一掴みしかない。
 メニューはラーメンとチャーシュー麺だけ。それぞれに大盛りがある。でも、多くの場合、チャーシュー麺は「きょうはない」と言われる。
 麺の硬さを選べる。わたしはいつも硬めだ。スープの濃さも選べる。醤油ベースの量を増やすだけだ。わたしは以前「かため」と麺のことを言ったのに、「からめ」と聞き間違えられて、濃いスープを食べたことがある。それ以来、濃いスープにはしていない。
 こってりしたスープ。ちぢれた麺。玉子やニンニクなどのトッピング。そういうものをラーメンに求めるひとは、行かないほうがいい。それらは何もない。
 わたしは、猫舌だ。
 だから、硬めのラーメンが来ると、まず箸で麺を器の底からひっくり返す。麺の間に空気を入れ、冷ます。少しのびてしまったぐらいが好きなのだ。それでも、すぐには食べない。両手で器を持ち、スープを少しずつ飲む。猫舌なので、一気に飲むと口のなかが大騒ぎになる。でも、スープだけは冷めたものよりも、熱いほうがおいしい。スープを先に飲むと、麺が水面から顔を出している量が増える。麺島の標高が高くなる。山頂部の温度はどんどん下がる。それを箸でつまんで、日本そばみたいに一気に喉で食べる。
 うまい。
 ほぼ週末の土曜日か日曜日のどちらかは、ことぶきに来てラーメンを食べる。
 だから、店内に入ると、麺を硬めと言わなくても、最近では自然に硬めの麺のラーメンが出てくる。
 スープを最後の一滴まで飲み干して、代金を支払う。
 ふたたび大船の仲通を歩く。
 やがて、少し商店街から離れた小道に入る。キリスト教の教会の脇を抜ける。その頃には、体温がぐっと上がり、脇の下や背中がうっすらと汗ばんでくる。
 児童館の横を通り、消防署を右手に見ながら、横須賀線の線路伝いに歩く。小袋谷の踏み切りを渡り、山内の住宅街に入る。ここまで来ると、大船の町中と違い、喧騒はなくなり、鳥のさえずりや風の音が耳に心地よい。
 神明神社の下を通る。上り坂にさしかかる。小さなこども広場で、サッカー少年団が練習をしていた。知っている親父たちがコーチをしているのを、ネットの外から眺める。みんなふだんは仕事で忙しいだろうに、地域貢献活動に汗を流して頭が下がる。
 坂を上り切ると、山崎小学校。校庭では少年野球が練習をしていた。ここでも知り合いの親父たちがコーチをしている。バッティングピッチャーをやっている安西さんは、さっきからボールばっかりで、ちっともバッターに打たせていない。
「おーう、練習になってないぞー」
ネットの外から、ひやかして、立ち去る。

 道は台の峰から、山崎の谷戸に移る。
 天空にとんびが、ピーヒョロロと鳴きながら、旋回している。
 ライオンズマンションを右手に見ながら、鎌倉中央公園に続く小道に入る。
 奥から公園を散策してきた親子連れが戻ってくる。反対に、公園に向かう中学生が数人自転車に乗って、わたしを通り越していく。
 せせらぎを見ながら、早歩きで、公園に到着した。まずは管理棟まで、ラストウォーク。トイレを使う。
 公園と言っても、自然公園なので、ブランコや遊具があるわけではない。広い敷地には、植生と水生が調和した空間が広がっている。しかし、こどもの頃、公園ができる前の何も手の入っていないこの場所で、放課後に遊びまわったわたしには、それでもひとの手が入った印象を強く感じてしまう。草がぼうぼうで、蛍が乱舞した昔は、もうよみがえらない。
 芝生広場の周囲には、ソメイヨシノ、八重桜、ヤマザクラなどが植樹されている。いまは、八重桜が満開で、重たい花を風に揺らせていた。わたしは、その近くのベンチに座る。リュックからタオルを出し、額の汗をぬぐう。
 読みかけの本を出す。ポットのお茶で水分を補給した。
 読書が好きだが、ふだんあまり読書の時間をまとめて取れない。寝る前に読むと夢中になってしまい、翌日に寝不足の影響を引きずる。通勤列車の4分間が貴重な時間だ。だから、公園での読書タイムは、物語の世界にどっぷり浸ることができてうれしい。
 あっという間に1時間が過ぎた。
 荷物をまとめて、わたしは公園を後にする。自宅近くを通り抜け、なだらかな下り坂を早歩きする。
 関所の看板が見えてきた。
「ただいまぁ」
 リュックを下ろす。大将が店番をしていた。
「あれ、公園で佐藤さんと会わなかったの」
 佐藤さんは、公園で市民ボランティアの活動をしている。炭焼きや蛍の鑑賞会などを企画している。
「たぶん、炭焼き小屋の上の方にいたと思う。人影がちらほら見えたから。でも、仲間と仕事をしているところに顔を出しても邪魔になるだけだから」
 読書の前に、炭焼き小屋周辺を散策した記憶がよみがえる。
「けっこう、みんな、高齢のひとが多いんだってな」
「そうそう、佐藤さんなんて若いほうだって、言っていたよ」
 奥の扉が開く。
「あら、センセー、いらっしゃい」
若女将が登場した。

 壁の時計を見ると、まだ5時前だ。
 わたしは、山猿をコップに注ぐ。いつもの仕事帰りと違い、散歩と読書の疲れは心地よい。
「こないだ、これ、埼玉の母に送ったのよ」
若女将の手には、わたしがこれまで書いた「坂の下の関所」を印刷した紙が握られていた。ネット上での公開を終えた作品を一章ごとにまとめ、縦書きに変換して、プレゼントしてきたものだ。
「えー、そんな。恥ずかしいなぁ」
「だって、実家の母は、ふだんのわたしの姿を知らないでしょ。それを知らせるには、最高のプレゼントだと思わない」
語尾を上げて同意を求める。
 なるほど。そういう使い道があったか。
 わたしは、自分の考えたことや経験したことを書き残すことが好きだ。
 でも、それらは全部、だれかのためではなく、自分のためだ。
 だから、そんな作品の一つが、自分の手を離れて、ひとの手のなかで大事にされると、ちょっといい気分になる。
「こないだ、母といっしょに住んでいる姉と電話で話したの」
お、感想か。どきどき。
「そうしたら、母ったら、とっても喜んで、これを片時も話さずに握り締めていたんだって。トイレに入っても読んでいたっていうんだもの」
まだ見ぬ若女将のご母堂。そこまで大事にしていただくなんて、お礼の言葉もありません。文章には書ききれないほど、本当は娘さんにも、大将にも、お世話になっているのです。行間からそのあたりを、お察しください。
「何度も何度も読んで、何部もコピーを作ったんだって」
おや、何度も読んでくださったのは、うれしいんだけど、複製ってどういうこと。
「いくつもコピーをとって、どうするんだろう」
若女将は胸を張る。
「あちこち配るに決まってるじゃない」
なんで、そんな当然のことを質問するのだという顔をしていた。
 いや、あの、せこいことを言うつもりはないんだけど、作者の著作権とか、知的所有権とか、そういうものは発生していないのね。ま、いっか。目を通したひとが、こころに何かを感じてくれれば。
 わたしは、すでに役目を終えて、いまは四合瓶の日本酒や焼酎を並べる棚になっている、冷蔵機械の横の壁を見る。そこには、細長い二ヶ月単位のカレンダーがぶら下がっていた。
 カレンダーには3日から5日おきに、英語のNマークが書かれている。わたしがボールペンを借りて書いた。Nはニューの頭文字。日本酒を新しく入れた日を示している。年が明けてから、どうも調子よく仕事帰りに山猿を飲んでいたら、ペースが早すぎることに気づいた。そこで、いつ開封したかがわかるように、カレンダーに印をつけるようにしたのだ。

 わたしは、3月のNマークを数える。
「えーと、一つ、二つと、全部で五つもあるよ。ぎょ、これ飲みすぎじゃん」
 配達に出ようとした大将が、わたしの横を通り過ぎる。
「うちとしては、大歓迎」
そりゃ、そうでしょ。でも、一本2500円ぐらいする山猿なので、5本も飲んでいたら、お金もからだももたないよ。よかった。Nマークをつけたから、暴飲の証拠をおさえたぞ。
 目標は、多くても一ヶ月にNマーク4つ以下だ。
 わたしは、瞬時に計算する。一ヶ月が30日とする。定休日の火曜日には飲めない。火曜日が4回あるとして、30日から4日を引くと26日。土曜日か日曜日は休肝日にしているので、さらに4日を引くと22日。22日かぁ。それぐらいは関所に寄るなぁ。
 22日で4本の山猿とすると、だいたい5日に一本のペースだ。それも、火曜日や休肝日を抜かして。だから実際には、Nマークは一週間に一つがベストということだ。
 よく考えると、こんなに難しいことを考えなくても、カレンダーを眺めていれば、すぐにわかるはずだと気づいた。
 そして、大事なのが、一日の量だ。5日に一本ということは、一日に二合まで。コップに二杯ということになる。
 最初の一杯を、いつも半分ぐらいはビールみたいに、くいーっと飲んでいた。これからは、やめよう。もったいない。最初から、ちびちび飲むぞ。
 そう考えると、関所のメンバーはみなさん飲みっぷりがとても豪快だ。よく、あんなにお金とからだがもつものだ。
「そうやって、自分にノルマを作ろうとしているでしょ」
「だって、まずいよ。飲みたいだけ飲んでいたら」
若女将には、何でもお見通しだ。
「いいのよいいのよ、なにせ、うちには売るほどあるんだから」
 ぷっ、口に含んだ山猿をふき出した。おっと、小さじ一杯、損をした。
「それにね、俺たち4月から給料減ったし、こどもには金がかかるし、ジリ貧なんだから」
「それは、どこもお互い様よ」
公務員が、あまりジリ貧というと、あとでしっぺ返しを食らうので、小さな声にしておいた。
「ちょっと、店番をお願い」
ひとり、関所に残される。若女将は奥へ消えた。
 どうすれば、Nマークをもっと減らせるか。新しいのを入れても、カレンダーに書くのを忘れたふりをする。そうすれば、次に入れるまでに、日にちを稼げる。いや、待て。誰のために日にちを稼ぐのだ。そして、誰に対して、忘れたふりをしなくちゃいけないのだ。
 自分で自分をだまして、どうする。
「おまちどおさま」
若女将の手には、わたしの大好きなセロリが入った皿があった。
「もしかして、あまりジリ貧っていうから、用意してくれたの」
「そうよ、かわいそうでしょ」
「なんだか、差し入れを催促したみたい」
「催促した、催促した」
 ありがたいなぁ。おまけに、差し入れは「おいしい」とか「うまい」と言い続ければ、後日もいただく権利を得られるのだ。

 2009年のゴールデンウィークが近づいていた。
 シンロートの相田さんも、首都リーブスの赤坂さんも、同じ会社のひとと「ことしのメーデーは行ってみようかな」と盛り上がっている。これだけ、雇用状態が悪化し、自分たちが声をあげなれば、来年のいまごろは仕事を失っているかもしれないという危機感が、背景になるのだろうか。
「酒はあるよな」
「配達を頼んであるから大丈夫」
どうやら、労働者の祭典、メーデーは悪徳資本家と闘う前に、景気づけが必要ならしい。ほろ酔い加減を通り越し、ただの宴会にならないことを祈る。
「はい、いらっしゃい」
関所には、立ち飲みばかりではなく、一般の買い物客も多い。
 近隣に住むひとたちがタバコや酒、日常品を買いに来る。また、仕事帰りのOLやサラリーマンも多く立ち寄る。コンビニ全盛の時代に、町の酒屋が生き残っている。
 いつもグレーのスーツを着こなした仕事帰りの男性が入店した。商品を入れるかごを持って、奥のクーラーへ向かう。日本酒やビールをほぼ毎日買っていくひとだ。話したことはないが、いつも決まった時間に同じものを買っている姿を見ていれば、わたしも覚えてしまった。おそらく年齢は、わたしより上の40代後半か。スーツにネクタイという一般的なサラリーマンスタイルなので、どこかの会社に勤めているのかもしれない。
 しかし、ほぼ毎日、6時前に関所に立ち寄って、好みの酒を買って帰ることができるというのは、かなり恵まれた職種だろう。残業が多い民間企業や、仕事がなくなった工場のひとではない。もしかすると、公務員かもしれない。それも役所や警察など、わりと定時に仕事を切り上げられる条件があるひとだ。
 一瞬、わたしの同業者かとも思った。しかし、わたしの知る限り、同業者のなかに定時に帰る者はほとんどいない。残業代は一切支払われないのに、多くの学校関係者は7時とか8時まで学校にいる。なかには、店屋物を頼み、夕飯代わりにするひともいる。だから、わたしのように定時近くになると時計とにらめっこしている存在は特殊なのだ。
 なぜみんな帰るのが遅くなるのか。たいがいは学校にこどもがいたり、外部から電話がかかってきたりする時間帯は、うるさくて、仕事に集中できないのが理由だ。職員室は、保護者やこどもが出入りし、電話がガンガン鳴りまくる。
「ちはー、宅配です」
業者も何度も訪れる。
 そういううるささは、だいたい5時を過ぎると沈静化していく。そこから、書類や本がうずたかく積み上げられた仕事机に向かう。40人のこどもの日記を読むとする。読んでから簡単な返事を書くとする。ひとりに5分かければ、作業終了までに200分かかる計算になる。途中、トイレに行ったり、コーヒーを入れたりすれば、230分ぐらいかかるだろう。日記事務をするだけで、約4時間もかかるのだ。その後に、翌日の学習準備をしたり、テストの採点をしたりすれば、時計の針は9時を過ぎていく。

 かつて、わたしも20代の頃は、学校と自宅を往復する生活を続けた。
 仕事の要領がうまくつかめなかったので、無駄に時間を費やした。
 しかし、いまはどんなに気持ちが集中できない状況でも、定時までに仕事を片づけるようにしている。残った仕事は、持ち帰るか、翌日回しだ。職員室でほとんど執務をしないのはそのためだ。職員間の情報からは疎くなるが、教室で仕事をしたほうが、よっぽど効率がいい。
 そして、定時以降の有意義な時間を関所で過ごす。だいたい1時間ぐらいは関所で過ごすだろうか。
 だから、同じ時間に、ビールや酒を買い来るスーツを着た男性に興味を抱く。このひとにも、このひとなりの時間の使い方があるのだろう。
 ふつう、のんべんだらりとした生活をしているひとや、バタバタしていて忙しい生活をしているひとは、決まったパターンの行動を取りにくい。日々、同じパターンを繰り返すことができるひとは、仕事にも生活にも余裕があるということだ。お金に余裕があるとは限らないけど。
 その日は、スーツ姿の男性は、いつもと違っていた。
 片手に真紅のバラの花束を抱えていたのだ。抱えるほどたくさんのバラが包まれていた。やや濃くて紫に近い真紅。鮮やかさが人目を引いた。
「何かのお祝いですか」
思わず、話しかけてしまった。
「結婚記念日なんです」
恥ずかしそうに、小さな声でバラ男さんは答えた。
「へー、すてきですね。きっと喜ばれますよ」
レジで財布から小銭を出しながら、彼は頭をかいていた。恥ずかしいけど、声をかけられたことには不満はなさそうだった。
 そこに、相田さんや赤坂さんの矢継ぎ早の質問が飛ぶ。
「これで、きょうのおかずは一品、増えましたね」
相田さんの発想は、食べるものに向く。
「女房が生きているときに、俺もそういうことをやっておけばよかったなぁ」
赤坂さんは、記憶をたどり、反省モードに入る。
 バラ男さんは、なんて応じればいいのかわからない。おつりを財布に入れて、微笑むような同情するような表情を浮かべて、軽く関所の連中に会釈をして帰っていった。

 バラ男さんのプレゼントでわたしはリュックの荷物を思い出した。
「そうだ、そうだ。俺もプレゼントを持ってきたんだ」
リュックを開き、リバーシブルの巾着袋を取り出す。
「これ、大将に」
若女将は、目を丸くして、もうできたの?と驚く。
 先日の誕生日にあわせて、わたしは若女将にリバーシブルの巾着をプレゼントした。
 貢物と勘違いされたり、夫婦仲にひびが入ったりするのは、本望ではないので、大将の誕生日を聞いた。夏だという。
「じゃぁ、そのときにもおそろいのものを作るね」
そう約束していたのだ。
 しかし、考えた。布地は数ヶ月も経つと同じものがなくなってしまう。一度にたくさんの布地を買えばいいのだが、意外と値段が高い。わたしが使う麻や麻入りの綿は、メートルで1000円前後はしてしまう。
 だから、現在の布地が夏まで残っている保証はない。それまでに手持ちの布で他のものを作る可能性は十分にある。だったら、早すぎるけど、おそろいにするためには、同じ布地があるうちに作ってしまうしかない。
 表は浅黄色に近い麻と綿の布。裏は細い綿糸と使ったガーゼのような二枚布。ポケットをつけ、そこに七宝つなぎの刺し子模様を刺した。
「これ、パパにセンセーが作ってくれたんだって」
レジの奥で、からだを休めていた大将に、若女将が巾着を渡す。
「お、こういうのって、ふつうは中に札束が五つか六つ入っているもんだよな」
それって、どこの世界のふつうなの。
「そんなもん、入れる余裕があったら、絹で巾着を作っちゃうよ」
「じゃぁ、なかから鳩が出てきたりして」
あのね、手品の小道具ではないの。
 わたしは、仕事で刺繍や手芸小物を制作する。厳密には、こどもが制作するのを指導している。こどもたちは、完成品が身近にあるのとないのとでは、ものづくりに対する意欲が違う。ただの布きれが最終的にどんなかたちになるのかをイメージするのに、完成品は役立つ。だから、わたしは年中、こどもたちの見本として、布巾や巾着、ブックカバーやトートバックなどを作っている。
 以前は、スウェーデン刺繍という刺繍や、クロスステッチをメインにしていた。しかし、これらの刺繍は、特殊な布を使う。その特殊な布がとても値段が高い。そこで、さらし布で刺繍ができる刺し子を2年前の夏に始めた。以来、江戸小紋模様を使って、コースターや布巾、巾着や箸入れなどを制作してきた。

 これらの刺し子を使った小物作品は、どんなに大きなものでも小さなものでも作り方に変化はない。小さいほうが早くできると思われがちだが、経験からいうと、あまり時間差もない。
 必要な布を裁ちばさみで大雑把に切る。一晩水洗いをして干す。これによって、布の縦糸と横糸のよじれが修正される。布は縦糸と横糸が垂直に交わって縫い合わさっている。しかし、引っ張り加減で微妙に垂直が崩れていく。これを修正するのだ。この地味な作業を省くと、完成した後に、洗濯や乾燥で、作品が型崩れを起こしてしまう。
 乾燥した布の四辺の端から、中途半端に切り落とされている糸を抜く。端から端まで糸が通るまで抜く。抜いた糸は捨てる。かなりたくさんのゴミになる。
 型紙をあて、チャコペンで印をつけ、裁ちばさみで切り抜く。あまりぴったりに切ると、縫い合わせのときに調節ができなくなるので、やや大きめに切り抜く。
 刺し子の型紙を使って、刺繍をする部分にチャコペンで模様を描く。ずれないように気をつける。刺し子模様を刺す。布の色と模様の糸の色の組み合わせを考える。無難な色は紺だ。
 部品として切り分けた布を合わせて、仮縫いをする。マチ針でとめる方法もあるが、わたしは、苦手だ。マチ針でとめると、なぜか最後がずれてしまうのだ。だから、面倒でも、すべてについて仮縫いをする。本縫いをする線のわずかとなりを色の違う糸で縫うのだ。仮縫いが終わったら、丈夫で細い綿糸で本縫いをする。
 ミシンを使う手もあるが、わたしはこれも苦手だ。いままで何度か「便利で早いよ」と先輩に勧められトライした。しかし、多くは糸がこんがらがって、それを片づけるのに膨大な時間を費やした。
 だから、地味で時間がかかるけど、縫いはすべて手縫いにしている。
 縫い終わったら、表と裏を返して、口をかがる。
 巾着の場合は、これに紐を二本作る。この紐作りがとても手間と時間がかかる。目立たない部分なのに、なければ困る。かなり丈夫に縫わないと、使っているうちに、紐としての機能が落ちる。
 すべてができあがり、水洗いをして、チャコペンの後を消す。一晩、干す。翌日、アイロンをかけて完成だ。
 わたしは、こういう手縫いの手芸小物の価値を知らなかった。しかし、自分で作るようになってから、手芸店やデパートの特産コーナーで手縫い作品を見かけると、思わず手に取って作り方を調べてしまうようになった。そして、値札を見て驚く。
 小さな巾着でも3000円とか5000円という高額な値段なのだ。
 わたしがふだん作るサイズは10000円ぐらいの値段がついている。
 いつか、職にあぶれ、生活に困るときがきたら、手芸小物で生計を立てるときが来るかもしれない。
 関所のおふたりは、あの巾着を使っているだろうか。
 芸術品ではないので、どんどん生活の中で使いこなし、使い古して、手になじむ小物にしてほしい。

 ゴールデンウィーク。
 ことしは世界的に、豚からヒトに感染した新型ウイルスが広がり、連日、ニュースで被害や感染情報が流れている。
 また、高速道路の使用料金が、1000円になった区間があり、多くのひとがマイカーで遠路へ旅に出た。そのため、各地で例年の数倍規模の渋滞が発生した。じつは、これ、あまり知らされていないが、宅配業者などの運送用トラックは除外されているそうだ。業界は、どうして怒りのデモ行進をしないのか。
 わたしは、これまでも、きっとこれからも、あまりゴールデンウィークだからといって、特別な企画は考えない。
 学校という職場は、4月がとても忙しい。年度が替わり、こどももクラスも教室も同僚も替わる。その変化に、こころを対応させるのにひと月はかかる。遠足や授業参観、健康診断などの行事も多く、仕事も増える。肉体の疲れがピークを迎えるのが連休の頃なのだ。
 だから、ことしも地元でのんびり過ごした。
 いつもの大船散策から、少し足を伸ばして、北鎌倉方面を歩く。
 車の通りから一本外れた住宅街は、家々が連なり、勾配が急で、車は通れないほど道が狭い。谷をはさんで、向こう側に高野台の山肌。円覚寺の庵が点在する。
 リュックを背負う背中にじっとりと汗を感じる。小袋谷交差点から、山崎の谷戸に入る。
 きょうは、佐藤さんが中央公園でお祭りがあると言っていた。
 それを思い出し、谷戸の切通しを抜けて、公園に向かう。
 地面はアスファルトだが、その脇を小川が流れる。ずいぶん奥まで家が建ったものだ。かつて、この谷戸は人家がまばらだった。一面の水田が広がり、梅雨から夏にかけては夕刻に蛍が乱舞していた。いまも、夏に観察会が開かれているが、全盛期の1割程度に減ってしまった。アスファルトが土の地面だった頃、小学校から帰ったわたしは自転車に乗って、山崎から梶原、山内の山道を走り回っていた。マウンテンバイクなんてない時代。父の自転車を失敬していたのだ。何度も山道ではずっこけた。擦り傷や切り傷も耐えなかった。せせらぎで傷を洗い、消毒代わりのよもぎの葉を薬にした。中央公園に続く小川には、当時、天然もののたにし、かわにな、しじみが生息していた。夕飯の味噌汁の具に、しじみをポケットに詰め込んで帰った。
 過去が鮮明によみがえる。年齢を重ねた自分に気づき、少しいやになる。
 中央公園の奥の広場には、この地域にこんなにひとがいたのかと思うほど、たくさんのひとがいた。列を作って並んでいるひと。竹とんぼの作り方を教わっているひと。シートを持参して座り込み、おにぎりを頬張っているひと。せいろからあがったもち米を臼でつくひと。
 広場の正面には「特定非営利活動法人 谷戸の会」の手製の看板がぶらさがっていた。
 たしか、去年、佐藤さんはこの法人の中心的な仕事を任されていたと思う。

 お昼ごはんをお祭りで調達しようと思っていた。
 簡易テントにセロテープで「おにぎり」「おこわ」「なべ」という紙がぶら下がっていた。どれも、中央公園の田んぼや周辺の山で収穫した材料で作った自然食品だ。
 おこわとなべは長蛇の列だった。なぜか、おにぎりにはひとがいない。これはラッキーと思って、わたしは、おにぎりがケースにたくさん並んでいる場所で、受付をしている女性に声をかけた。
「ひとつ、おいくらですか」
「えーと、2個ずつなんですけど200円です」
よくわからん。1個100円で売ればいいのに。
「じゃぁ、2個お願いします」
「食券が必要なので、ここでは現金は受け取らないんです。あそこのテントで食券を買ってください」
女性は、少し離れたところの簡易テントを指差した。
けっこう、手順があるんだな。
 指示されたテントに向かう。どう見ても、食券を販売している気配がない。どういうことだろう。
 周囲を見渡したら、佐藤さんがいた。
 キャンプに行く姿をしている。シャツもパンツも布が丈夫そうだ。つばのある帽子から、足先まで、土気色に染まっていた。わたしは手を振る。佐藤さんはお辞儀した。釜には薪がくべられ、鍋が湯を沸かす。その蒸気を使って、大きなセイロがもち米を蒸している。3つ並んだ釜の向こうから、佐藤さんが近づく。近くには出番を待つ臼と杵のセットが3組。
「どうも。こんにちは」
「いま来たんですか」
病院で患者の手術に立ち向かう姿とはかけ離れた世界がここにある。
「あそこでおにぎりを買おうと思ったら、食券を別のテントで買ってきてって言われたんです」
「もう食券は売り切れかも」
佐藤さんは、わたしがおにぎりを買おうと思ったテントに行き、販売している女性に尋ねてくれた。佐藤さんといっしょに活動しているひとたちを眺めたら、ソフトボールでいっしょにやっているひとがいた。
「もうおにぎりは売り切れだそうです」
申し訳なさそうに佐藤さんが言う。
「残念、でもしょうがないや。じゃぁ別のところでお昼にします」
「え、もう帰っちゃうんですか」

 佐藤さんは、残念そうに引き止める。わたしのおなかで、グーっと胃袋が収縮する音が聞こえる。
「そういえば、ここに来るときにカンちゃんからメールが来ていて、カンちゃんもここに来るって言っていたよ」
「へー、まだ見かけないなぁ」
わたしは、佐藤さんに別れを告げて、関所に向かおうとした。
「おこげならたくさんありますよ。それにもう少ししたら、わたしたちも休憩になるから、おにぎりが用意してあるから、それだったら大丈夫なんだけど」
「いやいや、いいよ。気を使わなくて」
 佐藤さんはとてもいいひとだから、気を使ってくれたのだろう。しかし、早朝から祭りの準備をして、ここまで多くの参加者に楽しんでもらっている谷戸の会のスタッフのことを思う。たとえ、メンバーの知り合いだからといって、ちょっとやってきて、スタッフ用のおにぎりを頬張る輩がいたら、あまり内心おもしろくないだろう。
 それに、さっきソフトボールをいっしょにやっているメンバーを見つけた。
「センセーはどこにでも顔を出して、いっつも自分の場のようになじんで、おいしいところを持っていく」
そんなふうに思われたくなかった。
「山猿が呼んでいるので、関所に行くね」
 祭りから離れた。
 おだやかな初夏の日差しが、山崎の谷戸を包む。お金と時間をかけないで、のんびりリフレッシュするホリデーも、なかなかいいものだ。
「ただいま」
「あら、お帰りなさい」
関所で、若女将が迎えてくれた。
「さっき、カンちゃんが来て、これから祭りに行くって言っていたよ」
「うん、佐藤さんにも会った。でも、カンちゃんには会わなかった」
わたしは、クーラーから山猿を取り出し、コップに注ぐ。
「祭りで、何か食べられたの」
「もう売り切れでね。だから、別でお昼にしようと思ったんだ」
「きっと、ことぶきに行くつもりでしょ」
プッ、山猿が気管に入った。
「当たり」
「だめ、ついこないだも行ったばかりじゃない」
数日前の週末に、確かにことぶきでラーメンを食べていた。

 わたしが、いつ、ことぶきでラーメンを食べたのかを、若女将は知っていた。客のたばこの銘柄専門の記憶力ではない。プロの商売人だ。
「少しは、世界を広げなきゃ。それにわざわざ大船まで行かなくても、この周辺にもおいしいお店はあるのよ」
「じゃぁ、紹介してよ」
「和食、洋食」
「さっぱりと和食がいいな」
 わたしは、関所から歩いて5分ぐらいの蕎麦屋を紹介してもらった。以前から、気になっていた店だった。でも、店の暖簾をくぐったことはなかった。
 わたしは、蕎麦、うどん、ラーメンなどの麺類が大好きだ。
 これらは、店によって、質が全然違う。だから、わたしの好みと違う店に入ると、食べながら悲しくなる。貧乏性なので、残すことはないが。
 だから、気になっていたけど、入れなかった。
 しかし、今回は、若女将からの紹介という大義名分がある。
「こんにちは」
暖簾をくぐった。
「いらっしゃい」
高齢の女将が迎えてくれた。
「連休はひとがいなくてね。どこでも好きなところに座ってください」
わたしは、店内を見回した。表通りから見るよりも店内は、奥行きが広かった。4人がけのテーブルが10脚はあった。テーブルも椅子もメニューも壁の色も、使い古した感じがして、気持ちが落ち着く。きのうやきょう開店しましたという店にはない深みを感じる。
 お品書きと書かれたメニューを見るか、壁に貼ってある短冊形のメニューを見るか、迷った。最近、眼鏡なしでは食堂のメニューは見えにくくなっている。壁の短冊を見ながら、考えた。
「えーと、生ビールの小と板わさ、それに鴨せいろをお願いします」
「はい、鴨せいろは、もうお作りしていいですか。後にしますか」
「後にしてください」
「わかりました。じゃぁ、食べるときになったら教えてください」
 きっと、この店が長くここで続いている理由のひとつに、こういう客の心理を読んだコミュニケーションがあると感じた。
 わたしはふだんビールを飲まない。昔からあまり炭酸が好きではないのだ。炭酸飲料を飲むと、胃袋が膨らんで、口からはゲップ、下からは屁ばかりが出てしまう。関所のメンバーにはビール専門のひとがいる。よくあんなにたくさん飲んで胃腸が炭酸ガスを吸収すると驚いてしまう。
 でも、その日は散歩がてら、鎌倉の野山を歩いたので、喉が渇いていた。小さい生ビールは250円と書いてあったので、それぐらいなら大丈夫だろうと考えた。
「お待ちどうさま」
女将がお盆にビールと板わさを乗せて運んできた。
 わたしが知る限り、そのビールグラスは、決して小さなコップではなく、350ミリリットルの缶ビールが一本は丸々入る立派なグラスだった。

 板わさを肴にビールを飲んでいた。
 メールが入る。カンちゃんからだ。
>いま、どこ
 そういえば、佐藤さんに中央公園で会えたのだろうか。
「関所で紹介してもらった蕎麦屋でランチしています」
返信を送る。
>わたしは、いま中央公園でおこげを食べてる。すごい、おいしいよ。
 すぐにまた返信が来る。
 あー、佐藤さんが俺にも勧めてくれたおこげね。鍋の底にこびりついたおこげ、きっとおいしいだろうな。ちょっと醤油をかけたら、なおのこと。
 スポーツ新聞を読みながら、板わさをつまみ、ビールを飲んだ。
「そろそろ、鴨せいろをお作りしましょうか」
女将が頃合を見計らって尋ねる。心遣いが嬉しい。
「お願いします」
 そういえば、先日、久しぶりに関所で会った鎌倉の旧市内に住む友人が言っていた。
「4月に一週間ばかり、北海道に行ってきたんっすよ。正月からまともに休みを取らないできたから、このへんでドカンと休んじゃおうっと。そういうことできるのも、いまのうちかなと思って」
 彼は、独身だ。詳しい仕事内容は知らないが、小さな会社に勤め、かなり小回りがきく仕事をしているらしい。いまのうちって言っても、年齢は30代半ばを過ぎている。
「今回は道東に行ったんです。ドウトウ、わかりますか。北海道の東だから、ドウトウね」
飲みながら話した。彼は、飲むと、やや喋り方がくどくなる。
「そんとき、汽車に乗っていたんです。青春18切符使って行ったので、特急ではなく、普通車。それも車掌がいない一両編成。いわゆるワンマンカーっていうやつ」
 青春18切符を使って行ったということは、鎌倉から普通電車を乗り継いで北海道まで行ったのか。途中、フェリーに乗ったとしても、かなりのんびりとした旅だ。
「もうすぐ網走ってとき、それまでボックス席の向かいに座っていた2人の高校生の会話を何となく寝たふりをして聞いていたんです。そうしたら、急にひとりが、『いま、降りる駅だったのに、乗り過ごしてしまった』と大声を出し、ややパニックに。もうすぐ網走っていっても、まだ網走までは駅が2つか3つあったと思います。
 パニックを起こしている方が、もう一人に、頼んでいるんです。『お前、次の駅で降りるだろ。そうしたら、親に頼んで車で送ってもらえないかな』って。
 次の駅っていっても、こっちの感覚とはずいぶん違うんですよ。ひとつの駅と駅の間隔が、汽車で10分ぐらいはあるから、乗り過ごしたら、歩いて戻るのは大変なんですね」

 わたしもかつて北海道を何度も旅した。直線の線路が景色の果てから延びてきて、ふたたび反対側の景色の果てまで延びてゆく。その途中には人家も駅も何もない。そういう風景を思い出す。
「彼の友人は、携帯で親に電話をしました。向こうじゃ、車内で携帯禁止っていう必要はないんですね。でも、電話はつながらない様子でした。そうこうするうちに、汽車が次の駅に着きました。ワンマンカーなので、運転士が運転席から出てきて定期を見たり切符をもらったりするんです。そのとき、高校生の会話を聞いていたのは、ボクだけじゃないと気づきました」
 電車ではなく、旧式のディーゼルカーの場合、運転席と客席とを区切る仕切りはあっても、間にガラスや板がないこともある。きっと彼の乗車した汽車は、運転席と客席の間に、ステンレスの棒が横に3本ぐらい渡してあるだけだったのだろう。だから、客席の話し声が運転席にも聞こえたのだと思う。
「運転士が言うんです。『この汽車は、網走まで行ったら、すぐに折り返し運転をするから、あんた、このまま乗っていけば、帰れるよ。どうする』って。そうしたら、その高校生は運転士に頭を下げて、そのまま乗り続けることにしました。なんか、旅をしていて、グーっときたんですよね」
 蕎麦屋の女将が、わたしの注文を聞いて、料理を出す順番を気づかってくれた。
 彼が教えてくれた北海道の汽車の運転士が、降りる駅を乗り過ごした高校生を気づかった。
 身近なところに、ひとのこころのあたたかさがある街で生きていきたい。決して、便利でなくていい。ものが豊富でなくていい。多くの場合、便利でものが豊富な街からは、ひとのこころからあたたかさが消えている。
「はい、お待ちどうさま」
女将が、鴨せいろを運んできた。
 わたしは、うどんと蕎麦の両方とも好きだが、どちらかを選べと言われると、蕎麦を選ぶ。それも、つゆにひたったあたたかい蕎麦ではなく、つゆをつけて食べる冷たい蕎麦が好きだ。
 蕎麦は、つなぎや削り方によって、味が異なる。つなぎを何にするかによって、食感さえ変わってしまう。
 テーブルに運ばれたせいろから、二本の蕎麦を箸ですくい、何もつけないで、そのまま食べる。わたしが審査員になって、ひとり蕎麦コンテスト開催だ。
 ゆで方よし。歯ごたえよし。噛んで、咀嚼して、喉に流し込む。舌に残る味わい。更科蕎麦独特の上品な蕎麦粉の風味を感じた。
 合格。ポンっとこころでスタンプを押した。
 たいがいの場合、蕎麦屋のつゆは出汁が濃い。そういう出汁が好きな客が圧倒的に多いのだから仕方がない。その蕎麦屋も出しは濃かった。わたしは、箸でそばをつかみ、下2センチぐらいにつゆをつけ、一気に口に運ぶ。

 蕎麦屋でランチを済まし、わたしは関所に立ち寄る。
「さっき、カンちゃんが来て、センセーがいる店をパパに聞いたって言ってたよ」
若女将が教えてくれた。
「うん、お店に来たよ。これから海までサイクリングに行くって言っていた」
鴨せいろを食べ終わる頃、カンちゃんが店に来た。何も頼まないのは悪いと思い、イカ刺を頼んだ。中央公園の祭りでおこげを食べたカンちゃんは、お腹がいっぱいだと言い、あまりイカ刺を食べなかったので、ほとんどわたしが食べてしまった。
 ゴールデンウィークは、始まったばかり。
 ことしのゴールデンウィークは、全国的に車で遠出をするひとが多いという。高速道路料金が値下げになったので、電車や飛行機の旅よりも、車を使うひとが多くなると予測していた。いくら高速道路料金が安くなったといっても、車は燃料代がかかる。また、遠出をすれば食費や宿泊費もかかる。
 そして何よりも多くの車が、全国一斉に動き出せば、道路は大渋滞になるだろう。
 休みが続くから、ふだんできないことをやろうという考え方。それも一つの生き方だ。
 問題は、ふだんできないことのなかみだ。
 わたしは、ふだんなら仕事をしている時間に、地元でゆったりとした時間を過ごし、ひとと語ることを大事にしたい。
「おぅ、こんちは」
作業着にリュックという姿で、永田さんが登場した。
 午前中はレストラン、午後は病院の清掃をしている永田さんには、休みはない。
「連休中も仕事ですか」
「あたぼうよ。お客や患者がいる限り、俺の仕事はなくならない」
 関所には、いつものメンバーが集まらなくなっていた。ふたたびにぎやかな声が響くのは、まだ数日先のことだろう。
 しかし、よのなかには連休とは関係なく仕事を続けるひともいる。
 そうだ、永田さんだけではない。この関所だって、定休日の火曜日以外はゴールデンウィーク中も通常営業だった。
 自分では、スローな時間の過ごし方を満喫したいと願う。それを可能にしてくれる基地として、関所の存在はありがたい。多くの工場や会社が、10日間以上の休みを計画していた。にもかかわらず、毎日仕事がある永田さんにとっても、仕事帰りにホッと一息できる関所が開いてくれているのは、ありがたいことだろう。
 わたしは、ゴールデンウィークが終わった後に予定されている仕事を思い出した。家庭訪問、教科書研究会、遠足付添、市からの委嘱事業、研究会の計画、職員会議。考えただけでもぞっとする。迫り来る多くの仕事に、元気に立ち向かうためにも、数日間の休みをのんびりと過ごそう。
 まだ、一升瓶のなかに山猿が半分以上残っているのを確認した。これらをちびちびやって、充実した時間を送るのだ。

六章・完

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