go to ...かさなりステーション  坂の下の関所・一章  二章  三章  四章  五章  六章  七章  八章  九章  十章  十一章  十二章  十三章  十四章  十五章  十六章  十八章

坂の下の関所..十一章

 一枚の写真がある。
 ひとが5人写っている。写したのは、山中さんだ。
 山中さんは、きれいにそり上げた頭をしている。すでに水道工事の仕事を定年退職し、いまはかつてのつながりで急な仕事があるときに手伝っている。
 昔から水泳の選手だった。国体やインターハイにも出場したらしい。60歳を過ぎて、胸板が厚く、上半身が逆三角形をしている。もちろん、タバコは吸わないが、酒は飲みすぎる。
 腰が軽い。よく各地に出かけて行っては、お土産を関所に差し入れしてくれる。
 料理も好きだ。鶏皮揚げや、マグロの血合い煮など、酒の肴になる品物を大量に持ってくる。
 金曜日は、愛用のサックスフォンを背中にかついで、川崎の教室までレッスンに行っている。当然、いまもスイミングは継続している。
 その山中さんが、撮影してくれた写真が手元にある。
 撮影場所は、関所店内。
 前列に女性が3人、後列に男性が2人、並んでいる。
 前列の3人は、向かって左から若女将、中央が美鈴さん、左が美鈴ママ。
 後列の2人は、向かって左がわたし、右が相田さん。
 若女将は右手でピース、左手を美鈴さんの肩にまわして上機嫌だ。
 美鈴さんは、中学校の制服を着て、右手はピースをして微笑んでいる。
 美鈴ママは、卒業式を終えたわが子を横に、ホッとした表情だ。
 わたしは、目が漢字の一になるほど細めて、笑っている。
 相田さんは、緑のトレーナーを着て、微笑みながら両手を挙げている。手のひらを天井に向けているので、この写真を最初に見たときは、ガマガエルがひっくり返っているのかと思った。相田さんは恰幅がいい。
 もう一枚の写真がある。
 同じく5人が写っている。写したのは、若女将だ。
 今度は、ガマさんこと相田さんは前列に移動。わたしの前で両手をピース。わたしの頬の前でピースをしているので、人差し指がわたしを刺しているように見える。
 わたしのとなりでは、ベースボールキャップをかぶった山中さんが老眼鏡を首にかけている。
 美鈴さんと美鈴ママは、最初と同じように微笑んでいる。
「中学の卒業祝に、みんなで写真を撮ろう」
 若女将の提案で撮影会になった。ドアの外は暗いから、たぶん3月下旬の午後7時過ぎぐらいか。こころのなかでは、おそらくこのメンバーで、こうして再会することは、もうないかもしれないという気持ちがあったのだろう。


 美鈴さんは、中学時代を通じてバレーボールをやっていた。
 わざわざ強いバレーボールチームに入るために、電車で2時間以上もかけて、遠くの中学校に通っていた。練習の帰りに、よく関所に寄った。すでに立ち飲みをしているわたしたちがいても、まってく気にせず、にこやかにしていた。
 関所のトイレに向かう戸口に、柱の傷がある。
 数ヶ月に一度ずつ、若女将が美鈴さんの身長を刻んでいた。
 残念ながら、美鈴さんは身長があまり高くなかった。身長が高いほうが有利なバレーボールで、リベロというあまり身長が高くなくてもできるポジションのスペシャリストだった。彼女は、現役時代に神奈川県の代表に選ばれて、全国大会に出場している。新聞にも取り上げられた。
「ほらほら、この記事」
 いつか見せてもらった記事には、写真がついていた。試合途中、相手の流れになったコート内で、味方のメンバーに、笑顔を振りまく美鈴さんが写っていた。
「これ、元カレ」
 携帯電話のデータフォルダに男子の写真が保存されていた。それを若女将に見せていたことがある。
「いまもつきっているの」
「違うよ、まさか」
「別れちゃったひとの写真なんか、捨てちゃいなさいよ」
「えー、だってまだ好きなんだもん」
 ふられたのだ。
 美鈴さんは、関所に来ると、練習や試合の話はほとんどしなかった。ふつうの中学校生活の浮き沈みを楽しそうに話していた。友だちのこと、好きなひとのこと、あほな教師のこと。
 高校進学が決まったときも、関所で教えてくれた。
 バレーボールによる推薦だ。
 はるか遠く、山口県の高校だという。
「あした、向こうに行きます」
 写真を撮影した日、美鈴ママが教えてくれた。
「引っ越すんですか」
「ええ、でもわたしは東京に行きます」
 やや複雑な表情でママは言葉に詰まる。それぞれの家庭、それぞれの親子には事情がある。いちいち他人が入り込む必要はない。
「あしたから、ふたりは離れて暮らすんですね」
「まぁ、でもいまはメールも電話もあるから」
 その日、中学校卒業のお祝いを仲間としての帰り道だったそうだ。その翌日には、鎌倉を離れることが決まっていた。


 きっと美鈴さんの夢は、高校でバレーボール選手になることに留まらないだろう。
 将来的には全日本の選手に選ばれて、世界各地でコートを動き回る選手になりたいのだろう。そのために、一般的な家族というかたちから解放されることは仕方がないことだ。
 きっと有名なスポーツ選手の多くは、少年や少女の時期に、親元を離れて、厳しい練習の毎日を送っているのだろう。
 いつか、テレビに映る美鈴さんを見て
「この子、知っている」
 と、自慢する自分。ちょっと恥ずかしい。でも、そんな日が来てほしい。
 ふっと、ママのことが気になった。
「東京ですか」
「はい、わたしにも夢があるんですよ」
 医療現場で働くママは、これまでも子育てと仕事とで忙しい毎日を送ってきただろう。その上、さらに夢を追うのか。
「いままでは、この子がいたから、バレーを最優先していました。だから、いくつかのお誘いも断っていたんです。でも、やっと手を離れるので、これからは、わたしも夢を追いかけます」
 ママは、大きな夢の始まりを前に、静かに覚悟を決めていたのだ。
 娘の夢を支え、寄り添い、励ましてきた母親としての役目に一区切りをつける。
 これからは、職業人として、医療という社会で、これまでの知識や技術を生かした夢に従事する。
 ひとの夢を育てるひとは、自分の夢も大事にする。
「だから、センセーには言ったじゃん」
 なぜ、相田さんは万歳をしているのとわたしは聞いた。
「あれは、バーボちゃん。バーボちゃんよ。バーボちゃんって知ってるの」
 知るわけない。わたしは、首を傾げる。
「センセーってのは、もう少しよのなかのことを知っておかないといけないよ。バーボちゃんっているのは、バレーボールのキャラクターなの。あーやって両手を挙げて、トスとするポーズをしているわけ」
「あー、あれ、バレーのトスのポーズなの」
「そうだよ。ほかに何に見えるの」
 ガマガエルがひっくり返ったとは、言いません。言えません。
「まったく、センセーたまにはテレビを見なよ。常識ってもんが、時代遅れになるからさ」
 これでもか、これでもかと畳みかける相田さんの毒舌を、右耳から左耳へやり過ごす。
 東京に行く。ママの夢は、いったいどんな夢なのだろう。
 きっと4月からも同じ仕事、同じ住居、同じ毎日を繰り返すだろうわたしには、美鈴さんや美鈴ママの変化はまぶしかった。


 4月から神奈川県は全国に先駆けて、禁煙に関する条例を施行した。
 関所も、条例に従い、灰皿を撤去した。
 タバコをやめたわたしは、かつて自分が吸っていたことを棚に上げ、この条例にこころのなかで、こっそり拍手をしている。
 こっそりというのはわけがある。そもそも関所は、タバコを売っている場所であり、そこで吸っているひとをとやかく言うのは気が引けた。しかし、冬場は自動ドアで店内は仕切る。タバコを吸う人がいると、けむりが店内にこもる。ドアを開けると冷たい空気が外から入り込む。煙たいし、サムー。
 もうひとつの理由は、関所の常連客はほとんどが喫煙者だ。タバコをめぐって議論をすれば、わたしは絶対的に少数派であり、健康被害云々以前に多数決で負けてしまう。
「そんなにいやなら、こなきゃいいじゃん」
 こう言われたら、素直にうなずくしかないのだ。
 だから、神奈川県が決めたことというお上の命令は、わたしとは関係ありませんよーという態度を示し続ける必要がある。でも、こころのなかでは一安心。
 タバコをやめて気づいたのは、あの煙はかなり髪の毛や洋服にこびりつくということだ。自分は吸っていないのに、翌日の自分の部屋や洋服から、なぜかタバコの臭いがプーンと漂う。どうしてだろうと考える。思いつくのは、タバコを吸うひとの近くにいたから、漂う煙がこびりついたということだ。
 これは、迷惑な話だ。
 きっと、タバコを吸っていると、ニコチンやタールが鼻の粘膜にこびりつくだろう。だから、タバコを吸っている本人は臭いに鈍感なのかもしれない。昔から鼻炎の傾向があり、臭いには鈍感だったわたしは、タバコをやめてから、よのなかにはこんなに多種多様の臭いがあったのかとびっくりした。臭いに鈍感だったのは、鼻炎のせいではなかったのだ。
 関所の奥で、酒をちびりちびりやっていた赤坂さんが、マイルドセブンの箱から一本のタバコを抜き取る。反対の手にはライターが握られている。少しうつむき加減で、レジの前を通り過ぎ、自動ドアの向こうに出て行く。
 赤坂さんに限らず、相田さんも、永田さんも、山ちゃんも、みんなタバコ呑みは同じように吸いたくなったら外に行く。まさか、雨の日は行かないだろうと思ったら、そんなことはない。雨の日も、傘を差して吸っていた。
「次の選挙では、もうあの知事には入れないもんね」
 店内に戻ってくると、各自が口にする。いちいち外に行くのが面倒ならしい。しかし、禁煙条例に反対のひとが、選挙で知事に投票しないという論理は、よく考えれば知事が当選することを意味する。なぜなら、禁煙条例に賛成するひとは、知事に投票するという反面をともなうからだ。実際には、そのほかの政策や人柄、支持政党など、別の要素も加わるだろう。だから、禁煙条例に反対するから、知事に投票しないと大声で言うと、逆に選挙の争点が禁煙条例だけになってしまい「そうか、彼が落ちたらこの条例は廃止か」と、この条例でホッとしているひとたちに危機感を募らせてしまうだけなのだ。


 ことしの春は全国的に気温の上下が激しい。
 鎌倉も、冬に逆戻りかと思ったら潮風漂う初夏の到来かと勘違い。一日か二日の単位で、冬と初夏が往復する。
「ビールをぐいっと飲みたいと思ったら、熱燗がいいなぁみたいな日が来る。落ち着いて、酒を選べない」
 なかなか競馬で大きなレースを当てない山ちゃんが愚痴をこぼす。
 わたしは、関所の中央に並んでいる駄菓子や乾き物コーナーでヨッちゃんの酢漬けイカを探す。
「あれ、まだ入ってないんだ」
「あー、ごめんなさい。お菓子屋さんには言ってあるんだけど、こないだはまだなかったわね」
 若女将が申し訳なさそう。
「いや、そんな気にしないでいいです」
 一日の終わりに、ヨッちゃんの酢漬けイカが食べられないと、なんだか気持ちのおさまりが悪くなったら、ちょっと悲しい。
 自動ドアが開く。細い目をさらに細めて、大船の製作所に勤務する泥橋さんが登場した。
「こんばんは」
「お疲れさまです」
 泥橋さんは、水色のマリンショルダーバックを肩から下ろす。だいぶふくらんでいる。
 身長はわたしよりも低い泥橋さんは、かつて自衛隊に所属していた。全体的に無駄のないがっしりした体格だ。
「買い物ですか」
「うん、俺ね、じつは、こう見えても納豆が好きなの」
 こう見えてもという意味がわからない。
 ひとは、見かけで、納豆顔とアンチ納豆顔があるのだろうか。
「じゃぁ、このふくらみは納豆ですか」
「そう、仲通の茂蔵。安くておいしいよ」
 泥橋さんは、バックを広げて見せてくれた。
「ずいぶんたくさん買いましたね」
 4個パックが4つも入っている。
「だから、好きだって言ったじゃん」
 語尾のじゃんの使い方が慣れていない。泥橋さんの出身は湘南ではないな。
「それにしても、たくさん買いましたね」
「先生も納豆が好きなの。一個あげるよ」
「そんな、いいですよ」
 泥橋さんの手には4個パックが乗っていた。一個とは4個パックが単位だった。
「それは多すぎる。お金を払います。いくらですか」
「いいよいいよ、安いから。これで105円」
 えー、ということは、ひとつ25円かぁ。安すぎる。


 わたしは、4個パックの納豆をリュックに収納した。
「じゃぁ、これ、おつまみに」
 一本105円のソーセージを泥橋さんにプレゼントした。
「はい、どうぞ」
 若女将は、ソーセージと生ビールを泥橋さんに渡した。
「なんか、悪いな。センセーにおごってもらっちゃうなんて」
 それは勘違いです。泥橋さんは何も得をしていない。105円の納豆をひとにあげ、105円のソーセージをひとからもらった。小学生でもわかる算数です。泥橋さんは、損得なしの勘定です。
「きょうは、少し、あったかかったですか」
 わたしは、強制的に話題を変える。
「そうね、少し、そうかなぁ」
 どっちなんだ。泥橋さんは、コーヒーやウーロン茶の缶を温めている加温器に片手をあずけ、もう一つの手で生ビールをうまそうに飲む。
「泥ちゃんはね。いつも辛いものを食べているから、からだのなかから燃えているのよ」
 若女将が教えてくれる。
「そんなに辛いものが好きなんですか」
 泥橋さんは、満更でもないという顔で小刻みに頷く。
「瓶に入ったタバスコってあるでしょ。あれぐらいなら飲んじゃうよ」
 げー。
 逆さにしても、なぜかどばっと出ない赤くて辛い液体。あれを飲むということは、瓶の口を吸っているということだ。
「そんなことして、食道や胃が荒れないんですか」
「なんともないよ、それぐらい。でもね、ハバネロはきつい」
 わたしは、知っている。タバスコのメーカーは青唐辛子のハラペーニョとふつうのタバスコ、そして激辛のハラペーニョを販売している。ハラペーニョはピザにとても合うので、わたしも重宝している。もちろん、飲まない。一本あればしばらくは空にならない。
 試しに、ハバネロを買ってみたことがある。
 とろけるチーズに一滴のハバネロをたらした。それを口に含んだとたん、べろから喉が焼きついた。そのハバネロは数滴しか使われないままゴミになった。
 それを飲んだというのだ。
「さすがの泥橋さんも、ハバネロは一口であきらめたんでしょ」
「いーや、もったいないからね。俺もさ、意地になっちゃって、半分は飲んだかな。頭がクラクラしたよ」
「そんなことが人間にできるんですか。残りの半分は」
「次の日に飲んだ」
 泥橋さん、恐るべし。


 わたしは、これまでの人生で辛いものが得意な友人たちの顔を思い出した。
 しかし、どのつわものも、ハバネロを半分飲んで、翌日残りを飲みきったという快挙は成し遂げていない。
「でもさ、俺はセンセーのように、日本酒はガバガバ飲まない。日本酒は、かなわないと思うよ」
「えー、そんなガバガバなんか飲んでませんよ。これでもちびちびのつもりなんだけど」
「一升瓶をどれぐらいで空にしているの」
 痛いところを突いてくる。
「だいたい一週間に一本かな」
「俺はそんなに飲んだら気持ち悪くなっちゃうな」
 不思議なものだ。辛いものでは気持ちが悪くならないのか。
「もっと減らそうと思っているんです。だから、酒だけじゃなくてホッピーも飲んでるでしょ」
「ホッピーってアルコールが入ってないんだ」
 厳密には保存料として、0.1%程度入っているらしい。まぁ、ほとんど入っていない。
「前はセンセーは、たしかにホッピーだけを飲んでいたけど、最近は焼酎で割ってないか」
 かなり痛いところを突いてくる。
「ちょっとだけホッピーに焼酎を入れてみたんです。そうしたら、そっちの方がうまくて」
 レジの奥でわたしと泥橋さんの会話を聞いていた大将がプッと吹く。
「あったりめぇだろ。ホッピーを作っているひとは、焼酎に割ったときの味をイメージして作っているんだから。まさか、ホッピーだけで満足するひとがいるとは思ってないんだよ」
 じつは、ホッピーを麦とホップの炭酸飲料だと思って飲むとかなりうまいのだ。
 最近、登場しているアルコール0%の各種ビールよりも、ずっとずっとビールに近い味がするのだ。
 おそらく、ビールや発泡酒、第三種の酒は、麦やホップ以外の味付けをしているのではないかと想像している。味のなかで気になるのは、甘みだ。どうやって甘みを出しているのかはわからない。
 それが、ホッピーだけを飲むと、よけいな甘みは一切ない。喉を刺激する炭酸の粒粒と、麦の香ばしさ、ホップの苦さだけが食道を通過する。
 しかし、ホッピーを酒だと思って飲むと、やはり何かが足りない。アルコールを追加する必要がある。もともと炭酸飲料はおなかがふくれて苦手だ。それなのに、日本酒を飲みすぎない代替飲料としてホッピーだけを飲むと、おいしかった日本酒の味がすっかり消えてしまう。だから、あるときを境に、いいちこという麦焼酎を少しだけ入れるようにした。
 それを見ていた大将に言われた。
「俺には理解できねぇなぁ。日本酒を減らすために、焼酎を飲むという理屈は。どっちもうまいなら、我慢しないで両方とも好きなだけ飲めばいいんだよ」
 わたしにも、理解できない。


 年度替りは忙しい。
 夕方に関所にたどり着くと、やれやれと肩の荷が下りる。
「ただいま」
「あ、おかえりー」
 もうすぐ誕生日を迎える若女将が、いつもの笑顔で迎える。
 ふと見ると、正面のワインが並んでいる棚の前で、泥橋さんが目を細めて生ビールを飲んでいる。いつも泥橋さんは、仕事帰りに寄るので、もっと遅い時間に登場する。時計をチェックする。まだ6時過ぎだ。
 わたしは、店の右奥の一角にリュックを下ろす。ワイン棚の向こうで、赤坂さんと烏丸さんが飲んでいた。からだを支えるのやっとという姿勢だ。すでに3合以上は入っているだろう。
 どうも。わたしは右手を軽く上げて挨拶する。
 財布から140円を出して、レジに置く。
 クーラーからよく冷えているホッピーを出す。日本酒の山猿にかぶせてあるガラスのコップをそーっと取り出す。これまでに、取り出すときにクーラーのへりにぶつけて何度か割ってしまった。両方を上手に取り出したら、それらをあったかい飲み物を入れているボックスの上に置く。わたしにとっての小さなテーブルだ。そのテーブルに、泥橋さんの腕が寄りかかっている。
 クーラーからさらにいいちこを出し、栓を開ける。栓抜きでホッピーを開け、コップにドボドボと入れる。泡が全体の三分の一ぐらいがおいしい。いいちこをわずかに入れる。以前、福岡出身の黒木さんにいいちこをあげたら、何の躊躇もなく半分も入れたのには驚いた。本当は、何も割らないで飲んでいるのを聞いて、さらに驚いた。
 さて、泥橋さん。
 と、その前に。わたしはグラスを唇にあてて、ホッピーをぐぐぐと喉に流し込む。一気に半分は流し込む。炭酸の刺激が喉を通過する。ふー。
「きょうは、ずいぶん、早いですね」
 やっと、質問してくれたかという顔をして、泥橋さんがうなずいた。
「午前中働いて午後から休みを取ったんだよ」
 半休ということか。
「どこか、からだの調子でも悪いんですか」
 反対側のウイスキーコーナーで焼酎をちびちび飲んでいた相田さんが大声で割り込む。
「からだの調子が悪いひとが、午後から酒は飲まないでしょ」
 確かに。それにしても、相田さんは地獄耳だ。あるいは、わたしの声が大きいのか。
「俺はね、まだ働けるのよ。でも会社が休めっていうから。組合も休めっていうんだもん」
「それって、有給ですか」
「もちろんだよ。先月、土日も出たから、その分の振り替えみたいなもの」
 ということは、泥橋さんの会社は休日に出勤しても特別な手当ては出ないということか。


 それにしても、半休を取ったのなら、泥橋さんはずいぶん長い時間、関所にいることになる。
「お昼ご飯は大船ですか」
「そ、鈴木水産の二階の回転寿司」
「うわぁ、うらやましいー。昼から寿司ですか」
 鈴木水産とは、大船の仲通にある魚屋だ。その店が二階に回転寿司をオープンした。回転寿司といっても、店の魚を使うので、本格的だ。ごはんを機械で作るようなチェーン店のつもりで食べ続けると、財布のなかみが空っぽになるので気をつけたほうがいい。
「一階で今夜の寿司ネタを買って、二階でこれしながらヒカリモノ、つまんだ。いや、二階で喰ってから、一階で買ったのか。え、どっちだ」
 どっちでもいいけど、たぶん、先に食べたのでしょう。
 これしながら、そう言いながら泥橋さんは生ビールを飲んだ。
「まさか、泥橋さんは昼からずっと飲んでいるんですか」
 時計は午後6時半をさしている。
「俺が5時に来たときには、もう泥橋さんはいたもん」
 聞いてもいないのに、反対側から相田さんがまた割り込んできた。
「相田さんも、どうして5時に来れるんですか」
 関所の常連客は、仕事を終わらせる前に帰ることが許されているのか。
「見てよ、センセー。おしゃれしたの。わかる」
 相田さんは、頭のてっぺんをわたしに見せた。床屋に行ったことを伝えたいらしい。散髪はおしゃれなのか。
「床屋に行くのに、休暇を取ったわけですか」
「いいのいいの、俺なんて、いつも有給を使いきれなくて、最後に残しちゃうんだから。そうすると上が『相田くん困るね、ちゃんと休暇を使ってね』って、怒るわけ」
 相田さんは、よく相手の人物になり切って説明をする。本人は意識していないのだろうが、かなり特徴的な行動だ。それも、声色まで真似しようと努力している。残念ながら、声色はいつも低音を聞かせた同じ声に聞こえてしまう。相田さんの上司は、ディックミネやフランクシナトラみたいな声のひとばかりではないだろう。
「そんで、ここに来たら、泥橋さんが待ってましたとばかりに、話しかけてきたわけ」
 相田さんは、うんうんと自分でうなずいた。
「だって、泥ちゃんは昼過ぎに来て、まだみんなは来ないかな、だれか来ないかな、ひとりじゃつまらないなって、ずーっと言ってたんだもん。だから、相田さんが来たら、嬉しかったのよ。ね」
 本人。泥橋さんは、周囲の会話の流れに取り残されている。


 少なくとも泥橋さんはもう6時間もここで立っているらしい。
「俺だって、ずっとここで飲んでいたわけじゃないんだよ」
 やっと、泥橋さんが真実を話す気持ちになったようだ。さぁ、吐け。あらいざらい吐くんだ。
「昼過ぎにここに来て、買った荷物を置いたわけ。そうして少し飲んで、風呂に行ったの」
 野田の湯という銭湯が近くにある。午後3時に開店だ。
「泥橋さん、もしかして荷物って寿司ネタってこと」
「そうだよ、寿司を作ろうと思ってるんだから」
「生ものをこんなに長い時間どこかに置いて大丈夫なんですか」
「平気、平気。そこの氷の入れ物に入ってるから」
 指差した先には、ウイスキーや焼酎をロックで飲むひとのための大きな氷がいくつも入ったアイスボックスがあった。
「えー、あそこじゃ、冷たすぎて凍ってしまわないかな」
 泥橋さんの細い目が光った。
「そっかなー」
 明らかに動揺している。生ビールをわたしの小さなテーブルに置き、アイスボックスを確かめる。
 あちゃー。案の定、すでに冷凍が始まっていたらしい。
「もうすぐ作るなら、もう出してこっちの酒が冷えているほうに移しておいたほうがいいですよ」
 魚の解凍は急いではいけない。室温でゆっくり解凍するのがコツだ。キッチンペーパーで解け出てくる水分を拭き取る。拭き取りすぎると身がパサパサになるが、拭き取らないと水っぽくてまずくなる。加減が難しい。
「危ない、危ない。センセー助かったぁ」
 泥橋さんは、マリンショルダーバックを使っている。そのなかに手を入れて、小さな白いかたまりを取り出した。
「これ、お礼だよ」
「そんなのいりませんよ」
「いいから、遠慮しないで。これ、珍しいんだから」
「何ですか、これ」
「中国産のニンニク」
「そう言えば、泥橋さんはニンニクが大好きって聞きました。きょうはあまり臭わないですけど」
 泥橋さんは、タバスコだけではない。ニンニクも生のまま食べてしまう。酒の肴として、株のニンニクを向いて断片を出す。それを平気で全部食べてしまうという。
「通なニンニクマニアは、糠づけにするんだよ。これは絶品」
 秋田の契約農家から定期的に玄米を送ってもらう。それを自分で精米する。そのときの出る糠を使う。本格的だ。


 渡された中国産のニンニクは、日本産のニンニクとはまったく違う。
 まず、大きさが小さい。次に、日本産のように分かれていない。かけらがなくて、全体で一つのニンニクなのだ。
「これ、皮をむいて、味噌をつけて食うとうまいんだから」
 すでに泥橋さんの目は遠いところを見ていた。ひとそれぞれに味覚は違う。だから、自分と違う味覚のひとがいてもおかしくはない。しかし、泥橋さんのような味覚のひとに、わたしはこれまで会ってこなかった。つまり、辛いものが大好きで、ニンニクまで生や漬物にしてバクバク食べてしまうタイプのひとに会ってこなかったのだ。だから、実際に目の前にすると、どう対応していいのやら、よくわからない。
 ただ、驚いていればいいのか。
 驚きながら、途中に感動の表情を浮かべたほうがいいのか。
 単純に聞き流したほうがいいのか。
「俺はね、何かを始めると、ついつい気合が入って、とことんやっちゃうんだよ」
 細い目をさらに細めて、泥橋さんは教えてくれる。
「ほかにも、何か、究めているものがあるんですか」
「こないだ銭湯のサウナに入ったの。汗がだらだら出て気持ちがよかったなぁ」
「まさか、一気に長い時間サウナに入ったままだったとか」
 泥橋さんは、持っていたコップを棚に置く、人差し指をわたしに向ける。
「あったりー」
「長い時間って言っても限度はあるでしょ」
 泥橋さんは、片手をわたしに突き出す。その親指が曲がっている。ほかの指はまっすぐに伸びている。指数字では四のことだ。
「四が、関係あるのかなぁ」
「そうそう、4時間も続けて入っていたことがあるんだよ」
 えーっ。
「途中、まったくサウナから出なかったんですか」
「そんなことをしたら、干上がっちゃうよ。トイレに行くときや、喉が渇いたときは、出たよ」
 喉が渇くのはわかる。からだの水分がほとんど汗となって噴出している状況で、尿ってしたくなるのだろうか。それとも、泥橋さんのからだは、どんなに暑い状況でも水分がからだのなかで泉のように湧いていて、脱水症状というものとは無縁なのか。
「その後、からだの調子は悪くならなかったんですか」
「帰りに、そこの病院のところで急に寒気がしてきて、気持ちが悪くなって、倒れたよ」
 病院の近くで倒れたからよかった。だれも気づかないところで倒れていたら、そう思うと怖くなる。
「でもね、あそこの病院、困ったもんだよ。俺が倒れているのに、救急車を呼んじゃうんだもん」


 病院の前で倒れたのに、どうしてその病院のひとは自分のところで診察しようとしないで、救急車を呼んだのかはわからない。
 わたしは、壁のかけ時計を見る。まだ夕方の7時になろうとうしている。
「よし、きょうは鳥藤に行きます」
 泥橋さんは、にこにこ笑っている。軽く右手を上げて、行ってらっしゃいと言っているようだ。
「いいなぁ、いいなぁ。ホルモンかなぁ、カルビかなぁ」
 若女将がうらやましそうにする。鳥藤は関所から歩いてすぐの焼き鳥屋だ。バス停のまん前にある。
「出前が届くのを待っているから、よろしく」
 大将が、わたしの背中に声をかける。たしか、鳥藤は持ち帰り禁止だったはずだ。
 バス通りを渡り、鳥藤ののれんをくぐる。カウンターに数人の客がいる。テーブルにも一組の客がいる。ママは、カウンターのなかで右に左に忙しそうだ。
「いらっしゃい」
 ちらっとわたしの顔を見て、疲れた声で迎えてくれる。いつものことなので、気にしない。わたしは、空いているカウンターに腰掛ける。
「久しぶりですね」
 忙しく動き回りながら、ママはおしぼりを出してくれた。
「そうですね。一月ぶりかな。なにせ、公務員は給料が下がる一方だから、飲み代もなくなってしまって」
「何をおっしゃるんですか」
 わたしは、おしぼりで手と顔を拭く。
「お飲み物は何にしますか」
 いつもなら、生ビールか冷酒を頼む。しかし、財布の軽い日が続くので、少し考える。
「あそこの棚のいいちこをキープするといくらですか」
 わたしは、カウンターの壁の棚に並んでいる900mlのガラス瓶のいいちこを指差した。
「これを入れるなら、一升瓶のいいちこを入れたほうが500円もお得なのよ」
 なぜ、そういう料金設定にしているのかはわからない。
「じゃぁ、そうしてください」
 わたしは、すんなり同意する。こういうことは、素直に従うのが一番いい。
 新しいボトルをカウンターに置く。ポン。栓を抜くと気持ちのいい音がした。
「何で割りますか」
「お湯にします」
 ママは、やかんからポットにお湯を注ぐ。わたしはそれを受け取り、コップの半分に湯を移す。コップの内側が、湯気で曇った。一升瓶のいいちこを傾けて、トクトクトク。焼酎がお湯になじんでいく。


 こころのなかで乾杯をする。
 一口、喉に流し込む。湯に溶けたいいちこが、香り豊かに胃袋に吸収されていく。
「いらっしゃい」
 きょうの鳥藤は、平日でも客が足を向けている。きっとママは忙しくなり、カウンター客の相手などしていられなくなるだろう。
「あれ、先生じゃないですか」
 え、わたしは振り返った。
「あー、木下さん」
「なぁんだ」
 ここ空いてますかと、わたしに尋ね、返事を待たずに木下さんはわたしの隣りの席に座った。
「先日のピザ、ありがとうございました。とってもおいしかったです」
「あそこのパン屋は気に入ってるんだよ。おいしくてよかったぁ」
 木下さんは、見事に総髪白髪だ。薄くなったり抜けたりするタイプではないらしい。最近、頭頂部の髪の毛が細くなってきたわたしとしては、うらやましい限りだ。
「辻堂まで買いに行ったんですか」
 木下さんは、辻堂のパン屋からピザを買い、関所のみなさんへと差し入れてくれたのだ。生地もチーズもとてもシンプルでボリュームのあるおいしいピザだった。
「いや、ボクは辻堂に住んでいるから」
 知らなかった。最近、こちらに引っ越してきたのかと勘違いしていた。関所にたびたび顔を出すようになったので、地元のひとと決めつけていた。
「じゃぁ、お仕事かなんかでこっちに」
 おしぼりで顔を拭いた木下さんは、ちょっと間を置いた。
「女房が、そこの病院に入院していて、その面倒をね」
 辻堂から、ここまでほぼ毎日、見舞いに来ているという。よほど、仲のいいご夫婦なのだ。
「よけいなことを訊きました。申し訳ありません」
 わたしは、頭を下げた。
「ママ、ボクはコップ酒ね」
 木下さんは、高清水をコップで飲む。
「ずっと病院にいると気が滅入るから、昼飯は近隣で食べているんです。ここも気になっていたんだけど、なかなかひとりで入る勇気がなくて」
「それで、こないだ関所で会ったとき、みんなで飲みに行きましょうって言っていたんですね」
「はい、でも先生に、ここに集まるひとたちはひとりでのんびり飲むのが好きだから、約束してどこかでいっしょに飲むのは苦手だと思いますよって言われました」
 わたしは、そんな偉そうなことを講釈したのか。
「重ね重ね、よけいなことを申し訳ない」


 焼き鳥を数本注文した木下さんは、うまそうに高清水をなめる。
「いえいえ、とんでもない。ボクは、反省したんです。たしかに先生の言う通りだとね。だから、勇気を出してひとりでここに入れたのかもしれません。そうしたら、やみつきになって、もう何度もお世話になっているんです」
 家族が入院している。その苦しさを、木下さんは自分なりの方法で解消しているのだ。
「ボクはね、関所のみなさんがうらやましい」
「どういうことですか」
「あんなすてきな酒屋はないですよ。お店は商品を売ればいいという時代でしょ。そんな時代に、関所は商いで一番大事なことを忘れていない。それは、ひとなんですよ。どんなに売れても、逆にどんなに売れなくても、商いっていうのは、ひとがすべて。いいひとたちが集まる店は、長続きするんです。その魅力は、あのご夫婦です」
 きっと若女将と大将はいまごろくしゃみをしているに違いない。
「商いも含めて、生きていくってことは、ひとがすべてですよね」
 少しわたしも、ロマンティックになってきた。
 木下さんは、その後も二杯高清水をおかわりした。そして、腕時計を見て、おっと驚き、それじゃ、病院に戻りますと帰って行った。高清水を三杯ということは、おそらく三合以上は飲んでいる。アルコールの匂いをさせて、病院で怒られないのだろうか。
「いらっしゃい」
 きょうの鳥藤は絶好調だ。
 振り返ると、佐藤さんだ。横浜で病院に勤務する。麻酔の専門医だ。病院の中には麻酔医を常駐させないところがある。佐藤さんは週末になると、そういう病院に出向いて手術のチームに入る。このひとが休むのは一年間に数日しかない。
「ここ、いいですか」
 ちょうど木下さんが帰ったカウンター席が空いている。
「関所には行ってきたんですか」
「いや、きょうはもう時間が遅いので、こっちに直接来ました」
 あら、いつの間にか、そんな時間になっていたのか。
 ママは、佐藤さんにおしぼりを出したら、何も訊かないで、高清水の一升瓶からお燗用のコップに酒を注ぐ。電熱でお燗ができる。お燗している間に、佐藤さんの好物である砂肝を焼く。二本焼く。佐藤さんは、一言も注文していないのに、飲み物も食べ物も出てくる。彼にとって、ここはとても重宝なお店だろう。
 佐藤さんは小一時間飲んで行った。あしたは、大船に6時過ぎで、東京から新幹線で那須なので、もう帰りますと言い残し。翌日にそんな早起きが控えているのなら、真っ直ぐに帰ればいいものを。
「いらっしゃい、あら珍しい」
 ママが、いらっしゃいに言葉を追加する客は、特別な客だ。振り返ると、そこには王さんがいた。


 居酒屋や酒屋にいると、シナリオがないのに、うまい具合に、客の出入りがかぶらない。だれかが帰ると、次の客が登場する。その絶妙なタイミングは、まるで扉の向こうで出番を待っているかのようだ。
 わたしのポットの湯は二つ目になっていた。
 佐藤さんが帰った席に王さんが座る。
 つまり、わたしの隣りの席は、木下さん、佐藤さん、そして王さんが連続して登場し退場して行った客が途切れる隙間がない幸運の座席なのだ。
「先生、久しぶりですね」
 いつも仕事に終われ、疲れた表情の多い王さんだが、今夜は少し元気そうだ。
「俺もそろそろ帰らなきゃと思っていたところなんです」
 少し腰を浮かせようとしたら、わたしの肩を王さんが押さえる。
「そんな、俺はいま来たばかりなんだから、もう少しいてよ」
 わたしは、王さんの仕事について一方的に話を聞いた。今夜の王さんは、大きな仕事をなし終えた解放感が漂っている。
「王さんの仕事に比べたら、俺の仕事なんて、アマちゃんですね。それに毎日が同じ繰り返しだし」
 王さんは、紺色のパッケージの短いピースに火をつける。深く煙を吸い込む。鳥藤のカウンター。ぶら下がっている電球目がけて、ゆっくりと煙を吐く。
「先生ね。俺はいつもあそこの関所の前を通り過ぎるとき、なかで盛り上がっているみなさんを見てうらやましいんですよ」
 王さんの仕事は、時間が一定していないので、夕方から仕事に行くということも珍しくない。
「でも、俺たちみたいに時間に拘束されているわけじゃないから、動きとしては自由度も大きいでしょ」
「そういう自由がほしくて組織に勤めるのは選ばなかったんですけどね。この歳になると、だんだんきつくなってきて。俺なんか、関所の前を夕方たまに通っても、関所のみなさんは、いつもと同じように盛り上がっている。たまに通ってそうなんだから、これはもう、いつも同じように盛り上がっているとしか考えられないでしょ。あー、このひとたちはなんて幸せな一日の終わりを迎えているんだろうって、妬けてくるんですよ」
 わたしは、振り返る。思えば大学を卒業した1985年3月以降、ずっと平日は8時半に学校に出勤してきた。この春で26年目だ。26年間も、繰り返し繰り返し平日は8時半に学校に出勤を繰り返した。8時半よりも早く出勤するのは当然だが、それより遅く出勤したことはない。だから、朝の連続テレビ小説を見たことはない。だから、一日のうち朝の時間は気持ちが張り詰めている。それに対して、一日の仕事を終えた5時以降は、たしかにささやかなくつろぎのひと時だ。


 王さんは、わたしよりも収入も多いだろし、社会的ステータスもずっと上だろう。時間や仕事も自由になる立場のひとだろう。それだけ、苦労やひとに言えないつらさも多いだろう。
 そんな王さんが、東京や横浜に仕事で出かける。夕方や夜の打合せや仕事に出かける。
 関所の脇を通り過ぎる。なかを覗く。
 泥橋さんが撒き散らすニンニク臭にみんなが逃げ回っていたのかもしれない。
 赤坂さんと烏丸さんのとぼけた会話が笑いを誘っていたのかもしれない。
 山ちゃんの競馬予想に大将がからんでいたのかもしれない。
 相田さんが、ひとの話をまったく聞かないで、前夜のクラブのお姉さんたちの話題を披露していたのかもしれない。
 職場を出るときに「よ、ちょっと帰りに一杯引っかけていくか」という間柄ではない。
 なにしろ、一杯引っかけに行ったら、必ず会う間柄なのだ。
 わたしが、王さんと、鳥藤を出たのは、日付が変わる直前だった。ふたりで、右に左にふらふら揺れながら深夜の山崎を歩く。
 途中、シャッターが降りた関所前を通過する。
「なんだ、もうやってねぇのか」
 王さんが、シャッターにつぶやく。
「そりゃ、そうですよ。みんな寝てますって」
 ことしの春は雪が降りそうなほど寒い日があったかと思うと、初夏と思うほど日差しが強い日もあった。一ヶ月以上、数種類の桜が山崎の町に通りに谷戸に咲き続けた。
 軽い傾斜の坂道を王さんと登る。
 ふと、中学を卒業し、バレーボール留学で山口県に行った美鈴さんのことを思い出した。彼女は元気だろうか。厳しい練習や、上下関係に耐えているだろうか。
 そうだ、山中さんにもらった写真がどこかにあったはずだ。美鈴さんや美鈴さんのママ、若女将や相田さんたちと写っていたっけ。
「何をにやにやしているんだよ」
 ふらふら歩きながら、王さんの観察眼は鋭い。
「いえ、別に」
 王さんは、グッとわたしの肩を抱き、体重を傾けながら、ふらつく足元を支えようとする。
「当てようっか」
「はっ、何を」
 わたしの質問に応じないで、王さんは続ける。
「関所で何かいいことがあったんだろうなぁ。きっとそのことを思い出したんだろう。どうだ、図星だぜ」
 どうして、わかるんだろう。
「あそこで話したこと、感じたこと、考えたことは、あそこを離れたときによみがえってくるんだよ。不思議な店だ」
 わたしは、王さんと振り返る。坂の下の関所は、シャッターを街灯に照らし出されて、あしたに備えて一休みしているようだった。


十一章・了

Copyright©Y.Sasaki 2000-無断引用はご遠慮ください