go to ...かさなりステーション  坂の下の関所・一章  二章  三章  四章  五章  六章  七章  八章  九章  十章  十一章  十二章  十三章  十四章  十五章  十六章  十八章

坂の下の関所..十三章

 2010年の夏は記録的な暑さだった。
 全国各地で猛暑による熱中症で亡くなった方々がいる。救急車で運ばれた方々も、過去に例を見ないぐらい多かったという。
 にもかかわらず、関所に集まるひとたちは、元気に夏を乗り切っていった。
 関所は、ゆるやかな坂の下りきった小さな交差点にある酒屋さんだ。道路を隔てて花屋さん。斜向かいには八百屋さん。向かいの道路を隔てて教会。コンビニや大型チェーン店が隆盛の昨今、昭和の香りを残す懐かしい商店街の一画にある。鎌倉市山崎地区。戦後の地名改編でふるい地名は住所からは姿を消したが、町内会レベルではまだ名前が残っている。戸ヶ崎、市場、富士見町、末広など。
 わたしの住まいは、町内会では戸ヶ崎にあり、住所では台(だい)にあり、地区では山崎にある。こういうややこしさが、古いまちには混在する。マンションが新しくできて、ほかの地域から引っ越してきたひとたちには永遠にわからない地域性なのだろう。
 関所には、社長と大女将がいる。おふたりは新潟から出てきて、鎌倉の中心街で卸酒屋の奉公をした社長がいまの場所に何十年も前に土地と建物を買った。
「当時のお金にしちゃ、そりゃ大枚をはたいたもんだよ」
 いまでもときどきレジに立つ大女将は、わたしが昔話を喜んで聴くと、よく教えてくれる。
「あの頃は、この辺には何にもなくて、よくお父さんとふたりで、大変なところに来ちゃったねと笑ったっけ」
 わたしは、生まれも育ちも在所だ。こどもの頃を思い出してみると、確かにいまよりも野山は深かった。中学校で野球の練習をした帰り道、街灯が暗くて怖かった記憶がある。まだ若かった社長が、軽トラックでビールのケースや灯油をわたしの家まで運んでくれた。
 お二人には男の子と女の子がいた。男の子がいまの大将だ。中学校のときから付き合っていた女性と結婚した。その女性が、若女将だ。いまでは、店の現場仕事のほとんどは大将と若女将が仕切っている。
 このお二人には長女、次女、長男の順に三人のお子さんがいる。お子さんと言っても、三人ともすでに成人している。長女さんと次女さんは結婚をして、地元を離れた。結婚式を控えた数日前に、店内でバージンロードの歩き方を客のみんなで大将に伝授した。酔っ払いの伝授なので役に立ったのかどうかは定かではない。
 一つの街で長い時間を過ごす。それを生活と呼ぶなら、わたしの生活には、いつもより所となるひとやひとの生活がある。困ったとき、嬉しいとき、思わず「ねぇねぇ聞いてよ」と喋らずにはいられないひとや場所があるのだ。
「あいつに会いたきゃ、関所に行けばいい」
 最近、わたしの知人ではこのように噂されているらしい。先日は、父も同居しているのに、わたしへの用事を若女将に託していったぐらいだ。

 日の入りが遅くなり、わたしは文庫本を読みながら歩く。
「あぶないから、やめた方がいい」
 多くのひとに言われながら、どうしてもやめられない。とくにミステリーの後半になると、事件の解決を知りたくて、瞳が文字を追ってしまうのだ。
「センセー、まるで二宮金次郎みてぇだなぁ」
 関所の交差点。店の外に出てタバコをふかしている山ちゃんの声がした。文庫本から顔を上げると、もう関所まで目と鼻の先になっていた。
「こんにちは」
 わたしは、文庫本をショルダーバックにしまう。さすがに、飲みながら読むという不健康なことはしない。
「そういえば、山ちゃん、そろそろ定年だっけ」
「まだ、もう少しあるよ。秋だもん」
 公務員をしていると定年退職は、年度末と決まっている。3月31日だ。だから、民間に勤めているひとから、誕生日が退職の日だと聞いて驚いた。4月生まれと3月生まれでは、働ける日数がだいぶ異なる。
 中学校の部活帰りが、ふたりの横を通り過ぎていく。軟式テニス部か。全身、真っ黒に日焼けしている。野球部はユニフォームを着たままだ。
「でも、再任用なんでしょ」
「まだ、わかんない。うちの会社は、ひどいもんだよ。一週間前にならないと、継続かどうか、教えてくれない」
「それじゃ、退職後の計画とか立てようがないじゃん」
「その通り。ま、だいたいのひとが継続なんだけどね」
 それにしても、会社の都合で長年勤続した職人さんをあっさりと切ってしまっていいはずがない。
「結局、上にどう思われてっかってこと」
 山ちゃんはそういって親指を立てる。
「それって、仕事のなかみとは関係ないんですか」
「ないね」
 これじゃ、日本のものづくりは廃れてしまうかもしれない。上司の顔色をうかがう職人では、仕事への打ち込み方に期待をもてない。
「ま、えらそうなこと言えないな。学校だって、校長や教育委員会のことばかり気にしている教員がいないとは言えないもん」
 自動ドアの近くで立ち話をしているので、センサーが反応して、ドアが開閉を繰り返す。
「お前さんたち、そこで立ち話をすると、ドアが開いたり閉まったりしてうるさいから、もっと離れるか、中に入るかどっちかにしてよ」
 レジのなかから、大将の声がする。
「山ちゃん、出て行ったきり戻ってこないからどうしたのかと心配してたんだぜ」
 元気のいい、山ちゃんの後輩、相田さんの声もした。

 関所は酒屋だ。日本酒、ビール、焼酎、ワイン、ウイスキーなどアルコール類はもちろんのこと、お米やお塩、スナック菓子や缶詰なども売っている。それぞれがまとまって並んでいる。関所の常連は、自分が落ち着きやすいポイントで立ち飲みをする。そのポイントには、それぞれ特徴のある売り物が並んでいる。
 特殊塗料製造会社のシンロート社員の山ちゃんや相田さんたちのポイントは、自動ドアをくぐって左側奥になる。そこはウイスキー、お酢、サラダ油などのポイントだ。
 鋳物工場の首都リーブスで働く赤坂さんや烏丸さんたちのポイントは、正面奥になる。ただし、店内に入って正面には、日本酒とワインの棚があるので、その向こう側がポイントになる。正面奥の壁は一面が冷蔵庫になっていて、大きなガラスの扉の中には、缶ビールやチューハイが所狭しと整列している。
 わたしは、ふだん麻酔科医の佐藤さんと自動ドアをくぐって右側のレジの並びをポイントにしている。レジの並びの壁には、黄桜や月桂冠など昔からの日本酒や魚沼や浦霞など地方の銘酒の四合瓶、霧島などの焼酎が並んでいる。日本酒や焼酎好きとしては、かなりコアな一画だ。銘柄や瓶を見ているだけでも楽しくなる。
 店内に入ったわたしと山ちゃんは、それぞれのポイントに分散した。
 わたしは、レジの並びのポイントで荷物を下ろし、小さな冷蔵庫から愛飲している日本酒「山猿」とぐい飲みを出す。
 こぼさないように注ぐ。よく冷えているので、喉に心地よい清涼感が広がる。
「おー、山ちゃん。そろそろ上がりだっぺ」
 山形出身の烏丸さんが、正面奥のポイントでウイスキーのウーロン茶割りを飲みながら挨拶をする。
「いやぁ、さっきセンセーにも話していたんだけど、まだなんですよ」
 魚肉ソーセージ2本、ホッピー2本、プラスティックコップを片手に山ちゃんが烏丸さんのポイントに足を運ぶ。ふだんと違うポイントで話をしたり、酒を飲んだりするのは、山ちゃんに限らず、あまりみなさんやらない。だから、きょうの山ちゃんは珍しい。
 しばらくすると、山ちゃんは金を払いにレジに移動した。
 新聞のスポーツ欄を開いていた大将と、次週末の競馬の予想をやりとりしている。山ちゃんは週末ごとに横浜の野毛で馬券を買っている。近くの居酒屋で競馬仲間とレースを予想して一日を過ごすのだそうだ。最近は、一念発起して、その仲間となんとハイキングをしている。鎌倉の建長寺から六国峠に登り、峠の茶屋で乾杯。遠く鎌倉の海を肴に、そこでも競馬談義をして下山。北鎌倉からその足で電車に乗り、野毛に行くのだそうだ。重要なレースは午後にあるので、それで十分なんだそうだ。
 お金を払えば、おいしいお酒が飲めるというのはわかる。だから、お金を払う。しかし、競馬はお金を払っても、負ければ、口惜しさだけが残り、何も手に入らない。そういうものにお金を払うという気持ちが、わたしにはわからない。もったいないなぁと単純に思ってしまう。
「なんだよ、山ちゃん。きょうは、あっちこっちで引っかかって、ちっともここに戻ってこねぇよ」
 いつものポイントで、携帯メールを打っていた相田さんが暇そうに文句を言う。
「なんか、いいこと、あったのかよ。世界一周の旅に出ちゃったみたいだもんな」

 夏が近づくと帰り道がいつまでも明るくて嬉しい。
 早く暗くなると、仕事帰りの疲れといっしょになって、気分まで落ち込んでくる。まだまだ太陽が沈まないと、仕事が終わっても「よし、これからいっちょ元気に飲むか」とやる気がわいてくるのだ。夏にビールの消費量が多いのは、気温が高いことだけが理由ではないだろう。
 先日の山ちゃんの姿を思い出しながら、柏尾川沿いの遊歩道を歩く。ここまで来ると、地元までもう少しだ。職場の藤沢から地元の山崎まで歩いて帰り始めて半年ぐらいになった。去年の夏に人間ドックをした。メタボリック症候群と言われて、ショックだった。
「すでに太ってしまって、肥満というひとはメタボリック症候群ではないんですよ。そういうひとは、すでにメタボを通り越したひと。メタボリック症候群は、予備軍という位置づけなので、これからの節制でいつでも脱出できます」
 担当の管理栄養士がなぐさめてくれてから一年が経過している。また人間ドックが近づいていた。わたしは、去年の夏から出勤前に腹筋運動などの筋力トレーニングを続けた。しかし、年末になってもその成果はほとんど現れなかった。年が明けてから、方法を転換し、わたしは歩くことにしたのだ。
 職場のある藤沢から、東海道線で一つ分の駅を歩く。電車で4分の距離だが、歩くと1時間はかかる。そのウォーキングを年明けから続けていたのだ。これは、前回の筋トレに比べると、わずかだが体重や腹回りに変化が現れた。
 右側に三菱製作所鎌倉工場を見ながら、山崎の方角に折れて行く。天神山の脇を抜けて、山崎保育園のこどもたちの元気な声が聞こえる。モノレール線路下を渡ると、関所の看板に明かりが灯っていた。
「こんばんは」
 開け放たれた自動ドアをくぐる。
「お帰りー」
 若女将の元気な声が迎えてくれる。
「センセー、またきょうも歩いたの。こんな暑い日は無理をしないで電車にすればいいのに」
「それじゃ、意味がないじゃん」
 わたしは、ショルダーを下ろしながら、タオルで汗をぬぐう。トイレのある階段下のドアが開いた。
「おや、佐藤さん、早い!」
 横浜の病院で麻酔科医をしている佐藤さんがハンカチで手を拭きながら登場した。
「あ、いまお帰りですか」
「えー、どうしたの。なんか、大きな仕事でも終わったとか」
「きょうは、もう若いもんにあとを任せてきました」
「そういう日って大事だよねー」
 まだ、ドアの向こうは明るい。少し西の空がオレンジ色になろうとしていた。こんな時間から佐藤さんと会えるというのは珍しいことなのだ。

 自動ドアの向こうから大将が怪訝な顔をして戻ってきた。
 時計は5時半になろうとしている。この時間は、バス停近くの焼き鳥屋「鳥藤」で注文を取ってくる時間だ。
「パパ、おかえりー」
 パパこと大将は、怪訝な表情のままレジの奥にある椅子に座る。小声で若女将に何かを伝え、首を傾げる。
「また、後で御用聞きに行くから、もう一度そのときに確認すればいいんじゃないの」
 大将の小声の質問に、普通の声で若女将が応じる。わたしと佐藤さんが聞きつける。
「どうしたの」
 ん、若女将が振り向く。
「きょうは平日なのに、鳥藤さんがまだ開いてないんだって」
 時計はとっくに開店時刻の5時を過ぎている。それはおかしい。
「何かある時は、シャッターに貼り紙を出したり、常連さんに教えたりするのに、今回は何にもないんだって」
 どくん。
 わたしは、いやな予感がした。
「電話をしてもだめなのかな」
「さっきからしているけど、出ないんだって」
 どきっ。
 わたしは、もっといやな予感がした。
 鳥藤のママは、とても几帳面なひとだ。支払いにも店の準備にも手を抜かない。そういうひとが、お客さんに迷惑のかかるようなことをするとは思えない。
 もう20年近く前になる。隣りに住んでいた祖父母。早朝の電話。祖父からのものだった。
「婆さんが、台所で倒れてるんだ」
 祖母は、朝食の用意で起きていた。医者に止められていたマイルドセブンを一服した。ガラスの灰皿に吸殻が残っていた。きっとそのままクモ膜下出血が襲った。椅子から崩れ落ちるように台所の床に倒れていた。祖父は、いつもの朝食の時間に合わせて起きていた。だから、祖母が倒れてから、だいぶ時間が経っていたのだ。
 あわてたわたしは寝間着のまま祖父母宅に走った。居間で立ち尽くす祖父。台所で倒れていたという話だが、祖母は居間に横たわっていた。
「爺さん、婆さんをここまで運んだの」
「あー、あそこじゃ寒かろうと思って」
 どこに小柄な祖父にそんな力があったのだろうと驚いた。意識不明の人間を運ぶのは至難の業だ。全身が脱力しているので、運ぼうとする人間に協力してくれない。
 しかし、救急法で学んだ知識が、そのときわたしの記憶の向こうで「絶望」というランプを灯していた。意識不明の人間は、救急隊に引き渡すまで動かしてはいけないという原則があるのだ。

 わたしは、佐藤さんに様子を見に行こうと声をかけた。佐藤さんの表情も幾分か青白い。
「あー」
 専門家が近くにいてくれるというのはありがたい。
「いや、待て。お店に行っても入ることはできないのだから、息子さんの家に行こう」
 わたしは、頭をフル稼働させる。
「そこで、事情を話して、お店の鍵を開けてもらうんだ」
 鳥藤のママが、だれにも発見されずに、奥の座敷かテーブルの脇か調理場の溝かどこかに倒れている。そんな予測が確信に変わっていく。一刻も早く見つけて救急に連絡をしなけりゃ。
 わたしの祖母が倒れたとき、すぐに祖父に救急車の手配を頼んだ。
 わたしは、口の端から舌の先を出して大きないびきをかいている祖母の耳元で声をかけた。
「婆さん、婆さん」
 繰り返し繰り返し。肩甲骨の上あたりを軽く叩いた。まったく反応がなかった。
 中学のときからわたしは祖父母の家で寝泊りをしながら思春期を過ごした。ときに母親以上に厳しく、ときに母親以上に近かった祖母が、目の前で別人のような形相で呼吸だけを繰り返す。
 救急法の知識を総動員する。脈拍を確認する。呼吸の回数を確認する。祖父がつないだ電話を受け、消防署のひとに祖母の様子を伝える。
 佐藤さんと、鳥藤の息子さんの家に向かう途中、わたしの脳裏にあのときのことがよみがえっていた。
 息子さんの家は、富士見町モノレールの駅の近くだ。わたしも佐藤さんも「何となくこの辺」というのだけはわかっていたが、正確な位置や番地は知らない。駅の近くまで来たら、手分けして表札を確認した。これでは間抜けな刑事だ。
 ない。
 しかし、一軒だけ、表札のない家があった。
「ここかもしれないね」
 佐藤さんが指をさす。わたしは迷わず、インターフォンを押していた。ややあって、なかから男性の返事。聞き覚えがある。
「夜分、申し訳ありません。こちら○○さんのお宅でしょうか」
「はい」やや警戒気味。
「わたし、いつも鳥藤さんでお世話になっている○○ですが、さきほど関所の大将からお店が開いていないという話を聞きました。もしものことがあってはいけないと思い、こちらに確認にうかがいました」
「はーい」どこかで聞いた女性の声。わたしは佐藤さんと顔を見合わせる。
 ガチャ。玄関のドアが開いた。

 そこには長身の鳥藤さんの息子さんがいた。
「申し訳ありません」
 そういったのは、わたしでも佐藤さんでもなく、彼だ。どうして。
「急いで出てきちゃったから、書置きもできなかった」
 彼の肩越しに、聞きなれた鳥藤のママの声。
「あれ、どうしたの」
 ママは、お孫さんを抱いている。
「ほら、義娘が急に産気づいちゃって、きのうの夜からてんやわんやだったの」
 そうかそうか、そうだったのか。そういえば、二人目の孫がもうすぐ産まれるって言っていたっけ。それで、こっちの面倒を見ていたんだ。
 わたしは全身の力が抜けていくのを感じた。しかし、その緊張の緩み方は、とても心地よいものだった。
 佐藤さんと関所への帰り道。
「あー、心配したね」
「でも、無事でよかったですよ」
「もしものことがあったら、佐藤さんはプロだから人工呼吸をお願いしようと思っていたんだ」
「え、俺がママとやっちゃうんですか」
 なぜ、そこで佐藤さんは紅くなるのか。
 ふたりで、関所に戻って、大将や若女将に報告した。
「何よりも、ママの無事と二人目のお孫さんの誕生にみんなで乾杯をしましょう」
 お孫さんの性別も聞いてなかった。ただ、ママが無事だったことですべてが解決していたのだ。
「鳥藤さんのママは幸せだわ。お客さんにこんなに心配してもらえるなんて」
 若女将がしみじみと言う。
「いやー、心配というか。もしもお店が開いていないという情報を知っていながら、何もしなかったら、何かあったとき、自分が許せないと思っただけだから」
 そう。鳥藤のママのためというよりも、わたしは自分を守りたかった。鳥藤のママの消息が不明という情報を得ていながら、ふーんと知らん振りをしていつもの山猿を飲んでもおいしくない。落ち着かない。
 ひととひととのつながりって、問題がないときにはあまり見えない。しかし、ひとたびいつもと違う心配事や不安事が浮かんでしまうと、それを放置できない自分との闘いなのだ。無視してもよのなかは大きく変化はしないだろう。しかし、無視した結果「もしもあのときすぐに動いていれば」「どうしてあのときすべてを優先できなかったのだろう」という事態に直面したら、わたしはわたしを許せなくなる。弱い自分が情けない。不義理な自分に落ち込む。だから、よけいなお節介かもしれないが、ひとのことに首を突っ込んでしまう。そういうつながりを、昨今のひとたちは避ける傾向が強いそうだが。

 おそらく2010年の9月は、タバコの愛好家にとって忘れられない月になっただろう。税率がアップされ、10月からタバコが大幅に値上げされることになったからだ。
 関所でもタバコを売っている。
 わたしは、もう止めてしまったので、あまり気にならなかったが、関所メンバーでもタバコ愛好家たちは悲鳴をあげている。
「これをきっかけにやめちまおうかなぁ」
 できるわけないでしょ。
「10月からは、ちょっとタバコくださいってもらえねぇよ。20円払って、これで一本売ってくれってやんなきゃな」
 ありえる光景だ。
 昔から、権力者が、ひとびとの生活に必要なものに税金をかけて、富を吸収する仕組みは変わらない。タバコは嗜好品と呼ばれているが、吸ったり吸わなかったりするものではなく、吸うひとはおそらく死ぬまで手放さない必需品なのだ。
 そういうひとの気持ちのあやをつかんで、税金をかけてくる考え方はいやらしい。これは、酒類にも同じことが言える。そのため、ビールは世界に類を見ないほど多様な商品へと発展してしまった。
「マイルドセブンを三つ」
 お酒を買わないで、タバコだけを買いに来るお客さんは多い。お客さんによって異なるタバコの好みを若女将は記憶しているのだから、職業意識というのはひとの脳を鍛えるものだ。
「来月から値上げされるから、まとめ買いをするのなら、いまのうちに予約を受け付けますよ」
「じゃぁ、10カートンお願いしようかな」
 9月に入って、こういうお客さんが増えていた。
 お店が、タバコを注文する期限があるらしい。その期限をすぎると、残りは在庫で対応するので、次の注文のときには値上げ後の注文になり、同じ商品でも値段が上がってしまう。だから、値上げ前の最後の注文に予約を入れるということだ。
 10カートンといったら30000円を越える。そのお金があったら、大好きな日本酒「山猿」が12本は買える。ひょえー。
「あら、こないだなんか、60カートンというお客さんもいたわよ」
 10カートンで驚いていたわたしに、若女将が驚きの事実を教えてくれた。60カートンといったら、600箱。一箱に20本のタバコだから、12000本のタバコを一度に注文したというのか。一日一箱吸っても、2年はかかる。タバコって、品質が落ちてしまわないのだろうか。
 やがて、9月は下旬を迎えた。

 いよいよ明日から大幅にタバコは値上げをする。
「ねぇねぇ、自動販売機って、全国的に今夜一斉にだれかが値上げに対応できるように設定を変えるの」
 自動販売機にタバコを詰めている大将に聞く。
「そんなわけねぇだろ。もう何日も前に業者の人間が来て、コンピュータの設定を変更してあるんだよ」
 なるほど、値段の管理は内蔵されたコンピュータがやっているのか。
「でもさ、値段の表示とか変更しなきゃいけないじゃん」
「よく見ろ、ほれ」
 大将は自動販売機を指差した。
 よく見ると、商品の下の値段表示は、値上げ前の値段と値上げ後の値段の両方が記され、間に矢印が書かれている。つまり値段の変化がわかるようになっていたのだ。いかに、タバコの自動販売機を見ないようになっていたかを思い知る。
「こんなことしたって、税収が増えるとは思えねぇよ」
 大将がつぶやく。政府税制調査会など専門家のひとたちは、消費者やまちの小売業者の声を聞かない。聞こうとしない。聞いたふりだけする。だから、現場の感覚が政治に反映されない。実際、税収は増えないだろう。わたしの知り合いは、JTの工場で働いていた。今回の値上げで工場が閉鎖になり、解雇された。タバコ税率を引き上げたひとたちは、無職になったひとたちの生活の面倒は見ない。
「あーあ、あしたから一日に吸う本数を決めなきゃいけないよ」
 関所では、赤坂さんがお酒で真っ赤な顔をしてぼやく。
「いらっしゃい」
 値上げ前の最終日。きょうもタバコ愛好家が買いに来た。
「あしたから、値上げだから10カートンぐらい買おうかな」
 ずっと前から、予約を受け付けたり、直前の買い溜めは無理なことを知らせたりしているのに、暢気なひとがいるものだ。
「ごめんなさいね。もう在庫だけでやりくりしているから、いまある分だけなの」
 若女将が、事情を説明する。
「えー、そうなの。じゃぁ、ある分だけお願いします」
 大将は、自動販売機まで行って、なかにあるものを取り出していた。
 しかし、タバコの値上げは、タバコを吸わないわたしでもかなり大きなニュースだったのに、このお客さんは値上げの前日に来て、少し買い溜めができると思っていたのか。その感覚に驚いた。解禁になったボージョレーヌーボーを一ヵ月後に買いに行くようなものではないか。
 とっくの昔に売り切れです。

 10月に入り、まだ猛暑の影響が残る鎌倉。
 仕事帰りの関所では、ぐびっと喉をうるおすビールが売れている。
 海岸に近い極楽寺に住んでいるカディーさんは、インド生まれで、輸入商だ。素人のわたしには、あまり味の違いがわからないカレースパイスたっぷりの煮豆を関所に持ってくる。
「どう、これ、みんなで食べてよ」
 最初にいただいたときは、物珍しさで肴になった。しかし、たびたびいただくと、からだにはいいとわかってはいても、やや飽きてしまう。
 カディーさんは、関所から100メートルぐらいのところにある鎌倉市のスポーツ施設「こもれび」に通う。あまり膝の調子がよくないらしい。プールでゆっくり歩くことが大事だと教えてくれた。週に2回から3回ぐらい通っているのだろうか。ちょうど、わたしが仕事帰りに関所に寄る前後に、カディーさんも「こもれび」にいるのだ。
 宗教上の制約が多いらしく、肉料理はほとんど食べない。以前は酒も一滴も飲まなかったのに、関所に立ち寄るようになってから、小さなコップに一杯ぐらいのビールなら飲むようになった。きっと体質的には飲めるひとなのだ。
「プールに入る前は、からだによくないからいらないよ」
 以前はそんなことを言っていたのに、いまはプールに行く前も、プールから出た後も、軽く一杯のビールを飲んでいく。
 その日は、額に汗をかきながら、プールからの帰りに関所に寄ったようだ。
「や、センセー、なんかいいことなぁい?」
 いつも不思議な糸口から会話が始まる。
「俺にとっては、毎日が同じように始まり同じように終わることが、とってもいいことです」
 カディーさんの太い人差し指がわたしのわき腹をつつく。
「また、そんなカッコいいこと、言っちゃって」
 そういうつもりではないのだけどなぁ。
 と、そこへ義理と人情の世界の高林さん、登場。スキンヘッドから湯気が立ち、いつもと同じ寝間着姿。
「やだ、ピカちゃん。もう酔ってるでしょ」
 高林さんは、でかい。レジのテーブルに小銭を置き放つ。
「もう、これでタバコ、おしまい。やめるんだ、こんなもの」
 そう言いながら、いつもと同じタバコを受け取り、封を切る。
「なんだ、センセーよぅ。もうこんな時間から飲んでんのか。これじゃ、日本の教育はお先、真っ暗だ」
 はいはい。高林さんの目が、わたしと話していたカディーさんに向かう。
「なんでこんなとこに、インド人がいるんだよー」
 どうして、このひとは、いつもこうケンカ調なのか。憎めないひとなんだけど。

 カディーさんは、明らかに瞳に気分を害した気持ちが現れている。小さなコップにまだたくさん入っているビールを、一気に飲み干す。あまりふだんは酒を飲まないという彼にとっては、この飲み方は珍しい。
「じゃ、ママさん、また」
 そこに、高林さんがいることを意識しないで、悠然と自動ドアの向こうに出て行く。扉がしまったら、高林さんの舌打ちが聞こえた。
「ち、もっと冗談がわかるヤツかと思ったのになぁ」
 あれが冗談だとは、きっと関所にいる立ち飲み仲間全員のうちだれひとり思っていないだろう。
「あの方は、とても繊細なんだから、あんまりいじめないでね」
 若女将が、間髪を入れず、的確に言い放つ。
「あー、帰ろう帰ろう。ここの空気は俺にはあわん」
 そう言うと、高林さんも自動ドアの向こうに消えた。
「あーやって強がっているけど、本当はいいひとなのよ」
 若女将が、立ち飲みメンバーに高林さんのフォローをする。
「そうなんだよ、こないだんんか、鳥藤で俺の酒をあげたら、翌日にはボトルが入っていたもんな、律儀なんだぜ」
 奥の首都リーブスコーナーから、赤坂さんがややろれつの回らない口調で解説する。
 翌日、わたしは雨のなか、モノレールの富士見町駅にいた。午前5時半のモノレールを待つ。雨でなければ大船まで歩くのだが、雨の日はモノレールを使う。バックから文庫本を出し、読書の世界に入る。
 すると、重低音のスキャットが左後方から接近してきた。
「だんだぁ、だだっだぁー。だだっだぁー。だんだだぁー」
 鳥藤でいっしょに高林さんと飲んだとき、盛んに唱えていたので、それなんですかと聞いたら、センセーは流行歌も知らねぇのかと怒られた。大黒摩季の「ら・ら・ら」。ヒット曲だ。しかし、たしかヒットしたのは1995年だったはず。最近の流行歌という範疇に入れていいのかどうかを尋ねたら、これだから学校の先生はつまんないと返された。
 早朝から、高林さんとモノレールの駅で会うというのは、何だか気まずい。知らん振りをして読書を続ける。しかし、重低音の大黒ソングはどんどん接近してくる。そのとき、モノレールがホームに滑り込む。
 ラッキー。
 わたしは、ドアが開くのを待ち切れず、急いで乗車する。戸口から離れた電車内部に忍び込んでつり革につかまった。まだ、窓外が暗いので窓には車内の客が映る。わたしは隣りのつり革に高林さんがつかまっているのを確認した。
「あ、おはようございます」
「今頃、気づいたような振りしちゃって」
 声の大きな高林さん。周囲のひとたちがこちらを向く。穴があったら入りたい。

 赤坂さんは、わたしが初めて関所で立ち飲みをしたときに、親身になって話しかけてくれた。とても面倒見のいいひとだと思った。
 同じ会社の首都リーブスのひとのなかには「あいつはちっとも働かないで飲んでばかりいる」って憤慨するひともいる。同じ職場ではないので、わたしには詳しいことはわからない。しかし、よく酒を飲むというのは、同感だ。そして、転んだり、ぶつかったり、酒が原因のケガが多い。
 いわゆる下請け業者として首都リーブスで長年に渡り働く赤坂さんは、正社員のひとたちが当然のように保障されているものが認めれていない。ボーナス、有給、保険。酒を飲んでぼやきたくなる気持ちがよくわかる。サブプライムローンの破綻やリーマンショックで何度も解雇の危機にさらされながらも、溶接や研磨、鋳型の技術で会社から重宝がられてきた。やはり、最終的には技と腕なんだなぁと学ばされる。
 その赤坂さんが、10月中旬から、帰る時刻が早くなった。
「じゃ、お先に」
 きょうも、リュックを背にして帰り支度。
「最近、帰るのが早いですね」
「俺もな、センセーみたいに、一日の酒の量を二杯までって決めたのよ」
 赤坂さんは、わたしがぐい飲みで飲んでいる日本酒よりも、大きめのガラスのコップを使う。それが二杯というのだから、だいたい300ミリリットルぐらいか。2リットル入る紙容器の日本酒を好んでいる。
「なんか、いっしょに食べなきゃだめだよ」
 若女将がいつも気にしている。赤坂さんは、飲み始めると、ほとんど食べない。家でも、息子さんと二人暮しで、酒は飲んでも、まともに料理は食べないという。これでは、アル中まっしぐらになってしまう。
 お豆腐なら調理しなくていいとか、インスタントラーメンなら簡単だとか、みんなが心配する。最近は、心配を受けて、少しは食生活を意識してきたようだ。
「うちは早くにおっかぁが死んだから、不便が多いんだ」
 口癖のように言う。奥さんを病気で亡くしたこころの傷が癒えていない。関所で、寂しさや悲しさを言葉にすることで、少しずつこころの傷が修復できていくといい。
 コップに二杯というわりには、足元がおぼつかない赤坂さん。
「じゃ、お先に」
 関所のメンバーに手を振る。自動ドアの向こうに消えていく。その姿を追いながら、わたしはこころのなかでつぶやく。
 赤坂さん。俺は日本酒はぐい飲みに三杯って決めました。かなり例外なくそれは守っています。でも、そのほかに焼酎やビールを飲む量が増えました。こないだなんか、銘柄の違う日本酒の300のやつを飲みました。だから、あまり俺を参考にはしないでくださいね。

 10月。県内各地でスポーツ活動が真っ盛り。
 高校野球も、秋季大会が週末ごとに開催されていた。わたしは、自分が高校時代に硬式野球をやった経験がある。だから、野球は、どちらかというと見るものではなく、自分自身がやるものという気持ちが強い。それは、社会人になってからも地元の草野球チームに入ったり、ソフトボールチームに入ったりした動きへとつながっている。
 しかし、なかには、野球をやるのも好きだけど、野球を見るもの好きだというひとがいる。
 それが、力石さんだ。
 日曜日。わたしは、秋の鎌倉を散歩した。大船でランチをとり、ぜいたくな気分で関所に到着した。
「こんにちは」
「いらっしゃい」
 夕方ではないので、こんばんはという時間ではない。
「生ビールをください」
「あら、珍しい。きょうも歩いたの」
 若女将が、生ビールを入れる。わたしは、レジに270円を置く。
「北鎌倉から鶴岡八幡宮を経て、材木座。そこから海岸を歩いて極楽寺コースを歩きました」
 生ビールを喉に流し込む。ごくっ。この一杯のために、坂道も暑さもがまんしてきたのだ。
 フーッ。
 自動ドアの向こうには、秋の日差しが降り注ぐ。時計はまだ午後3時を指している。
 ふと、自動ドアが開いた。
「あれ、どうしたの」
 そこには、カジュアルな服装をした力石さんがいた。
「ちわっす」
「いらっしゃい」
 若女将は、力石さんを知っているようだ。地元の活動に協力的な力石さんなので、多くのひとが彼のことを知っている。
 わたしは、たまたま力石さんのこどもと、わたしのこどもが小学校一年生のときに同級生だった縁で、つながりを得た。そのこどもたちは、もう22歳。つまり力石さんとは、16年間もお付き合いをさせてもらっている。大きなつながりは、ソフトボールチームのメンバーだ。そのほかにも、地域で炭焼きをしたり、子ども会の夏祭りで焼きそばを作ったり、学校のマラソン大会でトン汁を作ったり、なんだかんだと年中顔を合わせている。
「力石さん、生ビールかな」
 若女将が尋ねる。
「あ、じゃぁ、そうしてください」

 力石さんは、メガネをおでこにあげて、目を細めて財布のなかから小銭を出した。
 一足先に飲んでいたわたしとコップを合わせる。意味はなくても乾杯は成立するのだ。
「きょうは、どうしたの」
 わたしは、関所で力石さんに会った記憶はほとんどない。買い物に立ち寄った記憶はあるが、休みの日にこうして生ビールを飲みにふらっと寄ったところに、わたしがいたという記憶がないのだ。
「きみを、探しにきた」
「きみって、俺のこと」
「ほかに、だれがいるのよ」
 携帯電話が広く使われている時代に、とてもアナログな方法だ。
「きょう、矢野ちゃんと秋季大会を観戦してきて、これから尽ちゃんで待ち合わせ」
「秋季大会って、高校野球の」
「そうだよ」
「好きだねぇー」
 そういえば、けさのソフトボールの練習のときに、力石さんは矢野さんと待ち合わせを確認していた。お互いに50歳を越えている親父が、こどもみたいに待ち合わせ場所を確認している姿が、少し滑稽だった。あれは、高校野球を観戦しに行く相談だったのか。
「そんで、暇をもてあましているひとたちを呼ぼうということになったわけ」
「はぁー」
 わたしは、数人のソフトボールメンバーの名前を挙げた。
「そのひとたちは、休日の家族サービスで忙しいでしょ。だから、呼び出したら迷惑。休日でも家族に相手にされていないひとを呼び出してあげることにしたのよ」
 ずいぶん、押し付けがましい理屈だ。
「そんなかに、俺が入っているわけなの」
「当たり前でしょ、違うの」
 休日だからって、家族がいっしょに行動するとは限らない。それに、こどもが何歳かによっても休日の過ごし方は変わってくるだろう。
「じゃ、携帯にかけてくれればいいのに」
「きみの携帯はつながらないことで有名でしょ」
 おっしゃる通りです。コール3回ぐらいで留守電センターにつながる設定にしてあるのだ。仕事柄、仕事の途中で電話に出るわけにはいかない。だからといって、呼び出し音が鳴り続けるのはまずい。そういう事情を考慮した結果、かかってきたら、すぐに留守電センターにつなげることにしたのだ。留守電センターの機械的な女性の声で、メッセージの録音をするのは、わりと面倒なようだ。登録されているメッセージを再生すると、「こうかな」「これでいいんですか」「もう終わりにしたいな」というメッセージとは異なる不安そうな声が録音されていることが多いのだ。だから、もともと電子機器に不慣れな力石さんは、留守電センターに切り替わったとたんに電話を切ってしまう。

 10月の日曜日。ソフトボール仲間の力石さんがわたしを求めて関所に来た。
「携帯をかけるよりも、ここに来れば必ず会えるでしょ」
「そんなことは、わからないよ。きょうはたまたまかもしんないじゃん」
「いや、きみは生活時間のほとんどを関所で過ごしているから、たとえいなくても若女将にメッセージを預ければ、留守電センターよりも確実に伝わるはず」
 確かにそうだ。
 それに、関所に行けばわたしに会えると考えた力石さんのねらい通りの結果なのだから、わたしは予想的中の競馬馬みたいなものだ。逃げても隠れても無駄だ。
「じゃ、いこか」
 高知出身の力石さんは、あまり地方言葉はないが、ときどきイントネーションが高知になる。
「その前に、ナスの浅漬けを食べて行ってよ」
 若女将が奥の冷蔵庫から、自家製の漬物を持ってきた。コップの半分以下になった生ビールの肴にはうってつけだ。
「それ、鷹の爪だよ。辛いよ」
 力石さんは、ナスではなく味付けのために入れてある唐辛子を手にしていた。
「知ってるよ」
 言いながら、ぽいっと口の中に放り込んだ。ボクは辛いものは強いんだよとでも言いたげに。
「いやー、それはきついんじゃないのー」
 口に入れてから二秒ぐらいは笑顔に余裕があった力石さん。三秒目からは、瞳に充血が始まった。あわてて、生ビールを口に含んだ。どうやら、ビールといっしょに鷹の爪を飲み込んだらしい。そんなことをすると、胃に刺激が強すぎるのに。
「うん、確かに辛かった」
 かなり強がりの性格である。
「行ってらっしゃい」
 若女将の声に背中を押されて、わたしは、まだ息をはぁはぁさせている力石さんと近所のラーメン屋「尽ちゃん」に行った。
 尽ちゃんには、すでに矢野さんが来ていて、ひとりでいいちこの水割りを作っていた。
「じゃ、大義名分は何でもいいので、とりあえず、乾杯」
 だったら、乾杯などしないで、それぞれのペースで飲めばいいのに。日本人というのは、何でもいっしょが大切な民族だ。
 手動のレールドア。背の高い男性が入店する。黒木さんだ。
「あれ、黒木さん、どうしたの」
「そこの関所に行ったら、あんたらがここにおると、女将が教えてくれたんじゃ」
 黒木さんは、福岡の出身だ。

 黒木さんを交えて、ソフトボールのチームメイト親父が、休日の昼間っから飲んだくれる。
 外は、猛暑。店内は涼しい。最高の秋だねー。
「それにしても、このメンバーは国際色豊かだなぁ」
 わたしが、感慨深く、力石さんたちを見渡す。
「きみね、それ、どういうことよ」
 高知出身の力石さんは、やっと鷹の爪の影響が薄まってきたらしい。
「だって、海の向こう、四国は土佐の力石さんでしょ。さらに関門海峡を隔てた黒木さん」
 ふたりは、口にあてていたいいちこのコップを、プッと吹く。
「ってことは、俺は内地だから、海外ではないぞ」
 杜の都、仙台出身の矢野さんが誇らしげになる。
「いや、かつては、赤城の山を越えたら、そこは異国の地だったんだから」
 わたしのみ、純正の鎌倉人なのだ。
「ところで、さっきから気になっているんだけど、黒木さんのそのクリーニング荷物は何なの」
 矢野さんが、黒木さんが座席の横に二つ折りにした洗濯物を指差す。
「おー、そうじゃった。嫁には洗濯物を取りに行くと言って出て来たんや。こんなところで、飲んだくれているとは知らんはずや」
 黒木さんは、やや慌てた。力石さんが、黒木さんの肩をたたく。
「ここで、こうして飲んでいたら、奥さんが心配して、怒ってしまうんじゃないのかな」
「あほな。んなこと、あらへんがな。あんたらこそ、昼間っから飲んでて、家では平気なのか」
 勝ち誇った瞳で力石さんは宣言する。
「ここに集めた精鋭は、家にいても邪魔者だろうという基準があるわけ。だから、じきに諭吉っちゃんも来る」
 わたしは、咀嚼していた餃子を誤嚥してむせる。
「諭吉っちゃんも、邪魔者なのか。まだ若いぜ」
 むせながら、いいちこを飲み、わたしは質問をする。
「あったり前じゃん。暇があればパチンコかマージャンをしているひとが、家で大事にされているわけがない」
 力石さんは、言葉に力を込める。
「そやそや」
 なぜか、黒木さんも同調している。
「本当は、もう一人、ジャマーズレギュラーがいるんだけど、連絡が取れなかった」
 矢野さんが、告白する。連絡しようとして取れないひとと、関所に狩りに来られてまんまとつかまったわたし。比較するのはやめよう。

 いつの間にか、家でだれにも相手にされない邪魔者たちを総称して、ジャマーズというグループができている。それにしても、もうひとりのレギュラーとはだれだろう。
「ちわっす」
 手動レールドアが開く。
「おー、久しぶり」
 わたしは、思わず、声を上げる。ソフトボールチームの監督を務める池根さんだ。
「あら、連絡はとれなかったけど、向こうから勝手にやってきたよ」
 矢野さんが、驚いている。
「あ、矢野さん。さっきから携帯に入れてくれていたみたいだね。何の用?」
 池根さんは、直接会ったことが決して偶然ではないような口ぶりで、電話のなかみを聞きたがっている。それより、返事の電話をどうしてしなかったのか。その方が問題だろう。
「いやぁ、こういう会を開いているから、いつもお世話になっている池根さんを呼ぼうかと思ったわけ」
 矢野さんは、役者である。いや脚本家というべきか。
「そっかぁ、ちょうど、俺も家族でここで飲もうということになってさ。じきにうちの者が来るんだ。だから、わりぃけど、隣りの席でやらせてもらうわ」
 池根さんは、いいひとだ。別に自分が声かけをしたわけでも、誘いを断ったわけでもないんだから、どこでだれと飲食をしようと勝手なのに。
 その後、マージャンが終わった諭吉っちゃんを加え、10月の宴会は外が暗くなるまで続いた。洗濯物をクリーニング屋に取りに行くと言って家を出ただけの黒木さんも、最後までいた。彼が家に帰って、家族にどんな目で見られたのかは、想像したくない。あまり華々しいものではないことだけは確かだから。
 隣りで、家族や親戚と飲んでいた池根さんは、なぜかいいちこの水割りを飲むとき、わたしたちの席に来て、水割りを作っていく。向こうの席にはいいちこはないのかなーと観察した。ちゃんとテーブル中央に氷セットといっしょにいいちこは鎮座していた。なのに、わざわざこちらのテーブルに来ては、自分のグラスにいいちこの水割りを作っていく。わずかな時間に、さりげなく、わたしたちと短い会話を交わしながら。
 よく考えれば、わたしたちとの接点を大事にしようとしていたのかもしれない。
 悪く考えれば。
 いや、悪く考えるのはやめよう。50歳近い親父たちが、わいわい楽しみながら酒を飲める幸せは、何ものにもかえがたいのだから。

 10月の中旬。少し風が秋らしくなってきた。
「ただいまぁ」
「おかえりー」
 関所の自動ドアをくぐると、若女将が迎えてくれた。
 レジの近くで長身の鮑さんが発泡酒を飲んでいた。
「あれ、久しぶり」
 首都リーブスを体調の関係で退職した鮑さんは、近所の別の工場に勤務していた。しかし、最近は仕事をしながら同時にハローワークに通っていた。鋳物という高温作業が続く首都リーブスの仕事は、持病を抱えるひとにはつらい仕事だったのだろう。結婚され、こどももいるのに、退職を選択した。それだけ、からだに無理がきかなくなっていたと考えた。
「きょうも藤沢のハローワークに行ってきました」
「いまの工場の仕事があるのに、また転職を考えているんですか」
 わたしは、立ち入ったことと認識しながらも質問をする。
「えー、俺たちの部署が11月から完全にオートメーション化されるんですよ」
 オートメーションというのは、自動化ということか。
「そこには人手はいらなくなるということですか」
 鮑さんは、小さくうなずく。
「簡単にいうとそういうことです。もともと、俺たちの部署はいまの会社の下請け会社からの派遣だったので、親会社にすれば下請けを引き払ってコストを下げるということなんでしょうね」
「ずいぶん、一方的な話ですね」
 わたしは、山猿をぐい飲みに注ぎ、少し憤慨しながら、ぐいっと喉に流し込む。
「9月に班長から事情が説明されてはいたんです。11月からは仕事がないから、それまでに次の仕事を探しておけって」
「こんな不況の時代に、かんたんに見つかるわけがないのにね」
 新聞で、日本の空を代表する大きな旅客機会社が経営破たんした記事が載っていたことを思い出す。従業員の早期退職を受け付けているという。一応、退職を希望するひとを待つという姿勢があるのは、大きな会社のなせるわざか。
「じゃ、下請け会社に戻って、そこでの仕事をするってわけにはいかないんですか」
 わたしは、大学を卒業してすぐに教員の道に入ったので、一般社会の常識を知らない。
「もともと、俺はその下請け会社でも契約社員なんです。いまの会社での仕事があるから雇われたわけで、そこの仕事がなくなったら、即刻これですよ」
 手刀で鮑さんは自分の首を切る。
「そういえば、先週の土曜日かな。鮑さんは北鎌倉駅あたりをワイシャツにネクタイで歩いていませんでしたか」
 鮑さんはしばらく考える。
「はいはい、あの日も逗子まで面接に行くところでした」

 10月後半。極楽寺のカディさんの邸宅で、源氏物語を聴く会が予定されていた。
「わたし、もういまから楽しみなの」
 若女将は、この話を知った半年ぐらい前からうきうきしている。もともと源氏物語には興味があるようで、本番前に復習をすると言って、ふたたび読み直すほどに。
「ほかにも、何人かで行くんですか」
「うん。一葉さんも楽しみにしていたのよ。だって、もともと彼女がわたしに源氏物語を教えてくれたんだもの。でも、ご家庭の都合で行けなくなっちゃって。残念だわー。ほかには、神ちゃんが友だちを誘って行くって言ってた」
「そっか、一葉さん、あんなに楽しみにしていたのに、残念だなぁ」
 一葉さんは、関所の近くに住んでいるご婦人だ。わたしがこどもの頃から住んでいる。当然、わたしの父や母の若い頃も知っている。夕方になると短い時間関所に寄って、レジの奥で休憩をしていく。
 いつも火曜日が定休日の関所では、それ以外の日に若女将が私用で店を離れるというのは考えにくい。買い物やヘアセットならば別だが、映画や舞台などのような文化的なイベントに参加することはめったにない。それは、かわりに関所のだれかが店に立つということを意味するからだ。考えてみれば、かなり拘束力の強い仕事だ。
 学校の教員も拘束力は強い。管理職の許可なく、勤務時間中に学校から離れることは許されない。「ちょっとそこで映画を見てきます」という申請が通るとは思えない。しかし、年間に決まった日数だけ休暇が認められている。用事があるときには、その休暇を使って学校を離れることができるのだ。
 しかし、関所のような自営の仕事では休暇という制度は成り立ちにくいだろう。みんなで休暇を取得したら、お店は開店休業になってしまう。お客が離れたお店には、ひとがつかなくなってしまう。
 だから、源氏物語を聴く会への参加は若女将にとって大きなイベントだ。
 もちろん、それを支えるバックヤードの布陣も頼もしいのだろう。
 営業職のように、日常的に町を歩くひとたちは、自分だけの時間と取引先との時間が区別されている。気持ちにメリハリがある。
 工場でものを作るひとたちは、原材料がかたちを変えていくプロセスに立ちあい、自分の技術で工業用品を生み出しているという自負がある。
 八百屋や酒屋のように、食べ物や飲み物を扱うお店のひとは、自分から出歩いてしまっては仕事にならない。出張販売や注文まわりというのもあるかもしれない。しかし、やはり基本はお店に来る客へ商品を売ることが仕事の中心だろう。お店には来なくても電話で注文を入れる客へ灯油やタバコ、ビールや日本酒を届けることも多いだろう。
 せめて、源氏物語を聴いている至福の時間は、今頃お店は大丈夫だろうかと心配しないでいてほしいと願う。

 暑い夏が過ぎて秋になる。とはいえ、ことしは秋になっても暑い日が続く。帰りに太陽が早く沈んでいくようになって、あーいつもよりも夕暮れが早くなったなぁとやっと気づく。
 藤沢から仕事帰りに1時間をかけて関所まで歩く。まだまだ関所に到着すると汗をかいている。歩きながらの読書は、日に日に暗くなるのが早くなるので難しくなった。だから、歩くことに集中できるようになり、これまでよりもシャカシャカ歩く。よけいに汗をかくという繰り返しだ。本当に冬が来て、寒くなるのだろうか。
「こんんちは」
 関所の自動ドアをくぐる。
「お帰りー」
 いつものように、若女将の元気な声が響く。おっす、お疲れさん、店のあちこちから常連たちの挨拶が返る。
「あれ、センセー、遅いじゃないの」
 その日は珍しく、極楽寺に住むインド人のカディーさんがわたしよりも先にいた。手には小さなガラスのコップが握られている。
「カディーさん、きょうは早いですね。もうプールは終わったんですか」
 カディーさんは、近所にある「こもれび」という鎌倉市の作ったスポーツ施設に週に一回通う。おもに温水プールで1時間ぐらい歩くそうだ。
「いや、これから行くんだよ」
「えー、それじゃ、飲酒プールじゃないの」
「大丈夫、大丈夫、これぐらい」
 以前のカディーさんは、お店には寄ってもアルコールは一滴も口にしなかった。しかし、少しずつビールを始めるようになったら、かなり慣れたようだ。ついには、プールに入る前に飲むようになっているのだから。
「じゃ、センセー、ずっと待っててよ」
 ガラスのコップを缶ジュースが入っているクーラーの上に置くと、カディーさんはプールに出かけた。プールに行ったら小一時間は過ごしてくるカディーさんを待っていたら、帰るのが遅くなってしまう。まさか、そんな遅くまで待っているわけないじゃんと、こころのなかで告げる。
 しかし、その日はなぜかお酒と話が盛り上がり、常連客がみんな帰って行っても、わたしはだらだらと関所に残っていた。
「だいぶ、ふらふらしてるわよ」
 わたしは、ふだんはビールが入っているケースに腰を下ろす。
「大丈夫だよー」
 そう言いながら、フラフラっとよろめくわたし。言葉に説得力がない。
「おー、いつも見えている風景と違うなー」

 立ち飲み。当然だが、視点は自分が立っている高さに固定されている。ケースに座ったら、視点がとても低くなった。
 自動ドアが開く。
「あら、うーちゃん。さっきまで相田さんや山ちゃん、いたのよ」
 特殊ペイント製造会社の内田さんが登場した。アルコールを飲まない内田さんは、いつも関所に来て、相田さんや山ちゃんとコーラを飲みながら談笑する。
「あ、いいんです。きょうは自分だけってわかっていたので」
 うーちゃんは、コーラとスナックを手にしてレジに支払いに来た。
「こんばばんは」
 椅子に座っていたわたしが見えなかったのだろう。うーちゃんは、わたしを見て驚いた。
「珍しい、座っているんですね」
 いやはや……。
「もう、だめ、センセー、飲み過ぎ。これ以上は危険だから」
 若女将が解説してくれる。
 内田さんは、会社での立場は相田さんたちよりも上だという。いわゆる管理職にあたるみたいだが、関所にいるといつも気さくで、ときには相田さんに説教されていることもある。
 ガタン、また自動ドアが開いた。
「お、いたいた」
 カディーさんがプールを終えて戻ってきた。
 しまった。カディーさんの言いつけを守る結果になってしまった。
「別に待っていたわけじゃないからね」
「ママ、きょうはこれをもらおう」
「え、珍しい。カディーさん、ワインも飲むの」
 ワイン棚から、カディーさんは二本の赤ワインを手にしていた。
「一本、開けて、センセーいっしょに飲もう」
 どういう風の吹き回しだろう。すでにわたしの味覚も肝臓もアルコールを区別できない段階に入っている。それなのに、口は喋ってしまう。
「わーい、いただきます」
 あなたも、飲むか。カディーさんは顔でうーちゃんに質問するが、いいえとうーちゃんは手を振る。
「わたしも、もらっちゃおうかな。これ、おいしいの。エルコトティント」
 三人で、一本のワインを開けてしまった。わたしは座っていたから気にならなかったが、運動を終えたばかりのカディーさんは、足元がフラフラしてきた。
 ちょうど、荷物を背負って帰ろうとしていたうーちゃんに頼む。
「うーちゃん、カディーさんを大船までエスコートして。大船からはうーちゃんとは方角が違うから、仕方ないけど、お願いします」
 こんなの大丈夫とつぶやくカディーさん。酔っ払いはみーんな「大丈夫」と言うものです。
「あいよ、了解」
 うーちゃんは気軽にエスコートを了解し、カディーさんを支えるように帰って行った。

 わたしは、仕事帰りに関所に寄る。昨晩は、カディーさんとワインを飲みすぎた。朝になっても食欲がなく、珍しく朝食抜きで出勤した。それでもひとの胃袋はちゃんと時間になれば空腹を訴える。昼の給食は、しっかりおさまった。
「こんばんは」
「おかえりー、センセー、きのうは大変だったんじゃないの」
 若女将が、痛いところをつく。
「朝飯が食えなかったー」
「また、お前は飲みすぎたぁって、パパに言われたぁ」
 ふだんから、酒を飲みなれているわたしや若女将でも酔った。きっときょうのカディーさんは、頭のなかでずっと除夜の鐘が鳴り続けていたのではないか。
「なに、センセー、珍しいじゃん。飲みすぎたなんて」
 ウイスキーが並ぶコーナー近くで、焼酎を氷とお茶で割りながら、相田さんが聞き耳頭巾をかぶっていた。
「いやぁ、年を取ると、酒に弱くなるね」
「あんだけ、飲んでて、弱いも何もないよ、あはははは」
 チェダーチーズ味のスナックを、一度に三つぐらい口に頬張る。
「うん、これ、けっこう、うまいんだ」
 相田さんは、どんどん話が展開していく。文脈がつながらないことがあるから、気をつけていないと、いまどんな話をしているのか、わからなくなる。
「それ、こないだまで試食していたやつだよね。うん、けっこううまかった」
 スナック菓子は塩分が多いので、なるべく食べないようにしている。でも、基本的にはポテトチップスや揚げせんべいが好きなので、以前はよく食べた。その結果、血圧が高いからだになったので、いまでは意識をして食べないようにしている。だから、うまそうに食べているひとを見ると、欲しくなってしまうのだ。
「そう、これ、ちゃんとチーズの味がするんだ。ほら、俺、辛いの苦手じゃん。だから、これぐらいがちょうどいい、ちゃって、ふふふふ」
 相田さんは、語尾にあはははとか、ふふふふという照れ隠しがつく。
 わたしもチェダーチーズは好きだ。
「ワインにも合うかもね」
「それがさぁ、あした早起きなんだよ」
 え、チェダーチーズ味のスナックとワインと、早起きがどうつながるんだ。
「相田さんは、あした出張なんだって。だから、きょうは早く帰るんだよね」
 若女将が教えてくれた。相田さんの頭のなかでは、もうわたしとのスナックの話は終わってしまったらしい。
「出張ですか、どこに行くんですか」
「えーと、ことしはどこだっけなぁ」
 そんな出張でいいの。

 相田さんはバックから紙切れを取り出した。
「えーとね、そうだ、ことしは群馬だ。大船駅に早朝7時に集合だよ」
 わたしの知っている出張と、民間に勤める相田さんが行く出張との間には、もしかしたら大きな隔たりがあるのかもしれない。
 わたしは、ホッピーをコップに勢いよく注ぐ。ノンアルコールビールの元祖ともいえる、ホッピーはストレートでも飲んでもおいしいのだ。勢いよく注ぐと、それなりに泡立つ。
「会長がね、ことしも相田くん、バスのなかを盛り上げてよってご指名なの。向こうに行ってからも、昼の宴会のときになにかアトラクションよろしくって、頼まれちゃってさぁ」
 喉ごしさわやかなホッピーの泡が思わず肺に入りそうになる。
「それって、職員旅行みたいですね」
 公務員の世界ではまだ職員旅行という風習は残っている。しかし、民間会社にもその風習が残っているとは驚いた。
「違う違う」
 相田さんは、焼酎の入ったコップを顔の前で振る。
「いまどき、そんな旅行をする景気のいい会社なんてないよ」
 そうだよねぇ。じゃぁ、なんだ。
「キトリの交流よ」
 ニトリっていう大型小売店は知っている。でもキトリは知らない。奈良地方にキトラ古墳というのがあったが、相田さんと関係あるとは思えない。
「キトリって、何ですか」
「何だよ、ガッコーのセンセーがそれじゃ、困るな。危険物取り扱い業者。キケンブツ・トリアツカイ。略してキ・ト・リ」
 ご丁寧な説明をありがとう。しかし、正確に省略していない気もするが。それに、少なくとも小学校で教えるなかみではない。
「そのキ・ト・リの出張なんですか」
「この辺のキトリ会社が集まって危険物安全協会ってのを作ってんの。元締めは消防署。その署長が会長もやっててさ。電話がかかってきて、ことしもよろしくってわけ。どこの会社も一人ずつ出るんだけど、うちはいつも会長が指名するから、最近は俺ばっかり。前にうーちゃんが出たこともあるんだけど、ほら、うーちゃん、酒、飲まないじゃん。だから、バスのなかや宴会でも退屈なんだよね。それで相田、お前が行けってことで始まったの。なんだよ、やだなぁって思って参加したら、研修なんて名ばかりで、バスのなかでも向こうに行っても、ほとんど宴会よ。そんでもって、ただだらだらと飲んでたから、少し宴会芸とかやったら、受けちゃってさ」
 わたしの頭のなかには、釣りバカ日誌の西田敏行が笑顔で挨拶をしていた。

 10月も中旬になる。
 いつもは運動会の季節で学校はバタバタしている。
 しかし、ことしは校舎の全面改築に伴って、校庭にプレハブを建設して校舎にしているので、校庭がない。6月に近隣の小学校の校庭を借りて、すでに運動会は終了していた。
 だから、比較的、のんびりとした秋の深まりを感じていた。
 ソフトボールの仲間、数人とバーベキューを約束していた。
 バーベキューセットを新調したのでぜひ使ってほしいと、土心さんがメンバーに提案した。それを受け、監督の池根さんが希望者を募った。日程も決まった。しかし、約束の日が近づいてきても、準備や集合時間の連絡がない。池根さんに尋ねると、その日は急に仕事が入ったから、あとは頼むとのこと。もっと早く知らせてくれればいいのにと不満を持ちながらも、参加予定者に準備を指示する。
 アルコールはわたしが調達することにした。
「というわけで、これぐらいの予算でアルコールをお願いします」
 わたしは若女将に注文を出す。
 ワイン二本。生ビールセット。日本酒。焼酎。お茶。生ビールのセッティングもお願いする。
「本当に、うちでいいのかな」
 若女将が心配する。
「どういうことですか」
「アルコールなら、安売りのお店に行けばもっと安く買えるのに。みなさんに文句を言われないかな」
 確かに、ディスカウントショップに行けば、もっと値段の安いアルコールを大量に仕入れることができる。しかし、わたしは、町の小売店を大事にしたい。大きなディスカウントショップや大型小売店は、収入のほとんどが本店に送られてしまうので、地域にお金が還元されない。地元が疲弊していくシステムなのだ。値段の多少は仕方がない。
「気にしないでください。文句を言うひとには飲ませないので」
「また、そんなこと言っちゃって」
 約束の10月16日は好天だった。大船に肉や野菜を買い出しに行った。わたしは、土心さんのお宅の台所を借りて、バックヤードよろしく食材の下ごしらえをした。庭では炭の準備ができて、下ごしらえのできたものからどんどん網に乗せられた。大将が来て、生ビールのセッティングをしてくれた。
「うんめぇ」「かんぱーい」
 庭からは、こどもに返ったような若い声が聞こえてくる。ひとりかふたり、気を利かせて台所まで食べ物とビールを運んでくれると期待していたわたしは、甘かった。すべての支度を終えて庭に出たときには、もう生ビールはほとんど残っていなかったのだ。

 いつまでも常夏が続くかと思われた。しかし、10月下旬から11月にかわると、さすがに湘南地方は秋の気配が訪れた。ビールは、コクのある秋味がおいしい季節になった。
 いつものように関所で盛り上がる。少しずつ、暗くなる時間が早くなっている。
 週末の金曜日、ついついわたしは関所に長居をしてしまう。翌日が休みだからだ。関所の常連、相田さんや平ちゃんたちは金曜日はむしろ関所に来ない。もしくは来てもすぐに帰って行く。金曜日だから大船や横浜で遅くまで飲むらしい。
 だから、金曜日の関所には、近隣に住んでいるひとが多く集まる傾向がある。
 その日も、わたしは近所の泥橋さんとゆっくりしていた。泥橋さんは、大船にある大きな機械メーカーで働いている。家から歩いて行ける。夕方には大船仲通でキムチや鯖、納豆やニンニクを買い込んで来ることが多い。ときどきは、早めに仕事を終えて近所の銭湯でゆっくりしてくる。わたしよりも数歳上だ。人生を楽しみながら生きている。
 ニンニクを生のままで食べる特技があるので、あまり近づくと全身から漂うニンニク臭で、こちらが酔ってしまう。
「みんなが言うからさぁ、最近はあまり食べないようにしてるの」
 生ビールのプラスチックコップを傾けながら、申し訳なさそうに告白する。
 時計は午後8時を回ろうとしている。いつものわたしならば、翌日のことを考えて、帰り支度をする。どうしようかなぁと考えていた。翌日の土曜日は、日帰り温泉に行って一週間の疲れを取ろうと思っていた。ならば、きょうはもう少しのんびりしてもいいかなぁ。
「あれ、お父さんよー」
 若女将がドアの向こう側に父を認めた。
「おーい」
 手まで振っている。
 父は、いつもなら片手を挙げて通り過ぎるのに、その日に限って、にやにやしながら自動ドアをくぐってきた。
「わぁい、お父さんが自分から来てくれた」
 若女将は舞い上がっている。本当に自分から来たのだろうか。手を振って誘っていたような気がしないでもないが。おっと、父の足取りがあやしい。
「きょうは、遅いじゃん」
 わたしは、飲んで来たなぁという予感を抱く。
「ちょっとな、関内でさ。ほら」
 かつて、父と同じ職場で働き、退職しても、互いに行き来のある友人の名前が出た。
「もう、この歳だからな。金曜日は半ドンにして、午後から関内に出て映画を見るようにしているんだ。その後で、これよ」
 拳骨を握って、ビールジョッキを傾ける仕草をする。なかなかぜいたくな時間を過ごしてきたのだ。
「はい、どうぞ」
 若女将がなみなみと注いだ生ビールを父に出した。
「いや、もう、きょうは飲んで来たからなー」
 そう言いながら、泥橋さんと同じプラスチックコップを受け取っていた。

 父は決して酒が嫌いではない。むしろかなり好きなほうだ。それもひとりで飲むよりも、大勢とわいわいしながら飲むのが好きなのだ。だから、法事などでわたしが運転手をすると、帰りに食事をしても飲む相手がいないのでおもしろくない。だったら、法事は歩いていけば、帰りにいっしょに飲めると言ったことがあるが、それは面倒だという。わたしの家の墓がある円覚寺は、自宅から歩いて20分ぐらい。わざわざ車で行く必要はないのだが。
 ほろ酔い加減の父に、わたしは泥橋さんを紹介する。
「こちら、いつもお世話になっている泥橋さん。ニンニクが大好きで、辛い物が趣味」
 ホウーッ。父の頬が引っ込む。
「ちょっと、センセー、そういう紹介はないんじゃないの」
 泥橋さんは、おもしろくない。事実ばかりを公開してはいけないらしい。んじゃ
「泥橋さんの息子さんは、さる国会議員の秘書さんなんだよ」
 いやー、まぁ、それほどでも。
 なぜか、本人でもないのに、泥橋さんは頭をかいている。
「国会議員といっても、たくさんいると思うんだけど、どういう方の」
 父は、興味をもったらしい。
 わたしは、そういう話に興味がないのでふたりの位置から適当に距離を置いた。少し離れてみたら、ふたりは政治談議でどんどん盛り上がっていく。初対面のひとが苦手な父には珍しいことだ。それだけ、泥橋さんの温和なキャラクターが、父のこころを穏やかにさせたのだろう。
「はーい、なんだか、難しい話ばかりしてないで。おいしいモツ煮込みを食べてね」
 若女将が、お盆に自家製のモツ煮込みを運んできた。若女将は、たびたび家族用に作っているだろう食事を、関所の常連に運んでくれる。
「わーい、ありがとう」
 わたしは、お椀を受け取り七味をかける。やさしい味噌味の持つ煮込み。日本酒があう。政治談議に盛り上がっていた父と泥橋さんも、あったかいモツ煮込みを口に運ぶ。関内で飲んできたはずなのに、父はよく食べる。
「これは、なかなかおいしいなぁ」
 かなり満足そうである。
「若い頃は、野毛の川向こうに、ちょくちょくモツを食べに行ったんでしょう」
 レジの奥から大将が、声をかける。横浜で高校時代を過ごした大将は、野毛や桜木町に詳しい。父は、30歳代から40歳代を桜木町で働いていたので、やはり「あのヘンのこと」に詳しい。ときどきふたりにしかわからない話題で、にんまりしているのだ。
「モツねー。ホルモンって言ったかなー。青い大きなバケツに入っていて」
「そうそう、放るものから、ホルモンって名前がついたっていうそうだし」

 わたしも父も泥橋さんも、若女将のモツ煮込みであったまった。
 わたしは、父を連れて帰ることにした。酔って帰って来た父だ。ここで酒が追加されたので、足元が危ない。
「それじゃ」
 帰ろうとすると、父がバックのなかから財布を出している。
「この煮込みの値段はいくらかな」
「やだー、お父さん。これはわたしからの差し入れですよ。お金はいりません」
 若女将が恐縮している。
 よく考えれば、わたしはいつも「もらえるもの」として当たり前のようにいただいてきた。しかし、父のように初めて口にしたひとが「お金を払わなきゃ」と考えるのは当然のことだ。
「そういうわけには、いかないよ。ね、大将」
 父は、千円札を一枚財布から出すと大将の分厚い手のひらに握らせていた。なかなか強引である。
「いや、本当に、こういうのはいいんだからさ」
 いくら大将が遠慮しても、父はもう渡したお金を受け取ろうとはしない。
 さ、帰ろう。いい気なものだ。
 わたしは、恐縮している若女将と大将に頭を下げて父と帰路についた。
「きょうはずいぶんご機嫌だったみたいだね」
 坂道は、酔いが回った身にはこたえる。話しかけながら息が途切れる。
「ああいうお店は、昔はよくあったもんだがなぁー」
 何年前のことを思い出しているのか。いや何十年前のことなのか。父は、さっきまでいた関所での時間を、こころのなかで壊れないように壊れないように懐かしんでいる。わたしは、父の荷物を両手に持っている。父は空身だ。
 並んで歩く。いつの間にか、父はだいぶ小柄になったようだ。
「ことしの年末な。スペインに行ってくる」
 なんだ、そりゃ。
「共済組合の旅行で、スペインだけをめぐる芸術と教育の旅っていうのがあったんだ」
 父は、公立学校で勤め上げ、その後私立学校で働き続ける。だから、いま所属している保険組合は、私学共済だ。組合員向けに格安の旅行プランが用意されているのだろう。
「いいね。でも、どうして、スペインなの」
「世界の主だった美術館に行ってきたつもりなんだが、どういうわけか、これまでスペインにだけは縁がなくてな。死ぬまでに一度は行きたいと思っていたんだ」
 きっと、それは亡くなった母といっしょに行くつもりで、残しておいた旅だったのだろう。その願いをかなえることなく、母は6年前に他界した。あれから、6年が経過して、ひとりでもスペインに行けると思えるようになったのかもしれない。

 土曜日に関所で泥橋さんと話していた。そこに関内で飲んできた父が合流した。
 日曜日は、日帰り温泉でくつろいだ。年齢が50歳に近づいてきた。日々の疲れがどんどんたまるようになった。首周り、腰、背中。無理はしないようにしているつもりでも、かたまった筋肉がほぐれるのには時間がかかる。一週間に一度の日帰り温泉は、わたしのからだをリセットするために必要だ。
 週明けの月曜日。仕事の帰り。
「ただいまぁ」
「はい、おかえりー」
 若女将をはじめとして、相田さん、赤坂さん、烏さん、永田さんなどいつものメンバーが迎えてくれる。
 わたしは、いつもの焼酎コーナーに荷物を置く。日本酒が冷やしてあるクーラーボックスを開ける。透明なせんべいのビニール袋。割れたせんべいばかりを集めたアウトレットせんべい。250円でお得なのだ。それもキープしている。
 なに、これ。
 われせんは、胡麻せんべい、しょう油せんべい、薄味せんべいの三種類が定番だ。それらが適度な割合でビニール袋に入っている。そのなかに、なぜか一枚の千円札が眠っているではないか。
 どういうこと。
「わたしも、いままでいろいろなキープを見てきたけど、さすがに千円札のキープっていうのは初めてよ」
 不可解な表情を浮かべているわたしに気づいた若女将が突っ込む。
「うーん、記憶がないなぁ。せんべいを冷やしておくと千円札になるっていうマジックかな」
「そんなもん、あるわけないでしょ。本当に覚えてないの。ほら、土曜日のことよ」
 土曜日は、えーと。思い出すけど、キープしているせんべいの袋に千円札を入れた記憶はない。しかし、酔っているときの記憶には、まったく自信がないので、そこに何かがあったのだとは推測できる。
「あのとき、お父さんが煮込みのお代だってお金を置いてってくれたのよ。それをパパが受け取れないからって、そこに返しておいたわけ」
 あー、思い出した。そうだそうだ、父は差し入れの煮込みを無料で受け取らずにお金を払っていったのだ。
 わたしは袋のなかから千円札を取り出した。幸い、お札の表面にはしょう油はしみていない。どういうわけか、若女将の厚意が、父の善意に火をつけ、わたしの懐をあたたかくさせてくれた。こういう連鎖はいつでもウエルカムだ。

 11月中旬になっていた。
 帰り道。歩きながら読書をする習慣を多くの知り合いに「お願いだからやめて」と懇願されていた。それでも読んでいる部分が盛り上がっていると、なかなか読書歩きをやめられない。しかし、とうとう日の入りが早くなってきて、読みたくても周囲が暗くなり、文字が見えない季節になった。
 これから冬至に向けてどんどん日の入りの時間は早くなっていく。
「ただいまぁ」
 関所のドアをくぐる。
「あ、先生。お帰りなさい」
 珍しく鮑さんが発泡酒を飲んでいる。
 首都スリーブを退職し、夜勤のある三交替制のきつい工場で働いていた。秋で工場との契約が切れるので、暑い夏をまたいで仕事探しをしていた。ハローワークに通いながら、一週間に三つも四つも面接を受けていた。
「こんなに早くビールを飲んでいて、珍しいじゃん」
 鮑さんは、わたしよりも10歳ぐらい若い。まだこどもは小学生だ。
「おかげさまで、新しい仕事が見つかりました」
 わたしは、リュックを店のコーナーに置きながら、その言葉を浴び、中腰から顔を反転させて、喜んだ。
「やったぁ、よかったねー」
「えー、なんとか」
 まだ小学生のこどもがいて、無職状態は本人も家族も不安と心配でいっぱいだっただろう。仕事を探している期間は、あまり積極的には関所に寄ることも少なかった。その鮑さんが、あしたからの生活に目途が立ち、ホッとしたのだ。
 わたしは、大きな冷蔵庫から、瓶ビールを取り出す。340円を若女将に渡す。
「あら、珍しい。いきなりビール」
「鮑さんのお祝いだよ」
 まだ、発泡酒を飲んでいたが、わたしはプラスティックのコップを受け取り、鮑さんの分を注ぐ。わたしがいつも使っているガラスのコップにも注ぐ。
「何だか、申し訳ありません」
 恐縮しながら、鮑さんはわたしからプラスティックのコップを受け取った。
「じゃ、再就職、おめでとう」
 プラスティックとガラスなので、チーンという音はしないが、乾杯をした。
「それで、今度はどんな仕事なの」
 立ち入ったこととは思ったが、あえて触れないというのも不自然だろう。

 鮑さんは、わたしよりも背が高く、たぶんわたしよりもやせている。うらやましい体型だ。
「先生、アルミナっていう粉を知っていますか」
 いきなり、難しい質問だ。記憶の小部屋を総動員しても、その言葉は出てこない。
「アルミニウムなら知っているけど、アルミナっていうのは知らないなぁ」
「でも、さすが。ふつうのひとは知らないものです。俺も、今度のところに行って初めて知りました。かんたんに言うと、アルミニウムの原料がアルミナです」
 昔から、アルミニウムという金属は不思議に思っていた。鉄よりも軽く、薄い。金属なのに、磁石がくっつかない。錆びない。
「そのアルミナを作る仕事をしています」
「え、アルミナって、作られるわけ?」
「外国から、ボーキサイトっていう岩というか、大きな鉱石がやってくるんです。それに、薬を混ぜて、アルミナを取り出す仕事なんです」
 ボーキサイトなら、覚えているぞ。たしか、そうそう、アルミニウムの原料って教わった気がする。
「で、職場のひとたちはどうなの」
 以前、夜勤があった工場は、ほとんど同じ契約のひとと話す機会がなかったとぼやいていたことがある。
「みんな、いいひとですよ」
 目元を緩めながら鮑さんが応じる。
「そりゃ、よかったね」
「いいひとっていうか、冗談ばっかりで。どこまでが本気なのか、どこまでがふざけているのか、わからないんですよ」
 少なくとも、以前の工場よりも人間味があるらしい。
 どんな仕事も、大変だ。しかし、その大変な部分を同僚や上司、部下とわいわい言いながら連携して乗り越えていけるから、仕事は楽しくなる。大変な部分が、いつもだれかに集中して向けられていたら、人間関係はぎくしゃくして、仕事もつまらなくなる。
 鮑さんが以前勤務していた工場は、24時間ずっと動いていた。だから、ひとは8時間ずつ交替で働く。同じ部署のひとでも、交替しながら働くので、いっしょに仕事をすることはなかったそうだ。仕事の引継ぎのわずかな時間だけ、勤務が重なる。でも、そんなわずかな時間では、冗談も、飲み会の誘いもない。ただ機械的に、事務的に、連絡業務のみだ。
「今度の仕事は定時なの」
「えー、それがありがたいです。たまにキューシュツもあるらしいですけど、基本はゲツキン」
 キューシュツは、休日出勤。ゲツキンは月金で、平日のこと。
「じゃ、またここでいっしょに会えるね」

 関所は、ゆるやかな坂の下にある。
 だから、わたしの家路は、そのゆるやかな坂を上っていく。わたしの家よりも、さらに奥に、谷戸と呼ばれる場所がある。山郷にたまった雨水が小さな川を作り、谷あいを抜ける。川の両面には水田や畑が広がる。
 わたしがこどもの頃は、谷戸の川に母親に頼まれて夕飯の味噌汁に使うシジミを取りに来た。梅雨を過ぎると、蛍が乱舞していた。カエルの合唱で、照明のない谷戸は埋め尽くされていた。
 鎌倉には、そういう谷戸と呼ばれる場所が複数存在した。しかし、住宅地の開発によって、次から次へと谷戸は消えていく。
 そのなかで、鎌倉市に働きかけて谷戸を保存する運動が広がった。その結果、わたしの住む場所に近い谷戸は、自然公園というかたちで整備することによって、開発から守られることになった。
 しかし、いくら自然公園と言っても、あるがままの自然に手を加えることには変わりない。整地もする。大きなトラックや、地面を固める重機が谷戸の地面を踏み固めた。
 まず、シジミが消えた。次に、蛍がほとんどいなくなった。蛍は幼虫のとき、水生で、カワニナという貝をえさにする。シジミやカワニナが消えた川では、蛍が育たなかったのだ。
 あるがままの自然を残していたら、きっと住宅地として地主は土地を売り払い、今頃、木々も土も消えていただろう。
 整備された大きな池や樹木、水田や畑が自然公園として残った。しかし、小さな川の水が元通りに戻ることはなかった。自然のバランスというのは、それだけ微妙なのだ。それでも休日には小さなこどもを抱いた家族連れが、弁当と敷物を持参して森林浴を楽しんでいる。かつての谷戸を知らない若い世代は、小さなこどもの手を引きながら、自慢する。
「ここにはこんなに自然が残っていて幸せね」
「こっちに越してきて、本当によかったな」
 それが、造られた自然であるという事実は知らない。しかし、本物の自然にはフェンスやベンチ、整然と種類ごとにそろえられて樹木が植えられていることはない。もともとあったものを取り除き、新しいものを造ったのだろうという想像力ぐらいは働かせてほしい。
 その自然公園で活動するボランティアグループが「谷戸を守る会」のひとたちだ。通称、谷戸の会。週末に集まり、米作り、野菜作り、剪定、枝打ち、餅つき、伐採など、公園周辺の作業を担っている。一日の仕事を終えて、夕刻になると、芝生に腰を下ろして乾杯。その後は、近くの蕎麦屋やラーメン屋、焼き鳥屋に流れて、打ち上げになる。だから、午後3時ごろになると、メンバーのうち若い衆が関所にアルコールを買いに来る。
 その日は土曜日だった。わたしは大船で買い物をした後で、関所に寄った。平日と違い、立ち飲み仲間はいない。静かな店内に、ガヤガヤと汚い身なりの男たちが入ってきた。
「いらっしゃいませ」
 若女将は、男たちとなじみらしい。驚く様子もなく挨拶をした。全体的に汗臭い。雨でもないのに長靴を履いて、そこに泥がついている。
 わたしはその男たちのなかに、いつも仕事帰りにいっしょに飲んでいるドクターの佐藤さんを発見した。

 佐藤さんは、わたしを見つけて近寄ってきた。
「どうも、お疲れさんです」
「いやぁ、そうねぁ、疲れたなぁ」
 佐藤さんは、横浜の病院に勤務しているドクターだ。いつもは仕事帰りに関所に顔を出す。ふだんから、カジュアルな服装が多いのだが、きょうの服装は明らかに作業着なので、違和感を覚える。
「きょうは、どこで打ち上げですか」
「どこも行くとこ、なくて。きょうは、ここ」
 おー、一日のボランティア仕事の後で立ち飲みとは、元気なひとたちだ。
「いつものお寿司屋さんとか、蕎麦屋さんとかには行かないんですか」
「それがね、まだ、ほら時間的には早いのよ」
 なるほど、壁の時計は、まだ午後4時ぐらいだ。
「いつもは、作業の後に谷戸で軽く一杯やって、それから帰るひとと飲みに行くひととに分かれるんだけど」
 そこまで言って、若女将に生ビールを頼む仕草をはさむ。さぞかし喉が渇いているのだろう。
「最近、あそこで飲んでいると市役所に電話をするひとがいて、役所から、やめてくれって注意されてるんです」
「あそこで飲んでいるって、別に大騒ぎをしているわけではないんでしょ」
「そりゃ、そうですよ。厳密には中央公園の敷地の外だし、人目につかない高台の倉庫前の空き地で飲んでいるだけなのに」
「そういうことをいちいち市役所に密告するひとは、たいてい匿名なんですよね」
「そうそう」
 若女将から生ビールを受け取り、ぐーっと佐藤さんは喉を潤す。
 反対側のコーナーでは、ほかのメンバーが「かんぱーい」とコップを合わせた。
「匿名なんか、無視すればいいのに」
 わたしも、仕事柄、匿名による教育委員会への密告で注意や指導を受けたことがある。匿名というのはやっかいなのだ。相手に反論したいことがあっても、どこのだれだかわからないので、反論もできない。行政の担当者はなぜ匿名を無視しないのだろう。いちいち匿名に対応していたら、きっと現場は混乱するだろう。
「おそらく、市役所の担当者は自分が異動するまでの期間、何事もなければいいと思っているんですよ。だれからも文句を言われず、何も新しいことを考えず、ただひたすらきのうと同じきょうを繰り返せば、優秀な役人として出世していくのでしょう」
 いつもは冷静な佐藤さんが、やや投げやりになっていた。
「そっかぁ、だから、最初の打ち上げから場所を探さなきゃいけなくなったんですね」

 しばらくわたしと話していた佐藤さんは、やがて谷戸の会の仲間の元へ入っていく。
 わたしとは、反対側のコーナーで盛り上がっている。
 仕事以外に、共通の目的でつながる知人がいるというのは、人生の幅を大きく広げてくれる。いつも仕事がらみの人間関係で生きていると、異なる世界のひとたちと出会いにくいのだ。きっと佐藤さんも、谷戸の会のメンバーとのつながりを通じて、医療関係者といっしょにいるときとは違った自分を出すことができているのではないか。
 わたしは、幸いに、関所に寄ると、まず同業者とは出会わないので、毎日、人生の幅を広げていただいている。関所のメンバーは個性的で、生き様も異なる。みんな高齢になってきて、すぐに「俺が若い頃は」とか「昔はさぁ」などと、頼んでもいないのに、20年も30年も前のことを教えてくれる。生きた時代や社会が違うのだから、わたしの知らないことが多すぎる。その一つ一つにわたしは感動する。
 まさに、教科書に書いてない歴史なのだ。ひとは、かつて口から口へと過去の出来事を語り継いだ。伝承と言われている。文字を書ける身分の人間など、社会のなかでほんの一握りしかいなかったのだ。
「それにしても、ボランティアのひとたちが短い時間を使ってビールで楽しむことすら、気に入らないひとがいるんですね」
 レジの若女将に尋ねる。
「なんだか、寂しいよのなかになったわね。わたしだったら、いーれてって入って行ってしまうのに」
 確かに、そういう姿は容易に想像できます。
「ところで、佐藤先生、今度、マラソンに出るのよ」
 え、知らなかった。
「まったく、いつ休んでいるんでしょうね」
 休みなどないのかもしれない。佐藤さんは、週末には、地方の病院に協力に行き、何もないときは谷戸の会で汗を流している。一日中、在宅している日は、年間に数日しかないだろう。その佐藤さんが、マラソンをして、心臓は悲鳴をあげないのだろうか。
 ちょうど、佐藤さんが仲間から離れてわたしと若女将のところにやってきた。
「おかわりをいただけますか」
 空になった生ビールのコップを差し出す。
「佐藤さん、マラソンに出るんですか」
 わたしの質問に、佐藤さんは苦笑いでイエスと答えた。
「福島でね、来年の2月に」
 まだ3ヶ月ぐらい先の話だが、話し方は余裕だった。もしかしたら、これまでもフルマラソンにはチャレンジしてきたのかもしれない。
 わたしは、ダイエットのために1月からウォーキングを始めていた。8月の人間ドックでは、その成果が少しずつ現れていた。

 ウォーキングをしていると、ジョギングやマラソンをしているひとがとても多いことに気づいた。健康がブームになっているのか、お金をかけないで体力を維持しようとするひとが増えたのか。みんな、道具やウエアにとてもお金をかけているように思う。
 わたしは、普段着で歩く。ショルダーやリュックを持参する。飲み物、タオル、携帯電話、カメラが必需品だ。夏場はかなり歩きながら汗をかいた。汗をかくと、不思議なもので、運動をしている気持ちになってくる。
 ところが秋になり、冬が近づいてきたら、いくら歩いても寒いだけで汗はかかなくなっていた。そうなると、本当にウォーキングが自分のからだのためになっているのか不安になる。
 そんなとき、佐藤さんのマラソン挑戦話を耳にしたのだ。
 これはいっちょ、走ったろかぁ。
 だれかと競争するわけではないので、チンタラとのんびり走ってみることにした。平日は走る時間がないので、土曜や日曜の週末を設定した。佐藤さんが「走るなら、車の少ない早朝がいいですよ」と教えてくれていたので、5時とか6時とかに走り始めるようにした。
 わたしの場合は、チンタラ走っているので、とてもジョギングとかランニングというレベルではない。だから、同じ時間に走っているひとたちにどんどん追い越される。これは、中学校や高校、大学時代に運動をしていた者として、かなりプライドを傷つけられる。だからといって、50歳が近いいま、明らかに鍛えているだろうランナー諸氏に見栄を張っても意味がない。
 いいもん、いいもん。抜かしたいならどんどん抜かせー。やけになりながら、追い抜いたひとたちの背中にこころで投げかけていた。ところが、何週間か続けていると、不思議なもので、チンタラ走っているつもりが、少しずつ同じコースなのにタイムが短縮されてくるのだ。これは励みになる。
 そして、ついに、ひとりの中年男性ランナーを追い越す日が来た。その日も、どんどんランナーに追い越され、挙句の果てに女性ランナーにまで軽快に追い抜かれ、がっくりしていたら、わたしの視界に「このひと、たぶん走っているんだよね」と思うほど、のんびりしているランナーを見つけた。みるみるわたしとの距離が縮まるのだ。上下黒のジャージ。ややサイズが小さい。腕もおなかもパンパンに肉がだぶついている。人知れず、ダイエットのために努力している同志がここにいた。わたしは、無理をしなくても追い抜ける範囲まで近づいた。もしも横に並んだとたん、同志が張り切って火事場のなんとやらを発揮しないように、わたしは「えいっ」と気合を入れて追い抜いた。
 ひとたび追い抜いたら、後ろを振り向いたら失礼だ。どんどん彼との差が広がっていくイメージを大事にして、ややそれまでのスピードよりも速く走った。すると不思議なもので、ペースを上げたのに、呼吸も心臓もそんなに苦しくならないで、一定のペースアップに対応できた。
 この調子なら、わたしもいつか佐藤さんみたいにフルマラソンに挑戦できるかも。
 甘い思いが、こころをよぎったとき、神様は試練を用意していた。

 その日、わたしは、のんびりではあるが、北鎌倉・鶴岡八幡宮・由比ヶ浜・長谷海岸・極楽寺・笛田を走りぬけ、梶原の坂道を登っていた。ランニングするには勾配がきついので、夏を思い出してウォーキング。
 頂上のロータリーに着く。そこから町屋のモノレール駅方面へゆるやかな下り坂。わたしは重力に身を任せながら、ジョギングのペースを上げていた。狭い歩道を走るよりも、車道を思い切り走るほうが気持ちがいい。とても危険なのだが、午前6時ごろの週末の車道はあまり車が通らない。わたしは調子に乗って、直線のゆるい下り坂を走る。
 アスファルトがところどころでひび割れて、でこぼこしていた。
 右足の爪先が、そのどこかに引っかかった。次の瞬間、わたしは前のめりになり両手をついてアスファルトに倒れこんだ。倒れる瞬間に、手のひらを下にしたら、ギターが弾けなくなると気づいて、とっさに手の甲を下にして転んだ。走っている勢いがあったから、倒れながら、わたしは手の甲と左ひざを道路でこすってしまった。
 左手の中指と薬指の外側に激痛が走る。左ひざにはこすれたような痛みが走る。ジャージの膝が破けていなかったので、そちらは帰宅してから処置しようと思った。アスファルトに面していた左手を裏返して、傷痕を見た。中指と薬指の第一関節の肉がえぐられていた。白い肉が見えて、赤い小さな点々から出血が始まる。わたしは二本の指を完全に口の中に入れた。口中に血液の鉄の味が広がる。蛇にかまれたときの要領で、まずは傷口周囲の汚れを吸い取っては、道端にペッペッと吐き出した。唾液の消毒作用を期待する。
 大のおとなが指を二本しゃぶりながら、とぼとぼと家路を急ぐ。早朝から犬の散歩をするひとたちが、わたしの姿を見て怪訝そうな表情をしていた。わたしだって、そんなおとなを見たら「あやしい」と思うだろう。
 しかし、帰宅してシャワーで傷口を洗浄すると、より大きな傷は指よりも左ひざの擦り傷だったことに気づいた。ジャージが破れていなかったので安心していたら、五百円玉ぐらいの擦り傷からジワーッと出血が広がっていた。普通の絆創膏でははみ出してしまう。二枚を並べて応急処置をした。膝の傷は、何度も乾いて治りかけては、膝の曲げ伸ばしによってふたたび破けて出血を繰り返した。だから、歩き方が不自然になった。
 そんな歩き方で関所に寄った。
「その歩き方はどうしたの」
 いつもと変わった様子に気づいた若女将が心配する。わたしは事情を話した。
「自分では足が上がっていると思っても、実際にはそんなに足は上がってないような年齢になったってこと」
 その通りです。
「しょうがないわねー。特別にこれに座りなさい」
 若女将は、レジの奥でいつも大将がくつろぐ椅子を出してくれた。
「あー、助かるー。ありがとうございます」
 わたしは遠慮なく立ち飲みを放棄して、居酒屋状態に移行した。

 11月26日。シンロートの山ちゃんが60歳の誕生日を迎えた。定年だ。
 前々から関所のメンバーには教えてくれていた。その日、関所には、大船のバー「ゼロ」のマスターが早くから飲んでいた。ゼロは山ちゃんが行きつけの店だ。以前にもマスターは開店前に関所に来たことがあるので、わたしは顔を知っていた。しばらくして山ちゃんが登場した。
「あれ」
 山ちゃんはマスターを見て驚いている。待ち合わせをしたのではないらしい。
「きょうは、ほら特別な日だから、ここでお祝いをしようと思ってさ」
 マスターの声は大きい。山ちゃんは、照れている。
「定年、おめでとうございます。きょうまでご苦労様でした」
 わたしは、山ちゃんに頭を下げる。
「よしてよ、そんな、改まってさ。まだ仕事を続けるわけだし」
 再任用になったと聞いていた。それでもまだまだいまの時代、会社勤めで60歳の定年といえば、大きな区切りだ。
「さっきから、マスターがお待ちかねですよ」
 山ちゃんは若女将からコップを受け取ると、醤油コーナーに向かう。
「きょうは、俺からということで」
 マスターが、山ちゃんのコップに自分の焼酎を注ぐ。
「そんなぁ、気を使わなくてもいいのに」
 山ちゃんは、遠慮しながらも、注がれるままにしている。
 わたしは、山ちゃんがうらやましくなった。公務員なので、わたしの場合は3月31日が勤務の最終日だ。会社勤めの山ちゃんは誕生日が最終日なので、わかりやすい。工場がいつも通り稼動しているときに「それじゃ、お疲れ様」と終幕を引く。
 小学校の3月31日は、まず勤務している職員がほとんどいない。学年替わりなので、新年度にならないとそろわない書類や情報が多くて、修了式から31日までの数日間は、探さないと仕事がない状態になる。当然だが、多くの職員はふだん消化しきれない有給休暇をどーんと使ってしまう。定年を迎えた3月31日。わたしは職員室の机を空にして、私物を自宅に送る。出勤簿用の印鑑や紅茶を飲むのに使ったマグカップをリュックに収納する。もはやすることがない。ほとんどひとのいない職員室を見回す。お世話になったひとたちは、とっくの昔に定年を迎えているのだろう。
 そんな日の帰り道。関所に寄ったら、マスターのようなひとが待っていてくれるだろうか。
「裕福なまま死ぬのは不名誉なことだ」
 アメリカの鉄鋼王、カーネギーの言葉だ。彼は莫大な財産のほとんどを地元の教育のために寄付をした。わたしが定年を迎えるとき、富や名誉があるとは思えない。自分の手の中に何があるのだろう。

 12月も中旬になってきた。
 猛暑が信じられないぐらい、寒い日が続く。
「夏が暑いと冬は寒いんだなー」
 日本酒をちびちび飲みながら、赤坂さんが感慨深げにつぶやく。
「みなさーん。ことしの立ち飲みは今週の日曜日までですよー」
 若女将が、関所のメンバーに告知する。こないだまで、もっと早く終了すると言っていたのに、延期されたようだ。
 年末の酒屋は配達やお歳暮の注文などで、ふだんよりも忙しい。そんなとき、いつものように店内でいつまでも立ち飲み客がいるのは迷惑なのだろう。また、常連の多くは近くにある工場で働いている。工場が年末年始は休みになるので、それぞれ自宅のある場所で過ごす。わたしのように、関所から自宅まで近いひとはいないのだ。みなさん、ここから大船に出てさらに電車に乗って帰っていく。そういうひとたちが、年末年始は集まらないので、立ち飲み終了という期限を設けているのかもしれない。
 わたしのように、自宅が関所と近い人間は、休みの昼間にふらっと立ち寄れるところがなくなるのは不便だ。しかし、ひとりだけ抜け駆けをするわけにはいかない。
「あー、ずるーい」
 ばれたら、ずっと言われそうだ。
 あっという間に、立ち飲み終了の日を過ぎて、わたしは、年末の休暇を過ごしていた。同居している父が、朝から庭の手入れをしている。
「こないだ、関所をのぞいたら、だれもいなかったなぁ」
 ちゃんと、みなさん約束を守っているんだな。
「あれか、なんか悪いことでもあったのか」
 ん、どういうこと。
「みんな、インフルエンザになっちゃったとか」
「そんなこと、ないよ。みんなたぶん自宅で飲んでいるんじゃないかな。関所は年末は忙しいから、立ち飲みは禁止になるんだよ」
「へー、そういうルールなんだ」
 まぁ、そんな大げさなものではないかもしれないが。
 父は手を休めて腰をのばした。
「あそこにみんながいないと、なんか心配になっちゃうよ」
 父は、常連客の名前など知らないだろう。それでも、ほとんどのひとたちの顔ぶれは覚えたのかもしれない。だいたい、帰りに自動ドアの向こうで店内を見回して、数秒で通り過ぎるだけだ。そのわずかな時間で、店内を観察していたのか。

 2010年がもうすぐ暮れていく。
 わたしは、関所で買った八海山をぐい飲みに注ぐ。リビングのテーブルからウッドデッキを眺める。肴はキムチだ。
 くっと喉にしみわたる。八海山独特の香り。飲んだ後にもう一度、喉の奥から鼻に抜けていく米と水の味わい。
「こいつは、二度楽しめる酒なんだ」
 正月の酒を選んでいるときに、大将がすすめてくれた。そのときに、二度楽しめるという意味がわからなかったが、こうやって飲んでみると、なるほどと思う。
 ふっと、万葉集ラストの和歌が思い浮かぶ。
 たしか、作者は大伴家持(おおとものやかもち)。

新しき年の始めの初春の 今日降る雪のいや重け吉事
(あたらしき としのはじめの はつはるの きょうふるゆきの いやしけ よごと)

 高校のとき、古文の時間に教わった和歌だ。「新春の今日降り積もる雪のように、良い事も積重なってゆけ」という願いがこめられている。
 当時は、太陰暦(月の暦)を使っていたので、大晦日はいまの1月後半から2月前半にあたる。よく節分と呼ばれる日が、昔の大晦日だったのだ。
 作者の大伴家持は、朝廷に仕える役人だったが、陰謀により因幡の国に左遷される。その因幡の国の元旦の饗宴で詠まれた歌だ。万葉集の編纂に携わったと言われている大伴家持が、42歳のときに詠んだ。その後、大伴家持は和歌を一首も残さないで、26年後に亡くなる。
 積年の恨みを抱えたまま、地方に飛ばされ、ひねくれてもおかしくないのに、災いではなく人々の幸運を願う。もともと歌人としても有名だった大伴家持。たくさんの和歌を残しながら、わずか42歳で歌作りをやめてしまった。謎の多いひとだし、謎を感じる和歌だ。
 関所に集う。そこは多くのひとたちの人生の交差点だ。それぞれ守るべき空間や考えがあるが、長い時間ともに過ごすと、少しずつ互いに自分のことを話し始める。ひとがひとを知るというのは、一足飛びにはできない。だからこそ、その仲間の身に危険や不幸があれば、わがことのようにつらい。反対に、ラッキーな話を聞けば、いっしょに嬉しくなる。
 2010年は、関所の仲間の身にどんなことがあっただろう。
 八海山が、わたしの記憶の扉を開けていく。
 別れ、出会い、重なり……。
 だれか特定のひとへ、何か特別な思いがあるわけではない。それぞれのよさが集まって関所の温もりを作っている。
「いや重け吉事」
 つぶやいていみる。和歌は声に出さないと。今度はもう少しはっきりと詠んでみる。
「いや重け吉事」
 きょうは、大晦日だ。

(13章・完)

Copyright©Y.Sasaki 2000-無断引用はご遠慮ください