go to ...かさなりステーション  坂の下の関所・一章  二章  三章  四章  五章  六章  七章  八章  九章  十章  十一章  十二章  十三章  十四章  十五章  十六章  十八章

坂の下の関所..一章

 日暮れ時のモノレールを降りる。日本で2つしかないという懸垂式のモノレールは、ひどく揺れる。大船から湘南江ノ島をわずか13分で結ぶ湘南モノレールは、2つしかないモノレールのうちの一つだ。懸垂式とは、レールの下に車体がぶら下がって走行する方式だ。開通当初は落下したら怖いと思って乗らなかったが、慣れてみれば、渋滞でちっとも進まないバスでいらいらすることなく、限りなく定時走行してくれるモノレールがありがたくなった。
 わたしは、いつもの揺れにからだをあずけ、倒れないように足を踏ん張りながら読書をする。最近では老眼鏡が手放せない。わずかな時間でも、きのうの続きの読書の時間は、頭とこころに憩いを与えてくれる。
 モノレールを降りてからは、文庫本をかばんにしまい、老眼鏡をケースに入れながら、いつもの道を帰る。
 バス通りに平行する裏道。車は通れないほどの細い道だ。バス通りと違って、街灯が少なく、秋から冬にかけての帰宅時は、足元が見えないほどの暗さに包まれる。
 塩素の臭いが鼻をつく。戦後から続く老舗の銭湯が見えてきた。若旦那がとなりの駐車場との境で、空を見上げる。わたしは、右手を上げて帰宅を宣言する。彼も、呼応して右手を上げる。声は掛け合わない。
 細かった道は、やがて車道に突き当たる。左右を確かめ、横断すると、ふたたび車が通れない路地に入る。緩やかなのぼり勾配が始まる。わたしの住む家は、そこから始まる坂の中腹にあるのだ。
 かつて、小料理屋があった。年に数回、地元の仲間と宴会をした。大家との折り合いが悪かったらしく、数年前に立ち退いた。いまは更地になって、不動産屋の「借地」という看板が小さく立ったままだ。更地には、いくつもの雑草が茂り始めた。
 小料理屋があった場所を通り過ぎると、路地はふたたび車道に突き当たる。わたしは、そこを右折する。小さな交差点がある。
 右手に花屋。左手に酒屋。交差点を隔てて、右手に八百屋。左手に教会。どれも、チェーン店ではない。
 のぼり勾配は、交差点を左折する方向に続いていく。
 つまり、さぁこれから坂が始まるという位置に、いつもの関所が待っているのだ。
 モノレールを降りてからここまで3分ぐらいだろうか。出勤のときは足取りが重く、まだシャッターが閉まっている関所を尻目に、モノレールの駅まで5分ぐらいかけている気がするが、帰りは反対に、1分ぐらいで戻ってしまう気分になる。
 関所には、ひとがいる、酒がある、食べ物がある、笑いや悲しみがあふれている。

 「こんばんは」
 春から夏にかけては、まだ周囲が明るいので、こんにちはと言いながら店に入るが、秋から冬は、周囲が暗いので、「こんばんは」になってしまう。
「はい、お帰りなさい」
関所の番人、酒屋の若女将がいつものレジで迎えてくれる。わたしよりも5歳ぐらい年齢は上だが、肌のつややしゃきしゃきとした喋り方は、とても50歳を越えているとは思えない。瑞々しさを感じる。
「こないだのウニ、ぷりぷりしていておいしかったぁ」
築地に買出しに行ったとき、お土産に海産物をいくつか見繕ってプレゼントした。そのなかに、北海道産の馬糞ウニが含まれていた。
「よかったぁ」
「あれだけで、お酒が進んじゃった。何しろ、お酒だけは売るほどあるからね」
その通り。関所の本業は酒屋なのだから。
 お店に入ってレジの横、わたしの定位置に荷物を降ろす。ここに集まる人たちの暗黙の了解で、お店に入って目立つところに陣取ってはいけないことになっている。一般の買い物に来たひとが、入店していきなりコップ片手の呑兵衛を見たら、印象を悪くするだろうという配慮だ。
「なんだよ、センセー。俺のウニはないのかよ」
 なぜだか、この店の常連から、わたしはセンセーの愛称で通っている。乾きものの棚の陰から、永田さんが口を尖らす。
「あ、こんばんは。いらしたんですか。見えなかったもので」
「悪かったな。俺はどうせ背が小さいんだよ」
「いえ、決してそういうわけじゃなくて」
棚の陰で、静かにちびりちびり酒を飲んでいた永田さんは、話し相手ができて嬉しそうだ。
 わたしは、いつも一升瓶を冷やしているクーラーケースの扉を開ける。一升瓶の口にガラスのコップを裏返して伏せている。そのコップを使って飲む。いままでは、飲むたびに紙コップを借りていた。でも、エコということで、ガラスのコップを買ってきて使いまわすことにした。
「あれ、コップが生まれ変わっているよ」
わたしは、いつものガラスのコップではなく、江戸切子の高価に見えるグラスを見つけた。
「センセー、ごめん。割っちゃってさ。代わりのコップにしておいたの」
 あのコップは200円ぐらいだった。ピンチヒッターのグラスは、どう見てもその10倍以上はしそうな輝きを放つ。

 「こんばんは」
関所の向かいにある部品メーカー「首都リーブス」の社員が入店する。
「あら、いらっしゃい。きょうは早いわね」
若女将は、プラスティック製のコップを取り出し、生ビールを注ぐ。注文を聞かなくても常連の考えていることは分かっている。
「全然、仕事がねぇよ。アメリカのサブなんとかのせいで、もう一ヶ月以上の定時に帰れとの指示だ」
小銭を渡して、風呂上りで上気した社員はうまそうに生ビールを喉に流し込む。
「早く帰れていいじゃないの」
「それがさ、俺たちは日勤制だから、仕事がなければ給料もないわけ。月給制とは違うのよ」
 わたしは、店の隅の方に立ち位置をずらす。こういう話題は、必ず最後は「いいなぁ、公務員は」とうい落ちにたどり着くからだ。景気のいいときは、ボーナスだぁ、残業だぁとわたしよりもずっと羽振りがいいのだが、景気が悪くなったとたんに安定職の公務員をうらやましがる。以前、「だったら、いまからでも公務員試験を受ければいいのに」と言ったら、相手との雰囲気が悪くなった。その記憶があるので、こういう話題には関わらないほうがいいと学習した。
 ぐぐっとビールを飲み干して、社員は颯爽と帰っていく。愚痴の割には、動きがいい。
 壁の時計が5時半を指した。
「はい、どうも」
大柄な相田さんが入店する。モノレールの駅近くにある塗料メーカー「シンロート」に勤務している。蛍光塗料専門の工場だ。日本国内のほとんどのシェアを占めている。
「あれ、センセー早いじゃん」
店の隅から定位置に戻ったわたしを見つける。
「そんなことないよ。いつもこんな時間だって」
「センセーって、いつもそんな恰好で父兄とかに怒られないの」
質問に応じたはずなのに、会話が接線的になる。これは相田さんの特徴だ。相手の言葉に反応せず、自分の考えが優先して言葉になってしまう。いまどき父兄という死語をまだ使っている貴重な30代後半の独身だ。
「いいの。職場に行ったら着替えているから」
相田さんは、わたしの言葉など聞く耳も持たないで、奥の保冷倉庫に直行する。やがて、そこからキープしているウイスキーを持参して氷で割る。あまりにもウイスキーのサイズが大きいから、わたしが一升瓶をキープしているクーラーにさえ入りきらないのだ。

 相田さんは、レジとは反対側のコーナーに陣取る。この後、シンロートの常連が来たとき、いつもそのコーナーはシンロート席になる。
「ママさん、ラジオ、相撲に替えてよ」
さっき、「いつもそんな恰好で」と発言したことは、もう忘却の彼方のようだ。
 はいはいと言いながら、若女将はラジオのチューニングをジャズから大相撲に替える。冬の関所は、一気に土俵音楽に。
 店の奥で、ちびちび独り酒を楽しんでいた永田さんが、にこにこしながらこちらに近づく。
「学校の先生っていうのは、あれか。夏休みとか冬休みとか休みがいっぱいあんのか」
首に巻いたタオルから汗の臭いが漂ってくる。
 永田さんは、長い間、製造の現場で働き、いまは定年を過ぎて、鎌倉の腰越海岸では有名なレストランの清掃を担当している。
「そんなこたぁ、ないよ。こどもは休みでも、俺たちは出勤だよ」
わたしは、江戸切子のガラスコップに、山口県の純米酒「山猿」をなみなみと注ぎながら答える。
「へー、そうなのか。でも、どうせ学校に行ったって、すっこたぁ、ねえんだろ」
 実はそうなんです、とは言えず、何をしているかを思い出す。
「床を掃いて、机や窓を拭きます」
永田さんはにこにこ顔で、口を尖らす。
「そんなこと、一日で終わっちまうじゃねぇか」
 実際には、こどもの学習で使うものを作るという大事な仕事があるのだが、そういう業界的なことを、わたしには関所に持ち込みたくない。
「はい。だから、翌日からは、読書して昼寝してまた読書。夏ならシャワーかな」
すっとぼける。
「いいなぁ。センセーはだから、苦労知らずのお殿様みないな感じなんだな」
店の反対側で、相撲中継を聴いていたはずの相田さんからも援護射撃が飛んでくる。
「お殿様ねぇ」
わたしは、クーラーケースに反射する自分の顔をまじまじと眺める。本当にお殿様だったら、どんなに楽だろうとため息をつきたくなる。
「ふたりとも、あんまりセンセーをいじめないでよ」
若女将がグッドタイミングで、こちらの援護射撃と和解策を提案する。
 山猿をぐっと口に含む。純米酒独特の飲みやすさが口腔内を満たす。続いて舌の味覚野に、米と麹の芳醇さを伝える。山猿は、穀良都(こくりょうみやこ)というまぼろしの酒米を復活させて造られた珍しい酒だ。わたしが知る限り、居酒屋でも酒屋でも、この酒は関所にしか置いていない。日本酒をあまり好まないひとは、味の違いに気づかない。わたしは、通ではないが、この酒は一口飲んだときに、ずっと昔から追い求めていた味に出会ったような衝撃を受けたのだ。

 永田さんと相田さんからの、公務員うらめし攻撃からさりげなく逃げるために、わたしは商品コーナーに向かい、よっちゃんの酢漬けイカを手にする。30円といっしょに若女将に渡す。
「きょうは、当たるかな」
若女将が鋏で開封してくれる。よっちゃんイカにはくじがついている。当たるともう一つおまけにもらうことができる。でも、わたしはこれまで当たったためしがない。
「あー残念。外れ」
いつものことなので、わたしはあまり気にしない。
「これ、本当に当たるの。当たりなんか入ってないんじゃないの」
永田さんには気になるようだ。
「ちゃんと納品のときに、当たりの分だけ多いんだから、当たりはあるのよ」
細かい納品事情を明かしてくれる。なるほど、そうだとしたら、ほぼ毎日買っているのに、ちっとも当たらないというのは、先祖代々のくじ運の悪さの証明かもしれない。でも、きっと年が明ければ、立て続けに当たったりして。
 「こんばんは」
 一般客がレジにタバコを買いに来る。自動販売機が専用のカードを使わないと買えなくなって以来、店内に来てタバコを買うひとが増えたなぁと痛感する。それだけ、対面販売が促進されたことになる。
「えーと、これね」
客が、タバコの銘柄を言わないのに、若女将は買うタバコをすっと差し出すのだ。
 わたしは、この能力を尊敬している。これまでの観察の結果、50人以上の客の好みを若女将は完全に記憶していることが判明した。
 車で乗り付けた客に、店内からタバコを持参して、助手席の窓からタバコを渡していることもある。まさにタバコのドライブするーだ。本家本元のマクドナルドでも、車を乗り入れただけで、注文を先読みするサービスはまだ始めていないだろう。これは、車種とタバコの銘柄をセットにして記憶する特殊能力が使われている。
 すごいとしか言いようがない。
 もちろん、記憶しているのはタバコだけではない。ビールや日本酒、焼酎に到るまで、だいたいの客が目的にしているものを、瞬時に思い出せるのだ。コンビニや安売りのお店には、絶対に真似ができないだろう。
「きょうは佐藤さんは来るのかな」
若女将が、尋ねる。
「どうかな。こないだは何も言ってなかったけど」
佐藤さんは、若女将のお気に入りなのだ。

 相撲中継が終わりラジオから6時のニュースが流れた。
 6時5分。ぴったりに、赤坂さんが登場した。
「よっ」
首都リーブスで働く職人だ。
 会社の正社員ではなく、下請け会社の社員として、工場で働いている。ガスと電気の溶接技術をもつ。いつもは、鋳物のバリ取りを専門にしている。一日に6000個ものバリ取りをしているそうだ。東北地方の出身で、各地の工事現場をまわり、最近10年以上は湘南の地で働き続けている。
 60歳を過ぎても現役で働き続ける顔には、いくつもの皺が刻まれている。皺のなかに時々すり傷を発見する。飲み過ぎて転び、電柱やアスファルトと格闘した証拠だ。
 赤坂さんは、奥の相田さん、正面の永田さん、そしてレジ横のわたしに手刀を切る。挨拶のかわりだ。赤坂さんは関所の番頭を自称するだけあって、わたしの知らない多くのお客さんと顔なじみだ。しかし、彼はほとんどのお客さんの名前を知らない。「そんなこたぁ、どうでもいい」そうだ。名前を知らなくても、既知の友がごとく、親しげに会話をする。人間があったかいのだろう。
 わたしが関所に通うようになった頃、最初に声をかけてくれたのも赤坂さんだった。いつも日本酒を買って帰るだけだったが、ある夏の暑い日にうまそうに生ビールを飲んでいる赤坂さんを見て、
「お店で飲んでもいいんですか」
思わず聞いてしまったのが、デビューだった。
 その後、わたしは飲んでいいのはビールだけだと思っていたので、しばらくはビールを飲んだ。しかし、本当はあまりビールはふだんは飲まない。できれば酒がいいなぁと思っていたら、なんと赤坂さんは紙パックの日本酒をキープして、紙コップに注いでいたのだ。
「あれ、お酒もありですか」
それ以来、わたしは一升瓶で日本酒をキープしている。
「センセーも、すっかりここの常連になっちまったな」
コップに酒を注ぎながら、赤坂さんが言う。
「いやぁ、それほどでも」
わたしは、頭をかく。赤坂さんと出会っていなければ、違った道を歩いていただろう。
「ここに集まるひとは、みんないいひとばっかだから、心配するこたぁねぇ」
別に何も心配はしていないけど、どうか飲み過ぎでからだを悪くしないようにしてほしいと願う。
 わたしは関所に通う以前、近くの居酒屋の常連だった。いまは閉店してしまったので、関所が宿木になっている。その居酒屋にも、同じ常連でいいひとたちが集まっていた。何回か店内にギターを持ち込み、リクエストに応じて伴奏をしたことがある。しかし、そのうちの何人かは、飲み過ぎでからだを壊し、三途の川を渡ってしまった。だから、お酒が好きなひとに会うと、心底から、からだを大事にしてほしいと願ってしまうのだ。

 ほどなくして、赤坂さんと同じ首都リーブスの烏丸さんが来店した。
 烏丸さんは、わたしを見ると口元でにやっと笑う。その笑いが何を意味しているのか、以前もいまもちっともわからない。
 奥のペットボトルや缶ビールが入っている大型のクーラーボックスからお気に入りのウイスキーのウーロン割を引っ張り出す。烏丸さんは、永田さんよりも背が小さい。きっと150センチもないだろう。検査の仕事をしている。
 わたしは、よっちゃんの酢漬けイカを口に運ぶ。烏丸さんはわたしと赤坂さんの間に陣取る。会社で気があわないひとが来ない限り、そこが烏丸さんの定位置だ。店の奥でちびちびやっているときは、だれか気のあわないひとがいることがわかってしまう。
「いやぁ、センセーは難儀だね」
山形県出身の彼は、独特のイントネーションで「難儀」を連発する。
「そんなことはないですよ。みなさんの方がよっぽど大変でしょう」
「あーそれも言えるね。でも難儀だなぁ」
 わたしは、一般的な難儀の意味は理解しているつもりだが、どうも烏丸さんの言う難儀はほかの意味があるらしいと感じるようになっていた。いきなり、難儀という言葉を使われると、主語がわからない。何が難儀なのか。どういう状態が難儀なのか。それを察してくれと言わんばかりに、難儀は連発される。適当に相槌を打つが、それでもよくわからない。
「ま、でもさすけねぇ」
会話の落ちは、だいたいそこにたどり着く。さすけねぇは、さすけないが正しい言い方だろう。さすけは、佐助なのかなんなのかはわからない。
 自分で問題を振って、自分で納得して、ふんふんと頷く烏丸さんの心中やいかに。
「俺がガキの頃は、鳩を飼っていたんだ」
いきなり思い出話に突入するのも、烏丸さんの定番だ。これが始まると長い。鳩の話は以前にも聞いたことがあると思うが、初めて聞いた顔を通す。
「その鳩を食うんですか」
「いや」
口を尖らして、顔の前で手を振る。食うために鳩を飼っていたのではないのだろう。
「じゃぁ、鳩をどうするんですか」
「世話が大変でな。糞の始末や鳩小屋の掃除、餌や水をやらなきゃならねぇ」
質問には答えてくれない。
「そいつを空におっぱなすのよ。しばらくして戻ってくる。そのなかにほかの鳩が混ざっているんだ。それを売る」
「売るってだれに」
烏丸さんは、また口だけにやっと笑い、自分の頬を人差し指で切る真似をする。どうやら裏の世界のひとに売っていたらしい。
「じゃぁ、その買ったひとは鳩をどうするんですか」
「もっと別のひとに高く売るわけだ」
「その別のひとは、その鳩をどうするんですか」
「そんなことたぁ、知らねぇ。難儀だな」
 きっと数日後にこの会話はまた繰り返されるのだろう。

 時計を見る。6時半を過ぎ始めている。そろそろ帰ろうかと思う。
 そのとき、革ジャンで決めた山ちゃんこと山田さんが関所の門をくぐる。
「こんばんは」
 体格のいい山ちゃんは、モノレールの駅に近いシンロートの社員だ。わたしよりも10歳ぐらい年上だと思う。横浜からさらに電車を乗り換えて帰る。いつも動きが颯爽としている。同僚の相田さんの近くにバックを置き、尻のポケットから札入れを出す。千円札を抜いて、魚肉ソーセージを二本つまんでレジに行く。
「生」
よけいなことは言わない。お釣りをもらうとさっさと相田さんのところに行き、乾杯をした。
「山ちゃん、早くレースを当てて、みんなに寿司をおごってよ」
二杯目に入り、ほろ酔い加減の赤坂さんがからみつく。
「そんなに大当たりすることはないの。みんなが簡単に当たったら、中央競馬会はつぶれちゃうでしょ」
 山ちゃんは、平日は給料を稼ぎ、土曜と日曜に競馬でそれを使う。「土日が俺の本当の仕事だ」と豪語する。わたしは、競馬のことは無知だが、何回か会話をするうちに、三連単とかワイドという馬券の買い方を教わるようになった。
「一度、センセーもやってみ」
何度か誘われたが、きっとはまってしまう自分が想像できるので「俺はいい」と断っている。
 山ちゃんの話だと、野毛に場外馬券売り場があって、その近くの飲み屋に行くそうだ。そこでレースの予想をして、馬券を買いに行く。店に戻ってきて、レースを競馬仲間とテレビで観戦する。一回のレースでたくさんは買わない。
「ふつう、飲み屋でも食べ物屋でも、客が金を払わないで店を出たら追っかけてくるんじゃないの。だって、そのまま逃げられたらお店としては困るんじゃないかな」
わたしの質問に、山ちゃんは笑う。
「そんなことを考えるやつは、仲間からはじかれる。でも、ひとりでぶらっと来て馬券を買うやつには、店主はそのつど清算をしているけど」
つまり、かなり信用されているということだ。
 自動ドアが開く。わたしよりも少し年上のうーさんこと内田さんが背の高いからだを前かがみにして関所の面々に顔を合わせる。うーさんも山ちゃんや相田さんと同じシンロートの社員だ。うーさんは、一滴も酒を飲まない。でも、かなりの呑兵衛のふたりにいつも付き合っている。クーラーからカロリーオフのコカコーラを出し、煎餅の袋を持ってレジに向かう。
「お湯を持って来ようか」
若女将が気を利かせる。関所に寄るたびに、ソース焼きそばを食べていた時期があるのだ。でも最近ではあまり買わない。もう一生分のソース焼きそばを食べてしまったのかもしれない。

 「おっ、大将。きょうもお仕事、ご苦労さんです」
赤坂さんが、店の主人である大将が戻ってきたのを見つけて挨拶をする。
「どいつもこいつも、苦労知らずって顔して、よくも酒ばっか、飲んでられんなぁ」
大将は、腰をもみながら自動ドアから入り、レジの奥に移動する。わたしの横を通り過ぎるとき、じろっと睨む。
 レジの奥で、若女将と大将が小さな声でやり取りをする。注文についての打合せなのか、在庫の確認なのかはわからない。
 大将の指は、ビールケースや酒のケースの運びすぎで第二関節から曲がっている。重たい荷物を運ぶ毎日を繰り返しているので、腰痛や肩こりも抱えている。
「また、政治家が馬鹿なことをやっている」
ニュースを耳にして、新聞を広げ、ため息をつく。大将はレジの奥の回転椅子に納まって社会の出来事をチェックする。小説雑誌がいつも傍らにあり、なかなかの文化人だ。もしかしたら、わたしも含めた、立ち飲み客のボケまくりの会話にも、あきれることがあるかもしれない。
「鳥藤さんに、佐藤さんがいたぜ」
わたしと目が合った大将が教えてくれた。
 きっと鳥藤に注文を聞きに行ったときに、カウンターでぼそぼそと喋りながら、ちびちびと酒を飲む佐藤さんを発見したのだろう。
「あら、佐藤さんったら、こっちに寄らずに直接向こうに行ったのね。今度来たら、パンチ」
若女将が拳骨を突き出す。
「俺は行かないよ」
わたしは、上着の前を閉じて、帰り支度を始める。
「簡単なことじゃん。ここを出たら、左に行かないで右に行けばいいだけのこと」
そりゃそうだ。
 鳥藤は、焼き鳥屋だ。関所は火曜日が定休日なので、立ち飲みメンバーは火曜日になると鳥藤に集まる。いつも立っているメンバーが椅子に座っている姿は、なんだか落ち着かない。最近ではコンスタントに常連客がついたようで、火曜日に行くと、空いている席がないこともあるが、かつてはほかの日はかなり空いていたそうだ。だから、火曜日に一気に客が増えて「関所軍団に乗っ取られる」とママが冗談に近い悲鳴をあげていた。
 佐藤さんはもともと鳥藤の常連だった。何回か、わたしもそこで顔を合わせるうちに、逆に関所に寄るようになってくれたのだ。
「この時間から、佐藤さんと飲み始めたら、帰るのが何時になるかわかんないもん」
 そうなのだ。平日から、佐藤さんと意気投合し、遅くまで飲み続け、翌日の勤務がつらかった日が何度あることか。

 わたしは、リュックを背負い、関所のメンバーに手を上げる。
「じゃぁお先に」
「センセー、早いじゃん」
相田さんが、ウイスキーのコップ片手に呼び止める。
「ちっとも早くないよ。また、明日」
 レジの奥から、大将の「お達者で」が聞こえるのを耳にして、関所を出る。
 あたりは、すっかり暗い。
 自宅までの上り坂には、所々しか街灯がついていない。足元を確かめながら、ゆっくり歩く。かつて、この坂道で酔っ払って、道の脇から落ちてしまい、足の甲を傷めたことがある。
 ことしも冬が来る。天気予報では11月まではあたたかい日が続くと言っていた。でも、年末が近づけば、吐く息が白くなるだろう。
 その頃には、いまよりも日本酒がからだの疲れと寒さをやわらげてくれる。もしかしたら、おでんや牛筋煮込みのサービスが、若女将からあるかも。
 そんなささやかなことが嬉しい。こういうささやかな嬉しさを持続したい。大きな変化や、びっくりするほどの感激はいらない。
 だれもが年を取り老いていく。きのうと変わらないきょうなどありえない。少しずつ確実に老いていく自分をいたわりながら、出会うひとたちとの一瞬一瞬を楽しみたい。
 職場を出ての帰り道で、仕事が違うひとたちや地域に生きるひとたちとわずかな時間をともに関所で過ごす。思いがけない出会いがある。教科書には載っていない昔話がある。歯痛や腰痛で苦しむひとがいれば、互いに自然に心配しあう。
 電車で大船まで帰るとき、たびたび人身事故で電車が遅れる。そんなことが多い時代になった。生きていくのがつらいほどの悲しみや苦しみが、どんなものかはわからない。だから、軽々しいことは言えない。でも、悲しみや苦しみが襲ってくるものだとしたら、関所で味わうひとのぬくもりやつながりは、求めなければ得られないものだということははっきりしている。だれかが、ある日、玄関の前にプレゼントしてくれるものではない。
 自分から、関所をくぐり、そこに集うひとたちのなかで、互いの気持ちを量りあい、絶妙の関係を築いていく。かなり気を使うことかもしれないが、ひとがひとのなかで生きていくには、気を使わなくなったらおしまいだ。
 気を使いながらも自分の気持ちを言葉に乗せ、関所の空気に酔い、わずかな時間を楽しむことが、ささくれて荒涼としたいまを、軽やかに乗り切っていく、わたしの自然体の生き方なのだ。
 あなたの街にも、あなたの関所があることを願って。

一章・了

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