go to ...かさなりステーション  坂の下の関所・一章  二章  三章  四章  五章  六章  七章  八章  九章  十章  十一章  十二章  十三章  十四章  十五章  十六章  十八章

坂の下の関所..五章

 わたしは、夏の暑い日に坂の上から歩いていた。
 頭に、1メートルぐらいの発泡スチロールの箱を乗せている。
 インドのガンジス川で水汲みをするひとたちが、頭の上に大きな水甕(かめ)を乗せて、バランスよく歩くように。
 発泡スチロールのなかには、魚貝類が満載だ。あまり弾みをつけて歩くと、発泡スチロールの底に、わたしの頭のかたちの穴が開きそうだった。
 通り過ぎるひとたちは、顔見知りなので「こんにちは」と声をかけてくれるが、一様に怪訝そうな表情をする。わたしは、挨拶をされても、お辞儀をすることができない。
 そんなことをしたら、発泡スチロールの箱のなかみが坂道に投げ出される。タコが転がる。まぐろを猫がねらう。イカをとんびがさらう。
 お辞儀をせずに、口だけで「こんにちは」と返事をするしかない。
 両腕は万歳のかっこうで、箱の左右を支えている。
 心臓から出された血液が、両腕の先端までうまく届かないようだ。指先の感覚がなくなる。脳貧血というのは聞いたことがある。わたしはいま、腕貧血なのか。
 その日は、たしか土曜日だった。
 早朝5時に地元を出発して、東京の築地市場に向かった。
 魚貝類、野菜、漬物、お茶などを買出しに行くためだ。
 わたしは、いまの仕事の将来を悲観している。
 一生涯の仕事と信じて、教職の道に進んだが、年月を経るごとに、学校を取り巻く環境は悪化の一途を突き進む。教職員がこころの病気になり、学校を離れ休職するケースは増加し続けている。
 4年間もかけて単位を取得した教員免許だって、「改革」を掲げる政治家の方針で、10年ごとに更新されることになった。たった10年しか通用しない資格なら、もっと簡単に取得できるようにするべきだ。おまけに10年ごとに大学に通いなおし、更新に必要な単位を2年間にも渡って受講する。その費用は、自腹なのだ。もちろん単位が取得できなかったら、即、無免許状態になり、教員の資格を失う。路頭に迷う。
 かりに新卒で教員になったひとは、60才の退職まで教職を続けるには、無駄としか思えない更新を3回も経験しなければならない。ご愁傷様。
 石の上にも3年という。わたしは、学校という頑固な石の上で仕事を続けて、もうすぐ30年だ。楽しいこと、つらいこと、嬉しいこと、悲しいことをたくさん経験した。しかし、それらはすべて同僚やこどもたち、親たちとの日々の営みのなかでの出来事だった。どんなにつらいことや苦しいことがあっても、それを理由に「辞めたい」と思ったことはない。
 政治が、トップダウンで学校教育に刃を向け出してきた。その勢いが止まりそうもない。かつて、泣く泣く教え子を戦場に送った教師たちのようにはなりたくない。
 だから、教職を去ったときの第二の人生を計画しているのだ。

 大学のときに4年間、山登りをしていた。
 山に入ると、食事は全部自分で作らなければならない。
 そのときから、食事を作ることに、興味をもった。
 なにしろ、昼間は歩き疲れることばかり。山歩きの醍醐味は、うまい食事とおいしい空気。いっときのこころにしみる風景。「もう二度と歩かない」と決心していたのに、踏破するとまた行きたくなるつれないこころ。
 そのなかでも、食事のウエイトはとても高い。
 ガスも水道も電気もない山のなかで、いかにうまい食事を作るのか。先人たちの工夫から学び、わたしなりに改良も試みた。
 就職して、小さなアパートで独り暮らしを始めた。
 そのときに、何よりも役立ったのは、自炊の経験だった。
 小さなアパートは、何もない山中の生活に比べれば天国だ。屋根がある。水道がある。トイレがある。風呂まである。ガスが出る。電気が届く。
 レトルトを使わずに、多くの料理を作った。
 その後も、多くの生活場面で、包丁と鍋を握り、家族の誕生日やクリスマスなどの記念日にはシェフを担当する。そのなかで、とても重要なのが食材選びだと気づいた。
 それまでは、何を作るのかを決めたら、食材は近くのスーパーか、商店街で調達していた。しかし、いいものをより安く、なるべく季節のものをと考えると、わたしの選択肢には、築地しかなかった。
 すぐに築地に向かったわけではない。
 はじめは、三浦半島先端の三崎漁港や逗子の小坪漁港など、近場でトライした。相模湾の魚貝類は新鮮で、どれも胃袋を満足させた。ただし、品揃えという点では、築地のほうが優れていた。全国から集まるので、見たことも聞いたこともない魚介類が多く、それもわたしには新鮮だった。
 はじめは何気ない会話がきっかけだったと思う。
「今度、築地に行くんだ」
「あら、おいしいものを食べるの」
若女将が、目を輝かせる。
「違う、違う。買出しだよ」
わたしは、これまでに築地に行って、行列のできる寿司屋に入ったことがない。新鮮な魚介類を買っているのに、わざわざ高い値段の寿司を食べる必要を感じない。戻ってきて、魚をさばき、寿司飯を炊いて、自分で握ったほうが、はるかにうまい。
「えー、センセー。何でもするのね」
決して、よろず屋ではないが、若女将にとっては、何でもするように見えるのだろう。
「何か、入用なものがあったら、買ってくるよ」
 だから、わたしの頭の上には発泡スチロールが乗っている。

 額を汗がしたたる。
 両腕を頭上に伸ばしているので、その汗をぬぐえない。
 汗は、ざまあみろというように、容赦なく、わたしのまぶたに侵攻する。何とかまつげが食い止めている間に、関所に着かねば。
 目に入った汗がしみて、視界がぼやけ、つまずいて転び、買出し荷物を路上に放出。なんてことはしたくない。
 関所の自動ドアを開ける。ひんやりした冷気が気持ちいい。
「よっこらしょ」
わたしは、頭上から発砲スチロールの箱を静かに床に下ろす。
「あらぁ、大変だったでしょう」
 楽ではない。でも、この大変さが楽しいのだ。
 わたしは、領収書とおつりを若女将に渡す。発砲スチロールのふたを開けて、注文の品物を渡す。
「シロイカは、キロ1700円だった。一杯が300グラムぐらいだから、二キロ分買ってきたよ」
「シロイカって聞いたことがないよね。スーパーで見たけど、なかったわよ。でも暮れに頼んだのがおいしかった」
 前年の暮れに頼まれたときには、もっと値段が安くて、大量に買ってきたのだ。築地のなかの魚屋さんが気前よく買うので喜んでくれたほどだ。
「スルメに比べて内臓は使い道がないけど、肉の旨みは絶品だからね。山口県から北九州沿岸にしかいないイカなんだよ。回遊しないから、こっちの海ではとれない。全部、空輸なんだよ」
 築地でシロイカを買うのは、みんな銀座や赤坂の料亭ばかりだ。イカの握りが一つで500円、お造りが1000円みたいな値段をつけるところだろう。それを直接買い付け、原価で売っている。おいしいものをより安くより早く。
「これ、赤坂さんが来たらプレゼントして」
わたしは小分けしたちりめんをクーラーに入れる。
「赤坂さんからも注文があったの」
「いや、こないだ仙台からの梅干をいただいたので、そのお礼だよ」
赤坂さんの実家は仙台だ。毎年、実家から手作りの梅干を送ってくる。梅干が好物だと言ったら、その場で工場に行き、ジップロックにたっぷりの梅干を持ってきてくれたのだ。わたしは、梅干本来のすっぱいのが好きだ。その梅干はわたしの好みにぴったりだった。じゃこをぱらっとかけて、日本酒の肴にして食べるととてもおいしかった。
「これは、つくごん。食べる分だけを冷蔵庫に入れて、そうではないのは冷凍したほうがいいよ」
「うちは人数が多いから、すぐになくなっちゃうわ」

 発泡スチロールには、鳥藤と佐藤さん、上木田さんの分が残った。
「4時半に鳥藤に行くことになっているから、奥で冷やしておいていいかな」
「どうぞどうぞ」
わたしは、発泡スチロールを持って、奥の大型空冷室に運ぶ。
「じゃぁ、後ほど」
 休みの日は、大船を散策する。4時半までは時間がある。大船のラーメン屋「ことぶき」で腹を満たす。本屋で最新作をチェックする。喫茶店で読書をする。
 3時過ぎに関所に戻る。
「ねぇ、佐藤さんから連絡がないかな」
「俺には連絡はないけど、どうしたの」
「さっき、あと30分で行くからって電話があったのに、ちっとも来ないのよ」
 佐藤さんは、朝から同僚と腰越沖から船に乗りイナダ釣りに出かけていた。釣果が上がれば、持ってくると言っていた。
「きょうは、鎌倉は車が混んでいるから、渋滞にはまっているかもね」
「もう、包丁とまな板を用意して待っているのに」
 わたしは、空冷室から発泡スチロールを取り出す。
「ちょっと早いけど、鳥藤に運んでくるね」
 大将が言う「バス停の前の小さな窓」。焼き鳥屋の鳥藤までは関所から歩いてすぐだ。焼き鳥屋もおいしいが、わたしはここのホルモン焼が好物だ。
 シャッターが閉まっているので、奥に回る。
「買出し荷物を届けに来ました」
網戸ごしに声をかける。奥から返事があった。
「表を開けるから、そっちにまわってください」
シャッターを少しだけ開け、鳥藤のママが店内に入れてくれた。椅子が逆さまになってテーブルの上に並ぶ。照明も音楽もない。開店前の鳥藤は、穴倉のようだ。
「佐藤さんは、いつ来るのかな」
ここでも、佐藤さんを待ちわびるひとがいる。
「さっき、関所でも言われたよ」
「あと30分で行くからって電話があったの。それからもう1時間も経つんだけど」
 佐藤さんは、だいぶ大漁なのかもしれない。
 わたしは、鳥藤からの注文の品物を発泡スチロールから出す。
「グラム500円のお茶ね。500グラムあるよ。おいしかったら、また買ってくるね」
「お茶は大好きだから、いくらあってもかまわない。緑茶でこの値段はなかなかないのよ。助かる」
 息子さんはあまりイカを食べないらしい。前回の買出しでシロイカを買った。刺身にして出したら「これはうまい」と言って全部食べたらしい。
「シロイカもあるよ」
「わぁ、喜ぶわ」

 わたしは、マグロのサクを出す。
「今回で、マグロは終わりかもしれない」
「どうして」
「世界的にマグロの捕獲が難しくなっていて、築地で主流のマグロが入りにくくなるんだって」
 これまで買出しのときに、事前に連絡をしてマグロを用意してもらった魚屋さんは、これを契機に仕事を辞めると言っていた。
 本マグロやクロマグロなど大型のマグロは入ってくるが、からだが大きいので大味になりがちだ。小型のマグロこそ、肉がしまっていておいしい。それに大型のマグロは値段が高いので、買いつけた後でおなかを割ってみたら肉が悪いとき、大きな損失を負う。築地の中卸はほとんどが小さなお店だ。一回の損失で、お店そのものが傾いてしまう。小型のマグロなら、一尾20万円から30万円なので、肉が悪くても、加工次第では元を取り戻すことができる。良質の肉だったときは数倍の値段で売り抜ける。その見極めができる魚屋が、今回の捕獲禁止で仕事を辞めてしまうのだ。
 全国展開のスーパーや料亭は、マグロを見ないで、注文を出す。肉の良し悪しに関係なく、一尾が100万円を超えるマグロが送られる。よく、解体ショーとして使われるマグロだ。ひとは、マグロの巨体に驚き、その場で切り売りされるトロや赤身に新鮮さを感じる。ついつい買ってしまう。
 脂の差し方や、赤みのしまり具合、血あいの広がり方などには興味を示さない。本当は、これらがマグロの味を決めるのに。
 一尾が100万円を超えるマグロをセリでいくつも落とせる中卸は、資本が大きなお店だ。元手がなければ買えない。必然的に、築地から小さな職人気質の中卸が消えていく。
 マグロのあばら骨にスプーンをあてて、間の肉をこそぎ落とす。中落ちと呼ばれる部分だ。脂と血あいのほとんどない、良質の赤身部分だ。
 いままでマグロをお願いしていた魚屋さんは、いつもたくさんの中落ちをサービスとして用意してくれていた。今回も用意してくれていたが、ほかの店では値札をつけて売っていた。
 品薄になる小型マグロの中落ちは、ついに築地の中でも商品的価値がついてきたのだ。
 ママに注文の品物と領収書、おつりを渡す。
「この箱のこっち半分が上木田さん、反対側が佐藤さんなんだ。これを箱ごとあずけていいかな」
「いいけど、これごと保管する冷蔵庫はないよ」
「いや、ふたりともきょうここに来るって言っていたから」
 大船でビルのオーナー業を営む上木田さんは、一万円札を何枚かわたしに渡して、これでお願いしますと頼んだのだ。わたしは、築地で糸目をつけずに買い物をした。ひとのお金とはいえ、気分が良かった。特上の戻りカツオが入っている。

 店の前に車が停まった。
 バタン。トランクが開閉する。
「お待たせしました」
ベストに長靴姿の佐藤さんが大きなクーラーボックスを抱えていた。
「待ちくたびれちゃった」
ママが、佐藤さんを店内に案内する。
「いやー、想像以上に釣れちゃって。家に戻って内臓を出していたら、こんなに時間がかかったんです」
佐藤さんは、わざわざ腸だしをしてくれていたのだ。
「そんなこと、こっちでやるのに」
 わたしは、築地の品物を佐藤さんに渡す。
 クーラーボックスには、つやのいいイナダが10尾ぐらい入っていた。ママが2尾、わたしも2尾いただく。
「そうだ、若女将が首を長くして待っていたよ」
いまかいまかと佐藤さんの到着を待っている若女将の姿が浮かぶ。
「そうですか。じゃ、関所に向かいます」
あまりあわてた素振りを見せないのが、ドクター佐藤のいいところだ。
 わたしは、氷の入ったビニルにイナダを入れて、鳥藤から関所に戻った。
 すでに、関所ではイナダが若女将に渡されていた。車で来ていたので、佐藤さんはそのまま自宅に戻ったという。
 わたしは、坂を上り、自宅に戻る。
 その日の夕飯はイナダの刺身と半身の塩焼きにした。なにしろ、ブリに近いサイズのイナダが2尾も手に入ったのだ。冷蔵庫には入りきらない。小分けして冷凍することもできた。しかし、鮮度と味を考えたら、その日のうちに食べるのが一番おいしい。けさまで、相模湾を泳いでいたイナダなのだ。
 アラで出汁をとり、吸い物にした。
 二枚におろして、骨のない側を刺身にした。骨のついているほうに塩をふって、焼く。飼い猫がしきりと、キッチンのわたしの足元をうろついた。
 ふだん、あまり生魚は食べない娘が、薄い桃色のイナダの肌に見とれた。試しに、一枚食べた。
「うわぁ、メロンの味がする」
 そんなことあるの。
 わたしも試しに食べた。
「本当だ。プリプリしているのに、メロンの味がする」
 鮮度がいのち。魚貝類をおいしく食べる基本です。

 2009年は3月を迎えた。
 連日、4月の陽気だの、5月の陽気だのとぽかぽかの日が続いた。
 卒業式には桜が散ってしまうのではないかと心配した。
 しかし、3月中旬以降から、寒さが戻る。春だと勘違いをして咲いてしまった桜もあったが、つぼみのままの桜はじっと開花のタイミングを遅らせた。
 無事に卒業式を終えた後の週末。リラックスして関所に行った。
「ねぇねぇ、いいもの、見せてあげる」
若女将が嬉しそうだ。
「これ、お父さんにもらっちゃったの」
手には、「卒業祝」ののしがついた饅頭が握られていた。
 父は専門学校で働いている。
 そういえば、こないだ卒業式があったと言っていた。
「卒業式の帰りにね、寄ってくれたの。遅い時間だったんだけど、これがあるからって、くれたんだよ」
どういう風の吹き回しだろう。
「最近は、店の前を通るときに、手まで振ってくれるんだから」
え、そういうタイプではないんだけど。
「自分から手を振るわけ」
「最初は、会釈だけだった。わたしが手を振り続けたら、お父さんも振ってくれるようになったのよ」
 珍しいなぁ。
「お父さんもお店に寄ってくれるといいのにね」
 そりゃやめましょうよ。父はわたしにとって、あくまでも父だし。父にとって、わたしはいまも昔も息子だし。「こいつが小さい頃は」なんて始められたらたまんない。
 しかし、その日は到来した。
 3月後半の関所。週末の休日にくつろいでいた。
 自動ドアが開き、仕事から戻った大将がわたしを見て目を見開いている。
 なに、また俺は悪いことをしたかな。
 トイレはきれいに使っているぞ。
 想像をめぐらせると、大将の口元がわずかに動く。
「ちち、ちち、ちち」
 小さいこどもが小便をしたいとき、ちっちと言う。大将は、おどけて幼児のまねをしているのか。まさか、女性の胸を連呼しているわけではないだろう。
 その数秒後、大将に続いて、わたしの父が顔を出し、関所に入ってきた。

 どういうこと。
「わぁ、お父さん、いらっしゃい」
 どういうこと。
「そこで片づけをしていたら、通りかかって、声をかけただけだよ」
憮然とするわたしに、大将が言い訳をしている。
 若女将は、父の注文などおかまいなしで、生ビールを注ぐ。
「はい、これ、サービス」
 なんで、こんなに待遇がいいんだ。あまりいい思いをさせると、つけあがって、また来てしまうぞ。
「なに、飲んでんだ」
父は、わたしのグラスを覗き込む。
「これ」
山猿の一升瓶を見せる。
「嬉しいなぁ。やっとお父さんが来てくれた。いままでも買い物には来てくれたけど、立ち飲みはきょうが初めて」
若女将は舞い上がっている。立ち飲みは初めてって言うけど、わたしの観察によると、父は注文をしていないぞ。入店していきなり生ビールサービスだったはず。
「どこかのお帰りかしら」
「お風呂屋さんで、汗をちょっとね」
そうだ、父は内風呂があるのに、土曜日になると関所近くの銭湯に行く。これは、母が生きていたときにはなかった習慣だから、わたしと妹は内心では喜んでいた。引きこもると思っていたので、裸を衆人にさらす銭湯デビューなど想像できなかったのだ。
「よく銭湯には行くんですか」
大将の言葉遣いが丁寧だ。20歳近く年上だから仕方ないか。
「手足を伸ばせる風呂が気持ちよくてね」
 大将も若女将もなるほどという顔をする。しかし、それが答えのすべてではないことを、わたしと妹は知っている。
 父は、風呂掃除がきらいなのだ。だから、ふだんはシャワーで済ますことが多い。どうして嫌いか聞いたら、垢や石鹸の痕がカビになると掃除が大変だからだと白状した。だから、銭湯に行くと、大量の石鹸をポンピングしてタオルにつけ、体中を泡だらけにするらしい。あれは快感だとも、白状した。
 夫婦ふたりで暮らしていたときは、そのすべてを母に任せていた。自分ひとりになったら、都合よく生き方を変更した父の柔軟性をほめるべきなのか。あの世から、母にガツンとやってもらうべきなのか。

 父の額に大粒の汗が浮き出た。
 生ビールをうまそうに飲む。
 洗いタオルで額の汗を拭く。小銭入れを出し、わたしに渡す。
「なんか肴はないかな」
これだ。これだ。見渡せばたくさんあるのに、自分で買わない、選ばない。ひとを使えば実現できる。戦前生まれは、これだから困る。
 わたしは105円のサキイカを選んだ。
 ビールはググッと一気に飲むとおいしいのに、ちびちび飲んでいる。これではなかなか帰らない。まさか、おかわりなんて言わないだろうな。
「いまも昔も横浜でお勤めなんですか」
大将の言葉遣いは、あくまでも丁寧だ。
「そうねぇ、30年から40年前ぐらいにいました」
 父は、30歳から40歳ぐらいの頃、桜木町で働いていた。
「駅の近くですか」
「いや、桜木町です」
 サクラギチョウという発音を聞いた大将の瞳は、数倍に輝いた。
「じゃぁ、仕事帰りには野毛に寄ったり」
「野毛は、毎晩だったなぁ」
 なに。あの頃、帰りが遅かったのは仕事ではなく、野毛で飲んでいたからなのか。知らなかったぞ。親子で似たようなもんだ。
「野毛って言ったら、川向こうまで」
大将の顔がほころぶ。比例して、父の顔もほころぶ。なんだ、このふたりのシンクロは。
 川って、何川なの。わたしはふたりの話を聞きながら、山猿を飲む。
 なんだか、ふたりの表情がいやらしい。
 川向こうには、ネオン街が広がっていたのか。
 わたしは計算をする。いまの大将が30年前を過ごしたのは、まだ鎌倉のはずだ。しかし、その後、高校が横浜だったので、父が働いていた面影を残す横浜で青春時代を送ったことになる。ふたりは、5年ぐらいの時間差をおいて、ともに横浜、とりわけ下町の野毛界隈で多くの時間を送ってのだろう。
「川べりのホルモン屋」
「あー、あれ、よく行った」
すでにただの酔っ払いの会話になっている。
「大きな樽のなかにホルモンというより、内臓がたくさんぶっこんであった」
「でも、安かったなぁ」
 きっとふたりにとって、東急東横線が撤退したいまの野毛は、とても寂しい町なのだろう。

 4月に入った。
 仕事帰りに関所に行く。
「なぁんだ、センセー、遅いじゃないか」
奥の通路から、永田さんが顔を出す。
「仕事、仕事」
わたしは、上着を脱いで丸める。
「あれ、佐藤さん、早い」
わたしと同じレジ横のコーナーで、佐藤さんが高清水を飲んでいた。
「きょうは、出先にいて、早く終わったもんで」
佐藤さんは、よっちゃんの酢漬けイカを手にした。
「もう当たらないわよ」
若女将が鋏で開封する。
「ほら、外れ」
「そんなに、外れで喜ばなくてもいいのに」
佐藤さんは、イカを口に運んで高清水のグラスを持つ。
「カンちゃん、遅いなぁ。早く来ないかなぁ」
若女将がドアの外に目を向ける。
「東京じゃ、この時間には無理でしょ」
「みんながそろったほうが楽しいじゃない」
 わたしは、田吾作と書かれた煎餅の袋を手にした。
「やっぱ、こっち」
手にした袋を箱に戻し、ほかの袋を手にした。
 田吾作は、割れた煎餅を集めた商品だ。20欠片(かけら)ぐらい入って250円とお徳だ。割れた煎餅だから、よく透明な袋を観察すると種類の違う煎餅が入っている。醤油煎餅、胡麻煎餅、薄い醤油煎餅の三種類を、わたしは確認している。
 なかには、ちっとも割れていない煎餅が入っているときもある。これは、きっと田吾作のやさしさなのだろうと感謝している。
 わたしは胡麻煎餅が好きだ。だから、商品選びのポイントは、胡麻煎餅が多く、割れていない胡麻煎餅があるかどうかだ。「割れせん」とうたっているので、割れていない煎餅がなくても仕方がない。だから、胡麻煎餅の割合が高いことを優先する。
「この頃、センセー、これはまってるね」
若女将が笑う。
「これなら、量があるから、何日ももつもんね。それにおいしいし」
バリバリ言わせながら、山猿を飲む。

 残業がなくなり「派遣の次は下請けだ」と心配していた赤坂さんが、遅くに登場した。
「あれ、きょうは遅いですね」
「あー、残業が戻ってきたんだ」
景気がよかったときは、残業が続いてからだがきついとこぼしていた。
 いざ、仕事がなくなると、そんな残業がありがたいことに気づくようだ。
 手には、桜の小枝を持っている。
 ソメイヨシノ。淡いピンク色の花びらが、小枝の左右で5つの手を思い切り開いていた。
 2009年の鎌倉は、4月に入ってから桜が開き始めた。とくに4日と5日の土日は気温が上昇し、青空が広がったので、一気に開花が進んだ。
「お前さんとこの桜は桃か」
大将が変な日本語を使う。桃という名の桜はない。
「あれは、桜だよ」
「それにしちゃ、色が濃いなぁ」
「雅(みやび)桜っていう種類なんだ。ふだんなら3月中に咲くんだけど、ことしは遅れて、ソメイヨシノといっしょになったね」
 大将の横で若女将がうきうきしている。
「今度のお休みはね。パパと鎌倉に桜を見に行こうと思ってるんだ」
「いいなぁ。ちょうど見ごろだよ。来週になっちゃうともう葉桜になってるかもしれない」
「八幡様のところから、大きな道があるでしょ」
若宮大路といいます。
「あそこの真ん中に歩道があって」
段葛(だんかずら)といいます。
「桜のトンネルみたいになってるところを歩くの」
 関所の休みは火曜日だ。天気予報では火曜日も好天だと言っていた。
「どっか、食事ができるとこ、ないかしら」
 観光客目当ての飲食店はたくさんある。
 わたしは、若宮大路沿いの知っているお店をいくつか紹介した。このふたりは食事と言っても、ご飯は食べない。酒と肴があれば、窓から桜吹雪を眺めながら、ゆったりとした時間を過ごすことができるだろう。
 少しずつ日々の最高気温が上昇してきた。
 春は出会いと別れの季節。関所のメンバーは、同じ顔ぶれだ。
 みんな顔には出さないけど、昨年までとは違う生活環境を抱えての春の始まりかもしれない。それまでとは違う仕事を任されたひともいるだろう。肩書きが変わったひともいるだろう。不安と緊張と不慣れな状況でのストレスが重なって、憂鬱な昼間を過ごしているひとがいるかもしれない。
 でも、関所に来れば、ホッと一息。自分のなかのゆったりとしたペースを思い出しながら、物思いにふけるのだ。

五章・了

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