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佐伯泰英ページ
佐伯泰英
yasuhide saeki

晩節
金杉惣三郎26
豊後相良藩で神保桂次郎の供養をしていた惣三郎は、昔なじみの留吉に見つかった。お互いに年を取り、人生の後半を追えようとしていた。留吉はだれにも惣三郎のことを告げることなく、定期的に食べものと飲みものを運んでくれた。そんなある日、惣三郎のもとに藩主の斉木の家臣が訪ねてきた。惣三郎は、自らがこれ以上、故郷にいると、多くのひとたちに迷惑がかかると斟酌し、再び放浪の旅に出ようとした。それを藩主の斉木が押しとどめた。かつての主従が再会を果たす。清之助は江戸で大岡に呼ばれ、実の母とその母の出自を問われていた。大岡の問いの意味がわからなくて戸惑う清之助。幕府に、清之助の祖母は隠れきりしたんではないかという疑惑が届けられたという。すでに亡くなっている祖母のことを持ち出されても、何も応じられない清之助は、もしかしたら、剣術大会の前に、父の惣三郎が取った不可解な行動は、この疑惑の目をそらすためだったのではないかと想像する。藩主との再会を果たし、秘かに故郷を出た惣三郎は、金杉一家を離散させようとした尾張名古屋の密偵を束ねる安濃一族が待つ屋敷に単身で乗り込んでいく。自分の刀を清之助の家臣に与え、自らの死をもって、これ以上、清之助に自分と同じ道を歩ませないように大岡に約定の手紙を送っていた。(2013.10.22) 祥伝社文庫 2011年12月 648円

覇者
金杉惣三郎25
剣術大会。将軍吉宗が主催した武芸に秀でた者を発掘する大会が開かれた。ただ一人、吉宗が推挙した清之助は、前日には江戸の町に入っていた。家族や世話になったひとたちの歓待を受けながら、戦いのときを待った。惣三郎は神保桂次郎を連れて、尾張藩からの出場を果たしていた。戦いは始まり、勇者がそれぞれ勝ちを納めていく。神保は決戦を前に首に傷を負いながら、息耐える。惣三郎が清之助を倒すために尾張藩から出場させた神保は、その夢を果たせぬまま帰らぬ人となった。決勝戦は清之助と尾張藩第一の推挙者である柳生だった。ふたりの決勝戦は静かに雪の舞う昌平坂で行われた。互いに上段に構えた真剣を振り下ろし、寸余の差で、清之助の真剣が柳生の額を割った。大会の終幕。ひとびとが帰った深夜の舞台に、審判団と吉宗、名古屋の継友が集まった。そこで最後の決戦である惣三郎と清之助の戦いが行われた。寒月霞切りを使った惣三郎は、清之助の炎返しの前に右肩を峰で打たれて敗れ去る。 (2013.10.20) 祥伝社文庫 2011年6月 648円

切羽
金杉惣三郎24
江戸での吉宗による上覧剣術大会が近づいていた。清之助は鹿島の米津道場で、亡き米津師匠の墓参りをして、回国修行の終了を報告した。その足で江戸に向かったが、すぐには芝七軒町には入らないで王子の菊屋敷でひとり修行に挑んだ。気持ちを平静に保ったまま、大会へ赴こうと考えていたのだ。しかし、薬問屋の集金で王子を訪れていた者が偶然稽古をする清之助を見つけ、江戸に報告した。しのや葉月は清之助の気持ちを尊重して、自分たちから王子村へ行くことは避けていた。め組の昇平だけ、ほかの者たちに内緒で王子村に清之助を確かめに入った。尾張名古屋の徳川家で剣術大会への席を分けてもらおうとした惣三郎と桂次郎は、これまで多くの身内を殺されてきた恨みを一身に受けながらも、藩主の継友から、尾張藩が用意した剣術家を倒せば、それを許すとの言質をえていた。そこで尾張から江戸に向かう途中で、尾張の剣術家を追いかける。(2013.10.20) 祥伝社文庫 2010年12月 648円

仇敵
金杉惣三郎23
享保11年初秋、江戸の金杉家では惣三郎と清之助不在のまま、みわと昇平の祝言の日を迎えていた。清之助は、回国修行の旅を終えて、鹿島の米津道場に滞在していた。大会への参加の前に、前回の大会で別れて以来、墓前にも顔を出すことがなかった師匠の米津寛兵衛の墓を訪ねていた。米津道場で歓待された清之助は、自分が不在している期間に、門弟らの技量が著しく低下していることに気づいた。自分を道場主として迎えてくれたひとたちの気持ちに応じるべく猛稽古を開始した。そのため多くの弟子が道場を去ることになった。最後まで付き従った4人の弟子を筑波山に連れて行き、剣術の基本から手ほどきをした。同じ頃、惣三郎と神保桂次郎は長年の仇敵である終わりの柳生新陰流道場に出現していた。(2013.10.14) 祥伝社文庫 2010年6月 648円

再生
金杉惣三郎22
清之助は仙台で出会った八戸とともに盛岡藩へ向かっていた。分家の八戸が本家へ墓参に行く。それに同行していた。途中、サンボトジという海賊を倒し、八戸入りした清之助は歓待される。そして、闇巫女に誘拐されたこどもらを救済するために恐山へ向かう。惣三郎は清之助を倒す剣士を育てるために出羽の山にこもって神保を鍛えていた。(2013.10.8) 祥伝社文庫 2009年12月 648円

相剋
金杉惣三郎21
尾瀬から北を目指した清之助は、仙台に入ろうとしていた。峠の小屋で女性の悲鳴を聞く。思わず小屋に駆け込み、武家に雇われた剣術家たちと対戦し、襲われていた女性を助ける。しかし、女性たちは、清之助が剣術家と戦っているときにその場から逃げ去っていた。仙台に入った清之助は、鹿六という大商人と出会い、藩道場を紹介してもらう。そこで修行を願い、門弟たちに稽古をつけながら、実践を重ねていた。家族を離れ、神保という若者を清之助の対戦者にすべく修行の旅に出た父の惣三郎たちも、同じように北国へと向かっていた。仙台に入り、小さな道場で神保の腕を試した。神保は惣三郎との修行旅で大きな力が自分についていたことを知る。そして、仙台を離れるという惣三郎から逃げるように、ふたたび仙台藩の道場に現れ、教えを乞うた。しかし、今度は数度の稽古の末に負けてしまう。惣三郎の考えに及ばなかったことを悔やんだ神保は、ひとり修行の旅を続ける。しかし、そのすべてを惣三郎は影から見守っていた。(2013.10.5) 祥伝社文庫 2009年6月 648円

宣告
金杉惣三郎
佐渡から越後に渡った清之助は村上藩から江戸を目指す姉弟を助け、長岡で武者修行を始めていた。江戸では、惣三郎が吉宗主催の大剣術大会へ出場を認める在野の剣士を探していた。 (2013.10.1) 祥伝社文庫 2008年12月 638円

意地
金杉惣三郎19
佐渡に渡った清之助は、冬の佐渡で修行をすることになる。荒れた日本海は春まで船が動けなくなるからだ。そこで、佐渡奉行の頼みを受けて、金山で横領をする至近一派を掃討する。旗本を連れて鹿狩りをした将軍の吉宗は、旗本たちが武具の使い方から馬の乗り方まですっかり忘れていたことに失望する。そこで、老中の水野を呼んで、武芸奨励のための大剣術大会を開催するように命令する。そのときには、先の剣術大会で次席になった清之助を必ず出席させるようにも命じた。水野からその話を聞いた惣三郎は父子そろって、吉宗の命を受ける運命に複雑な気持ちに襲われた。鹿狩りのとき、もっとも収穫が少なかったとして、吉宗の怒りを買い、三河以来の家臣石川家が断絶になった。その元家臣らが、なぜか惣三郎や水野を襲う。大岡の密偵たちとともに真相を追う惣三郎は、城中にあって権勢をふるい始めた御側取次の有馬の存在にたどり着いた。 (2013.9.28) 祥伝社文庫 2008年6月 638円

遺髪
金杉惣三郎18
金沢に入った清之助は、命を狙う武芸者の関と尋常の勝負をすることになった。互いに恨みのない悲しい闘いだ。関は病の妻を残して、生活費を稼ぐために人斬りの仕事を請け負っていた。金沢の前田家では、徳川第一の大名でありながら、藩の財政が逼迫し、当主の引き抜きによって身分の低い大槻が大鉈をふるっていた。しかし、大槻のやり方は力をもって商人から資財を奪い取るものだった。大槻らは清之助の金沢侵入を、将軍吉宗からの密偵と勘違いした。だから、関のように生活のために人斬りを請け負う者に仕事を依頼していた。尋常の勝負で勝った清之助は、生前の関の願いを叶えるべく、遺髪を妻のもとに届け、弔うことにした。病気の妻は関の遺髪を見てさらに体調を崩すが、清之助の人柄に触れ、いずれは自分も関の元に近づく覚悟をした。妻のお玉は生まれ故郷で関と出会い、両親に内緒で故郷を飛び出した過去があった。だから、故郷の墓には戻れない。しかし、関との思い出の地である故郷近くの寺にすでに墓を用意していた。そこまで清之助は、お玉を連れて行く。そんな清之助に、金沢の大槻から追っ手が差し向けられる。(2013.9.23) 祥伝社文庫 2007年12月 638円

初心
金杉惣三郎17
越前に向かった清之助は、武者修行の途中で自分についた血の穢れをぬぐうべく、永平寺の門を叩く。導師は清之助の気持ちをくんで、永平寺での座禅修行を認める。しかし、尾張の追っ手である道傳は、永平寺まで清之助を追ってきた。導師は道傳の目から清之助を隠すべく、三十三日間の闇禅行をすすめた。光のない穴の中で、水だけを喉に通し、清之助は闇禅行を始めた。自分がなぜ剣の道を志すのか、いまこうしてなぜ永平寺の門をくぐったのか、導師はなぜ自分にこの修行をすすめたのか。多くの問いに自分で答えを出していく。そして闇禅行を成就した清之助は、永平寺に道傳の迷惑がかからないように、秘かに金沢の町へ向かう。江戸では、跡部家が金杉惣三郎に過日の礼をしたいと申し出ていた。跡部家の跡継ぎである弦太郎と結衣との仲が近くなっていた。それを遠くから惣三郎が見守り、いずれは二人が夫婦になることを認めていた。佐伯泰英が歴史小説を書き始めて100冊目の刊行になった記念すべき一冊だ。(2013.9.3) 祥伝社文庫 2007年6月 638円

烏鷺
金杉惣三郎16
柳生から江戸に戻った惣三郎は、長い間留守を守ってくれたしのとみわを連れて、王子の飛鳥山で静養することにした。そこはかつてしのが惣三郎と別れ、父と最期のときを過ごした菊屋敷だった。家族4人で暮らす落ち着いた時間が戻ったかにみえた。菊屋敷にとなりに、隠棲した服部老人が暮らすようになっていた。碁の達人の服部は、剣の達人の惣三郎を尊敬していた。そんな飛鳥山界隈でことしになって辻斬りが横行していた。地元の中造親分は、惣三郎の協力を得て下手人探しに乗り出した。柳生の里を離れた清之助は、一路北陸路へと向かっていた。京の町を抜け、日本海側へ向かう峠で、追手の暗殺者である風子との闘いが待っていた。 (2013.8.21) 祥伝社文庫 2007年6月 638円

無刀
金杉惣三郎15
娘の結衣を救った惣三郎は清之助とともき大和柳生の里に逗留していた。天下の剣客を迎えた大和柳生では、近年怠けていた剣術修行を金杉親子の刺激で再開した。そんな折、柳生で近隣の諸藩に声をかけ、剣術大稽古をする計画が立ち上がる。金杉親子はその師範役になった。江戸では、町火消しめ組の昇吉が先輩たちを抜いて纏持ちに昇進しようとしていた。(2013.8.13) 祥伝社文庫 2006年9月 619円

遠謀
金杉惣三郎14
惣三郎の娘である結衣は、こどもから娘へと心身の変化の時期にあった。姉のみわも母のしのも結衣の変化に気づきながら、本人からの相談がないままに、その変化について問いかけることを控えていた。そんなとき、結衣が長屋から消えてしまった。どこに行ったのかまったくわからない惣三郎一家。みわが気づいた。結衣が最初からすべてを覚悟で家を出たことを。その証拠に結衣の服や手荷物が消えていた。惣三郎は花火の親分や桐十郎たちに探索の協力を依頼した。その結果、結衣が芝居役者を志していたことを知る。しかし、江戸では男性のみが舞台に立ち、女性役も女形が努め、女が役者になることは許されなかった。そこに旅回りの一座が訪れた。豪華絢爛な衣装をまとう役者に惚れた結衣は、密かにその一座に頼み込んで芝居役者になる決心をした。しかし、その一座は尾張名古屋の命を受けたものだった。結衣と合流すると品川沖から船に乗って一気に名古屋へ行ってしまった。惣三郎は奈良柳生に逗留している清之助に手紙を出し、ともに名古屋で合流することを計画した。名古屋で2年4ヶ月ぶりに合流した親子はともに結衣の探索に出た。(2013.8.3) 祥伝社文庫 2006年4月 600円

追善
金杉惣三郎13
年末が近づいていた。江戸の町では旗本御家人の屋敷に火がつけられる事件が続発していた。大岡からの密命で惣三郎は、火付けの裏に幕府要人がからんでいることを知る。当主と嫡男を刺殺し、跡継ぎを絶つ。そこに別の旗本から次男や三男を養子として受け入れさせる。何ら血のつながりがない養子が一家を乗っ取っていく。惣三郎は、黒の装束を着た集団が実行部隊と割り出していた。正月が明けると鹿島で尋常の勝負で敗れた米津勘兵衛の一周忌が行われる。惣三郎は石見道場の面々と米津の追善供養のために鹿島を訪問した。同じ頃、清之助は奈良に入り、一人米津の追善を施していた。そんな清之助に尾張から次々と刺客が送り込まれる。清之助は奈良の大和屋吉兵衛に世話になりながら、柳生の郷を訪ねた。そこで大和柳生の当主と知り合う。自分が尾張柳生の刺客に追われていることを打ち明け、同じ柳生同士が争うことを望んでいないと告げた。しかし、大和柳生の当主は、尾張柳生が不正な方法で清之助と惣三郎を襲うなら、自分たちが盾になることを約束した。(2013.7.29) 祥伝社文庫 2005年10月 619円

乱雲
金杉惣三郎12
四国から紀伊半島に入った金杉清之助は、そこで居合いの達人に教えを受けていた。兄弟子の誘いで食事をしたときに、新宮藩の内輪もめに巻き込まれた。しかし紀伊藩の支藩である新宮藩で内輪もめが起こる理由が紀伊藩家中にはわからない。清之助と共に探索をするうちに、背後に将軍吉宗の失脚を狙う尾張藩の陰謀が見えてきた。尾張からの黒ずくめの刺客に、清之助は鉄砲をくらい、傷ついてしまう。それを高野山の寺坊が必死に介護して復活させた。江戸では、新左衛門とおりくとの祝言が近づいていた。そんなとき石見道場に「新左衛門の許嫁」を名乗る女が現れた。房の助親分たちの探索で、それらは新左衛門がかつて武者修行したとき尋常の勝負で敗れた剣士の娘による逆恨みだったことが判明した。(2013.7.21) 祥伝社文庫 2005年4月 590円

残夢
金杉惣三郎11
石見道場の客分の棟方新左衛門が婿入りすることになった。小藩が天下の剣客を迎える。当主は婿入りする久村家に100石の加増を認めた。それが同じ藩の下級武士の反発を受け、逆恨みされてしまう。江戸では火薬を使った火付けが横行していた。惣三郎たちは火付けの手口が統制を保っていることを見抜いた。やがて将軍吉宗の紀伊藩邸が火付けに遭遇した。さらに若い女中ばかり十数人が陵辱の後に斬り殺され、焼かれたことが判明した。惣三郎としのらの家族は、ただ一人生き残った鶴女と寝起きをともにしながら、心の回復を待った。力丸の不思議な力で鶴女は回復して、当日の惨劇を語り始めた。それは江戸を灰燼にして幕府を倒し、権力を自分のものにしようとする尾張藩の兄弟当主たちの陰謀が隠されていた。(2013.7.14) 祥伝社文庫 2004年10月 590円

遺恨
金杉惣三郎10
清之助の大師匠である米津寛兵衛が真剣の勝負で敗れ亡くなった。しかし、その命を奪った剣術家は、密かに尾張の命を受けた者だった。惣三郎は、大師匠の遺恨をはらすべく自らの老いを意識しながら勝負へと突き進む。(2013.6.25) 祥伝社文庫 2004年4月 619円

極意
金杉惣三郎09
金杉惣三郎は、南町奉行の大岡越前と老中の水野に呼ばれ、将軍吉宗からの依頼を伝えられた。御庭番と呼ばれる城中にあって将軍の警護を担当する者が何者かに殺された。しかも殺された場所が中奥だった。限られた者しか出入りできない城中で、将軍に刃向かう勢力からのスパイが忍び込んでいたのだ。惣三郎は吉宗から、暗殺者を洗い出し、密かに処分するように命を受けた。御庭番たちも、自分たちの威信にかけて、仲間の恨みをはらそうとする。最初は自分たちの手で暗殺者を見つけ出そうとしていた御庭番だったが、惣三郎の力量と人柄に触れ、次第に協力的になっていく。息子の清之助は九州から長州へ歩みをすすめていた。その土地土地で町道場に顔を出し、修行を頼んだ。どこの道場でも清之助を歓待した。しかし、尾張藩の意を受けた暗殺者7人衆がどこまでも清之助を追い詰めた。一人ずつ暗殺者と対決し、その度に勝利を収めるが、世話になった道場に迷惑をかけるわけにはいかないと、対決後は速やかに場所を移していた。 (2013.6.11) 祥伝社文庫 2007年10月 657円

悲恋
金杉惣三郎08
惣三郎の娘、みわは河岸へ魚を入手しに行った帰り道、不逞の輩に襲われる。それを若い侍が助けてくれた。みわは、ふたたびその侍に会えることを願っていた。武者修行の旅に出た清之助は、九州の地で宮本武蔵がこもった山で己を磨いていた。吉宗が発した天下一の武芸大会で優勝した尾張柳生では、その夜のうちに優勝者が湯殿で暗殺された。それは、自分こそ天下一の武芸者だと勘違いをしていた小菊堂の仕業だった。しかし、小菊堂はその後で清之助を襲い、落命する。優勝者を暗殺されたことを公にしたくない尾張柳生は、惣三郎親子の差し金によって殺されたという物語を作り、惣三郎の命を一族あげて狙う。いわれのない刺客の到来に戸惑う惣三郎は大岡や老中の水野の助けを得て、誤解を解くことに奔走する。そんなとき、みわが拐かされたという報告が入る。(2013.5.18) 祥伝社文庫 2007年10月 648円

初陣
金杉惣三郎07
鹿島に修行中の清之介が師匠の伴をして江戸に戻った。将軍の吉宗が天下一の武術家を決める大会を老中水野に命じた。家族で鎌倉を旅した惣三郎一家は、高須藩の騒動に巻き込まれた棟方新左衛門を助けた。それが縁になり棟方は江戸に出て、石見道場の客分に迎えられた。惣三郎は大岡の命を受け、武術家大会の運営を補佐することになった。そんな折、高須藩が金で雇った菊小童が惣三郎を襲うが失敗する。菊小童は江戸に戻った清之介も襲うが失敗する。天下一を決める流派別の大会で清之介は鹿島の代表になった。やがて大会が近づくと、大岡は出場を希望する剣術家のなかに尾張徳川家の命を受けた者が含まれていることを憂慮する。この者は、剣術大会に参加すると見せかけて、最終的には吉宗の暗殺を尾張から依頼されたいたのだ。大会当日、裏方に専念する惣三郎は、息子の清之介の安否に気を使いながら、運営に専念する。そして、天下一を決める剣術大会が開催された。(2013.4.30) 祥伝社文庫 2007年10月 695円

兇刃
金杉惣三郎06
惣三郎はしのと2人の娘と長屋でのどかに暮らしていた。長男の清之助は武者修行に出ていた。最新の便りで師匠から免許を取得できるらしいと知らせがあった。母のしのは、清之助がどんどん自分から遠ざかってしまう寂しさを感じていた。城中では、吉宗が紀州から連れてきた家臣を御側御用取次役として重用し、その一人の有馬が権勢を築きつつあった。有馬は、自分の城中での位置を確固たるものにするために、南町奉行の大岡が邪魔だった。大岡の意を受けて、江戸の町で邪悪を排除する惣三郎も邪魔だった。そこで、大目付の弱みにつけこみ、豊後相良藩に平戸出身の娘を側室として送り込んだ。清香は、平戸水城家の娘だったが、一族の衰退で貧しい暮らしを余儀なくされていた。再び水城家を再興し、かつての権勢を取り戻そうとしていた。有馬は清香がキリシタンだということを知りながら、豊後相良藩主の斉木高玖と引き合わせた。若い清香のからだに翻弄された高玖は、参勤にも清香を同道した。惣三郎の周囲で火付けが連続して発生した。また、冠阿弥が造成を依頼した蔵の解体現場で足場が崩れ職人が2人死んだ。それも足場を故意に縄を切った痕があった。何者かが自分を狙っていることを知った惣三郎は、大岡に面会して、事件の概要を探ろうとする。そんな折、密かに分家の斉木五郎丸が藩屋敷に現れ、密かに有馬とつながりをつける。(2013.3.29) 祥伝社文庫 2007年10月 648円

火頭
金杉惣三郎05
大店ばかりを狙った火付け盗賊が江戸の町を横行していた。家人をすべて殺害するという残酷な手口だった。内通者がいなければ、内鍵を開けることができない。南町奉行配下の面々は、探索を続けるが、火付けは繰り返された。惣三郎は、鹿島で修行する清之助に会うために家族で初めての旅に出た。道場で心身ともにたくましくなった清之助と対面した惣三郎は安心し、母のしのは寂しさに包まれる。江戸に戻った惣三郎は、鳶の辰吉親分が火事場で斬りつけられて大怪我をしたことを知る。町火消しの創設に反対する定火消しが浪人を雇い入れ、嫌がらせをしたのだ。火付け盗賊は火頭の歌右衛門の仕業ということがわかるが、正体がなかなか見えてこなかった。惣三郎が鹿島に旅している間に荒神屋の帳場には、新たな雇い人の鶴蔵が働いていた。(2013.3.20) 祥伝社文庫 2007年10月 667円

刺客
金杉惣三郎04
江戸の町でしのと所帯をもち幸せな暮らしを始めた金杉惣三郎。しかしこれまで離れて暮らしていた者どうしが同じ屋根の下での日常を迎え、不協和音が聞こえていた。だれが悪いわけではない。互いに何かを遠慮しながらの生活になった。幼くして母を亡くしたみわは、急にしのを母に迎え、自分の役割がなくなって気持ちが呆けてしまった。清之助も父とのすれ違いで荒れていく。惣三郎は次第に酒に飲まれ、家庭を顧みないようになっていた。お杏が心配して惣三郎を捜したところ、飯屋で人足たちに因縁をつけ足蹴にされている惣三郎を発見した。酔って足腰が定まらない。そのとき暗殺者が現れ、袈裟に斬られた惣三郎は大川に転落して行方不明になってしまう。ややあって京の都に京都所司代の禁裡御普請だった常佐古治衛門が競馬の神事で暗殺された。その後任として江戸から仙石十四郎が着任した。事務方仕事をさぼり、日夜京の町で酒を楽しむ。所司代に叱られ続ける仙石は、金杉惣三郎そのひとだった。大岡からの密命を受けて、密かに京に潜入し、徳川吉宗の暗殺を企てる四辻卿と尾張徳川宗春の謀略を阻止することがねらいだった。(2013.3.2) 祥伝社文庫 2001年1月 590円

残月無想斬り
金杉惣三郎03
長屋暮らしに戻った惣三郎は、みわと清之助の二人のこどもたちと、いつか飛鳥山の寺村重左ヱ門と娘のしの、その娘の結衣とともに暮らす日を夢見ていた。しかし、旧主に対面した日の夜に重左ヱ門は倒れ、帰らぬ人となった。惣三郎は札差の冠阿弥から「近々、吉宗様の新しい政策で、自分たち札差が幕府の管理下に置かれることになる」と告げられる。そして、いくつかの札差から免許を取り上げるらしく、そのなかに冠阿弥が含まれていることを教えられた。江戸で大きな店を構える冠阿弥を潰す吉宗の考えに疑問を抱いた惣三郎は南町奉行の大岡に事の真相を尋ねた。するとそこには吉宗将軍着位への反抗策として、尾張徳川家の陰謀が隠されていることが発覚した。このままでは尾張と江戸の戦が始まるかもしれないと判断した惣三郎は、尾張藩江戸屋敷に乗り込み、佐竹江戸家老との対面を果たす。同じ頃、江戸の町に妖刀村正を使って、辻斬りをする弱150歳を終える石動奇獄が現れた。石動は武田信玄に仕えた忍び集団石動一族の末裔だった。信玄に「家康を討て」と命じられたことを忘れずに山野をめぐり機会を狙っていた。しかし、すでに家康はなく、吉宗の時代になっていることを理解できないほど、精神が混乱していた。(2013.2.2) 祥伝社文庫 2007年6月 667円

弦月32人斬り
金杉惣三郎02
豊後相良藩の江戸留守居役になった金杉惣三郎は、藩主の参勤途中に尾張藩で大久保という老中から正室の麻紀の身を案じるようにと忠告を受けた。その忠告通りに、麻紀は宴の最中に何者かに襲われた。その席で乳母の刀祢が殺された。金杉は襲った者たちが忍びだったことに注目し、襲撃の理由に迫っていく。するとかつて刀祢が紀州で後の将軍となる吉宗の乳母をやっていたことを知った。刀祢は密かに吉宗の出生にかかわる秘密を知っていたのだ。それをだれにも知られないように日記にしたためていた。忍びたちは吉宗の出生にかかわる秘話が公表されれば、将軍宣下が困難になることを知った紀州側の意向を受け暗躍していたのだ。これを知った尾張藩は、吉宗下ろしのため秘話の真相に迫ろうとして、別の忍びを江戸市中で暗躍させた。金杉は御三家がかかわる騒動に豊後相良藩がかかわるとたちまちお取り潰しの奇禍が襲うと判断し、公金横領という嘘の罪名を自らに着せて浪人暮らしへと戻って行った。清一郎とみわを従えて、ふたたび長屋暮らしを始めた。夕顔のしのは在所に引き込み菊の栽培に勤しんでいた。自分の下を離れていったしのの気持ちがつかめなかった惣三郎は清一郎としのが接触していたことを知り、そこに理由があるのではないかと悟った。しのを訪ねた惣三郎の目に、幼子のみわがとまる。みわはまさしく惣三郎のこどもだった。(2013.1.19) 祥伝社文庫 2007年6月 667円

見参!寒月霞斬り
金杉惣三郎01
豊後相良藩の金杉惣三郎は藩主の斉木高玖が幼年のとき、江戸において武芸指南を任されていた。時代は5代将軍綱吉が亡くなった後の元禄期、まだ生類憐みの令が効力のあった時代だ。突然、ふたりを襲った野良犬を幼い高玖は斬り捨ててしまった。このことが公になれば、高玖の切腹と相良藩の取り潰しは逃れられない。惣三郎は、ことごとく野良犬を斬り捨てて、渋谷村の林に埋めた。後に藩主を継いだ高玖は幼いときの惣三郎との秘密の共有を忘れることはなかった。高玖の父の代から集められていた国内外の書籍のなかに禁止されている外国の本があることがわかった。そのことで相良藩と幕府に密告があったのだ。その実態と脅迫をする一味壊滅を密かに頼まれた惣三郎は、わざと藩から逃げたように見せかけて江戸の町に紛れ込む。そこで、火事場の後始末をする職を見つけ、さらに鳶の親方と知り合い、長屋暮らしを始めることになった。 (2013.1.3) 祥伝社文庫 2007年6月 714円

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