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北近江合戦心得・4天王寺忠義
井原忠政
670円小学館文庫2024年8月
天正4年(1567)1月。大石与一郎は家臣の武原弁造と大和田左門とともに北近江小谷城の東尾根へと向かう坂道を上っていた。「殿様は随分と浪費をなさる」。与一郎が喘ぎながらこぼした。四町進んで七十丈も上る坂道だ。若い与一郎にもかなり応えた。殿様、羽柴秀吉はここから南西に二里の琵琶湖に長浜城を築き、拠点とした。この一月、小谷城からの引っ越しに忙しい。小谷城は御殿や武家屋敷が立ち並ぶ清水谷を険しい尾根が馬蹄形に取り囲んだ山城だ。その湾曲した尾根筋にいくつもの曲輪が設えてあり、互いに協力して防御すれば攻め手はとても苦労する。なかなかの堅城だ。「これだけの名城を惜しげもなく廃するとはもったいない」。小谷城は旧主、浅井長政の居城だった。浅井家家臣の嫡男として清水谷で育った与一郎にとって、この尾根筋は遊び場であり、学びの場でもあったのだ。「なんとか小谷城を残せないものか、殿様に進言してみるかな」「小谷城があると城の維持に大層銭が要りますんや、廃城にするのも仕方ないことですわい」。与一郎のすぐ横で弁造が苦しげに答えた(2024.11.23)