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佐伯泰英
yasuhide saeki

神君狩り
夏目影二郎15
ただいま読書中 (2014.11.1) 光文社 2014年10月 640円

狩り読本
夏目影二郎
夏目影二郎が若い頃を過ごした桃井道場時代の物語を含む、当時のひとびとの暮らしを紹介した読本。 (2013.6.15) 光文社 2009年10月 619円

奨金狩り
夏目影二郎14
国定忠治が出羽で八州狩りに殺されて、将軍は日光へ社参に出かけようとしていた。町奉行の鳥居は、忠治は生きているという噂を流し、忠治を捕らえたものには奨金を出すという触れを日光街道沿いに出した。その奨金を目当てに、全国から浪人たちが大勢集まっていた。あわせて、夏目影次郎を捕らえたものにも奨金を出すという触れがまわった。それは、八州廻りの役職を鳥居から任された石動の仕業だった。影次郎は石動が放つ刺客を次々と倒していく。なぜ、忠治が生きているという噂を流すのか、その狙いは何なのかを探りながら、影二郎と喜十郎・おこま、あかと旅が続く。やがて背景には、御三家水戸藩がからんだ壮大な暗殺計画があることが発覚した。 (2013.6.2) 光文社 2009年10月 571円

忠治狩り
夏目影二郎13
将軍の日光社参を国定忠治が襲うという噂を流し、八州廻りや代官まで動員して、忠治一党の討伐が始まった。もともと幕府の愚策が地方を疲弊させ、忠治ら義賊を地方の民衆が支えてきた。忠治らの登場は、弱体化した幕府に原因があると影二郎は考えていた。それなのにいたずらに忠治討伐を鼓舞するのはだれか。言わずと知れた町奉行の鳥居一派だった。影二郎は忠治の家来を名乗る参次という渡世人に誘われて、忠治が待つ奥州へと足を踏み入れた。しかし、参次は忠治に恨みを抱き、忠治の妾のお徳の命を受け、忠治暗殺を企てていた。それに気づきながらも影二郎は、雪の奥州路を北へ北へと進んでいく。途中、忠治の子分である蝮の幸助に出会い、忠治がおれいという女とともに羽州へ子どもづれの逃避行をしていることを知った。忠治が幕府役人の銃弾に撃たれる前に、自らが首を斬りおとす約定をしていた影二郎は、幕府探索方よりも早く忠治を見つけ出す必要があった。しかし、たどり着いた角館の館には、すでに幾重にも捕縛役人が取り囲んでいた。 (2013.5.5) 光文社 2008年7月 571円

鵺女狩り
夏目影二郎12
影二郎の父、常盤秀信が幕府の大目付に就任し、街道奉行を兼務することになった。秀信は執務が忙しくなる前に、影二郎と伊豆への遍路旅を思いつく。公務第一の秀信が江戸を離れるにはそれなりの理由があるだろうと影二郎は推測した。あかと二人の遍路旅を監視する目があった。それがだれの指図によるものかはわからない。旅の途中で会った煙草売りの杢助が天城越えを案内してくれる。杢助の正体を訝りながら、秀信たちは下田を目指す。秀信の足に肉刺ができそま小屋で休んだとき、影二郎は鵺に襲われた。中国大陸ではイギリスがアヘン戦争で清を倒し、香港を割譲していた。次の狙いが日本であることは明白だった。幕府の重役の意見は対立していた。積極的に外国の科学技術を導入して、武力で引けをとらない国力増進に努めるべきだという開国派と、南町奉行の鳥居のようにふたたび鎖国の時代に戻り、洋学をいっさい禁止しようとする鎖国派だった。(2013.4.3) 光文社 2007年10月 571円

秋帆狩り
夏目影二郎11
南町奉行の鳥居は、西洋砲術の達人、高島秋帆をひそかに暗殺しようとしていた。伊豆の江川代官に砲術の実演訓練に行く道中を狙っていた。北町奉行の遠山に秋帆の警護を頼まれた影二郎は、二手に分かれて迫りきた追っ手を討伐した。庶民に質素倹約を強いながら、自分は茶屋通いで贅沢三昧の鳥居を影二郎は許せなくなっていく。長崎に帰った高島秋帆は鳥居と結託した長崎奉行によって、捕縛された。(2013.3.23) 光文社 2006年10月 571円

役者狩り
夏目影二郎10
水野忠邦が進める天保の改革は、江戸に暮らす庶民に贅沢を禁止するものだった。影二郎の実家である料理屋「嵐山」は、瀟洒だということで、南町奉行鳥居に睨まれ閉店させられた。しかし、嵐山の老夫婦と影二郎の妻である若菜の工夫によって、蕎麦もちなどを出す甘味処として復活した。鳥居は、次に歌舞伎の芝居を取り締まり始めた。当世の大人気役者、市川団十郎の命を狙う猿面の暗殺団を作り送り込む。北町奉行の遠山金四郎に懇願されて、影二郎は団十郎の身辺警護に当たっていた。同じ頃、団十郎のライバルの尾上菊五郎が勢力を伸ばす。そのバックに潤沢な資金を抱える唐国屋という謎の商売人が登場した。浅草弾座衛門の協力を得て、唐国屋は、鳥居が密かに連携しているアメリカの手先と判明した。多くの武器弾薬を品川沖に集積し、大きな海城を建設していた。蘭学を排斥しながら、裏ではアメリカと独自に連携する鳥居のやり口に影二郎や弾座衛門たちは怒りをふくらませ、唐国屋粉砕へと動き出す。 (2013.3.2) 光文社 2006年1月 571円

奸臣狩り
夏目影二郎09
水野忠邦の天保の改革により江戸の料亭「嵐山」は閉店を余儀なくされた。影二郎は若菜と老夫婦を従えて、草津へ湯治に出かけた。草津では八州廻りが国定忠治を捕縛すべく関所を臨時に設けて、通行人から駄賃をせびっていた。それを指揮していたのはかつて影二郎が始末した悪徳八州廻りの弟だった。忠治捕縛と影二郎への復讐という二つの目的で、大晦日の草津は大揺れに揺れる。山地で八州廻りと激闘を演じる忠治を追いかけた影二郎は、忠治たちが発射した短筒によって雪崩が起こり、八州廻りたちが雪に埋もれたことを知った。江戸に戻った影二郎は、ひそかに老中首座水野忠邦に呼ばれた。50年にも渡って大御所政治を貫いた家斉の弊害で、幕府財政は危機に瀕していた。倹約令を出す水野の苦悩をやんわりと諭した実父の大目付常盤忠信が罷免され、蟄居していた。強硬手段で倹約令を実行しようとする南町奉行鳥居は、忠信の切腹を画策した。同じ頃、忠邦の政策に反旗を翻そうと、家斉の側近たちが法要にかこつけて結集し謀反を企てようとしていた。そこには時期将軍を家斉が名指しした文書を、側室のお美代の方が隠し持っているという噂があった。忠邦は影二郎に隠し文書を奪い取り、謀反の企てを阻止するように命じられる。ついに忠信切腹の命が下った。鳥居たちの策謀が成功したのだ。残り時間が少ないなか、影二郎は加賀前田藩に単身で乗り込んで藩主と対面し、協力を申し出た。 (2013.2.11) 光文社 2005年5月 571円

鉄砲狩り
夏目影二郎08
幕府の鉄砲訓練が行われた。諸外国の船が日本近海に登場していた。海防を支える武器の調達と開発が急がれていた。訓練の後で、使われた最新式のイギリス製鉄砲と大筒の設計図面が消えていた。保管を担当していた南町奉行配下は「もともとそんなものはなかった」と主張した。しかし鉄砲方は「最初に確かにあって保管方に渡した」と譲らない。南町奉行は鳥居だった。蘭学を嫌い、西洋の武器を排斥しようとする鳥居は、わざと配下の者に命じて訓練の最中に武器を奪い、川越に移していた。萌の遺髪を若菜とともに川越の寺に預けに行った影次郎は、船旅の途中で偶然にもその窃盗集団を目撃していた。父の大目付常磐秀信から私信が届き、新しい命が任じられた。武器の回収である。川越の町に火事の半鐘が鳴るなか、若菜が何者かに誘拐された。父の命と若菜の奪還。異なる二つの使命に板挟みになりながら、小才次と菱沼とおこまとともに両方を追う旅が始まる。 (2013.1.25) 光文社 2004年10月 571円

五家狩り
夏目影二郎07
徳川幕藩体制の基礎を築いた家康は、体制を確固にするために、御三家「尾張」「水戸」「紀伊」のそれぞれ自ら直属の家臣を家付家老として送り込んだ。尾張の成瀬家と竹腰家、紀伊の安藤家と水野家、水戸の中山家を通称五家と呼んだ。五家は、それぞれの御三家の家臣として、徳川宗家を助ける役目があったが、宗家乗っ取りを防ぐ目付け役として五家が機能した。しかし、幕府発足から200年以上が過ぎ、五家のなかからいつまでも御三家の家臣として過ごすのではなく、宗家に復帰し、大名格を願う声が上がるようになった。その声に大金を乗せて、老中首座の水野忠邦のもとに願いが届けられた。水野は大金を懐に入れて、五家の願いを聞き入れる約定をした。その約定書を御三家尾張が盗んだ。宗家に無断で五家の復帰を約定した水野はあわてた。御目付常盤秀信に命じて、約定書の回収と五家つぶしを影二郎に依頼した。もともと父のために働く影二郎には、幕府の狗としての自覚はない。菱沼親子を従えて尾張・犬山への旅が始まった。 (2013.1.9) 光文社 2003年6月 590円

下忍狩り
夏目影二郎06
津軽藩と南部藩は北の守りを幕府から任ぜられ、昔から財政が逼迫していた。それぞれの藩の歴史上、互いに反目することが多く、江戸時代後期に入っても、互いの忍びたちが暗闇で死闘を演じていた。江戸の夜、たまたま忍びの争いに巻き込まれた影二郎は、女イタコの吹雪から異国の金貨を預けられた。その金貨の出所を探ってくるように勘定奉行の父である常盤秀信に命じられた影二郎は、おこまと菱沼喜十郎とともに東北への旅に出た。すると幕府の密偵を恐れる目にさらされ、かつ津軽と南部の争いの渦中に影二郎たちは巻き込まれていく。恐山でのイタコの妖術によって、オロシャ船が難破したときに海中に沈んだ黄金を独り占めしようとした近江屋と国家老一味を、影二郎は捨て身の覚悟で倒しにゆく。 (2012.12.22) 光文社 2002年11月 619円

百鬼狩り
夏目影二郎05
幹次郎とおこま、菱沼喜十郎の3人は唐津にいた。水野忠邦の命を受けて、唐津で若き日の水野の後始末をするためだ。しかし、幹次郎は若き日の水野の行いによって傷ついたお歌のその後の顛末によっては、判断を変えることも思案していた。唐津城下には夜になると百鬼と呼ばれる倭寇の末裔が出没して、強盗を働くという噂があった。そのためひとびとは夜になると町を出歩くことがなかった。試しに夜の城下を散策した幹次郎は、そこで密貿易の現場を目撃した。唐津国家老等々力が、和泉屋という商人と組んで、長崎からの異国の品々を非公式に手元に収めていたのだ。唐津藩を潤す密貿易ではなく、等々力個人の私腹を肥やす密貿易に憤慨した幹次郎は喜十郎たちとともに内偵を進める。すると水野を強請るお歌はいまは唐津を離れて長崎にいることが判明した。北九州の外海を幹次郎とおこまは鯨猟師たちの腕を借りて航海に出た。途中、倭寇の末裔である百鬼に二度も襲われ、船は舵を失う。波間を漂いながら、幹次郎もおこまも生死の境で肌を重ねた。 (2012.12.15) 光文社 2002年5月 629円

妖怪狩り
夏目影二郎04
江戸の町に国定忠治を名乗る強盗団が暗躍した。わざわざ自分たちが国定忠治と名乗って押し入り、家人を惨殺する手口に影次郎は違和感を覚えた。勘定奉行常盤秀信は影次郎の父だった。上州の忠治に会い、実際のところを探索せよと命じられた影次郎はふたたび旅に出る。すると会津の南山御倉入という場所で、土地のひとたちが昔から幕府に隠れて漆を育てていたことを知った。それは米がとれない土地で、苦しい年貢の取立てに地元のひとたちが考え抜いて末に築いた生きる術だった。幕府の御目付である鳥居耀蔵が私財を増やすために隠れ漆からあがる利益を独り占めにしようとしていたことを、影次郎と忠治一党は調べ上げた。 (2012.12.9) 光文社 2001年11月 629円

破牢狩り
夏目影二郎03
江戸の極悪人たちを収容する牢獄。勘定所の伊丹主馬が横領の嫌疑で収監されていた。そのとき江戸の町に火事が起こる。幸いに被害は最小限度に食い止められた。しかし、牢屋の中に火を招いた罪人たちがいた。「赤猫さま」と叫びながら火を牢屋の中に入れ、罪人たちを外に出した。牢獄が火事で焼けたときにのみ許される三日間の切抜が認められた。罪人たちは江戸の町に出て飲み食い博打のやりたい放題を満喫する。それが許されるほど、幕府の権威は地に墜ちていた。約束の三日後にほとんどの罪人たちは仮牢屋に戻ってきたが、切抜破りをした者が6人いた。しかし、数日後そのほとんどが惨殺したいとなって発見される。そのなかに伊丹主馬の姿はなかった。勘定奉行常磐秀信は伊丹主馬らが街道で押収された禁制品を横領し、密かに換金し蓄財していたと推測した。息子の夏目影次郎に伊丹らを探索し、横領の証拠と横領した莫大な物品あるいは換金した小判の差し押さえを命じた。勘定奉行同心の菱沼喜十郎とおこまの親子と影次郎の街道探索の旅が始まる。(2012.12.4) 光文社 2001年5月 629円

代官狩り
夏目影二郎02
夏目影二郎は、勘定奉行である父の常盤秀信の密名を受けて、信州路を加賀の参勤行列に紛れていた。途中、3人の悪徳代官を狩っていく。どれも、土地で年貢を取り立て私腹を肥やし、江戸へ莫大な利益を提供していた。黒幕が幕府に潜んでいることを突き止めた影二郎は、同じ境遇で惨殺されていった正義感の強い御家人と新しい八州の仇を討つ。旅の途中から秀信が影二郎に「おこま」を送り、蜜命実行の手助けをするように仕向けた。(2012.11.27) 光文社 2004年4月 629円

八州狩り
夏目影二郎01
夏目影二郎は江戸を離れて、上州をさまよっていた。父に命じられた上州役人の八州たちを探索するためだった。もともと関八州の悪人や渡世人と取り締まる役目の八州たちは、強大な権限を悪用して、上州で悪事の果てを尽くしていた。そのため、八州たちの上司にあたる勘定奉行は、八州たちの悪事によって自らの責任が問われることを恐れた。ときの勘定奉行は、影二郎の父だった。影二郎は、父の妾のこどもとして育った。こどもの頃から武芸に優れたが、やがて無頼の道にはまっていく。ついに惚れた吉原の女郎が惨殺された恨みを晴らすために、十手持ちを殺した。遠島流しが決まっていた影二郎を父の常盤秀信が救う。いのちを救う代わりに、上州の悪八州たちを密かに探索し、悪を暴く密命を負う。国定忠治、藤田東湖、二宮尊徳など、同時代を生きた歴史上の人物がふんだんに登場する。天保の大飢饉が日本国中を席巻し、江戸時代徳川幕藩体制崩壊の直前の頃が時代背景に横たわっている。 (2012.11.20) 光文社 2009年10月 629円