アクセスカウンター

 

関連するリンクページ

書籍紹介トップページ
サイトのトップページ

ほぼ毎日更新の雑感「ウエイ」
佐伯泰英ページ

 

佐伯泰英
yasuhide saeki

空也十番勝負青春篇
10
奔れ、空也

京都から最後の修行地、姥捨の郷に向かっていた空也は途中の茶店で京都の老舗袋物問屋かつらぎの隠居、又兵衛と姪のひさ子に出会った。これから大和の室生寺へ本殿改修のための寄進五百両を届けに行くという。道中で大金を狙う山賊に出会った時の用心棒として空也に室生寺までの同道を願った。姥捨の郷に行く道中に室生寺があるので空也は喜んで申し出を受けた。空也の武者修行の話を聞いた又兵衛は剣術好きの興味が湧き、空也を伴って柳生の郷に案内した。空也はそこで柳生新陰流の奥深さを学んだ。さらに室生寺へ同道した空也は高野山の神聖な雰囲気に魅了された。ここを最後の修行の地にしようと決めた。大台ヶ原と呼ばれる地元の衆も立ち入らない険しく山深い場所で最後の修行が始まった。そこには広島浅野家の重臣の倅で各地の道場破りをしながら十両を稼ぎ、贅沢な武者修行を続けていた佐伯彦次郎が待ち構えていた(十番勝負最終巻)

(2023.7.4)文春文庫77020235

空也十番勝負青春篇
9
荒ぶるや

京都四条大橋から歩き振り返った空也は八坂神社の西ノ御門前で茫然自失していた。八坂神社は当時、祇園感神院と呼んだ。人の賑わいが多く、江戸と違って町人の町独特の華やかで雅な雰囲気が漂っていたからだ。生死の境を武者修行で何度も潜り抜けてきた空也にとって初めての気が休まる風景だった。法被を着た老人が空也に声をかけてきた。古老は空也を見て門前で三日間興行する牛若丸と弁慶の芝居に出てほしいと願った。姥捨の里に先着した霧子、夫の重富利次郎、長男の力之助、渋谷眉月らは空也を待ちながら一月が過ぎようとしていた。霧子は空也を待つ暮らしが長くなることを感じていた。利次郎も眉月も自分たちがここで手助けできることをしたいと申し出た。力之助はいち早く里の暮らしに慣れていた

(2023.6.5)文春文庫77020231

空也十番勝負青春篇
8
名乗らじ

安芸広島藩に入った坂崎空也は間宮流道場の世話になった。次の道場主が決まっていた佐伯一哉と親しくなり、薩摩剣法の伝授をしながら修行の日々を送る。一哉の従兄弟の彦次郎は城下一の剣術家と言われながら道場を飛び出して武者修行の旅に出た。絹織物の服を身につけ、愛鷹と従者とともに九州の道場を荒らして賞金を稼ぎ食べるにも寝るにも困らない武者修行をした。その噂が城下に伝わり間宮道場では彦次郎を破門にするべきだという意見が大半を占めていた。ある日、城下に戻った彦次郎は道場に顔を出すわけにいかず、厳島神社で間宮流の奥義を披露して金を得た。それを伝えきいた道場では破門を決定し佐伯家では勘当を藩に申し出た。空也は広島から姫路に出て京都の空也滝で最後の修行を行った。いよいよ最後の目的地、紀伊の国の姥捨の郷を目指すことになった。江戸からは重富夫婦と子どもの力太郎、渋谷眉月の3人が空也を迎えるために姥捨の郷に入った。

(2022.11.16)文春文庫74020229

空也十番勝負青春篇
7
風に訊け

長崎を離れた空也は船によって長州萩藩に入った。町場の道場で剣術稽古を認められた空也は、萩藩がかつてない内紛で揺れていることを知った。長崎で外国船を襲って財宝を奪っていた萩藩。その企てに終止符を打ったのが空也だった。会所は萩藩に多額の賠償金を求めていた。空也は内紛の黒幕、分家家老が独断で大商人と組み、長崎で外国船を襲う企てを実行していたことを知る。若い藩主に窮状を伝え、内紛の幕を引く手助けを申し出た。若い藩主は藩士総登城を命じて、悪の根絶へ向けて動き出した

(2022.6.28)文春文庫74020225

空也十番勝負青春篇
6
異変ありや

長崎で薩摩示現流の酒匂一派との死闘に勝った坂口空也。その時の傷が元で二ヶ月も意識が戻らず眠り続けた。長崎会所の密偵、高木麻衣の献身な看病により出島で手術を受けることができた。上海から外国人医師を呼び寄せることができたからだ。無事に意識を取り戻した空夜は自分を助けてくれた者たちへの恩返しの仕事を引き受けた。それは長崎会所の船に乗って上海で人助けをすることだった

(2022.3.20)文春文庫74020221

新居眠り磐音
1
おこん春暦

深川の長屋で差配をする父の金兵衛。一年前にコロリで妻のおのぶが突然亡くなった。娘のおこんは14歳。母の代わりに金兵衛の身の回りの世話を全部引き受けた。長屋の空き部屋に下野の国から山守をしていたとう曽我が妻と子どもの小春と訪ねてきた。空室の利用を申し出た。訳がありそうな気配だった。金兵衛は曽我から事情を聞き、居住を認めた。曽我は山守をしながら、家老一族が藩の御用材木を私的に江戸で売り捌き、私服を肥やしていたことを暴こうとしていたのだ。そのほか、両替商の今津屋へおこんが奉公に上がる顛末を描いた「跡継ぎ」を収録。

 (2020.9.19) 双葉文庫 20204 803


空也十番勝負青春篇
5
未だ行ならず・下

長崎で武者修行を続けていた空也は、薩摩の東郷示現流酒匂一派の追撃を迎え撃つ覚悟を決めた。作者の都合により青春篇は5番勝負で完結。 (2020.2.13) 双葉文庫 201812 648


空也十番勝負青春篇
5
未だ行ならず・上

長崎に着いた空也はかつて面倒をみた長崎会所の女密偵麻衣のもとを訪ねた。自分を負う薩摩の屋敷がある長崎で実名のまま滞在するのは危険と判断され、長崎奉行所の家来という名目にして改名した。 (2020.2.2) 双葉文庫 201812 648

空也十番勝負青春篇
4
異教のぞみし

対馬へ渡った空也は眉月の血が流れる高麗の血をはるかに認めた。しかし対馬へも薩摩の追手は迫る。そこで壱岐へ渡った空也は高麗剣法を伝授される。 (2020.1.22) 双葉文庫 20186 648


空也十番勝負青春篇
3
剣と十字架

人吉藩を追われた空也は五島列島にたどり着いた。そこで隠れキリシタンを取り締まる長崎会所のしまと出会う。しまは武者修行の空也に不信感を抱くが、空也の修行を観察するうちに自分の計画への協力を申し出た。それは長崎出島で多発した辻斬りの犯人が五島列島に隠れ住んでいるとの情報を得て、これを始末することへの協力を申し込まれた。悩んだ空也は、非情な犯人への憎悪をふくらませながら、計画への協力を約束した。 (2018.3.31) 双葉文庫 20181 648


空也十番勝負青春篇
2
恨み残さじ

薩摩藩を出て隣りの人吉藩に入った空也は無言の行を終え、会話ができるようになっていた。タイ舎流の丸目道場で修行の日々を積みながら、近隣の村を訪ねていた。薩摩に入る前に荷物を預けた庄屋を訪ねもした。また山への修行で五箇荘村に入り、山の木を販売して得た金を奪いに来る山賊退治に協力もした。薩摩藩からは、示現流を虚仮にされたと考えた酒匂一派が刺客を放っていた。眉姫は空也の身が心配で祖父の手紙を運ぶ役として人吉に入り、念願の再会を果たすことができた。 (2018.3.18) 双葉文庫 20179 648


空也十番勝負青春篇
1
声なき蝉・下

当代の薩摩藩主と前代の薩摩藩主との間にある確執が、藩内の空気を弛緩させていた。時に国境付近を守る外城衆徒らは、琉球との抜け荷で大きな利益を得た商人らと組んで、藩の中心から手の届かない独自の支配体制を確立させようとしていた。そんな時に磐音の親書を運んでいた飛脚から藩主あての手紙を入手し、山中で空也を襲い、自分たちの力を鼓舞しようと試みた。しかし、空也の前に多くの外城衆徒が犠牲になって、彼らの目的は空也のせん滅へと変わっていった。山中での最後の戦いで滝に落ちた空也は川内川を流れて外城城主の渋谷に拾われた。孫の眉姫の介護のもと、空也は口がきけず名無しの若者として2年近くを渋谷とともに薩摩藩内で過ごすことになった。東郷示現流を学ぶことはかなわなかったが、示現流のもとになった野太刀流を体得し、空也は渋谷の命を受けて、外城衆徒らとの戦いに加わった。そして、刃は眉姫に向けられた。 (2018.2.25) 双葉文庫 20171 648


空也十番勝負青春篇
1
声なき蝉・上

坂崎空也は、父母に願い武者修行に出た。目指すは薩摩藩の東郷示現流。地元の誰もが外部の者を寄せつけない薩摩への入国を諦めるように薦めた。国境では薩摩では最下位の士分である外城衆徒という集団が、入国者を監視して殺害していた。これは幕府隠密と一向宗の侵入を防ぐ目的だったが、昨今では他国領まで外城衆徒が入り込み悪事を繰り返し、周辺の者たちの不評を買っていた。国境近くの山で一夜の宿を旅の家族と過ごした空也は、翌日に旅の家族が外城衆徒に惨殺された現場に遭遇した。遺品を集め、彼らの住む村へそれらを運び事情を説明した。必ず仇を討つと約定して3ヶ月の山暮らしを始めた。豊後関前藩で空也の薩摩入りを心配していた重富霧子は、密かに空也の辿った道の探索を始めた。そして、冬の山中で外城衆徒との戦いで滝壺に落ちた空也の最期に遭遇した。 (2018.2.23) 双葉文庫 20171 648


旅立ノ朝
居眠り磐音51

神保小路の尚武道場が再建されて、磐音たちは多くの門弟を抱えることになった。そんなとき国元の豊後関前から父親の国家老正睦の体調が悪いという情報が入った。磐音は家族とともに急ぎ関前行きの豊後丸に乗船し、帰郷した。関前では伝説の武士として語られてきた磐音の帰郷とあって、多くの領民や家臣が丁重に迎えた。しかし、中老は慇懃な挨拶のむこうに、磐音の帰郷を訝っていた。やがて自分が国家老の後任になろうと企んでいたので、磐音が後を継ぐのではないかと心配したのだ。これまで藩の物産所を通じて二重帳簿を作り、差額を懐にして私腹を肥やしてきたので、それが露呈することを恐れていた。そのために中老は江戸に勤める甥を通じて6人の刺客を密かに関前に呼び寄せていた。しかし、これらの刺客はことごとく磐音らに倒されてしまう。何年も前から中老の庇護の元、磐音を討つことのみで修行をしてきた最後のひとりが、息子の空也が見ている前で倒された。空也は剣術家として父親の後継になることを将軍に約束していた。そのためには自分の未熟さが痛いほど分かってもいた。父親の戦いを間近にして、修行へと旅立つことを決意する。磐音らが関前のすべての悪を払拭した報告を耳にして、父親は永久の眠りについていく。居眠り磐音シリーズ最終刊。 (2016.1.13) 双葉文庫 20161 648


竹屋ノ渡
居眠り磐音50

老中の松平から再三にわたる将軍の剣術指南依頼を断り続けてきた磐音は、御側取次役の速水左近から息子の空也とともにお城に上がることを命じられた。それは将軍家斉の意思だという。空也とともに江戸城で家斉と面会した磐音は、尚武館道場の再興を告げられた。すべての建設は普請奉行のもとで行われるという。幕府が道場を造り、その道場主となるように磐音に命じたのだ。義父母の佐々木玲圓夫妻が自刃してから、尚武館が取り壊され、長い旅路に出た。江戸に戻っても川向こうの小梅村で細々と尚武館を続けてきた。そのすべてを家斉は認め、道場の再興を願ったのだ。磐音に断る理由はなかった。道場再開の日、上座には家斉が訪れ、磐音と空也による直心影流の奥義を披露した。かつて老中田沼の手先として磐音の命を狙った剣術家、土子から戦いの文書が届いた。磐音は道場再開の翌朝、竹屋ノ渡で最期の戦いに向かった。おこんの父、金兵衛は再興した道場へ移らず、小梅村でのんびり過ごすことを選び、ある穏やかな日、縁側で笑顔のまま逝去した。 (2016.1.11) 双葉文庫 20161 648


意次ノ妄
居眠り磐音49

田沼意次が死んだ。その知らせを受けた磐音は、すぐに弥助を探索に出した。失意のままで意次が死ぬとは思えなかったからだ。意次の後に老中として幕府を主導したのは松平定信だった。磐音の門弟でもある定信は、何度も城中で将軍の剣術指南役を務めるようにすすめたが、磐音は固辞した。また尚武館道場を再建する許しも得たが、まだ小梅村から移転することも考えなかった。それは定信の改革が厳しすぎて庶民のこころから離れていることを心配してのことだった。政にかかわってしまうことを避ける意味もあった。弥助の探索によって、意次は生前に、自分の周囲に裏のお庭番を7人置いて、影の仕事を任せていたことがわかった。この7人が意次の命を受けて、寸又峡で剣術修行に出た。意次が死んだ後に、定信を暗殺せよとの命を待ちながらの剣術修行だった。無理はあるとはいえ、改革が始まったばかりの定信を失うことを危惧した磐音は、門弟たちと策を練って、これら7人が定信へ向かう前に小梅村を襲うように導いていく。 (2015.8.8) 双葉文庫 20157 648


白鶴ノ紅
居眠り磐音48

奈緒が江戸に戻ってきた。こどもたちといっしょに山形藩の参勤交代の行列にまぎれて江戸に戻ってきた。今津屋の仲立ちにより、山形藩との協力がなった。小梅村に入った奈緒は、多くのひとたちが自分とこどもたちを江戸に迎えることにかかわったかを知る。山形時代に覚えた紅作りの技を生かして、吉原近くに紅専門の店を開店した。そこは吉原の花魁たちが歩いて立ち寄ることができる場所だった。自分が吉原にいたことを隠すことなく、それも自分の人生の大事な一部と認めていた奈緒だった。磐音は、豊後関前藩の藩主の意向をくんで、鎌倉に旅をする。北鎌倉の東慶寺には、藩主の妻であるお代の方が出家していた。奈緒が作った紅は、独特の色艶を出すので、吉原では有名になっていた。奈緒の源氏名である白鶴の名を使って、それは白鶴ノ紅と呼ばれていた。城中では、将軍が亡くなり、松平定信や一ツ橋家によって、田沼意次の粛清が始まろうとしていた。 (2015.1.13) 双葉文庫 20151 648


失意ノ方
居眠り磐音47

老中田沼意次の息子が城中で佐野に襲われて落命した。いずれ自分が田沼と対決するときが来るだろうと覚悟をしていた磐音は、佐野の暴挙が自分とその周辺にもたらした衝撃を憂慮していた。城中で佐野が使った刃は松平家の家宝だった。それを密かに交換した弥助は、影の者として息子同然に育てた伊賀衆の男を自らの手で殺めた。その供養をするために事件の後、小梅村から姿を消した。小田平助は、かつてお城の近くにあった佐々木玲圓の道場跡を訪ねた。いずれ小梅村の磐音がここに戻ってくる日が、田沼意次との争いを終えるときだろうと考えた。霧子は自分に一言もなく姿を消した師匠の弥助のことが心配になって仕方がない。ある日、弥助から山形へ向かうという手紙が磐音に届く。それを聞いた霧子は自分も山形へ行き、弥助を助けるという。そこには紅花家に嫁いだかつての磐音の許婚、奈緒とそのこどもたちが借金取りに負われる暮らしがあった。 (2014.12.20) 双葉文庫 201412 648


弓張ノ月
居眠り磐音46

小梅村の尚武館道場。坂崎磐音がおこんとともに修行の日々を送っていた。そんなとき行方がわからなかった佐野善左衛門が突然に屋敷に戻ったという連絡が霧子と弥助からもたらされた。手には新刀を持っていた。翌日、佐野は城に上がる。上司に断りなく行方をくらましていたことで叱責を受けるが、佐野はそのことをあまり気にした様子はなかった。やがて八つどき、城下がりの時間になった。老中田沼意次の息子の意知は、異例の出世で若年寄になっていた。老中と若年寄の城下がりを待っていた佐野は、これまでの憎しみと恨みをはらすために、意知に襲いかかり、手傷を負わせる。その数日後に、意知は亡くなった。城中での刃傷により、佐野は切腹。尚武館の坂崎磐音は、だれが佐野に暗殺をそそのかしたのかを想像し、愕然とする。それは田沼によって白川藩主に遠ざけられていた松平定信だったからだ。道場の門弟である定信を急遽呼び出した磐音は、密かに弥助が城中から持ち帰った佐野の刀を定信に返し、無為の策に徹するように頼む。 (2014.8.2) 双葉文庫 20147 648


空蝉ノ念
居眠り磐音45

博多から箱崎屋一行がついに江戸に到着した。箱崎屋は西国の商人を束ねる財力をもつ大商人だった。小梅村の門弟である松平辰平は、一行のなかにお杏の姿を探した。ふたりは辰平が4年前に武者修行に出ていたとき博多で出会っていた。その後、互いの気持ちは文を通じてつながりあい、ついに今回の再会で永久の誓いへと発展する予定だった。小梅村では、箱崎屋の到着を祝い、親しい者たちで宴席を開いた。江戸の豪商、今津屋、辰平の両親などが招かれた。そのなかに、箱崎屋の願いで参加した者がいた。福岡藩の江戸家老である黒田と国元の中老である吉田の嫡男のふたりだった。ふたりが小梅村を訪ねた真意は、辰平の仕官話だった。旗本御家人の次男である辰平は、自分の生き方を自分で切り開いていく必要があった。幕府への仕官は嫡男限りなので、武士としての成功は望めない。その辰平を、福岡藩黒田家が召し抱えるという。すべては箱崎屋次郎兵衛の考えたことだった。そうすれば、娘のお杏は地の利がある博多で生活することができる。これ以上のめでたい話はないはずなのに、当人の辰平は即答を避けた。師匠である磐音の大願成就を補佐する役目が終わっていない。ときの老中田沼親子との戦いに勝利することを優先していたのだ。そんなとき尚武館道場を年配の老武者が訪ね、磐音との真剣勝負を望んだ。労咳を患った河村だった。河村は磐音と同じ直新影流の遣い手だった。長年の武者修行の果てに死に場所を求めていると察した磐音は、御典医の桂川に頼んで薬を処方してもらう。そして、恩師である佐々木礼圓・おえいの月命日にふたりは対決をする。 (2014.1.19) 双葉文庫 20141 648


湯島ノ罠
居眠り磐音44

尚武館坂崎道場では、手狭になった道場の増築工事が行われていた。田沼一派の毒矢によって生死の境をさまよった霧子が目をさまし、いよいよ御用を務められるまでに回復していた。そんな折、田沼一族に自らの系譜を盗まれたと癇癪を起こしていた佐野善左衛門を、田沼の命を受けた読売屋が抹殺しようと動いていた。回復した霧子は、最初の仕事として師匠の弥助とともに、その陰謀を鎮圧した。追い詰められた田沼らは、ついに北町奉行所の同心を手なずけて、辰平を誘拐し、小伝間町の牢獄に幽閉した。その情報を南町奉行所の与力である笹塚孫一より得た磐音らは、ひそかに忍び込んで、辰平を救出し、ふたたび陰謀を鎮圧した。 (2013.12.28) 双葉文庫 201312 648


徒然ノ冬
居眠り磐音43

1783年、天明3年。暮れ。老中の田沼が放った刺客の矢を受けて、霧子は意識不明になっていた。小梅村の尚武館で、多くの仲間に回復を願われていた。磐音は、稽古前に直心影流の奥義を21日間奉納した。その願いがかない21日目の稽古納めの日に霧子の意識が戻った。重富利次郎の懸命の介護で霧子はみるみる回復していった。鵜飼百助に研ぎを依頼していた家康から佐々木家が拝領した短刀が研ぎあがった。佐々木家の当主である磐音が家康以来の徳川直臣であることが証明された。新しい年に磐音は幕府を思いのままにする田沼父子に対決の予感を秘めた。 (2013.7.14) 双葉文庫 20136 648


橋の上
居眠り磐音

歌川広重「名所江戸百景」で振り返る『居眠り磐音 江戸双紙』
青春編「橋の上」(書き下ろし作品)
磐音が歩いた江戸案内
著者インタビュー「10年の歩み」
24
巻から37巻までの年表
(2013.2.16)
双葉文庫 201111 648


木槿ノ賦
居眠り磐音42

豊後関前から藩主の福坂実高が江戸入りをした。養子として迎えた俊次を伴っての参勤だった。俊次は関前では伝説となっている磐音への弟子入りを志願する。田沼一派と日々戦いを強いられていた磐音は、関前藩を巻き込みたくないと願っていた。しかし、紀州剣術指南を受けて、関前藩は断るのかと実高に迫られ、弟子入りを許可した。長らく江戸にあって家老職を兼任していた坂崎正睦は、藩主の参勤と交代して、妻の照埜とともに関前に帰ることになった。年齢を考えると二度とふたたび江戸には戻ってこないことを覚悟しての、小梅村との別離だった。帰路、磐音の発案で夫婦は鎌倉の東慶寺に立ち寄る。正室のお代の方が出家修行に励む。顔合わせをして、気持ちの波を抑えようと試みた。お代の方は憑きものが取れた表情で3人と会う。いつの日かふたたび実高とこころを通じ合わせる日の到来を願う。小梅村に通う俊次を起倒流の鈴木清兵衛門下の剣術家が襲う。戦いのなか、霧子が的の毒塗りの矢でけがを負う。いのちを落とさずに済むが、意識は戻らないまま安静の日々が続く。磐音は弥助とともに2人で鈴木道場に乗り込み、尋常の勝負で清兵衛門の喉を木刀で突き、霧子の無念をはらす。 (2013.1.22) 双葉文庫 20131 648


散華ノ刻
居眠り磐音41

豊後関前藩の国家老である坂崎正睦と妻の照埜が藩の船で密かに江戸に出てきていた。照埜は小梅村の尚武館道場で孫らとのどかな暮らしを楽しんだ。正睦は何者かに誘拐されて、安否が心配された。磐音らはかつての尚武館道場に正睦が拉致監禁されていることを知り、そこから正睦を救出した。いよいよ藩主である福坂実高の名代としての正睦の反撃が始まる。江戸家老の鑓兼参右衛門は、田沼意次がひそかに豊後関前藩に送り込んでいた密偵だった。鑓兼は、実高の正室であるお代の方に近づき、その寵愛を独り占めする。正室の権限を使って、江戸藩邸内で絶大な権限を握り、長崎を通じて外国の阿片を江戸で売りさばく算段をしていた。それが明るみに出れば、豊後関前藩はお取り潰しになることが明白だった。田沼は、坂崎磐音親子を倒すために、豊後関前藩ごと葬ろうとしていた。南町奉行、速水左近、尚武館道場の面々らの協力により、鑓兼らの謀反計画が白日にさらされ、すべてだまされていたことをお代の方は知った。自害を覚悟したお代の方を正睦が諭し、鎌倉尼寺の東慶寺へ出家させる道を開いた。 (2013.1.11) 双葉文庫 201212 648


春霞ノ乱
居眠り磐音40

1783(天明3)年春、小梅村の坂崎家でおこんが二人目のこどもを産んだ。空也に続くこどもは女の子で睦月と命名された。磐音は中居半蔵に呼び出され、豊後関前藩の物産事業にからむ不正を相談された。しかしすげに藩を抜けた磐音はどこまで相談に乗っていいかを悩む。それを察した中居は「この考えは福坂実高さまのお考え」と主命であることを明かす。新造船の明和三丸の到着。そこに磐音の父母である坂崎正睦・照埜が乗船していた。照埜はおこんが待つ小梅村で孫の空也と睦月と対面する。正睦は御用で密かに関前藩上屋敷に潜入するが、小火騒ぎの渦中に何者かによって攫われた。磐音を中心とした尚武館の探索隊が組織され、弥助や霧子の情報をもとに旧尚武館跡地に正睦が幽閉されていることをつかんだ。正睦は関前藩上屋敷で江戸家老に眠り薬を飲まされ、攫われたのだ。江戸家老はもとをただせば紀伊藩の出身で、田沼につながる人脈だったことが判明した。関前藩の物産事業を借りて長崎からの物品を江戸で商う商売を考えていた。扱う商品はご禁制の阿片だった。その証拠をつかむため、磐音らは密かに明和三丸に忍び込む。 (2012.11.6) 双葉文庫 201210 648


秋思ノ人
居眠り磐音39

将軍御側取次ぎだった速水左近は田沼の画策で甲府勤番を申し付けられていた。それは「山流し」と呼ばれる左遷人事だった。磐音らの作戦により、速水は江戸に戻る命を将軍より受けた。そこには徳川御三家を味方につけた磐音の作戦が生きていた。田沼らは速水が江戸に戻る途中で暗殺されるように刺客と次々と送り込む。これを磐音、速水のこどもたち、弥助、霧子の活躍で阻み続け、無事に江戸に連れ戻す。家基暗殺、玲圓・おえんの自害以降、ばらばらになっていた磐音を慕うひとびとが3年以上の歳月を経て、ふたたび江戸に集結した。 (2012.11.6) 双葉文庫 20126 648


東雲ノ空
居眠り磐音38

磐音がおこんとともに江戸に戻った。道中、磐音らの暗殺を計画した田沼一派の裏をかき、磐音はおこんとともに小梅村の今津屋御寮屋敷に戻った。母屋の近くに離れの農家があった。留守の間、屋敷を守った季助と平助に聞くと今津屋の主、吉右衛門のはからいで農家を買い取り、手入れをしたという。磐音は何も知らずに平助に誘われるままに玄関をくぐる。するとそこには小さいながらも坂崎磐音尚武館道場が造営されていた。磐音はそこでかつての門弟らとともにふたたび剣の修行を始めた。長屋の金兵衛におこんとともに空也を見せに行く。孫との対面を果たした金兵衛は感動のあまり長屋の住人を集めて宴を開く。姥捨からの帰途に画策した通り、御三家徳川城主が江戸で田沼をつかまえて甲府勤番を命じられた速水左近の江戸復命を確約させた。 (2012.11.6) 双葉文庫 20121 648


一矢ノ秋
居眠り磐音37

老中の田沼意次の妾のおすなは、老中の代理として高野山に詣でる計画を立てた。計画も目的は参拝を装って、姥捨の郷に隠れる磐音一味の壊滅だった。雑賀衆と奥の院は協力して田沼と雹一味との決戦を決意した。まずおすなを女人禁制の高野山におびき寄せ、人質にした。おすなの人質を姥捨の郷に連行し、雹一派を一気に誘い込んだ。雑賀衆は、姥捨への連絡口を知るはずのない雹たちがなぜ連絡口を知ったのかが不思議だったが、過去に雑賀衆を抜けた者の手引きと判明する。姥捨の郷でおこんに刃を向けた雹。おすなとの交換を条件に磐音に取り引きを挑む。また江戸では尚武館の建物が田沼一派によってついに取り壊されていた。 (2012.11.6) 双葉文庫 20117 648


紀伊ノ変
居眠り磐音36

10代将軍家治の老中として幕府内で絶大な権力を握る紀州出身の田沼意次と妾のおすな。暗殺した西の丸家基を擁立せんとした勢力を次々と放逐した。とくに佐々木道場に連なる磐音は惨殺することを命令していた。それを追う雹一派は京都で磐音たちの到着を待ち続けていた。田沼は紀州に対して藩内の水銀(丹)を幕府直轄の事業として取り上げる計画を推進しようとした。丹は紀州でも高野山と雑賀衆のみが産出の秘密を知る産業だった。しかし、高野山奥の院の光然はほかの忍び集団や和歌山藩にこれまで隠してきた丹生産を告白し、藩をあげて幕府に対抗するように願い出た。会議は紛糾し、高野山と雑賀衆は丹の独占を分配するように強制されていく。その過程で、時期藩主として誉れの高い岩千代を江戸に養子として差し出すか否かも検討された。紀州の将軍独占と、田沼の追放を狙っていた和歌山藩門閥派は、岩千代養子論で固まっていたが、磐音の指南で主張を一変させる。これにより、田沼にすり寄ろうとする江戸派は丹生産の和歌山藩預かりを受け入れ、幕府の独占を拒むことに賛成した。雹から和歌山に磐音の影が見えると告げられたおつねは和歌山藩内に密航し、光然と磐音を暗殺しようとした。磐音を影から見守る弥助と霧子の助けを得て、おつねは反対に絶命した。(2012.10.30) 双葉文庫 20114 648


姥捨ノ郷
居眠り磐音35

幼かった霧子が産まれ、過ごした雑賀衆の里、姥捨。霧子はそこでおこんがこどもを産み、しばらくの期間を磐音ともども過ごし、追っ手から逃亡する生活を休止することを願った。磐音は身重のおこんを背負い、和歌山高野山の峰峰を駆け抜ける。臨月のおこんはほとんど正気を失ったまま霧子の故郷である雑賀衆姥捨の郷にたどり着く。かつて荒くれの雑賀衆に一族を殺されていた姥捨の衆は磐音たちがその荒れくれたちを日光社参のときに退治したことを聞き、恨みを果たした英雄として歓待する。おこんは雑賀の女衆たちによって体調を回復させ、やがて年が改まった元日に男児を産んだ。磐音は男児に高野山でいまも生き続けるという空海にちなみ空也と名付けた。 (2012.10.30) 双葉文庫 20111 648


尾張ノ夏
居眠り磐音34

尚武館を田沼の追っ手が襲う。その結果、おこんやおなかのこどもが危険にさらされることを恐れた磐音は江戸を脱出する。行き着く先は、佐々木家菩提寺のある刈谷だった。そこで和尚に佐々木の姓にこだわらず再起を待つことを諭された。ふたたび坂崎磐音に戻った。名古屋に立ち寄ったとき、たまたま尾州茶屋中島で強請りをする悪党をこらしめたことで、番頭から信任を得た。その結果、尾張藩藩道場への稽古を許された。偽名を使って名古屋にとどまっていた磐音。追っ手の雹が家老にあてて磐音を匿うと尾張藩によくないことが起こると脅しをかけた。代々の将軍を紀州から出され、面目を保ちたい尾張徳川家は紀州出身の田沼に好き勝手をさせるわけにはいかなかった。しかし、磐音は世話になった茶屋中島屋や尾張藩に迷惑がかかりことを恐れ、密かに脱出計画を遂行した。それは茶屋家の千石船に乗って芸州広島へ逃げるというものだった。そして、実際は密かに船を抜けて、京都の茶屋本家に世話になる段取りだった。計画は実行された。途中まで京都を目指していて磐音は陰のように従う弥助と霧子に相談して、密かに行く先を変更した。(2012.10.30) 双葉文庫 20109 648


孤愁ノ春
居眠り磐音33

田沼一派の謀略によって次期将軍候補の家基が殺された。家基の次期将軍着任を願い、田沼一派からの攻撃の盾になっていた尚武館は閉門が命令された。その夜、佐々木礼圓とおえいは自害した。亡骸を磐音はひとりで田沼一派からの墓荒らしを恐れ、密かに礼圓存命のときに教えられた墓所に埋葬した。ふたりの遺髪を胸にして、磐音はおこんとふたりで今津屋別邸の小梅村御領から旅に出る。いずれ田沼一派の刺客によって自分たちが狙われることを察知していたのだ。船を使って小田原まで逃げ、箱根山中を歩き通し、磐音は徳川家発祥の地を目指す。そこには佐々木家本家の菩提寺があった。そのことを知った田沼の側室であるおすなは、磐音を生かしておく限り、田沼に平穏は訪れぬと、将軍警護の花畑番を使って暗殺集団を追っ手に送り出す。弥助と霧子の奮闘で、磐音とおこんは暗殺集団を分散させ、頭の陣内と雹とのみ対決する。磐音の剣で、陣内は散ったが、雹は姿を消し、戦いがこれからも続くことを示唆した。佐々木家菩提寺の住職の言葉により、磐音は佐々木姓を捨て、坂崎姓に戻ることを決意した。 (2012.10.27) 双葉文庫 20105 648


更衣ノ鷹(下)
居眠り磐音32

次期将軍西の丸家基。若くして頭脳明晰な彼を老中の田沼意次は恐れていた。家基が将軍になったら、賄賂で成り立っていた田沼政治が終焉することが目に見えていたからだ。多くの刺客を放って、家基暗殺を繰り返す。しかし、その計画を尚武館道場の佐々木玲圓・磐音父子がことごとく阻んだ。短期間に3度目の鷹狩をした家基。3度目の鷹狩の帰路、田沼が送り込んだ医師によって毒殺されてしまう。これにより田沼政治は幕府でだれも制止する者がいなくなっていく。やがて、尚武館に閉鎖の命令が下る。多くの門弟を手放し、玲圓・磐音父子は今津屋庇護の小梅村へと転居することになった。 (2012.10.16) 双葉文庫 20101 648


更衣ノ鷹(上)
居眠り磐音31

安永81779)年が年を明けた。磐音は次期将軍候補の徳川家基を剣術指南という立場で警護していた。現在の将軍である家治は、老中の田沼意次を厚遇し、政治には関心を示さなかった。そのため幕府を牛耳る田沼親子は賄賂をもとにした蓄財を堂々と行っていた。次期将軍候補の家基は聡明な若者だったので、もしも家基が将軍になったら、田沼らは放逐されることを覚悟していた。そのため、家基を警護するひとびとを田沼周辺の家臣が、ことごとく排除しようとしていた。磐音の尚武館にも、ついに田沼の刺客が攻撃に訪れた。桂川は家基の医師としての登城を禁止された。剣術指南の磐音も禁止された。家基周囲から次々と警護の者たちが消えていった。そんななか田沼の妾、女狐のお部屋様が丸女の妖術を使っておこんをかどわかした。決死の捜索の結果、磐音はおこんを救い出す。(2012.10.14) 双葉文庫 20101 648


侘助ノ白
居眠り磐音30

重富利次郎が父の百太郎と高知入りをした。そこで百太郎は今回の帰郷が、殿様の命を受けたものだったことを明かす。土佐藩は苦しい財政改革を継続していたが、それに反対する一部商人と藩の重役が改革派を倒そうとしていた。利次郎は父を守りながら、初めて真剣での斬り合いを経験した。磐音の教えを日々の稽古で実践していた利次郎は斬り合いに際しても、全体が見えて落ち着いていた。利次郎の着衣には霧子が託した御守りが縫い込まれていた。年の瀬を迎えた尚武館。年末恒例の餅つきに槍折れの達人の小田が紛れ込んだ。小田は諸国を回りながら剣の修行をしていた。小田と対峙した磐音は剣を交えて小田の人徳に触れ、門番として尚武館に雇い入れた。おこんの父の金兵衛が風邪で寝込んだ。おこん、おえい、霧子、早苗が交代で看病にあたり、金兵衛は回復した。おこんと見舞った磐音は長家に曰くありげな浪人夫婦が住み始めたことを知る。(2012.10.6) 双葉文庫 20097 648


冬桜ノ雀
居眠り磐音29

磐音はおこんらと千鳥ヶ淵一番町に冬桜を見物に行った。その冬桜は高家瀬良播磨守定満の屋敷の桜だった。見物をしているとお城下がりの駕籠が門前に戻った。そこに御家人神沼平四郎の家臣古賀継之助と二田満安が躍り出て、乗り物の前に土下座をした。主が定満に貸した千利休ゆかりの鼠志野の茶碗霞紅葉を返却してほしいとの嘆願だった。しかし、駕籠の主はとっくに返却したので、いまさら返すものはないという答え。明らかに定満が神沼家を騙して奪った茶碗と感じた磐音は、仲裁に入る。堪忍袋の緒が切れた古賀は駕籠に向って切りつけようとした。それを必死で制止した磐音は、茶碗騒動にかかわっていく。将軍御側御取次の速水右近に相談し、問題の背景が見えてきた。同じころ、尚武館道場に日向の生まれ、タイ捨流丸目喜左衛門高継と孫娘の歌女が訪れ、玲圓との真剣勝負を望んでいた。実年齢ではとっくに100歳を超えているであろう高継が江戸に登場した。磐音は次期将軍候補の西の丸家基と追い落とすために老中の田沼一派が送りこんだ刺客と読んだ。その後、高継と孫娘は妖術を使って家基を苦しめる。(2012.9.29) 双葉文庫 20094 648


照葉ノ露
居眠り磐音28

直参旗本設楽小太郎の助太刀として磐音は江戸湾口に同行していた。非番月の木下一郎太とともに、主殺しの仇討ちを目指す小太郎を支えていた。設楽家の主である設楽貞兼は、酒乱だった。酒を飲むと暴れる。酒を飲まないとからだが震える。あるとき妻のお彩に酔いながら殴る蹴るの暴行を加えていた。それを止めに入ったのが、奉公人であり小太郎の剣術指南の佐江傳三郎だった。佐江は勢い余って主の貞兼の命を奪ってしまう。そのときお彩が佐江の手を取って二人で設楽家から逐電した。どんな理由があるにせよ、主殺しは死罪が武家の慣わし。小太郎は父に代わって、佐江を追い詰め仇討ちをしなければ、設楽家の廃絶しか道が残されていなかった。佐江にも母のお彩にも恨みのない仇討ち。小太郎は、二人の逃亡を助け、設楽家の廃絶を覚悟する。別れの湊で、小太郎は母がひそかに小田原に向けて出向する船に乗り込んだことを知っていた。知っていて、それを磐音らに黙っていた。佐江と母の行く末を優先し、設楽家の廃絶を覚悟した。しかし、湊に立った小太郎に船のなかからお彩が名乗りを上げて下船した。佐江も下船した。もはや仇討ちは回避できない。磐音は小太郎に助勢するが。尚武館道場では、重富利次郎が父と故郷の土佐へ帰ることになった。嫡男ではない利次郎は家督を継げない。そこで父が国許で婿入りを世話するつもりでの土佐行きだった。しかし本人は江戸で剣術家として生きていくつもりだったので、土佐行きに気持ちが乗らない。霧子がそんな利次郎を影から見守っていた。(2012.9.23) 双葉文庫 20091 648


石榴ノ蠅
居眠り磐音27

山形からの帰り道、千住で雨をよけていた磐音一行。他藩のお家騒動に巻き込まれ、若い侍のいのちを救う。それが原因で、浪々の剣術家に恨みを抱かれた。次期将軍の期待が膨らむ西の丸家基が、医師の桂川を通じて密かに江戸市中見物を具申した。磐音は、速水や玲圓、桂川と綿密に打ち合わせをして見物の計画を立てた。しかし、桂川家に見習いとして住み込んでいた若い医師が田沼派の女忍びに籠絡され、情報が筒抜けになっていた。それを知った磐音は、逆に偽情報を流して、家基の江戸見物を成功させた。おもに屋根船を使い、船中での身の回りの世話はおこんが担当した。家基は宮戸川と訪ね、鰻のかば焼きを食べることができた。尚武館道場では毎月の若手剣術家による勝ち抜き戦で重富利次郎が磐音に打ちのめされた。勝つことのみを追い求める利次郎の剣を磐音が砕いた。それ以降、利次郎の苦難が続く。力量が下の者にも負けてしまう。それを見守る霧子がひそかに利次郎に稽古をつける。(2012.9.18) 双葉文庫 20089 648


紅花ノ邨
居眠り磐音26

吉原会所に山形藩の紅花問屋前田屋から緊急の連絡が届いた。山形藩では特産物の紅花を藩が専売制にしようと画策し、紅花問屋から営業権を奪い取ろうとしているというものだった。これによって問屋の座主であった前田屋内蔵助は家老の舘野にとらわれ、妻の奈緒の安否が気遣われた。磐音は四郎兵衛会所の園八と千次とともに、羽州街道への旅に出る。かつて、豊後関前藩で藩の財政を立て直すために物産の買い取り制を行った経験のある磐音は、ふたたび山形藩があのときの藩を二分するような争いになるのではと危惧した。そしてその不幸な出来事にふたたび奈緒が巻き込まれないように、前田屋の再興と奈緒の安全を守るために山形入りをした。山形では藩主が江戸に在府していたので国家老が専横していた。上方から商人上がりの武士を紅花奉行に据え置き、紅花からあがる巨万の富を自らの懐に入れようとしていたのだ。(2012.9.12) 双葉文庫 20087 648


白桐ノ夢
居眠り磐音25

初夏、大工の鉄五郎親分が手下を連れて尚武館道場に顔を出した。磐音とおこんの離れに白い桐を植えるためだ。若木の桐が大きくなることと、ふたりにこどもが産まれて、そのこどもの成長を合わせようとした親方の配慮だった。豊後で磐音と別れた辰平から書状が届いた。肥後熊本で武者修行をして折紙目録を頂戴したと書いてあった。尚武館で辰平のライバルだった利次郎は複雑な思いに駆られた。磐音が柳河原土手で「客人各位、殴り賃一打十文」と書かれた板きれで殴られ屋稼業をする向田源兵衛高利と出会った。大きな理由があるだろうと察した磐音は向田を尚武館に招いた。ふたりで剣を交えて、磐音は向田が並みの剣士ではないことを知る。深いわけを抱えたまま向田は尚武館で汗を流す。西の丸に居住する次期将軍が予定されている家基から、奥医師の桂川を通じて内々に宮戸川の鰻を所望したいという注文が届く。宮戸川に磐音は鰻を頼み、桂川の近従に変装して西の丸で久しぶりに家基と対面をした。日光社参の思い出話とともに家基は鰻を満足げに食べた。そのとき磐音は殺気を帯びた黒い眼を感じていた。西の丸からの帰り道、あるいは尚武館道場の明け方、何度となく磐音はその黒い眼たちに襲われた。それは、かつて日光社参で退治した雑賀衆の生き残り、奸(かまきり)が率いる乱破(らっぱ)集団だった。磐音は西の丸に忍び込み、奸らとの死闘を繰り広げる。そして、乱破(らっぱ)集団を掃討した。それは老中の田沼意次に命令された家基暗殺計画の一端だった。磐音と品川柳次郎の知人、竹村武左衛門が仕事場でけがをして、自宅で寝込んだ。ふたりは竹村を見舞うが、磐音と品川の出世に自らが置いてきぼりをくった気持ちの竹村はこころが荒んでいた。そのことに気づかなかった磐音は寝言で苦しみを露呈し、おこんに相談する。そして、少しでも竹村の負担を少なくしようと、娘の早苗を尚武館に住み込み修業に出すように提案した。いままで家族や知人の心遣いに気づかなかった竹村は周囲の気持ちに気づき、自ら杖をつきながら尚武館を訪ね、磐音に「娘を頼む」と頭を下げた。向田から磐音に永遠の別れと江戸での計らいを感謝する手紙が届いた。磐音は向田が覚悟を決めた穏田村に急行する。そこでは芸州広島藩浅野家の家臣が向田を囲んでいた。向田はかつて家老の世襲を許さない広島藩の掟を破ろうとした家老嫡男を暗殺していた。そして脱藩し江戸に到来していたのだ。しかし追手は向田を追い詰める。自分も豊後関前藩で、旧友らと剣を交え、その後脱藩を経験した磐音は、向田の助太刀をする。(2012.9.7) 双葉文庫 20084 648


読本
居眠り磐音番外

由蔵とおこんの出会い。若き日に大阪に修行に行ったときの由蔵といまの吉右衛門の関係。これまでのシリーズの土台になるエピソードが書き下ろされている。また、江戸の地図や今津屋の図面など、視覚的資料も含まれている。 (2012.9.1) 双葉文庫 20081 648


朧夜ノ桜
居眠り磐音24

正月、将軍家御典医桂川家三代目甫三国訓の嫡男、甫周国瑞が因幡鳥取藩の寄合職織田宇太右衛門の息女桜子と祝言を挙げた。磐音とおこんはふたりの祝言に招かれた。白梅が咲く屋敷でふたりの祝言は滞りなく行われた。祝言の帰りにおこんは、生まれ育った深川六間堀の長屋に戻った。二日後には、自らが将軍家御用取次ぎ側用人の速水家に養女入りが決まっていた。磐音はおこんを送った帰りに、絵師の北尾重政に会う。北尾は吉原で、奈緒と磐音のことを探索する侍がいることを知らせてくれた。無事に速水家に養女入りしたおこんは、速水おこんとなり、一ヶ月の武家嫁修行を速水家で教わった。速水家の男子が佐々木道場に弟子入りし、その送迎でおこんはときおり磐音と顔を合わせた。かつて奈緒を追って全国を旅した磐音。金沢で出会った三味線作りの名人、鶴吉が江戸に戻ってきた。鶴吉は磐音らのはからいで親の仇を討ち、しばらく江戸を離れていた。その鶴吉が江戸に戻ってきたので、磐音は三味線作りを再興するものだと思った。しかし、鶴吉は自らが全国を旅した途中で得た情報を磐音に伝えるために江戸に戻ったという。遠州相良、そこはときの大老、田沼意次が治める藩だ。そこで三味線作りの修行をしたとき、城下で磐音を暗殺する計画を耳にしたという。暗殺者は5人。いずれもときに名を残した剣客ぞろい。琉球古武術の松村安神、タイ捨流の河西勝助義房、平内流の久米仁王蓬莱、独創二天一流の橘右馬介忠世、薩摩示現流の愛甲次太夫新輔。夜稽古の最中に久米が道場に忍び込んだ。磐音との真剣勝負。久米は首を割られ倒れた。磐音は何とかして鶴吉が江戸で三味線作りの店を出せないものかと吉原会所の四郎兵衛親方を訪ねた。これまで何度も磐音に助けられてきた親方は磐音の頼みを受け、鶴吉の出店まで面倒をみると約束した。磐音に助けられた鶴吉は何とかして遠州の計画を頓挫させるために探索をしていた。その情報を磐音にもたらす。吉原に松村が入ったと。磐音は深夜、松村を待ち受けた。真剣勝負。松村の蹴りをすねに受けながらも、磐音は松村にとどめを刺す。足の怪我が復調するのに時間がかかった。五日をかけて怪我を復調させた磐音は、おこんとの祝言の日を迎えた。桜舞う佐々木道場で祝言は執り行われた。これまで出会った多くのひとたちが祝いの席に駆けつけた。夜まで続いた祝言を終え、離れに引き上げたふたりを、河西が待ち受けていた。おこんに鞘を預け抜き身を得た磐音は、河西の首を掻っ捌いた。血振りをした抜き身を「磐音様」おこんの差し出した鯉口に納めた。(2012.8.29) 双葉文庫 20081 648


万両ノ雪
居眠り磐音23

南町奉行年番与力笹塚孫一は、過去に麹屋への押し込みを働いた一味を捕縛し損ねていた。頭の大次郎親方は罪を認めなかったが、そのまま三宅島へ送っていた。その大次郎が島抜けをしたという報せが届く。必ず麹屋で奪った金子を受け取りに江戸に戻ると推測していた笹塚は、情報の収集に余念がなかった。そのなかに島抜けをした一味の人数が、東海道で目撃された人数と異なることを笹塚は気づいていた。なかまが増えたということか。江戸では品川柳次郎が、椎葉お有との付き合いを公式に認められ、将来の夫婦を夢見ていた。1777(安永6)年の大晦日が近づいていた。今津屋の老分由蔵も、佐々木玲圓も、磐音とおこんの江戸戻りをいまかいまかと待ちわびていた。笹塚、品川柳次郎、木下らが待ち受けるなか、大次郎たちが内藤新宿に戻ってきた。そのなかに東海道の途中で加わった夫婦がいた。「いささか理由があってな、そなたらの一味をはなれる」と言って、その武芸者と妻が大次郎たちから離れた。そこには半年ぶりに江戸に戻った磐音とおこんの姿があったのだ。東海道の途中で島抜けをした一味と合流した磐音は、機転を利かせて、一味を笹塚らの前へ誘導していたのだ。正月、佐々木道場具足開きの日、磐音は正式に佐々木家の養子として縁組を行った。坂崎磐音から佐々木磐音が誕生した。今津屋では、お佐紀が無事に男子を出産した。いよいよ残るはおこんの速水家養女入りになった。最後に著者のスペイン時代を語る「あとがき」付。(2012.8.18) 双葉文庫 20078 648


荒海ノ津
居眠り磐音22

豊後関前を離れた磐音とおこんは、博多の商人である箱崎屋次郎平に招かれていた。次郎平はふたりのために離れの別宅を用意して歓待した。おこんは、次郎平の末娘お杏とともに福岡や博多の町を歩いた。磐音は、福岡藩道場へ招かれて、剣術の腕前を披露した。その帰りに、多くの刺客に囲まれていた武士と娘を助ける。娘の名前はお咲。上級武士の娘だったが、父親は頑固者で身分の違いからふたりの恋路を認めていなかった。下級武士の猪俣と恋しあう仲だったふたりは、父親が画策した刺客によって引き剥がされそうになっていたのだ。その頃、江戸では磐音の帰りを待つ今津屋の番頭、由蔵が力の抜けた日々を送っていた。磐音の友人の品川柳次郎は、貧乏暮らしから逃げた父と兄のかわりに母の幾代と今後の暮らしを考えていた。総領と嫡男がいない御家人では、お家断絶は避けられない。そのことを今津屋の由蔵に相談していた。その道中で、幼馴染の椎葉お有と再会していた。お有は父親の命令で上司の妾になることが決まっていた。その悩みを品川柳次郎に相談した。「そんな奴といっしょになっていはいけない」。品川柳次郎の言葉に励まされ、お有は家を出て尚武館道場に逃げ込む。大宰府を訪問しに行った磐音とおこん。お咲と猪俣を国境から遠方に逃がす手助けをする。お有を妾にしようとしていた幕臣が自宅で賭場を開帳していたことが判明し、佐々木玲圓と速水左近の活躍で一網打尽にする。そのことが縁になって、品川柳次郎とお有は急速に近づいていく。(2012.8.11) 双葉文庫 20074 648


鯖雲ノ城
居眠り磐音21

磐音、おこん、辰平を乗せた関前藩の御用船は関前港に入港した。おこんは、磐音の母、照埜と初めて対面した。照埜が自分を認めてくれるかどうかを案じていたおこん。照埜は埠頭で、おこんに会ったとき、両腕でしっかりと抱きしめた。おこんの不安が消えた。父親の国家老、正睦と久しぶりに対面した磐音は、坂崎家の菩提寺に磐音を連れて行く。郡奉行の東は、関前城下で、江戸との商いをめぐって、不穏な空気があることを察知していた。その証拠に、磐音の帰郷を快く思わない一団が次々と磐音に刺客を放つ。それは、江戸と関前の商売を隠れ蓑にして、大きく成長した両替屋の中津屋と浜奉行の結託だった。粗悪品を江戸に送り、暴利をむさぼる。江戸の物品を高額で買い取り、諸国に売りさばく。その利益を独占しようとする動きが芽生え始めていた。さらに諸星道場なる剣の修行場を開き、金で集めた用心棒を待機させていた。磐音がこども時代を過ごし、剣の道を学んだ中戸道場は反対に寂れていた。磐音は辰平とともに中戸道場で修業を再開する。諸星道場から次々と邪魔が入るが、片っ端から片付けてしまう。ついに、東が暗殺された。磐音とおこんの仮の祝言を前にして、東を暗殺した諸星道場の刺客たちを、磐音は国境まで追い詰めて、殺人の剣で葬った。その刹那に暗殺者たちが語った暗殺の黒幕は、中津屋だった。正睦は中津屋を誘い、これまでの不正と暗殺を正す。逃げ切れないと悟った中津屋は正睦の殺害を雇い剣士に頼む。磐音たちが駆けつけ、悪党一味はことごとくお縄になった。かつての旧友たちを失った磐音は、今回の帰郷で彼らの墓参を済ます。おこんとともに、墓参した磐音は「関前逗留は終わった」と告げる。(2012.8.5) 双葉文庫 20071 648


野分ノ灘
居眠り磐音20

江戸城内で権力の中枢にいる田沼意次とその息子。2人は将軍を意のままに使い、権力を掌握することを目指していた。次期、将軍候補の家基は、明朗な若者だった。田沼はあらゆる方法を用いて、家基の将軍後継を阻止しようと企んでいた。日光社参で家基の警護にあたった磐音に次々と田沼らが放つ刺客が忍び寄る。南町奉行所定回同心の木下一郎太は、磐音を襲った相手を探索する。しかし、奉行を呼び捨てにする権力中枢らの手によって自宅蟄居が命じられた。邪魔者を消していくやり方に対して、磐音は地蔵親分と手を組んで、黒幕を叩く。豊後関前の父から、おこんとの祝言の前におこんを連れて国元に帰るよう嘆願する手紙が届く。母の照埜におこんを引き合わせて、ふたりの結婚を認めてもらうように願っていた。磐音は佐々木道場の松平辰平を従者にして、関前藩の御用船で大海に乗り出していく。下田沖から熊田灘までの遠州沖で野分(台風)に遭遇しながらも、御用船は無事に関前を目前のところまでたどり着く。そのとき密かに船に忍び込んでいた田沼が放った刺客がおこんの首に刀を押しつけた。(2012.7.31) 双葉文庫 20071 648


梅雨ノ蝶
居眠り磐音19

佐々木玲圓道場の改築工事が終わろうとしていた。磐音を始めとした門弟たちは、改築祝いのこけら落としの準備に余念がなかった。準備のさなか、磐音は玲圓に大事な相談を受けていた。「自分にはこどもがいない。このままではいずれ佐々木家は取りつぶしになる。磐音が養子に来て、おこんさんと所帯を持ち、佐々木家を継いではくれないか」。重要な相談だった。磐音は豊後関前藩に坂崎家があった。しかし、藩を抜けて江戸でその日暮らしをする浪々の身に転じていた。いまさら国元の坂崎家を継ぐつもりはなかった。今津屋の奉公人であるおこんは、町娘だった。そのままではふたりは結婚できない。悩みを抱いて今津屋へ向かう磐音を刺客が襲った。考え事をしていたので、不覚にも磐音は上腕とわき腹を切られた。今津屋にたどり着いて意識を失う。医師の中川や桂川の治療で一命を取り留めた。高熱でうなされながら、磐音は不眠で看病をするおこんに「養子に行っていもよいか」と尋ねる。詳細を聞いたおこんは「どこまでも磐音様についていきます」と返事をする。見舞いに来た玲圓に、磐音は養子の件を受諾する。やがて、新しい道場「尚武館」の道場開きの日になった。けがが治ったばかりの磐音は世話役に奔走するが、決勝になって自らが出場することになってしまう。そして、剣術大会の頂点に立つ。祝いの席の帰り、梅雨の長雨が降りしきる。刺客がふたたび磐音を襲う。誰に頼まれたのかという問いに対して「城中に、恨みをもつ者がおるのよ」と刺客は言い残して磐音の剣に敗れて行く。(2012.7.27) 双葉文庫 20069 648


捨雛ノ川
居眠り磐音18

佐々木玲圓の道場改築工事が始まった。古い床をはがしていたら、土中から甕が掘り出された。そのなかには、遠く唐の銭と二振りの刀が出てきた。玲圓は磐音を伴い、刀研ぎ師の名人に依頼する。同じころ、道場の住み込み師範の本多が花見の下で酔った勢いで女性をいたずらしていた侍をやっつける。そのときに助けられた女性が、道場に礼を言いに来た。2人の出会いは、そのまま本多の婿養子の話へと発展していく。今津屋で一年限りの奉公をしていたおそめは、そのまま今津屋で奉公を続けてほしいという内儀の希望をありがたく受けながらも、当初の夢を優先させる。縫箔職人になるという夢を実現するために、奉公下がりをして、深川の長屋に戻った。かわりに妹のおはつが今津屋に奉公に上がることになった。宮川で鰻職人の修業を続ける幸吉が、親方に特別の許しを得て、縫箔職人のもとに向うおそめを早朝に迎えに行く。道中の安全を遠くから磐音は見守っていた。おそめ、おはつ、幸吉の3人は小川に小さな雛人形を流した。自らの穢れを人形に預け、奉公の無事を3人が願っていた。(2012.7.21) 双葉文庫 20066 648


紅椿ノ谷
居眠り磐音17

今津屋と佐紀の祝言が無事に終わった。磐音はおこんの様子がこれまでと変わってしまったことに気づいていた。同じ時期、磐音が通う佐々木玲圓道場が改築することを知った。門弟が増えていまの道場が手狭になったのだ。拡張するための資金が足りない。そこで、道場では醤油樽を置いて、門弟らから資金を集めることにした。その樽が何者かに盗まれた。磐音や師範の本多鐘四郎が危惧していたことが起こる。玲圓の名をかたり、周辺の大名屋敷から寄付を詐取する事件が発生した。町方の協力を得て、犯人はかつて佐々木道場と人気を二分した中条流指田道場の門弟とわかる。磐音と玲圓は夜影に乗じて道場を訪れ、首謀者らを退治する。医師の中川順庵や桂川国瑞におこんにはしばらくの休養が必要だと磐音は諭される。それを今津屋吉右衛門やおこんの父親である金兵衛に相談した。みな快くおこんの休養を勧めてくれた。桂川が休養場所にと上州を抜けた法師の湯を紹介してくれた。おこんの付き人として磐音は二人旅に出発した。その磐音らを鋭く追う刺客の陰を感じながら。法師の湯で、おこんと磐音はこころから夫婦になった。磐音らを追う刺客は、指田道場を退治したときの遺恨が原因と判明する。その刺客に止めを刺した磐音は江戸からの便りで、そのことを知る。江戸からの便りを読んだおこんは「もうここにいなくても大丈夫」とすっかり元気を取り戻したことを宣言する。おこんの願いが成就し、磐音の思いが伝わり、ふたりは紅椿の谷を境に夫婦になった。(2012.7.12) 双葉文庫 20063 648


蛍火ノ宿
居眠り磐音16

今津屋の吉右衛門の妻お艶の三回忌が終わった。吉右衛門の再婚相手の佐紀から磐音に相談事があった。家族を捨てて男と逃げ出した姉の香奈からお金を無心されているという。香奈たちを追い回して、恐喝していた悪人を退治した磐音は、佐紀を香奈のもとに送る。しかし、一足違いで香奈と男は試練の旅に出た。残された手紙を読んだ佐紀は号泣する。吉原の白鶴太夫が落籍することになった。山形の紅花商人が見受けする。それを阻もうとする企てを、磐音が潰すために吉原に住み込む。襖越に白鶴太夫と対面した磐音は、顔を合わせることなく別れる。落籍して、小林奈緒に戻った。奈緒は吉原から千住へ向かう路上で、白鶴太夫暗殺計画の首謀者に襲われた。見受けする商人になりすました磐音が首謀者のとどめを刺した。ふたりの幸せを願い、奈緒に向けた背中に「磐音様、おこん様を大事にしてくださいませ」と声が響いた。(2012.7.3) 双葉文庫 20063 648


驟雨ノ町
居眠り磐音15

1776(安永5)5月。将軍家治の日光社参が無事に終わって、城中では猿楽が催された。招待されたのは日光社参に功のあったひとたちばかりだった。そのなかに、豊後関前藩の家老である坂崎正睦と佐々木玲圓の姿があった。ふたりはそこで初めて顔を合わせた。ともに磐音を通じて人となりは知っていたが、対面するのは初めてだった。次期将軍家基の隠密裏の日光社参を成功させた磐音への感謝の気持ちを父親である正睦へ託した家治の判断だった。藩屋敷で正睦からそのことを磐音は聞かされる。さらに江戸藩屋敷で浪費をむさぼった家老の福坂利高の粛清を申し渡される。豊後関前藩主の福坂実高は、日光社参の費用や関前の物産の江戸での取り扱いを担当している両替商の今津屋を藩屋敷に呼んで感謝の宴を開く。その席で、老分の由蔵が実高に「おこんのような町娘は武家の嫡男である磐音とはつり合いませぬか」と尋ねた。同席した磐音の父である正睦に返事を問う。正睦は「磐音は関前を出た時点で、坂崎家とは無縁となった。だから、自ら選んだ道に口を挟むことはござらぬ」と応じた。関前に帰る前におこんに会いたいという正睦の願いを宮戸川の鉄五郎に磐音は相談した。船を仕立てて、他の客を気にしないでいい席を鉄五郎は用意した。磐音はそこにおこんの父親である長屋の主、金兵衛を呼んでいた。おこんと父、磐音と父の4人が顔を合わせた。正睦が言う。「今後とも磐音をお頼みいたす」。おこんの瞼は潤んだ。そこで磐音の母から預かってきた帯締め飾りの瑪瑙をおこんに渡した。さらに金兵衛に言う。「婿候補の一人に、うちの倅を加えてくださらぬか」。金兵衛は身分が違いすぎると驚く。そして快諾する。数日後、宮戸川で丁稚奉公をしていた幸吉が消えた。(2012.6.24) 双葉文庫 200511 648


夏燕ノ道
居眠り磐音14

1776(安永5)4月。いよいよ将軍家治の日光社参が始まろうとしていた。
坂崎磐音は便宜上、勘定奉行の太田播磨守正房の家来として今津屋が加わる幕府出納方の一員として社参に同行することになった。しかし、本当の任務は時期将軍の家基を警護して、老中田沼意次が暗殺を命令する雑賀忍者たちを寄せ付けないことだった。
家基の警護には、磐音の師匠である佐々木玲圓も同行した。雑賀忍者たちは、日光までの道中で何度も家基の命を狙った。そのたびに磐音や玲圓が防御した。
ついに、日光山中仁覚坊で雑賀忍者と磐音らとの最後の決戦が行われた。そこでも磐音と玲圓は、忍者たちの頭領を倒す。途中、女忍者の霧子をとらえた家基は田沼に雇われた雑賀衆は、いずれにせよ滅びの道しかないことを諭し、抜け身をして自由に生きろと命ずる。
江戸に戻った磐音は、霧子の頭領のおこんに短筒で命を狙われた。刀に短筒では勝ち目は無い。もはやこれまでとあきらめたとき、霧子の手裏剣がおこんの喉元を突いた。(2012.6.16) 双葉文庫 20058 648


残花ノ庭(13)
居眠り磐音13

1776(安永5)年、深川六間堀に初春の季節が訪れていた。長屋住まいの師匠である幸吉少年は、磐音が鰻割きの仕事で世話になっている宮戸川で奉公の毎日を送っていた。その幸吉の表情が冴えない。聞くと、幸吉の幼馴染のおそめに奉公の話があるという。おそめの父親は賭けごとで借金がふくらみ、おそめを借金返済のために女郎小屋へ売ろうとしていた。そのことを幸吉は心配していたのだ。今津屋のおこんも磐音も、おそめの気持ちを聞いて、父親の思惑通りにはならない算段をする。刺繍を専門にする縫箔という職人になりたいという希望をおそめは抱いていた。おこんと磐音は、その願いを実現させるために奔走する。そんなある日、おそめが失踪した。行方を追ううちに、おそめは父親とともに女郎小屋に売られようとしているところだった。水際でそれを食い止めた磐音は、おこんとともに縫箔師におそめを紹介した。そこで親方から、もう少し体ができてからでも遅くはないと諭される。そのため、今津屋で下働きをしながらよのなかのことを学ぶことにした。
おこんの父親で、磐音の住む長屋の主、金兵衛はおこんに内緒で見合いの話を進めていた。その話を聞いた磐音の心中は穏やかではなかった。しかし、金兵衛からおこんにはくれぐれも内密にと釘をさされ、悶々とする。しかし、おこんは金兵衛が仕組んだ見合いを見抜き、裏をかいてご破算にした。「こら、居眠り磐音、私が見合いをすることを知っていたそうね」と磐音に迫る。「馬鹿」と言いながら磐音の胸をどんどん叩く。その痛みを感じながら、悶々とした気持ちが晴れていく磐音がいた。
豊後関前藩の多額の借金を減らすために苦労している磐音の父親、坂崎正睦が関前の商品を江戸に運ぶ船に乗って来た。磐音は「日ごろお世話になっている今津屋のおこんさんを父上に引き合わせとうござる」とおこんを同伴していた。おこんを一目見た正睦は、「磐音、そなたは果報者じゃな、おこんさんのような女性に知り合えて」と褒めた。帰り道、磐音様とふだんは呼んだことのない言い方で磐音を呼んだおこんが「正睦様にお目にかかり、胸が熱くなりました」と感激した。磐音は、奈緒と同じように、いやそれ以上におこんを守っていかねばならないと気付いた。
因幡鳥取藩池田家の家臣、織田宇多右衛門の娘、桜子は磐音にこころ寄せていた。しかし、医師の桂川甫州国瑞に見初められ、磐音の気持ちを確認しようとする。磐音は桂川の仁徳をほめたたえ、ふたりの良縁を祝福する。桜子は自分の思いを磐音が受け入れないことを悟った。「坂崎様、さらばにございます」。言い残して去って行った。
幕府は将軍家治の日光社参に向けて莫大の費用の調達を、今津屋に命令した。主の吉右衛門は江戸中の両替屋に掛け合って、幕府からの要望に応えた。そのかわり、調達した費用の回収が反故になるのを恐れ、磐音に日光社参道中の警護役を依頼した。豊後関前藩を脱藩した浪人が幕府の用人になって日光へ行くことになった。磐音は、同行者におこんを選ぶ。
磐音の知人で、蘭方医の中川順庵らが長崎から商館長のフェイトらを江戸に迎えていた。田沼意次を筆頭とする漢方医派はもともと蘭方医たちの排除を企んでいた。しかし、将軍家の養女が麻疹にかかり、それをフェイトに同行した医師のツェンベリーが治したので家治は中川らを信頼していく。(2012.6.9) 双葉文庫 20056 648


探梅ノ家
居眠り磐音12

1775(安永4)年は師走を迎えていた。お艶が他界してから、なかなか後添えをもらおうとしない今津屋吉右衛門の様子に大店の将来を憂いた由蔵は、見合いの段取りをつけようと鎌倉へ向かった。由蔵に同行した磐音は、お艶の兄・赤木儀左衛門の紹介で、小田原の脇本陣・小清水屋の姉妹・お香奈とお佐紀に会うが、翌朝、姉のお香奈が姿を消してしまう。一方江戸では、品川柳次郎が船の荷下ろしの仕事に出たあと姿を消していた。柳次郎の雇い主は何かと悪い噂のある船商人だった。金兵衛長屋の主である金兵衛は、娘のおこんの嫁ぎ先を懸念していた。いつまでも今津屋の奉公人では、婚期を逸してしまうと心配なのだ。ちょうど吉右衛門に再婚の話が盛り上がったので、それが決着した後に、おこんを嫁がせようと磐音に相談する。磐音からおこんの見合い話を聞いた由蔵は「私はおこんさんがどのような想いを坂崎様に抱いているか、承知しております。坂崎様とて憎からずお考えでございましょう。よいですか、このお気持ちに正直に生きることもまた人の道にございますよ」と忠告する。(2012.5.26) 双葉文庫 20053 648


無月ノ橋
居眠り磐音11

1775(安永4)年の初秋。宮戸川で鰻割きの仕事をしていた磐音に北割下水の御家人品川柳次郎が訪ねてきた。母の幾代が日頃の磐音の心遣いに感謝したいので昼餉をともにと頼まれたという(法会の白萩)。快諾した磐音は北割下水と南割下水の境に広がる吉岡町の研ぎ師、鵜飼百助を訪ねた。先般、研ぎに出していた備前包平を受け取りにいくためだ。するとそこには御小普請支配の大身旗本の用人である高村が徳川家に祟りをもたらす勢州村正の研ぎを鵜飼に強制しようとしていた。行きがかり上、磐音は高村を退ける。包平を手に長屋に戻った磐音は、戸口に因幡鳥取藩32万石の重臣である織田宇太右衛門の娘、桜子からの手紙を発見する。それを故郷の友の位牌の横に置いて、八つ(午後2時)の刻限に品川の屋敷に向かった。母の幾代と3人で十間川の外れの竜眼寺まで墓参に向かう。墓参を済ませた一行は、寺の裏庭を拝める場所で料理を楽しむ。白い萩が一面に咲き誇る庭を愛でながら、秋の移ろいを五感に受け止める時間を過ごした。このほかに、南町奉行年番与力の笹塚孫一が襲撃を受け、生死の境をさまよう「秋雨八丁堀」「金貸し旗本」おこんを今津屋に送る夜道で、因幡鳥取藩の恨みから発した襲撃者を倒す「おこん恋々」吉原の白鶴太夫こと、磐音の許嫁である奈緒の紅葉狩りで襲撃者を撃退し、奈緒から打掛をお礼にもらう「鐘ヶ淵の打掛け」が収録されている。(2012.5.14) 双葉文庫 200411 648


朝虹ノ島
居眠り磐音10

大川端で数人の武士に囲まれていた一人の武士を助けたのを機に、因幡鳥取藩の藩内騒動に巻き込まれてしまった坂崎磐音。今津屋吉右衛門の厚意で名刀・備前長船長義をもらいうけた磐音は、江戸城の石垣普請のため熱海まで石の切り出し資金を運ぶことになった吉右衛門に同道して欲しいと依頼された。磐音は、吉右衛門と石切り資金の警護のため、品川柳次郎と竹村武左衛門らとともに熱海へ向かう。するとそこには徳川幕府の威光をかさにした普請奉行の原田と石切仲間の外れ者の儀平が手を組んで、普請の利益を独占する計画が進行していた。初島を舞台にした捕り物と、初島の女性「おはつ」と磐音の出会いなど、江戸を離れた物語が旅情をさそう。http://inemuriiwane.jp/publish.htmlより(2012.4.14) 双葉文庫 20049 648


遠霞ノ峠
居眠り磐音9

宮戸川に奉公にあがった幸吉は、出前に向かった先で釣り銭詐欺に遭ってしまった。同様の事件で菓子舗・明神屋の奉公人が身投げしたことを知った幸吉は、自ら犯人捜しをはじめるが、逆に犯人の手におちてしまう。磐音は地蔵の親分とともに幸吉を助け出そうとするが・・・・・・。一方、関前藩の財政再建のため、藩の特産品を積んだ正徳丸が無事江戸に到着した。大きな利益を出し、財政建て直しへの第一歩を踏み出すが、藩物産所組頭の中居半蔵を襲う刺客が現れる。http://inemuriiwane.jp/publish.htmlより(2012.4.14) 双葉文庫 20045 648


朔風ノ岸
居眠り磐音8

府内新春模様
1774
(安永3)年の除夜の鐘を坂崎磐音は両国橋の上で聞いた。その橋の上で、掏摸(すり)にあったと騒ぐ男がいた。男は尾張町の草履商備後屋の番頭佐平と名乗っていた。
長屋に戻ると戸口に手紙が挟まれていた。中居半蔵からである。手紙には妹の伊予が家中の御旗奉行井筒洸之進の嫡子・源太郎と結納が整ったといってきていた。
他には、若狭屋あての物産品を送ったとのこと。そして、江戸藩邸物産所所属として別府伝之丈と結城秦之助を着任させたという。関前藩の立て直しが本格的に動き出したのだ。
明けて、1775(安永4)年。磐音は年始の挨拶に今津屋を訪ねた。そして、伊予への祝いの品をおこんに見繕ってもらうことになった。品物は駿河町の呉服屋越後屋、南塗師町の小間物商京優喜で見繕った。
その帰り、磐音は同心の木下一郎太にあう。そして、尾張町の草履商備後屋の一家と奉公人が毒殺されたと聞いた。下手人は住み込みの二番番頭佐平だという。橋で騒いでいた男である。
三崎町初稽古
豊後関前藩から若狭屋に着いた荷は思っていた以上によかったようだ。中居半蔵の苦労が偲ばれる。
磐音は別府伝之丈と結城秦之助を呼び出した。そして、近い内に若狭屋と引き合わせるつもりであることを告げた。
二人は磐音に福坂利高を中心とした一派が江戸藩邸を牛耳っているという。小此木平助と棟内多門が腰巾着となり、新たな獅子身中の虫ともなりかねない。
それとは別に、二人は剣術の稽古をしたいから佐々木玲圓を紹介してくれという。よいことだと思い、早速紹介する。そして佐々木道場の鏡開きに参加した。
例年なら型稽古だが、今年は佐々木玲圓と速水左近との模範演技を披露することになった。その後、東西五人での勝ち抜き試合を行うことになった。
さて、中川淳庵らを付け狙う一派の後に、譜代大名の西尾家隠居の西尾幻楽がいることがわかった。鐘ヶ淵のお屋形様と呼ばれている人物である。
早春下田街道
品川柳次郎が、父親の紹介で旗本大久保家の仕事を請け負ってきた。大久保家の知行所が不穏なのだという。そこで御用人の馬場儀一郎が見回りに行くことになった。その用心棒というわけだ。竹村武左衛門も一緒である。場所は伊豆修善寺である。
知行所が不穏なのは、博奕のせいだった。その利権を巡り吉奈の唐次郎と蓑掛の幸助が角をつき合わせ始めているという。以前に内藤新宿で賭場を巡る争いに巻き込まれた時とよく似ている。
寒月夜鐘ヶ淵
中川淳庵が何者かに連れ去られたようだ。鐘ヶ淵のお屋形様の一派が動き出したのだ。磐音は南町奉行所の笹塚孫一にこのことを告げる。そして、磐音らも動き出す。
待乳山名残宴
吉原で十数年ぶりに太夫を選ぼうという企てがあるらしい。これに先だって絵師の北尾重政が襲われた。最近ではおこんを描かせてくれといっておこんを迷惑がられている絵師である。もっとも、老分の由蔵に言わせると磐音に気兼ねをして断わっているのだとか。
北尾重政は白鶴を江戸中に知らしめた絵師である。この絵師に自分の店の花魁を描かせたがるのだ。だが、北尾重政は片っ端から断わってしまう。自分の興味のない花魁は書きたくないのだ。断られた妓楼が殺し屋を雇ったらしい。
磐音の師匠ともいうべき少年の幸吉。そろそろ奉公の年頃である。商家への奉公が来たようだが、幸吉は自分で向いていないという。職人がいいという。そして、出来れば鉄五郎親方のようになりたいという。(2012.4.2) 双葉文庫 20043 648


狐火ノ杜
居眠り磐音7

1774(安永3)年の秋から冬にかけ、江戸の行楽が全編に渡る。
紅葉狩海晏寺
旧暦立冬を過ぎ、坂崎磐音は品川柳次郎、中川淳庵、おこん、幸吉、おそめらと品川先の海晏寺に紅葉狩りに行く。海晏寺につき、紅葉狩りを楽しみ、一行は食事を取る。すると、店の料理にあたったと騒ぎ出す輩がいた。直参旗本の次男、三男といった部屋住みの連中。騒いで金を取ろうという魂胆である。幸いにして医師の中川淳庵がいたので、診てあげようということになったが、嘘がばれてしまい、早々に退散していった。だが、連中は帰りに待ちかまえていた。今津屋に戻ると、中居半蔵から手紙が来ていた。中居半蔵は豊後関前藩で財政改革に孤軍奮闘しているようだ。
越中島賭博船
江戸に筑波おろしが吹く冬が到来した。竹村武左衛門が割下水の石垣工事中に怪我をした。そのため、約定の日当全部を出せないと施主が言う。しかも武左衛門は酒を飲んで仕事をしていた。品川柳次郎が男気を出して武左衛門のかわりをするので、残りの日当を払ってもらうことになる。その仕事に磐音も付き合わされてしまう。この仕事の中、加賀金沢で縁を持った鶴吉と再会する。どうやら磐音に頼みがあるらしい。気になった磐音は地蔵の竹蔵に頼み、鶴吉を調べてもらった。すると、鶴吉は三味芳四代目・芳造の次男坊で、評判の職人だったことがわかった。鶴吉には兄・富太郎がいるが、鶴吉に比べて職人としての腕が落ちる。そして、兄弟でお銀という楊子屋の娘に惚れていた。だが、このお銀に絡んで小さな事件が起き、鶴吉は職人を辞めてしまったのだ。その後、富太郎とお銀は結ばれたが、上手くいかない。やがてお銀が長太郎の妾同然になった。これを知った芳造が長太郎のところに乗り込んだが、やがて死体で発見された。これを知り、鶴吉は戻ってきたのだ。
行徳浜雨千鳥
霜月も半ば。磐音は笹塚孫一から呼ばれた。すると、通されたのは南町奉行の御用部屋で奉行の牧野大隅守成賢に引き合わされた。用事はこれよりも、先だっての賭博船に絡んだもので、磐音に二百両の褒賞が下された。もう一つ話があった。中川淳庵の朋輩・前野良沢が襲われたという。血覚上人を頭とした裏本願寺別院奇徳寺一派である。磐音が中川淳庵を訪ねると、このことがあり外出が出来なくて困っているという。特に隠居した岩村籐右衛門を診にいけないのが心苦しいようだ。磐音は中川淳庵に付き添う形で同行することにした。行き先は行徳である。そこで血覚らは岩村屋敷に火をつけた。江戸に戻った磐音におこんが言う。「居眠り磐音さん、もし刀を捨てて町人になるというのなら、おこんが嫁に行ってあげるわ」。
櫓下裾継見世
行徳から帰ってくると、今津屋の老分・由蔵が湯屋・能登湯が用心棒を捜しているので紹介しておいたから行きなさいという。能登湯の主・加兵衛は二階座敷に町内の者ででもない浪人者たちがあつまりを開き、話し合っていくという。上杉治憲(鷹山)の七家騒動を背景にしたお家再興を目指す浪人たちの企てだった。幼いときから「姉さん」と親しんだ佳代が、品川柳次郎の腕のなかで息を引き取っていく。
極月王子稲荷
磐音は由蔵とおこんの供として関八州の稲荷社の総社・王子稲荷へ行くことになった。今津屋の新しい幟を納めに行くのである。今王子稲荷では近年になく早い時期から狐火がよくでると評判である。みんなで狐火を見ていると、おこんが何者かにさらわれた。(2012.3.27) 双葉文庫 200311 648


雨降ノ山
居眠り磐音6

1774(安永3)年初夏。今津屋が役人を招いて屋根船を仕立て宴席を開く。隅田川の花火に合わせた嗜好だ。磐音は、屋根船を襲う一団から今津屋たちを守る警護の役を引き受けていた。あやかし船に乗る一団を退治した磐音は、今津屋の当主吉兵衛の信頼を厚くし、個人的な頼みごとを打ち明けられた。吉兵衛の妻、お艶の病治癒のため、大山詣でに行く旅に同行してほしいとのことだった。お艶の実家は伊勢原にあり、大山詣でと実家への里帰りの両方をするという。今津屋の奥を仕切るおこんとともに、磐音は大山詣での旅に出る。江戸を離れると、お艶の体調はよくなったように見えた。しかし、山登りでお艶を背負った磐音は、想像以上にお艶のからだが痩せ細っていることに気づいた。吉兵衛から、お艶の病は不治のもので、今回の旅は妻の望みをかなえるためのものだったと聞く。伊勢原に吉兵衛とお艶を残し、磐音はおこんと江戸の戻る。途中、飯屋では、ふたりは若夫婦と勘違いされた。吉兵衛から、今津屋の後見として大役を引き受けた磐音は、質屋や両替屋に偽の大判を持ち込んでは難癖をつけ、大金を騙し取る旗本弓場雪岳を南町奉行年番方の笹塚孫一とともに成敗した。医師の中川順庵を連れて伊勢原に向かおうとしたとき吉兵衛からお艶が、腕のなかで息を引き取ったという報せが届いた。おこんは磐音の胸に飛び込んで号泣した。(2012.2.26) 双葉文庫 20038 648


龍天ノ門
居眠り磐音5

1774(安永3)年正月。市谷八幡で寄合席三千石の高力家の奥方が首吊りをした。それは、たくみな偽造だった。磐音は商家に押し入り、一家皆殺しにする一味の探索に協力し、悪党を一網打尽にした。磐音の許婚の奈緒は、白鶴の名で吉原に入る。その行列の護衛に加わった磐音は、尾張から追ってきた強盗団が奈緒を傷つけようとするのを間一髪で防いだ。そのとき、敵の刃に身をゆだねようとしていた奈緒は、瞬時、傍らを駆け抜けた磐音の姿をまぶたに焼きつける。深川の六間長屋に、お兼という水茶屋の奉公人が入居した。古くから住む女たちは、若いお兼の色香に男どもが鼻の下をのばすのが気に喰わない。案の定、お兼の住まいにたちの悪い男どもが押し寄せ、夜半にどんちゃん騒ぎを起こす。長屋の連中の抗議など受け付けようとしなかった。磐音は、男どもを叩きのめすが、お兼は「男どもが勝手に押し入ってきたので、追い出してくれて清々した」と強気を崩さなかった。父、正睦の手紙で江戸家老に就任した福坂利高は、奈緒がもともとは関前藩の藩士の娘だったことを知り激怒する。吉原に行って、自殺を迫ろうと画策した。それを知った磐音は白装束に着替え、家老の行列を襲い、奈緒への接見を阻止した。(2012.2.11) 双葉文庫 20035 648


雪華ノ里
居眠り磐音4

1773(安永2)7月。九州の日田に磐音はいた。物語はこの年の大晦日へと語り継がれる。日田から長崎を目指していた磐音は、小浜藩の中川淳庵と出会う。蘭医の淳庵は、医学書の翻訳のために、長崎へ向かっていた。許婚の小林奈緒。磐音は、奈緒の兄を藩命で切り倒した。その責務の重さと悲しみから、磐音は奈緒に顔向けができずに、古里を離れたのだ。しかし、その後、小林の家は取り潰しとなり、父親を助けるために、奈緒は自ら身を売ってしまったのだ。そのことを知った磐音は、売られてしまった奈緒を追いかけて長崎へ向かっていた。女朗となった奈緒を買い戻す算段はない。しかし、自分が奈緒を助けなければ、だれが奈緒を救えるのか。その一念で、磐音は長崎へ向かっていたのだ。長崎では、奈緒がすでに高額で小倉へ売られていたことが判明する。小倉では、奈緒は一足違いで京都へ向かっていた。京都では、途中で同僚と別れ加賀へ奈緒が向かっていたことを知る。たどり着いた加賀で、奈緒が江戸へ向かったことを知る。奈緒を求めて、九州から旅を続けた磐音は、予定よりも大幅に遅れて、長屋暮らしをしていた深川に戻った。奈緒が吉原に入ると予想した磐音は、南町奉行所の笹塚の力を借りて、奈緒の情報を入手しようとした。旅を続けながら磐音は、少しずつ自分が何をしようとしているのかをつかんでいく。「奈緒どのがこの吉原で生き抜こうというのなら、それも宿命にございます。それがしは、里の外からその身をそっと案じて見守ります。ですが、奈緒どのが吉原からいつの日か抜け出たいと申すのなら、それがし、なんとしてもその金子を作りたいと思うております」。吉原の会所で当代の四郎兵衛に思いを語った。(2012.1.31) 双葉文庫 20032 648


花芒ノ海
居眠り磐音3

1773(安永2)年初夏。磐音は鉄砲洲河岸の料亭「深山亭」で豊後関前藩江戸屋敷御直目付の中居半蔵と会っていた。中居は磐音よりも10歳年上の39才。江戸次席家老に宍戸有朝が着任した祝いの席に中居が同席したことを磐音は知っていた。宍戸派は国許でも藩政を牛耳り、いままた江戸でも同じことを繰り返そうとしていた。その祝いの席に中居がいたので、磐音は中居が宍戸派に取り込まれたのではないかと疑っていた。しかし中居は「目付けの役目……糞にたかる蠅の集まりにも如才なく顔を出す」と斬り捨てた。中居の忠義が藩主福坂実高のみと知った磐音は、中居を疑ったことをわびる。磐音は、仲間の上野伊織が宍戸派によって拷問され殺されたことを告げる。それは宍戸派がこっそり材木を買い集め、その材木が江戸の大火で灰燼になり、借金と利息だけ残った事件を調べていたからだった。おりしも藩主福坂実高は参勤の途上にあった。その実高から早足の仁助が磐音に国許で父の坂崎正睦が国家老の宍戸文六に蟄居閉門を命ぜられていたことを教えた。宍戸派は、隠された借金の責任を坂崎正睦ひとりに押しつけて処断しようとしていたのだ。磐音はひそかに藩主と会い、国許の宍戸派たちの企てを告げる。福坂正高は磐音に上意状をしたため、豊後関前で不正をただすように命じた。先に豊後に戻っていた中居とともに、宍戸文六らの不正を暴き、父親が処断される直前に、上意状を示すことに成功した。その過程で、磐音は許婚の奈緒が宍戸らによって女朗として売られてしまったことを知る。眠りの剣が怒りの剣に変わり、不正をただした後に、奈緒を助け出すことを決意した。(2012.1.22) 双葉文庫 200210 648


寒雷ノ坂
居眠り磐音2

1772(明和9)年は1116日に安永元年に改元された。目黒行人坂の大火や凶作を振り払う願いがあった。深川六間堀町の金兵衛長家に住む坂崎磐音は腹を空かしていた。いつもの品川柳太郎が仕事をもってきた。内藤新宿で用心棒を捜しているという。そこで磐音は、南町奉行所年番方与力の笹塚孫一と関わり合いをもつ。新宿ではたいした仕事にありつけなかったが、笹塚に借りを作ることができた。長屋の主の娘、おこんは何かにつけて磐音の世話をしてくれた。そこで磐音は豊後関前藩に暇乞いをして江戸に出てきた理由を話した。国元で磐音の帰りを待つ奈緒のことを、おこんは涙ながらに同情し「今も坂崎さんに助けを求めているのよ」とののしる。それは、何者かが磐音の長屋を襲ったからだった。両国広小路で矢場が結改(けっかい)という賭矢によって荒らされていた。今度はその用心棒を任された。そこで、磐音は矢返しの女、おきねと出会う。おきねは矢返しをしながら、自分の腕も磨いていた。しかし、矢場荒らしとの勝負に負けて、お店に大損をさせてしまった。安永元年の大晦日のことだった。それを磐音が両替屋の今津屋に頭を下げて借りた50両で取り返した。正月七日、そのおきねが殺された。矢場荒らしたちが腹いせにおきねを殺したのだ。磐音は笹塚に相談して、矢場荒らしたちの居場所を突き止め復讐をする。金兵衛長家に上野伊織が訪ねてきた。彼は磐音が江戸にいたとき、同じ藩でともに改革のための学習をした友だちだった。その伊織から、磐音たちの関前藩での出来事について、真実を告げられた。それは磐音の想像を遙かにこえた黒い陰謀だった。借金で首の回らない藩の財政を立て直そうとする磐音たちの動きを快く思わない重役たちが、張り巡らせた陰謀に巻き込まれたのだ。その証拠をつかむべく伊織は、守旧派の宍戸たちの宴席の日に文庫で捜索をした。それを何者かに見つけられ、拷問の末殺された。伊織の日誌を入手した磐音は、かつて藩邸でともに改革のための学習をした御手廻組の入来為八郎が敵方のスパイだったことを見抜いた。御番組小頭の三田村平と黒河内乾山のふたりと謀って伊織を殺したのだ。磐音は、駿河台富士見坂で入来と黒河内を討つ。それは豊後関前藩宍戸派との長くて孤独な戦いの始まりだった。(2012.1.11) 双葉文庫 20027 648


陽炎ノ辻
居眠り磐音1

1772年(明和9年)4月下旬、豊後関前城下に江戸から戻った3人の若者武士。河出慎之輔、小林琴平、そして坂崎磐音。3人は江戸での修行や仕事を終えて、藩に帰った。その夜に、悲劇が起こった。河出が妻の舞を斬り殺したのだ。舞は小林の妹だった。惨事を聞いた小林は舞の亡骸を引き受けに行く。殺した理由を問うた。「舞は不貞をはたらいていた」。河出は自宅に戻る前に、叔父の倉持に引き止められた。そこで飲み屋に誘われ、妻の不貞を明かされたのだ。酔った河出は、帰宅するや問答無用で舞を斬り捨てた。事情を知った小林は、舞に限ってそのようなことをするわけがないと反論し、倉持と河出を返り討ちにする。そのまま河出の家に立てこもった小林は、藩からの追っ手に傷を負わせる。現場に急行した磐音は、せめて自らの手でと、小林を討ち取る。何もなければ、磐音は小林の妹の奈緒と祝言を挙げることになっていた。しかし、刃傷沙汰により、河出と小林の家は取り壊しになった。家族はそのまま屋敷を追われた。磐音は、藩から離れ江戸に戻った。江戸深川六間堀町。現在の江東区常磐町一丁目あたり。長屋に間借りした磐音の住処がそこにあった。こころに傷を負い、古里を離れ、許婚を残した。大家の金兵衛、鰻捕りの幸吉など人情味あふれるひとたちが、磐音のこころを癒していく。陽炎の辻は、磐音シリーズの序章にあたり、登場人物の紹介的な意味合いがある。しかし、両替商という金銭にからむ善悪のぶつかりあいが横軸に描かれ、物語に緊張の糸を張る。田沼意次の時代。江戸中期の人情話が、いよいよ始まった。(2011.12.26) 双葉文庫 20024 648


アクセスカウンター