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佐伯泰英 yasuhide saeki |
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飛躍 伊那衆異聞23 |
横浜の東方交易支店が何者かに襲われた。藤之助が父と慕う黄大人ら、東方交易の仲間が惨殺された。藤之助は玲奈らを交易のために南方へ送り、自らはイギリスの東インド会社の雇用船として横浜に入った。はじめは攘夷派による反抗と思われたが、目撃者の証言で、老中の阿部が企てたことだったことがわかった。黄大人の仇を討とうとするが、それでは自分も攘夷派の殺人者と同じになってしまうと思った藤之助は、老中の阿部にかけあい、このたびの不始末の責任者と実行者を洗い出す。柴又の地で遺恨を果たした藤之助は、混迷が予想される江戸や横浜を離れて、南方を目指す。藤之助の目には、太平洋をまたにかけた新しい貿易の未来が見えていた。 (2015.9.29) 講談社 2015年9月 630円 |
血脈 伊那衆異聞22 |
南方からの荷を積んだ東方交易の商船は上海で長崎への荷物を積み替えた。藤之助は黒蛇頭の老陳から呼び出される。そこには老いて死を待つ老人がいた。かつて日本の女性に産ませたこども、そのこどものさらにこども。老陳には孫にあたる女子を長崎で見つけてほしいという頼みだった。藤之助は老陳の頼みを受け、長崎で綾女と小太郎の双子を身請けする。それを玲奈の実家に預けて、言葉と礼儀作法の修行をさせる。長崎への航海の途中で台風に遭った商船は互いに傷つきながらも長崎へたどり着く。そこで荷物を入れ替えた商船は横浜へ向かう。しかし、幕府は東方交易に対して、商船と荷物の接収を申し渡そうとしていた。そこで三崎港でいったん小舟に荷物を移し替える作業が必要になった。空になったレイナ一世号とともに藤之助は横浜港に入る。そしてイギリスとアメリカの駆け引きのなかに東方交易が使われようとしている事実を知る。 (2015.6.8) 講談社 2015年3月 630円 |
暗殺 伊那衆異聞21 |
万延元年1860年3月3日。江戸城桜田門は登城のかごが雪で往生していた。そのなかに大老井伊直弼のかごがあった。一発の銃声が、大老襲撃の合図になった。たまたまその場に居合わせた東方交易の光忠は、大老暗殺の瞬間を目撃した。その一報を文にしたためて上海行きの便に託し、藤之助らへ江戸の急変を知らせた。インドまで交易のルートを延ばした藤之助らはセイロン島のゴールに投錨し、拠点建設のための下ならしをした。藤之助は玲奈の父であるドン・ミゲルと会うことができた。バタビアやマラッカを荷物を積んで運んだレイナ一世号とストリーム号は、途中で海賊に出会うがそれを一掃する。しかし東インド会社では出没する海賊に商船が攻撃され、反撃の機会を狙っていた。そのことを知った藤之助は東インド会社とともにストリーム号で海賊退治の手伝いをすることにした。 (2015.5.27) 講談社 2014年9月 630円 |
開港 伊那衆異聞20 |
長崎で藤之助と玲奈は祝言を挙げた。祖父と母親に祝われての祝言だった。東方交易の荷物オを乗せて、レイナ一世号とストリーム号は横浜港へ入る。東方交易の支店を作る仕事が待っていた。幕府から借りたヘダ号を操練所へ返却し、藤之助は反対に日本の荷物を積んでふたたび上海をはじめとするアジアへの航海を頭に描いていた。 (2015.5.12) 講談社 2014年3月 620円 |
茶葉 伊那衆異聞19 |
上海で藤之助と玲奈が再会した。それは長崎会所が出資した東方交易の商船が南の港で多くの貿易を成功させた証明でもあった。ヘダ号の乗員と、レイナ一世号の乗員が顔を合わせて、高度な操船技術を教えあった。多くの積荷を上海からさらに積んで、船は一路、長崎へと向かった。長江で高級な茶葉を入手した藤之助は、それらも積荷のなかに含めていた。そして、日本の緑茶も逆に上海やイギリスのひとたちに好まれるのではないかと考えていた。 (2015.4.21) 講談社 2013年9月 620円 |
再会 伊那衆異聞18 |
長崎から上海に渡った藤之助は正式に東方交易の商船隊長になった。これによって幕臣としての身分を捨てた。同じ頃、江戸では井伊直弼が家来の佐々に藤之助を上海から江戸に連れ戻し、幕府の窮地を救う手助けをするように命じていた。佐々はかつて藤之助とともに上海に渡った幕府軍艦操練所の佐々木万之助らによってヘダ号で上海に渡る。藤之助は黒蛇頭の手下だった劉源とともに河をさかのぼり大陸の内部を知ろうとしていた。そこに老陳の手下の呉が追手を差し向け、劉源の妹夫婦を人質にして藤之助をおびき出した。藤之助は人質の救出に向かうが劉源の妹夫婦は無残にも殺されてしまう。老陳は自分の部下の呉が謀反を企て、勝手にヘダ号を奪い佐々らと交渉をしていることを知る。藤之助はふたたび呉らと戦い、ヘダ号を救出するがその折に毒矢を首に討たれ誘拐されてしまう。何ヶ月も呉らの監視下に置かれた藤之助は村人らの助けによって密かに鉄の檻を抜け出し反撃の機会をうかがっていた。劉源は老陳と会い、ともに藤之助を救出することで考えをともにする。万之助らを加えた救出作戦によって藤之助は呉のもとからふたたび万之助らのもとに戻ることができた。同じとき、マラッカの玲奈は父の消息を尋ねていた。 (2015.4.4) 講談社 2013年4月 619円 |
散斬 伊那衆異聞17 |
江戸幕府からの追っ手を避けるために長崎から上海に渡った藤之助は、玲奈たちとの再会までに時間がかかることを悟っていた。そのため、中国の地を知ろうと、長子河をさらにさかのぼって唐人の暮らしを学ぼうとした。そのときに東方交易で船頭をしていた劉源と出会う。劉源はかつて黒蛇頭の幹部として、暗躍していた。怪我がもとで殺されかけたときに長崎に逃れ、長崎会所の世話になった。劉源は藤之助の旅の船頭を務めた。その船中でふたりは主従の契りを交わす。南方貿易をしている玲奈と黄大人たちは、玲奈の父親であるソト医師の消息を探っていた。その情報網に、マラッカでソト医師が住民の診療にあたっているというものがあった。玲奈はいったん黄大人と別れて船をマラッカへ回漕することにした。江戸では、大老の井伊が藤之助の人力を知り、なんとしても手元で力を発揮してもらおうと画策していた。そのために、用人を上海に派遣して、藤之助を連れ戻そうとした。 (2015.3.31) 講談社 2012年9月 619円 |
断絶 伊那衆異聞16 |
幕府からの呼び出しで急遽江戸に戻った藤之助は、すでに座光寺家が断絶になり、当主の自分の切腹の沙汰が出ていたことを知る。そこで伊那谷へ向かった江戸屋敷の座光寺一族を追って中山道をひた走る。そこに大老の井伊の側衆からの刺客が襲いかかる。それらを退けながら、山吹陣屋にたどり着いた藤之助は、一族に幕臣の任を解かれたことを告げる。この後は、山吹の座光寺家当主として、混沌とした時代をどのように生き抜いていくかを語る。世界の列強は目の前まで迫っている。なのに幕府はそれをまともに見ようともしていない。列強に侵略された清のように日本がなることを危惧した藤之助は、交易によって世界と肩を並べる必要性を説いていく。そんな陣屋へ将軍の使いが沙汰を届けに来る情報が入り、藤之助は18人の者を選抜して慌ただしく長崎へと向かう。多くの若者を長崎会所に預け、操船や軍事技術の習得に当てさせた。陣屋からついてきたおきみは和菓子屋に奉公に入れて、やがては玲奈の身の周りの世話をさせることを願った。そんな長崎にも将軍の使いが来る情報が入り、今度は急ぎ上海へとこぎ出していく。 (2015.3.18) 講談社 2012年4月 619円 |
混沌 伊那衆異聞15 |
ヘダ号を幕府に返納した藤之助は長崎会所が買い求めたレイナ一世号とともに上海へ向かっていた。大型の商業船団の団長(コマンダンテ)としての仕事が待っていた。上海で日本との貿易を司る東方交易への品物を届ける旅だった。その船上で藤之助は、多くの船員を鍛えていく。しかし、船団を形成するには人数が足りないことを感じていた。上海で急ぎ追加の船員を募集することにした。上海に到着して、イギリスのマディソン商会への届け物を渡したとたん、洋鬼という唐人マフィアにそれらが盗まれた。すでに正式に荷物を渡していた藤之助に責任はなかったが、藤之助は東方交易の立場が悪くなることを恐れて宝の奪還へと突入していく。その過程で藤之助は後に自分の軍師として迎える篠原と出会う。無事に宝を奪還した藤之助のもとに、江戸の座光寺家から急な手紙が届く。将軍から急ぎ拝謁の求めが来ているという。このままそれを無視すると座光寺家が断絶になるかもしれない。貿易の途中で船団を投げ出して江戸に戻っていいものかを悩む藤之助に玲奈と黄大人が相談に乗る。その結果、船団のことは二人に任せて、藤之助は急ぎ江戸に戻ることになった。 (2015.3.4) 講談社 2011年9月 619円 |
朝廷 伊那衆異聞14 |
ヘダ号で京都に到着した藤之助は、すぐに老中の堀田の元に走った。日米通商条約の取り付けに奔走する堀田は、勅許を得るために上洛していた。いくつかの工作が効をなして、ようやく勅許が得られる寸前に、岩倉ら公家の抵抗にあう。堀田の警護役として二条城と屋敷の往復では、勤王を名乗る武士団との戦いも行う。戦いのなかで堀田の家臣が数名落命する。ヘダ号は亡くなった家臣らを乗せて、堀田の居城がある佐倉へと向かった。その帰りに江戸幕府で堀田の対抗勢力らが、船乗りたちをヘダ号から下ろし、川船奉行の傘下に入るように命令を出した。治平ら、藤之助と外海を旅してきた面々は、幕府奉公を辞して、徒歩上洛し、藤之助の家来になることを願った。長崎から京都に入った玲奈は、藤之助に長崎会所が入手した大型帆船の隊長になるよう依頼する。堀田は勅許が得られないままに江戸に戻り、すぐに老中職を辞し、佐倉へ戻った。幕府では彦根藩藩主井伊直弼が大老として開明派弾圧を始めようとしていた。 (2015.2.19) 講談社 2011年4月 619円 |
交易 伊那衆異聞13 |
藤之助はヘダ号を外海試験演習と称して、長崎会所の命を受けて香港へ航海させた。そのとき横浜から海鼠を大量に運び、商船としての役目を果たした。諸外国から開国を迫られていた幕府が生き残っていく将来を模索する藤之助にとって、交易によって外国との遅れを取り戻すことは、一つの選択肢だった。また海路、香港まで船を操ることにより、操船の技術を高めることにも成功した。香港から上海に立ち寄り、そこで会所の命を受けた武器を積み込み、ヘダ号は長崎に戻った。江戸ではアメリカとの通商条約の締結までに藤之助に戻るように命じた陣内が苦虫をかみつぶして、藤之助の戻りを待っていた。 (2015.1.29) 講談社 2010年10月 619円 |
謁見 伊那衆異聞12 |
ヘダ号は長崎湾に到達していた。老中堀田の家臣である陣内の命によって、藤之助たちは長崎でオランダから到着した新たな海軍軍人たちと会議をした。新たに長崎奉行に着任した水野は、堀田の信頼厚い人物だったが藤之助の活動を快く思ってはいなかった。玲奈とともに、藤之助は奉行所が雇ったと思われる暗殺者たちと戦い、勝利を収めて江戸へ向かう。途中、下田に立ち寄り、アメリカの全権大使ハリスの護衛として、江戸までの道中を警護することになった。長崎で仕立てた馬車を使い、藤之助は座光寺家の家臣たちとハリスを援護しながら水戸派による攻撃をかわした。無事に江戸入りを果たしたハリスは将軍に謁見した。横浜で唐人の魯と再開した藤之助は、玲奈を連れて、江戸の座光寺屋敷へ入る。藤之助は義母に玲奈を紹介する。 (2015.1.10) 講談社 2010年4月 619円 |
海戦 伊那衆異聞11 |
江戸に戻った藤之助は老中堀田の家臣である陣内の命により、幕府の講武所剣術指南になった。しかし、実際は老中堀田お抱えの軍事顧問のような役目だった。久しぶりに北辰一刀流千葉道場へ稽古に行った藤之助は、次男でもっとも剣の筋がいいと言われた栄次郎を陣内が幕府に願い出て軍事演習航海へ赴く「ヘダ号」への乗船を誘った。これからの日本をどうやって築いていくかを考えるのに、剣術だけではどうにもならないことを栄次郎に伝えたかったのだ。ヘダ号は藤之助の長崎時代の知り合いである治平が船頭を務め、水夫たちも藤之助の顔見知りが多かった。伊豆大島から神津島など、南の海を使っての演習が何日も繰り返された。訓練生たちは船酔いに苦しみながらも、帆の張り方やたたみ方、大砲の撃ち方や構造などを学んでいった。江戸に戻る途中、大島近海で老陳らの舟が長崎会所のクンチ号を襲っている現場に遭遇する。演習の仕上げとして、実践の砲撃によって、ヘダ号は勝利を収めた。 (2015.1.3) 講談社 2009年9月 619円 |
難航 伊那衆異聞10 |
江戸から山吹陣屋に入った藤之助は腿に負った矢傷を治し、家臣団に異国の情報と隣国清が陥っている危機について話した。幕府の鎖国政策により、軍事技術に大きく差を開けられていることを多くの家臣たちは知らなかった。この後、幕府が倒れるときが訪れるという藤之助の言葉に驚くばかりだった。そんな時代に剣術の必要性とは何であるかも、藤之助は考えていた。家臣団とともに赤石連山に登り、伊那の地に武術を奉納した。幕府では城中の襟詰間と呼ばれる場所に老中たちが集まっていた。水戸家と井伊家は鎖国政策の存続を望んでいて、これに対する堀田らと対立していた。外国人との条約交渉を疎外しようと水戸家や井伊家の意をくんだ雇われ剣術家が、次々と藤之助に向かってきた。 (2014.12.15) 講談社 2009年4月 619円 |
御暇 伊那衆異聞09 |
いよいよ藤之助が江戸に戻る日が近づいていた。密輸商の老陳は、貿易商の黄大人と手を組んで列強が進出した後の日本で大もうけをしようと企んでいた。藤之助は、黄大人に自分が長崎を離れる前に、老陳の妾になっていたおらんを始末することができれば、老陳と手を組まないように願う。そのために老陳から黄大人におらんが安政の大地震のときに吉原から盗み出した840両をそっくり手付金として支払い、もしおらんが放つ刺客に自分が倒された後は、手を組むことを認める約定をした。老陳は黄大人に840両を送り、次々と藤之助に刺客を送り込んだ。これを次々と倒した藤之助は、最後におらんの始末に成功する。長崎を離れる前に、玲奈は母の元に藤之助を招き、キリスト教式の結婚式を挙げた。江戸に戻った藤之助は、座光寺家棟梁として、幕府の倒壊を家臣らに内密に聞かせていた。その前に伊那谷の陣屋に戻り、所領の様子を確かめるために、幕府に御暇願いを出した。道中、長崎で倒した宗門改めの大久保の身内に命を狙われ、腿に矢傷を負ってしまう。 (2014.12.7) 講談社 2008年11月 619円 |
黙契 伊那衆異聞08 |
上海とニンポーで長崎会所の命を実行した藤之助と玲奈は、ひそかに長崎の町に戻っていた。海軍伝習所の面々は、やっと教授の蟄居の刻限が迫るということで大喜びをしていた。そんなとき老陳の一味が薩摩藩と武器の密貿易のために長崎に入ってきた。上海で煮え湯を飲まされた貿易商は、藤之助を暗殺するべく、刺客を長崎から国内へ差し向ける。 (2014.11.23) 講談社 2008年11月 619円 |
上海 伊那衆異聞07 |
藤之助は玲奈に誘われて五島列島まで赴いた。そこで外国船の乗組員の生活ぶりや調練の様子を知った。なぜ玲奈が自分を遠方まで誘ったかはわからなかったが、そのことを問う藤之助ではなかった。しかし、海軍伝習所を無断で休んだために、宗門改めの大久保らに捕縛され拷問を受けることになった。ちょうど長崎奉行が不在のタイミングを狙って大久保が強行していたのだ。藤之助が拷問を受けていることを知り、ただちにこれを中止させた奉行らは、長崎の古刹に2ヶ月の蟄居を命じた。そこで傷の療養をするはずだった藤之助は、発熱し意識を失った。目覚めたとき、近くに玲奈がいて、ふたりは東シナ海を渡るオランダ船の客になっていた。玲奈は、幕府と長崎会所の命を受けて、上海まで人探しに出かけていた。それを藤之助とともに行うための策だったのだが、大久保らの拷問までは予想していなかった。ふたりは上海で、幕府と会所から送られたふたりの日本人の行方を追うことになっていた。しかし、ふたりが上海で開所した東方公司という会社で見たものは生々しい殺戮の現場だった。ふたりが仲たがいをしてどちらかが生き残り、どちらかが殺されたようだった。異国である上海で、ふたりの冒険行が始まった。 (2014.11.11) 講談社 2008年4月 619円 |
攘夷 伊那衆異聞06 |
江戸からきりしたん取締りの目付けが長崎に着任した。高島玲奈ら隠れきりしたんは、新しい目付けらの探索をかわそうとするが、きりしたんの中に紛れていた密偵によって、一部の集落が危機に陥る。同じ幕臣として、何をなすべきか迷う藤之助は、玲奈を助け、拷問や無謀な取り締まりに抵抗を示す。オランダ以外のアメリカやロシアが開国を迫るなか、水戸藩や長州藩のなかには天皇を守り、外国人を追い払う尊皇攘夷思想が広がっていく。長崎のように歴史的に外国人や外国文化との接点が強い土地にも、狂信的な攘夷の輩が流入し、藤之助ら外国の技術を習得しようとするものたちに刃を向ける。 (2014.11.1) 講談社 2007年11月 619円 |
阿片 伊那衆異聞05 |
長崎の町に多量の阿片が流入しようとしていた。会所はどこから阿片が流入してくるのかを探索していた。その結果、中国人の老陳一味が密かに持ち込んでいる現場を押さえた。奉行所の押切船は、老陳らの大型大砲に木っ端微塵にやり込められる。大量の阿片が長崎の町から外へと出ないように奔走する太郎次を手伝い、藤之助は隠し場所へと迫っていく。高島家の別邸へ導かれた藤之助は玲奈から大型銃を渡される。これを使って阿片を運ぶ船を攻撃しようと計画した。その別邸で、ふたりは肌と肌を合わせて結ばれた。海軍伝習所の訓練中に手首から先を無くした能勢は、藤之助と高島家の庇護を受けて、唐人船に乗り込んで、はるか異国の地へと旅立っていく。イギリス軍艦やアメリカ軍艦が、ひんぱんに長崎湾に入り込み、時代は大きく変わろうとしていた。 (2014.10.16) 講談社 2007年4月 619円 |
邪宗 伊那衆異聞04 |
長崎で伝習所の剣術指南を始めた藤之助。高島家の娘、玲奈との親交を深めていく。そんなとき、江戸丸が長崎湊に入り、江戸からの便りをもたらした。また幕府からきりしたん捕縛の宮内も同乗していた。宮内は藤之助が玲奈とつながりを持ち、きりしたんの集まりに関心を寄せていると睨む。そんなとき佐賀藩から死に狂いの集団が藤之助暗殺のために長崎に集結した。宮内は集団を導き、夜蔭に乗じて藤之助を襲わせた。矢で足に傷を負いながらも、藤之助は敵を10人以上も倒し、成敗した。その後、体調の回復を玲奈の屋敷ですることになり、ふたりの関係やいよいよ強いものになっていく。そんなとき玲奈から相談事を聞かされた。きりしたんのひとりが宮内に捕まり、拷問の末に善か盆の集まりを白状させられたという。藤之助はまだ傷が癒えてはいなかったが、船頭らに頼み、善か盆の場所に急行する。そこでは宮内が玲奈の母親に銃口を向け、きりしたんの十字架を打ち砕いていた。 (2014.10.6) 講談社 2006年11月 619円 |
風雲 伊那衆異聞03 |
江戸の末期になっていた。ロシアやイギリス、アメリカの軍船がそれぞれに日本近海に現れ、武力を誇示して幕府に開港を迫っていた。同時に通商条約も迫っていた。来るべく外国との戦いを前に、幕府は各地に伝習所を建設した。長崎には蒸気船を操作する伝習所を建設した。座光寺藤之助は、お城に呼ばれた。老中首座から、じきじきに御用を命じられる。長崎に行って伝習所の剣術指南を勤めよというものだった。幕臣たるもの、命に従うのみと考える藤之助は、即応して、船旅にて、長崎に向かった。当地では海軍伝習所が開校し、第一期伝習生候補たちが懸命に勉学と武術に励んでいた。そのさなかに投げ込まれた藤之助は、剣術指南をしながら、長崎の町から伝わる異国の大きさと強さを体感していく。武人ではなく町人が治める長崎の町で、異人の血が混ざった令嬢、玲奈に出会った。 (2014.9.27) 講談社 2006年5月 619円 |
雷鳴 伊那衆異聞02 |
安政の大地震で、主家の座光寺左京為清を殺した藤之助は、家老たちの画策により、下士からいきなり主に生まれ変わった。将軍へのお目見えを済ませて、正真正銘の座光寺当代になった。しかし左京を殺された実家の高家品川家から次々と刺客が放たれた。それらを次々と倒しながらも、藤之助は何とか戦いを終わらせることができないかと思案していた。そのためには左京とともに逃げた吉原の花魁、瀬紫を捕縛することが必要だと判断した。瀬紫を追って、神奈川、横浜と探索した藤之助は、ついに伊豆の戸田湊にたどりつく。そこで唐船に乗り込み、副頭の女房になっていた瀬紫ことおえんを追い詰めた。 (2014.9.23) 講談社 2005年12月 619円 |
変化 伊那衆異聞01 |
交替寄合衆の伊那座光寺家。家臣の本宮藤之助が伊那から江戸に走っていた。家老の命により、大地震のあった江戸の屋敷、そして座光寺家の様子を探索することが目的だった。1855年(安政3年)陰暦10月の安政の大地震は、地震の後の火事が惨事を呼び、多くの死傷者を出していた。座光寺家に二昼夜走り通して到着した藤之助は悲惨な江戸の状況に言葉を亡くしていた。さらに、江戸家老の引田から「主の左京が吉原に出かけたまま戻らない」と教えられた。藤之助は、吉原に行き、主の左京を捜していく。しかし、多くの死骸の山が重ねられ、左京の姿を見つけることはできなかった。そんな探索の最中、吉原会所の左右次親分によって、吉原の仕組みを教えられた藤之助は、吉原の遺体の片付けに率先して取り組んだ。すると焼け出された禿が左京とお職の瀬紫が火事のどさくさのなか、ふたりで逃げたのを見たという証言を得る。なぜ左京は地震の後で吉原から逃げて、屋敷に戻らないのか。座頭寺家の事情がわからない藤之助に、何者かが刃を向け始めた。天竜川の流れを道場にした藤之助の信濃一傳流が冴え渡る。 (2014.9.16) 講談社 2005年7月 619円 |