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和田 竜
wada ryo

のぼうの城(上下)
戦国時代末期。織田信長が本能寺で明智光秀に討たれた。豊臣秀吉は、信長に忠誠を尽くしながら、明智を破り、その後の天下統一へと権力を手中にしていく。その最後の仕上げが関東を支配していた小田原北条氏の討伐だった。秀吉の家臣、石田三成は戦で武功を立てることを願いながら、実際には秀吉から事務方の仕事ばかりを与えられていた。その不満を感じた秀吉は、北条市に与する関東の支城を同時に攻め落とすなかに三成を加えた。いまの埼玉県行田市あたりに城を構えていた成田氏は、藤原鎌足の時代からの古い豪族だった。上杉や北条に攻められ続けた歴史の中で、強いものに与するという伝統を守り、これまで大きな戦で、たびたび敵に内通していた。秀吉が小田原に軍勢を進めた今回も、北条氏配下の成田氏としては秀吉を相手に戦わねばならなかったが、城主はひそかに北条を裏切るつもりでおだわらに偽の軍勢を進めていた。そのとき、成田の忍城に残ったのは、領民からも家臣からも「のぼう様」と呼ばれる無能の成田長親(ながちか)だった。血気盛んな家臣たち、和泉、丹波、酒巻などが石田三成の軍勢と戦わずして、城を明け渡すことに反対していた。そんなときのぼう様は「敵も味方も戦わなくて済む方法はないものか」と語り、家臣を嘆かせた。三成の軍勢が城を囲み、使いが和戦いずれを選択するかと問い詰めに来た。あまりにも礼儀を逸した使いの態度に、のぼう様は「やっぱ戦う」と戦を宣言してしまう。呆気に取られる家臣たち、しかし領民たちは「のぼう様じゃ頼りにならねぇから、おらたちが何とかせにゃならん」と城に集結し、大軍との決戦に臨んだ。三成は二度の戦いを挑むが、いずれも少数ののぼう軍団に負けてしまう。三度目は大軍の強みを発揮する正攻法で勝負を決しようとしたところ、秀吉からの使者が戦いの間に割って入った。「小田原城、落城。これ以上の戦は必要なし」。多くの支城が秀吉の家臣たちによって落城したなか、忍城だけは落城しなかった。(2013.4.13) 小学館 2010年10月 457円(上下とも)