関連するリンクページ

書籍紹介トップページ
サイトのトップページ

ほぼ毎日更新の雑感「ウエイ」
作家別目次ページ

 

上田秀人
hideto ueda

百万石の留守居役

要訣17

住職に面会を求めた小普請旗本瀬能仁左衛門が一礼した。「十年ぶりでございますかの」微笑みを浮かべながらも住職が痛烈な皮肉を浴びせた。墓参りには来てもお布施や法要の金は払っていない。「で、本日は何か」「じつは本堂をお借りしたく」法要となれば僧侶の出番がある。当然、お布施が見込める。「加賀へ移っておりました分家が江戸へ出てきておりますので、これを機に一族の顔合わせを行いたく」。とってつけたような法要に住職が嘆息した。あらかじめ用意していた金子を懐紙に包んで仁左衛門が渡した。「これは奇特なこと」住職が合唱した。いきなり訪ねて3日後の昼過ぎから場所を借りたいと仁左衛門は願った。それでは夕べのお勤めにかかってしまうと困り顔の住職。しかし、仁左衛門は無理を押して場所を借りねばならなかった (2024.11.14)光文社20216740

百万石の留守居役

乱麻16

江戸城留守居役詰め所、蘇鉄の間から出てきた紀州藩留守居役沢部修二郎が加賀藩筆頭宿老の本多政長にいきなり言った。「琴姫さまを辰雄の正室にお迎えいたしたく、お願いいたしまする」。瀬能数馬は驚きの声を発した。本多政長は眉をひそめた。沢部はそこに琴と仮祝言をあげた数馬がいることを無視して長政に問うた。「いかがでございましょう。今度は決して離縁などいたしませぬ。それをお誓い申し上げまする」。「参るぞ、数馬」返答もせず、長政が背を向けた。大手門を出るまで長政は無言だった。籠に乗った長政は横に数馬を呼びつけた。「さきほどの愚か者はなんだ」「紀州徳川家の留守居役でございまする」「なぜあやつに逆らわなんだ」「我ら留守居役には長年の習慣で一日でも早く役に就いた者のことを先達として敬い、その指示はなにをおいても従わねばならぬのでございまする」「それはまことのことか」「はい。わたくしはもっとも若く、就任も新しいため、若造として扱われておりまする」「そのしきたりは誰から命じられた」「藩の留守居役の五木どのからでございまする」長政が眼を鋭くした

(2024.11.11)光文社202012680

百万石の留守居役

布石15

数馬と仮祝言をあげた琴は実家で針仕事をしていた。そこに本多の家臣が押し入ってきた。「殿のお指図で、今より禁足を」。本多の殿はいま江戸に出向いている。さらに琴にとっての殿はすでに仮祝言とはいえ夫婦になった数馬のことだった。「何のこと」。家臣は政長の嫡男、主殿に使える者たちだった。まだ正式な家督相続をしていない主殿が琴に禁足を申し付ける、その意味を考えた。家臣は琴に本日本多家からご隠居の申し出を前田家藩主へ出したと伝えた。隠居について何も耳にしていない琴は主殿が当主になったことを認めなかった。そこに主殿が現れた。「この者どもは奥の輿入れについてきた」。主殿の妻は政長の政敵、前田孝貞の娘だった。輿入れに伴って本多家に入った者たちは、当然本多家の情報を孝貞に伝える内通者だった。すでに藩庁へ家督相続の届け出を出したと主殿が伝えた

(2024.11.7)光文社20206680

百万石の留守居役

愚劣14

5代将軍綱吉に呼び出された本田政長は対面を果たした。そこで陪臣から直参への誘いを受けたが断った。徳川の裏を担ってきた本多家の生き残りが幕閣に入れば、綱吉が代替わりしたときに自分も用なしになることを知っているからだ。本多家を滅ぼし、小田原城主へと返り咲きたい老中の大久保加賀守は旗本の横山を使って加賀藩前田家や本田家の内情を探らせた。本多家を無頼たちに襲わせた横山たちを快く思っていない本多家の家臣たちは憤慨した。しかし、政長はここで目立つことをしたら、それを理由にして幕府が難癖をつけてくるので軽率な行動は取らないように釘を刺す。瀬能数馬を江戸の町歩きにつき合わせ政長は前田家と幕府との付き合い方について細かく指南していた。至難の総仕上げとして吉原へ数馬を伴い、総名主の西田屋に面会した

(2024.11.6)光文社201912660

百万石の留守居役

舌戦13

評定所は江戸城辰ノ口を出たところ、道三堀にあった。「加賀藩筆頭宿老、本多政長でござる。御上のお召しにより参上いたしましてございまする」。訪いを告げた。門番を務める小人目付が怪訝な顔をした。「横山大膳が参上すると聞いているが」。「御上からのお召しでは加賀藩江戸屋敷におる者で最も高位な役職をとのことでございましたので、筆頭宿老を承っております私が参上いたしました」。評定所では審議の場を統括する老中大久保加賀守忠朝、大目付坂本右衛門佐重治、寺社奉行酒井大和守忠国、町奉行北条安房守氏平、勘定奉行大岡備前守清重が正面に並び立ち合いを務める目付がその左右に控えていた。大久保が旗本の横山内記長次を呼び出した。本多政長が廊下へ座した。「な、なぜ、お前がここに」。横山長次が場も忘れて立ち上がった。加賀藩の筆頭老中、横山玄位を呼び出して、加賀藩の汚点を曝け出し大久保と横山で加賀藩を乗っ取るつもりだった。そこに国本にいるはずの筆頭宿老が顔を出したのだ(2024.11.3)光文社20196660

百万石の留守居役

分断12

武田信玄の直系を僭称し縄張りを誇っていた武田法玄が死んだ。同時に新武田二十四将も壊滅した。そのため江戸の裏で縄張りの維持を巡って大きな動きがあった。無頼の親分たちが色めきだった。武田たちが押さえていた賭場、遊郭を侵食し始める。その中の一人が法玄の住居だった寺を襲った。配下が霧散した寺は誰もいないと信じ切っていた親分が本堂に足を踏み入れ崩れ落ちた。ついてきた子分が驚く。「出てきやがれ、親分のかたき討ちだ」「入ってこいよ、そっちからな」なかから嘲弄が返ってきた。5人いた配下の者が声の主を殺した者が親分の跡目を継ぐことで同意した。全員が本堂の戸を蹴破って踏み込んだ。槍が突き出され中央の無頼が喉を貫かれた。さらに槍が数度ひらめいた。二人が崩れ落ちた。武田党の生き残り四郎が穂先についた血を払う。新武田二十四将のうち3人を殺した加賀藩への復讐だと上屋敷を襲撃。返り討ちに遭ったのは一ヶ月前だった。数少なくなった武田党。本拠に残っているのは次男の四郎と叔父の典厩だけだった

(2024.11.1)光文社201812680

百万石の留守居役

騒動11

加賀藩本多家は江戸に屋敷を拝領していた。蝶番に油を差すときぐらいしか開かれない大門が叩かれた。「へい、どちらさまで」門番が問うた。「上様である」使者の言葉に門番が唖然とした。すぐに大門が開かれ本多家の者が正座して迎えた。幕府の御使者番清水織部丞と名乗った。用人の弓削次郎右衛門が迎えた。「主に代わりまして承りまする」。主は国元で執政をしている。江戸屋敷にいたことはない。清水織部丞が将軍綱吉の用を伝えた。「本多政長に出府を命じる」。弓削は清水を送った後に軒猿の黒部を呼んだ。密かに清水の話を聞いていた黒部に余計な説明はいらない。「通常の使いならば十日かかるところをそなたなら二日で行ける。ただちに殿へお知らせせよ」と命じた。弓削は屋敷を出て加賀藩前田家上屋敷へと立ち寄った。武田二十四将を名乗る江戸の無頼に襲撃された上屋敷はまだ血の臭いが消えていなかった。数馬の屋敷を訪ね佐奈と面会した。事情を告げ、綱吉の本音を探るように頼んだ。合わせて国元へ伝言があれば預かると伝えた。「お長屋には異変はなしとだけ」頼んだ(2024.10.31)光文社20186660

百万石の留守居役

忖度10

加賀藩江戸屋敷は江戸城の北にあった。北隣りに御三家水戸の中屋敷、東は前田家の分家大聖寺藩、富山藩の屋敷に接し、南には湯島天神や天澤寺麟祥院があった。この上屋敷は人通りが少ない静かなところだった。新武田二十四将の軍師山本伊助が武田太郎を連れて本郷へと来ていた。大名たちから緊張が失われるなか、前田家は武威を見せつけていた。当主が参勤交代でいなくなると家臣たちの風紀は乱れやすくなる。屋敷の周囲を歩きながら山本と太郎は襲撃のために探索を続けた。武田法玄のもう一人の息子、四郎は一人黙々と刀を振っていた。典厩が近づき理由を尋ねた。「どうしても勝ちたい相手ができたのでな」。険しい顔で四郎が応じた。相手は瀬能家の女中だった。二十四将のうち3人を殺した佐奈。その一挙一動を四郎は脳裏に刻んでいた。武田法玄はいよいよ前田家を襲う手はずを決めようとしていた。前田家上屋敷は緊張し続けていた。小沢兵衛を取り押さえに行った目付以下の捕り方が戻って来なかった

(2024.10.24)光文社201712660

百万石の留守居役

因果9

小沢兵衛は妾の家を出た。老中堀田筑前守正俊から裃姿で藩に来るように呼び出しを受けた。午前中の呼び出しだったので吉報だろうと想像した。加賀藩の留守居役だった小沢は藩の公金を私的に流用し、それが露見した途端、家禄も家族も捨てて逃亡した。彼を拾ったのは将軍綱吉の寵臣、堀田筑前守正俊だった。外様大名の大藩、加賀藩の裏側を知る小沢の利用価値を考えてのことだった。加賀藩としては小沢を見つけ次第、上位討ちにするつもりだったが、堀田家の家来になってしまっては手が出せなかった。前田綱紀と堀田筑前守正俊は秘かに会って、これまでのことを水に流す手打ちをした。それにより堀田は小沢の利用価値が消滅したのだ。今回の呼び出しは留守居役から新しい役目への異動だと判断していた。妾宅を出た小沢は自分を見張る気配を感じた。そこには加賀藩目付武藤らがいた。「しまった、売られた」。小沢は一目散に逃げた。近くにある寺に土足のまま駆け込んだ。武田法玄と名乗る僧がいたが、彼は暗殺者を束ねる闇の頭領だった(2024.10.21)光文社20176660

百万石の留守居役

参勤8

「七日後に江戸を出られるよし」金沢城本丸御殿、御用部屋に使い番が知らせに来た。まだ20歳になったばかりの人持ち組頭七家次席、長久連が本多安房守政長を見た。「ご一同、殿のご帰国が近づいた。ついては例の如く、国境まで出迎える者を誰にするか、決めたい」。加賀では七家のうち江戸定府の横山玄位を除いた六家のうち一人が藩境である境宿まで出迎える習慣があった。「本多殿はいかが」。政敵でもある前田孝貞が問うた。娘婿が供をしてくるので会いたくないかと匂わせた。「まだ瀬能とは婚姻を約しただけ。娘婿ではない。大切な殿のお迎えに私情を持ち込むわけには参らぬ」拒んだ。「そういうお主はどうなのだ」反問した。孝貞は「最近、少々、病がちで境宿まで行くのはいささか」こちらも拒んだ。孝貞が若い長に話を振った。「そろそろ貴殿も経験されてはどうだ」。しかし、長は大きく手を振って嫌がった。本多政長が「まだわだかまりをお持ちか」と尋ねた。長家は加賀前田家において格別な家柄だった。その格別さが逆に災いになって今に続いていた(2024.10.14)光文社201612660

百万石の留守居役

貸借7

堀田備中守が留守居役の小沢兵衛の報告に驚いた。前田綱紀との密会の帰りに堀田に連なる者の襲撃を受けた。その貸しを綱紀はすぐに使ってきた。「前田の当主はやはりできる」。その采配を褒めた。前田綱紀に継室を薦めようとする堀田の策を断ってきたのだ。綱吉の寵臣として今後権力を思いのままにしていく堀田の誘いを断ったのだ。幕府との血のつながりを濃くすれば、前田家はやがて徳川の意のままになることを予測し、貸しを帳消しにすることで独立の道を選んだ。今も国本に伝手があると思わせている小沢はなかなか堀田の命令の答えを用意させない。堀田が望む情報を渡したら自分が捨てられることを自覚しているからだ。そのため国本の情報は小出しにしてきた。しかし、すべてを見通している堀田は小沢にいつまでも待たせるなと釘を差した(2024.10.8)光文社20166700

百万石の留守居役

使者6

「遠いな」会津を目指した数馬がため息をついた。同行している家士の石動蔵之介が宥める。江戸から会津へ行くにはいくつかの方法があった。粕壁、小山、喜連川、白河、福良を経る白河街道、粕壁、小山の先、今市、五十里、田島を経る下野街道、小山から氏家、百村、松川を経る松川通り新街道だ。中でも白河街道が最も整備され、距離も短く便利だった。加賀藩留守居役の六郷から会津保科家へ、藩主前田加賀守綱紀の後添えを相談する使者として出されていたのだ。経験の浅い数馬に失態させて前田家に借りを作り、幕府からのお手伝い普請を受けさせようとする外様組留守居役たちの思惑が蠢いていた。その者たちから数馬を遠ざけるために上司の六郷は会津への旅を命令したのだ。「そなたの役割は挨拶だけじゃ」という理由のはっきりしないことを言われて屋敷を出てきた。喜連川近くになった。六郷は喜連川を避けて遠回りをせよと言った。喜連川の領主、喜連川氏は足利尊氏の血を引く武家の名門とのこと。石高は少なくても官位は四位、御所号が許されていた。御所号は退いた将軍が呼ばれる称号なので将軍に準ずる意味があった。そのため領地を通過するときは何らかの音物を届けるなどの礼を尽くす必要が求められたのだ (2024.10.6)光文社201512660

百万石の留守居役

密約5

西の丸で綱吉が襲われた。家綱が亡くなり、まだ次期将軍と決まったばかりである。老中堀田備中守正俊が厳しく箝口令を敷き場内は平穏だった。「草の根を分けてでも襲った者を探し出せ」と綱吉は憤っていた。「ご辛抱を」正俊は諌めた。まだ将軍宣下まで時間のある綱吉が西の丸で襲われたことを公表すれば、幕府の警備の薄さを疑われる。権威の失墜を恐れた正俊は綱吉に自制を求めた。大老酒井雅楽頭忠清は宮家を迎え、自分が操ろうとしていた。それを正俊と綱吉が謀って病床の家綱から次期将軍の言質を取ってしまった。その恨みを果たすために忠清が画策したことは分かっていた。しかし、他にも綱吉を亡き者にしようとする勢力はいた。甲府の綱豊は徳川の血筋だった。にもかかわらず綱吉が世子になったことを認めなかった。自制してくれれば、世子が住む西の丸から将軍が暮らす本丸へ移っても構わないと正俊は許した。西の丸で襲われた綱吉は本丸の警備を心配した。正俊は本丸を警備する御広敷伊賀組頭を呼び出し綱吉に面通しさせた  (2024.10.4)光文社20156660

百万石の留守居役

遺臣4

江戸城本丸を出た4代将軍家綱を納めた霊柩が北刎橋の手前で止まる。たもとで待っていた僧侶5人が棺に近づき読経を始めた。家綱の遺骸は遺言により寛永寺に葬られる。「ご出立」葬儀すべてを取りはからう老中大久保加賀守忠朝が声を張り上げた。寛永寺本坊黒書院上段の間に安置された棺を前に35人の導師、大名、旗本らが着座し、葬儀が始まった。参列者の礼拝は家綱の寵臣だった大老酒井雅楽頭忠清から始まった。許される限り棺に近づき床に頭をすりつけた。「申し訳ございませぬ。お供かないませぬ」。家綱の命で殉死は禁じられていた。「御恩を生涯忘れませぬ。臣雅楽頭謹言奏上」と声を張り上げた。僧正が大声をたしなめた(2024.10.2)光文社201412660

百万石の留守居役

新参3

江戸城留守居溜。加賀藩留守居役六郷大和は目の前に座っている男を見て顔をゆがめた。小沢兵衛。「縁あって、このたび堀田家に仕官いたすことになりましてな」。ぬけぬけと挨拶をする小沢はもと加賀藩留守居役だった。幕府役人の接待などに自在に使える金があるという立場を使って公金を横領しただけでなく、主家の秘密を外に漏らした。藩に捕まる直前に逐電した。その小沢が江戸城蘇鉄の間、通称留守居役溜に堂々といたのだ。逃散者は罪人である。主君からすれば家臣に逃げられるのは恥だった。逐電した者を藩が見逃すはずはなかった。加賀藩藩主前田綱紀は小沢を見逃さなかった。「ひそかに見つけ出せ。いきなり斬りあわず人を集め決して逃がさぬようにして連れて来い」と命令した。見つけたその場で討ち果たすことを命じなかったのは小沢が留守居役だったからだ。大々的に上意討ちを命じればやけになった小沢が藩の秘事を暴露するのではないかと危惧したからだ。奉公構い状も出せなかった。奉公人が不都合を働いた時に出す奉公構い状。何も知らずに他家が雇えば新しいやっかいごとをし出かねない時に出された。これを知りながら他家が雇えば出した側との絶縁、もしくは争闘を覚悟しなければならなかった。前田家は藩主を次期将軍へと大老から望まれ他家といさかいを起こせばそれを理由に藩をつぶされかねない状況だった。小沢はその隙をついて老中の堀田正俊の家臣となったのだ

(2024.9.26)光文社20146660

百万石の留守居役

思惑2

江戸の藩主から呼び出しを受けた前田直作は瀬尾数馬を連れて中山道を急いだ。次期将軍に藩主の綱紀を迎えようとする酒井大老の意図はどこにあるのかを模索しながらの旅だった。地元では藩主を将軍へ差し出すことへの反対派が直作暗殺へと動き出している。信濃追分まで着いた一行。中山道と北国街道の分岐点で多くの旅人が利用していた。本陣一つ、脇本陣二つ、旅籠が六十軒もあった。問屋場に入った数馬は「馬を一匹、贖いたい」と番頭に声をかけた。いきなり高価な馬を買いたいと願う武家に番頭は驚いた。問屋場は人足や馬の手配を行う。「馬を借りていただくのではございませんので」。数馬はあくまでもあまり高価ではなく人を乗せて碓氷峠を越えられる馬を買いたいと願った。しかし番頭を馬は売れないという。理由を聞くと、問屋場の馬が足りなくなり、再び誰に乗られても暴れない馬を育てるには時間がかかるからだという。加賀藩筆頭家老前田政長の家臣、林彦之進が口を開く。「馬を借りて松井田宿で返すのは問題ないか」。それならば大丈夫だと番頭は首肯した。途中で馬が崖から落ちて死んだ場合は代金の半額を受け取るという。道を急ぎ、ここで馬を借りても返すことはできない。そこで先払いをしていきたい。馬を亡くした時の代金として五両を置いていくので、何もなければ後日ここを通った時に返金してくれればいいと伝えた

(2024.9.19)光文社201312660

百万石の留守居役

波乱1

江戸城中奥御座の間を出た医師の半井典薬頭は黒書院溜の間へ向かう。老中や若年寄などの密議に使われる部屋だ。待っていた大老の酒井雅楽頭忠清が、4代将軍家綱の様子を尋ねた。「あまりよろしくはございませぬ」。医師としての本音を教えるように雅楽頭は迫る。「良くて三月、早ければ二月」。その短さに雅楽頭が驚愕した。将軍、御台所、側室は毎朝医師により診察が行われた。御台所はすでに亡くなり、家綱の血筋を絶やさないために側室たちの状況把握は重要だった。世継ぎのいない家綱。このままでは慶安の二の舞いになると雅楽頭が嘆いた。慶安4年の由井正雪らによる反乱が頭をよぎった。3代家光が没した時、あとを継いだ家綱はまだ11歳と若かった。執政の堀田加賀守、阿部対馬守が殉職したので世情は一気に不安定になった。加えて、譜代や外様を問わず大名の取り潰しを推し進めた結果、天下に主家を失った浪人が溢れた。そんな浪人たちの不満を由井正雪が利用した。雅楽頭は唸る。今回は慶安よりもたちが悪い。跡継ぎさえ決まっていないからだった(2024.9.13)光文社700201311

武商繚乱記

3流言

大坂東町奉行松平忠固が新しく増し役になった中山時春に人を出すように頼んできた。秋の大坂は全国から米が集まり、荷運び途中でのいざこざが多かった。もともと人手が足りない町奉行としては猫の手も借りたい気持ちだった。なぜ大きな問題がなかった大坂に幕府がわざわざ中山時春を増し役として派遣したのか。大坂城代も町奉行も疑念を抱いた。(2024.11.12)講談社70020243

武商繚乱記

2悪貨

目付から大坂東町奉行の増し役に任ぜられた中山和泉守時春。彼の下へ配された与力と同心は、和泉守が任を離れたら無役になることが通例だった。数日で出向させられた者のほとんどが心折れてしまった。朝の挨拶を済ませるなり組屋敷へと帰ってしまった。和泉守はそんな様子を怒ることなく黙って観察した。和泉守は山中小鹿だけは使えると判断した。屋敷にこもっていては決してしない日焼けをしっかりしていたのだ。素野瀬は和田山を選んだ。阿藤も同じ。数ヶ月、配下の様子と大坂の状況を確認した和泉守、「さて、そろそろ動くか」腰を上げた(2024.11.9)講談社68020234

武商繚乱記

1戦端

大坂東町奉行所は大坂城京橋口を出たところにあった。暮れ六つ、与力の声で大門は閉じられる。普請方同心の山中小鹿は潜り門を出た。「帰ったところで誰も待っているわけでもなし」。小鹿がため息をつく。同じ同心の竹田右真が背中を叩いた。「女房の浮気、辛抱できなかったのはわかるが、上役の娘やねんぞ、もっとやりようはあったはずや」。小鹿は泣き叫ぶ女房の髷をつかんで実家の筆頭与力の屋敷まで引きずって行き放り出してきた。「重ねて四つに斬り殺すよりはましやろ」。不義密通は重ね胴に真っ二つ、上半身と下半身が四つになるように斬っても無罪となっている。小鹿はその足で新町へ向かった。新町は江戸の吉原よりも早い元和2年に幕府から認められた遊郭だった。東大門をくぐった小鹿は町の雰囲気に怪訝な顔をした。「袖引きがおらん」。向こうから来た商人らしい客を呼び止めた。「なにかあったんか」「淀屋はんですわ」。淀屋が新町を総揚げにしているという。総揚げとは一つの遊郭すべての店を一日買い切ることだ

(2024.11.6)講談社68020227

旗本出世双六

1振り出し

北条志真佑は小普請組に7年在籍していた。無役だ。そのために妹の幸は嫁にも行けず志真佑とともに貧しい暮らしを続けていた。小普請組に有能な人材がいるかどうかを幕府は月に数度、逢対日を設けて調べていた。志真佑も毎回逢対日に出かけて特技や志を訴えてきた。しかし、役目に空きがなければそもそも小普請組から脱することは不可能で、いかに有能でも無役から脱するのは難しかった。そんな時、西の丸書院番で、事件があった。先輩書院番による新任へのいじめが原因で新任が刃傷沙汰を犯したのだ。3人の書院番がその場で絶命、責任者たちは慌てふためき逃げ回った。当事者は告発文を老中あてに書き送り、切腹して果てた。執政たちに、書院番の怠慢と愚行が知らされ、多くの者が職を解かれた。そのため、志真佑は不足した書院番の補充としてやっと無役から脱することが可能になったのだ。将軍家斉は分家からの登用で人心をまとめきれず、なぜか次期将軍として次男の家慶に周りの者が期待を寄せる事態に我慢ならずにいた。家斉の代参として家慶に墓参を命じて、裏で暗殺を画策した。志真佑は家慶の警護を役目として命を張る(2024.8.8)中公文庫70020242

高家表裏譚

5京乱

上皇に公家の何者かが天皇を廃そうとする企てがあることを近衛基熙とともに告げた三郎。このままでは自分たちの企てがいずれ天皇に伝わり、悪くすれば流罪になると考え、五摂家の近衛家を襲う手立てを考えた。官位の低い公家に将来の高い地位を目の前にちらつかせて、実行役を命令した。三郎と家来の小林平八郎が屋敷から出たところで、何者かが二人を襲った。平八郎が間に入って愚かな公家を確保した。そのことをネタにして屋敷改めを実行された。しかし、それは公家を見つけることではなく始末してその罪を基熙たちに押し付けることだった。そのため屋敷改めと称しても何ら記録に残るものを手にしてこなかった。江戸では目付が自分たちの権限を高家にも及ぶように画策していた。その中心には立花主膳がいた。立花の手先として吉良家に押し入った徒目付の郷原は反対に義冬に捉えられた。立花の動きを逐一自分に報告する命を実行すれば屋敷への押し入りを不問位すると言われた。その場は指示に従ったふりをした郷原は立花に京都へ上り義冬の嫡男、三郎の動きを探るように命令され、それに従った。江戸を離れて仕舞えば義冬の影響は受けないと考えたのだ(2024.6.1)角川文庫 20223680

高家表裏譚

4謁見

江戸から密かに京へ入った吉良上野介。かつて密かに江戸に入った近衛基煕が毛利家の放った忍びに襲われた時、これらを撃退した縁で二人は知友の契りを交わしていた。今回、基煕から火急の呼び出しを受け、父親利用上のもと、近衛家に匿われた。基煕によると愚かな主上を譲位させる企てに加担してほしいという。基煕の祖父にあたる後水尾法王の頼みによるものだった。すると御所を守る衛士たちに上野介と家士の二人を捕らえる動きが見られた。江戸では上野介の父親、義冬が上野介の嫁探しを検討していた。高家として位は高いが、旗本ゆえに禄は少ない立場を守るために保科家に狙いを定めた。なかなか衛士たちが上野介を捕らえないことに焦った主上の侍従は町の無頼を集めて金で上野介と家士の小林平八郎を襲わせた。無頼たちは近衛家の表門を破壊して家中に侵入、しかし、平八郎と上野介によって反対に鎮圧された。憤慨した基煕は上野介と平八郎を連れて法王を訪ねて事情を説明した。法王は基煕、上野介とともに御所に乗り込んだ(2024.5.31)角川文庫 20219680

惣目付臨検仕る

6意趣

惣目付になった水城聡四郎。目付たちは何者も自分たちを押さえることができないと考えていた。なのに、目付を監察する惣目付は目付にまで手を下してきた。反発する目付たちは集団で将軍吉宗のもとを訪れ、惣目付の扱いに抗議した。しかし、これまで多くの不正や散財を大奥や執政たちが積み重ね、その結果として江戸城の財産蔵にはほとんど金が残っていないことを吉宗に指摘され不要な目付を廃すると下命されてしまう。尾張では先代たちが次々と早世し、荒くれものだった継友が藩主になってから吉宗への敵愾心をあらわにしていた。その偏屈ぶりを利用しようと藤川義衛門は名古屋に入って継友を操ろうと画策した。しかし、藤川を追って名古屋に入った入江無手斎によって尾張徳川家を支配下に操作することが無理だと判断した。ならば入江を名古屋に縛り付けておいて、自分は江戸に戻り吉宗の首をとることを計画した

2024.5.15)光文社70020244

表御番医師診療禄

5摘出

御広敷番医師になった矢切良衛。オランダ流外科専門の良衛に大奥での治療の必要性はあまりなかった。大目付の松平対馬守によって大奥に送り込まれ、伊賀者が火の番に怪我を負わされた経緯を探ることを命じられていた。綱吉は伝の方に頼み、良衛を伝の方の女中の治療に当たらせることにしたのだ。幼い頃の股関節脱臼の影響で歩き方がぎこちない女中の治療を連日することになった。すると山科の局がひそかに金を貯めていた事案につながった。なぜ山科の局が多くの金を貯めて、それを隠そうとしたのか、伊賀者が人数をかけて探索に動き出した(2024.211)角川文庫60020152

表御番医師診療禄

4悪血

矢切良衛は医師だ。江戸城内で診療に当たる。そのほかの日は町医者として近隣の者たちの病や怪我を手当てする。江戸時代の医師は僧侶と同じで仁として医を施す。そのため医術でお金は得なかった。代わりに薬を処方して薬代を手にした。これが生活のあてになった。良衛は医師であると同時に御家人だったので幕府から禄を得ていた。その禄だけでもぜいたくをしなければ十分に生きてゆけた。しかし彼を取り巻く者たちがそれを許さなかった。そんな良衛のもとに小普請組吉沢幾野丞の三男の竹之介が訪ねてきた。自分は阿蘭陀流外科医の良衛のもとで医師になりたいと弟子入りを願った。まだ自分が師匠と呼ばれる立場ではないことを自覚している良衛、弟子は持たないと断ったが、竹之介の熱意に打たれ、ともに医術を追求する兄弟として傍に置くことにした。城内に詰めているとけが人が出たので処置を頼むという知らせが入った。骨折とのことで外科医の良衛が臨場した。患者は御広敷伊賀者の男だった。忍びの者なのに足のすねを骨折していた。どこでなぜけがをしたのかを良衛に教えようとしなかった。けがをした場所やどうしてけがをしたのかを知らないと適切な処置ができないと主張したが、男は決して口を割らなかった

(2024.2.7)角川文庫60020148

隠密鑑定秘禄

3下達

十一代将軍家斉から有能な大名を探し出すように命じられた射貫大伍は御側御用取次の小笠原若狭守信善の元を訪ねるように言われた。屋敷に忍び込むと射貫大伍を警戒する体制が整えられていた。彼はその警戒網を潜り抜け若狭守の元へ辿り着いた。自分のことを試そうとした若狭守へ不信感を抱いた射貫大伍はそれ以降、家斉の命令のもとに行動を共にするだけでそれ以外は距離を置くようにした。老中主査の松平定信の命で家斉と若狭守との密談を調べるように頼まれた小姓組頭の能見石見守は役立たずと任を外された。恨みを募らせた石見守は定信を襲う。新たな小姓組頭を選ぶにあたって複数の候補が次々と定信に売り込みを始めた。幼い時から兄と妹のように接してきた黒鍬者の森藤の娘、佐久良が新しい屋敷を得た射貫大伍の引越しの手伝いをしながら、日常の身の回りの世話をするようになった。自分の秘命を誰にも知られてはならない射貫大伍は佐久良がどのようなつもりで家のことをやってくれるのか、疑念を抱いていた。しかし、佐久良は自分が彼の妻になる覚悟でいることを告げた。本気で言っているのか確認できないまま、彼は御用で岡部まで探索の旅に出た。3日間、探索を続け、屋敷に戻った時、そこに佐久良が待っていたことに大きな安堵感を覚えた自分に彼は驚いた(2023.11.25)徳間文庫74020239

隠密鑑定秘禄

2恩讐

射貫大伍は将軍家斉から直に自らが頼むべき臣下を探すように命じられた。そのためそれまでの小人目付から、御家人に引き上げられた。幼い頃から家族ぐるみで世話になってきた黒鍬者の森藤の娘、佐久良は密かに長崎を大伍の嫁になることを望んでいた。同じ黒鍬者の鈴川から言い寄られても相手にしなかった。鈴川は田沼意次を復権させる手助けの代わりに旗本への出世を願った。老中、松平定信の失政を見出だし引きずり下ろすために動き出した。定信は小姓頭の能見に命じて、家斉と御側御用取次の密談を探り出そうとしていた。そのために能見は江戸城の御用を一手に引き受ける白木屋に忍び仕事を依頼した。御用の間で二人がどのようなことを相談しているのかを御広敷伊賀者の鹿間に白木屋が依頼した。抜け道に潜んでいた大伍は暗がりの中で鹿間と対決して得物を奪うことに成功した(2023.11.22)徳間文庫700202212

隠密鑑定秘禄

1退き口

小人目付の射貫大伍は江戸の町に不穏な動きがないかを探索していた。目付の指示によって具体的な実務を担当する小人目付は御家人ではあったが、薄給で黒鍬者たちと同じ長屋に暮らしていた。十代将軍家治が逝去して棺が寛永寺まで運ばれた。市中を混乱させる輩を取り締まるために射貫大伍は行列を取り巻く庶民の中に入って目を光らせていた。新しい将軍の家斉の御側御用取次の小笠原若狭守信善は騎乗から警戒を続けていた。行列を見学する庶民の中に紛れて不穏な動きを探索する射貫大伍を発見した若狭守は彼に興味を惹かれた。新しく将軍になった家斉には味方がいなかった。周囲にはかつて権勢を誇った田沼主殿頭意次によって引き立てられた執政や小姓ばかりだった。また田沼を追い落とし、新しく老中として執政の中心に就いた松平越中守定信は家斉の能力を全くあてにしていなかった。本来ならば自分が十一代将軍になるはずだったという自負が強い定信は、執政として将軍よりも自由に政を牛耳っていた。御用の間でかつて五代将軍綱吉が目を通し添え書きを加えた「土芥寇ゆう記」を読んで愕然とした。そこには将軍経験者や大名らの家系や人物評が記されていた。家斉は綱吉のように人材を能力で登用しようと考えた。そのためには自分の手足となって有能な人材を探し出す者が必要だと気づいた。若狭守は射貫大伍を呼び出し家斉の考えを伝え、誰にも邪魔されずに御用の間まで忍び込んでみよと命じた。それが成功したら、探索の手として隠密仕事を依頼すると命じた(2023.11.18)徳間文庫70020224

表御番医師診療禄

3解毒

綱吉の朝食前に毒味をした真田という小姓が腹痛を起こした。表御番医師が呼ばれ応急措置をして屋敷に戻した。しかし、真田は屋敷に戻ってわずかな間に息を引き取った。他の朝食を食べた者は無事だった。綱吉を標的にしたが、別の者が口をつけたと綱吉は、気づいた。台所の様子を調べるように命じられた良衛は連日台所に詰めた。下処理から、余った食材の横流し、毒味のやり方まで熟知した。雉の焼き物を綱吉が欲した。台所での毒味は問題なかったが、味が薄かったので毒味の後にタレが再度塗られて、そのまま運ばれようとした。それを良衛は見逃さなかった。再度、毒味の指示を出した。するとタレを塗った台所役人がいきなりタレを飲み干して悶絶。息絶えた。四代家綱が亡くなった後、次の将軍候補だった甲府宰相綱豊が命じた暗殺だった。そのことに気づいた綱吉は綱豊を呼び出し、誰も使ったことがなかった外国から取り寄せた珍薬を分け与えた。毒を盛られた時に解毒剤として使うように諭した(2023.11.16)角川文庫60020142

表御番医師診療禄

2縫合

良衛は妻の姉の夫、義兄の奈須玄竹に会いに行った。外道の良衛は本道の玄竹とは医術の関わりがなかった。しかし、大老の堀田筑前守が暗殺された後でその場にいた玄竹の治療の様子を知りたかった。切り傷にも関わらず、外道の良衛が呼ばれず、たまたま登城していた玄竹が呼ばれたことに多少の妬みもあった。また、誰が流したか、その場に自分がいれば筑前守の命をもう少し永らえさせたという噂が広がっていた。義兄を不快にしたくないので、真実を語ろうと思っていた。玄竹、屋敷を訪ねた良衛は初めて若い本道医師の玄竹と会った。語らううちに、純粋な医術への覚悟を感じて意気投合した。当代五代綱吉をただ一人で推挙した大老の筑前守を殺された綱吉は、事の真相を小姓の柳沢吉保と大目付の松平対馬守に探るように命じた。何度か良衛は刺客に命を狙われた。その報告を受けた対馬守は綱吉に背景に宮将軍を打ち立てたかつての酒井雅楽頭がいることに気づいた。その係累の大久保加賀守に真相を追及した。稲葉家に奪われた小田原藩の主に戻ることを確約された加賀守はすべてを綱吉に告白した。筑前守を廃して、綱吉を孤立させ、六代将軍に稲葉家につながる者を就けさせる壮大な計画が暴露された(2023.11.15)角川文庫60020138

表御番医師診療禄

1切開

矢切良衛は城中で怪我人や病人が出た時に治療する表御番医師だった。高貴な者たちは奥医師が対処したので、奥医師と表御番医師とは格差があった。妻の弥須子は良衛が一日も早く寄合医師から奥医師へと出世する日を待ち望んでいた。もともと戦国時代の御家人だった矢切一族は戦場での金創に長けていた。戦国の世が終わり武家の世になっても御家人でありながら金創の技を磨き、幕府から医師として認められていた。和蘭陀流の外道を得意とする矢切家の金創は、内科を専門とする本道よりも一段低く見られていた。町医者として多くの患者を救うことを生き甲斐にしている良衛にとって城中での勤めは本音では望まないことだった。しかし、御家人の禄をもらえる身分は薬代や専門書代にお金がかかる医師としてはありがたいことだった。次第に良衛の外道の腕が認められ、医師の世界では有名な今大路家から娘と結婚することを求められた。次女で妾腹の弥須子とは一面識もないまま良衛と結婚した。城中で大老の堀田筑前守正俊が若年寄の稲葉石見守に殺傷されるという刃傷事件が発生した。その時にたまたま登城していた本道の奈須玄竹が事件現場に呼び出され、不得手な処置を施した。ほとんど即死だった堀田筑前守正俊は誰が処置をしても同じ結果だったが、奈須玄竹は後悔の気持ちに苛まれた(2023.11.13)角川文庫60020132

惣目付臨検仕る

5霹靂

大奥と徒士目付、奥右筆を監察し将軍吉宗の改革に励む聡四郎。老中と目付の中には既得権益を守るために強行に反対する者たちがいた。将軍ご休息の間の隣りに執務室を与えられた聡四郎はかつて世話になった太田を実務方の補佐として目付の改革にいそしんだ。取次ぎなく吉宗に会える許可を得ていたが、そのことを知らない目付によって聡四郎は捕らえられ閉門蟄居を言い渡された。その前に城下がりの途中に大宮玄馬とともに武士の一団に襲われていた。それは老中久世大和守の差し金だった。それらを一蹴した聡四郎は評定所の呼び出しに応じて登城した。小者のみの供を命ずるやり方に登城途中での襲撃を予測し、伊賀の郷から聡四郎の家臣になった二人を連れて行く。予想通り14人もの襲撃者が待ち構えていた。しかし、一放流の使い手の聡四郎と修業を積んだ忍びの者たちの相手ではなかった。返り血を浴びた衣服で評定所に出向き、陰謀の中心者、老中の久世と目付の阪崎と対峙する

(2023.10.21)光文社66020235

惣目付臨検仕る

4内憂

聡四郎は吉宗の命を受けて目付の改革を促した。しかし、10人の目付のうち9人もが聡四郎を排除するために吉宗に意見した。激怒した吉宗は9人の目付を追い返した。彼らは療養願いを出して登城をやめた。そのうちの一人が老十に窮状を訴えたことで仮病が暴かれ、吉宗は9人の目付を入れ替えるように聡四郎に命じた。一人だけ吉宗の命に従った目付からの推挙をもとに新しい目付の選定を急いだ。箱根で傷の手当てをしていた入江は遺志に出会い、爆発的で負った傷をほぼ快癒させた。紬を奪い、江戸で火薬を使った藤川を始末するために名古屋へ向かう。従っていた元の忍が抜けていった藤川は甲賀の里で仕事中としての仲間を雇い、さらに伊賀の郷を殲滅すべく動いた。しかし、伊賀の郷では反対に藤川を許さず、逃げる藤川を討ちにかかった。吉宗の怒りを買った大奥の月光院は吹上御所に追放された。聡四郎は家臣の玄蕃と女中の袖との婚姻を許した(2023.10.18)光文社66020228

惣目付臨検仕る

3開戦

吉宗に惣目付を命じられた聡四郎は新たな役目として大奥の監察に入ろうとしていた。従来の目付たちは自分たちの存在が無視され、やがて惣目付が目付に変わってしまうのではないかと心配した。目付の阪崎は密かに黒鍬者に話を通し、聡四郎の暗殺を命じた。成功した暁には黒鍬者の立場を上げてやるという褒美付きの話だった。大奥では吉宗の倹約令に従う振りが続いていたが、突然、薪炭の新たな要望が勘定方に出された。老中たちは多くの仕事を全て吉宗に丸投げしだしたので、薪炭の申し出も吉宗の知るところになった。すでに薪炭を渡してあるのに、さらに寄越せというのは月光院からの発信だった。聡四郎は大奥の窓口にあたる表使を呼び出したが、惣目付を下に見た態度に立腹して追い返した。薪炭の新たな申請を却下すると、月光院は竹姫の名前で嘘の申請を表使に出させた。その裏側を知った吉宗はわざと薪炭を大奥へ運んだ。当然、竹姫の局に薪炭など存在しなかった。全て月光院の局が横取りしていたのだ。聡四郎は黒鍬者を連れて月光院の局から全ての薪炭を運び出した。その運び出しの途中で黒鍬者が目付の阪崎に命じられた聡四郎暗殺を遂行した。しかし、聡四郎が襲ってきた黒鍬者を斬り殺した。城中で刃物を振り回した聡四郎を弾劾すべく目付たちは聡四郎を追い込むために吉宗の元へ向かった(2023.10.15)光文社64020221

惣目付臨検仕る

2術策

吉宗から新しく惣目付に任じられた聡四郎。城内ではその話が広がり、既存の目付たちが大慌てになっていた。自分たちの権限が奪われるのではないかと心配し、聡四郎の仕事を邪魔しようと動き出した。目付の支持を受けて実務を行う徒目付たちは聡四郎の指示に従うなという命を目付から受けていた。この事を知った吉宗は、聡四郎に徒目付全員を総入れ替えするように命じた。最初は対抗していた奥右筆たちは、吉宗の本気度を知り、改革に協力していく。聡四郎は奥右筆と協力して新しい徒目付にふさわしい人材の発掘を急いだ。名古屋に逃げ延びた藤川。途中、忍を抜けた者たちから突き上げをくい、最後に残った鞘像と二人で吉宗への復讐を画策していた。無住の寺を賭場にしていた無頼を乗っ取り、そこを足場に名古屋での闇の支配を始めようとしていた。尾張の草の者たちは、無住の寺に伊賀の忍が入ったことに気づき、幕府の手先と勘違い。これを襲撃する手はずを整えた(2023.10.11)光文社64020217

惣目付臨検仕る

1抵抗

吉宗の命で京、大坂を探索していた聡四郎。江戸の屋敷で娘の紬が藤川らに拐かされた。入江らの力によって紬を救済し、聡四郎は命を解かれた。さらに加増され、新たに惣目付を拝命した。大目付をも監察できる新しい役を吉宗が創設し聡四郎に任せた。大名、老中の区別なく、不正や怠慢を暴き出す役目だった。後ろめたいものがある現職の者たちが次々と抵抗を始めた。吉宗はそれらを一つずつ排除していく。紬の救出で肩の骨を折った入江無手斎はひそかに箱根の山中で湯治を繰り返しゆっくりと傷を癒していた。必ず藤川を倒すことに集中していた。藤川は無頼に落ちた伊賀者たちとともに尾張へ逃げていた。このまま尾張で無頼に徹して安楽な暮らしを望む若い伊賀者と対立し孤立していった(2023.10.5)光文社64020211

聡四郎巡検譚

6総力

藤川儀右衛門一味に娘を拐われた紅は実家の口入屋に戻っていた。入江たちが探索するため、水城家を攻撃された時の用心だった。吉宗は南町奉行の大岡に水城家の様子を観察するように命じた。何者かに襲われるようなことがあれば直ちに知らせよというものだった。しかし、大岡は考えが甘く、吉宗の本気を見抜けなかった。隠密同心の真田に観察するだけで余計なことはしなくていいと命じた。形ばかりの養女とその娘がどうなろうと吉宗に大きな影響は出ないだろうと判断した。急ぎ、東海道を下っていた聡四郎と玄馬は早馬を使って江戸に戻った。しかし、屋敷には紅も入江もいなかった。聡四郎と紅の婚姻に反対し、吉宗の仲立ちによって不満を隠したままだった父がいたが、紅たちからは何も知らされていなかった。入江や袖、伊賀の郷から聡四郎の家臣になった播磨たちの探索によって深川近くに紬が連れ込まれていることが判明した。紬を生かしておくために乳の出る女を集めていた情報を湯屋で入手したのだ。その情報を元に紅が自分から囮になって隠れ家に連れ込まれた。紅を連れ込む忍びたちを追跡した袖と入江によって紅と紬は救出された。藤川は仕掛けておいた火薬を爆発させて人質もろとも殺害しようとした。倒れてくる大きな梁を断ち切るために刀を振るった入江。綺麗に切断されなかったが切れ込みが入ったおかげで紅と紬を守る袖の背中に落ちた梁は折れただけだった。爆発音を聞いて近くまで来ていた聡四郎と玄馬は屋敷と部屋を特定し、紬、紅、袖を救出した。しかし、その時から入江の姿が忽然と消えてしまった。播磨だけ焼け落ちる屋敷から飛び出し、藤川一味を追うと言って駆け出していった入江を見ていた(2023.10.1)光文社64020207

聡四郎巡検譚

5急報

吉宗から諸国を巡視して世間を知るように命じられた聡四郎たちは京をあとにして大坂に入った。窮屈な組屋敷を避けて宿屋に泊まり、主人に大坂の町を案内させた。それを知った大坂城代。大坂では武家が商人に頭を下げている様子を聡四郎が吉宗に報告するのではないかと心配した。江戸では闇の世界を支配する目的で伊賀者頭だった藤川が支配地域を広げていた。京の闇を支配していた利助と共に江戸に出て、品川の支配を任せた藤川は品川周辺を次々と支配下に置いた。その仕上げとして利助一味を始末した。さらに吉宗を脅すために聡四郎の娘、紬を拐った。聡四郎の不在時に紬を拐われた入江は伊賀者の助けを得て紬の居場所を探索し続けた。吉宗はひそかに南町奉行の大岡越前に藤川捕縛を命じた。また吉宗を警護する紀州忍のお庭の者たちに紬の奪還を命じた。何も知らない聡四郎のもとへ吉宗から急な報せが届く。ただちに江戸へ戻れとのことだった(2023.9.28)光文社64020201

聡四郎巡検譚

4抗争

吉宗の命を受けて京の町を調べていた聡四郎。幕府から派遣されていた禁裏付や所司代、町奉行がことごとく江戸に戻ることばかりを優先し、京の任務をないがしろにしていることに気づいた。次の監察を大坂に決めて聡四郎たちは京を離れた。吉宗は紀州で藩主だった時に隣接する天領の山田奉行をしていた大岡に興味を示した。将軍になり普請奉行として江戸にいた大岡を呼び出した。江戸の闇を討伐するために南町奉行を命じた。伊賀者頭を負われた藤沢市のたちが目指す江戸の闇を支配する企てを根絶やしにする内容だった。15年前に上杉家に預かりとなりちり取りになっていた高家吉良家の残党たちが聡四郎のいない水城家を襲った。留守を守る入江と袖の奮闘で企みは阻まれた。紅から事件を知らされた吉宗は怒りをもって事に対処した(2023.9.21)光文社62020197

聡四郎巡検譚

3動揺

吉宗の命令で京都の町に入った聡四郎は具体的な指示を受けていなかった。とりあえず京都所司代の元へと向かった。京都所司代は吉宗の引きで急に任官させられた。それだけに聡四郎の立場を理解した。京都の公家との付き合い方を伝授してくれた。御所を警護する目的で幕府から禁裏付という役人が二人いた。その役人たちの行動を監視した聡四郎は居丈高な態度に違和感を抱いた。屋敷と御所の往復に槍の切先を光らせながら足軽に歩かせていた。公家の乗った牛車が近くを通ると無礼だと叱った。京都所司代に見てきたことを伝えると、禁裏付が公家に対して居丈高な態度をとる理由を教えられた。征夷大将軍の任命は朝廷が行なっている。仮に徳川に反発する外様大名たちに征東大将軍を任じたら、その時から国内は再び戦乱の世に戻る。公家たちにそのきっかけを与えないためにも、徳川の威光を示す必要があるとのことだった。京都の西と東の町奉行を呼んだ所司代は聡四郎の京都滞在を告げた。自分たちの権限が将来、減らされてしまうことを恐れた町奉行は聡四郎の行動を監視して阻害する作戦を立てた。江戸城内では八代将軍になれなかった尾張徳川継友が家臣に命じて城中での吉宗暗殺を実行した。吉宗が滞在する御休息の場まで刺客が忍び込んだが暗殺は失敗に終わった。そのことに気づいていて見逃した目付の野辺は吉宗の逆鱗に触れて無役に落とされた(2023.9.18)光文社62020191

聡四郎巡検譚

2検断

世間を見て来いという吉宗の命令によって東海道を京へ下った聡四郎。江戸城内では仕来たりばかりに縛られて身動きの取れない目付職を吉宗は改革しようとしていた。それに反した現役の目付、野辺が京へ向かった聡四郎を殺害する計画を駿府町奉行へ打診した。将軍を廃する計画に驚いた町奉行は知らせを届けに来た雇われ中元の若者に計画を将軍取次に報告し、謀反を阻止するように忠告した。尾張徳川家では8代将軍になれなかった当代が弟とともに吉宗を殺す計画を立てていた

(2023.9.13)光文社62020187

聡四郎巡検譚

1旅発

御広敷用人として竹姫の警護にあたり将軍吉宗の命を実行した聡四郎は大奥の権力者たちの力を削ぐことに成功した。その成果を認められて用人職を解かれ、産まれた娘の紬を妻の紅とともに大切に育てる日々を送っていた。京都で闇の実力者、利助に拾われた藤川。かつて江戸城内で伊賀者の頭だった男は聡四郎や竹姫を襲うなどの愚行を犯して伊賀者から追い出されていた。利助は京都だけでなく江戸の闇も支配するつもりだった。そのために忍びの術を使える藤川に娘の勢をあてがった。品川の縄張りを奪った藤川はあっさりと利助に縄張りを譲った。利助が品川を自分のものにする間に、周囲を次々と自分の縄張りにしていった。吉宗は大奥の次に改革する必要を感じた目付の存在を聡四郎の力によって縮小させようと考えた。いきなり聡四郎を目付にしたのではこれまでの勢力から反発を喰らうことを想像した。そこで道中奉行副役という新しい職種を創設した。道中奉行は全国の様々な事柄を監察する。その副役という立場で世間の様子を探ってこいと江戸から旅に出したのだ(2023.9.11)光文社62020181

御広敷用人大奥記録

12覚悟の紅

竹姫を襲って吉宗の継質にできないように仕向けた天英院を吉宗はいよいよ排除することにした。追い詰めらた天英院は都の実家である近衛家に文を送った。婚姻を認める勅命を防ぐ手だてを頼んだ。近衛家では二条家と計って竹姫と吉宗の形式的なつながりを盾にして勅命を出せない策を強行した。嫡男の長福丸に毒を盛られ、愛しい姫との間を割かれた吉宗は天英院の手先となって妨害を繰り返した館林藩家老の山城を聡四郎に訪ねさせた。そこで聡四郎は館林藩主の将軍襲名はあり得ないこと、これ以上天英院の手先を務めるならば館林松平家の存亡に関わることを告げる。山城は最後には聡四郎の意図に従うことを誓う。吉宗は天英院と上臈が局から外出することを禁止。竹姫とたった一夜の最初で最後の夜を過ごした。これにより聡四郎は御広敷用人の任が解かれ屋敷に戻ることができた。竹姫につけられていた袖は宿下がりが認められた。数日後、紅に女の子が誕生した。竹姫から送られてきた祝いの品のなかに女の子の名前が含まれていた。聡四郎と紅の子どもは紬と名付けられた(2023.9.8)光文社62020177

御広敷用人大奥記録

11呪詛の文

館林藩家老の山城が用意した南蛮由来の毒を吉宗の嫡男、長福丸は盛られた。天英院付きの中臈、菖蒲が長福丸に毒を盛った。天英院からの命令だった。長福丸は朝までいつもと変わった様子がなかったのに、食事の後に体調を急変させた。知らせを受けた吉宗は奥医師を西の丸に向かわせた。漢方だけなく西洋の外道も扱う医師は、長福丸の様子から病気ではなく毒が使われたと見抜いた。聡四郎は吉宗から西の丸大奥の目付を言い渡された。直接、西の丸に入り込み事件の捜査にあたる権限が与えられたのだ。医師とともに詳しく調べた聡四郎は明らかに毒が使われたと吉宗に報告した。天英院の仕業と悟った吉宗はすぐに竹姫の警護を厚くした。竹姫は長福丸の体調が戻るように神仏に祈ることを吉宗に願い出た。周囲は危険な外出は控えるように助言したが、吉宗は許した。自分の継室になったならば未来永劫大奥から外の世界を知ることはできない竹姫に今だけでも外の世界を知ってほしいと考えたからだ。江戸御広敷伊賀者の頭を放逐された藤川は江戸の闇を支配するために最後の仕事として竹姫と聡四郎を始末することを決意した

(2023.9.5)光文社62020171

御広敷用人大奥記録

10情愛の奸

吉宗の命で京都に向かった聡四郎、玄馬、山崎伊織は五摂家の一つ一条家につながりを作り、竹姫と吉宗の婚姻に対して勅命を出してもらうことを受諾させた。江戸から文が届く。吉宗からの文には帰りに尾張名古屋に寄って藩主吉通の死について調べて来る新しい命が示されていた。急ぎ京都を離れた一行。戻る途中で新しい敵が襲ってくることを予想して伊織は伊賀の郷に立ち寄り、松場と鬼太郎に聡四郎たちの警護を依頼する。名古屋に立ち寄った聡四郎は吉通を始めとする歴代の藩主たちの菩提寺を訪ねて戒名を確認する。するとなぜか吉通ひとり他の藩主たちと扱いが異なることに気づいた。理由はつかめないまま終わりを離れた一行に、尾張藩附家老の成瀬が刺客を送る。成瀬は聡四郎たちが吉通の死の真相に気づいたと勘違いをしていた

(2023.9.2)光文社62020167

御広敷用人大奥記録

9典雅の闇

吉宗の命令で京都へ上った聡四郎、玄馬、伊織。京都所司代の仲介で五摂家との面会を許された。天英院の実家にあたる近衛家を避けて、竹姫の実家にあたる清閑寺家とゆかりのある一条家に吉宗と竹姫の婚姻を相談した。金次第で要求が叶えられる公家との交渉を聡四郎は短期間になし終えた。江戸の伊賀者頭から放逐された藤川義右衛門は聡四郎を追跡して道中で襲ったが、逆に片目を失い敗北した。京都木屋町で闇の世界を仕切る利助と出会い、盗みで得た金で聡四郎たちを襲わせた。玄蕃は主を守るために肩を怪我した。吉宗は尾張徳川家で短期間に主人や要人、家臣らが亡くなった経緯を調査する新たな命令を聡四郎たちに出した(2023.8.30)光文社62020161

御広敷用人大奥記録

8柳眉の角

聡四郎を襲い破れた御広敷伊賀者の頭、藤川はそのまま逃亡し館林藩家老の山城に身を寄せた。山城は天英院とつながりを作り、吉宗を廃して館林藩主を次の将軍にする計略を立てていた。山城と藤川は利害が一致した。竹姫を城内で孤立させるために茶会を企画した天英院は月光院とともに、吉宗の怒りを買って反撃の機会を狙う。聡四郎は竹姫を襲ってきた郷から来た女忍の袖の手当てをした。妻の紅との関わりの中で袖は新しい考え方に目覚め、聡四郎の命を受けて竹姫を守るためにお末として大奥へ入った。山城は厩番の太郎を秘かに菜太郎として大奥へ忍び込ませた。竹姫を襲って汚す命令を出した。家族を人質に取られた太郎は仕方なく命令に従うが、総てを察知していた竹姫の局て逆に生け捕りにされた。天英院は竹姫を襲う企てが自分と無関係であるように逃げまくる(2023.8.30)光文社62020157

御広敷用人大奥記録

7操の護り

八代将軍を争って負けた館林藩主の家老、山城帯刀は藩主を巧みに操り大奥へ金を使い、吉宗を引きずり下ろそうとしていた。吉宗の愛する竹姫を富岡八幡宮へ参拝させ刺客に襲わせた。御広敷伊賀者も加わり、八幡宮境内で聡四郎、玄馬らによる死闘が繰り広げられた。聡四郎の妻の紅を人質にした場面で紅は自ら敵の刃に胸を押しつけた。敵が怯んだ隙をついて聡四郎は相手を倒し、竹姫を門限までに場内へ戻した。吉宗は御広敷以外の伊賀者を格上げすることを約束し伊賀者を二分させた。御広敷伊賀者は頭のしくじりに反発して、単独で吉宗を襲い失敗する。伊賀の郷から聡四郎を襲うために呼び出された女忍の袖は八幡宮で玄馬に傷を負わされ聡四郎の屋敷で紅の治療を受けていた。そこに御広敷伊賀者が口止めに入り、玄馬と聡四郎に阻まれた。袖は紅から懐剣を渡され、口封じに襲ってきた御広敷伊賀者の頭と闘った(2023.8.25)光文社62020151

御広敷用人大奥記録

6茶会の乱

幕府を立て直すために将軍になった吉宗は大奥の改革に乗り出していた。将軍以外、入ることを許されない大奥は無駄に金を浪費するだけだった。正室のいない吉宗にとって、現在も大奥で権力を振るう天英院と月光院こそが不要な存在だった。そこでまだ若い竹姫を正室にすると宣言することによって、不要な二人を追い出そうと考えた。それを防ぐために竹姫が吉宗の武運長久を祈る富岡八幡宮への参拝を襲わせた。間一髪で竹姫を救った聡四郎は襲ってきた一団の中にいた伊賀者の女忍、袖を救って自宅に匿った。紅に命じて袖の傷の治療を施した。それは自分を狙うならわかるが、なぜ伊賀者が竹姫を狙ったのかがわからなかったからだった。一方、天英院と月光院は大奥で野点を行なって、互いの権威を貶める作戦を実行した。そこに巻き込まれた竹姫。聡四郎から相談された吉宗は江戸の有名な菓子屋を抑えられ菓子が用意できない竹姫の窮状を伝えた。吉宗は密かに城の賄い方に和菓子を作らせ竹姫に送った。箱の底には葵の紋を入れた。饅頭を目にした天英院と月光院は竹姫を嘲笑し、手もつけようとしなかった。そこに突然、吉宗が現れ、天英院と月光院は謹慎を命じられた(2023.8.21)光文社62020147

御広敷用人大奥記録

5血の扇

八代将軍を争って負けた館林藩主の家老、山城帯刀は藩主を巧みに操り大奥へ金を使い、吉宗を引きずり下ろそうとしていた。吉宗の愛する竹姫を富岡八幡宮へ参拝させ刺客に襲わせた。御広敷伊賀者も加わり、八幡宮境内で聡四郎、玄馬らによる死闘が繰り広げられた。聡四郎の妻の紅を人質にした場面で紅は自ら敵の刃に胸を押しつけた。敵が怯んだ隙をついて聡四郎は相手を倒し、竹姫を門限までに場内へ戻した。吉宗は御広敷以外の伊賀者を格上げすることを約束し伊賀者を二分させた。御広敷伊賀者は頭のしくじりに反発して、単独で吉宗を襲い失敗する。伊賀の郷から聡四郎を襲うために呼び出された女忍の袖は八幡宮で玄馬に傷を負わされ聡四郎の屋敷で紅の治療を受けていた。そこに御広敷伊賀者が口止めに入り、玄馬と聡四郎に阻まれた。袖は紅から懐剣を渡され、口封じに襲ってきた御広敷伊賀者の頭と闘った

(2023.8.19)光文社62020141

御広敷用人大奥記録

4鏡の欠片

御広敷伊賀者の頭、藤川が破門した柳左伝。その藤川から水城聡四郎と家臣の大宮玄馬の殺害を命じられていた。武士として生きていた左伝が藤川の要請を受けたのは、聡四郎たちを襲った伊賀者が次次と倒されてしまったからだった。武芸者として聡四郎主従の動きを秘かに探っていた左伝は二人に隙がないことを悟った。同時に二人を倒せないならば、人を雇わなければならない。左伝は無頼の二人に金をやり、試しに襲わせた。聡四郎たちにあっさり倒されたが、戦う様子を観察して二人の欠点に気づいた。今度は柳生新陰流道場で上級者だった二人を暗殺に誘った。竹姫の用人になった聡四郎は吉宗の命を受けて竹姫に贈り物を届けに大奥に入った。吉宗の名が裏に書かれた鏡を手にして竹姫中臈の鈴音と面会した。その時、新しく鈴音の付き人、お末に入った女が剃刀を武器にして聡四郎を襲った。聡四郎に押さえ込まれた女は舌を噛みきり自害した。伊賀者が襲ったことは明白だった。しかし、御広敷伊賀者がそんなことをしたら役目を解かれる。吉宗と聡四郎は見かけ上、竹姫に軽い処分を与え、謀略の黒幕を暴くことにした

(2023.8.17)光文社61920137

御広敷用人大奥記録

3小袖の陰

吉宗がお広敷用人の部屋へ訪れ、聡四郎を名指しして、勘定奉行への出世を匂わせた。聡四郎には全くそのつもりがなかった。吉宗は城内にこの話が広がることを確信して、わざと聡四郎に声をかけたのだ。聡四郎が下城し、屋敷に戻ると、不機嫌な表情の紅が迎えた。玄関脇に音物が溢れていた。勘定奉行への栄典を祝う品だったという。吉宗の策が成功した。聡四郎には全く出世の意欲がなかったので、翌日に玄馬を使って音物を返却させることにした。伊賀者は郷の者たちが復讐の掟に従って聡四郎を殺害するための忍びを送り込んできた。城内の伊賀者は万が一、城内で聡四郎が伊賀者に殺害されたと吉宗が知れば、今度こそ、城内から伊賀者が一掃されると危惧していた。忍びを使うことなく聡四郎を闇に葬るために城内伊賀者の頭、藤川はかつて忍びとして認められず武家に変化した左伝を呼び寄せて聡四郎暗殺を依頼した

(2023.8.15)光文社61920131

御広敷用人大奥記録

2化粧の裏

吉宗の命を受けて京に入った聡四郎。竹姫の出自を探るべく公家の周辺をあたる。竹姫の実家、清閑寺を訪ねた聡四郎と玄馬、伊之介。名家が並ぶ京の町だったが、どこの屋敷も朽ち果てていた。位ばかりが高くても金がないので日々の暮らしは質素なものだった。しかし清閑寺の屋敷はとても立派だった。六郷の渡し、箱根山中の二か所で聡四郎たちを襲いながらも撃退された伊賀者も京に入って後をつけた。任を実行する役目とは別に忍びには見届け役がいた。見届け役は仲間が倒されても応援に加わらず、任の結果を依頼主に告げる役を負っていた。伊賀者も京に入った聡四郎たちの狙いに気づいていた。将軍が新しい側室を求め、その出自を聡四郎へ探るように命じたと考えた。仲間が減った伊賀者は伊賀の郷へ応援を頼むために入り込んだ。清閑寺の屋敷が立派だったことを不審に感じた聡四郎たちは金の動きを探ることにした

(2023.8.12)光文社62020127

御広敷用人大奥記録

1女の陥穽

八代将軍は紀州より吉宗が継いだ。七代将軍の弟を推す声もあったが、継承の声を発する水戸の発案がまかりとおった。将軍になった吉宗はかねてより肥大化していた幕府の無駄を排除する号令を発した。春日の局によって独立した権限を有していた大奥に吉宗は改革のメスを入れた。将軍しか入れない大奥と表との間の中奥に御広敷用人という役職を設けた。これにより大奥の専横を事務方から制御する役目を与えた。勘定吟味役を務めあげた送四郎に御広敷用人を命じた。将軍自らの用人になれという前代未聞の通達だった(2023.8.10)光文社62920125

本懐

武士の覚悟

愚かな主君によって多くの家臣の暮らしを犠牲にせざるを得なかった大石内蔵助。息子まで罪人にしてしまったことを悔やむ切腹。本能寺で家臣の明智光秀に襲われ、自らに油をかけさせ死体が見つからないようにして果てた織田信長。幕府のお抱え絵師として渾身の作品を描きながら、執政のさじ加減で作品を貶され抗議の切腹をした狩野涌川。徳川幕府の大政奉還で外様ながら若年寄りの地位を捨てねばならず、かと言って倒幕軍への交戦を説得できなかった無念の切腹。堀直虎は江戸城内で腹を切って一家を守った。敵も味方もないまま武士の矜持だけを捨てられなかった者たちと鹿児島に散った西郷隆盛。武将として切腹もままならぬ最期を遂げた今川義元。権威ある者たちの責任の取り方を小説に落とし込んだ

2021.5.29)光文社 20214680

高家表裏譚

3結盟

朝廷から幕府へ官位の叙任が届けられた。その中にまだ家督を継いでいない吉良家の嫡男三郎に従四位を与えるものが含まれていた。父の義冬と同じ従四位が与えられることのなった三郎は上野介と呼ばれるようになり、戸惑いを隠せない。父の命により密かに京に上り、叙任を推挙しただろう近衛基熙を訪ねることになった

2021.5.7)角川文庫 20213680

高家表裏譚

2密使

天皇の体調が優れず、医師は余命が短いことを告げた。公家の最高位である五摂家たちは幼い跡継ぎを幕府に打診するべく摂家を継ぐ前の近衛家の7歳の嫡男を江戸に密使として送り出した。近衛が向かったのは高家の吉良家だった。そこで嫡男の三郎と意気投合し、京に来た時にはいつでも立ち寄ってかまわないという一門の証を受け取った。毛利長門守は家老や小姓から見放され、酒に溺れ徳川幕府を倒すことを口走っていた

2021.3.112)角川文庫 20209680

高家表裏譚

1跡継

幕府と朝廷の礼法を司る高家に生まれた三郎は13歳になり将軍、徳川家綱から吉良家の跡継ぎとして認められた。父の義冬から高家のしきたりを学ぶ生活が始まった。官位を斡旋してもらうために他家から多くの音物を受け取る意味も教えられた。その中に将軍の命に従わない毛利家からのわずかな音物があったが、義冬は毛利家当主の反幕府的な振る舞いを理由に官位を推薦しないことを三郎に伝えた。それを知った毛利家から刺客が三郎に差し向けられた

2021.3.9)角川文庫 20203680

勘定侍柳生真剣勝負

1召喚

大坂の商人、淡海屋の一夜は祖父から店の後継ぎとしての教えを受けながら育ってきた。ある日、柳生家の家臣が訪れ、いきなり江戸へ行くことになった。一夜は柳生宗矩が大坂で淡海屋の娘に産ませた庶子だった。長らく何の連絡もなかったにもかかわらず、いきなり庶子である一夜を武士に引き立てるという。将軍家光の覚えがある宗矩は総目付から剣術指南役のまま大名へと出世することになった(2021.3.18)小学館時代小説文庫 20202650

勘定侍柳生真剣勝負

2始動

柳生の里で十兵衛から厳しい剣術指導を受けて逃げ回っていた一夜。江戸の宗矩の指示で柳生を離れることができた。道中、京都に寄って商人たちと顔つなぎをした。江戸に着いてからは屋敷の伊賀者たちの監視を受けながら、日常生活を始めようとしていた。場内では惣目付の秋山が柳生の出世を潰そうと甲賀者を使って一夜の探りを始めた。荒物屋での買い物をきっかけに主人と繋がった一夜は、その縁で幕府御用達の駿河屋を紹介された

2021.3.23)小学館時代小説文庫 20208650


幻影の天守閣

江戸城には天守閣がない。なのに天守台だけは残されている。それを警護する役目もある。天守番になった工藤小賢太は天守台の見回りで曲者に襲われた。なぜ天守閣がないのに、曲者が忍び込んだのか。工藤の探索が始まった。 (2019.10.30) 光文社文庫 200412 629

勘定吟味役異聞
8
流転の果て

柳沢吉保が死んだ。その死は秘匿された。紀伊国屋文左衛門は死の間際に吉保から幼い将軍家継の暗殺を命じられた。次期将軍に綱吉の血を引く甲府城主、柳沢吉里の就任を画策した。紀伊国屋文左衛門に飼われていたはぐれ忍びの庵は長く大奥に入り込み、家継暗殺の機会を狙っていた。絵島生島事件による大奥への探索を命じられた水城聡四郎は中臈との面会のため大奥に足を運んでいた。将軍が朝の儀式で先祖の霊に挨拶をする部屋から悲鳴が聞こえた。将軍以外の男子禁制の間へ躊躇なく飛び込んだ水城は庵に深手を負わせた。暗殺は未遂に終わる。城内へも人を配する人入れ屋相模屋の娘、紅は徳川吉宗の養女となり武家作法の手習いを受け、聡四郎と祝言を上げた。そのことを知った新井白石は怒り心頭になるが時すでに遅し。幼い家継は病弱なまま絶命し、側用人の間部と白石はお城を追放された

(2023.7.20)光文社文庫740202012

勘定吟味役異聞
7
遺恨の譜

死期が近づいた柳沢吉保。紀伊国屋文左衛門を呼んで幼い将軍の息の根を止めて我が子の甲府城主、柳沢吉里を次期将軍に据えるように命ずる。紀伊国屋は意図的に大阪で米の価格を下落させた。ちょうど俸禄米が武士に下される時期と重なり、大名家では安くなった米の価格に驚愕する。米を金に換えようにも価格が安ければわずかな金にしかならないからだ。そのすきをついて金に困った将軍側用人の間部家に紀伊国屋は取り込んだ。次々と金を貸してがんじがらめにするのだ。そして武の力をもって紀伊国屋や吉保を排斥した新井白石へ対抗しようとした。新井の命で闇仕事を続ける水城聡四郎に次々と刺客が襲い掛かる日々が続いた

(2023.7.18)光文社文庫720202011

勘定吟味役異聞
6
暁光の断

幼少の7代将軍家継。側用人の間部は後見として大奥に自由に出入りし、生母の月光院とつながっていた。まったく将軍から声がかからなくなった新井白石は、再び政の中心へ自分が返り咲くことを願い、聡四郎に絵島事件の背景を探るように命令した。月光院の中臈として権勢をふるった絵島は芝居見物の後、門限を破り、処罰を受けていた。絵島を支える役目の伊賀者が何者かによって殺されていたからだ。聡四郎の剣術の師匠、入江無手斎はかつてのライバル浅山鬼伝斎を破ったが右腕を怪我して筆も持てない状態だった。聡四郎は相模屋の娘、紅に結婚を申し込んだ

(2021.6.17) 光文社文庫 202010 720

勘定吟味役異聞
5
地の業火

尾張徳川家の当代が暗殺された。その犯人と目された守崎頼母とお蓮の方の行方を探るよう新井白石から命じられた水城聡四郎は京に向かった。そこで古い所司代の記録から豊臣家を支えた莫大な資金の存在を知る。江戸に幕府を開いた家康が京の金座と同じものを江戸にも作るために京の後藤家から人を受け入れた。その男は後藤家の血筋ではなかった。江戸で金座を作った家康の本当の狙いは豊臣家に匹敵する偽の金貨作りだったのではないかと聡四郎は気づいた

(2021.6.14) 光文社文庫 20209 740

勘定吟味役異聞
4
相剋の渦

3人の長崎奉行を2人に減らすことを危惧した在府の長崎奉行が新井白石に助けを求めてき

た。探索を命じられた聡四郎は紀伊國屋文左衛門と柳沢吉保がバックにいて御三家を争わせ威力を削ぎ、幕府を乗っ取る計画を立てていることを知る。しかし、白石は大老の間部に無視され聡四郎の探索を無駄にする

(2021.5.19) 光文社文庫 20208 740

勘定吟味役異聞
3
秋霜の撃

六代将軍家宣が死んだ。寵愛を受けて執政を担っていた儒学者の新井白石は後ろ盾を失った。大名ではない白石は老中にはなれない。家宣亡き後、残った老中たちから自分が弾き出されることを恐れた。同じように家宣の寵臣だった間部越前守は早々と幼少の鍋松を次の将軍に推して生き残りを図った。家宣の遺言に次の将軍には鍋松を頼むと書いてあったと間部は宣言した。家宣最期の瞬間に立ち会った間部の言葉は大きく、老中たちも間部の指示に従う。七代将軍家継へと代替わりがあまりにも迅速に進んだことを白石は見逃さなかった。聡四郎に間部が世継ぎに関して残したはずの書き付けを探し出すように命じた

(2021.5.15) 光文社文庫 20206 740


勘定吟味役異聞
2
熾火

経済のことは全くの素人ながら新井白石によって勘定吟味役に任じられた水城聡四郎。吉原から幕府へ毎年多額の運上金が払われていることに気づく。しかし幕府側にはその運上金を何に使ったかという記録がなかった。遊女の存在を認めたくない白石の命令で真相探索を始めた水城は、吉原の大籬である三浦屋から命を狙われることになった。 (2020.3.26) 光文社文庫 20064 648


勘定吟味役異聞
1
破斬

水城聡四郎。旗本の四男坊に生まれ、家督を気にせず剣術に生きがいを見つけていた。しかし、上の三人の兄が次々と早逝しいきなり家督を継ぐことになった。父は隠居し聡四郎は、勘定吟味役を拝命した。これは綱吉亡き後も強く幕閣に睨みを利かせる柳沢吉保に対抗する新井白石の引きだった。癇癪持ちで周囲からの理解を得難い白石は、それでも明瞭な頭脳で綱吉時代の権力と富に紛れた暗躍者たちを追い払いに必死だった。長く勘定奉行を独占する萩原の不正を探し出し、これを追い落とすことが聡四郎に課せられた白石からの命令だった。聡四郎は、金座の後藤家、大商人の紀伊國屋文左衛門を相手に孤高の闘いに奔走する。人入れの相模屋の助けを得ながら、悪を追及しついに決戦の時を迎えた。 (2019.1.26) 光文社文庫 20058 629


アクセスカウンター