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ほぼ毎日更新の雑感「ウエイ」
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池波正太郎
shotaro ikenami

忍びの旗

甲賀の山中忍びの上田源五郎。鉢形城を守る北条氏邦の家臣、山岸十兵衛に仕えて北条の情報を頭領に送っていた。その情報はすなわち豊臣秀吉のもとに送られ北条討伐の役に立つはずだった。源五郎は十兵衛の娘、正子に詰め寄られ子どもを宿させ夫婦になった。忍びでありながら夫婦になることはつとめに支障をきたす可能性があったが、それでも北条の情報を送り続けた。いつの間にか十兵衛の人柄にほれ込んでいた源五郎は甲賀からの十兵衛を討てという命令を実行できずに追われる身となった。秀吉の北条攻めによって十兵衛は徳川家康に生け捕りにされた。その後も家康に重宝された十兵衛は江戸に住まいを許された。正子も江戸に住んだが甲賀から追われる源五郎は人目を忍んで正子に会う暮らしを続けていた

(2022.2.17)新潮文庫 890円 19839

さむらい劇場

21歳の榎平八郎は、直参旗本榎軍兵衛の三男。妾腹の子どもとして屋敷では疎んじられて育った。その暮らしから逃げるように酒と女に溺れていた。そんな彼を尾張藩の隠密、浜嶋友五郎が引き立て、将軍吉宗との闘いの場に組み入れられてゆく。友五郎に恩義を感じながらも、すぐに女好きが講じて道を踏み外す。何度も刃の下を潜るうちに剣術だけは上達していった。やがて叔父の徳山五兵衛に目をかけられ、友五郎一味とは距離を置くようになった。二人の兄が続けて亡くなり、榎家の家督を継ぐことになった平八郎。幕臣への道を突き進み、なぜか吉宗にも気に入られる始末。徳山が火付盗賊改に就任したことに伴い、加勢して日本左衛門一味の捕縛に同行した。

(2022.2.3)新潮文庫 840円 198212

人斬り半次郎 賊将編

江戸城を無血で開城し官軍は新政府を樹立した。半次郎は桐野利明と改名して鼻の下にひげをはやし、陸軍少将に任命された。東京と名を変えた江戸で高額の禄をもらい、遊郭で使い果たす毎日を送る。新政府はその後も多くの課題を抱えながら急速に欧米を真似た改革を断行した。廃藩置県によって旧大名たちは県令になったが、実質的には藩士は県令から禄をもらい続けていた。政府は日本中の藩ごとに異なった通貨を統一し、政府が県令を任命する方法に改定した。また廃刀令によって士族たちから武器を取り上げた。倒幕に従軍した多くの官軍兵士たちは仕事も刀も取り上げられて全国に浪人となってあふれた。それらの不満がたぎるなか、征韓論に端を発した政府内部の対立によって多くの幹部が退任して東京を離れた。萩の乱、佐賀の乱などが勃発し、ついに西南戦争が口火を切った。鹿児島に帰った西郷隆盛に従った桐野は西南戦争で東京に攻めこみ、新政府中枢たちを退治することを信じ切っていた

(2022.2.3)新潮文庫 705円 19998

人斬り半次郎 幕末編

薩摩藩の貧乏な郷士に生まれた中村半次郎。子どもの頃から町に出ては身分の高い武士を相手にケンカを売り歩く。そんなある日、西郷隆盛に声をかけられ人生が大きく動き出す。居合い抜きの鍛錬を毎日繰り返していた半次郎は、西郷に頼まれて大久保一蔵の計らいで京都へ上がる殿様の警護人員に加わった。京都で中川宮警護していた時に悪漢を退治したことから藩の中でも信頼を集め、西郷に頼まれた密命を次々と実行していく

(2022.1.30)新潮文庫 781円 19998

忍びの風3

信玄が亡くなったのちの甲斐を徳川家康は織田信長とともに打ち滅ぼすため動きはじめた。長篠城を囲んだ武田軍に信長の息子の信忠軍が攻勢をかけ、ついに武田軍は敗走する。高遠も落ち、勝頼は甲斐まで逃げ延びたのち天目山で自決する。天下をほぼ手中に治めた信長は仕上げに中国の毛利へと的を絞った。杉谷一族を滅ぼした恨みを背負ってひたすらに信長の首を狙っていた忍びの於蝶は信忠に狙いを定めたが、何の弾みか信忠に惚れ込んでしまった。半四郎との誓いを破った於蝶。そのことを知らない半四郎は明智光秀の家来となって戦に明け暮れていた。ある夜に宿舎に伴忍びの頭領、太郎左衛門が現れ、半四郎にこれからは自分と共に信長を守れと命じられた。光秀と行動を共にしていた半四郎は、本能寺で謀反を起こして信長を討った現場にいた。毛利へこのことを知らせる急使を追い詰め光秀の書状を秀吉に渡した。このことで秀吉は誰よりも早く京都に戻り、光秀討伐を完了させる

(2022.3.6)文春文庫 629円 20032

忍びの風2

古府中を出発し京都を目指した武田信玄はその途上で病死した。徳川家康と織田信長は信玄との決戦を覚悟していたので、古府中へ引き返した武田軍を知って失地の回復を断行した。古府中で軍備を整えた息子の勝頼は再び大軍を率いて信州から三河へと軍を進めた。わずかな手勢で徳川家康に助成していた長篠城。武田軍に包囲されていよいよ陥落かと思われた。若い城主はあくまでも家康の援軍を信じ、降伏を進める老臣たちに最後まで戦うことを宣言していた。杉谷忍びの於蝶とともに甲賀を裏切って自由に忍びばたらきを始めた半四郎は長篠城で足軽になっていた。信長を襲ってから於蝶とは会っていない。もはや死に別れたとあきらめていた。直属の上司、鳥居強衛門の人柄にひかれながら自分が誰のための忍びなのかを忘れてしまいそうになっていた

(2022.2.27)文春文庫 690円 20032

忍びの風1

甲賀衆の伴太郎左衛門に仕える井笠半四郎。命によって徳川家康家来の小笠原家で足軽となって戦忍びを続けていた。徳川の情報を武田信玄に伝えることが伴忍びの役目だった。しかし同じ甲賀衆の山中大和守俊房が密かに伴太郎左衛門に会って、武田から織田信長に仕えるように説得をする。戦国の世を勝ち抜くのは織田信長だと俊房は考えていた。その織田信長ために昔の甲賀衆のように手を組んで働こうと説得した。同じ甲賀衆の杉谷忍びはもう少しのところで織田信長を討つところまで肉薄したが失敗。頭領をはじめことごとく死んだ。その生き残りの於蝶が半四郎に甲賀を離れて共に自らの考えで織田信長を討つべしと願った。伴忍びと山中忍びを敵に回して二人の闘いが始まった。浅井長政を討つために陣取っていた織田信長。陣屋に忍び込み後頭部に飛苦無を命中させた於蝶は作戦の成功を確信したが、それは影武者だった。於蝶を忍び込ませるための囮になった半四郎は行方知らずになった

(2022.2.22)文春文庫 690円 20032

火の国の城・下

天下の形勢を手中に収めた徳川家康。豊臣家の扱いが仕上げにあった。大阪城に残る秀吉の遺児である秀頼をどうするか。すでに征夷大将軍を任じられた家康は徳川の世を磐石にするために息子の秀忠を二代将軍に譲っていた。譲ってはいたが秀忠の後見として強い威光を放ち、大阪との関係を模索し続けた。二条城に上り、秀頼に挨拶に来るように何度も催促するが淀君の手でそれらは全て握りつぶされた。清正らの働きかけによってやっと秀頼を迎えた家康は立派に成長した秀頼を見て恐怖を覚えた。このまま生かしておいては豊臣恩顧の大名たちがやがて秀頼の元に参集し徳川と対峙すると予想した。清正のために忍び働きをする大介。清正が急死したのは料理番の梅春が毒を盛ったと気づいた大介は行方をくらました梅春を探し続けた

(2022.1.26)文春文庫 590円 20029

火の国の城・上

関ヶ原戦争で実質的に天下の覇権を掴んだ徳川家康は、豊臣恩顧の大名たちを次々に懐柔し、味方につけていった。甲賀の者も、伊賀の者も、もはやこれからは徳川の世が訪れることを確信し、真田の忍びや杉谷の忍びなど甲賀や伊賀から離れた者たちの掃討に明け暮れていた。すでに死んだと思われていた杉谷忍びの丹波大介。甲府でもよという若妻と忍びを捨てて農家暮らしをしていた。完全に忍びを捨てる前にかつて自分が命を賭して戦った京の町を見納めるために都に出て、真田忍びから加藤清正へ顔繋ぎをさせられた。清正と対面した大介に再び忍びの血が湧き起こり、甲賀忍びとの大きな戦いが始まった

(2022.1.22)文春文庫 705円 20029

にっぽん怪盗伝

スリや盗人などの悪漢を主人公にした短編集。12作品が掲載されている。スリと知って結婚した女房が二度とスリをしないと約束した夫が約束を破った時に、夫の利き腕の指五本をナタで叩き斬る。情けと矜持に生きた人たちの物語

(2021.11.28)角川文庫197212640

幕末遊撃隊

徳川幕府の直参旗本だった伊庭八郎。将軍を助け幕末の京都へ赴き、反乱軍たちと戦う。外国からの開港要求を幕府も朝廷もともに手を取り合って戦おうという公武合体に期待をかけたが、家茂も孝明天皇も亡くなってしまう。最後の将軍慶喜は、ついに戦わずして政権を朝廷へ戻す新しいやり方で、国内の統一を願った。にもかかわらず、反乱軍は一部の公家と若い明治天皇を操って、徳川家に戦争を仕掛けた。微衷をもって、徳川に殉じる決意をした八郎は遊撃隊頭取として、転戦した(2021.1.13) 新潮文庫 20205月 710

黒幕

短編集。「雲州英雄記」「猛婦」「勘兵衛奉公記」「霧の女」「夫婦の城」「紅炎」「黒幕」「槍の大蔵」「命の城」を収録

2021.1.21) 新潮文庫 H36月 590

谷中・首ふり坂

池波正太郎は1960年に「錯乱」で直木賞を受賞した。谷中・首ふり坂には、その1960年から1970年までの10年間に発表された短編小説10篇と、随筆1篇が収録されている

2021.1.28) 新潮文庫 19902月 440

若き獅子

歴史読み物としての侍たちの話。浅野内匠頭、吉良上野介、葛飾北斎、高杉晋作、河合継之助、松平容保、小栗上野介、新選組。それぞれについての考察を語る(2021.1.7) 講談社文庫 200711月 476


剣の大地・上

読了(2020.3.26) 新潮文庫 20021月 590


剣の大地・下

鹿島の秘剣の流れをくむ陰流から修行を積み、新陰流を創始した上泉伊勢守。足利将軍家の力が衰え、戦国大名たちが台頭した時代に上州の小さな城主だった伊豆守は息子に家督を譲り、剣士として生きる道を選んだ。足利家の滅亡までの時代に生きた剣術の達人を描いた歴史小説だった。(2020.3.26) 新潮文庫 20021月 552


戦国幻想曲

織田信長がが本能寺で明智光秀に討たれた時代から、大坂城が徳川家康によって攻撃されるまで、渡り奉公をしながら生き抜いた槍の勘兵衛こと、渡辺勘兵衛の一代記 (2020.2.21) 新潮文庫 20009月 781


忍者丹波大介

甲賀忍者の父をもつ丹波大介は、武田信玄亡きのち、天下の形成が大きく変わっていくなかで、甲賀と伊賀の忍者の役割について疑問を抱いた。敵と味方に分かれての暗躍で、誰を信用していいのかわからない中で、お頭からの指示に何も考えないで従っていくことに嫌気をさしていた。徳川方の話のできない女忍びを捕まえたのに逃がしてしまう。同じ甲賀忍者の仕事につきながら、最終場面で暗殺する当人を助けてしまう。四面楚歌になりながら、上州真田家を訪ね、関ヶ原でたった一人で徳川家康を討つことに意味を見つけた。 (2018.12.27) 新潮文庫 19784月 840


男振

私は池波正太郎さんの小説が好きだ。 そのほとんどを一読はしている。 それなのに、こんなに胸を打つ話をまだ目にしていなかったことを後悔した。 こんな男になりたいと、芯から思った話だ。あとがきで著者自身が、実話に基づく告白をしているので、江戸の昔にはいい男がいたのだと実感した。 越後柴山藩の家臣の長男、堀源太郎が主人公。江戸藩邸で若君の学友として過ごす。ある時、若君と相撲をして自らの奇病を嘲笑した若君を感情に任せて打ちのめした場面から話は始まる。本来なら、死罪は逃れられないのに、なぜか命は救われてしまう。 武家という狭い融通のきかない世界で源太郎を巡って、多くの殺し合いが繰り返され、源太郎が尊敬していた家臣も惨殺されてしまう。自らの出自に関わる不思議な因果を源太郎が、いかに乗り越え、受け止め、創造していくかを池波正太郎さんは丁寧に綴った。 (2019.1.12) 新潮文庫 197811月 710


まんぞくまんぞく

堀真琴は若い時に浪人二人に襲われ、あやうく犯されそうになった。その時、たまたま通りかかった医師の関口元道に助けられ、それ以来、男姿になって剣術を習い始めた。いつの日か、自分を襲った者たちとつきとめ、辱めを受けた仕返しをしようと思ったからだ。 (2018.12.12) 新潮文庫 19886月 550


忍びの女・下

秀吉が亡くなった後、ついに徳川家康は豊臣家を守るという名目で大軍を動かし始めた。まずは上州の上杉家を滅ぼすために軍を動かした。それに呼応するかのように京都では石田三成が家康に刃を向けた。 (2018.5.27) 講談社文庫 20071月 781


忍びの女・上

徳川家康の命を受けて豊臣側大名たちの動向を探る甲賀の伴忍び。女忍びの小たまは、福島正則の屋敷に忍び、侍女としてその動向を徳川方へ流してきた。家康が上杉家を攻めた時、大坂方で石田三成が挙兵したことも、小たまたちの活躍によっていち早く家康に伝えられていた。その機会を待っていた家康はすぐさま大坂へ引き返す。途中、関ヶ原での合戦で勝利を収めた家康は、いよいよ豊臣家絶滅へ向けてのシナリオを実行し始めた。 (2018.5.19) 講談社文庫 20071月 781


殺しの掟

養父の殺しを音羽の半右衛門にかつて依頼した伊勢屋勝五郎が、再び半右衛門に殺しを依頼した。今回の殺しは松永彦七郎という浪人だった。だいぶに腕がたつ。生かしておいてもしょうもない者のみの殺しを請け負ってきた半右衛門は、依頼の理由を勝五郎に尋ねた。町医者の木下玄竹が依頼主だった。以前からの知り合いだった彦七郎と玄竹は、偶然に江戸の町で会った。その時、玄竹の家で若い御新造に一目ぼれをした彦七郎は毎日のように押しかけては御新造に詰め寄るようになったという。そのうちに彦七郎は御新造を手籠めにしてしまった。それ以来、御新造は実家に戻って隠れているという。その憎き彦七郎を殺してくれないかという依頼だったのだ。 (2018.4.14) 講談社文庫 19853月 571


まぼろしの城

真田正幸がまだ沼田城を手に入れる前の話。鎌倉幕府が崩壊し、室町幕府が登場した。しかし足利将軍家の力は徐々に衰え、地方の守護が大名となったり、大名のかわりに地方を治めていた地頭が守護を追い出したりという戦国時代へと突入していた。越後の長尾家は管領の上杉家を助けたことにより、管領の地位を継ぎ越後の覇者となっていた。同じころ甲斐の武田信玄も勢力を広げ、両者は天下の覇権をかけた争いを繰り返していた。関東の北条は東北の要衝である沼田を手に入れるべく攻めかかっていた。そんななかで上野の沼田万鬼斎は何とか生き抜いていた。しかし、家臣に取り立てた金子新左衛門により妾のゆのみに篭絡されて何もかもを失っていく。 (2018.3.26) 講談社文庫 20073月 552


真田騒動

真田信幸が上田から松代へ入封されて後の真田家にまつわる物語を短編で紹介する。「信濃大名記」「碁盤の首」「錯乱」「真田騒動」「この父その子」が収録されている (2018.3.17) 新潮文庫 19849月 670


獅子

真田家当主一刀斎信之は、90歳を越えて松代の土地で静かに寿命が尽きるのを待っていた。そこへ先だって当主の座を明け渡した次男の信政が突然に亡くなった。誰もが次の家督は分家である沼田の信利だと考えた。しかし信利は沼田で悪政甚だしく評判も悪かった。大名の役割は領民の安寧を願うことという信之には到底受け容れられないものだった。当時幕府で勢力を伸ばしつつあった老中酒井雅楽頭忠清は信利を支持してやがて真田家を支配しようと画策していた。松代に入り込んでいた幕府隠密と信之のもとで長く影働きをしていた者たちが暗躍し、信州の獅子と言われた信之が最期の戦を開始した。真田太平記の後日談。 (2018.1.14) 新潮文庫 201611月 550


真田太平記(12)雲の峰

家康が亡くなった後、二代将軍秀忠の時代になった。かつて豊臣家に仕え、関ヶ原以降に徳川方についた大名たちは次々と国替えなどで勢力を縮小されていく。親と兄弟で分かれて戦った真田一族も、家康がいなくなり、信之の妻、小松殿が亡くなってから、長く心血を注いだ上田城を明け渡す命令を受けた。新しい信州松代の地へ赴く信之のために、上田の領民たちは城の門から村の外れまで沿道で別れを惜しんだという。草の者として生き残ったお江は、真田を裏切った者たちを追い求め信之の密命を受けながら最後の仕事をした。 (2018.1.13) 新潮文庫 19882月 705


真田太平記(11)大坂夏の陣

大坂冬の陣によって、大坂城は堀をすべて埋められてしまった。しばし豊臣方と徳川方の間に休戦協定が発行した。家康は何度も秀頼に、大坂城を出てくれれば豊臣家を残すと申し出るが、秀頼の母親の淀が認めなかった。戦に勝ち目がないことを認識していた幸村は、それでも武将としての生き方を貫くために大坂方にあって、関東勢と戦う覚悟を決めていた。ついに大坂夏の陣が始まり、幸村は草の者たちと家康に肉薄し、まさに討ち取る寸前まで追い詰めて力尽きた。 (2017.12.17) 新潮文庫 19882月 705


真田太平記(10)大坂入城

秀頼は大坂城に秀吉子飼いの諸将だった牢人たちを抱えこみ、徳川との一戦を覚悟した。幸村は密かに紀州九度山を脱出して入城する。総大将の秀頼は、これまで戦の経験がなかった。だから、片桐且元や大野修理らの言いなりだった。牢人たちが、どんなに優れた策を提言しても、片桐且元や大野修理、淀殿らによって、もみ消されてしまう。西軍の負けを覚悟した幸村は、独断で大坂城に外曲輪として真田丸を建造した。茶臼山から真田丸を巡察した家康は、その存在を畏れた。城内に巧みに内通者を作り、徳川家にとって有利な条件で和睦を成立させてしまう。その結果、真田丸は破壊された。 (2017.10.22) 新潮文庫 19881月 667


真田太平記(9)二条城

次々と豊臣秀吉を支えた武将が死んでいく。秀頼は家康に恭順の姿勢を示すが、家康は釣鐘に自らの破壊を示す呪いをこめたと言いがかりをつけ、対立を増していく。 (2017.10.7) 新潮文庫 19881月 790


真田太平記(8)紀州九度山

上田で徳川秀忠の軍勢を引き留め、関ヶ原の西軍を有利に導いた真田昌幸と幸村は、戦いが東軍の勝利で終わったことが信じられなかった。信之は昌幸と幸村の処刑はやむなしと覚悟していた。しかし、岳父の本多忠勝が決死の嘆願で家康から九度山への幽閉を認めさせた。九度山へ幽閉された昌幸と幸村は、ひたすら家康への恭順の態度を貫きいずれ自由の身になる日を待ち続けた。草の者たちは昌幸からの指示でお江を頭にして、独自の行動で家康の首を狙っていた。大阪城の豊臣秀頼は淀殿の意向により、なかなか家康への恭順を示さなかった。伏見へ上る家康から最後の顔見せ依頼が大阪城に届く。草の者たちは、道中の家康を狙う計画を進める。しかし、幸村から戦の中で、首を取れと厳命された。兄の信之と敵味方に分かれた戦の中で、家康の首を取らなければ、後々、信之らが疑われると説得した。昌幸は、九度山で、死病を患い、関ヶ原で戦えなかったことを悔やみ始めていた。 (2017.9.17) 新潮文庫 198712月 840


真田太平記(7)関ケ原

家康は江戸にあって諸大名に豊臣家に弓引く石田三成を討つべく依頼状を送った。秀吉が生きていた時から三成をこころよく思っていなかった諸大名は競って家康への忠節を誓った。真田家では、家康についた信幸と三成についた昌幸と幸村に分かれた。中仙道から関ヶ原への道を進んだ秀忠は昌幸らの作戦に翻弄され、多くの兵卒を失っていた。信幸を沼田に残し、関ヶ原に着いたとき、すでに戦争は終わっていた。三成が頼んだ諸大名の多くが、家康と内通していた。最後は小早川秀秋の裏切りにより、勝敗が決した。秀忠の大軍を上田に引き付け、関ヶ原の三成を有利に運んだ昌幸は、なぜ家康が勝ったのかがわからなかった。 (2017.9.3) 新潮文庫 198712月 600


真田太平記(6)家康東下

大阪で秀吉亡き後、権力を掌握し始めた家康に対して、越後の上杉は城の備えをかため、追従の姿勢を見せなかった。何度も家康から大阪へ上るように依頼をしてもそれをはねつけた。いよいよ家康は上杉に謀反の意志ありと朝廷に願い出て、秀頼の身を守るという大義名分をもって上杉討伐へ兵をあげた。大阪を家康が空けた頃合いを使って、謹慎していた石田三成が家康討伐のために挙兵した。真田家は家康に仕える長男の信幸と石田に加担することを決めた昌幸と幸村に分かれ、一族が戦う決意をかためた。 (2017.8.3) 新潮文庫 198711月 629


真田太平記(5)秀頼誕生

朝鮮に攻め込んでやがて明をも支配し、天皇を明の王にする。自らはさらに天竺に攻め込んで王になる。武力で天下統一を果たした豊臣秀吉の野望は、果てしなくふくらんでいた。多くの大名や、秀吉の臣下でさえ、不信に思う野望だったが、だれも面と向かって反目することはできなかった。半島での戦争は明の応援によって朝鮮軍が日本軍を打ち破るようになった。講和の話し合いを進めた小西行長と石田三成は秀吉の考えをそのまま相手には伝えなかった。とても講和が進むとは思えなかったからだ。大阪に明の特使を迎えた秀吉は明の皇帝が持ってきた勅書に激怒した。そんな時、側室の淀殿が懐妊した。秀吉は伏見城を新しく築城し、諸大名に普請を分担した。衰えていく自らを鼓舞し、五大老と五奉行による秀頼補佐の体制を作って息を引き取った。その後、秀吉の配下の武将たちが二手に分かれて反目しあうようになった。これを使って徳川家康は大名家どうしの婚姻を次々と進め、やがて覇者への道を歩き始めた。 (2017.7.22) 新潮文庫 198711月 667


編笠十兵衛(下)

幕府は喧嘩両成敗の掟を自らが破って吉良家のみを許した刃傷事件の後始末を焦っていた。まずは吉良家の屋敷を江戸城から遠い場所に移した。これは将軍のおひざ元での仇討ちは赤穂浪士たちがやりにくかろうという思いからだった。つまり、赤穂浪士たちに仇討ちをしやすい環境を整えることで、失政の挽回を狙っていたのだ。中根正冬家臣、月森十兵衛は赤穂浪士たちに新しい吉良屋敷の絵図面をひそかに渡しながら、影に回って仇討ちを助けていく。 (2017.5.23) 新潮文庫 19884月 710


編笠十兵衛(上)

5代綱吉の悪政が広く江戸の町を覆っていた元禄時代。徳川幕府初期のころから将軍の過ちを正す役割を帯びていた主家に仕える月森十兵衛。赤穂の浅野内匠頭が殿中で吉良上野介に刃傷に及んだ。綱吉は喧嘩両成敗を適用せず、内匠頭のみを悪者として、即日、切腹を命じた。幕臣たちも江戸の庶民も、綱吉や側用人の柳沢吉保を憎しとの思いを募らせる。吉良家ではいつ赤穂の浪人たちが討ち入りをするか、戦々恐々としていた。十兵衛は浅野の動きと吉良の動きを探るうちに、何者かに何度も襲われることになった。 (2017.5.23) 新潮文庫 19884月 710


鬼平犯科帳の世界

池波正太郎が鬼平犯科帳を語ったインタビュー。当時の江戸の町に住んだひとたちの暮らしぶり。鬼平犯科帳に登場した多くの人物たちの紹介。これ一冊があれば、鬼平が火付け盗賊改めとして、どのような仕事をして、どこを走り回ったかがすべてわかる。 (2017.5.10) 文春文庫 19905月 476


黒白(下)

小兵衛は市蔵と八郎の関係に気づきながら、静かに見守った。岡本弥助は主の堀大和守から次々と下される暗殺命令を実行していたが、次第に堀大和守との関係を清算したくなっていた。八郎はお伸と市蔵との暮らしを得て、二度と岡本の仕事は手伝わないと決めていた。これが最後の仕事と決意した少年の暗殺命令。その少年に密かに剣術を指南していた秋山は暗殺事件現場で岡本たちを返り討ちにした。岡本を助けようとした八郎は、秋山に見破られ、右腕を失った。数年後、京都を訪ねた秋山は三条大橋から、町人に変わり、表情も穏やかな八郎を見つけた。 (2017.6.19) 新潮文庫 19875月 667


黒白(上)

1750年寛延3年。小野派一刀流の剣客、波切八郎は、翌年に無外流の名手、秋山小兵衛と真剣勝負をすることになっていた。波切道場の名手、水野が辻切りをしていることを知った八郎は、密かに水野を殺害し、道場の床下に埋めた。八郎は道場を出奔し、岡本弥助に請われるままに暗殺を繰り返していた。やがて秋山小兵衛との真剣勝負の日が来たが、八郎は現れなかった。小兵衛は八郎の下僕だった市蔵を自らの道場に雇い入れ、丁寧に扱った。ある日、市蔵は町で八郎を見かけ、再会を果たした。 (2017.6.19) 新潮文庫 19875月 667


夜明けの星

父の敵を追った堀辰蔵。まったく敵の行方が不明なまま江戸で食い倒れてしまいそうになっていた。亡き父から譲り受けた銀の煙管を煙管師に買い取ってもらおうと訪ねたが、まったく相手にしてもらえない。腹を立てた辰蔵は勢いで煙管師を殺してしまった。自暴自棄になっていたところへ、三井覚五郎という浪人が現れた。三井は堀の剣の腕前を見抜き、仕掛け人として育てていく。煙管師の娘のお道は、父親惨殺後、長屋の人たちのはからいで、町の御用聞きの下働きとして生きていくことになった。やがて、お道の働きぶりに目をとめた小間物屋の女将が「うちで奉公させてほしい」と願い出た。お道は小間物屋で女将の厳しい躾に耐えながら、奉公をつとめていく。母親からいつも叱責をされていた息子の芳太郎が、お道を土蔵で犯した。芳太郎は何度の結婚するが、女将と嫁との折り合いがうまくいかず、いつも嫁が逃げてしまった。そのうっぷんをお道ではらそうとした。しかし、何度か土蔵で逢瀬を繰り返すうちに互いに感情が芽生えた。お道に子どもができた。女将はお道を養女にして、二人を結婚させた。 (2017.3.11) 文春文庫 198312月 438


真田太平記(4)甲賀問答

真田の草の者として甲賀の山中家から分かれた馬杉市蔵の娘、お江。山中家としては裏切り者のお江を生かしておくわけにはいかず、その後何人もの追手を差し向けた。そのたびに犠牲者が増えた。そのお江が、豊臣秀吉の側に仕える山中長俊が、密かに甲賀山中家を訪ねていたことを突き止め、深く甲賀領内に侵入してしまう。すでに、本家では何者かの侵入を察知していた。お江は、死を覚悟して脱出を試みるが、力尽きていよいよ意識が遠のいてしまった。その時、田子庄右衛門に助けられ、隠し小屋の地下蔵で傷の治療を受けた。かつて田子は馬杉ととともに武田忍びとして働いていた。信玄が亡くなったのち、甲賀への引き上げ命令に従わなかった馬杉と、甲賀へ戻った田子は袂を分かっていた。しかし、馬杉と田子との間には、わざと異なる道を歩むことによって互いの連絡をいつの日かとるという確約がなされていた。馬杉はすでに亡くなっていたが、その娘が眼前に瀕死の状態で現れた。いまは山中家に世話になっている田子だったが、お江を助けることに何ら躊躇はしなかった。秀吉の老いはいよいよ進む。世の中の混乱を平定したと思ったら、朝鮮に攻め込み、そのまま明を滅ぼし、中華を秀次に譲り、自らはさらに天竺まで進んで大帝になろうとしていた。 (2017.7.11) 新潮文庫 198710月 629


真田太平記(3)上田攻め

甲斐の国を征した徳川家康は北関東を手中にすべく北条と手を結びながら沼田を目指した。真田昌幸は豊臣秀吉につなぎをつけ、上杉景勝と同盟した。人質に差し出した幸村を景勝は戦に必要と追い返し、戦の後に預かると約定した。昌幸は感激して景勝への恩を深めた。北条と徳川の大軍が上田と沼田に迫った。信幸は決死の突撃で大軍をかき乱し、勝機を得た。真田昌幸軍は少数ながら大軍を退けた。真田に近づく素振りを見せつつ、徳川へも配慮を保つ秀吉は北条を取り込むように家康に命じた。しかし再度に渡る命にもかかわらず、北条は大阪へ行こうとしなかった。秀吉と家康の謀略によって、名胡桃の鈴木主水が割腹し、北条が上州へ進出した。その口実をもって秀吉は小田原攻めを天皇に認めさせた。すでに九州を平定した秀吉は北条を滅ぼすことで正真正銘の天下人になった。にもかかわらず、秀吉は新たな出費を大名に強いた。朝鮮出兵だ。弟の秀次が死に、やっと産まれた幼子が死んだ。心の空白を埋めるかのように、再び諸国民に疲弊を求め始めた。 (2017.4.29) 新潮文庫 198710月 629


真田太平記(2)秘密

織田信長が本能寺で明智光秀に討たれてから、わずか数日のうちに羽柴秀吉は京都に取って返した。十分に政権を掌握しきれない明智光秀をあっという間に殺害した。上州では、真田昌幸が徳川と北条の連合軍から沼田を守るべく策をめぐらしていた。その一つが上田に真田家の本城を築くことだった。何度か徳川に築城の許可を求めたが返事が全くない。昌幸はついに徳川の許可を待たずに上田場建設に着手した。そのためにこれまで何度も戦闘を繰り返してきた上杉への同盟を呼び掛けた。次男の源二郎を人質に出してまでもと覚悟を決めたが、北条や徳川との戦いが終わるまでは源二郎を手元に置きなさいと上杉に諭された。向井佐平次は源二郎の側で御用を勤めながら、同じ場内のもよという女と所帯をもった。そんな佐平次に源二郎は自分の出生の秘密を打ち明けた。そんな時、昌幸のもとへ草の者から徳川家康が死んだかもしれないという情報が届いた。 (2017.4.11) 新潮文庫 19879月 590


真田太平記(1)天魔の夏

1582年(天正10年)3月。武田勝頼は真田昌幸の助言を受け入れず、織田・徳川連合軍に囲まれ、天目山の山中で自刃した。妻や子どもらもすべて自決し、武田一族は滅亡した。長野の高遠城にいて、瀕死の重傷を負った向井佐平次は、真田の忍者であるお江に命を救われ、甲斐の国で勝頼の自刃を知る。さらに真田の草の者(忍者)らの助けで、上州までたどり着いた佐平次は、昌幸の次男である源二郎信繁に会った。源二郎は一目で佐平次が気に入り、自分の馬の背に乗せて城まで連れ帰る。武田家亡き後、織田の武将が北関東へも押し出してきた。小田原の北条と反目しあってきた真田は、北条が北関東へ進出してくることを恐れていた。中国の毛利と九州を制覇すべく、信長は西日本への総攻撃を始めた。そんな時、中国攻めの先鋒だった明智光秀が、京都の織田信長を襲う謀反が起こった。甲賀忍者だった父が、甲賀を裏切り武田忍びに徹したがために、その娘のお江も甲賀忍者から命を狙われ続けた。 (2017.3.26) 新潮文庫 19879月 600


旅路・下

何としても近藤を討つ。どうせ討てなくても近藤の手にかかって死ぬ。美千代はその一念で、奉公していた屋敷を飛び出した。近藤の行く先をつかみ、必ず命を狙うつもりだったが、またしても無頼の浪人につかまり、犯されそうになった。そこに通りかかった小さな道場主の加藤平十郎が、美千代を助けてくれた。金を盗まれて行くあてのなくなった美千代を、とりあえず平十郎は自分の道場に連れていく。母屋を美千代に住まわせて、自分は道場で寝起きする暮らしを始めた。そのうちに、平十郎の人柄に魅せられた美千代は、近藤のことを忘れそうになった。番人の茂兵衛が在所に帰ったとき、二人きりになった。平十郎は美千代の身の安全を確かめに母屋に向かった。美千代は、平十郎と二人きりになって、気持ちを抑えることができなくなり、二人は結ばれた。茂兵衛が戻ってきて、二人が夫婦になることを聞いて喜んだ。しかし、平十郎は美千代から近藤のことを聞いていたので、夫婦になる前に自分が近藤を倒さなければいけないと決めていた。ついに近藤の不意を衝くチャンスが訪れた。 (2017.2.28) 文春文庫 198210月 520


旅路・上

18歳の美千代が彦根藩の三浦家に嫁いだのは18歳だった。夫の芳之助は美千代に安らぎを与えてくれていた。嫁いで1年が過ぎたとき、近くの通夜に出かけた夫が、帰り道、同じ家中の近藤虎之助に斬り殺された。夫との日々を急に奪われた美千代は藩が下した三浦家の廃絶を受け入れられず、そのまま彦根藩から姿を消した。三浦家の奉公人であった井上忠八のすすめで、一時京都に身を寄せ、近藤を探し出し、復讐するためだった。井上の探索で近藤が江戸に逃げたらしいという情報が入り、二人は東海道を下っていく。途中、雨宿りをした無人小屋で、美千代は忠八に襲われた。それを救った2人の浪人によって、美千代は助けられたかに見えたが、今度はその浪人が美千代を襲った。そこに医師の老人が現れ、たちまちのうちに浪人を退散させた。江戸へ向かうという老人は、美千代とともに東海道を下る。途中、他の者に美千代を任せて老人は消えた。江戸に出た美千代は、印判師の家に奉公に上がり、武家の生活から町人の生活へと自らのあり方を変えていった。そんなとき、忠八が背中に短刀を突き立てられて、美千代の元に現れ、息絶えた。最期に近藤の住まいを美千代に伝えて。 (2017.2.26) 文春文庫 198210月 520


江戸の暗黒街

香具師のもとで、殺人を請け負う殺し人たち。それぞれの生き方と死に方を8つの短編で紹介する。後に仕掛け人・藤枝梅安に結実していく作者のものづくりが見えてくる。「おみよは見た」「だれも知らない」「白痴」「男の毒」「女毒」「殺」「縄張り」「罪」を収録。 (2017.2.1) 新潮文庫 20004月 490


武士の紋章

小説ではなく歴史エッセイという形式で、池波正太郎が「これぞ武士(おとこ)」と思うひとたちを取り上げている。智謀の人・黒田如水。武士の紋章・滝川三九郎。三代の風雪・真田信之。首討とう大阪陣・真田幸村。決闘高田馬場。新選組生残りの剣客・永倉新八。三根山。牧野富太郎。 (2017.2.15) 新潮文庫 199410月 550


雲霧仁左衛門(後編)

名古屋での盗みで思っていたよりも少ない小判しか盗めなかった仁左衛門は、江戸で最後のつとめの軍資金を稼ぐ必要があった。すんでのところで雲霧一味に逃げられた火付盗賊改メの面々は、今度こそ捕縛すると誓っていた。長いこと名古屋に残り周辺の探索をしていた同心の高瀬と政蔵親分は江戸へ戻る途中で、雲霧一味を発見し、互いに協力しながら江戸までの尾行を続けた。そして、次の犯行が江戸で行われることを突き止め、万全の態勢で準備にとりかかった。商家に鍼灸師として出入りをしていた富の市は仁左衛門一味の引き込み役立った。屋敷に仕掛けられた桟の鍵を外す役目だったが、主から富の市を高く買うと約束されてついつい引き込み役を忘れてしまう。いよいよ盗みの日がやってきた。 (2016.12.26) 新潮文庫 19826月 890


雲霧仁左衛門(前編)

雲霧仁左衛門一味は最後の大仕事をするために名古屋に入っていた。材木商の松屋に引き込みとしてお千代が入った。お千代は京都のやんごとなき方の落とし胤と偽って、松屋吉右衛門の女房に収まっていた。名古屋での雲霧一味の動きを察した暁一味の番頭がこっそり雲霧一味を抱き込んで、盗んだ小判をかすめとる計画が浮上した。仁左衛門は、隠密裏に計画を進め、ある夜、突然、松屋に入りこみ、5000両を手にした。 (2016.12.20) 新潮文庫 19826月 819


戦国幻想曲

織田信長が明智光秀に討たれたころ、大名の家臣として槍の達人だった渡辺勘兵衛は、自分が信じた大将を探し求めていた。豊臣秀吉の時代になって、太閤から励みの言葉をかけられた勘兵衛は、以降、豊臣のために尽くしたいと願うようになった。しかし、周囲の環境や時代はそれを許さず、勘兵衛は徳川方の藤堂高虎の家臣として仕官が認められる。大阪、冬の陣と夏の陣では徳川方の武将として豊臣家を滅ぼすという役割を担ってしまう。 (2016.12.3) 新潮文庫 19904月 790


西郷隆盛

せごどん(西郷隆盛)は幕末の混乱期に薩摩藩で絶大な人望を集めて、清廉潔白なリーダーとして徳川幕府終焉へと時代をリードした。むやみに徳川家御家人たちの殺戮を好まなかったが、長州藩の強い押しに屈して、上野で無益な血を流した。新しい政府ができても、武士のよのなかを新しい社会構造へ変革させる原動力として西郷は頼まれた。しかし、大久保らがヨーロッパなどを歴訪した時、国内に残り、勝手をするなと申し送られたことに反発をする。当時の韓国王朝に直談判する決意を固めていたのに、帰国した大久保らの策謀により、渡韓は中止させられた。それ以降、すべての役職をやめて鹿児島に引っ込んだ。彼を慕って多くの政府役人や軍人も鹿児島へ帰ってしまう。中央政府が、地方で反発する勢力を次々と弾圧する。その矛先がついに鹿児島にも向けられる。「この戦争が日本人どうしが殺しあう最後の戦争になることを願う」。薩摩軍を率いて、西郷は陸路、熊本へ向かった。 (2016.11.21) 角川文庫 19794月 476


賊将

中村半次郎は薩摩藩で「からいも侍」と蔑まれる低い身分の侍だった。しかし、西郷隆盛に好まれ、天皇警護の役目で京都へ赴くと、それまで鍛え上げた薩摩示現流の技を見せ、周囲も驚く活躍をした。やがて明治新政府ができた後は陸軍大将になった西郷隆盛のもと、同じ陸軍少将として活躍する。当時、朝鮮半島の韓国はかたく国を閉ざし、日本ともこれまで以上に接点を閉ざそうとしていた。西郷隆盛は韓国に赴き、開国を迫る特使にならんと宣言した。そうすれば現地で暗殺されかねない。むしろ西郷隆盛は、自分の命を捨てて、戦争の口実になればいいとさえ思っていた。それれの考えがほかの政府幹部、とりわけ徳川時代から苦楽をともにしてきた大久保利通からも反対されたことを受け、すべての役職を辞して鹿児島へ帰ってしまう。もちろん半次郎(すでに桐野利秋と改名)もともに鹿児島へ帰る。そこで政府の弾薬庫を襲い、中央政府へと軍隊を進める中心となった。タイトルとなった「賊将」のほかに「応仁の乱」「刺客」「黒雲峠」「秘図」「将軍」を収納。 (2016.11.2) 新潮文庫 199212月 520


抜討ち半九郎

関根半九郎は抜打ちの達人だった。いまは上田領から山越えして松本の領地に入り、辻堂で野宿。食べるものもなく垢と埃にまみれた僧衣に姿を変えていた。かつて使えていた屋敷で自分の許婚を上司が犯した。その後、許婚は自害する。憤慨した半九郎は上司を斬った。本来ならば上司が罰せられるはずが、周囲の謀略によって半九郎が牢屋に押し込められた。やがて牢を破って逃げ出した半九郎は、その後悪の世界で名をはせていった。14年前に北国の稲毛藩というところで永徳院という寺が襲われて6000両もの大金が奪われた。もちろん奪ったのは半九郎を頭とする窃盗団だった。そのとき、窃盗団のひとりが寺の女を犯そうとしたので半九郎はそれを斬り捨てた。やがて仲間と合流して斬り捨てられた男の仲間も斬り殺した。窃盗した金を大事に山奥の小屋に運ぶ途中、なぜか稲毛藩の追っ手たちが待ち構えていて、さらに仲間が何人か死んだ。ばらばらになりながらも山奥の小屋で再開した一味。千両箱の蓋を開けると、なかには泥と石が詰まっていた。寺の和尚がこういうこともあるだろうと偽の千両箱を用意していたのだ。しかし、一味は半九郎が独り占めしようとしたのだと疑い、そこでも殺し合いが始まった。そこにかつて半九郎が殺した上司の息子が敵討ちに現れた。だれが敵でだれが味方かもわからないなか、再び半九郎は生きのびてしまった。以来、14年間、半九郎は諸国を旅しながら絶対の孤独と向かい合う。ただ一つ、どこかに生きている息子の消息を訪ねながら。ほかに「奸臣」「霧に消えた影」「妻を売る寵臣」「清水一角」「番犬の平九郎」「猿鳴き峠」を収録。 (2016.8.4) 講談社文庫 199211月 460


剣法一羽流

常陸の国。諸岡一羽斎の屋敷から秘伝書が盗まれた。盗んだのは3人の弟子の中のひとり、根岸兎角だった。兎角は3人のなかでもっとも入門は遅かったが剣に優れていた。残された2人の弟子、岩間小熊と土子泥之助は兎角を追う支度をする。しかし師匠の一羽斎は兎角のすきにさせろと言う。我慢できなかった小熊は師匠を説き伏せ、江戸に出て兎角を探し、見つけ出した。将軍の立会いのもと、ふたりは尋常の戦いをして、兎角は敗れた。江戸で大きな剣道場を開いていた兎角の後を継ぎ、小熊は秘伝を探すことをやめて贅沢な暮らしに甘んじた。数年後、江戸で兎角に剣を教わった弟子たちに襲われて小熊は亡くなった。常陸で小さな道場を継いだ泥之助ただひとり、諸岡の教えを日々門弟に教えることになった。このほかに「そろばん虎之助」「闇討ち十五郎」「冬の青空」「小泉忠男の手」「土俵の人」「仇討ち街道」を収録。解説は佐伯泰英。 (2016.9.3) 講談社文庫 20079月 629


その男(3)

江戸が東京と改められた。虎之助は刀を捨て「開化散髪処」という床屋を始めていた。横浜まで修業に行きわずか3か月で師匠から開業を認められた。あるとき、そこに陸軍少将になった中村半次郎改め桐野利秋がやってきた。運命的な出会いを経て、虎之助はかつて桐野が自分が父と仰ぐ池本を殺した張本人であると知る。大久保を首班とする新政府は、かつての士族たちの特権を次々と奪いつつ、新しい国のかたちを作ろうとしていた。政治にまったく興味を失った西郷隆盛は鹿児島へ戻った。これを追って桐野も鹿児島へ戻った。桐野に事件の真相をただすため、虎之助も鹿児島に入る。池本を斬ったことを隠そうとしない桐野。敵を討つつもりだった虎之助は次第にその人柄に惚れてしまい、桐野と西郷の行く末を見届けたいという欲求に負けて鹿児島に滞在し続けた。やがて東京から西郷暗殺の密偵が鹿児島に入る。その責任を問うために薩摩軍を結成し、東京への行軍が始まった。しかし、薩摩軍は結局九州から出ることができず、ふたたび鹿児島に戻って政府軍によって壊滅させられた。虎之助は総攻撃の前日に政府陣地に送られて、その後は昭和13年まで生きた。 (2016.8.20) 文春文庫 19817月 360


その男(2)

京都に上った虎之助は師の池本が幕府の隠密をしている事実を知る。池本は虎之助が京都にいることを望まず、江戸に戻って騒乱が終わるまで礼子と静かに暮らすように諭す。池本の教えを受けて、江戸に戻った虎之助は礼子との新婚生活を楽しんだ。もう薩摩の追手が自分を追うことはないだろうと油断したとき、礼子ひとりを残して外出をした。その隙に自宅に薩摩の追手が入り、礼子が殺された。虎之助は池本の教えを守らなかった自分を責め、金杉の家をひとに渡して京都に上った。池本に会って、礼子を亡くしたことを自分の口から報告するつもりだった。そんな矢先、薩摩屋敷を見張っていた虎之助は礼子を殺した相手を見つけて、これを斬って敵を討った。同じとき、池本が何者かに襲われた。同じ道を通りかかった虎之助は池本を背負い、宿屋に連れていき傷を医者に見せた。しかし、池本はしばらくのちに息を引き取った。礼子の死を告げられないまま、虎之助は池本の骨を礼子の墓の横に埋めた。ふたたび京都に上った虎之助は、池本を殺した相手を見つけて敵を討つことを誓った。 (2016.8.18) 文春文庫 19817月 360


その男(1)

杉虎之助は、継母に疎まれて家出をして大川に身投げをした。それを見ていた池本茂兵衛が命を救い、諸国を連れまわってひとかどの剣士に育て上げた。虎之助はずっと池本と行動を伴にしたかっがら、池本がそれを許さず、虎之助に「いまの混乱したよのなかが収まるまで、そっと過ごすように」と江戸に家を用意した。いつもどこからか池本が虎之助に多くの金を送ってくれる。それをもとに虎之助はゆったりとした暮らしを送っていた。日本列島の周囲にはロシアやアメリカの軍艦が通商を求めにやってきていた。幕府はそれまでの鎖国政策を推し進めることができず、いくつかの港を開くことを認めた。それに反発した諸国の大名や浪士が勤王を叫び、倒幕の機運が高まっていた。礼子と呼ぶ女を池本の頼みで彦根まで送った。そのとき礼子を薩摩藩の刺客が襲った。これを撃退した虎之助は池本の役に立ちたいと願うが、それでも池本は江戸でのんびり暮らせと命令をする。万延元年の三月。安政の大獄で幕府の権威を知らしめた大老の井伊直弼が殺された。 (2016.8.16) 文春文庫 19817月 476


スパイ武士道

藤野川は信濃と飛騨の国境あたりに水源を発し、筒井藩105千石の城下町の西方わずか五里ほどを流れて日本海に注いだ。筒井藩の江戸屋敷で勘定方組頭を勤めていた弓虎之助は、先祖代々に渡って公儀から差し向けられた隠密という役割を担ってきた。官吏として有能に働きながら、藩の内情を定期的に公儀に報告してきたのだ。藤野川が氾濫し、国元に帰って水利工事に勤務するように命じられて、若い殿様の土岐守正盛は、同じく若い家臣の堀口左近を頼りにして弓とともに帰国を命じた。ふたりは力を合わせて、筒井藩で水利工事にあたり、治水は完璧なものになった。若いふたりの活躍をねたむ古い家臣たちを尻目に堀口は次々と藩政改革を断行し、貧しかった筒井藩を豊かな藩へと変貌させた。それにともなって、老中の地位を手に入れ、年貢を高くし、領民からも家臣団からも忌み嫌われる存在になってしまった。弓は定期的に公儀からの指令を受け続けた。指令は「堀口の悪政を助けよ」という意味がわからないものだったが、指令のとおりに弓は働いた。ついに堀口は家臣から刃を向けられて瀕死の重傷を負う。 (2016.9.17) 集英社文庫 19776月 240


俺の足音(下)

大名同士の喧嘩では両成敗が掟なのに、将軍綱吉は浅野内匠頭を即刻切腹にして、吉良上野介には罰を与えなかった。世間は一気に幕府への不満を募らせ、いつ赤穂浪士が吉良屋敷へ討ち入りをするかと期待を膨らませた。しかし、国家老の大石内蔵助は浅野内匠頭の弟の浅野大学を浅野家の跡取りとしてお家の再興をあくまでも幕府に願い出ていた。それがかなわないならば、いよいよ吉良を打ち取る覚悟だった。浪士の中には討ち入りにはやる者やお家再興がかなわないのであれば、赤穂から離れる者まで考え方が分かれていた。大石内蔵助は幕府が大学を浅野本家への預かりとする命令を出した。これにより赤穂浅野家の取りつぶしが決定された。つつがなく城を明け渡した内蔵助は、いよいよ浪士たちに「今後は自分の命に必ず従うように」と強く命じ、着々と討ち入りへと向かっていった。 (2016.10.4) 文春文庫 197712月 486


俺の足音(上)

代々播州・赤穂五万三千石の国家老として仕えてきた大石家の長男・竹太郎は、剣術も書道もひとなみだが抜きん出ない。本人はやる気満々だが、気が付くと居眠りをしている。ご家中ではそれでも竹太郎を憎む声は聞こえなかった。小柄で丸顔の竹太郎は凡庸として愛されて育った。18歳になったとき、祖父の手伝いをしていて蔵の中で二人きりになった女中のお幸と交わりを持ち、以来すっかり女の肌に溺れきってしまった。ある日、お幸が父親とともに赤穂から脱走した。身分の違いすぎるふたりが所帯をもつことが許されなかった時代だ。お幸の父親は娘の将来を案じて故郷を捨てた。竹太郎はお幸が忘れられなく、自らも大石家は弟に譲り、自分は武士を捨てると祖父に宣言し、赤穂を脱走した。そして京都にひとを頼り、お幸探しを始めた。しかし、国家老の祖父が突然に死んでしまい、先に亡くなっていた父に代わって、急きょ自分が大石家の家督を継ぐことになってしまった。お幸探しをあきらめたわけではないが、一時赤穂に戻って国家老に着任し、若い領主である浅野内匠頭を助けることになった。 (2016.10.1) 文春文庫 197712月 466


雲ながれゆく

江戸の菓子問屋「笹屋」の女将だったお歌は亭主に死に別れて実家へ戻る決意でいた。子どもがいなかったのお歌は亭主の弟に仕事のノウハウを教えるが、弟の福太郎はまったく飲み込まない。ひとに頭を下げることが苦手な福太郎は古くからのお客をどんどん減らしてしまう。そのうちに店に寄り付かなくなり、やがては博打と酒に溺れる始末。長年女中として働いてきた女が体調を崩したので見舞いに行ったお歌はその帰り道、雨宿りで立ち寄ったお堂で得体の知れない男に犯されてしまう。しかし、その男の不思議な挿入の仕方に、お歌は犯された悔しさをあまり感じない。むしろ、再び会いたいとまで思うようになった。お歌の実家は兄夫婦が切り盛りしていた。しかし、商売上手のお歌が戻ってくるということで、歓待した。しかし、笹屋の番頭はお歌に店に戻ってほしいと懇願する。ついにお歌は一年限りという約束で笹屋に戻り、商いの立て直しに着手した。そんなとき幼馴染の徳太郎が、お歌に頼まれて謎の男の住み家を探し当てた。お歌はひそかに男の住み家を訪れるが、そこでふたたび男に犯されてしまう。今度はお歌が逃げなかったので、犯されたというよりも、それを待ち望んだというほうが正しいかもしれなかった。 (2016.10.18) 文春文庫 19861月 514


秘密

生まれ育った藩でふとしたことから、立会人のある決闘をした片桐宗春。正式な決闘だったにもかかわらず、斬った相手が悪かったため、追われる身になって諸国を逃げ回る。その後、江戸に出てひっそりと医師として生活してきた。そこには愛しい遊女がいて、気のあう近所の衆がいた。世話になった同業の医師もいた。追われながら、こそこそと生きるよりも、正当な自分を隠すことなく生きてやろうと気持ちが動いていくが、なかなか自分の秘密を周囲へ漏らすことができないでいた。 (2016.7.13) 文春文庫 20132月 629


幕末新撰組

松前藩の江戸詰め家中に生まれた永倉新八は、幼年の頃から父親の仕事である経理を受け継ぐよりも剣術を好んで育った。成長してからは、その傾向が強くなり、藩の仕事を覚えさせようとする両親に反抗した。ついに新八は、脱藩し、知人の元に身を寄せながら、剣術の稽古を繰り返した。時代は幕末。徳川幕府が巷にあふれる浪人たちを集めて、京都の治安を守る名目で警護隊を募集した。当時、新八が通っていた試衛館では道場主の近藤勇が、その呼びかけに応じて京都に向かうことになった。新八も同志として参加した。この募集には清川八郎の企てが隠されていたが、新八らは知る由もない。京都に到着してからは、隊を新撰組と称し、芹沢鴨と近藤勇が局長となった。京都には徳川幕府を倒し、外国人勢力を追い払い、天皇を中心とした国づくりを目指す勤皇の志士たちが終結していた。その者たちを、新撰組は次々と暗殺していく。次第に勤皇の志士たちから恐れられると同時に恨まれていく新撰組。同志内でも無謀な振る舞いに粛清の嵐が吹き荒れ、芹沢鴨が暗殺される。徳川幕府は将軍職を返上し、一大名として新しい次代に天皇を支える姿勢を貫こうとするが、何度も征伐を受けた長州勢がこれを許さない。尊皇攘夷は徳川一族とその家臣団の滅亡とセットにして動いていく。あくまでも徳川幕府を支える仕事を望んだ新八らは、新撰組の置かれた位置に疑問を抱き始める。大正4年まで生きた新八を主人公に据えて、幕末の動乱と内戦を描いた長編小説だ。 (2016.7.23) 文春文庫 19792月 467


乳房

鬼平犯科帳の番外編。若いお松は商家の女中として働いていたが、陰気で老けて見えたのでほかの女中たちからは声もかけられなかった。ただ一人商家の娘のみ、お松のことをかわいがってくれた。その日も娘の伴で外出していた。娘が買い物をしているとき、店先を通り過ぎた男を見たとたん、お松は男を追いかけていた。それ以来、お松は商家に戻ることはなかった。男はかつてお松を捨てた煙管造りの勘蔵だった。酔った勘蔵がぼろ家にたどり着き、そのまま寝てしまった。お松は自分を捨てた男への憎しみと、いまの勘蔵が女と暮らしていたことに気づき、逆上した。気づいたときには勘蔵を絞殺していた。必死にその場から逃げたお松は、浪人につかまり、犯されそうになった。たまたま通りかかった長次郎が機転を利かせてお松を救う。そこからお松の人生は大きく動いていく。同じ頃、放蕩の限りを尽くしていた若かった長谷川平蔵は、亡くなった父の家督を継ぎ、御家人として城内の勤めに励んでいた。長次郎に救われたお松は、なぜ自分のような女を長次郎は救ったのだろうかと考える。長次郎は小間物を売る小さな店の主だった。その裏では阿呆烏と呼ばれる稼業をしていた。 (2016.7.5) 文春文庫 198712月 476


蝶の戦記(下)

将軍足利義昭を奉って京都に屋敷を構えさせた織田信長は、何事も自分を通して命令を発するようにと将軍に指図をする。その指図が気に喰わない義昭は諸国に織田追討の触れを出す。そんなことにびくともしない信長は、義昭の触れに呼応する武将への攻撃を続ける。近江の地を長らく治めてきた六角家征伐もその一つだった。甲賀の地で長い間、六角家のために働いてきた杉谷一族は、天下の趨勢とは関係なく六角家への助力を惜しまなかった。於蝶たちも、頭領の命令に従って、ひたすらに信長の首を取るべく忍び働きをしていた。しかし、甲賀の部族のなかには、これからの天下は信長の時代になると呼んで、六角家からの申し出を断り、願えるものもいた。その一つ、山中家は同じ甲賀忍びながら、於蝶ら杉谷家と殺し合いを始めた。やがて六角家は信長の攻撃の前に城を明け渡した。散り散りになった杉谷忍びは、浅井長政に取り入って、別働隊として信長の命を狙う許しを得た。織田・徳川連合軍と浅井・浅倉連合軍の姉川戦争が行われようとしていた。杉谷信正棟梁は信長の本陣を予想して長い時間をかけて火薬などのを忍ばせて準備をした。戦争開始から多くの血が流された姉川戦争で、頭領は信長とわずか三間の距離にまで迫ったが首を取ることはできなかった。爆風に吹き飛んだ於蝶が気がついたとき、すでに戦争は終わっていた。それから8年のときを経て、於蝶は全国で忍び働きをして、再び越後の上杉家にたどり着いた。 (2016.6.12) 文春文庫 200112月 629


蝶の戦記(上)

16世紀。足利将軍家はかたちばかりとなり、全国の豪族が自らの領地を武力で広げ、やがて天下を統一することを狙っていた。甲賀忍者の於蝶は親方の命令を受けて忍びの日々を送っていた。そんななか大きな働きが舞い込んできた。越後の上杉家へ叔父の小兵衛と入り、謙信を助けて武田を討てという命令だった。家臣の家来として上杉家に入った於蝶は男装して謙信の御側衆になった。食事を運んでくる家臣が敵方の忍びから毒薬を受け取っていることを知った於蝶は謙信の前で、その家臣の裏切りを告発した。その功を謙信がありがたがって、以来、謙信は於蝶を男性と信じたまま常に身近に置いた。いよいよ本格的な武田信玄との戦いが始まろうとしていた。武田勢に組していた信州の小さな部族が本当に上杉に内通してくれるかを確かめる命令を受けた於蝶は単身で武田方に忍び込んだ。しかし、そのことが発覚し、同じ一族の女忍びの命を失ってしまう。かわりに謙信に伝えた於蝶の情報により、上杉勢は川中島の戦いであと一歩で信玄を討つ寸前まで追い詰めることができた。やがて甲賀に戻った於蝶は親方から新しい命令を受けた。それはこれまでのどの命令よりも命がけのものだった。なにしろ、あの織田信長暗殺の命令だったのだ。 (2016.6.7) 文春文庫 200112月 629


近藤勇白書(下)

かねてから徳川幕府や朝廷と近かった薩摩藩は会津藩とともに京都の御所を守っていた。これに対して、天皇を長州に移し、新しい国の中心になろうとする長州藩の革命勢力が京都に迫っていた。勇ら新撰組の面々は、日々洛中で長州藩に近い者たちを殺戮し続けていた。しかし、新撰組への攻撃も強く、自分たちは何のためにここまで来たのかという疑念が少しずつふくらんでいた。土佐藩の山内容堂は、徳川氏が政権を天皇に返し、その後、一大名として新しい国の参与となるべしという大政奉還論を打ち立てた。これに呼応した十五代将軍徳川慶喜は、天皇に政権を返上した。しかし、長州や薩摩は密かに裏で手を回し、政権を返上した徳川氏に領地と領民まで返還せよと迫った。これでは約束が違うと元幕臣らは殺気だった。このまま大阪に残っていては、大きな動乱が起こってしまうことを懸念した徳川慶喜はわずかな者たちと江戸へ逃げ帰ってしまった。新撰組ら、京都守護警備の任にあった者たちも、隊員の脱走にあいながら、江戸へ戻った。そこでは上野にこもってしまったかつての将軍がいた。やがて錦の御旗を打ち立てた薩摩と長州ら連合軍が江戸へ迫った。勇は土方の考えを入れて千葉の流山で再起を願う。そこにも官軍が迫り、もはやこれまでとあきらめた勇は単身で敵の本陣へ立ち向かっていく。 (2016.5.21) 講談社文庫 20162月 740


近藤勇白書(上)

江戸・小石川・柳町にあった剣術道場「試衛館」。道場主の近藤勇は、日々、少ない門弟に稽古をつけていた。ときどき、腕に自身がある者が訪ねてくると、当時、江戸で一番の繁栄をうたっていた神道無念流・斎藤弥九郎道場の「練兵館」から塾頭の渡辺昇を呼びつけて退治してもらっていた。それほどに、逃げの一手で相手にしなかった。そのことをお城の大奥で女中をしていた妻のつねは軽蔑しきっていていた。時代は急運を告げ、幕府は倒幕や尊皇攘夷を掲げる革命勢力を抑制し、京都の治安を守るために浪士隊を結成し、京都に送り込んだ。勇をはじめとする試衛館の面々も応募して京都に滞在した。そこで会津藩預かりとなり、多くの暗殺を遂行する。また勇と同じ局長の芹沢鴨の横暴を見かねて、副局長の土方らとはかり、これを殺してしまう。寺田屋事件、池田屋騒動など、革命の浪士たちを新撰組らが襲い、多くの流血を見た衝突がいくたびも繰り返されていた。 (2016.5.17) 講談社文庫 20162月 740


仕掛人・藤枝梅安
梅安冬時雨7

白子屋を倒し、なおも残党たちに命を狙われた梅安はほとんどの敵を倒していた。いまは世話になった大店の主夫妻を連れて熱海で湯治に明け暮れていた。そんなとき、白子屋の二代目になった切畑の駒吉は梅安を倒すことが真の二代目襲名と考えて、仕掛け人を大阪から江戸へ送った。これまで何度も梅安に仕掛けを頼んできた音羽の半右衛門は駒吉が寄越した仕掛け人情報をつかみ、梅安を守ろうとする。いまは品川台町で梅安のかわりに彦次郎と十五郎が治療院を守っていた。半右衛門からの便りを受け取った梅安は急ぎ江戸に戻り、彦次郎たちに警戒の呼びかけをした。やがて熱海の湯治を開けて江戸に戻った梅安は、品川台町の屋敷近くに自分の家を建てるべく大工探しに奔走した。次々と梅安の前に仕掛け人たちが現れる。そのたびに命拾いをしながら、梅安はやがて彦次郎や十五郎とともに住む家の建設に気持ちを高ぶらせていく。未完のまま作者死亡により絶筆となっている。 (2016.6.19) 講談社文庫 20017月 590


仕掛人・藤枝梅安
梅安影法師6

白子屋を倒した梅安は江戸での白子屋の取り次ぎ役立った山城屋伊八に命を狙われる。伊八は3人の仕掛け人を用意して周到に梅安を狙う。しかし、ことごとく梅安の反撃に遭い、仕掛け人たちは落命した。 (2016.5.25) 講談社文庫 20017月 552


仕掛人・藤枝梅安
梅安乱れ雲5

白子屋を単独で仕留めようと江戸を離れた小杉は東海道の宿で暴漢に襲われて負傷した。小杉を単独で白子屋に立ち向かわせてはいけないと考えた梅安は後を追う。そして、途中の宿で体調を崩した武士を介抱する。この武士は大阪で白子屋から梅安の仕掛けを頼まれた男だったが、梅安の顔を知らなかったし、宿では梅安が偽名を使っていたので、命の恩人として深く心に刻んだ。江戸では白子屋の囲い女が誘拐されていた。その一報を耳にして白子屋は東海道を下り江戸に入った。囲い女を誘拐したのは音羽の親分だった。音羽は幕府の中枢から白子屋の仕掛けを頼まれていた。しかし梅安がしばらくは仕掛けをしないというので彦次郎と小杉に仕掛けを頼んだ。江戸に入った白子屋は患者になりすませた仕掛け人を梅安の療養所に入れて暗殺を企んだ。すんでのところで刃をよけた梅安だったが、手伝いをしているおせき婆さんが傷を負った。無関係の人間を仕掛けに巻き込んだ白子屋に怒りをたぎらせた梅安は単身で、白子屋がいる宿に乗り込んだ。 (2016.5.6) 講談社文庫 20016月 590


仕掛人・藤枝梅安
梅安針供養4

千住大橋を渡り彦次郎の住まいに来た梅安は彦次郎の仕事が終わるのを待った。しかし長引く様子だったので一足先に浅草は橋場の料亭「井筒」へ向かった。その途中、石浜神明宮の境内あたりから黒い影が走り出し、あたりの闇にひとのうめき声が聞こえた。ひとが倒れている。若い男だった。梅安は男を助け出し、切り傷を血止めして彦次郎のもとに戻った。すぐに梅安の患者でもある外科医の堀本桃庵を呼び出して治療をしてもらった。ひどい怪我だったが治療の甲斐があって一命は取り留めた。しかし男は転倒したときに頭を打ち、以前に記憶をすっかり忘れてしまっていた。大阪から戻った小杉十五郎を仕掛け人にした白木やへ仕掛け人から抜けるよう頼んだ梅安だったが、白木やは逆に昔の恩を忘れてと怒り、江戸に出てきて梅安への仕掛けを計画していた。そのことを察知した梅安は小杉と彦次郎とともに、白木やの仕掛けに反撃していく。そんなとき昔の蔓だった亀右兵衛が仕掛けの話を持ってきた。断る梅安。しかし、亀右兵衛は断られたら自害する覚悟だった。それほどに仕掛けの相手が憎い者だったのだ。それは旗本の奥方であり、仕掛けが難しい相手だった。 (2016.4.24) 講談社文庫 20016月 590


仕掛人・藤枝梅安
梅安最合傘3

牛堀道場の跡取りにと、牛堀師範の遺言にあった小杉十五郎は、それをねたむ門弟らに襲われて、返り討ちにした。その門弟たちはだれもが大身旗本の子どもたちだったので、逆に小杉が悪者にされて、命を狙われることになった。梅安は小杉を京都に送り、かつて自分が世話になった商家に預けた。しかし、そこで小杉は商家の主に頼まれて仕掛けを2度ほどしていた。こうなれば京都にいても江戸にいても命を狙われる身としては同じと考え、梅安の頼みも聞かずに江戸に舞い戻ってきた。その理由の一つには商家の主に江戸での仕掛けを頼まれたこともあった。相手が女だったので仕掛けを躊躇して、そのことを梅安に見透かされてしまう。梅安は小杉が仕掛け人になることに異を唱え、自分がともに京都に出向いて、これ以上小杉を仕掛けの道に誘わないように話をつけると約束した。 (2016.4.12) 講談社文庫 20014月 590


仕掛人・藤枝梅安
梅安蟻地獄2

梅安が茶屋からの帰り道に襲われようとした。しかし、襲おうとした相手は梅安を襲うことを頼まれたのではなく、梅安に似た別の男を殺すように頼まれていた。男の名前は小杉十五郎。その後、梅安、彦次郎がともに仕掛けをするときの仲間になっていく男だった。 (2016.4.4) 講談社文庫 20014月 590


仕掛人・藤枝梅安
殺しの四人1

鍼治療を仕事にする藤枝梅安は、蔓から仕事の依頼を受けて「この世に生きていてはならねえ者」をあの世に送り届ける仕掛人という裏の仕事をしていた。ある日、蔓から女殺しの依頼を受ける。その女を見届けに勤め先に出向いた梅安は、女を見て驚愕した。それは腹違いの妹だったからだ。それでも梅安はその女を鍼を使って一瞬で殺すことに成功した。 (2016.3.22) 講談社文庫 20014月 495


鬼平犯科帳
24
(最終巻)

荒神のお夏に見初められたおまさは、いずれお夏が自分への復習のために江戸に戻ってくるだろうと覚悟をしていた。そんなときお熊婆の「笹や」へおまさの居所を確かめる男がやってきた。その男はまさにお夏の頼みを受けておまさを探していたのだ。そのことを知ったおまさは平蔵と相談した。そしてわざと自分から出向いてお夏一味をもろとも平蔵らに捕縛させようと決心した。果たしておまさを尋ねてきた男はおまさを誘い出し、その挙げ句に盗人宿の地下蔵に押し込めてしまった。おまさの尾行に失敗した平蔵らはあらゆる情報を集めて、いよいよおまさが閉じ込められている盗人宿を発見した。作者の逝去により、物語は途中で終わり未完のままだ。 (2016.3.14) 文春文庫 20012月 419


鬼平犯科帳
23

長編「炎の色」。前段に「隠し子」という一篇があり、平蔵に腹違いの妹がいたことが判明する。お園の危急を助けた平蔵は、そのままお園を役宅に呼び寄せて女中として働かせた。妹であることは告げなかった。この話を受けて「炎の色」が始まる。おまさが市中の見回りしているとかつて盗み働きをしていたときに助けた峰蔵と出会う。今回、江戸の町で一仕事をするので手伝ってほしいという。ついては荒神一家とも協力して仕事をするのでぜひともという。荒神の親分にも世話になったことがあるおまさは、盗人を一度に捕縛できるチャンスとして平蔵に告げて峰蔵に協力すると約束した。やがて野田の醤油屋に奥向きの女中として入ったおまさは引き込みとして盗人たちに情報を渡していく。その情報を平蔵たちがキャッチして一網打尽の計画が練られた。 (2016.3.3) 文春文庫 20012月 448


鬼平犯科帳
22

長編「迷路」。おまさのはたらきにより、平蔵は池尻の辰五郎一味を召し取った。お頭の辰五郎は捕り物の最中に自害してしまったが、召し取った配下の者への取調べによって盗人宿などが割れたのだ。それから数ヶ月が過ぎて、与力や役宅の下僕など、平蔵の周囲の者が次々と刃に倒れた。ついには娘が嫁いだ屋敷の家来までもが殺された。平蔵はこれまで自分がひっとらえた盗人たちに多くの恨みをかっているので、自分が襲われることは覚悟していた。しかし、今回のように自分の周囲の者が、自分に向けられた恨みのせいで殺されていくさまは許すことができなかった。ついには、髷を落とし、托鉢僧になりきり、探索の最前線に乗り出した。そこで、平蔵は今回の殺人事件と近々大きな盗人が行われるという2つの情報の接点にたどり着く。かつて平蔵は本所の鉄と名を売っていた頃、御家人の倅でよく悪さをしていた木村源太郎にたどり着いた。鉄だった平蔵は、源太郎の父親を殺害していた。それは父親の惣吉があまりにも悪党で仕方がなかった。源太郎は父を殺した鉄を恨むことなく、自らの盗みの手伝いをさせようとした。父を殺してしまった負い目から鉄は、一度だけ盗人の手伝いとして見張りをしたことがあった。その後も源太郎は盗みの手伝いを持ちかけたのでけんかになり、抜き払った刀を避けて、源太郎の右腕を切り落としていたのだ。源太郎はその後、盗人一味の頭領となり、火付盗賊改になった平蔵へ大きな戦いを挑んだ。 (2016.2.16) 文春文庫 19921月 450


鬼平犯科帳
21

牛尾の太兵衛お頭のもとで盗みをしていた泥亀の七蔵は、やがて許しを得て足を洗い、茶店の主に収まっていた。その後、平蔵の目にかない、盗賊改めの仕事に耳目として協力していた。その日、役宅を訪ねた七蔵は平蔵に、玉村の弥吉を見かけたと報告した。弥吉の住まいを突き止めた七蔵は、平蔵とともに見張り所で監視をした。すると住まいから弥吉と違う50歳前後と思われる武士が出てきた。配下の者が武士を尾行すると、あたりを散策した後に何もしないで再び住まいに戻ったという。不思議に思った平蔵は自らその武士を尾行した。すると往来で酔った浪人にからまれた武士が、横柄な態度とは裏腹に刀を向けられるやいなや逃げ出してしまった。逃げた武士はふたたび弥吉の住まいに逃げ込んだ。この男は偽の武士で、じつは吉野屋の清兵衛だった。養子の清兵衛は店で妻にも子どもたちにも虚仮にされていた。その鬱憤を武士姿で往来を闊歩することで晴らしていたのだ。弥吉と清兵衛は碁仲間だった。江戸を離れる予定だった弥吉は清兵衛の話を聞き、その直前に吉野屋に忍び込む計画を立てた。平蔵たちは、弥吉一味によって吉野屋が襲われると気づき、店の周囲を取り囲む。果たしてその日、弥吉ひとりが板塀に近づき屋敷に消えた。しばらく後に板塀から外に出たところを平蔵たちのお縄になった。吉野屋を調べた配下たちの報告で、何も盗まれていないことが判明した。ただし、女将の髪がきれいにそり落とされていたことが判明した。仲間の存在を一切吐かなかった弥吉は、拷問を耐えて、なぜか無罪放免となった。しかし数日後、平蔵のもとを訪れた弥吉は、いつも自分が監視されているような気持ちでたまらなくなったと、平蔵の密偵になることを誓った。「男の隠れ家」より。このほかに「泣き男」「瓶割り小僧」「麻布一本松」「討ち入り市兵衛」「春の淡雪」を収録。 (2016.2.5) 文春文庫 20011月 550


鬼平犯科帳
20

大滝の五郎蔵は、市中を見回っていた。かつては多くの部下を率いた盗賊の親分だったが、いまでは長谷川平蔵の密偵として活躍していた。市中を見回るときは、あえて顔をさらして、いまも盗人をしている者が声をかけてくるのを待っていた。その日、寺尾の治兵衛が久しぶりに声をかけてきた。大滝の五郎蔵が治兵衛を使っていた頃は、口合人といって、盗みに必要な人材をそろえる仕事をしていた。これまで江戸では盗みにかかわることをしたことがなかった治兵衛だったが、今回だけは江戸での盗みをするという。これを最後に盗みの世界から足を洗い、治兵衛は駿河に暮らす女房と娘の元に身を寄せることにしていた。その最後の盗みを五郎蔵に助けてほしいと頼んできた。頼みを受けた五郎蔵は平蔵へ事情を明かした。平蔵は五郎蔵の知人という触れ込みで治兵衛の盗みに荷担するひとりになった。やがて治兵衛の情報から江戸に潜伏する多くの盗人たちの所在が明らかになった。いよいよ平蔵たちが治兵衛を捕縛しようかというとき、旗本のひとりが狂って刃物を振り回しながら江戸の町を走り回ってきた。母親が子どもを守ろうと自分の身をさらしたとき、たまたまそこを通りかかった治兵衛が身を挺して子どもを守った。その場に居合わせた平蔵は狂った男を捕縛し、治兵衛を助けたが、すでに傷は深く、治兵衛は息絶えた。治兵衛から準備の費えにと50両を預かっていた五郎蔵はそれを平蔵に差し出したが、平蔵は「娘が嫁に行くのだそうだ」と亡くなった治兵衛を労る。五郎蔵に一月の休暇を与え、五郎蔵は50両を手にして治兵衛の娘が暮らす駿河へと旅立っていった。「寺尾の治兵衛」より。このほかに「おしま金三郎」「二度ある事は」「顔」「怨恨」「高萩の捨五郎」「助太刀」を収録。 (2016.1.27) 文春文庫 19914月 429


鬼平犯科帳
19

京橋東詰から江戸城へ行く。そこに大根河岸がある。「万七」という料理屋に入った長谷川平蔵は、老婆を見て驚いた。20数年ぶりに見たおかねだった。平蔵が本所の鉄として悪さをしていた頃、おかねは小間物の行商をしながらからだを売っていた。勝気な女だったおかねを平蔵は悪仲間とともに押さえつけてなぶりものにしようとした。ところが肝心なところで、浪人が現れ、悪仲間を斬り捨てようとした。平蔵は加担せず、近くから見ていただけだが、それでも悪さには加担していたので逃げるしかなかった。またその浪人が平蔵の知っている人物だったことも逃げた理由だった。浪人、原口新五郎は高杉道場の先輩だったのだ。その後、原口は姿を消してしまった。それ以来、平蔵はおかねのことを忘れていた。おかねは平蔵が帰ろうとしたときに店から突然飛び出した。その手には庖丁が握られていた。平蔵はあわてて尾行する。どうやらおかねはある町人を尾行している。その町人は、おかねが若かった頃に目に畳針を打ち込み、恨みを残した男だった。男はその後、おかねの子どもを攫って殺していたのだ。子どもの仇をとるつもりでおかねは男を追っていたのだ。「おかね新五郎」より。このほかに「霧の朝」「妙義の團右衛門」「逃げた妻」「雪の果て」「引き込み女」を収録。 (2016.1.16) 文春文庫 199010月 420


鬼平犯科帳
18

密偵の仁三郎は盗賊・不動の勘右衛門の配下だった男だ。数年前に一味が長谷川平蔵のお縄になったときに、処刑を逃れたかわりに平蔵の密偵になった。梅雨の晴れ間に富岡八幡宮へ参詣をした。その帰りに深川蛤町の豊島屋で名物の一本うどんを食べていた。そのとき「久しぶりだねぇ」と声をかけてた男が鹿谷の伴助だった。十年ぶりに会った男だ。伴助は今度の仕事に仁三郎の助けが要るという。15年前にふたりとも船影の忠兵衛だったとき、破門されている。仁三郎は押し込み先で女を犯して、親分の逆鱗に触れ、50叩きの後に放逐された。伴助は後に押し込み先でひとを殺して、同じく親分の逆鱗に触れ、100叩きの後に追い出された。伴助はその恨みをともに晴らそうともちかけたのだ。しかし、仁三郎は忠兵衛親分のおかげで自分はいままともな考えで密偵をつとめられていると信じていた。だから親分の仕置きを恨んではいない。どうやって伴助の企みを阻止しようかと悩んだ。すぐに平蔵長官へ知らせたかった。しかし、同心の山崎に見つかり、ともに探索すべき事案として長官への報告を止められてしまったのだ。「一寸の虫」より。このほかに「にわか雨」「馴馬の三蔵」「蛇苺」「おれの弟」「草雲雀」を収録。 (2015.12.29) 文春文庫 19899月 360


鬼平犯科帳
17

権兵衛酒屋。店に名前がないので客のだれかがつけた名前だ。平蔵は見回りの途中に権兵衛酒屋に寄った。酒も肴もまずまずだが、店の主も女房も愛想がない。それでも土地のひとは多く飲み食いをしている。不思議な魅力の店に興味を抱いた平蔵だったが、店の前を見張る目に気づいた。勘定を払い、店を出て、離れるふりをして、再び店の裏手に回ると、数人の浪人が店に押し入ろうとしていた。店の表からも裏からも、複数の刺客が押し寄せたと見えて、平蔵一人ではどうにもならない。そのうちに裏手が開けられ、なかから悲鳴が起こった。平蔵は一人で店に飛び込み「火付盗賊改」と名を明かして刺客を取り押さえようとした。何人かの刺客を倒したが、多くはその場から逃げてしまった。そして女房が深手を負っていたので、それを助けた。見回すと亭主がいない。どうやら亭主も刺客とともに逃げてしまったようだった。その後、次々と平蔵を刺客たちが襲う事件が続いた。事件の背景に、身分の高い者たちの存在を感じた平蔵は、火付盗賊改総動員で探索を開始した。「鬼火」というタイトルの長編。 (2015.12.17) 文春文庫 200011月 514


鬼平犯科帳
16

京橋東詰の北、大根河岸の小さな料理屋「万七」。長谷川平蔵は市中見回りの途中、二階の小座敷でくつろいでいた。酒を飲み、そろそろ腹ごしらえをと思ったとき、隣の部屋に客が入った。「酒と、それから兎汁を」と注文した声に、平蔵は愕然となった。その声の主に覚えがあったからだ。それは平蔵が放蕩三昧をしていた若い頃、ともに道場に通っていた池田又四郎の声だったのだ。ふすまを開けて声をかけたい欲求を抑えて、平蔵は動かなかった。それは注文をした声に、ほかならぬ事情を察したからだった。その後、店を出た池田を平蔵は追跡した。何か悪いことをした者を追跡しているわけではないが、悪いことをしそうな気配を感じていたのだ。平蔵の父は、長谷川家の外戚だった。家督は父、宣雄の甥だったが、病気で急死して、家督を継ぐことになった。宣雄はそれまで気ままな厄介者だったので、女中のお園に手を出して平蔵を産んだ。いずれはお園の実家に引っ込んでのんびり暮らそうと思っていたのだ。しかし、長谷川家の主になったので、宣雄は甥の妹と結婚した。平蔵は継母から苛め抜かれて、家をあけることが多かった。そんなとき道場仲間だった池田に継母のことを告げ、いつかは自分が殺してしまおうと考えた。その考えを見抜き、「それはやってはいけないよ」と諭したのが池田だったのだ。それから、平蔵は池田と口をきかなくなってしまう。いつの間にか、池田は道場から姿を消していたのだ。その池田と数十年ぶりに再会したのだ。「霜夜」より。このほかに「影法師」「網虫のお吉」「白根の万左衛門」「火つけ船頭」「見張りの糸」を収録。 (2015.12.5) 文春文庫 200010月 514


鬼平犯科帳
15

長谷川平蔵の配下、同心の二人が何者かに斬り殺された。さらに役宅の門番も殺された。平蔵は血眼になって下手人捜しに乗り出すがまったく手がかりが掴めない。そんななか、畜生働きの強盗事件が発生し、店の者が全員殺されてしまう。これらの前に平蔵は自らも何者かに襲われていた。それまで知らなかった恐ろしい剣筋によって、危うく負けることころだった。その後も夢に続きが訪れ、うなされることが多かった。そのとき自分を襲った者と、今回の同心殺し、畜生働きがすべて一つでつながっていると確信した平蔵は、知人の岸井や配下の者を総動員して、四方にひとを探索にかけた。平蔵の記憶のなかに、亡き剣術の恩師が、かつて自分が死を覚悟した恐ろしい剣客がいたことを話してくれていた。その者の記憶を辿るが、詳細へたどり着けない。やっとのことで、その者が剣術とともに医術にも長けていたことを思い出す。そんなとき、密偵のひとりへ、昔ともに盗みをした鍵師が訪れ、江戸での宿を願った。鍵師は昨今の畜生働きを嘆き、いまの親方との努めを最後に引退するという。密偵からの話を聞き、鍵師の親方と、剣術に長けた医者とが同一人物ではないかと推理する。「雲竜剣」というタイトルの長編小説。 (2015.11.20) 文春文庫 200010月 581


鬼平犯科帳
14

梅雨。伊三次は、上野山下の下屋町二丁目の岡場所で、およねの腹に乗っていた。大きな事件がないとき、長谷川平蔵の密偵である伊三次はここで時間を過ごす。きょうも昼からおよねと時を過ごし、幸せな気分で帰ろうとしていた。その時、およねが伊三次と同じ伊三さんという客の話をした。その客の特徴を聞くうちに、伊三次の表情がみるみる曇っていった。伊三次は役宅に戻り、長官の平蔵におよねから聞いた話をした。およねの言う伊三は、かつて伊三次がともに盗みをした伊三蔵に間違いがないと。しかし、話をする伊三次の表情は暗い。平蔵はすべてを伊三次のしきりに任せた。伊三次はなぜか自分から探索をすることを求めず、五郎蔵親分に探索を頼んで、役宅の布団に潜り込んでしまった。かつて伊三次は伊三蔵の女房と恋仲になった。それを恨んだ伊三蔵が襲ってきたときに夢中で伊三次は刃物を振り回して伊三蔵を傷つけ、大阪から江戸へ逃げた。それ以来、伊三蔵とのことはぷっつり忘れていたが、およねの言葉で思い出したのだ。そして、いつか伊三次にあったら、そのときの恨みを返すだろう伊三蔵との対決を恐れてもいた。役宅の布団にこもりきりだった伊三次だが、ほかの仲間にばかり仕事を押しつけた後ろめたさから、久しぶりに白昼の町に出た。そのとき、ばったり伊三蔵が伊三次を見つけて、刃物で襲いかかった。「五月闇」より。このほかに「あごひげ三十両」「尻毛の長右衛門」「殿さま栄五郎」「浮世の顔」「さむらい松五郎」を収録。 (2015.11.10) 文春文庫 20009月 514


鬼平犯科帳
13

長谷川平蔵の同心である木村忠吾は、市中見回りのついでに湯島天満宮に近い「治郎八」という煮売り酒場に寄るのが好きになっていた。その店で、右の眉と左の眉が一本につながっている中肉中背の50男と話し込むのが好きなのだ。おまけに羽振りがいいので、代金を自分のかわりに払ってくれることもある。一本眉は何者かを知らない木村だが、自分の素性を明かすようなことはしない。一本眉もこういう店のしきたりとして自分の素性を明かすようなことはしない。それがお互いに心地よかった。しかし、その一本眉は本格的な盗人で有名な清洲の甚五郎親分だった。江戸では努めをせず、名古屋、京都、大阪に盗人宿があり、大仕事は3年ごとに行うようなプロだった。一味の結束は強く、流れ者を使わないので組織そのものもまったくわかっていなかった。その一味が元飯田町の亀屋久右衛門方に押し込む直前に、別の盗賊が亀屋に押し込み、家の者をひとり残らず斬殺して金を盗んでいった。甚五郎は、引き込みとして入れていた女がたまたま厠に抜けていた間に逃げ出して、事情を聞くことができた。人を殺さないという盗人の掟を破る残酷な仕事に怒りを覚えた甚五郎は、一味を率いてその盗人一味を探索し始めた。「一本眉」より。ほかに「熱海みやげの宝物」「殺しの波紋」「夜針の音松」「墨つぼの孫八」「春雪」を収録。 (2015.10.27) 文春文庫 20009月 514


鬼平犯科帳
12

平蔵の密偵を勤める6人。だれも、かつては盗賊だったが、畜生働きをせず、まっとうなお勤めをしてきた。それを見込んだ平蔵が密偵として配下に組み入れた。だれも、平蔵への思いは人一倍に強い。その6人、5人の男と1人の女が酒をくみかわしている。相模の彦十、舟形の宗平、大滝の五郎蔵、小房の粂八、伊三次、そしておまさだった。大滝の五郎蔵とおまさは夫婦だ。江戸市中に大きな事件がない時期に集まって、盗賊だったころの思い出話に花を咲かせていた。そんな6人が話をしていると「ええもう、こんなはなしをしていると、なんだか、こうからだじゅうが火照ってくるよ」と舟形が言えば「おれもさ、爺つぁん」と粂八が応じる。そのうちに5人の男は、どうだねひとつと、ふたたび盗みの血がたぎっていく。おまさひとりが、いい加減におしとその場から離れていくが、残された5人の頭にのぼった血は熱さをたぎらせてしまった。浅草の橋場町に医師、竹村玄洞が住んでいた。医師でありながら、その裏では高利貸しで多くの金を稼いでいた。返却できない者からは、家も娘も根こそぎ奪うというあくどいやり方でのしてきた。男たちは、よのための盗みならば平蔵も見逃すかもしれないと考えた。「密偵たちの宴」より。ほかに「いろおとこ」「高杉道場・三羽烏」「見張りの見張り」「二つの顔」「白蝮」「二人女房」を収録。 (2015.10.3) 文春文庫 20008月 514


鬼平犯科帳
11

火付盗賊改方の長官・長谷川平蔵の部下に川村弥助という会計担当の同心がいる。六尺に近い堂々たる背丈をもち、袴の紐をつぎ足さねばならぬほどに盛り上がった太鼓腹で、後姿はどう見ても相撲取り。眉は濃く、鼻筋は尋常にして、色白のふっくらした肌身は肌理が細かい。この弥助は、仲間から相撲の看板、ふわふわ饅頭、泣き味噌屋などと呼ばれている。大きな地震があったとき、わめき散らしながら算盤を片手に溜り部屋によろよろとあらわれ、泣き声を上げて失神。そのときに小便を漏らしてしまった。弥助の臆病はそのときに始まったものではなかった。「さむらいの風上にもおけぬ者」と陰口を言う者もいた。しかし長官の平蔵は「勘定掛としてまことに優れている」と高く評価していた。弥助にはさとという妻がいた。そのさとが実家に顔を出し、その帰り道に強姦に襲われた。さとの死体は夕暮れに発見された。腐葉土の上に仰向けに倒れ、息絶えていたさとは、ほとんど衣服を剥ぎ取られて乱暴され、絞殺されていた。弥助はふさぎ、平蔵らは探索に懸命になった。その結果、ところの剣術家が旗本の秋本に命じられてさとを襲ったことが判明した。剣術家らを捕縛する捕り方に臆病者の弥助が志願して加わった。平蔵は敵の間近に迫り、弥助を相手と敵対させた。だれもが弥助の負けを覚悟したが、必死の弥助は渾身の突きで、仇を討った。妻の久栄に、弥助を伴ったわけを問われた平蔵は「女房の後を追わんとする心底が、ありありと見えた」からだと答えた。「泣き味噌屋」より。ほかに「男色一本饂飩」「土蜘蛛の金五郎」「穴」「密告」「毒」「雨隠れの鶴吉」を収録。 (2015.9.19) 文春文庫 20008月 514


鬼平犯科帳
10

「笹や」のお熊婆が、平蔵の役宅を訪ねてきた。お熊は、平蔵が本所の鉄として無頼の徒と組んで悪行をしていた頃に、宿泊させては飯を食わせた恩人だった。そのお熊が言う。目の前の寺に3年前から住み込んで下男をしている茂平という爺が死んだ。自分としては互いに身寄りのない者どうし、茂平とは気があっていた。死に際にお熊を呼んだ茂平は、自分の死を畳屋の庄八へ知らせてほしいという。そして敷き布団に隠していた58両もの大金を品川へ届けてほしいともいう。そこには孫がいるはずだと。やがて茂平は苦しんで亡くなった。さてどうしたものかと、平蔵を訪ねたとのことだった。すぐに平蔵は同心や密偵を使って、茂平や畳屋を調べた。その結果、どうやら畳屋は庄八らの盗人宿で、茂平は寺に引き込みとして入り込んだのではないかということだった。しかし、3年前に寺の前で苦しみもだえていた茂平は、演技ではなく本物だったという医師の見立てを聞いて、平蔵は考え込む。お熊を自分の下働きとして使ううちに、悪者どもが寺の財産を狙っていることがわかってきた。庄八夫婦を捕縛して、茂平は庄八の叔父だったことが判明し、盗人でもなんでもないことがわかった。茂平は純粋に、甥の庄八に自分の死を伝えてほしいと願ったのだった。「お熊と茂平」より。このほかに「犬神の権三」「蛙の長助」「追跡」「五月雨坊主」「むかしなじみ」「消えた男」を収録。 (2015.9.4) 文春文庫 20007月 560


鬼平犯科帳
9

若年寄の京極備前守高久に呼ばれた長谷川平蔵は、役宅に戻っても渋い表情を崩さなかった。そこへ自宅から息子の辰蔵が訪れた。辰蔵はかつての平蔵のように、親の目を盗んでは岡場所で遊ぶ気楽な毎日を送っていた。その辰蔵が改まって訪れた。谷中のいろは茶屋の「近江屋」で女遊びをしていたところ、同心の青木助五郎を見かけたというのだ。若年寄の情報も同心の青木のことだった。青木は大きな盗賊は捕まえないが、小物ばかりを短期間に相当捕まえていた。長谷川の前職であった堀帯刀の同心だった青木を長谷川は引き取った。もともと長谷川の同心だった者たちは、それをおもしろく思わなかったが、青木の実績があれば、文句は言えなかった。しかし、青木は裏で盗人の大物とつながりがあり、そこから小物の情報を得ているという噂が耐えなかったのだ。長谷川なりに青木の過去を調べると、狂人として変死した継父の存在が明らかになった。ある日、生きた狐を追いかけて首を切り取り長屋に持ち帰り、妻にこれを鍋にして食べろと強制したそうだ。青木に周辺の噂のことをただすと、見に覚えがないと一蹴された。そんなある日、狐憑きになった青木が役宅に戻ってきて、平蔵らを前に青木本人の悪行をばらし始めた。(狐雨)より。ほかに「雨引の文五郎」「鯉肝のお里」「泥亀」「本門寺暮雪」「浅草・鳥越橋」「白い粉」を収録。 (2015.8.11) 文春文庫 20007月 560


鬼平犯科帳
8

江戸から4414丁も離れた信州・小田井の宿場へ入ってきた町人風の男が宿場町を通り過ぎて江戸の方向へ去っていく。旅の男が前田原へさしかかったとき、ひとのうめき声を聞いた。耳を澄ますと老僧が倒れて胸を押さえていた。事情を聞くと、心臓の病が発症したらしい。「頼みがある」と死に際の頼みを聞いた男は明神の次郎吉という。江戸での盗み働きの声がかかり、根城の信州から江戸へ向かう途中だった。普段は悪いことをしているので、そうでないときはできるだけ人助けをする男だった。老僧は江戸の岸井左馬之助へ藤四郎吉光という短刀を届けてほしいと頼んだ。老僧の頼みを聞いた次郎吉は息を引き取った老僧を近くの寺に運び、弔いまでして岸井の元へ遺品を届けた。このことに感動した佐馬之助は、次郎吉に礼をしたくてたまらない。しかし次郎吉は盗み働きのために江戸に出てきたので、一刻も早く親分の元へ顔を出さなければならなかった。(明神の次郎吉)より。「用心棒」「あきれた奴」「流星」「白と黒」「あきらめきれずに」を収録。 (2015.7.22) 文春文庫 20006月 514


鬼平犯科帳
7

火付け盗賊改め方長官の長谷川平蔵は、巡回ののち、本所の軍鶏鍋屋「五鉄」で昔馴染みの密偵らと飲食をした。いつにも増してしたたかに飲み、役宅へ帰るのが面倒になった。「今夜はここに泊まる」。翌朝、弥勒寺門前の茶店「笹や」を通り過ぎると老婆のお熊から声をかけられた。若い自分にさんざん悪いことをしていた平蔵が世話になった女性だ。ここで茶を喫していると、橋を渡ってきた老武士の様子がおかしい。切羽詰った様子できょろきょろと周囲を見渡している。やがて植え込みに隠れると、橋に向かってくる駕籠を待っていた。平蔵は老武士が駕籠を襲おうとしていると直感した。しかし、駕籠の周囲には屈強な侍が護衛していた。それを見て老武士は駕籠を追跡することにした。その老武士を平蔵がつけていく。やがて、老武士は疲労からか空腹からか、道端に倒れてしまった。「寒月六間掘」より。このほかに「雨乞い庄右衛門」「隠居金七百両」「はさみ撃ち」「掻堀のおけい」「泥鰌の和助始末」「盗賊婚礼」を収録。 (2015.7.11) 文春文庫 20006月 514


鬼平犯科帳
6

平蔵の密偵であるおまさは、かつて狐火の親分のもとで盗み働きをしていた。そのとき、親分の息子である勇五郎と結ばれた。狐火の親分は若かった平蔵をかわいがった。妾腹の子どもとして義母からきつく疎まれていた平蔵は、家を飛び出し悪事の限りを尽くしていたのだ。その平蔵に正しい盗人のあり方を伝授したのが狐火の親分だった。そこで、親分の女だったお静とできてしまう。そのことを親分に気づかれた平蔵は、親分のもとを去る。お静も遠く大阪へ奉公に出されてしまった。以来20年と時を経て、おまさは江戸の町で、お静そっくりの娘を見かけた。その頃、狐火を騙る強盗が江戸の町で発生していた。かつての狐火の盗みでは、殺しや強姦はしなかったが、今回の盗みでは住民全員を皆殺しにする悪事だった。若い勇五郎が狐火の跡取りだったが、彼に限ってそのようなことをするわけがないと信じていたおまさは、平蔵に黙ってお静そっくりの娘に近づき、事件の背景を探ろうとする。「狐火」より (2015.6.27) 文春文庫 20005月 476


鬼平犯科帳
5

「深川・千鳥橋」「乞食坊主」「女賊」「おしゃべり源八」「兇賊」「山吹屋お勝」「鈍牛」を収録。 (2015.6.9) 文春文庫 20005月 560


鬼平犯科帳
4

記録なし (2015.5.30) 文春文庫 20005月 476


鬼平犯科帳
3

江戸であまり大きな事件が起こらなくなったので、平蔵は役を解かれた。この機会に、父の眠る京都を訪ねることにした。若いとき京都町奉行だった父とともに京都でかなり遊んだ平蔵である。妻の久栄はそのことを知っていながら「羽を伸ばしていらっしゃい」と送り出す。ともは同心の木村忠吾のみ。剣友の岸井左馬之助が「俺もふらっと後を追うかもしれん」と言い出す。ともあれ、忠吾をつねに先行させ、平蔵はひとりぶらぶらと東海道を上っていく。道中、そして京都に着いてからも、平蔵の周囲には事件の匂いがつきまとい、それを無視することができず、気ままなはずの一人旅は、ときに命がけの事件解決へと波乱万丈旅となる。「麻布ねずみ坂」「盗法秘伝」「艶婦の毒」「兇剣」「駿州・宇都谷峠」「むかしの男」が収録されている。 (2015.5.16) 文春文庫 20004月 514


鬼平犯科帳
2

火付盗賊改めの長谷川平蔵が悪人をこらしめていく時代小説。「蛇の眼」「谷中・いろは茶屋」「女掏りお富」「妖盗葵小僧」「密偵」「お雪の乳房」「埋蔵金千両」。(2015.4.26) 文春文庫 19754月 438


鬼平犯科帳
1

火付盗賊改めの長谷川平蔵が悪人をこらしめていく時代小説。「唖の十蔵」「本所・桜屋敷」「血頭の丹兵衛」「浅草・御厨河岸」「老盗の夢」「暗剣白梅香」「座頭と猿」「むかしの女」。 (2015.4.8) 文春文庫 197412月 400


庖丁ごよみ
剣客商売

ただいま読書準備中 (2014.12.9) 新潮文庫 19984月 667


浮沈
剣客商売16

26年前に小兵衛は、深川十万坪で父の敵を討つ滝久蔵を助けて、立会人の山本勘介と斬り合った。小兵衛にとって勘介はよほどの強敵だった。久蔵も首尾良く敵を倒した。それから時が過ぎ、小兵衛はそば屋で無体な態度を取る久蔵を見かけた。かつての趣はなく、また小兵衛のことを忘れている様子だった。小兵衛の門下生だった面影が消えていたが、小兵衛はそのまま見逃していた。その久蔵がある屋敷に奉公に上がれることになった。金貸しの平松多四郎から借りた金を元手に多くの屋敷に心付けを渡した成果だった。その金を返さないまま久蔵は借りたことなどないと言い張り、幕府の評定でも、平松が無実の罪を押しつけたとして死罪になった。その息子による敵討ちを久蔵に示唆した小兵衛は、久蔵を精神的に追い詰めた。そんなときかつての剣客、山本勘介の息子と小兵衛は出会う。自分が父を倒したことを告白するが、息子の勘の介は尋常の勝負ゆえのこととして、恨みを抱いてはいなかった。その潔さに心を打った小兵衛は、勘の助が何者かに襲われて深い傷を負った事件以降、これを仕組んだ者たちを倒しにいく。作者の池波さんはこれを書いた後に惜しくも亡くなられた。そのため剣客商売は16冊目で終わる。 (2015.3.19) 新潮文庫 19981月 438


二十番斬り
剣客商売15

小兵衛は自宅で目眩を覚えた。医者の見立てでは「これでやっと小兵衛さんも年寄りの仲間入りじゃ」とのこと。ぼんやり横になっていると納屋にひとが隠れ、それを襲う侍たちがいた。小兵衛は目眩を忘れて、侍たちを蹴散らした。果たして、納屋にはかつての門人、井関が豊松という少年と隠れていた。なぜ、納屋に隠れることになったのかは井関は語らない。深手を負っていた井関の養生を優先する小兵衛は、医者に治療を頼む。その後、隠宅を見張る目を感じた小兵衛は、この話の裏に大きな策動があると見抜く。息子の大治郎、妻の三冬、弥七の手下の徳次郎、鰻売りの又六、道場を構える杉浦秀らを頼み、悪を暴く作戦を開始した。同じ頃、江戸城中では老中田沼意次の息子である意知が刃に斃れていた。城中の多くの家来たちがただ逃げ惑ったという話を聞いた小兵衛は、いよいよ侍の時代は終わったと悟る。 (2015.3.6) 新潮文庫 19973月 438


暗殺者
剣客商売14

小兵衛はなじみの不二楼で、ひょんなことから息子の大治郎の命が狙われているかもしれないという情報を耳にした。大治郎はすでに立派な剣士になっているので、何も心配する必要はないと思うが、こころは穏やかにならない。そんなとき、顔を知っている浪人が侍に襲われるところを目撃した。しかし、浪人は侍を逆に斬って返す。その侍の顔に覚えがあった小兵衛は、弥七らに頼んで浪人の正体を探る。その結果、浪人は小兵衛が懇意にしている稲葉老人の元を訪ねていたことがわかった。老人を訪ねた小兵衛は、浪人が波川周蔵という名前だと知る。波川はかつて幕府御目付だった松平伊勢守の家来だった。しかし、あるとき刃傷沙汰を起こして、主家を離れた。その後、松平と再会した波川は、かつての主人から密かな暗殺を頼まれた。その相手が秋山大治郎だったのだ。世話になった稲葉老人から秋山親子のことを聴き知っていた波川は迷う。迷いながらも、暗殺を引き受けた。暗殺は老中の田沼意次が隠密で墓参をする220日と決まった。 (2015.2.23) 新潮文庫 199610月 438


波紋
剣客商売13

秋山大治郎は、父の使いで目黒の碑文谷にある法華寺に行った。その帰り道、いきなり二人の男に襲われた。襲われる理由がわからなかった大治郎は父の小兵衛に事情を話す。こちらが忘れてしまっても、相手が覚えていて何年もかけて恨みをはらすということがあるものだと、諭される。北品川の桶屋に上がり込んでいた関山百太郎。大治郎を襲って、逆に返り討ちにあった男は、傷の手当てをしながら、桶屋の女房を抱いていた。自分の一刀流が破られた悔しさを女のからだで慰めていた。それをじっと我慢していた桶屋の主、七助が包丁を寝入った百太郎に突き刺して殺してしまった。岩戸の繁蔵が、博打場から家に戻ったとき、七助が訪ねてきた。ひとを殺してしまったのでかくまって欲しいという。繁蔵は傘屋の徳次郎のもとで、岡っ引きの手下をしている。そのため罪人をかくまうことが罪になることは知っていたが、どうしたものか迷いながら御用を勤めているうちに、手配していた井上権之助を偶然にも見つけた。「消えた女」「波紋」「剣士変貌」「敵」「夕紅大川橋」。 (2015.2.3) 新潮文庫 20032月 514


十番斬り
剣客商売12

天明3年(1783年)。小兵衛は65歳になった。おはると三冬は25歳。大治郎は30歳。小太郎は2歳。正月の碁初めをなじみの町医者小川宗哲とするために医院を訪れた小兵衛は、患者の村松太九蔵と出会った。もろ肌を脱いだ背中の傷に、いくたびの剣の修行を感じ取る。宗哲から聞くところによると、村松の余命は長くはないらしい。20年前に村松の父が芝で道場を構えていたことを小兵衛は知っていた。父が病没した後に、息子の太九蔵が4人の剣客を討ち果たし、江戸を離れたと聴いていた。その太九蔵が江戸に戻っていた。戸越村の八幡宮、竹やぶのなかの地位さん家に村松は暮らしていた。宗哲からの薬を飲み、夜半に外出し、刀に血のりをくれて戻ってきた。馬込村の外れに、11人の無頼侍が入り込む屋敷があった。近隣で悪さを繰り返す一団だった。過日、娘を手篭めにしようとした侍を太九蔵がやっつけていた。そのときから、太九蔵は病で亡くなる前にその者たちを成敗することを生きがいにした。太九蔵の傷と生き方が気になった小兵衛は、精のつくものを手にかかわりを持とうとしていた。そこに無頼侍たちが、殺気を漂わせて近づいていた。「白い猫」「密通浪人」「浮寝鳥」「十番斬り」「同門の酒」「逃げる人」「罪ほろぼし」。 (2015.1.18) 新潮文庫 20031月 514


勝負
剣客商売11

大治郎はひとに頼まれて木刀による試合をすることになった。ところが父の小兵衛も妻の三冬も「負けてやれ」という。大治郎はすっきりしない。それでは相手に対して失礼ではないかというのだ。相手は谷鎌之助という。指ヶ谷の道場を一手に切り回しているほどの実力者だ。その谷を常陸国、笠間八万石の城主、牧野越中守が剣術指南役として召し抱えたいと申し入れてきた。その条件が秋山大治郎に打ち勝つことだったのだ。牧野はかつて大治郎を剣術指南役に申し入れたが、大治郎にその気がなかったので、話しが流れた。そのときのことがあり、谷は大治郎よりも強い必要があったのだ。大治郎が不満を胸に町を歩く。そこに村田屋徳兵衛という町人が近づいてきた。大治郎が谷と試合をすることを知っていて、なにとぞ負けてくれと頼む。谷は村田の娘婿だったのだ。大治郎は胸をかき乱されたまま試合に臨んだ。そして、負けた。負けてやったのではなく、負けてしまったのだ。数日後、血相を変えた谷が大治郎を訪ねて、義父が勝ちを譲れと迫ったのではないかと詰問した。「剣の師弟」「勝負」「初孫命名」(小太郎になった)「その日の三冬」「時雨蕎麦」「助太刀」「小判二十両」。 (2015.1.6) 新潮文庫 20031月 550


春の嵐
剣客商売10

秋山大治郎の名を騙った暗殺が横行していた。殺された相手は、松平家に関係する者が多かった。かねてから老中の田沼に憎しみを抱いている松平家当主の定信は、田沼家と近い秋山大治郎を徹底的に調べるように評定所に命令する。しかし、評定所の面々が大治郎の人柄を知っており、まさか暗殺をするようなことはしないとわかっていた。なのに、暗殺は続いていく。大治郎の父、小兵衛は、これは大きな出来事が裏に控えていると感じ、弥七とともに深い探索に入る。その結果、田沼と松平を互いに衝突させて、両方とも屠った後に将軍家を牛耳る企てが実行されようとしていたことがわかった。これまでの読みきりスタイルから一転し、長編小説になった。 (2014.12.16) 新潮文庫 20031月 590


待ち伏せ
剣客商売09

深川の北部。小名木川北岸の猿江町に1200石の旗本である若林金之助の屋敷があった。そこを訪れた大治郎は、帰り道で刺客に襲われた。そのとき「親の敵」と叫ばれていた。剣術家どうしの戦いをしてきた大治郎にとって、親の敵になったことは思いつかなかった。そこで、自分がだれかに間違われて襲われたのではないかと想像した。金之助の先代である春斎は、小兵衛が独立して道場を構えたときに物心両面の支援を惜しまなかった人物なのだ。翌日、若林邸に向かった大治郎は、屋敷から一介の剣術家が出てくるのを見た。その後ろ姿を追いながら、自分を襲った者たちはこの男と自分を間違えたのではないかと確信していく。その男は佐々木周蔵といった。「待ち伏せ」「小さな茄子二つ」「或る日の小兵衛」「秘密」「討たれ庄三郎」「冬木立」「剣の命脈」。 (2014.12.9) 新潮文庫 20031月 550


狂乱
剣客商売08

晴れ渡った秋の日。秋山小兵衛は親友の牛堀九万之助に会うために道を急いでいた。すると、道場から異常な殺気が漂ってきた。小兵衛の見知らぬ男が、道場の上級者と対峙していた。ふたりの戦いは、あっけなく終わる。上級者が負けたのだ。小兵衛は牛堀に見知らぬ男のことを尋ねた。「石山甚一と申し、本多丹波守様の家人です」とのこと。石山は強かった。門人たちを次々と倒していく。石山は本多の側用人である豊田孫左衛門という男から道場への出入りを頼まれたという。道場からの帰り道、小兵衛や石山が木立ちのなかで、武家を木に縛りつけ、木の枝でさんざんにいたぶっているのを発見した。小兵衛は武家を助け、石山と向かい合った。石山は憎しみに満ちた目で小兵衛を睨んでいたが、小兵衛の内なる強さに気づき、逃げ出してしまった。顔面が醜い石山は、本多屋敷ではだれにも相手にされない厄介者だった。とくに仕事があるわけでもなく、一日をぶらぶらと過ごしてしまう。そこで気になった豊田が牛堀に頼み込んだのだ。屋敷で虚仮にされる日常のなかで、石山の狂気が目覚めていく。小兵衛を始末しないと、武家へのいたぶりが露見してしまうと思ったのだ。「毒婦」「狐雨」「狂乱」「仁三郎の顔」「女と男」「秋の炬燵」。 (2014.10.13) 新潮文庫 200212月 550


隠れ蓑
剣客商売07

大治郎は妻の三冬を根岸の御寮へ送った帰り道、二年前に旅の空で会った托鉢僧に再会した。托鉢僧は立派な身なりをした若者たちに囲まれて、刀の試し切りの危難にあった。すかさず、大治郎は托鉢僧の危難を救い、住まいの近くまで送り届けた。大治郎が二年前に見た托鉢僧は、老いた武士を支えて、貧しい旅を続けていた。ふたりの間柄はまるで男同士のつながりのようでもあった。そのことを聞いた小兵衛は、なんとのうふたりの間柄がわかるような気がすると応じた。一方、大治郎に恥をかかされた旗本のせがれたちは、托鉢僧の口から失態が明るみに出ることを恐れて、闇討ちを計画していた。やがて仲間のひとりが托鉢僧の住まいを探し当てた。悪巧みの予感がした大治郎は密かに托鉢僧を守るために家を探し当て、見張っていたが、大治郎も気づかぬところから潜入されてしまう。「春愁」「徳どん、逃げろ」「隠れ蓑」「梅雨の柚の花」「大江戸ゆばり組」「越後屋騒ぎ」「決闘・高田馬場」。 (2014.11.17) 新潮文庫 200212月 590


新妻
剣客商売06

江戸から新妻の三冬を残して大阪に出向いた大治郎。若いときに世話になった柳嘉右衛門の葬儀に出て、道場にも顔を出した後に、いそいそと帰りの途上にいた。現在の豊橋市、当時の吉田まで行こうと思ったときにはらはらと雪が舞う。仕方なく、御油の宿に泊まることにした。宿泊しようと入った「山吹屋平助」で宿帳に姓名を記していると「アキヤマダイジロウ」への呼び出し状を当主から受け取った。相手方にまったく覚えはなかったが、大治郎は呼ばれるままに指定された場所に向かう。するといきなり刃が襲ってきた。そこは得意の剣術で相手を倒して事なきを得る。宿に戻った大治郎は、この宿に自分と同姓同名の別人がいるのではないかと推測した。それが鳥居小四郎と宿帳に記した侍だった。大治郎は深夜、小四郎の部屋を訪ねて事の次第を聞きだした。本物の秋山大次郎こと鳥居小四郎は、藩の勘定方だったが、不正な支出を突き止めた。しかし、上司はすべてを小四郎のせいにしようと計ったために、身の潔白を証明しようと江戸表へ向かっていたのだ。それを阻止しようとする追っ手が大治郎と大次郎を間違えた。大次郎の心を動かしたのは、小四郎の新妻が潔白を証明するために自害して果てたという事実だった。自らも三冬という新妻を得て、夫婦の絆の深さを知った大治郎にとって、小四郎夫婦を助けることは必然だった。「鷲鼻の武士」「品川お匙屋敷(なんと三冬が誘拐される)」「川越中納言」「新妻」「金貸し幸右衛門」「いのちの畳針」「道場破り」。 (2014.11.4) 新潮文庫 200211月 590


白い鬼
剣客商売05

沼田三万五千石、土岐伊予守の家来である竜野庄右衛門の子として生まれた竜野庄蔵が15年ぶりに江戸に出てきた。その庄蔵が、沼田藩秘匿の怪物を見てしまったのだ。久しぶりに秋山小兵衛に会おうと向かっていた矢先のことだった。連絡を受けていた小兵衛は若い妻のおはるとともに、料理を作って待っていた。しかし、その夜に庄蔵が現れることはなかった。かつての庄蔵を知っている小兵衛は、約束を黙って破る庄蔵ではないはずだとわかっていた。翌日になって沼田藩の江戸屋敷を訪ねると、何者かに庄蔵が左腕を斬りおとされていた。驚いた小兵衛が庄蔵に事情を尋ねると、藩士を次々と殺害して逐電した金子伊太郎を発見し、追跡したところ返り討ちにあったということだった。この伊太郎、精神が冒されていて、女性ばかりを何人も斬り殺していた。そして胸や陰部を抉り取ってしまう。猟奇的な殺しばかりを繰り返していたのだ。小兵衛の弟子で、十手持ちの弥七は偶然にも小兵衛が聞いた伊太郎を追いかけていたのだ。「白い鬼」「西村屋お小夜」「手裏剣お秀」「暗殺」「雨避け小兵衛」「三冬の縁談」「たのまれ男」。 (2014.10.19) 新潮文庫 200211月 590


天魔
剣客商売04

すでに仮住まいから新宅へ転居したはずの小兵衛とおはるの夫婦なのに、物語はちょくちょく転居前の時間軸に戻っていく。ここでも仮住まい先の「不二楼」での話が登場する。しかし表題の「天魔」は鐘ヶ淵の新宅での物語だ。かつて小兵衛が剣術を指南した男の息子が8年ぶりに江戸に戻ってきた。笹目千代太郎。小兵衛はこの若者が気味悪くて仕方がない。剣術の腕を上げてただひたすらに勝つことのみを楽しみにする。仕官するとか、商売にするとかはまったく考えていない。あまたの道場を訪ねては、門人を半殺しの目に遭わせる。それだけを楽しみにしている千代太郎。かつて一度だけ小兵衛に負けたことがある。その時に息の根を止めておかなかったことを小兵衛は悔やんでいた。恨みを晴らすための修行の途上で、何人の命が奪われたことか。息子の大次郎と小兵衛は、千代太郎が待つ場所に真剣の勝負に向かう。このほかに、佐々木三冬は、いよいよ大次郎への恋心が抑えきれなくなる。寝苦しい夜には、大次郎と剣術の戦いを制し、馬乗りになり、やがて全裸で交わる夢に身悶えていた。「雷神」「箱根細工」「夫婦浪人」「天魔」「約束金二十両」「鰻坊主」「突発」「老僧狂乱」。 (2014.10.9) 新潮文庫 200210月 590


陽炎の男
剣客商売03

「東海道・見附宿」「赤い富士」「陽炎の男」「嘘の皮」「兎と熊」「婚礼の夜」「深川十万坪」。老中、田沼意次の妾腹の娘、佐々木三冬。秋山小兵衛の息子、大次郎に思い焦がれるようになった。ひとり寝床で大次郎を思うとき、ため息ばかりで寝付かれなくなる。離れに賊が侵入した。入浴中だった三冬はほとんど裸の状態で侵入者をたたきのめした。小兵衛に相談した。小兵衛は大次郎を用心棒として三冬の元へ派遣する。ふたりで一つ屋根の生活が始まった。三冬のため息は募るばかりだ。なぜ賊が三冬の住処に狙いをつけたのかを探索した小兵衛は、以前住んでいた表向きは医者をしていた男の真の姿にたどり着く。床下に眠る300両がほしかったのだ。果たして、賊たちが侵入のとき、大次郎は三冬と使用人を守るべく立ち上がった。自宅を放火された小兵衛とおはる。ようやく新築がなり、元の場所に戻ることになった。 (2014.9.30) 新潮文庫 200210月 550


辻斬り
剣客商売02

「鬼熊酒屋」「辻斬り」「老虎」「悪い虫」「三冬の乳房」「妖怪・小雨坊」「不二楼・蘭の間」。大次郎に片腕を切り落とされた伊藤三弥は遠く腹違いの兄を訪ね、復讐をするために江戸に戻った。そのために小兵衛の屋敷は燃やされてしまう。馴染みの料理屋「不二楼」で小兵衛とおはるとの上げ膳据え膳の贅沢生活が始まる。 (2014.9.24) 新潮文庫 20029月 520


剣客商売
剣客商売01

秋山小兵衛は60歳を過ぎて道場を息子の大次郎に譲り、自らは40歳も年下のおはるとともにねんごろの生活を始めていた。剣術の道、一筋に歩んできた小兵衛は、引退したらなぜか女の肌が恋しくなってしまったのだ。しかし、そんな小兵衛を頼って多くの迷い話がやってくる。ときは老中田沼意次の時代。田沼が妾に産ませた女武芸者佐々木三冬が小兵衛に惚れて、それをおはるが嫉妬して、物語は江戸の町を舞台に進んで行く。 (2014.9.19) 新潮文庫 20029月 590


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