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ほぼ毎日更新の雑感「ウエイ」
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藤沢周平
shuhei fujisawa

橋ものがたり

蒔絵師の新蔵は裏店のある富島町を出て永代橋に出た。住み込みの年季奉公が終わり、通いのお礼方向をしていた。通いになった途端、朝の始まりに遅れるようになったと言われるのが嫌で、新蔵は誰よりも早く店に出た。その日もいつものように早朝の永代橋を渡っていた。その女は今日で三日間、同じところで橋の上から川の流れを見ていた。身投げするのではないかと心配したが、何も言わずに通り過ぎた。橋の下を五百石積みとも思える黒い船体がゆっくりと遠ざかっていく。不意に女が欄干の下に倒れた。新蔵は夢中になって女に駆け寄った。ひどく疲れて、歩く気力も失せていた。新蔵はとりあえず女を背負って自分の長屋に連れて行き、近所のおとよという大工の女房にあとを頼んだ(「川霧」より)

(2023.7.29)新潮文庫75019834

竹光始末

曾我平九郎が三崎甚平を訪ねてきた。妻の好江は平九郎の垢まみれの服装に辟易したが越戸の甚平が家に上げてしまったので一睨みして抗議した。かつては戦場で刀を振り回していた甚平は、戦乱が終わり、主家が断絶ののち、足軽として現在の主持ちになれた。武士を捨てるのに苦悩したが、足軽になってみれば城門警護という役目で妻と娘を食べさせていける暮らしに満足していた。そこに戦国の世から這い出てきたような曾我平九郎がやって来た。まったく記憶にない男だったが、平九郎は甚平を覚えているらしく、会ったときから馴れ馴れしかった。飯を食わせたら6杯も食うし、いつまでも居続けそうだし、何とか追い出す方法がないかと甚平は仲間に呼びかけた(「遠方より来る」より)

(2023.8.3)新潮文庫590198111

密謀・下

秀吉が死んだ。幼い秀頼を五大老、五奉行らに託したまま死んだ。大老筆頭の徳川家康は秀吉が生きていた時に出した無許可の婚姻を次々と進めた。石田三成は家康の動きを警戒しながらも、朝鮮出兵の時の不始末を豊臣家の古くからの臣下から恨まれ、豊富家臣団をまとめきれなかった。黒田長政、加藤清正らが密かに三成を暗殺するという噂が流れ、三成は上杉を頼った。兼続は三成を匿うことは上杉のためにならないと景勝に意見する。前田利家が没し、秀吉の意を汲む者たちは次々と家康に籠絡されていった。ついに三成は佐和山の居城に隠居する。三成と兼続は今後の展望を話し合う。会津に戻って戦力を蓄え、徳川と天下分け目の戦を用意するので三成は西から挙兵して徳川を挟撃しようと誓い合った。会津で戦力を蓄えた上杉に対して徳川は大軍団を向けて進軍を始めた。同じ頃、三成は朝廷に働きかけて家康を朝敵にした詔書を作成させ、諸将に朝敵の家康掃討に協力せよと働きかけた。三成挙兵の知らせを受けた家康は上杉討伐を中止して西へと向かった。関ヶ原で両軍は衝突した

(2023.8.9)新潮文庫59019859

密謀・上

直江兼続は上杉景勝の片腕として若い頃から越後の守りに手腕を振るってきた。密かに草の者たちを束ねて諸国の様子を調べ上げ、景勝に伝え、上杉家の進むべき道を選んでいた。戦国の世が信長の登場でようやく出口を迎えようとしていた。謙信は義のために戦をしたので決して己の野心のために武力を使わなかった。そのため天下統一を夢見ることはなかった。その家風を受け継いだ景勝も同じように独立した領主として越後の守りに力を注いでいた。本能寺で信長が討たれた後も秀吉から臣下になるように再三の催促を受けたが、同等の立場ならまだしも家臣になる必要なしと断じて大阪へは足を向けなかった。天下の趨勢は徳川家康と秀吉の両巨頭にかかっていた。景勝は兼続とともに家康の動向を探りながら秀吉から異封された新しい領地の会津で次の一手を探っていた。そんな時、石田三成から兼続へ秀吉が亡くなったという知らせが届いた

(2023.8.6)新潮文庫71019859

冤罪

佐分利七内は60近い年寄りと二人だけで幕のなかに残っていた。羽州14万石に封じられた酒井藩主が新規召し抱えの者を募っているという話を聞き、諸国から集まった浪人とともに朝から呼び出されるのを待っていた。控え所ははじめは賑やかだったが、次々と呼び出されていき静かになった。七内が呼び出された。40歳になった七内は大谷刑部に仕え、関ヶ原の戦いでは徳川を敵にまわして戦った。敗戦の後は浪々の身となり長い時間が経った。七内は関ヶ原の戦いのときに敵の武士が残した高名の書を懐から差し出した。鑑札は武士としての証明書だ。鑑札をしたためた島田という武士にこの文書が確かなものだという一筆をもって召し抱えの条件にすると言われた(「証拠人」より)

(2023.5.17)新潮文庫56019829

花のあと

吉兵衛は異変に気づいた。五つ半(午後9時)の裏店に灯りが煌々と溢れていたからだ。慌ただしく提灯が行き交っている。盗人稼業を切り上げて10年になる吉兵衛だったが、灯りを嫌う習性はなかなか抜けない。異変は吉兵衛が訪ねようとしていたおやえの家から感じられた。そこから漏れてくる光に集まる多くの黒い頭と肩が浮かんでいる。腕組みをしている男に何があったのかと尋ねた。するとおやえが殺されたと教えられた。吉兵衛は自分の裏店に戻った。こんなことならいっそおやえと一緒に暮らせば良かったと後悔した。盗人稼業から手を引き、小間物屋の主人として近所の人たちに親しまれるようになっていた。場末の女郎屋で見つけたおやえを身請けしようと決心した(「鬼ごっこ」より)

(2023.5.15)文春文庫47619893

天保悪党伝

夜通し博打を打った高瀬直次郎。吉原の妓楼大口屋にはなじんだ三千歳という花魁がいた。花魁会いたさに悪仲間の兄貴分、河内山宗俊から金を借りるために訪ねたがいなかった。八十俵取りのお鳥見という御家人だった直次郎。勤めを放り出して悪い遊びにふけっていた。黒鍬者だった悪仲間から借りた金を増やすために賭場に行ったが、結果的には懐がすっからかんになった。腕のいい料理人の丑松を訪ねたが不在だった。組屋敷に戻っても誰もいない独り身。丑松に何か腹に入るものを所望しようと思ったがいなかった。妹がいたので茶漬けを頼み空腹を満たした(「蚊喰鳥」より)

(2023.5.11)新潮文庫476200111

龍を見た男

藤次郎は死んだ父親の六蔵の後を継いだ。簪と笄の職人だ。腕の良かった六蔵は多くの問屋から注文を受けていた。藤次郎は同じ問屋に継続的な商いができると思っていた。しかし、六蔵の腕と違うことを見抜かれ、問屋からは注文数が大きく減らされていた。今田屋はそんな藤次郎の注文を大きく減らした問屋の一つだった。商売敵に乗り換えていた。それでも地道に藤次郎は商いを続けた。最近になって今田屋から少量の注文が入ったが藤次郎は断った。職人の矜持を傷つけたことに気づいた今田屋は平身低頭して藤次郎に詫びを入れた。藤次郎には妹がいた。渡職人の鶴助が入ってきた時に妹のおきぬは鶴助に騙されて駆け落ちした。それ以来、藤次郎はおきぬに会ったことがなかった。その鶴助が突然訪ねてきておきぬが病で臥せっていると知らせた。探しに行くと軒行燈に御宿と書いてある場末の女郎屋で布団部屋に押し込まれて臥せっていたおきぬを見つけた(「帰って来た女」より)(2023.5.9)新潮文庫59019879

日暮れ竹河岸

おしづは政右衛門が持ってきた縁談を上の空で聞いていた。子どもが二人いるという男やまめが自分を欲しがっているという。朝から花曇りだった空は八つ(午後2時)過ぎには雨に変わっていた。夕方から雪に変わり、政右衛門が帰る頃には真っ白に積もっていた。おしづの家は雪駄問屋だった。父が死んだ後、借金とりがやってきて何もかもを持っていった。当時の近江屋から暖簾分けをして外に店を持った政右衛門がおしづのことを案じているのはわかっていた。母のおたつはほとんど寝たきりの病身になった。おしづはおたつの面倒を見ながら暮らしていた。店が繁盛していた頃、奉公人が一人辞めた。新蔵はおしづと同い年だった。上方に行って一角の商人になっておしづを迎えにきますと告げて旅立った。あれから長い時間が経った。おしづは門の戸がカタカタと鳴ったような気がした。それは風が駆け抜けていったらしかった(「夜の雪」より)

(2023.5.6)文春文庫47620009

霧の果て

お津世は蔵前の北にある三好町の小料理屋「よし野」の女将だ。2年前に亭主に死なれ3つになる子どもがいた。北町奉行所の定町廻り同心の神谷玄次郎はよし野の部屋で朝を迎えた。お津世は玄次郎の女だ。身分が違うので婚姻はかなわない。お互いにそのことに気づいていながら互いをいたわる仲を続けていた。奉行所に顔を出すのをさぼる、町を廻る仕事もさぼる、八丁堀の同心屋敷にも戻らない。玄次郎は北町奉行所のなかでは不真面目な存在だった。しかし、与力の金子の引きでこれまで馘首されることなく同心を続けていた。玄次郎の父が同心だった頃、若い町屋の娘が殺された事件を折っていた玄次郎の父は奉行所の上の方から探索の中止を命じられた。同じころ、玄次郎の母と妹が惨殺された。父が追っていた事件と家族の殺人がつながっていると考えたが奉行所は深追いを禁じたのだ。父は妻と娘が惨殺されたのちに隠居をして病死した。跡目を継いだ玄次郎は長くお上や奉行所への不信感を胸のうちにひめていた(「針の光」より)

(2023.4.27)文春文庫69020109

三屋清左衛門残日録

清左衛門は長く藩主の用人を務めた。藩主の交替にあたり隠居を願い出て認められた。家督を惣領の又四郎に相続した。嫁の里江は賢く、労りのある女性だった。それでも自身が49歳の時に病死した妻の喜和とついつい比べてしまう。喜和にはできたわがままを里江いは流石にできない。息子夫婦と同居する隠居生活の先行きに一抹の不安を覚えながら、日々の出来事や雑感を残日録として残すことにした。旧知の佐伯熊太は町奉行だった。隠居した清左衛門を訪ねてきて清左衛門の話し相手になった。そして自分の仕事を手伝えという。ひと一人の命がかかっている重大な話だという。先代藩主が手をつけたおうめという女性がいた。藩主交替に伴い、実家に戻っていた。そのおうめが身籠った。本来ならばめでたい話だが、現在もおうめには藩から扶持が与えられていた。清左衛門はおうめには扶持を終える代わりにどこに嫁入りしようが自由という達しがあったことを記憶していた。その達しの在処を突き止め、権威主義に浸っておうめを亡き者にしようとしている上層部を説得してほしいという頼みだった(「醜女」より)

(2023.4.25)文春文庫52419929

たそがれ清兵衛

城の北にある堀端の家老屋敷、杉山家に二人の客がいた。組頭の寺内と郡奉行の大塚だった。三人は四つ半(午後十一時)を過ぎた時間に密談を重ねていた。筆頭家老の堀将監に関するものだった。藩が抱える大きな問題、それは堀の専横だった。藩では七年前に未曾有の飢饉に襲われた。藩にあった物も金も使い果たして財政が窮乏した。責任をとって時の執政たちは辞職した。その時に組頭から家老職に出世したのが堀だった。堀は有力商人たちと手を組んで経済を復興し、村々の窮乏を助けた。商人たちは貸し付けた金の担保に田畑を抑えたので返金が不可能な農家は土地ごと差し出した。商人たちは短い時間で大地主の階段を登っていく。それを後押しした堀には、商人たちから多くの金が流れた。監察会議を開いて堀を糾弾すべきと決着したが、それでも堀が抗ったときの対策として、勘定組に努める五十石取りの井口清兵衛、通称たそがれ清兵衛に討手を命じる計画を練った(「たそがれ清兵衛」より)

(2023.4.20)新潮文庫51419913

麦屋町昼下がり

片桐敬助は上司の御蔵奉行、草刈甚左衛門に呼ばれた。話は敬助への縁談だった。御書院目付を勤める寺崎吉兵衛の娘、満江。敬助とは身分が違いすぎた。藩主が在国する秋の試合で敬助は無敗の成績をおさめた。その技量を見込んで吉兵衛がぜひとも娘の相手にと望んだ話だった。しかし、その試合にはこれまで一度も勝ったことのない弓削新次郎が江戸詰めだったために参加していなかった。自分が藩内で一番の剣士だと勘違いされては困ると敬助は思った。甚左衛門に呼ばれた帰り道、敬助は抜き身の刀をもった男に追われる女に出会った(「麦屋町昼下がり」より)

(2023.4.13)文春文庫54319923

漆の実のみのる国・下

七家騒動の後、治憲は次々と借金の返済を画策する。しかし当綱の植林計画は現場の役人たちの不作為によって当初の予定よりも大幅な遅れを出していた。結果の出ない改革に藩の内外から批判の声が現れ、ついに当綱は致仕を申し出た。当綱の後を継いだのは現実的な考え方の莅戸だった。莅戸は当綱の経済的立て直しを踏襲しながらも実態に即した改革を遂行する。それにより藩の借金返済の目途が少しずつ明らかになったころ、莅戸は若い者に道を譲るために執政を致仕する。治憲は大殿の四男を養子に迎え幕府に隠居を申し出て認められた。藩主ではなく隠居という立場で自由な立場で苦しむ民を救う手立てを考えようとした。莅戸の後を継いだ若い官僚たちは、上級階級の武士だったので貧しい者たちの現実に思いを寄せることができなかった。新しい産業をことごとく中止し、歳出を抑える策しか思いつかなかった。商人たちにへりくだることなく借金や借りた金の返済延期を申し込んだので誰も金を用意する商人がいなくなった。ここに至り治憲は、隠居した莅戸をふたたび執政の座に戻すために説得を試みる

(2022.12.30)文春文庫68020171

漆の実のみのる国・上

貧窮にあえぐ米沢藩。全国の諸藩が苦しい経済状況を抱える中で突出した貧窮を米沢藩は抱えていた。にもかかわらず政務をお抱えの執政、森に任せきりの藩主。江戸家老の竹俣美作当綱は政務を担当する莅戸とともに藩主を騙して民を苦しめる国の執政、森を排除する。同時に愚かな藩主を強制的に隠遁させた。他家から養子として迎えた上杉治憲が16歳という若さで新藩主になった。倹約と身分の上下なく藩の労務に汗を流す政策を実施し、少しずつ成果を出し始める。国の家老や武家頭たちは新藩主の改革に対して次第に距離を置くようになる。民とともに汗を流すやり方が保守的な威厳を保とうとする彼らには我慢できなかったのだ。やがてそれは七家騒動として当綱らの排除、治憲への侮辱というクーデターへとつながっていく。七家騒動は治憲による懸命な対処で鎮まる。執政になった当綱は米に代わり安定的な副収入を得られる植林政策を計画する

(2022.12.23)文春文庫68020171

蝉しぐれ・下

文四郎は全権を握った里村家老から呼び出された。江戸から秘かに藩に戻っている藩主の妾のお福様の子どもを秘かに奪い出す命令を受けた。無事に奪い出せば文四郎に出世を約束するというものだった。もちろんそんなことは嘘だと分かっていた。親友の小和田逸平と島崎与之助に相談した。二人は奪い出すことを正直に告げて、そのまま母子ともに里村家老に敵対する横山家老屋敷に逃げ込む計画を考えた。お福様が匿われている欅屋敷に行き、文四郎は事情を告げた。周囲の家来たちも里村たちの陰謀を読み取り、文四郎に協力しようとした。そんな時、屋敷を黒覆面の男たちが襲撃し皆殺しをかけてきた。文四郎はこの時になって里村の企ての全貌に気づいた。文四郎一人に全ての罪を被せて、横山派一派と新しい世継ぎに連なる者たちを殲滅しようとする恐ろしい企てだった

(2022.12.17)文春文庫68020002

蝉しぐれ・上

日本海側の東北地方にある海坂藩の牧文四郎。幼い時に服部家から養子に入って普請組牧家の嫡男として15歳の初夏を迎えていた。臨家の小柳家のふくは文四郎よりも若く幼い少女。祭りに連れて行ったり、へびにかまれたときに毒を吸ってあげたり、淡い交流を続けていた。次期藩主を巡る抗争で真っ二つに割れた藩内で父の助左衛門が捕らわれ切腹を命じられた。父の遺体を引き取った文四郎は母の登世と禄を減らされおんぼろの長屋に引き移った。空鈍流道場で不遇感を払しょくするために剣の修行に励む文四郎に藩から郡奉行支配下への復職が命じられた。父の葬儀で手伝ってくれたふくへ話を伝えようと考えた文四郎。小柳家を訪ねるとふくは江戸の藩屋敷で奥勤めをするために藩を離れていたことを知る。空鈍流道場で仲間だった小和田逸平と島崎与之助らとの交流と続けながら若い文四郎は母を支えながら育っていく

(2022.12.12)文春文庫68020002

獄医立花登手控え

4人間の檻

ある日、登は叔父に頼まれて彦蔵が住んでいる鳥越橋に近い裏店を訪ねた。妻も子どももない独り者の彦蔵は履物屋に下駄を納める下駄職人だった。腹の病を患い寝込んでいる。叔父の見立てでは命に関わる病で、もう手の施しようはないという。自分の命が長くないことを悟った彦蔵は登に自分が昔に人を殺していることを白状した。30年も前に相棒の磯六とともに子どもをさらって金を奪って殺したという。彦蔵は殺すのを嫌がったが磯六が無残にも殺してしまったそうだ。磯六は佐兵衛と名を変えて今も生きていた。子どもをさらいかけて短期間牢に入っていたことを登は覚えていた。岡っ引きの藤吉に磯六の話をした。詳しい調べで何人もの子どもが同じ時期にさらわれて殺されていたことが判明した。どの子どもも小間物屋の子どもだという共通点があった。(「戻って来た罪」より)

(2022.11.10) 講談社文庫610200212

獄医立花登手控え

3愛憎の檻

ある夜、女牢で急病人の呼び出しがあった。小伝馬町に勤めていた登は深夜の牢獄で新入りの若い女を診察した。おきぬは腹痛を起こしていた。登は薬を与えた。数日後、登は女牢の名主に呼び止められた。おきぬが佐七という牢の下男に色目を使って何やら指図をしているという。佐七はすっかりおきぬにのぼせ上がって入り用なものを自分で用立てて牢内に届けているという。登は佐七の上役の万平にあらましを伝えた。万平からきつく叱っても佐七は態度を変えなかった。自分は騙されていない。おきぬが哀れで仕方がない。出所したら夫婦になって自分が面倒をみる約束をした。言い放つ佐七はおきぬを信じきっていた。おきぬの振る舞いに疑問を抱いた登は同心の平塚に頼んでおきぬの住処を教えてもらい訪ねた。長屋の住処にはこれといったものはなかった。しかし、住民によれば数日前に何者かが盗みに入ったという。不思議だったのは盗みがあったのに、家の中は全く荒らされてなかったというのだ。登は長屋の住民からおきぬに男がいたという証言を引き出し、佐七がやはり騙されていることを確信した。(「秋風の女」より)

(2022.11.8) 講談社文庫590200212

獄医立花登手控え

2風雪の檻

柔術の起倒流鴨井道場で三羽ガラスに数えられる師範代の奥野、新谷、登。最近まったく道場に顔を出さなくなった新谷について登は奥野から相談を持ち掛けられた。新谷の家に行くが実家にも戻らずに深川の悪所に入り浸っているという。捨蔵と言う60を過ぎた盗人が牢獄に入っていた。よく腹痛を起こす。触診で腹に大きなしこりがあることに登は気づいていた。それはやがて死に至るだろう痛みの原因だった。捨蔵は登に娘と孫を探してくれと頼んだ。登はやがて死を迎えることが分かっていながら島流しを待つ捨蔵の悲哀を思い、非番の日に娘と孫の探索を始めた。しかし、娘は次々と狭い範囲で転居を繰り返していた。(「老賊」より)

(2022.11.3) 講談社文庫533200212

獄医立花登手控え

1春秋の檻

起倒流で柔の修行を積む立花登は医師だ。浅草御門外の福井町にある叔父の家に寄宿している。叔父も医師だがあまり流行っていないので小伝馬町の牢獄で獄医をしていた。最近は登に獄医の仕事を代わりにさせることが多くなっていた。叔母は登を甥と見ないで食い扶持が増えた厄介者として扱っていた。従姉妹のおちえは美貌だが驕慢な女だった。夜の巡回で腹痛を訴える男の見立てをしていた。男は登に頼み事をした。腹痛は偽りだった。登にもできそうな頼み事だったので非番の日に頼みを実行することにした。牢屋にいる勝蔵が伊四郎という男から十両を受け取って、おみつという女に渡して欲しいというものだった。それは賭場でイカサマをして稼いだ金の勝蔵の取り分だった。自分は島送りになってしまうが、その取り分を世話になったおみつに渡そうと考えたのだった。(「雨上がり」より)

(2022.10.31) 講談社文庫571200211

義民が駆ける

大御所の徳川家斉が老中の水野忠邦へ川越藩を庄内藩へ国替えするように内示した。石高が少なく財政がひっ迫する川越藩からの訴えが大奥を介して家斉が水野へ命ずる形になった。直接の国替えでは反発を買うだろうということで長岡藩を含んだ三国の国替え指示になった。なんら不祥事を抱えてなかった庄内藩では城内でも百姓も大きく動揺した。国替えになると城主は年貢を余すことなく搾り取り、藩主一同の移動に伴う費用に年貢をあてる。新しい藩主は堅物で年貢の取り立てが厳しい。これでは百姓たちは自分たちの将来に望みが持てないことを読み取り、藩主への恩を大義名分にして江戸表へ強訴という命がけの行動で国替えの取り消しを求めた。天保一揆と呼ばれる史実をもとにした農民たちの躍動する物語

(2022.10.27) 講談社文庫800201510

彫師伊之助捕物控え

3ささやく河

島送りになった長六が恩赦によって江戸の町に戻った。長六は数日かけてかつての押し込み仲間の彦三郎を探し出した。彦三郎は伊豆屋という小間物問屋の主になっていた。彦三郎は長六を料理屋に誘い今後は顔を出さない約束をさせて30両もの大金を渡した。彦三郎と別れた長六はその日のうちに何者かに襲われて落命した。彫藤で働く伊之助に同心の石塚が再び探索の依頼に訪れた。伊之助は気乗りしなかったが、やせ細って倒れていた長六を数日間長屋で世話をした縁で手伝うことになった。探索を続けるうちに彦三郎と長六はかつて商家を襲い手代を殺した押し込み一味に間違いないことに気づく。その押し込みは3人組だった。もう一人の鳥蔵を探し出した伊之助は単身で貸元の伊之助に会いに行く。彦三郎と会った鳥蔵。その後、彦三郎も殺された。鳥蔵を調べた伊之助は鳥蔵が二人を殺してはいないと考える。そこで探索は振り出しに戻った

(2022.9.15) 新潮文庫80019859

彫師伊之助捕物控え

2漆黒の闇の中で

伊之助は仕事に向かう途中で川から引き上げられた男の死体に出会った。自分には関係ないと仕事に向かったが、後に同心の石塚が訪ねてきた。引き上げられた男の身元が全く不明なので、身元だけでも調べてくれないかというものだった。首筋に手裏剣のような傷があった。殺しに慣れた者による殺害だった。下手人探しを手伝えというわけではなかったので、伊之助は石塚の願いを受けた。彫師の仕事の傍ら、時間を見つけて男の身元探しを続けた。しかし最初考えていたのとは大きく違い、男の身元は全く分からなかった。住まいだった長屋を訪ねるうちに男は何かを見つけて飛び出していった後に殺されたことが分かった。また以前いた長屋では妻がいて、その妻がある日家出をしてから男の暮らしが大きく変わったことも判明した。身元を調べるだけの頼みだったはずが、いつの間にか大きな犯罪の仕組みへ伊之助の追及が迫っていくのだった

(2022.9.12) 新潮文庫59019829

彫師伊之助捕物控え

1消えた女

版木の彫師、伊之助。かつては十手を預かり犯罪を取り締まる岡っ引きをしていた。しかし仕事に熱中するあまり家庭を顧みず妻は男と逃げてしまった。その結果、妻は無理心中。それ以来、十手を返して若いころに身につけた彫師の仕事を続けていた。岡っ引き時代の先輩、弥八から娘のおようが行方知れずになったので捜してほしいという依頼を受ける。伊之助は子どもの頃のおようを知っていた。彫師の仕事を続けながら、およう捜しを始めた。幼馴染のおまさが切り盛りする飯屋でたまに食事をする。若い職人が出入りする様子に気持ちが動く。おようはやくざものの由蔵と所帯をもち離縁した。由蔵を訪ねるとおようはある日突然家から消えてしまったという。聞き込みや張り込みを続けるうちに由蔵は何者かに殺された。同じころ、江戸の商家では小金を盗んで朝まで気づかれない「ながれ星」という盗賊が犯行を重ねていた。そのうちの一つ、材木商の高麗屋が奉行所に被害を訴え、伊之助の上役だった定町廻同心、半沢が調べを始めた

(2022.9.8) 新潮文庫71019799

用心棒日月抄

4凶刃

北国の小藩に帰った又八郎。江戸での暮らしから16年が過ぎた。ある日、寺社奉行から呼び出しを受けた。接点のない相手の呼び出しは、かつて自分がかかわりをもった陰の者、嗅ぎ足組に関するものだった。藩主の命で国元の嗅ぎ足組は解散することになった。その旨を江戸屋敷の者たちにも告げて順次組を解散するように伝える役目を依頼された。江戸に派遣された又八郎は16年ぶりに江戸屋敷の嗅ぎ足組を束ねる佐知と会う。事情を伝えると了解する佐知。しかし組の者が次々と何者かに暗殺されたり襲われたりする事件が連続した。嗅ぎ足組を解散させるのではなく、皆殺しにしようとする何者かがいることに気づく。又八郎は佐知とともに凶刃の理由と裏にいる命を発する者の追及を開始した。シリーズ最終作

(2022.9.2) 新潮文庫59019919

用心棒日月抄

3刺客

国元で落ち着いた日々を送っていた青江又八郎。突然、筆頭家老の谷口権七郎から呼び出しを受けた。権七郎は嗅ぎ足組の頭領と言われている。藩の影の組織である嗅ぎ足組。江戸藩邸には娘の佐知が詰めていた。又八郎は密命で江戸に忍んだ時に、佐知と共に多くの仕事をしてきた。その父親からの呼び出しだった。藩主の叔父にあたる寿庵が密かに私的な影の組織を作り、嗅ぎ足組を駆逐しようとしているという。すでに選りすぐりの剣士を5名江戸に送り出したので、又八郎に秘かに藩を離れ江戸でこれらの剣士を始末することを命じられた。同時に江戸藩邸の嗅ぎ足組の者たちを守れという指示だった。表向きは脱藩という形で江戸に戻った又八郎は再び自分の力で暮らしの潰えを稼ぎ出すために口入屋の相模屋を訪ねた

(2022.8.29) 新潮文庫63019872

用心棒日月抄

2孤剣

国元での暮らしが認められた又八郎。老いた祖母と許嫁の由亀とささやかな幸せな生活を取り戻していた。そんな時、中老の間宮に呼び出された。処分を下した大富派を粛清させるための証拠を一族の大富静馬が勝手に持ち出して藩を抜けてしまったという。それらが公儀の手に渡れば藩が取り潰しに遭うかもしれない。そこで又八郎を形の上だけ脱藩にして再び静馬を追って江戸に戻り、陰謀の証拠を静馬から取り戻せという命令を受けた。又八郎は再び江戸に戻り、口入屋の相模屋の世話になりながら、自ら戸口を凌ぎ静馬探しの暮らしを始めた。まったく当てのない探索に、江戸藩邸で嗅ぎ足組と呼ばれる探索方の佐知が協力を申し出た。一年に及ぶ佐知の協力で又八郎は静馬を見つけ出し証拠の品々を取り戻すことに成功した。しかしそれは江戸で世話になった者たちとの別れを意味していた

(2022.8.6) 新潮文庫75019809

1用心棒日月抄

北国のある小藩で馬廻組百石の武士だった青江又八郎。藩主毒殺の陰謀を耳にしたことから許嫁、由亀の父親を斬って脱藩した。江戸に出て口入屋、相模屋の吉蔵から仕事をもらいながら裏店に暮らす浪人となった。同じ相模屋で出会った老人の細谷と親しくなり、互いに用心棒や人足仕事をこなしながらその日暮らしを続けていた。藩主殺しの陰謀を知られた家老の大富は多くの刺客を江戸に放った。又八郎はそれらとの戦いを繰り返しながら口入屋からの仕事で銭を稼いだ。城内で浅野内匠頭が吉良上野介に刃傷沙汰を起こした。幕府は喧嘩両成敗の掟を無視して浅野内匠頭のみに切腹を命じた。赤穂浅野家は断絶。又八郎は用心棒として雇われた先々で浅野浪人たちとの関わりができた。内心では主君の仇を討つ浅野浪人たちに尊敬の念を抱き始めた。そんな時、故郷の藩から手紙が届く。中老の間宮がすぐに藩に戻り家老の陰謀を暴く手助けをするようにと書かれていた。江戸での暮らしに別れを告げ、又八郎は北国に帰る。祖母が許嫁だった由亀とともに暮らす家に戻った又八郎に江戸の細谷から便りが届いた

(2022.8.2) 新潮文庫75019783