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秋川滝美
takimi akikawa

きよのお江戸料理日記
5

1826(文政9)年、霜月。深川の料理茶屋「千川」の板場で料理人のきよが勤めに励んでいた。「今日の客はやけに騒がしいな」隣で板長の弥一郎が呆れた声を出す。馴染み客が5人も6人も集まり、車座になって盛り上がっていた。久しぶりに来店した与力の上田が静かに酒も飲めないだろうと伊蔵が心配する。上田は厩番の神崎と待ち合わせしていた。客のあしらいをしていた店主の源太郎が板場に注文通しに戻る。車座の馴染み客は酒合戦について話しているという。大勢で集まって酒の飲み比べをするのが酒合戦。弟の清五郎が慌てて戻る。上田たちへの料理が遅いから神崎と二人、車座に入り込んで盛り上がっていた。早く2人の料理を頼むと清五郎が急かした。酔った勢いの酒合戦話を上田は大層面白がり、千川で開催しようというのだ。とはいえ、大量の酒には金がかかる。町人たちの懐では足りない。それを上田が金なら任せておけと悪乗りした。かくして千川酒合戦は年明けに本当に開催されることになった(2024.7.20)アルファポリス文庫74020244

きよのお江戸料理日記
4

1826(文政9)年、卯月。深川佐賀町の孫兵衛長屋の井戸端できよは朝飯の支度をしている。七輪の鍋ではアサリがふつふつ揺れていた。すべてが口を開けたら味噌を溶いて、アサリの味噌汁が出来上がる。そこに隣に住む三味線師匠のよねがやってきた。七輪はよねから借りている。きよは江戸に出てきてからよねを母のように慕っていた。最近、娘のはなが嫁入りしてよねはひとりで暮らし始めた。毎日の食事作りは大変だろう。きよは時折、お菜やご飯をお裾分けしていた。今日はアサリの味噌汁をよねの分も含めて多めに作った。よねは代わりに漬物を持ってくるという。手間のかかる漬物作りを苦労してよねがやっていた。それに気づいたきよはわずかしかないだろう漬物をもらっていいのか迷う。持ってきた漬物を見たきよが大きな声を出す。「糠漬けじゃないですか」。糠床を育てながら作るぬか漬けは手間もお金もかかる。そんなものをもらっていいのか悩む。よねは三味線の弟子からたくさん糠をもらったので遠慮なくと渡してくれた。弟の清五郎と朝飯を食べ料理茶屋「千川」に着いた。板長、弥一郎の指示に弟子の伊蔵が気のない返事をしていた(2024.7.17)アルファポリス文庫69020234

きよのお江戸料理日記
3

1825(文政8)年53日。富岡八幡宮近くにある料理屋「千川」のへっついに落ち着かない思いのきよが向かっている。近くでは同じくソワソワしている弟の清五郎。逢坂の菱屋の子ども、双子として産まれたが訳あって二人揃って江戸に出てきた。もう2年半が過ぎた。4月のはじめに菱屋の隠居、父の五郎次郎から「近々江戸に行く」という手紙が届いた。逢坂から江戸まで。電車も車もない時代、人々は歩いて遠くまで行った。手紙が届くにも人の足が運ぶ。それらを計算して、5月の節句の頃には五郎次郎が江戸に来るのではないかと推測していた。5月に入ってからの二人はソワソワしっぱなしだった。薮入りで仕事が休みになっても江戸と逢坂は1日で往復できる距離ではない。別れてから一度も父に会っていない二人だった。板長の弥一郎は上方の豆腐作りに挑戦している。大鍋の中身を型に移し終え、ほっとした顔で額の汗を拭く。「おきよ、こいつをどうやって出す?」「どうせなら、江戸の豆腐とは違う料理で出したい」「おきよの腕はまだまだだが、料理を考え出す力はピカイチだ」。そこへ主人の源太郎が割り込む。「その通り」。その日は夜まで待っても五郎次郎は現れなかった。湯屋に寄った清五郎によると大井川が川止めで上方からの荷が届かないと嘆く客がいた。今回は7日間も川止めが続いているという (2024.7.13)アルファポリス文庫67020224

きよのお江戸料理日記
2

文政71824)年神無月。佐賀町の孫兵衛長屋ではおきよと清五郎が長火鉢の支度をしていた。手入れをした長火鉢で朝食を済ませた二人は翌日、料理屋の千川へ向かって歩いていた。すると横を向いた清五郎がギョッとした目つきになり急に走り出した。黒江川の中ほどに人らしき姿が見え隠れして流れている。岸から清五郎が大声で呼びかける。「おい、大丈夫か」。水面に顔を伏せ、島田髷の女は、清五郎が何度呼びかけても反応がないまま、ゆっくり流されていく。清五郎は草履を脱いだ。「姉ちゃんは人を呼んできてくれ」。川に飛び込んで女を助けるつもりなのだ。おきよは千川に急ぎ、板長の弥一郎に次第を告げた。話を聞いた弥一郎は伊蔵に物干しを持ってくるように命じて飛び出した。後から伊蔵が物干し竿を手に追いかけた。弥一郎は伊蔵が持ってきた竿を受け取り、清五郎に呼びかけた。「女を捕まえてこの竿に捕まれ」。岸に引き上げた女は息をしていたが、意識はなかった。近くの大八車を借りて、医者の深庵のところに運んだ。女の着物を脱がしたり、体を拭いたりするのをきよは手伝った。そこに徹也して赤子を取り出した産婆のおきくがやってきた。女の様子を聞き、様子を探った。女が身ごもっていることを告げた(2024.5.20)アルファポリス文庫67020218

きよのお江戸料理日記
1

文政61823)年、師走、深川佐賀町にある孫兵衛長屋に一人の男が走り戻ってきた。奥から2軒目の引き戸を開けて飛び込んだ。男は清五郎。それを迎えたのはきよ。年が明けたら23歳になる。清五郎は三つ違いの弟だ。姉と弟は上方から出てきた。少し前にきよに頼まれて清五郎は乾物屋にぶどう豆を買いに行った。夕食を終えた時に、清五郎が急にきよ手作りの座禅豆が食べたいと言い出したのだ。買い置きがほとんど残っていなかったので清五郎が買いに出かけた。富岡八幡宮の境内に入ったところで清五郎は乾物屋の小僧が雨戸を閉めようとしているのを見た。店じまいだと焦った清五郎は大急ぎで駆け込んだ。するとそこに侍がいて刀を下げた側にぶつかってしまった。刀が武士の命であることに変わりはない。うっかりとはいえ、そこにぶつかった清五郎。その場で斬り捨てられても文句は言えなかった。しかし、その侍はお前がぶどう豆を煮るのか訊ねた。咄嗟に清五郎は「自分は料理屋「千川」の料理人で、これから座禅豆を作るところだった」と嘘をついた。清五郎は千川で働いてはいたが料理人ではない。料理を運んだり、客の注文を受けたりする奉公人だった。姉のきよは裏で野菜や魚の下拵えを手伝っていた。二人は大坂の油問屋、菱屋五郎次郎とたねの間に生まれた。きよは双子として生まれた。当時、双子は縁起が悪いと言われ、忌み嫌われた。特に男女の双子だったきよは心中の生まれ変わりと気味悪く言われた。このまま大坂で辛い思いをさせないために、五郎次郎は古くから江戸で料理屋を営む川口屋源太郎に二人を託したのだ(2024.5.18)アルファポリス文庫670202011