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7839.9/5/2018

(2)青春18切符の旅2018夏・最後

寛永寺から上野公園方面へ歩く。
法隆寺宝物館の交差点を左折して、坂を下っていく。
復興した寛永寺輪王殿を左に見た。江戸城を無血開城した徳川慶喜が蟄居した。
道に面したところに寛永寺旧本坊の表門が残されていた。
頑丈な金属製の扉に上野戦争で被弾した穴が今も空いていた。
これだけの貫通力をもって、人体に命中すれば刀を持つ武士たちは木っ端みじんになっただろう。

当時の薩摩藩や長州藩の支配層にとって、徳川幕府を支えてきた旧幕臣たちは同じ日本人という連帯感はあまりなかっただろうと想像する。
同じ「ニッポン人」という意識が少しでもあったなら、こんな殺し合いで物事に決着をつけたとは考えにくい。
徳川幕府による極端な情報統制によって、諸外国の最新情報を民衆や武士でさえほとんど入手できない時間が長すぎた。
それによって、世界の中のニッポンという大局的な考え方は創生されにくかったのだろう。

戦争であれ何であれ、殺し合いは憎しみしか残さない。
大義があろうがなかろうが、殺された者の身内や親友にとっては殺した者は許せない存在だ。
新しいクニ、ニッポンにあって、戊辰戦争で殺しあった人たちが昭和の世界大戦までほとんど一体感を共有できなかったのは、この時代の内乱が大きく影を落としていると、私は考える。











7838.10/21/2018

(1)青春18切符の旅最後

全部で期間内に5回使える切符だったので、一回分を残してしまうのはもったいない。
9月8日。専門学校の後期がもうすぐ始まる直前に、東京へ行く用事があったので、それにあわせて、戊辰戦争跡地を歩こうと思った。

大船から上野・東京ラインに乗って東京方面へ。
上野で降りて寛永寺に行こうと思ったら、となりの鶯谷からが近いことがわかり、山手線に乗った。こういう時に青春18切符は役立つ。乗り降り自由なのでいちいち料金が発生しない。

鶯谷から坂道を登っていくと右手に東京芸術大学が見えてきた。
大きなマイク音量が閑静なエリアに響いていた。

寛永寺は1625年、江戸城の鬼門(東北)に慈眼大師が徳川幕府の安泰と万民の平安を願って建立された。その後、4代将軍家綱の霊廟が造営されて将軍家の菩提寺となった。
当時の寺院としては国内で最大級の格式と広さを誇った。

山号は東叡山。東の延暦寺の意味の通り、天台宗の別格大本山にあたる。
現在は当時の敷地のほとんどが上野公園になっている。

これは1868年の上野戦争後に寛永寺敷地周辺が戦場となり、多くの塔頭や鐘楼が焼失したことと関係する。
幕藩体制を武力で否定した薩長勢力は寛永寺の復興を許さず、当時は一般的だった神仏混合を否定し神社関係建築物が撤去された。
300年にわたって、将軍家を支えてきた幕府家臣団の精神の拠り所を徹底的に排除、破壊することで旧勢力の復活を抑え込もうとした。

関東大震災や東京大空襲でさらに多くの建造物が破壊、焼失の憂き目に遭った。
徳川家の御霊殿再建が始まったのは1963年、昭和38年になってからだった。















7837.10/14/2018

(11)

9:30に宿の車で横川に送って頂く。
前日に脱いだ帽子を宿に忘れてしまった。横川駅に向かう途中で若女将から電話が入った。取りに引き返すには時間がかかるので、着払いで送っていただくことにした。

人間の証明のごとく。
「お母さん、あの麦わら帽子のことを覚えていますか」
ちなみに、その帽子は翌日には宅配便で届いた。素早い対応に感謝する。

11:10。信越本線横川駅から乗車。11:40高崎到着。木幡さんと別れ、上野東京ラインに乗車する。
11:52。高崎発熱海行き上野東京ラインに乗車。
湘南新宿ラインの始発から大船まで乗車する経験はあまりないだろう。
大船には14:30到着。曇り。まだ涼しかった。

青春18切符の4回目の旅はこうして終わった。







7836.10/7/2018

(10)

8月28日の朝、霧積温泉の金湯館。
部屋に近い流しでは山からの天然水が蛇口から勢いよく出続けていた。とても冷たい気持ちのよい水だった。
温泉は温めの源泉かけ流し。加温も加水もなし。24時間いつでも入れるので、起きてからすぐ早朝入浴をした。

ことしの夏は暑かった。
前日の佐野や高崎は35℃を越えていただろう。
しかし、宿の寒暖計はやっと20℃を差すのみ。ここはもう秋が来たのではないかと勘違いする心地よさだった。

朝食も夕食同様に部屋まで運んでくださった。しめじの味噌汁が嬉しい。



















7835.10/6/2018

(9)

8月27日、午後2時前に横川駅に木幡さんが到着した。
学童クラブの子どもたちが近くから鉄道文化村に来ていて、その帰りの子どもたちをかき分けて、改札をくぐって来られた。
フリースクール「ジャパンフレネ」代表の木幡寛さんは、とてもフットワークが軽い。
話もおもしろい。公立小学校を退職して明星学園や自由の森学園の創設に関わり、国内外を問わず放浪したり、歩んできた人生が厚い。

湘南地方で研究会の助言者を頼まれたときに、終了後に個人的に大船で昼呑みをしてから、縁がある。

今回の横川電車旅も、ネットで気づかれた木幡さんから「僕もそっちに行くから、もう一日横川にいませんか」と気さくにお誘いいただいた。

森村誠一さんが学生時代に過ごした霧積温泉の金湯館での思い出をもとに執筆した「人間の証明」。その金湯館を予約したそうで、私の分も追加してくださった。

横川駅から金湯館までは宿の車に乗せていただいた。
月曜日だったからか、宿泊客は私と木幡さんと、関西方面から来られた男性の3人のみ。
夕飯は山の幸をふんだんに取り入れた豪華なものだった。
何よりも驚いたのは、本当だったら3組のお客さんに提供する部屋を、私と木幡さんが独占利用できたことだ。一つが居間、二つが寝室だった。

この日の夜は、お互いにこれまでの出来事をお互いに語り合うことができた。
私の学生時代の山登りの話も盛り上がった。
木幡さんは少年時代の話をされた。北海道で蒸気機関車が走っていたころの話は私の興味をかりたてた。
「ぜひ、それらをまとめて小説にしてはいかがでしょうか」
「あー、それもいいなぁ」
静かな金湯館の夜だった。



















7834.9/24/2018
(8)

午前中は鉄道文化村を見学した。たくさんの機関車が屋外で静態保存されていて嬉しかった。
実際に運転台に座ることもできた。私の体がでかいのか、運転台はとても狭くて窮屈だった。
ランチは横川駅前の荻野屋本店で食べた。
釜飯はなんと1000円。アサヒスーパードライ、野沢菜、缶チューハイ。合計で2020円。テーブルから横川駅舎が見えた。にぎやかだった頃は、ここから多くの人や列車が見えたことだろう。
横川周辺をし散策したが荻野屋の支店ばかりで、ほかに何があったのか、わからないほどだった。
試しに線路沿いに高崎方面へ歩いたが30分歩いても何もなかったので駅に引き返した。



























7833.9/22/2018

(7)

8月27日も朝から快晴。
「碓日のお宿 東京屋」に宿泊した二日目。4:00に起床した。
部屋の窓からは鉄道文化村が間近に見える。
7:00から朝食をとりチェックアウト。
鉄道文化村開館まで周辺を歩く。江戸時代に整備された中山道は江戸と京都を結ぶ幹線路として多くの人やものが行き来した。
今も残る旧中山道はアスファルトが敷かれていたが、当時のままの道幅を保っている。だから、現在の道路交通法の基準に合わず、センターラインが引けないのだそうだ。
神社の境内のような場所に「碓氷関所跡資料館」があった。
年配のボランティアの方が説明をしてくださった。
「箱根の関所跡はりっぱに整備されたのに、ここには国は金をかけてくんねぇ」と憤慨していた。
当時の門がそのまま移築されていた。
明治政府は、全国の関所に対して門も建物も破壊して燃やすように命令を出した。人々の移動を自由にするという大義名分があったが、実際には徳川幕府時代を想起させる建造物の撤去が狙いだったのだろう。
碓氷関所も破壊の憂き目に遭った。当時の代官たちが政府にこっそり門だけを解体して隠し通したので、現存できたそうだ。











7832.9/21/2018

(6)

15:45。
この日の旅の目的地である信越本線「横川駅」に到着した。
長野新幹線の開通によって、三本の線路がホームの端で終わっている。かつてはここで専用電気機関車が連結されて、勾配のきつい碓氷峠へと登って行った。
その当時のにぎわいはなかった。
「碓日の宿 東京屋」は駅のすぐ近くにあった。
16:00にチェックインした。客は私一人。
受付で女将さんが鍵を渡しながら
「全館貸切だから、鍵は意味がないねぇ」と言う。
確かにその通りだったので、鍵は受け取ったもののチェックアウトまで部屋に鍵はかけなかった。
日曜日に利用する贅沢を感じた。
たびのあれこれをフェイスブックにアップしていたら、アクセスしたジャパンフレネの木幡さんから電話。
「僕も青春18切符で、明日、そっちに行くから、佐々木さんは明日どうするの?」
一泊二日のつもりだったので、帰る予定を告げると
「霧積温泉を予約したから、いっしょに行こうよ」とのこと。
よろしくお願いします!と即答。金湯館に追加予約を入れてくださった。
予定は未定。ここでも旅の醍醐味を味わう。
入浴して18:00から夕飯。榛名豚、群馬のこんにゃくなど地元の食材を使った美味しい料理だった。
せごどんを見て就寝。



























7831.9/17/2018

(5)

佐野駅周辺は小田急の長後と変わらない風景だったが、もっと垢抜けていた。
1時間に一本しかない両毛線なのに、駅舎は立派過ぎた。
抜けるような青空に雲の白さが目立った。
息が詰まるほどの暑さ。
ここも暑い。
13:29。両毛線高崎行きに乗車。
日光軒で飲んだビールが眠気を誘い、ぐぅぐぅ寝ていたら、あっという間に高崎に着いた。
14:50。高崎下車。
両毛線は高崎が近づくに従って客が増え、到着時にはほぼ満員だった。高崎は36度。暑すぎる!
15:12。
信越本線横川行きに乗車。
信越本線は長野新幹線の開通にともない、横川と軽井沢間が閉鎖された。今はバスが代替運行している。横川行きの電車は、1時間に一本だった。















7830.9/16/2018

(4)

予定よりも早く水戸駅に戻り、9:35発小山行き水戸線に乗車した。
車内はとても空いている。踏切の安全確認で緊急停車あり。早めに乗って良かった。
ところが10分遅れて小山駅に着いたら、もう11:02発の両毛線は出発していた。
次の両毛線は1時間先の12:02。改札を出ようかと思ったが、暑すぎてホームにあるエアコンの効いた待合室にこもる。

12:02。両毛線高崎行きに乗車した。12:28。佐野駅で下車。
駅前ロータリー近くにラーメンののぼりを見つける。今回の旅の目的の一つ、佐野ラーメンをいただく。
日光軒で瓶ビール、餃子、チャーシューメンを頼む。
餃子は普通。チャーシューはトロトロで旨かった。スープは鶏ガラ醤油かな。あっさりしていて、私好み。麺は自家製で、平打ちの細麺だった。食べやすかった。
店内はテーブル席とカウンター席があった。次々と客が訪れて混んでいた。