top .. today .. index
過去のウエイ

7809.8/6/2018

きょうは新橋でフランス料理ランチ。
ひとり15000円もするコース。
息子の婚約者ファミリーと初顔合わせの会食をする。
「というわけで、費えの方は、向こうが半分、こちらが半分でお願いしたい」と息子の弁。
はいはい、我が家分60000円をもちましょうね。
パンもワインもたっぷり飲んで食わねばもったいない。
「あのぅ、くれぐれも飲みすぎて、向こうのご両親に迷惑をかけることだけは」と息子が続ける。
余計なお世話だ。4月から学生になったとはいえ、俺だって喪主までつとめた世帯主だぜ。
息子と彼女は、大船駅に近いアパートに5月から住む。
二人での生活を通して、挙式プランを練るという。
結婚専門のプランナーという方からのアドバイスだそうだ。
まぁ確かに結婚してから予想外の異常性格や、変態的な日常習慣に気づいたのでは不幸だ。
結婚する前に、ありのままのお互いを知るのは有効かもしれない。
しかし、ひとつ屋根の下に若いふたりがいれば、何もしないわけがないはずで、私は確実に本物の「おじいちゃん」になることを覚悟した。

(この原文は、2018年4月7日にファイスブックに投稿した)

7808.8/5/2018

私が、いずれ教員を辞めた後の人生を料理の道でとおぼろげに考えたのは、30代の後半だった。その頃、週末になると通ったのが中華街。食材専門の永楽という店で麺やスープを買い込んでは自宅で練習した。毎週行くから店員さんたちと仲良くなり、土産をあげたり、いただいたりする仲になった。中華街で観光客でなく、住民や働く人たちが行く店を永楽で教えてもらっては片っ端から通った。出汁の取り方、餃子の餡の作り方、皮の作り方などを見たり聞いたりして勉強した。
10年間ぐらい通った。
そのうちに、そういう家族経営の小さな店はどんどん閉店していった。
永楽まで閉店になり、足は遠退いた。
だから、あの頃の店が今も続いていると嬉し
い。 蓬来閣はその一つ。

(この原文は、2018年4月6日にファイスブックに投稿した)

7807.8/4/2018

社会勉強5時間目
場所 大船駅
授業 定期購入

通勤用の定期なら、ずっと購入してきたから買い方も慣れている。
通学用は、大学卒業以来の33年ぶり。
昨日、入学式の帰りに大船駅のみどりの窓口で通学定期券用の申込書を三枚ゲット。
今朝、パソコンで調べながら記入した。予想通り、二枚書き間違えた!!三枚目を慎重に書いた。
悩んだのは、大船から新宿までの定期には経路が8通りもあり、値段が異なったこと。
経路を見たら、東京から巣鴨経由なんてのんびりしたものもあった。
大崎を経由地にすると考えていたコースになることが分かるまで自宅で30分はかかった。
金曜日、10:30のみどりの窓口。待たずに買えるだろうという予想は大きく外れた。
すでに12人待ち。窓口は4ヶ所もあったが、旅のプランをその場で考えている客や、必要な書類がなくて途方にくれている客がいて、なかなか前に進まなかった。
こんな時は読書が最適。すぐに物語世界に浸って、順番を待った。
行き先が代々木になってますが?
通学区間証明書の記載に担当者が疑問を挟む。
や、や、きたな!
これは折り込み済み。私の申請を学校の事務方が間違え、訂正印が押されて小さく新宿のゴム印が押されていた。
私も、最初、あれ?と感じた。というのは、訂正印が立派な校印で、新宿のゴム印が小さすぎて気づかなかったからだ。
窓口の担当者も私と同じ勘違いをしたことが、ちょっと嬉しかった!!
見にくいんですが、小さく訂正されているんです。
やさしい声で教えた。
大船と新宿の定期。びっくりしたのは、大船と長後で使っていた通勤定期よりも値段が安かったこと!!
学生割引、恐るべし!!
教員時代には知らなかったこと。
通学定期券はかなりお得経路が複数あるから、事前に申込書をゲットした方が有効だということ。
ちなみに半年後の定期更新は、窓口ではなくタッチパネルで購入できる。
スムーズ購入に気をよくして、早速、横浜まで行くことにした。

(この原文は、2018年4月6日にファイスブックに投稿した)

7806.8/3/2018

社会勉強4時間目
場所 明治神宮会館
授業 入学式

服部校長、来賓の三人。
挨拶に原稿なし。会場を見渡しながら、柱だてのある祝辞を述べた。33年間の教員生活で入学式と卒業式で原稿を用意しない校長はいなかった。服部校長にいたっては嘘か本当か割合や人数などの数字もたくさん登場。常に頭に数字が入っていることに驚いた。
皆さん、話は3分程度だったが中身が濃くて心に落ちた。
入学式に続いて、事務連絡。
語先礼後。先に相手を見て挨拶をしてその後に礼をする。サービス業の基本だと教えられた。その場ですぐに新入生全員でトライ。
挨拶をしながら礼をすると床を見ながらになるから失礼とのこと。なるほどなぁ。
電車やバスは遅れることがあります。お店を開いて、料理人が電車が遅れて来ていませんとは言えません。いつ何があってもいいように、通学からその練習だと思って時間に余裕を持った行動をしてください。
ただ遅れるなではなく、意味を語られると素直になる。
教員時代に気づいていたら、指導に加えられたなぁ...

(この原文は、2018年4月5日にファイスブックに投稿した)

7805.8/2/2018

社会勉強3時間目
教室:自宅
授業:固定資産税と都市計画税

社会勉強を2つもして帰宅すると、鎌倉市役所から2通の税金通知が来ていた。
しかも1通は死んだ父宛になっている。
すでに2月に父の土地と住居の変更登記は終了していて、すべて私の資産のはずなのに。
開封すると「納税者が死亡し相続が発生したときはご連絡ください」と書いてある。ひょえー、まためんどくさい相続手続きかぁ!
とりあえず資産税課というところに電話をして事情を説明した。
「こちらでは毎年1月1日の登記情報をもとにして通知させていただいております。
お父様の登記変更が2月に完了ということなので1月1日現在はまだ登記情報がお父様だったということですね。
なので相続権代表者様にお父様の分をかわりに払っていただくという意味の通知になりました。
来年からはすでに登記情報が更新されているので、あなた様にのみ送らせていただきます」
うーん。知らないことが多すぎる。
不動産の登記情報は1月1日を基準にしている。
またまた教員時代には知らなかったこと

(この原文は、2018年4月3日にファイスブックに投稿した)

7804.8/1/2018
社会勉強1時間目
教室:行政センター
授業:年金加入

3月で退職し、共済組合の年金が終わったので、4月から国民年金加入の手続きをしたいのですが....
「退職したことを証明するものをお持ちですか?」
ない。そんなもの。思えば離職証明も健康保険の喪失証明もない。自分だけが退職したと言っているだけで、社会通念上の証明がない。
退職辞令ならあります。
というわけで、自宅へ取りに戻る。往復で1時間かけた。
夏みたいに暑かった。
辞令をコピーしてくれて、とりあえずクリア。
「年金手帳はありますか?」
ない。もらったかもしれないが、いつのことかもどんな手帳かも思い出せない。そうだ、事務の方が言っていたことを思い出す。
基礎年金番号ならわかります。
「わかりました。では、再発行という手続きをしましょう。少しお時間をいただきますが、よろしいですか?」
はいはい、もちろん。
手続きと言っても所定の用紙に必要事項を記入するだけ。こういう事務仕事は慣れている。記入内容に間違いがないことを確かめられた。
「近日中に年金手帳が送られてくると思うので、その後に納付してください」
妻と二人分の加入だったので、帰りにいっしょにランチ。
大船、気になっていたカレー店。
キュイエールで野菜カレー。
スパイスが心地よくきいたおいしいカレーだった。
教員を早期退職すると社会通念上、退職を証明する書類がないので、退職辞令が必要になること。
教員時代には知らなかった。

(この原文は、2018年4月3日にファイスブックに投稿した)

7803.7/30/2018

鎌倉市と横浜市の境界にある大船エリア。
大船という市町村があると勘違いしている県民がいるほど、かなり自立的なエリアです。
商業地としても工業地としても、鎌倉中心部よりもずっと活気があります。
その大船から、江の島まで、ぶら下がり式(懸垂式)モノレールが運行しています。湘南モノレールと言いますが、地元の小さな子どもたちには「モノ」で通じます。
このモノが、きのう4月1日からやっとICカード利用が可能にまりました。
無人駅が多いので、どういうシステムになったのか、いまいち不明です。
そこで、本日は試しに、回数券はありますが、カードで乗車してみようと思います。
この回数券は10枚分の値段で11枚買えるお得券ですが、ICカード利用で消えてしまうサービスなのか、心配です。
4月2日。今夜はかつて支援級を支えていっしょに働いた介助員さんや指導員さんたちに呼ばれての宴会。気の合った同僚も合流。
ただし、みなさん働いているので19時からという開始時刻がやや心配。始まってすぐに寝てしまうかもしれません。

(この原文は、2018年4月2日にファイスブックに投稿した)

7802.7/29/2018

2018年3月29日。築地市場へ買い出しに行く。
ことしの秋に豊洲へ移転が決まった。
あと2回ぐらいは買い出しに行けるかな。
よいものを見分ける目は、会社の論理や利益優先の考え方では育たない。
大企業がマグロ船団ごと買い取って、丸ごとマグロを買い取る。当然だが、仲介業者を通さないので値段は安くなる。大手回転ずしチェーンなどは、そういう企業を通して安くマグロを入手する。
しかし、ひとの口に入るマグロが「よいもの」なのか「わるいもの」なのかを見分ける目が介在しないので、お客さんは安いだけに悪いものを口にしているかもしれない。
市場にはセリと呼ばれる仕分けがあり、仲卸という価値を決めるプロがいる。そこに料理人や魚屋という目利きが来て魚を選ぶ。
築地にはとても高い魚介類も多いが、安くて「よいもの」がたくさんある。仲卸は、お得意の高級割烹店などには高くてよいものを与え、小さな魚屋やピンの料理人には安くてよいものを残しておく。
およそ20年間。2か月に一度ぐらい築地には買い出しに行った。
中身の入っていないうにを箱ごとつかまされたこともある。
お金を払う段階で値段を吊り上げられたこともある。
解凍したら、血合いがちっていたマグロを買わされたこともある。
授業料は高かったが、市場が私を試していたのだ。
素人の私でさえ、魚介類を見る目が少しだけ育った。
「私たちは豊洲に行きません」
わざわざ貼り紙を出す店が多かった。

(この原文は、2018年4月1日にファイスブックに投稿した)

7801.7/22/2018

1997年10月。

今の公教育は、やがて沈み行くタイタニック。思考停止の教員たちは助けるつもりはない。変化を拒む保護者も助けるつもりはない。
少数の息苦しさを感じている子どもと保護者を救済するために、自分たちに公立学校を創らせろ!
湘南に新しい公立学校を創り出す会のポリシー。
そんな呼び掛けに集まった同志たちが、昨日、最初の退職祝いをしてくれた。
創設期のメンバーの中で一番若かった私が代表になった。
新しいことをするのだから、組織もこれまでにないものに。
要するに、ベテランたちのまとめ役が私の役目だった。
私が一番若かったので、当然みんなどんどん退職を迎えた。私のように早期に辞めた方もいた。定年まで勤めあげた方もいた。
しかし、昨日、確認できたのは、誰一人退職後は学校の仕事をしていなかったことだ。
保養所の警備員。
福祉作業所の指導員。
畑で人生相談。
敬虔なクリスチャン。
新しい学校は創れなかったけど、あの頃予見した公教育の崩壊は当たっていたねと確かめあった。
苦楽を共にしたメンバーからの退職祝いは、トングとフライパン。
恋とか愛とか友情ではない、強い信頼でつながった仲間は、何でも分かっていた

(この原文は、2018年3月24日にファイスブックに投稿した)

7800.7/20/2018

エンド

退職日を迎えた。
全校を前に挨拶をした。
みなさんのお母さんやお父さんが小学生だった時、私は先生の仕事を始めました。
それから33年が過ぎ、今日、先生という仕事を終える日を迎えました。
支援級の子どもたちといっしょに給食を食べた人、音楽や図工をいっしょに勉強した人、遠足や社会見学にいっしょに行った人、廊下や校庭で会った時に声をかけた人。どうもありがとう。4月からもよろしくお願いします。
どうか体だけでなく、心も健康でいてください。
さようなら。
一週間ぐらいかけて台詞を考え、挨拶を練習してきた。
なるべく短く、自画自賛にならず、感謝と期待を伝えたい。そう考えて組み立てた。
帰り道、通常級の名前を知らない男の子が、
あっ先生を72年もやったんだよね、ありがとうございました!
頭を下げた。
微妙に、いやかなり事実とは異なるが、大意は伝わったかな。
支援級の子どもたちとたくさんお話をしてね??
任せて!
名前を知らない男の子の元気な背中に感謝した。
早朝から支援級のほとんどの保護者が臨席してくださった。先週卒業した母子もいた。昨年度、支援級から通常級へ転籍した子どものママもいた。
抱えきれない花束を頂き、そのまま退場なら分かりやすい。しかし、私の勤務は、子どもたちの下校までだから、教室で再会。あゆみや、何でも大賞を渡す。
室内には校庭での退任式に来られた保護者や卒業生が後ろにずらっと並んでいた。
写真とろ!写真とろ!
同僚が気を利かせてくれた。
スマホやデジカメの数だけ全員写真を撮影した。
すると、今日は勤務日ではない介助員さんも登場。修了の学級指導は、どんどんお別れの会になっていく。
こうなりゃ仕方がない。私も覚悟を決めて、子どもたちと保護者に最後の想いを伝えた。
今日、子どもたち一人一人に良い所を3つ書いたカードを配っています。
悪い所や気になる所はすぐ目につきます。でもその修正に時間をかけるより、良い所を見つけて、そこを伸ばすことに時間をかける方が、ずっとずっと前向きになれるでしょう。ぜひ良い所に向き合ってください。
子どもたちには、新しい1年生の話、次のリーダーの話、新しい先生にたくさん小学校のことを教えてねと頼んだ。
さよならの後、名残惜しい方々と満足いくまで喋った。
この保護者がいたから、子どもたちは伸びた。
この子どもたちがいたから、私は腕をふるえた。
先生、飲み会、行きますから!
すでに企画されているゴールデンウィーク明けの退職祝いを楽しみにしている声で、目尻にシワがよった。
映画の最後に長々と出てくるエンドロール。
今週の私は、そんなエンドロールの中を漂った。
エンドロールは最後に映画を配給した会社名で終わるのだろうか?
33年間の私の教員生活。そのエンドロールの最後の一行。
まだ見当たらない。

(この原文は、2018年3月23日にファイスブックに投稿した)