top .. today .. index
過去のウエイ

7759.2/21/2018

日常的な心がけ...3

立ち位置

私は子どもが座席にいたら、なるべくそれよりも低くしゃがんで見上げるようにして声をかけてきた。
平素は机を並べて、喫茶店のカウンターに座る位置を取り、横並びで会話をしている。

授業になると、私が立って子どもたちが座るという目線の上下関係ができがちになる。
この時間をなるべく短くするために、黒板の前にイスを置いて、そこに座って指導するように心がけている。

相手の声が、垂直方向のどこから聞こえてくるのか。
それは聞く側の意識を決定づける。
もちろん、何を話すのかというなかみがもっとも重要だ。
しかし、もっともなかみのないくだらない説教を何度も繰り返す教員に限って、腰に手をやったり、腕を胸前で組んだりして、子どもを見下ろしている。
いわゆる上から目線で子どもを威圧しているつもりなのだろうが、残念ながら、ひとは上からの言葉に対して身構えたり、防御したりする傾向が強いので、せっかくの説教は相手の聴覚を素通りする傾向が強い。
子どもを威圧する喜びに浸っているくだらない説教を繰り返す教員には、そのことはわかっていない。

目線を同じ高さで交えて、できれば微笑んだ表情で、静かに語ると、子どもはこちらの話に興味を抱いてくれる。
こちらに視線が固定されれば、意識が聞こうとしていることの証拠なので、手短に大切なことを伝えればいい。

「あの子はまったく同じことを何度言えばいいのかしら」
子どもが同じ失敗やいたずらを繰り返すことにいら立つ教員が言う。
そういう教員に私は寄り、小声で届ける。
「あなたの気持ちがまったく伝わっていないだけのことですよ。もっと話し方や伝え方の技術を磨いてください」
素直に、はいとうなずく教員はなかなかいないが。

7758.2/18/2018

日常的な心がけ...2

立ち位置

私は「おはよう」から「さよなら」まで、なるべく子どもから目を切らないようにしている。
目を切らないとは、視野から子どもの姿を消さないことだ。

中学校と高校で野球をやった。
ランナーの基本は、ボールから目を切らないことだった。
いまだれのグローブにボールがあるのかを確認し続ける。

それと同じように、教室に子どもが入ってきて、帰りに保護者やデイサービスの方に引き渡すまで、視野のどこかにたえず子どもを入れておく。
そのためには、壁や黒板に体を向けて仕事をしてはいけない。
子どもから目が切れてしまうので、背中側で子どもが何をしているのかわからなくなる。
これは指導補助をしてくださる介助員の方々にもお願いしている。幸い、私は優秀な介助員の方々に恵まれてきたので、わざわざ私がお願いしなくても子どもから目を切る方はほとんどいなかった。

それに引き換え、子どもから目を切って、黒板や棚に体を向けて雑務をこなす教員はとても多い。いきなり背中側で子どもの鳴き声がしたり、言い争う声がしたりする。振り向いて
「いったい、何をしているの?」問いかける。
状況を把握していないのに、子どももの発言から現状をつかもうとする。
これは信用ならない情報を根拠にしてしまう危険性がある。対処に困って私に相談しに来る教員に、必ず聞く。
「あなたは、それを見ていたのですか」
「いいえ、〇〇さんから聞きました」
「それを丸呑みするのは、プロとして情けないですね」
こういうところでも同僚に毛嫌いされることをいとわない。

簡単なこと。
子どもに背中を見せない。いつも子どもを視野において連絡帳の返事でも、テストの採点でもすればいいだけなのだ。
なのに、多くの教員は視野から子どもを消した立ち位置に立とうとする。
ひどい場合は、隣の部屋で個人的な仕事をする教員もいる。職員室に逃げ込んでコーヒーをすすっている教員もいる。
だから、そういう教員には「あなたは何かあった時の責任逃れのために、見てないという状況をわざと作ろうとしているみたいですね」と皮肉をぶつけてきた。
私と組む特学の教員は、そうとうにいやな思いをしてきたことだろう。

7757.2/17/2018

日常的な心がけ...1

立ち位置

教室に入る。子どもの前に立つ。
あるいは、自分が先に教室にいて子どもを待つ。
そのとき、教員はどこにいればいいのか。
子どもの視野のどこに、教員が映ることが重要か。

子どもが座っている時、教員も座ったほうがいいのか。立ったまま上から見下ろした方がいいのか。
こういうことを意識していない教員は多い。

私は特学(特別支援学級)担任の13年間、ほぼ毎日、子どもより先に教室にいて、決まった教卓に座り、開門と同時に入室してくる子どもたちを迎えている。
だれもいない教室に子どもだけが、その日最初に入ったり、その日その日によって教員が教室のなかをうろうろしたりすることはしないように心がけてきた。

いつもと同じ朝が始まる。
多くの子どもは、ただそれだけで安心するのだ。
「おはよう」の声を聴いて、体調や気分、朝の家庭での様子を想像する。
無自覚な教員は、小声の挨拶を聞いて「もっと大きな声で」と指導してしまう。
昨日と違う変化に気づける教員は、何かあったのかなと想像し、朝の支度の様子をじっくり観察したり、保護者が書く連絡帳をチェックしたりする。
特学では複数の教員が担任をするので、同じ教室で異なる接し方を子どもにしてしまうことがある。
そんな時、私は毛嫌いされても「もっと大きな声で」といきなり指導する教員に告げる。
「あなたは、この子の昨日の挨拶との違いに、そんなことしか言えないのですか」と。

7756.2/10/2018

日常的な心がけ...0

教員生活がを33年間も続けてきた。
途中、新しい公立学校制度の構築に向けて市民運動に身を投じながら。
いまの学校になじめない、いまの学校制度に疑問を抱く保護者と連携して、スリースクールを開校しながら。

多くの先達は、教壇に辞表を提出して学校現場を去り、自らが夢見る教育の実践に向かった。
なかには私立学校で活躍しているひともいる。
無認可の私塾で充実した教育を創造しているひともいる。

しかし、私にはそういう選択肢はなかった。
家族があり、子どもを育てる義務があり、年老いた親の面倒があり、果てしない住宅ローンがあった。
公立学校の教員である限り、不平や不満を並べても、毎月の給料に困ることはない。
その甘い考えのなか、私になりに窮屈な公立学校の枠組みを打破すべく日々の実践に取り組んだ。

私の33年間はおもに3つの時期に分けられる。
第1期は初任から13年間の通常学級担任時代。
第2期は協力指導教員(TT)としての学級外担任時代。
そして第3期は現在に至る13年間の特別支援学級担任時代だ。

私はこの順番で3つの教員時代を過ごせたことを幸いに思う。
なぜなら、学級という集団を育成するには40人や50人という大きな集団を育てる技能が必要で、それを若い時期に経験できた。
次に、担任と協力する専科時代に、学級担任の仕事を外側から観察できた。
そして、もっともやりがいのある特別支援学級で、集団と個人の両面を指導するチャンスを得られたからだ。

そんな33年間で、私なりに形成してきた教員としての日常的な心がけを書き残しておきたくなった。
教員である限り、子どもに何を教えるかという根本部分は重要だ。
しかし、それだけでは子どもは学校や教室、教員や子どもとの関係を楽しむことはできない。
「おはよう」から「さよなら」まで、子どもと私の距離をどう保てば、お互いに良好な関係になるか。そのための心がけを整理する。

あくまでも、これは教員として必要な技術や知識ではない。
おそらく教員採用試験にも出ないし、私立学校や私塾が売りにする特徴でもない。
もっと日常の何気ないものだ。

しかし、近年たくさん採用されている若い教員を観察していると、知識や技術は豊富でも、ちょっとした心がけに欠けているひとが多いことに気づく。
管理職も指導主任も、それには気づけていない。
なぜなら、私が心を砕いてきた「心がけ」は、多くの教員があまり大切にしていないと思われるからだ。

7755.2/11/2018

鎌倉寺巡りpart7...5

最終章は大船周辺

おそらく地図に掲載されている鎌倉の寺はここが最後。
地図に掲載されていない末寺はこれ以上は把握していない。

(98)

12:11

大長寺

亀鏡山 護国院 大長寺 ききょうざん ごこくいん だいちょうじ

1548年・天文17年。玉縄城主の北条綱成が開基した。
ここは北条氏と徳川氏の両方から崇められた。
徳川家康からは多くの寄付があった。

浄土宗

鎌倉市岩瀬1464

「大船駅」からバス「砂押橋」下車で徒歩3分。

拝観料:0円

















7754.2/10/2018

鎌倉寺巡りpart7...4

最終章は大船周辺

(97)

12:04

西念寺

西念寺 さいねんじ

1534年・天文3年。運誉光道が開山した。
幼稚園が併設されている。

小田原の北条氏が関東一円に勢力を広げていた時期のお寺。

浄土宗

鎌倉市岩瀬1527

「大船駅」からバス「下関」下車で徒歩5分。

拝観料:0円





7753.2/4/2018

鎌倉寺巡りpart7...4

最終章は大船周辺

(96)

11:34

称名寺

今泉山 称名寺 こんせんざん しょうみょうじ

1175年・承安5年。空海が開基した。
一時、廃寺となったが、1684年に再建され、さらに1693年・元禄6年に増上寺の末寺となり、山号と寺号を受けた。
通称は「今泉不動」。

地下にある散在ヶ池(さんざいがいけ・いまは鎌倉湖と呼ぶ)は、江戸時代に作られた人造湖。大船や岩瀬の水田を潤すための治水地として役立っている。

浄土宗

鎌倉市今泉4-5-1

「大船駅」からバス「今泉不動」下車で徒歩5分。

拝観料:0円

















7752.2/3/2018

鎌倉寺巡りpart7...3

最終章は大船周辺

(95)

11:24

今泉寺

寿福山 今泉寺 じゅふくざん こんせんじ

1982年・昭和57年。明月院から分離し、本尊を開眼した。
もともとは、毘沙門堂(現:白山神社)の別当寺だった。一時、廃寺になっていたらしいが、1948年(昭和23年)に明月院と合併した。

臨済宗建長寺派

鎌倉市今泉3-12-1

「大船駅」からバス「白山神社」下車で徒歩6分。

拝観料:0円





7751.1/28/2018

鎌倉寺巡りpart7...2

最終章は大船周辺

(94)

11:04

多聞院

天衛山 多聞院 てんえいざん たもんいん

1579年・天正7年。甘糟長俊が開基した。

もともとは山ノ内瓜ヶ谷にあった観蓮寺を前身とし、永享の乱で衰えた観蓮寺を甘糟長俊がこの地に移したと伝えられる。
隣接する熊野神社の別当寺院であった。
別名「多聞天」ともいわれる本尊の毘沙門天が寺号の由来。
「とげぬき地蔵」として知られている。

真言宗大覚院派

鎌倉市大船2035

「大船駅」からバス「常楽寺」下車で徒歩5分。

拝観料:0円









7750.1/27/2018

鎌倉寺巡りpart7...1

最終章は大船周辺

4月29日。
晴れ渡った大船周辺の寺巡り。
この日の寺巡りで、鎌倉寺巡りは最終回。

10:47

(93)

常楽寺

粟船山 常楽寺 ぞくせんざん じょうらくじ

1237年・嘉禎3年。北条泰時が開基した。
もとは「粟船御堂」と呼ばれ、北条泰時夫人の母の追善供養のために建立された。
後に宋の禅僧、蘭渓道隆(建長寺を開山)がここの住持になって、禅宗を広めた。
建長寺が建立されてからも「常楽は建長の根本なり」と重視されている。

臨済宗

鎌倉市大船5-8-29

「大船駅」から徒歩20分。

拝観料:0円