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7689.8/12/2017
鎌倉寺巡りpart4...4
手広から長谷をゆく

10:19

(37)東光寺

天照山 薬王院 東光寺 てんしょうざん やくおういん とうこうじ

1431年・永享3年。法印霊範が開山した。
詳しいことがあまり記録として残っていない寺らしい。

高野山真言宗

鎌倉市寺分1-7-6

湘南モノレール「湘南深沢駅」より徒歩5分。

拝観料:0円





7688.8/11/2017
鎌倉寺巡りpart4...3
手広から長谷をゆく

10:16

(36)大慶寺

霊照山 大慶寺 れいしょういん たいけいじ

弘安年間(1278年〜1287年)に長井光禄大夫が開基した。
鎌倉時代から室町時代を通じて禅宗保護の政策から深沢地域に広い寺域をもった。現在、このエリアは「寺分(てらぶん)」という地名が定着している。
これは大慶寺の領分という意味。

臨済宗円覚寺派

鎌倉市寺分1-5-8

湘南モノレール「湘南深沢駅」より徒歩3分。

拝観料:0円





7687.8/10/2017
鎌倉寺巡りpart4...2
手広から長谷をゆく

10:11

(35)等覚寺

休場山 弥勒院 きゅうばさん みろくいん とうかくじ

応永年間に秀恵僧都が開山した。
もともとは御霊神社近くにあったが深沢中学校建設によって現在の場所に移設された。
1873年・明治6年。境内に訓蒙学舎が建てられ2年後に梶原学校に改められた。これが深沢小学校の前身にあたる。

1333年に新田義貞が鎌倉に攻め込んだ時、ここで守備軍が90人以上自刃した。
現在もその供養塔が残っている。

真言宗

鎌倉市梶原1-9-2

湘南モノレール「湘南深沢駅」より徒歩2分。

拝観料:0円





7686.8/9/2017
鎌倉寺巡りpart4...1
手広から長谷をゆく

鎌倉の寺巡りを始めて4回目は3月31日だった。
4回目は、おもに手広から深沢エリアを中心に歩いた。
このエリアは古くから東海道の藤沢宿と鎌倉を結ぶ要所だったので、古寺が点在する。

9:46

(34)青蓮寺

飯盛山 仁王院 青蓮寺 はんじょうざん におういん しょうれんじ

819年・弘仁10年。空海が開基した古い寺。
地元では鎖大師の別称で呼ばれている。
高野山真言宗準別格本山の扱いがある。

Wikipediaより........................
本尊は鎌倉時代作の木造弘法大師坐像で、国の重要文化財に指定されている。
この木像は両膝等の関節が鎖によって結ばれ、動かすことのできる珍しい仏像で、俗に鎖大師とも呼ばれる。
秘仏で毎年大晦日を初め年に5回開帳されている。
この大師像はもともと、鶴岡八幡宮にあったが、明治に起きた廃仏毀釈のあおりを受けこの寺へ移され今に至っている。
.....................................

へー知らなかった。

高野山真言宗

鎌倉市手広5-1-8

大船駅西口より江ノ島方面行きバスか津方面行バス、鎖大師下車。

拝観料:0円





7685.8/8/2017
6月18日に父が亡くなった。
通夜をして告別式。
火葬をして納骨。
司法書士や税理士の先生方を紹介していただき、相続手続きをお願いした。
四十九日法要をして、会葬された方々や、これまで父と交誼のあった方々へお礼状を送った。
きのうはお墓のある円覚寺寿徳庵でお施餓鬼法要があった。

来週は新盆を迎える。

ひとが亡くなるということは、なんとあれこれ手間がかかることだろう。
残された者がやらなければならないことが次から次へとわいてくる。

電力会社との契約を解約した。
ガス会社との契約を解約した。
NTTとの契約を解約した。NTTはとても手間がかかった。
水道局へ連絡して名義の変更をお願いした。水道局は役所なので土日は連絡ができなかった。
市役所へ行って後期高齢者医療保険手帳と介護保険手帳を返却した。
窓口に相続代表者(今回は子どもの私)が行くのが一番手間が省けた。
火災保険契約を解約した。
生命保険の請求をした。当然だが、これには山ほどの文書を用意しなければいけなかった。

一つ一つが、父が生きていた証だった。
それを一つ一つ消していく。
行く先々で、電話をするたびに、「父が亡くなりました」と言わなければならなかった。

仏壇をきれいにして、提灯と行燈を新調した。
12年前に亡くなった母の位牌を寺に預け、今回、父と母の夫婦位牌を作った。
仏壇には、祖父(父の父)と祖母(父の母)と叔父(父の弟)と叔母(父の妹)と父母の位牌が並ぶ。

ことしの正月、桜の季節。
ゴールデンウィーク。
まだ元気だった父の姿がよみがえる。

7684.8/7/2017
オーストラリア沖で訓練中にかのオスプレイが墜落した。
国内では墜落したのに着水という米軍発表に押し切られた。
今回は死者が3人いるらしい。
厚木基地から飛び立ち長後の空をパタパタと危なっかしく飛行していたオスプレイ。

軍用機以前に航空機としていかがなものかを再検討しないと犠牲者ばかりが増えるだろう。

原子力発電所。米軍基地。

この2つは、戦後の自民党政権が粘り強く拡大してきた権益の象徴だ。

国政選挙の投票率では半数以上の人たちが国会議員を選んでいない。
政治に無関心なのではなく、政治に期待せず不信感を抱く多くの人たちは投票行動さえ億劫なのかもしれない。

国会議事堂前を埋める多くの人民と呼べる主張する人たちは、ご自宅の周辺でお仲間を増やすことから始めない限り、総理大臣から、こんな人たち呼ばわりされるのだ。

地元に根ざした社会運動こそ、時間はかかるが社会創造へとつながる。その手続きを省略してはいけない。
仲間ばかりで集まってシュプレヒコールを挙げる時代は遠のいた。

きちんと社会を創造していこう。
生活を支える電力をはじめとするエネルギー問題は如何?
ほっとけば不完全なミサイルを撃ち込むかもしれない北朝鮮に対する国防問題は如何?

右も左も、きれいごとばかり言ってないで、具体的な提案をすべき段階に入っていることを自覚しよう。

佐々木食堂は、食べ物と健康だけではなく、人が創造する社会という揺れ続ける 「いま」に対してもメニューを抱き続けていく。

7683.8/6/2017
鎌倉寺巡りpart3...11

大船と玉縄をゆく

12:41

(33)昌清院

山崎山 昌清院 さんきざん しょうせいいん

1597年。如意庵八世以足徳満が開基。
円覚寺にある如意庵の末寺。
山崎の交差点から昌清院へ続く古道には「従是江のし満」と書かれた石標がある。この場所が、かつては江ノ島へ続く幹線道だったことがわかる。

江戸時代には大山詣での帰りに江ノ島や鎌倉を巡って江戸に戻る小旅行が流行った。
そんなひとたちで、山崎の地はとてもにぎわったことだろう。

3月20日の寺巡りのゴールだった。
じつはこの寺は拙宅からもっとも近い。
これまで寺と思ったことがなかったから、それに気づかなかった。古いお屋敷程度の認識だった。
今回の寺巡りで、市内の寺を検索指していて発見した。

臨済宗円覚寺派

鎌倉市山崎1482

大船駅東口より深沢方面行きバス、山材下車徒歩10分。

拝観料:0円









7682.8/5/2017
鎌倉寺巡りpart3...10

大船と玉縄をゆく

12:13

(32)泉光院

天守山 高音寺 泉光院 てんしゅさん こうおんじ せんこういん

1639年・寛永16年。大法師季等和尚が開基。
もともとは、鎖大師の末寺として真言宗高野山派の寺だったが、関東大震災で被害をこうむった。戦後、これを復興した泉全良住職によって真言宗大覚寺派に変わった。

真言宗大覚寺派

鎌倉市上町屋631

大船駅東口より深沢方面行きバス、町屋下車徒歩10分。

拝観料:0円





7681.8/4/2017
鎌倉寺巡りpart3...9

大船と玉縄をゆく

11:52

(31)妙法寺

妙法寺 みょうほうじ

1928年・昭和3年。山梨県にあった寺が関東大震災で廃寺になり、日宝が鎌倉に再建した。
近くには戦前まで「山崎園」という鉱泉旅館があったそうだが、近所に生まれたのに、わたしはちっとも知らなかった。

境内には十数体の「子育て地蔵」があり、石を積み子供の健やかな成長を願う参拝者も少なくない。

大町にある妙法寺とは無関係。

日蓮宗

鎌倉市山崎663

大船駅東口より深沢方面行きバス、山崎下車徒歩5分。

拝観料:0円





7680.8/3/2017
鎌倉寺巡りpart3...8

大船と玉縄をゆく

11:22

(29)貞宗寺

玉縄山 珠光院 貞宗寺 たまなわざん しゅこういん ていそうじ

1611年・慶長16年。貞宗院が開基した。
貞宗院は、徳川秀忠の祖母で西郷局のこと。
境内は梅の名所として知られている。
この境内には江戸時代に寺小屋があった。1873年・明治5年の学制により、玉縄学校と呼ばれる小学校になった。これは後の鎌倉市立玉縄小学校の前身だ。

浄土宗

鎌倉市植木656

大船駅西口より藤沢行きバス、公会堂前下車。

拝観料:0円