7679.8/2/2017
鎌倉寺巡りpart3...7
大船と玉縄をゆく
11:17
(28)圓光寺
城護山 圓光寺 じょうござん えんこうじ
1558-70年・永禄年間。玉縄城主だった北条氏時玉縄城内に開基した。
やがて城が滅びた後に、この地に移転された。
まったく目立たない場所にひっそりとある寺だった。
真言宗
鎌倉市植木549
大船駅西口より藤沢行きバス、植木下車。
拝観料:0円
7678.8/1/2017
鎌倉寺巡りpart3...6
大船と玉縄をゆく
11:11
(27)久成寺
光圓山 久成寺 こうえんざん くじょうじ
1520年・永正17年。足利11代将軍喜澄に仕えた梅田尾張守秀長が宅地を寄進して創建した。
境内には、3代将軍源実朝を暗殺した公暁を討ったとされる長尾定景一族の墓がある。定景は長尾景虎(上杉謙信)の祖先にあたるという。
日蓮宗
鎌倉市植木494
大船駅西口より藤沢行きバス、久成寺下車。
拝観料:0円
7677.7/31/2017
鎌倉寺巡りpart3...5
大船と玉縄をゆく
10:50
(26)龍宝寺
陽谷山 龍宝寺 ようこくざん りゅうほうじ
1575年・天正3年。開基は北条氏勝。北条氏勝は玉縄城主4代目。亡くなった先代を弔うために建立した。
現在の鎌倉市立玉縄小学校は、1882年・明治10年にこの地に移転され、以来50年間もここで開校していた。当時は玉縄学校と呼ばれていた。
玉縄城は、いわゆる戦国時代に小田原の北条氏が関東一円を支配していた当時の鎌倉の守りだった。
ものすごく敷地が広く、建物も大きな寺田。
曹洞宗
鎌倉市植木128
大船駅の神奈川中央バスの乗場から、33番、39番で植木谷戸下車。目の前。
拝観料:0円
7676.7/30/2017
鎌倉寺巡りpart3...4
大船と玉縄をゆく
10:43
(25)玉泉寺
聖天山 歓喜院 玉泉寺 しょうてんざん かんきいん ぎょくぜんじ
1616年・元和2年。開基は小林若狭。
真言宗大覚寺派
鎌倉市玉縄(たまなわ・番地は不明)
大船駅西口より渡内経由の藤沢方面行き神奈中バス乗車。「児童公園」で下車して徒歩5分。玉縄小学校のすぐ近く。
拝観料:0円
7675.7/29/2017
鎌倉寺巡りpart3...3
大船と玉縄をゆく
10:39
(番外)旧参道
玉縄エリアを歩いていたら、鳥居が見えたので小道に入った。
すると個人が整備したと思われる階段と案内板があった。
よほどの財力がある方なのか、鳥居の向こうには小さな祠があった。
7674.7/28/2017
鎌倉寺巡りpart3...2
大船と玉縄をゆく
10:26
(24)大船観音寺
仏海山 大船観音寺 ぶっかいざん おおふなかんのんじ
大船観音は1929年(昭和4年)、地元有志の発起により、護国観音として築造が開始され、1934年(昭和9年)には輪郭が出来上がっていたが、戦局の悪化により、築造は中断。
その後、20年以上放置される。
第二次世界大戦後、財団法人大船観音協会が設立され、1960年(昭和35年)4月に完成した。
なお、大船観音協会には、曹洞宗管長の高階瓏仙(たかしな ろうせん)や、東京急行電鉄の初代社長・五島慶太の名前を始め、各界の著名人の名が見える。
財団法人大船観音協会は、1981年(昭和56年)11月30日に解散し、宗教法人大船観音寺と改称され、現在に至る。
曹洞宗
鎌倉市岡本1-5-3
大船駅西口より徒歩3分。
拝観料:300円・子ども100円
7673.7/26/2017
鎌倉寺巡りpart3...1
大船と玉縄をゆく
3月20日の春分の日。
寺巡り3回目へ出発。
今回は大船から玉縄地区を中心にした。
10:23
(23)黙仙寺
無我相山 黙仙寺 むがそうざん もくせんじ
1909年・明治42年。濱地八郎という人物が、自ら信仰する金剛経を広めるため、永平寺管長日置黙仙禅師を開山に迎え、静岡県にあった祐昌寺という寺を移した。
大船観音建立の中心だった高階瓏仙は黙仙寺の二世。
大船観音の隣にあり、黙仙寺は大船観音の管理寺である。
鎌倉市岡本1-4-1
大船駅西口より徒歩3分だが、入口がとても分かりにくい。
拝観無料
7672.7/24/2017
父が逝く...9
家の布団で寝るのは何日ぶりでしょう。
病院に泊まり込んで迎える朝は病気やケガからの回復を願うひとたちの強く重い気持ちがたまっていました。
本日、18日、深夜0:27。
父は眠るように、逝きました。
病気ではありません。
老衰です。
生きる役割を果たしての人間修了に、かなわないものを感じました。
あたたかい気持ちを届けてくださった方々に、お礼申し上げます。
私は連日、泊まり込んで、たっぷりの別れをしてきたので、大丈夫です。
........................
この文章をアップしたのは父が息を引き取った6月18日でした。
あれから一か月が過ぎ、名義変更や相続事務で日々追われています。
もうすぐ四十九日法要も近づきました。
ひとが亡くなるというのは、とても大変なことなんだなぁと実感しています。
7671.7/23/2017
父が逝く...8
6月18日になったばかりの深夜0時過ぎ。
私は妹と父の寝る病室へ着いた。
看護師さんがすぐに気づき、すでに呼吸や心拍数を測る装置が外された父に会わせてくれた。
当直の医師がやってきて、午前0時27分の臨終を告げた。
知り合いの葬儀屋さんに連絡した。
医師と看護師で臨終後の処理をしている間に来てくれるという。
霊安室で待っているとも。
いよいよ、父が亡くなったと感じ始めた。
午前1時半に病院を出て、帰宅。
和室に布団を用意して、寝かせた。
葬儀屋さんがとりあえずの仮通夜の準備をしてくれた。
午前2時半、葬儀屋さんにお礼をして、家族が残った。
まず寝てから考えよう、そういって布団にもぐった。
7670.7/22/2017
父が逝く...7
6月17日。
伊豆から海岸線を車でこちらに向かっている妹夫婦に連絡し、私は帰り支度をする。
ナースステーションで当直の方に告げる。
入院当初は、徘徊があって夜も泊まり込みましたが、いまは意識がなく、動くことはできなくなりました。
今夜以降は、お見舞いを含めて、急変があった時に来ます。
今後とも、よろしくお願い致します。
心臓の力でわずかな呼吸をしている父の耳元で語る。
俺は帰ります。
すぐに妹夫婦が来ます。
きょうは暑くなりそうです。
さようならは、言わなかった。
妹夫婦は私と入れ替えに病院に着き、父と対面をした。
家族のうちでただ一人会っていなかった妹の夫も、父に到着を告げたという。
しばらく今の状態が続くのなら、家族みんなが体調を整えて、平常に戻ろうと相談をした。
私は3日間も看護休暇で仕事を離れたので、翌週から復帰するつもりだった。
久しぶりに家の布団で熟睡をした。
枕もとの携帯電話に起こされたのは、日付が変わろうとしていた午後11時半。
病院からだった。
いますぐ来てください。
だいぶ呼吸が弱くなっています。
家のことは妻に任せ、父のベッドで寝ていた妹をたたき起こし、タクシーを呼んだ。