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7659.6/23/2017
鎌倉寺巡りpart2...8

七曲と小町界隈をゆく

11:57

(番外)泉水橋 せんすいばし

滑川源流にかかる泉水橋。
泉水橋交差点。

滑川は、鎌倉市十二所(じゅうにそう)の朝比奈峠付近を源流とし、鎌倉市街を流下して由比ヶ浜と材木座海岸の間で相模湾に注ぐ。
かつては上流から下流にかけて胡桃川・滑川・座禅川・夷堂川・炭売川などの別名で呼ばれ、河口付近では閻魔川と言われていた。
かつては全域が神奈川県の管理下にあったが、平成20年度から鎌倉市小町3丁目の東勝寺橋下流端より上流部分についての維持管理が鎌倉市に移管されている。
2011年(平成23年)には神奈川県で初めてヒメヌマエビの棲息が確認されている。
このヒメヌマエビは、九州以北では生息域が限られている。





7658.6/22/2017
鎌倉寺巡りpart2...7

七曲と小町界隈をゆく

11:50

(18)松久寺

長盛山 松久禅寺 山号の読み方不明 しょうきゅうぜんじ

曹洞宗

1655年、暉山吐光禅師が開山。
もとは東京都港区芝白金にあったが、1966年この地に移転した。

神奈川県鎌倉市浄明寺5-9-36
JR鎌倉駅東口から京浜急行バス・鎌23・24・36番「泉水橋」バス停より徒歩5分

一般の拝観禁止













7657.6/20/2017
鎌倉寺巡りpart2...6

七曲と小町界隈をゆく

11:47

(番外編)車屋商店

泉水橋という京浜急行バスのバス停に近いところに見つけた。
昭和のころは町のあちこちにあった雑貨屋が、ここではいまも現役だった。

鎌倉は浄明寺から十二所へ向かう途中。
コンビニの台頭でこういう地元の店がどんどん閉店していった。





7656.6/19/2017
鎌倉寺巡りpart2...5

七曲と小町界隈をゆく

11:37

(17)光触寺

岩藏山 光触寺 がんぞうざん こうそくじ

時宗

1278年・弘安元年、一遍上人が開基した。

1235年・嘉禎元年、藤原頼経が開基した。
このひと、鎌倉第4代将軍だが、あまり知られていない。現存する寺院のなかで、鎌倉幕府の将軍が開基したただ一つの寺院。

六浦(横浜市金沢区)の塩売りが、朝比奈切通しから鎌倉に入るとき、街道沿いにあった地蔵に商売繁盛を祈願し塩を供えていったという。
帰りに立ち寄るとその塩がなくなっているので、お地蔵さまが嘗めたのだろうという言い伝えから、塩嘗地蔵と呼ばれるようになった。
いまは街道沿いから境内に移転されている。
鎌倉の塩が横浜方面から運ばれていたことがわかる。

鎌倉市内でもっとも東寄りにある寺。

神奈川県鎌倉市十二所(じゅうにそう)793

JR鎌倉駅東口から京浜急行バス・鎌23・24・36番「十二所」バス停より徒歩2分

拝観料:無料

















7655.6/13/2017
鎌倉寺巡りpart2...4

七曲と小町界隈をゆく

11:34

(番外)滑川源流

鎌倉の人たちにはなじみが深い滑川(なめりかわ)。
由比ガ浜に注ぐ中級の河川だ。
八幡宮からの若宮大路が海岸にぶつかる由比ガ浜の交差点脇を流れている。

今回の寺巡りで、十二所(じゅうにそう)付近になると、こんなに川が小さくなっていた。
この先は七曲への登りになるので、源流が近いのかもしれない。

7654.6/11/2017
鎌倉寺巡りpart2...3

七曲と小町界隈をゆく

11:30

(16)明王院

飯盛山 寛喜寺明王院 はんせいざん かんぎじ みょうおういん

真言宗御室派

1235年・嘉禎元年、藤原頼経が開基した。
このひと、鎌倉第4代将軍だが、あまり知られていない。現存する寺院のなかで、鎌倉幕府の将軍が開基したただ一つの寺院。

1219年に3代将軍・源実朝が暗殺された後、鎌倉幕府は皇族を将軍に迎えようとして、有力御家人一同が連署した上奏文を携えた使者を京都へ送ったが、後鳥羽上皇に拒否される。そのため源頼朝の同母妹(坊門姫)の曾孫にあたる2歳の頼経が鎌倉に迎え入れられた。
わずか2歳の征夷大将軍だ。当然、政務はできないので実朝の母であった北条正子が尼将軍として実権を握った。頼経は元服し、9歳の時に将軍の宣下を受けている。
完全に北条義時と政子の担ぎあげた傀儡将軍だった。
その後、反執権勢力に利用され、やがて将軍職を解任。京都へ追放され、39歳の若さで死ぬ。当時流行していた赤痢のためと言われているが、暗殺説もある。

神奈川県鎌倉市十二所(じゅうにそう)32
JR鎌倉駅東口から京浜急行バス・鎌23・24・36番「泉水橋」バス停より徒歩3分

拝観料:無料









7653.6/10/2017
鎌倉寺巡りpart2...2

七曲と小町界隈をゆく

11:16

(15)浄妙寺

稲荷山 浄妙広利禅寺 とうかさん じょうみょうこうりぜんじ

10:53に段葛を通過して、歩いて19分で浄明寺に着いた。

臨済宗建長寺派

1257年・正嘉元年から1288年・正応元年ごろ、蘭渓道隆(建長寺開山)の弟子の月峰了然が住持となって禅宗の寺院となり、「浄妙寺」に改名した。
鎌倉五山の第五位。
かつては23の塔頭をもつ大寺院だった。いまでも付近一帯の地名は浄明寺という。ただし寺名の妙は使われていない。
兄の尊氏とともに鎌倉幕府を滅ぼした足利直義は、この寺に幽閉され、47歳で急死している。

神奈川県鎌倉市浄明寺3-8-14
JR鎌倉駅東口から京浜急行バス・金沢八景駅行き乗車浄明寺下車徒歩2分

拝観料:100円













7652.6/4/2017
鎌倉寺巡りpart2...1

七曲と小町界隈をゆく

前回の寺巡りからちょうど一か月後の3月18日。
2回目の寺巡りをした。
お彼岸の初日。しかも三連休だったので、北鎌倉駅に到着した横須賀線からはホームからひとが落ちそうなほど客であふれていた。

10:27

(14)成福寺

亀甲山 法得院 成福寺 きっこうさん ほうとくいん じょうふくじ

鎌倉市内で唯一の浄土真宗寺院

浄土真宗は鎌倉時代の初期に親鸞が起こした仏教の宗派なので、当時としては新しい宗教だった。その後、一向宗や門徒宗とも呼ばれ、織田信長などの武将をも苦しめた。
これに対して親鸞の師匠であった法然が1175年・承安5年に叡山を下りて広めた宗派は浄土宗と呼び、浄土真宗とは区別している。

1232年・貞永元年に開基した北条泰次が天台宗から親鸞に帰依したので浄土真宗の寺院となった。
大船に暮らしていた笠智衆はこの寺に眠っている。
成福寺は、明治時代、村役場になっていて本堂の一部を使い、村会や郡会の議場も兼ねていた。このあたりの村役場の発祥の地。

神奈川県鎌倉市小袋谷2-13-33
わたしの家からはとても近いが一般的には大船駅から歩いて20分ぐらいかかる。





7651.6/3/2017
鎌倉寺巡りpart1...16

鎌倉街道をゆく

11:19

(番外)段葛(だんかずら)と鶴岡八幡宮

宝戒寺から鎌倉駅方面へ向かう。
三の鳥居を左折すると、新しくなった段葛がまっすぐ伸びる。
桜の若木が、気持ち、去年よりもたくましくなった気がする。
半月後には、小ぶりの桜並木が人々の眼を楽しませるだろう。









7650.5/30/2017
鎌倉寺巡りpart1...15

鎌倉街道をゆく


11:13

(13)宝戒寺

金龍山 釈満院 円頓 宝戒寺 きんりゅうざん しゃくまんいん えんどん ほうかいじ

鎌倉幕府第14代執権北条高時は、1333年・元弘3年に新田義貞軍に追い詰められた。東勝寺で自害した。そのとき一族郎党870名も、ともに自害して、鎌倉幕府は滅亡した。

1335年・建武2年に後醍醐天皇が開基したと言われているが、実際には足利尊氏が北条一族の礼を弔うために建立した。

天台宗

神奈川県鎌倉市小町3-5。
八幡宮三の鳥居から浄明寺方面へ歩いてすぐ。

拝観料は100円。小学生は50円。

萩の寺として有名。

2月18日の鎌倉寺巡りは、13番目の宝戒寺まで。
次回は桜の季節にほかの寺を巡る予定。まだまだ全部には程遠い。