7549.12/18/2016
横浜被災者差別事件...2
2011年8月に男児は転入した。
その小学校2年生のときから、同学年の子どもたちからいじめを受け始めた。
「〇〇菌」と呼ばれてしまう。
それから5年後の2016年11月。
報道陣の取材に保護者が応じた。
「当時の校長は校門から教室まで手をつないでくれたり、教諭が連絡帳を細かく記入したりという配慮があった。
しかし、進級や合併などで教員の配置が変わってから雰囲気が一変した」という。
保護者は「(学校が言う関係機関との)連携の以前に教諭の個人的な問題。子どもに寄りそう気持ちを大切にしてほしい」と訴えた。
3年生に進級した2012年。
6月から10月まで学校に通えなくなった。
5年生になった2014年。
5月に同級生から「賠償金があるだろう」と脅されて金を奪われてふたたび学校に通えなくなる。
6年生になって書き留めた手記によると、いじめは2年生の転入時から5年生までずっと続いたそうだ。
6月、K小学校校長は「金銭のやりとり」(という言い方は違和感があるが)を教育委員会に報告した。
保護者は、金銭を男児が脅し取られたことを学校が知りながら保護者には知らさなかったと批判している。
この事件の特異性は、学校がなぜか被害者や保護者よりも、学校の体裁を優先しているように感じてしまうところだ。
危機管理能力が少ないひとが校長になると、こういうことが起こりうる。
根本的に優先順位が間違っているからだ。
7548.12/17/2016
横浜被災者差別事件...1
毎日新聞が2016年11月16日(水)に報じた。
2011年3月11日。
東日本を襲った大地震により発生した大津波が福島県の原子力発電所を襲った。
そのときに大量の放射線が大気中に放出される。
近隣に住んでいたひとたちは、自主的であれ、強制的であれ、避難せざるを得なくなった。
そのなかに横浜市へ家族と避難した男児がいた。
男児は当時小学校2年生。7歳か8歳だった。
横浜市教育委員会は個人情報保護を理由にして、この小学校を公表しいないが、ネット上ではすでに検索されている。
保土ヶ谷区にある横浜市立のK小学校。
避難してきた当時は別の小学校だったが、男児が卒業するまでにK小学校に合併された。
その小学校で放射能汚染されたばい菌扱いされ、賠償金目当てのたかりにあった。
現在は近くのN中学校1年に在籍しているが、フリースクールに通っているので、N中学校へは登校していない。
男児は公教育を拒んだのではなく、公教育から拒まれた。
わたしは最近、その界隈に行ってみた。
旧東海道の宿場町として栄えた地域だが、それだけに町並みが古く、かといって要所ではないので高級住宅街は少ない。
「昭和の名残みたいな悪(ワル)が、いまも幅を利かせているところ」
横浜をよく知る元ワルが教えてくれた。
7547.12/16/2016
政次郎尾根の秋...18
12時48分。
堀山の家で休憩をする。
ここのベンチからは晴れていると富士山がきれいに見える。
この時間には雲が多くなり、富士山は見えなかった。
13時8分。
駒止茶屋を通過する。
ここが開店していることは珍しい。
閉店していても、チップを払うトイレが使えるようになっている。
13時30分。
見晴茶屋を通過する。
大倉尾根を登り始めて最初の本格的な山小屋だ。
とてもしゃれた作りなのでいつか入ってみたい。
10月の丹沢は、まだ夏の終わりを残していた。
終わり。
7546.12/14/2016
政次郎尾根の秋...17
12時16分。
大倉尾根の花立山荘まで下りた。
ここでランチを食べる方法もある。ベンチがあって、天気が良ければ景色はとてもいい。
夏はここでかき氷を食べたことを思い出す。
大倉尾根最後の難所である地獄の階段は花立山荘まで続いている。
眼下には秦野の町が広がる。
12時48分。
花立山荘から30分ほど下って堀山の家に到着した。
ここで最後の休憩をして、一気に大倉まで下山する。
7545.12/13/2016
政次郎尾根の秋...16
11時50分。
塔ノ岳山頂でランチを終えた。
南西方向に広がる小田原から真鶴半島、そして伊豆半島が見えた。
この高みにくると、ずっと眺めていても飽きないでついつい長居をしてしまう。
山頂西方向には西丹沢の山並みが幾重にも重なる。
そのかなたに秋の富士山が構える。
丹沢は山が深く、森林で覆われているので、多くの水を蓄えている。
関東で水不足になっても、神奈川県の水が不足することはほとんどない。
丹沢が開発から守られているからだ。
正午近い山頂にはハイカーが群れてきた。
思い思いの方角を見ながらランチをとる。
それぞれに人生があり、それぞれにここに来た理由があるのだろう。
7544.12/11/2016
政次郎尾根の秋...15
塔ノ岳山頂はとてもにぎわっていた。
ここはたぶんわたしが住む鎌倉や藤沢からも見える山頂なので、反対にここからも鎌倉や藤沢が見えるはず。
南には遠く真鶴半島や伊豆半島が輝く。
西にはどかーんと富士山がそびえ、天気がいいとはるか南アルプスの稜線が拝める。
360度のパノラマ空間なのだ。
ほぼ真東には大山が雄姿を見せる。
大山は古くから信仰の山で、江戸時代には多くの参拝者でにぎわった。
帰りに江ノ島や鎌倉に寄って江戸に戻るコースがあったという。
秦野の町のはるか向こうに相模湾が広がる。
決して近い距離ではないのだが、山頂から海が、相模湾が、太平洋が見えるというのも、おつなものだ。
7543.12/10/2016
政次郎尾根の秋...14
ランチ。
日清のカップヌードルには、カップのないなかみだけの商品がある。
山登りのランチとしてはごみが出ないのでとても便利だ。
たぶん軍隊とか被災地とかまったく別の理由で開発されたのだろう。
ひじきごはんをおにぎりにした。
焼きのりは別にラップで持参し、食べるときに巻く。
パリパリの食感がうれしい。
カレー味のカップヌードル。
魚肉ソーセージとチーカマを入れて、ごまと粉カツオをトッピングした。
7542.12/7/2016
政次郎尾根の秋...13
山頂でランチ休憩。
北方に丹沢山と頂上小屋の「みやま山荘」がくっきりと見えた。
となりのハイカーが「あれは蛭ヶ岳」と言っていたが、塔ノ岳からは見えない位置にある。
1419mの標識。
その向こうには南アルプスの山並み。
鳥になって大飛翔をしてみたくなる。
ランチは、信濃パープル・魚肉ソーセージ・チーカマ・ひじきおにぎり・カレーラーメン。
ごまと八幡屋磯五郎を持参した。
7541.12/6/2016
政次郎尾根の秋...12
10時55分。
塔ノ岳に登頂した。
1491m。
丹沢の主峰だが最高峰ではない。
山頂には宿泊可能通年営業の尊仏山荘が構える。
ハイカーも天気がよかったので続々登頂していた。
好天が続いた日の空は塵や種などが空気中を漂い、視界をぼんやりとさせてしまう。
富士山が間近に見えるが、薄い膜の向こう側という印象だ。
大風や台風の翌日は空気中の塵や種が消し飛んでしまうので、クリアな景色になる。
快晴の富士山。
きっと登山者であふれているのだろう。
7540.12/4/2016
政次郎尾根の秋...11
10時8分。
新大日(しんだいにち)に到着した。
ここの茶屋は開店しているのを見たことがない。
茶屋の前には真新しいベンチと頂上標があった。
表尾根を歩いてきたハイカーがよく休憩をする。
10時24分。
塔ノ岳に近い木ノ又小屋。
外観はしゃれた山小屋だ。
混雑する塔ノ岳の尊仏山荘に宿泊するなら、素泊まりでここに宿泊するほうが行動に自由があるかもしれない。