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7529.11/16/2016
厚生労働省編...0

権力や体制は、自らを守るためならば弱者を犠牲にすることをいとわない。

権力や体制という具体物はない。
それをつかんだひとが、権力や体制を実現する。

2016年11月11日に千代田区内のビルで社会保障審議会障害者部会が開かれた。
開催したのは厚生労働省。

参加を予定していた小西慶一委員(日本身体障害者団体連合会副会長)はビルがバリアフリーに対応していなかったので出席を断念した。

諦めるしかなかった。厚労省だけの問題ではなく、世の中がそうなっているので驚かないと話す。

厚生労働省は、障害の有無に関係なく活躍できる共生社会を目指しているそうだ。
この嘘つきめ。

会場は中2階にありエレベーターはない。
小西委員の車いすは重さが30キロあるので、階段をひとが持って運ぶことは危険だった。

この日の委員会では、自治体が策定する障害福祉計画の基本方針を議論したそうだ。
厚生労働省の担当部長曰く。
「障害福祉の議論をするのにふさわしい場の設定が不可欠であり、気を引き締めて対応したい」。
本気かい?

国家機関は権力の象徴だ。厚生労働省で働く役人は国家公務員試験の難関をクリアしたエリートたち。権力を掌握し実現する当事者だ。
そういうひとたちにとっては、共生社会などお題目であって、審議会など証拠作りなのだろう。

肝心かなめの障害者を排除して、何が基本方針だ。
その一点をとっても、上から目線が輝きを放つ。

開催場所の下見をしていなかった。
今回の騒動の言い訳。
全国津々浦々の末端の小学校でも遠足や社会見学などの外部イベントは下見をしていますよ。
権力を行使する側にいると、下見などしなくても、行った先々で何とか(長靴忘れておぶってもらったり・酒を飲みすぎて会見でよれよれになったり)してくれるとおごった人格が育つようだ。

わたしは仕事柄、車いす補助をすることが多い。
道路を歩く。施設を歩く。プールを使う。アトラクションで遊ぶ。
そういう日常的な場面の多くで、車いす対応がまったく施されていない現実を知っている。
だから、鉄道関係者が電車の乗降時にホームとドアの間にスロープを用意してくれることに感激をしている。

小西委員が「世の中がそうなっているので驚かない」と発言した言葉に込められた怒りと悲しみを、少なくとも市井の人々は胸に刻もう。

7528.11/15/2016
熊本市教育委員会編...0

権力や体制は、自らを守るためならば弱者を犠牲にすることをいとわない。

権力や体制という具体物はない。
それをつかんだひとが、権力や体制を実現する。

2013年熊本市立の中学校2年生男子生徒が、2学期から学校を休みがちになった。
この男子は2014年7月、中学校3年生の時に
「毎日生きているのがとてもつらかった」という遺書を残して自殺を図った(未遂)。

この中学校は校内に調査委員会を設置し、9月に作成された報告書で3件のいじめがあったことを認めた。
しかし「悪意があった可能性は低く、その後の継続性は認められない」と結論付けた。

男子生徒の保護者は3件のほかにも継続的ないじめがあったのに、調査が不十分だとして学校に抗議した。
しかし、10月、校長は9月の報告書を男子生徒の保護者に無断で、いじめをした生徒の保護者に渡した。こっそりと。

それから2年が経って2016年。
当時、校長がこっそり報告書を渡していたことを知った男子生徒の保護者は反発する。
ここにきてやっと熊本市教委は9月に「配慮が不足していた」と謝罪したが、保護者はさらに詳しい経緯の説明を求めた。

「被害生徒の了解を得た上で、提供する場合も情報公開条例に基づき生徒の身体的特徴などの記載にマスキングなどすべきだった。申し訳ない」と、熊本市教委は話した。

自殺するほどの事案があった事実を、当時の校長や調査委員会のメンバー(校長とスクールカウンセラーなど)が真摯に対応したと思えない。
むしろ、いじめを見逃してきた体制(学校)の責任を回避するために、自殺未遂といじめとの因果関係を最小限にするという方針を決めて調査をしたと思えてしまう。
また保護者の抗議があったにもかかわらず、被害生徒が特定される報告書を、相手側にこっそりと渡していた事実は、情報の漏洩にあたり、教育公務員に課せられている守秘義務の違反だろう。

さらに、さらに、その情報漏洩が2年も経過して、何らかのきっかけで保護者が知ったことの問題性は大きい。
こっそり情報を漏らした事実を2年間隠していたのだ。
だれが隠すことを命令し、だれが隠している事実を知っていたのかが問われなければならない。

これはいじめを受けて自殺未遂をした男子の保護者にとって、何重にも重なる戦いだろう。敵が多すぎて、心が折れそうになるかもしれない。
正義を貫いているのに「面倒なことを起こすな」とか「黙ってがまんしろ」という声が地元や近隣から湧き起こることは少なくない。

沈みゆく日本の公教育・タイタニックは、いまも体制を守ることだけに躍起になっている。

7527.11/13/2016
アメリカ大統領選挙...0

2016年11月8日にアメリカ大統領選挙があった。
共和党のトランプ候補と民主党のクリントン候補が争った。
結果は、共和党のトランプ候補の勝利だった。

選挙戦を通じて、過激な発言が目立ったトランプ氏だったが、多くのメディアの予想に反しての当選となった。
と、メディアは報じている。

しかし、わたしに届く情報を媒介(メディア)するラジオ・テレビ・新聞などは、2人の候補が語ったことをすべてわたしに届けていたのかどうかは疑わしい。

報道機関による情報の取捨選択により、それを受け取るわたしたちが知っていることをすべてと勘違いしてはいなかっただろうか。

わたしが聞かされたトランプ氏の政策には共感できるものがほとんどない。
いや、何もない。
いまさらアメリカ第一主義など築けないほど、世界は複雑にからみあっているのだ。
グレートブリテン島に住むひとたちが来年以降、ヨーロッパで孤立してしまうことを十分に予想できるぐらいに。

しかし、わたしが聞かされていないトランプ氏の政策のなかに、クリントン氏ではなくトランプ氏を選んだ有権者の共感があったとしたら、どうなるだろう。
当選は意外なことではなく、当然のことだったと考えたかもしれない。

8年間の民主党、オバマ政権への批判票が流れたという。
そうだとしたら、クリントン氏は民主党とオバマ政権の「つけを払わされた」のか。

駐留アメリカ軍経費を日本政府が負担するように交渉すると、選挙戦では訴えていた。
じゃぁ、駐留アメリカ軍には軍人も軍属も武器も何もかもお帰りいただいて、自衛隊に国防をゆだねるというのも、一つの選択肢だろう。
海外に出て行って「駆けつけ」などしていないで、ふるさとの地で国防第一の任務を全うすればいいではないか。

その先に、永世局外中立という非同盟主義を確立すれば、核兵器廃絶へ向けて、核兵器禁止条約に堂々と批准できるはずだ。

トランプ大統領誕生に、驚いてばかりいないで、その先を見据えた未来を創造したい。

7526.11/12/2016
夏の蓼科...15



八ヶ岳の豊かな自然がこれからもずっとこの場所で枯れることなく続くことを願いながら歩いた。



土が流れて根がむき出しになってもたくましく生え続ける樹木の強さを忘れない。



またこの光を浴びに、戻ってきたい。

終わり

7525.11/8/2016
夏の蓼科...14



蓼科山山頂から八ヶ岳連峰西側山ろくを望む。
避暑地として有名な軽井沢は反対側の東側山ろくになる。
湖や農地の間に別荘が所狭しと並んでいる。



午後2時ごろに下山を開始する。



よくもまあこんなごろごろの斜面を登ったなぁと振り返った。

7524.11/6/2016
夏の蓼科...13



8月10日。
ランチを終えて、山頂からの眺望を楽しむ。
南方面の眺望。八ヶ岳連峰が全山顔を出してくれた。
もっとも高いのが赤岳。
約2900m。
左手前の山は北八ヶ岳と言われるエリアの山々。



北八ヶ岳は南に比べて登山者が少ないので、静かな山歩きが好きなひとにはおすすめ。



蓼科山山頂ヒュッテと縞枯山。
樹木が縞になって枯れてゆく独特の自然現象が見られる。

7523.11/3/2016
夏の蓼科...12



お湯を沸かしながら山頂を俯瞰する。
でこぼこの岩の間にライターやらスプーンやらの小物を落とすと拾うのは難しい。



おそらく雲の向こうのとんがり帽子は北アルプスの槍ヶ岳だ。
大学時代に登って以来、北アルプスは遠くなった。



今回のランチは棒ラーメン。
ものすごく登りで汗をかいたので、スープもしっかり飲んで塩分を補給しないと下りで脱水が始まる。

7522.11/2/2016
夏の蓼科...11



12時8分。
山頂で記念写真。
この時期にしては珍しく山頂でも気温が20度近くまで上がっていた。



山頂は岩がごろごろしていて、ランチの準備をするのが大変だった。
コンロを水平に置く場所が見つからないからだ。



山頂を埋め尽くす岩。
どうやって自然はこんな高い場所にこれだけの岩を運んだのだろうか。

7521.11/1/2016
夏の蓼科...10



蓼科山の山頂近く。
南方向に八ヶ岳連峰が広がる。
左側に硫黄岳の爆裂火口が目立つ。
数年前、火口近くに登頂したが、その時は霧と風で周囲は何も見えなかった。
火口から右にギザギザの横岳が連なる。
その向こうに雲の間から八ヶ岳連峰最高峰の赤岳が見え隠れしていた。



蓼科山山頂ヒュッテ。
布団を干していた。宿泊客がいたのだろう。



12時8分。
日本百名山「蓼科山2530m」登頂。
山頂はかなり広いがでかい岩がごろごろしていて、とても歩きにくく、からだを横たえるわけにはいかなかった。

7520.10/30/2016
夏の蓼科...9



11時12分。
周辺の樹木が低くなってきて、岩がごろごろと見えてきた。
傾斜がきつくなると、重心の置き方が難しくなる。
腰を引いてしまうと後ろに反り返ってしまうからだ。



11時39分。
完全に樹木が消えて岩だらけの鎖場にたどり着く。
頂上がすぐ近くにある気がするのだが、歩きにくいことこの上なく、しばらく岩の上をふらふら登り続けた。



振り向くと「北横岳」が間近に見えた。
その向こうに南八ヶ岳連峰の雄姿が雲が切れて見え始めた。