7519.10/29/2016
夏の蓼科...8
10時。
歩き始めて1時間。
だいぶ傾斜が強くなってきた。
それとともに、大きな岩がごろごろしてきて、歩きにくいことこの上ない。
樹林の間からはときどき下界の様子が見られた。
蓼科高原の別荘地が立ち並ぶ。
11時。
歩き始めて2時間。
樹木が少なくなり、傾斜のきつい岩場が始まる。
7518.10/26/2016
夏の蓼科...7
すずらん峠駐車場。
8時44分。
登山準備を終えて歩き始める直前。
すでに数台の車が駐車していた。
トイレはとても立派できれいだった。
9時。
登山道に入る。
笹が腰の高さまで茂っていた。
笹に包まれて落葉樹が茂った林をしばらく歩く。
7517.10/25/2016
夏の蓼科...6
8月10日のホテル親湯。
朝食の膳もうまかった。
お茶請けが6品。
ゴマ豆腐にはオリーブオイルがかけてあって、かすかにゆずの味がした。
ハンバーグは蓼科牛を使っている。
ご飯は野沢菜ご飯。
北八ヶ岳。
蓼科温泉の「親湯」。
来年以降も使いたいと思った。
ここから車で登山口駐車場にとめる。
下山後ふたたびここに戻って温泉を無料で使えるとのことだった。
それも嬉しい!
7516.10/23/2016
夏の蓼科...5
ホテル「親湯(しんゆ)」。
夕飯のコース。どれも地元の食材を使っていた。
生ビールと日本酒がすすんだ。
7515.10/22/2016
夏の蓼科...4
すずらん峠のバス停をチェックする。
登山口までバスがあるのはとても便利だが、気を付けないと乗れないことがある。
毎日走っているとは限らないし、一日の便数が極端に少ないこともある。
蓼科高原ラウンドバスもご覧のとおり。
この停留所の看板はいつから風雪に耐えているのだろう。
たまたまボンネットバスがやってきた。
茅野駅側から白樺湖方面へ向かうようだ。
7514.10/19/2016
夏の蓼科...3
すずらん峠近くに「女乃神茶屋(めのがみちゃや)」があった。
「ドライブイン」という消えかかったペンキがうれしい。
休憩所かと思ったら「民宿」とも書いてあったので宿泊できるのかもしれない。
茶屋と道路をはさんだところに、蓼科山への登山口があった。
翌日にそなえて、登山口を確かめた。
7513.10/18/2016
夏の蓼科...2
蓼科温泉の「ホテル親湯」に宿泊した。
チェックインまで時間があったので、登山口の「すずらん峠」を下見した。
とても立派なトイレが登山口に設置されていた。
駐車場には数台が駐車していた。
これまで夏山登山で利用した駐車場はどこも混んでいたので、ずいぶん空いている印象だった。
駐車場の脇をビーナスラインが通る。
ここを抜けると白樺湖へ続く。
7512.10/16/2016
夏の蓼科...1
この夏の山は蓼科山。
わたしが大好きな八ヶ岳の最北に位置する。
日本百名山の一つ。
8月9日。
大船を午前7時に出発した。
藤沢の新湘南バイパスから高速道路に入った。
圏央道・八王子ジャンクションでやや渋滞があったものの8時半ごろには談合坂サービスエリアで休憩ができた。
圏央道がなかった頃は中央高速に乗るだけで大変だったので、とても便利になった。
談合坂サービスエリアで休憩後、甲府盆地を順調に抜けて、あっという間に諏訪・茅野インターへ。
10時過ぎには高速を降りたので、諏訪湖へ向かった。
湖畔の原田泰治美術館へ。
まったく予定していなかったけど、ちょうどこの日から「切手の原画展」が開始だった。
原田さんご本人が来館していて、オープニングセレモニー。
偶然だったけど、豪華な時間を過ごした。
7511.10/12/2016
初夏の築地市場...9
買い出しに行って帰ります。
帰ってきてから、注文された品物を注文主ごとに分けます。
買い出しよりも帰ってきてからの作業が忙しいのです。
それぞれにレシートや伝票がそろっているかを確認しておつりを用意します。
清算作業が終わって、近所へ品物と伝票、おつりを届けに行きます。
みんなとても喜んでくれるので、買い出しを頼まれることは苦ではありません。
戻ってきてランチ。
築地第二製麺所の平打麺で作った油蕎麦。
白河のネギ油を使ってあっさりと仕上げました。
秋に行く次の買い出しが築地へ行く最後になるでしょう。
終わり
7510.10/11/2016
初夏の築地市場...8
築地第一駐車場の近くに「築地魚河岸」会館がほぼ完成しています。
これは豊洲に市場が移転した後に、オープンするそうです。
なかにはどんな店が入るのかはわかりませんが、とても整然とした造りになっていました。
鰹節の「松村」。
築地で買う鰹節(削り節も粉鰹も)はすべてここで購います。
安くてうまいからです。
場外の端にあり、波除(なみよけ)神社の向かいです。
この左手はすぐ場内です。
波除神社。
漁をする人たちの安全を祈願する神社です。
市場がここにあるから神社の意味があるのに、市場が豊洲に移転したら寂れてしまうのでしょうか。