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7109.7/26/2014
初夏の天城へ...3

万二郎岳で一服をして歩き始める。



うぐいすが鳴く。
コザクラが風に揺れる。



これから歩く稜線がそびえる。
空の青さが気持ちいい。



伊豆半島の中心部は、ほとんどがこのような峰峰だ。
温泉が多いのは、地下にマグマが溜まっていて、地下水を長い時間を通じて温めているからだろう。



伊豆の天城をバックに記念写真。

7108.7/25/2014
初夏の天城へ...2

伊豆半島は東側を相模湾、西側を駿河湾に面している。
南側は太平洋だ。
半島は海からいきなり岩が切り立つ地形が多い。



7:34。
万二郎岳(ばんじろうだけ)登頂。
かなりの標高差があるが、登山口がすでに高いのであまり苦にはならなかった。
1299m。
登山者は少なく、気持ちがいい。



残念ながら好天でも頂上は樹木に覆われていて、景色は望めない。
それでも風が気持ちいい。



万二郎岳頂上から、万三郎岳を見る。



天城山系は奥が深い。
山系すべてを縦走する場合は10時間近い行程を計画的に歩く必要がある。

7107.7/24/2014
初夏の天城へ...1

ゴールデンウィーク。
せっかくの連休を山行に使うなら、いつもの日帰りではなく宿泊を伴いたい。
しかし、去年の丹沢・塔の岳は大倉尾根に登山者が集まりすぎて、ひとを追い越せないほどだった。
山頂の尊仏山荘では、一畳にふたりで寝るという混雑ぶりだった。
2014年のゴールデンウィーク。
あまりひとが集まらない。雪はない。宿泊地は温泉がある。高山である必要はない。
この条件で検討した結果、伊豆半島の天城山系に目をつけた。



天城山ゴルフ場には登山者専用の駐車場があった。
とても広くて、たくさん駐車できる。
リゾート会社が開発すると、何から何まで立派になる。



5月3日は晴れた。
気温はほどよい初夏の陽気。
6:54。天城山系に足を踏み入れた。



天城山という名前の山はない。
いくつも連なる中規模山の総称が天城山だ。
まずは馬酔木(あしび)の森に入った。



7:30。
朝日を浴びて、標高1000mぐらいのところに花が開く。

7106.7/23/2014
春山始動の丹沢山...6

春の山は霞がかかる。
大陸からの黄砂や、ことしはPM2.5などの影響かもしれない。



だからすっきりと晴れ渡った空というわけにはいかなかった。
12:07。
丹沢山から下山を開始する。



13:06。
ちょうど1時間歩いて塔の岳山頂に戻ったとき、尊仏山荘の上には怪しげな雲が広がっていた。



14:01。
足早に下山を開始して1時間。尾根道にはコザクラが咲いていた。







雑事場へ続く尾根道。
14:49。
すっかり春の西日が横から差していた。

春山始動の丹沢山(了)

7105.7/20/2014
春山始動の丹沢山...5

丹沢山の山小屋は、塔の岳の尊仏山荘よりもこぢんまりとしている。



いつの日か、ここに泊まって丹沢最高峰(神奈川最高峰)の蛭ヶ岳にチャレンジしたい。



さぁ楽しみなランチ。
今回はちゃんぽんとにゅうめん。















ゆでたまごをわざわざ運んだかいがあった。
大量にいただいたエシャロットもトッピングに持参した。

7104.7/19/2014
春山始動の丹沢山...4

塔の岳は通過地点なので、10分程度の休憩の後に、ふたたび歩き始めた。



丹沢主脈線を歩く。
西丹沢の稜線部にはまだ残雪が目立った。



馬の瀬を見上げる。
木々には葉が見られない。



丹沢山直前の窪地に残った雪。
日陰部分は気温が上がりきらずに夜になるのでなかなか溶けない。



10:57。
丹沢山登頂。
ちょうどお昼時になっていた。

7103.7/15/2014
春山始動の丹沢山...3

塔の岳山頂。



去年のゴールデンウィークに登ったときは、ここまでのトレイルが渋滞するほどのひとだった。
山頂部も座る場所がないほどの混雑ぶりだった。
きっと翌週から始まるゴールデンウィークではふたたびここはひとで埋まることになるのだろう。



塔の岳山頂から見た湘南地方と相模湾。
ぼやけて見える。
空気中に何らかのチリが多くあるのだろう。



塔の岳山頂から見た表尾根と大山。
花立小屋からの景色と違って、見下ろすかたちになる。

7102.7/13/2014
春山始動の丹沢山...2

丹沢は1500mぐらいの縦走路だ。 それでもこの時期の稜線部は、青葉にはほど遠くまだ冬の名残があった。



9:00。 花立小屋に到着し、鍋割尾根方面を眺める。 日陰には残雪があった。



花立小屋。 12月下旬にはここから凍ったトレイルを滑りながら歩いた。



表尾根と大山。 稜線部にはもう雪が見られなかった。



9:37。 塔の岳登頂。大倉尾根2時間40分。ことし最初の大倉尾根としてはまずまずの歩行時間だった。



1491m。 残念ながら富士山は雲のなかだった。

7101.7/12/2014
春山始動の丹沢山...1

2014年は2月に大雪が関東地方で降った。
それも何日も溶けずに残るほどの大雪だった。
そのためか、3月末になっても関東近郊の山々にはまだ残雪が多いという情報だった。



4月上旬の春山は危険と判断した。
本格的な春山装備でことし最初に入ったのはゴールデンウィークが近い4月26日だった。
5:53。
大倉駐車場に朝日が昇った。



去年の暮れからこの日まで、休みの日には山用品の店に行き、少しずつウェアを買いそろえた。
ことしのわたしの山登りユニフォーム。



大倉を6:00に出発して50分。
雑事場に到着。
清々しい空気を胸一杯に吸う。



雑事場から一気に堀山の家まで上がる。
天気が良くて気持ちがいい。
8:09に到着した。

7100.7/8/2014
憲法が死んだ日。2014年7月1日

集団的自衛権。
他国が軍事同盟国を攻撃したとき、同盟関係に基づいて戦闘する権利でしょう。
日本の場合は、同盟国はアメリカを指します。アメリカは世界に軍隊を派遣し駐留させ、いまも戦闘状態にあります。
だから、集団的自衛権の容認とは、今後は、すぐに日本の自衛隊が他国を攻撃できるようになることを意味しています。
これまで「戦争をしない国」と信じられていた日本が1945年から70年を経て、ふたたび戦火に兵隊を送る国に戻るのです。
こんな大事なことを国会の議決を経ないでごり押しする「ときの政府」。おかしくないですか?憲法だぁ、解釈だぁという次元にすり替えようとしてるけれど、閣議決定というかつての枢密院みたいな意思決定機関が独走しようとしています。
戦争をしないと誓った国が、戦争もやむをえない国へ誓いを変えるのなら、憲法改正の手続きを経て、国民投票へと手続きを踏ませなければなりません。
メディアは、いまの政府の手法をなぜ攻撃しないのでしょうか。
30代の若者に聞いたら「だってそういうひとを選挙で選んだんだからしょうがないじゃん。民主主義でしょ」とのこと。選挙で選ばれたひとが、法治国家の手法を逸脱している事実をメディアのみなさん、伝えてください。そうしないとナチスの二の舞になります。

いまも世界各地で戦争、内戦、殺戮が繰り返されています。
日本は1945年以降、国家が主導する戦闘行為は表面上はありませんでした。専守防衛という基本的理念により、自衛隊が海外で積極的に戦闘行為に参加することを禁止してきたのです。
「日本列島はアメリカの浮沈空母」「他国が血を流しているのに日本人だけ流さないわけにはいかない」。自民党の歴代の首相のなかには、アメリカや国連に追随する発言をしたひともいます。それでもいままで専守防衛は堅持されてきました。
しかし、知人のご主人で陸上自衛隊員の方は、中東への平和維持活動から帰国した後、こころを病んで臥せっています。戦闘の有無に関係なく、殺戮の現場に命令により派遣されるひとたちにはたえずいのちとこころの危険が忍び寄っているのです。
多くの歴史的事実が、戦争状態の地域では何らかの障がいをもつひとたちが、真っ先に排除されてきたことを教えています。
隔離されたり、餓死させられたり、病死したりということです。
戦死したひとのいる遺族は、障がいゆえに徴兵を免れたひとやその家族に強い差別感情を向けてゆくのです。
70年も戦争をしてこなかった日本でさえ、まだ福祉行政はお粗末なのに、ふたたび戦争が可能な日本になってしまったら、福祉行政は消失してしまうでしょう。

なぜいまの政府。とりわけ自民党中枢は戦争の開始と遂行を可能な状態にしたいのか。
それをメディアは伝えていません。
他国からの侵略に対抗するためなら専守防衛で戦争ではありません。
同盟国の危難を救うためという考え方に立つなら、まず日本国内のすべてのアメリカ軍施設を返還させ、占領状態を解除させることが先決でしょう。
占領状態のままでは同盟国とは呼べないからです。
北朝鮮から大陸間弾道弾が東北地方をこえて太平洋に着水したとき、アメリカ軍は助けませんでした。
南シナ海で国籍不明の漁船が海上保安庁の艦船を攻撃したとき、アメリカ軍は助けませんでした。
大韓航空機が北海道近くでソ連の戦闘機に撃墜されたとき、アメリカ軍は助けませんでした。
つまり、いまの政府が公言する理由は、実際の場面では行われないことばかりなのです。
それでも戦争が可能な状態にしたい本当の理由は、カネでしょう。武器や弾薬、軍事施設や殺戮兵器の製造や売買が可能になれば、企業は儲かります。もうかった企業は、そのお膳立てをしてくれた政治家に賄賂を渡すでしょう。その単位は宝くじの一等並みかもしれません。
昔から死の商人は消えることなく世界中にいました。ふたたび日本のなかから死の商人がよみがえろうとしています。