7029.1/5/2014
大菩薩嶺山行...8
12:20。
下山を開始した。
このルートは車が通れるだけの幅があった。
富士見山荘。
福ちゃん荘。
冷えたからだをあたためてくれた「やまとふれあいやすらぎセンター」の温泉風呂。
さぁ、神奈川へ帰るぞ。
(大菩薩嶺山行・完)
7028.1/4/2014
大菩薩嶺山行...7
中山介山の小説「大菩薩峠」。
その由来を物語る山小屋「介山荘」。
大菩薩峠に建つ。
ランチは無料の避難小屋で、イングリッシュパンとチーズとハム。
12:13。
寒いときはランチを済ませたら、さっさと降りるにかぎる。
7027.1/3/2014
大菩薩嶺山行...6
10:52。
賽の河原に到着。
かつてはここを大菩薩峠と呼んでいた。
しかし、風が強く遭難が相次いだので、現在ではもう少し東寄りの場所を大菩薩峠と呼んでいる。
まるっきり、周囲の景色が見えなかった。
7026.1/3/2014
大菩薩嶺山行...5
雨や風、霧のなかを歩くときは、電子機器はかなりの防水性がないと使い物にならない。
また気温がとても低くなるので、バッテリーの消耗も激しい。
霧の影響で視界がせいぜい5mぐらいの稜線では、道路標識を見落とすことがある。
地図とコンパスで現在地を頭に入れ、次の目的地までの距離を計算する。
一歩を50cmとしてこころのなかで歩数を数えながら歩く。
トウヒの若木。
しずくがたくさんついていた。
神部岩。10:35。
ちょうど標高2000m
賽の河原。
7025.1/1/2014
大菩薩嶺山行...4
10:14。
大菩薩嶺登頂。
2057m。
日本百名山の一つ。
雨と霧で周囲は何も見えなかった。
やけになってドリンクをがぶ飲みする。
一路、賽の河原を目指す。
8月25日。
山梨県甲州市の2000mの山中は厚い雨雲に覆われていた。昼間でもこの暗さ。
7024.12/31/2013
大菩薩嶺山行...3
共産主義革命を目指した武闘勢力は、情報をキャッチした機動隊によって殲滅される。
当時はここまで車は入れなかった。
機動隊員も若かった。上官の命令を受けて、自分たちと似たような年代の者たちとの闘いを覚悟していた。
大菩薩嶺に続く山道。
このどこかで革命の闘いがあったのだ。
それを思うと、雨と霧の山歩きは感傷的になる。
闇はどこまでも暗い。
時刻は10:01なのに、この暗さだ。
10:05。雷岩。
稜線に出る。
機動隊員に敗れた武闘勢力の一部が、その後、さらに地下にもぐり、やがて日本赤軍を結成。浅間山荘事件へと発展していく。
7023.12/30/2013
大菩薩嶺山行...2
山で雨にあたると、多くの場合は計画を中止する。
しかし、もしかしたら途中から晴れるかもしれないという願いを抱いて歩き続けることがある。
それは、とても危険なことだ。そういう判断のミスで、毎年、遭難するひとが少なくはない。
9:10。
「福ちゃん荘」に到着した。
かつて、この山荘に非合法の武力闘争集団が集結し、軍事訓練を実施した。
学生運動が分裂し、急進的な武闘勢力が共産主義革命を実力で勝ち取ろうと夢見たのだ。
山荘のたたずまいからは、当時の緊迫した雰囲気は伝わっては来ない。
しかし、歴史の事実として、わたしは彼らと同じ場所に立った。
1720mの福ちゃん荘。
丹沢の山よりも標高が高い。
7022.12/29/2013
大菩薩嶺山行...1
2013年8月25日。
山梨県と長野県の境界。大菩薩嶺を目指した。
8:31。上日川峠(かみにっかわとうげ)。
出発地点の「ロッヂ長兵衛」は雨だった。
すでにここで1590mもある。
ロッヂ長兵衛は、とてもおしゃれな造りの山小屋だった。
自動車で行けるため、一般の観光客も多いのだろう。
8:56。
歩き始めても、雨は上がらない。
7021.12/28/2013
尾瀬山行(3)...16
11:39。
山の鼻を目前にして、昼食。
八幡屋磯五郎と日本そば。
至仏山が眼前に迫った。
山の鼻の山小屋群。
沼田近くのとんかつ屋でがっつりと食べた。
尾瀬山行(3)・完
7020.12/27/2013
尾瀬山行(3)...15
10:48。
尾瀬ヶ原中央部に入る。
湿原のなかにオアシスのように小さな林の島が登場する。
竜宮小屋。
蓮に似た小さな花。
池のように見える。