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過去のウエイ

6939.6/18/2013
丹沢山行...15

 丹沢の山小屋では数年前からトイレの浄化に努めていた。  以前は山のトイレと言ったら、不潔の代名詞だった。  糞尿をバクテリアに分解させて、地中に戻すという取り組みだ。  これを実現するには利用者の協力が不可欠だった。ちり紙や生理用品などを流してはいけない。トイレには小さな袋が用意してあって、汚れたちり紙や生理用品を入れて、自分で持ち帰るようになっている。それを守らないひとも多く、山荘のひとたちは、年に一回は、トイレタンクに入って、それらを取り除き、ヘリコプターで下ろす作業をしているそうだ。

富士山や箱根の山に、夕暮れが近づいてきた。


食後の缶ビール。 アサヒスーパードライが500円。


なんでここまで来て飲むのかねぇ。 空がとても深い青にかわっていた。

6938.6/16/2013
丹沢山行...14

 この日だけで90人が宿泊したので、夕飯は狭い食堂で5回転した。
 わたしたちのパーティーは最初の回転だったので5時過ぎには夕食になった。


おかわり自由のカレーライス。
山荘の夕飯は全国ほぼ均一メニューのカレーライスだ。


夕食後の山荘周辺。
夕方の時間に、丹沢の山頂にいる。
こういう贅沢を久しく味わってこなかったと実感する。


夕焼けに染まっていく、湘南の町並み。

6936.6/11/2013
丹沢山行...12

 すぐに部屋に荷物を収納した。
 せっかくの山荘宿泊登山だ。日帰りのひとたちのように、山頂で冷たい風に吹かれている必要はない。寝室で、汗をかいた服を交換する。登山靴はバックに入れて、サンダルを出した。動きを軽くするには、サンダルが便利だ。


山荘の周囲には、鹿がいた。
多くの登山者は鹿の登場を喜んでいた。しかし、鹿は山蛭を連れている。丹沢に蛭が多いのは、鹿が山里まで下りて蛭を運んでいるからだと言われている。
山荘周囲には、多くの鹿の糞が散逸していた。


表尾根や大山を見下ろしながらのランチ。
こういう景色に包まれるから、自分は昔、山登りに惹かれたんだなぁと思い出した。


イワタニのプリムスコンロを使って。知人が貸してくれた。手前の鍋がは100円均一の店でそろえた。

6935.6/9/2013
丹沢山行...11

 尊仏山荘は、古くから丹沢登山をするひとたちを迎えてきた。
 たしか通年で営業しているので、厳冬期の登山にも対応している。


山荘の受付。
山では水が命なので、カウンターのポットはもちろん自由に使うことはできない。
従業員がお茶を飲むために、ストーブで沸かした湯を入れている。
また一杯400円のコーヒーを注文するひとのために湯が使われる。



2階の寝室へ続く階段。
とても年季が入っている。
階段左側の棚は登山靴を収納する靴入れだ。
わたしは、専用のバックを持参して、自分の靴は枕元まで運んだ。


おそらく、山荘に住んでいる猫。ひとに慣れていて、絶対に慌てないし、逃げもしない。

6934.6/8/2013
丹沢山行...10

 12時55分。
 歩き始めてから4時間40分をかけて、塔ノ岳に登頂した。


頂上では、休憩をする登山者があふれていた。
尊仏山荘は、30年前に見たときとは比べ物にならないぐらい立派で大きな建物になっていた。


地蔵や石碑が並ぶ頂上。
こういう宗教的な風景も、以前には見られなかった。


丹沢山、その奥には連峰で最高峰の蛭ヶ岳がそびえている。


頂上標識で記念撮影。

6933.6/2/2013
丹沢山行...9

 12時18分。
 五本目を開始。予定では最後の区間になる。
 16分で金冷しを通過する。空気が急に冷たくなった。


花立山荘を出てすぐの上り。振り返ると、植生の変化に気づく。もう背の高い植物は茂っていない。


大学時代に何度も上った大倉尾根。あのときの記憶がよみがえる。



ついに頂上が見えてきた。

6932.5/26/2013
丹沢山行...8

 835メートルを37分もかかって登った。
 花立山荘で休憩をする。大きな山荘で宿泊もできる。なぜか入口には「かき氷」と書かれた布が風でひらひらと待っていた。山でかき氷なんて30年前は考えられなかった。


花立山荘。室内は食堂になっていてラーメンなどメニューは豊富だった。

 男の子と女の子を連れた若い夫婦が、山荘脇の平坦なところにレジャーシートを出してくつろぐ。アウトドアは慣れている様子で、夫はザックから簡易コンロを出すと湯を沸かす。こどもたちはリュックからカップラーメンを出して、湯が沸くまで、お菓子を頬張る。妻は、お握りを出して、広げた。
 山荘のメニューはどれも値段が高い。
 お金さえ出せば、軽装で登山が可能だが、わたしは眼前でくつろぐ家族のような楽しみ方を山中ではしてほしいと願う。
 山では水はいのちと同じ価値を持つ。コーヒーやお茶を飲むにも、カップラーメンの湯を沸かすにも水が必要だ。それを麓からせっせと運んできた者だけが得られる幸せを感じてほしいのだ。

6931.5/25/2013
丹沢山行...7

 10時13分。
 三本目を開始。ここからは大倉尾根の本領発揮。
 傾斜がとてもきつくなり、ほぼ景観はない。
 つまらない上り坂が延々と続いていく。
 赤土が雨で流れて、木の根がむき出しになっている。足を取られないように、慎重にまたいでいく。山中での捻挫や骨折は、登山の中止を意味している。足首や膝のけがにはとても気をつけなければいけない。
 見上げると、空に続く視界の果てまで左右に蛇行した上り坂が続く。
 大学時代は、この果てしない上りを見てため息をついたものだ。
 いまは、不思議と自分を苦しめる状況を楽しく感じていた。息は荒くなり、額や鼻の頭、あご先から汗が地面にポツン、ポツンと落ちる。それでも、足元だけを見つめて、一歩一歩足を出す。その繰り返しさえ停めなければ、山は裏切らない。
 30年の年月は、わたしに焦ることの意味のなさを教えてくれていた。焦って急いでも、決して成功は得られなかった。むしろ遠回りをするぐらいの余裕が、思いもよらない幸福を運んできた。
 だから、登山道の両脇でしゃがみこみ、息を整えているひとがいても、後ろから軽装で駆け上っていくひとに追い越されても、わたしはわたしのペースで歩けばいいと思えることができた。
 堀山の家という小さな小屋があった。
 甘酒やビールを売っている。
 疲れたからだには嬉しいサービスだが、わたしはまだ三本目を開始してから30分も歩いていなかったので通過した。
 むき出しの岩が増えてきた。
 雲が切れて、晴れ間が広がった。日差しが樹林を抜けて登山道にも降り注いだ。首や額をしたたる汗、荒い息、体温がどんどん上昇していく。

 ちょうど50分歩いて、戸沢分岐に到着し、休憩をとる。
 11時11分。
 四本目を開始。すでに標高は1000メートルを越えている。
 植生は背が低いものが主流になってきた。
 登山道の赤土の流出は激しく、階段や土留めがされていた。階段や土留めは、一定の幅で固定されている。それが歩きにくさを増した。歩幅と段差が合わないので、いつも同じ足で段を越えなければいけない。すると片方の足にばかり負担が生じる。たちまち腿の筋肉が悲鳴をあげる。なかにはふくらはぎがつってしまって、登山道脇で横になるひともいた。

6930.5/21/2013
丹沢山行...6


堀山の家。おしるこや甘酒がメニューにあった。


戸沢分岐で休憩。ひたすらの上り坂が続く。


花立山荘からの眺望。秦野や平塚、相模湾を望む。


花立山荘。「かき氷」の札が揺れている。