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6889.1/19/2013
桜宮高校体罰自殺事件..3

 桜宮高校の保護者説明会では、保護者からバスケットボール部以外での体罰の指摘があった。
「バレー部でも体罰があるそうだが、事実か」
 その指摘に対して、校長は体罰を否定した。
 しかし、その後のバレー部顧問からの聴取により、体罰の事実が明らかになった。
 保護者から指摘されるまで、バレー部の体罰を隠し、指摘されてもしらばっくれ、最後の最後に仕方なく認めた。

 バレー部の顧問は以前、体罰により処分を受けていた。
 その処分が明けて、ふたたびバレー部の顧問をやって、また体罰を繰り返していた。本人は何も反省していないという証明になる。
 桜宮高校にはほかにも体育会系のクラブがあるだろう。それらのクラブで体罰が横行している事実を、ひたすら隠しているかもしれない。部員や保護者に箝口令を出して、事実隠蔽に躍起になっているかもしれない。

 バスケットボール部の顧問は、自殺した生徒に一軍で活躍したいのなら体罰に耐えろ、それがいやなら二軍に行けという意味の発言をしていた。
 脅しではないか。
 スポーツ指導者が選手を鼓舞して伝える言葉ではない。完全なパワーハラスメントで、人格を疑われてもおかしくない。

 大阪市長は「自分もこどもには手をあげることがある。しかし、今回の場合、生徒が自殺している。遺族に寄り添った対応をしたい」とコメントした。大阪市長の家庭の実情などどうでもいい。大阪市長は大阪市立学校を設立している自治体の責任者として、事実の究明と再発の防止に全力を注ぐべきなのだ。
 大阪市長は、桜宮高校の実態を知らなかったらしい。どうも発言を聞いていると「対岸の火事」「他人事」に聞こえてしまう。当事者意識が感じられないのだ。市長は教育長を任命する権限があるので、今回の自殺はそれを制止できなかった教育長の責任へと発展する。体罰顧問、主管教諭、副校長、校長など末端の人間をいくら個人攻撃しても、再発防止へはつながらない。
 教育長が「知らなかった」「高校が事実を隠蔽した」と開き直ったら、市長や議会は、職責を放棄していたとして追及しなければいけない。

6888.1/15/2013
桜宮高校体罰自殺事件..2

 桜宮高校は1月9日に全校生徒の保護者を対象にした説明会を開催した。
 校長は体罰を認めた。そして、生徒の自殺を謝罪した。
 体罰をしたバスケットボール部顧問(47才)は、自宅謹慎中のため出席しなかった。自宅謹慎という行政処分はない。教育委員会が発した命令ではなく、校長の判断で出勤を止めているのだろう。そういう法律にないことをやってしまっていいのかどうか不明だ。
 それよりもなによりも、全校生徒の保護者に頭を下げるべきは、体罰を繰り返していた顧問本人ではないのか。
 生徒のからだとこころを傷つけておいて、頭を下げる場面からは逃げている。校長に自宅謹慎を命じられたことを理由にして、陳謝すべき場面に行かないのはこどもじみている。

 この顧問は、全国レベルのバスケットボール指導者も兼ねていた。
 指導の実力を認められていた。
 だから、メンバーへの体罰が正当化されていた。周辺のおとなが知らなかったわけがない。

「どうして、体罰を防げなかったのか」
 保護者説明会で質問が出た。
 この質問をどういう立場の保護者がしたのか。バスケットボール部に所属する生徒の保護者ではないだろう。
 多くのバスケットボール部の保護者は、体罰を知っていて、それでもチームが強くなるので容認していたはずだ。体罰を問題視して、顧問が他校に異動するようなことは避けたかっただろう。だから、バスケットボール部のなかから体罰を問題視する声を発することはタブーになっていたと想像する。
 それを知らない保護者からの質問だったとしたら、校長は真実を話すべきだ。
「体罰を認めてでも、バスケットボールの指導に定評があったので、指導を優先した」と。
「その結果、キャプテンが数十回も殴られた末に自殺するという最悪の結果を招いた」と。
「まさか、こんなことになるとは予想していなかった」とも。

 高校の運動系クラブが、軍隊の指導のような体罰を容認する。
 それは、日本独自の体育教育の流れが大きい。
 スポーツを「教育の場」にすり替えてしまい、競技の特徴以外の部分まで強調する。高校野球はその最たるものだ。試合前の集合と礼、グランドに入るときの礼、バッターボックスに入るときの礼、デッドボールを投げたピッチャーが謝ること、やたらと監督の采配が試合中に多いことなど、選手がまるで兵隊のようだ。

 桜宮高校バスケットボール部顧問と同じ立場のスポーツクラブ顧問は、全国にたくさんいて、同じようにきょうも体罰や罵声を繰り返していることだろう。

6887.1/14/2013
桜宮高校体罰自殺事件..1

 2012年12月23日、大阪市立桜宮高校2年男子が自殺した。
 制服のネクタイで首を吊って死んだ。
 24日に通夜があった。通夜に訪れたバスケットボール部の顧問に対して、母が言う。
「息子の顔を見てください。この顔は体罰の痕ですよね」
「そうです、わたしが体罰をしました」
 バスケットボール部の顧問はその場で体罰を認めた。
 通夜の棺桶のなかで、自殺した男子の頬は腫れて、唇は切れていた。
 男子は、バスケットボール部のキャプテンだった。
 試合や練習でミスをすると、顧問はメンバーやキャプテンをビンタした・体罰は日常化していた。それ以前に、顧問の体罰が問題になったとき、教育委員会の聴取を受けた顧問は体罰を否定した。嘘をついた。
 男子は、メンバーに対する体罰や自身への体罰に苦しんでいたという。
 桜宮高校のバスケットボール部は大阪府の大会で優勝するほど強かった。強いバスケットボール部を指導していたのが、体罰を繰り返していた顧問だった。

 よくある話だ。
 で、済ましていいのか。

 日本の公教育を担う中学と高校では、多くの場合、生徒は部活動に強制的に入る。
 諸外国では例を見ない。
 部活動のなかでも運動系の部は、学校を代表して多くの大会に出場する。結果が良好だと、学校の名前が売れる。選手たちも誇らしくなる。それを指導する教員の株が上がる。
 この体育会気質は、戦前の軍隊に構造が似ている。
 ゲームで勝利を収める選手たちは優秀な兵隊だ。監督や顧問は優秀な指揮官だ。
 選手たちの保護者は、指揮官の「やり方」にまで文句をはさむことはない。その指揮官のやり方が選手の力を向上させていると信じているからだ。
 しかし、暴力や恐怖による指導は、教育の一環とは言い難く、それは選手たちのこころをむしばんでしまう。
 また、中学や高校の教師のなかには、運動系の顧問をやりたがらないひとが多い。
 休日出勤が当たり前になり、プライベートな時間の確保は正月ぐらいしかないのだ。
 そういう学校に、「優秀な指揮官」が赴任したら、数年間もそのひとに任せておけばいいのだ。暴力顧問は、同僚らの暗黙の支えがあって、体罰を繰り返し続けられる。
 犠牲になっている生徒たちは、いまも全国に山ほどいるだろう。

6886.1/13/2013
レッツ..4

 2012年12月30日。
 年の暮れが押し迫ったとき、湘南レッツのHさんから電話があった。
 このひとから電話があると、たいがいは何かを頼まれる。
「ほら、いつも定例会で使っている食堂のトイレ、お前さんも知ってんだろ」
 その食堂は、鎌倉の常盤(ときわ)というところにある。以前、わたしたちは湘南に新しい公立学校を創り出す会のフリースクール「湘南小学校」を、その食堂の2階で開校していた。だから、とても縁がある食堂だ。
 もちろん、食堂のとなりにある駐車場の一角のトイレも知っている。
 鎌倉でも最近はめずらしくなった「汲み取り式」のトイレだ。いわゆる「ぼっとん」便所。
 トイレを覆うのは、鎌倉味噌という味噌屋が使っていた味噌樽だ。やや狭いので、和式トイレに座ると、からだが傾いてしまう。照明は小さな豆電球で、昼間でも薄暗い。鍵は昔ながらのL字型のつっかけなので、弾みで外れる可能性がある。
「あー、よく知ってるよ」
「こないだの定例会のときに、こどもが来ていただろ。あの子が使おうと思ったら、怖がっちゃってさ」
 そりゃ、そうだろうなぁ。
「そんでもって、この際だから、レッツのメンバーに大工さんがいるから、トイレをなおすことにしたのよ」
 湘南レッツには初期の頃から大工さんがいた。湘南小学校もずいぶん彼に手直ししていただいた。
 Hさんによると、和式トイレに洋式みたいに座れる部分を取り付けるという。さらに電気屋もメンバーにいるので照明を明るいものに交換する。ドアの鍵もきっちり頑丈なものを付け直すそうだ。
「そこでだ、お前さんに頼みっちゅうのは、ドアにつけるトイレでも便所でもいいから、看板みたいなものを作ってほしいわけよ」
 あしたは大晦日。こんな年末が押し迫ったときに頼みごととは。
「わかったよ、いつまでに作ればいいのかな」
「1月の定例会のときに新しいトイレのお披露目をするから、できればそれまでに頼みたい」
 1月の定例会は13日だ。
 どう考えても年末年始の休みのときに作業をしないとわたしには時間がない。
 そういうわけで、わたしは紅白歌合戦を見ながら、実業団駅伝を見ながら、箱根駅伝を見ながら、ずっと彫刻刀を手にして杉の板を彫ることになった。
 地域通貨運動は楽ではないのだ。

6885.1/12/2013
レッツ..3

 日本ではレッツを「地域通貨運動」と呼んだり「地域通貨」と呼んだりしている。
 すでに全国の多くの地域で流通している。
 アメリカで発祥した背景には、大規模小売業に対する地域小経済の抵抗というニュアンスがある。しかし、日本では地方自治体が率先して取り組んでいるところがあり、地域復興とか、地域再生という意味が付加されているところもある。
 藤沢や鎌倉を中心として展開する「湘南レッツ」は、地方自治体とは無縁だ。
 関係者は、こてこての民間人ばかりだ。
 わたしは湘南レッツ創設の頃に多少かかわったが、それ以降、数年間まったく足を運ばなかった。忙しさにかまけていた。
 それが2012年11月の定例会に久しぶりに参加して、多くの新しいメンバーに出会った。12月の定例会では、創設の頃に顔をあわせていた懐かしいメンバーにも再会できた。
 何よりも驚いたのは活動が多様化しつつあったことだ。
 当初は、畑を借りて無農薬野菜を作り、それを湘南券で売る。高齢の方が買い物などで不便があるときに、買い物を代行して湘南券を受け取る。そういうとてもローカルな活動をしていたのだ。
 久しぶりに参加した。
 畑は季節の野菜を大収穫するまでに「技・知見・土」などを育てあげ、八百屋も真っ青の生産をあげていた。
 教育班とやらは、家庭教師をしたり、養護施設に行って学習指導をしたり、書道を教えたりしていた。12月の定例会にはそこからこどもも参加していた。わたしはギターのピックを渡して、即席に演奏を手助けした。
 音楽班は、ギターとバイオリンなどを使って老人ホームに演奏会に参加している。レパートリーがとても古いので、わたしは懐かしくていいが、若いひとは「よく知っているなぁ」と感心した。
 湘南券は、何枚もっていても利息は生まれない。お金がお金を生むシステムは、金融という生産性のない見えない経済を作ってしまった。その反省から、レッツではどんなに湘南券をもっていても長者にはなれないのだ。つまり、使わなければ何の役にも立たないのがレッツなのだ。
 湘南レッツのひとたちはそれを「お互い様の仕組み」と呼んでいる。お一人様で引きこもっていては、湘南券は入手できないし、使うこともできない。  いま湘南レッツは顔のわかる100人メンバー確率へ向けて、大きな局面を迎えているという。100人のメンバーがいれば、そのなかで湘南券を流通することで、小経済が動くという考えだ。

6884.1/8/2013
レッツ..2

 日本中に藩と呼ばれる「小さな権力構造」が跋扈していた時代は終わった。
 いまは「日本国政府」という単一の権力構造が、日本列島に住むひとたちを支配している。
 支配階級は、普通選挙と呼ばれる一見「民主的な方法」で選ばれた議員と呼ばれるひとたちのなかから決まる。
 日本銀行券は、日本銀行が発行するが、よのなかにどれだけのお金を流通させるかは、政府が強く関与している。日本銀行の総裁に関する人事に政府が影響を与えているからだ。
 つまり、国政与党の意思で、このクニのお金の量や、どこに重点的に使うかが決められる仕組みなのだ。
 国政与党が「真に国民のために経済を発展させた」経験がない日本社会では、多くのひとが、政治家は自分と自分を支援する大企業や組織のために利益が得られるようにしているとわかっている。
 つまり日本銀行が発行する日本銀行券は、議員や議員に群がる大企業や組織の元に「吸い寄せられる」ようになっているのだ。
 自民党をぶっ壊せ。
 郵政民有化。
 痛みをわかちあう改革断行。
 威勢のいいことばかりを並べて、大衆迎合主義の権化となった小泉元首相と竹中教授は、ついに外国資本(おもにアメリカ資本)にまで、日本銀行券を流出させる仕組みを使った。規制緩和とは、日本国内で流通するように枠組みを決めていた日本銀行券を、どんどん外国へ流出できるように作り変えた仕組みだったのだ。
 トイザラス、コストコ、ウォールマート、ワールドベースボールクラシック、安くなった外車、マイクロソフト、アップル、フェイスブック、マクドナルド……。
 日本人が払う日本銀行券が、どんどん外国へ出て行く窓口企業はきりがなくなった。
 この「発展の果て」に何があるか。
 疲弊する地域経済が残る。
 夕方に親に駄賃をもらってコロッケをおやつ代わりに買いに行った近所の肉屋。親父が自転車の荷台にくくりつけた大きな木箱から豆腐や油揚げを売りに来た夕方の町。その日の分しか仕入れない頑固親父の魚屋。髭剃りからシャンプーまで料金のうちに入っている昔ながらの床屋。
 地域の商店や小売業が、値段の安さで太刀打ちできなくなり、廃業していくのだ。
 皮肉にも、そんな地域の再生を願って、地域住民が独自の通貨システムを運用したのは、アメリカが最初だった。
 大企業が小さな町に進出してきた。その店でものを買わない。昔から町にある店でものを買う。しかし、それでは値段が高い。そこで、その地域内でしか流通しない通貨を作った。
 これをローカル(地域)エクスチェンジ(交換・両替)トレーディング(貿易・取り引き)システム(仕組み)と呼ぶ。
 その頭文字をつなぎあわせるとLETSとなり、レッツと読めるのだ。

6883.1/7/2013
レッツ..1

 通貨というものは、世界的に金・銀・銅などそのものが価値のある金属を使っていた。ものやサービスと通貨を均一の価値として信頼し、交換する。
 目の前にあるワイン一本と銀貨2枚が「等しい価値」と信頼しあうから、交換できる。
「銀貨1枚に負けてくれよ」
「やだよ、本当は金貨1枚、ほしいくらいだ」
 こういうやり取りはあったとしても、最終的に気持ちの落としどころで合意する。
 貨幣経済の誕生だ。
 もちろん、それ以前の経済は物々交換が主流だった。物々交換も、なかみをよく調べると「等しい価値」で交換していたことがわかる。
 干した鮑と干した鮑の交換はしない。
「この干した鮑と、お前さんのもっている干した昆布3枚と交換しないか」
「バカ言っちゃいけない。昆布2枚とならいいよ」
「仕方ない、じゃぁ昆布2枚と交換だ」
 ここにも取り引きはある。
 これに対して、兌換(だかん)紙幣(しへい)という考え方が流通するようになったのはずっと近代になってからだ。
 紙切れが、金銀銅などの通貨と同じ価値をもつという考え方だ。
 いつも腰の皮袋にジャラジャラと通貨を持ち歩くのは大変なことだ。だから、紙幣が通貨の代わりになるという考え方でものともの、サービスなどを流通させるようになった。
 兌換というのは「交換が可能」という意味だ。
 日本の札をよく見てほしい。必ず「日本銀行券」と書いてある。
 日本銀行が責任をもって、これらを通貨と交換しますという意味だ。実際には、日本銀行からお金を借りている全国の金融機関の窓口で、わたしたちは「お札」を通貨や金に換えることができるのだ。
 江戸時代までの時代劇を思い出してほしい。
 小判は登場するが、紙幣は登場しない。
 日本経済で、紙幣が流通するようになるのは、ヨーロッパの文化を取り入れた19世紀後半以降なのだ。
 この「日本銀行券」が果たす役割はとても大きい。いまわたしたちは、紙幣をわざわざ通貨や金に交換しない。紙幣は紙幣のままで使っている。一万円札を出して、五千円札や千円札のお釣りをもらっても違和感はない。それだけ、日本銀行券を信用しているのだ。お札を作る原材料費は10円もかからないというのに。

6882.1/6/2013
想像する複雑系でいこう

「お前さんは、書字中毒だから、ちったぁ本を読め」

 15年以上前に同じ職場だったHさんに言われた。そのとき手にしたベネディクト・アンダーソンの「想像の共同体」とロスアラモス研究所の「複雑系」は、何度読んでも文字が頭に入ってこなかった。しかし、その後、2度の学校異動や職種変更などを通じて、2冊の本に書かれていたことが少しずつ見えてきた。

 2012年11月、数年ぶりに湘南レッツの定例会に参加した。
 知っているひとよりも、知らないひとのほうが多くなっていた。それだけレッツの活動が広がり続けている証だ。
 前日に床屋で丸刈りにしてわたしは登場した。以前のわたしを知るひとが「どうしたの、その頭」と驚く。「円覚寺で坊主をやってます」と挨拶。初対面のひとは信じてしまったかもしれない。喉、高清水の純米大吟醸。

 翌月の定例会兼忘年会にも参加した。
 やや前回とはメンバーが入れ替わっていた。
 風邪のひとが多いだろうと、早朝から味付け大根下ろしを作る。マスクをしていたTさんが「これ、うまい」と喜んでくれた。
 サッカー少年だったKくんと再会。レザーウェアーの製作をしていた。JさんとHさんが作品を着こなす。からだにぴったりの皮ジャン。「俺が着たら太った餃子だなぁ」と言ったらとなりでYさんがビールを吹き出していた。喉、八海山の純米吟醸。
 帰りにIくんと大船に行く。どうやって帰ったかを覚えていない。翌朝、選挙が終わっていた。

 レッツの考え方の根っこにあるのは、信頼だろう。
 顔と名前がわかり、気持ちが共有でき、行いを分け合える。顔も名前も知らん、気持ちが異なる、共同したくないひととは、信頼は築けない。しかし、いちいちそのことを確かめたり、念書にしたためたりすると、逆に信頼は崩れていく。だから、想像するのだ。
 一所にとどまらないで動き続けていく。その動きの中で物事を考え続けると、活動が生き生きとしてくる。ときにはしぼみ、ときには衝突もあろう。それでも動き続けると、あらかじめ予想なんてしてなかったのに、新たな出会い、懐かしい出会い、こころがふるえる体験が待っているのだ。

 日頃は別の時空間で生きながら、レッツという信頼の糸で結ばれたひとたちが動き続けている限り、湘南券はひとからひとへと渡っていく。ぜひ、想像する複雑系でいこう。

(この文章は湘南地域通貨運動「湘南レッツ」の会報70号[2012.12.29発行]に寄稿したものです)

6881.1/5/2013
books 2012

 かさなりステーションが選ぶ2012年のおすすめ。

★時代小説部門

「紀伊ノ変」(2012.10.30読了)佐伯泰英 双葉文庫 2011年4月 648円
 坂崎磐音シリーズ36作品目。

「10代将軍家治の老中として幕府内で絶大な権力を握る紀州出身の田沼意次と妾のおすな。暗殺した西の丸家基を擁立せんとした勢力を次々と放逐した。とくに佐々木道場に連なる磐音は惨殺することを命令していた。それを追う雹一派は京都で磐音たちの到着を待ち続けていた。田沼は紀州に対して藩内の水銀(丹)を幕府直轄の事業として取り上げる計画を推進しようとした。丹は紀州でも高野山と雑賀衆のみが産出の秘密を知る産業だった。しかし、高野山奥の院の光然はほかの忍び集団や和歌山藩にこれまで隠してきた丹生産を告白し、藩をあげて幕府に対抗するように願い出た。会議は紛糾し、高野山と雑賀衆は丹の独占を分配するように強制されていく。その過程で、時期藩主として誉れの高い岩千代を江戸に養子として差し出すか否かも検討された。紀州の将軍独占と、田沼の追放を狙っていた和歌山藩門閥派は、岩千代養子論で固まっていたが、磐音の指南で主張を一変させる。これにより、田沼にすり寄ろうとする江戸派は丹生産の和歌山藩預かりを受け入れ、幕府の独占を拒むことに賛成した。雹から和歌山に磐音の影が見えると告げられたおつねは和歌山藩内に密航し、光然と磐音を暗殺しようとした。磐音を影から見守る弥助と霧子の助けを得て、おつねは反対に絶命した」

 わたしが読むのはもちろん小説ばかりではない。
 社会的なノンフィクションも読むし、教育の専門書も読む。これらはいまの自分の生活や仕事に直結する本なので、読みながら学ぶことが多い。
 しかし、通勤の往復や就寝前の憩いの時間に軽く手に取り、物語の世界にどっぷり浸るには小説がおもしろい。
 だから、わたしはホラーとか残酷な物語は読まない。読んでいて気持ちが悪くなっては、逆に気持ちが落ち込んでしまう。
 活字の世界を通じて、頭の中に登場人物や風景、建物や乗り物を自分なりに造形していく。その映像的取り組みが好きなのだ。目にしているのは活字というインクのしみに過ぎないのに、小説家たちの技によって言葉が映像化されていくのだ。
 架空の登場人物に感情を移入する自分がいて、楽しい。
 2013年も、まだまだ借り続けている佐伯作品をしばらくは読むことになるだろう。

6880.1/4/2013
books 2012

 かさなりステーションが選ぶ2012年のおすすめ。

★現代史部門

「海賊と呼ばれた男」(2012.12.23読了)百田尚樹 講談社 2012年7月 1600円(上・下) way6877に紹介

★サスペンス部門

「北帰行」(2012.12.22読了) 佐々木譲 文春文庫 2012年9月 781円

「関口はロシアから来日したターニャをアテンドする個人の旅行代理業だった。成田空港から指定されたビルに行く。そこでいきなりターニャは暴力団西股組組長の西股を射殺し、部下に銃弾を食らわせた。西股はロシアからのダンサーを六本木で踊らせ、裏で売春を斡旋していた。その商品に手をつけた。オーナーでもある西股は遊びのつもりだったが、そのダンサーは代金を要求した。激怒した西股はダンサーを殴り殺した。ロシアマフィアは手打ちのために2000万円を要求したが、西股は断った。ダンサーの姉のターニャが組織から送り込まれて、西股を射殺した。関口は銃で脅されながら、ターニャの逃避行を助けることになる。もしもターニャから逃げたら、稚内にいる母と妹に危害が及ぶと脅された。西股の舎弟の藤倉は、ターニャと同行している関口にかつてロシアでアテンドを頼んだことがあった。そのため携帯電話で連絡をとって、ターニャを自分に売らないかと誘った。裏では稚内の関口の家族を脅すことも考えていた。新潟にロシアマフィアの基地があった。そこからロシアに定期航路や飛行機が出ていた。ターニャと関口は追っ手から逃げるために新潟に侵入する。しかし、そこでは藤倉と組織との手打ちによってターニャが売られようとしていた。そのとき稚内では藤倉の頼みを受けた札幌のやくざが送り込んだ若造が誤って関口の妹を殺していた。母から携帯電話で妹の死を知った関口は、藤倉への怒りを爆発させる。自分のことで関口の妹が死んだので、ターニャは責任を感じる。必ず稚内で妹を殺した犯人に自分が始末をつけるというターニャとともに関口は稚内へと向かう。そこには、藤倉と手を組んだ稚内のロシアマフィアがふたりを待ち受けていた」