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6819.8/24/2012
坂の下の関所・16章...348

 木曜日。暑い夏の日差しが遠慮なく照りつける。
 空気にじとっと暑い湿気がまとわりついていて、それが腕やおでこなどに吸着する。少し歩くと、その湿気が集まって汗になる。
 タオルで拭いても拭いても、次々と汗が流れる。
 前週から妻は実家に戻っている。いつも、お盆の時期は実家の長野の伊那に戻る。ことしは昨秋に義母が亡くなったので、新盆を兼ねてやや早めに帰省した。
 娘と父は、わたしの妹が住んでいる伊豆半島の松崎町へふたりで泊まりに出かけた。美術家志向のふたりは、途中の美術館などを廻りながら、よく旅をする。父は、わたしも妹も美術には興味を示さなかったので、孫娘を連れ出すことに喜びを見出している。
 息子は、中央線の武蔵境の会社まで連日出勤している。10時に入社、午後7時に退社。しかし、7時に退社できる日はほとんどなく、いつも中央線で東京まで出て、東京駅最終の東海道線下りに座って乗り、大船まで帰ってくる。
 というわけで、昼間の時間は、我が家はハッピーとホックという2匹の猫とわたししかいなくなった。
 早朝から洗濯機をまわし、昨晩洗っておいた洗濯物は物干しに出す。クイックルワイパーを使ってフローリングを掃除する。炊事の片づけをする。ゴミの日を確認して、きょうのゴミを出す。二つあるトイレの掃除をする。
 家事はなかなか忙しい。
 そして、晴れの日が続いているので、玄関前、庭、ウッドデッキの植物に水をやる。
 びっしょり汗をかくので、シャワーを浴びる。
 夏の休暇を取っているのに、ちっとも休暇を楽しんではいない。
 それでも、いつもは仕事をしている時間に、家事や自分のことをやっていられるというのは、かなりリッチな気分になる。
 ラジオ代わりにつけているテレビでは、高校野球を中継している。グランドの選手もすごいが、スタンドの応援団は、あの熱気にどうやって耐えているのだろう。28度設定のエアコンでも、汗をかいているわたしは罰が当たるのだろうか。
 午後3時ごろに、野田の湯を出て、関所に立ち寄った。
「暑いねぇ」
 それしか言葉が出ない。
「もう朝から3度もシャワーを浴びちゃったよ」
 若女将が首に巻いたタオルでおでこの汗を拭く。
 冷えたジョッキに生ビールをもらう。
「今度、築地に行くので、この段ボールにちょっと注文を書かせて」
 わたしは、定期的に築地魚市場に買い出しに行っている。8月の買い出しが近づいていた。

6818.8/11/2012
坂の下の関所・16章...347

 夏の銭湯は、噴き出した汗が乾くのに時間がかかる。団扇で何度も体を仰ぐ。髪の毛はバリカンで刈るほど短くしたので、ドライヤーをかけなくてもすぐに乾いてしまう。しかし、からだは次々と噴き出す汗があるので、そうはいかない。
 それでも、湿り気の多い湘南の風がべとっとからだにまとわりついていたので、風呂でそれらを汗といっしょに流すと、一瞬でも皮膚がサラサラになり、気持ちがいい。
 濡れたタオルを振り回しながら、野田の湯から関所に向かう。
「あー、喉が渇いたぁ。生をくださーい」
「はーい」
 わたしは、クーラーから冷えたビールジョッキを出して若女将に渡す。
 ビールジョッキは田中さんが自宅にあったものを持ち込んでいる。二つあるので一つを借用しているのだ。
「はい、どうぞ」
 冷たいビールがジョッキの壁にうっすらと汗をかかせる。唇をジョッキの淵にもっていき、こぼさないように、ごくごくと喉に流し込む。
「うー、うまい」
 この一瞬があるから、夏はやめられない。
 わたしは、奥に保管してもらっていた食堂の料理を取りに行く。自前の食器にそれらを盛りつける。きょうは初挑戦の生パスタだ。ソースは冷蔵庫にあったミートソース。
「はい、どうぞ」
 若女将に試食してもらう。
 表情が暗くなる。眉間にしわが寄る。
「センセー、これは食感が粉っぽくて、あごが疲れそう」
 あちゃー。確かに自宅で試食したとき、似たような感想をもった。それでもこれが生パスタかなぁと思ったのは勘違いだったかもしれない。
「生パスタっていうのがどういうのかわからないから、何とも言えないんだけど、これは売り物にはならないね」
「そっかぁ、どこが悪かったのかなぁ」
「これなら、乾麺で十分なんだけど。わたしは厳しいからね」
「いいんです、遠慮しないでください」
 その後も、自宅で何度か生パスタに挑戦した。粉っぽかったのは、伸ばし方が弱くて厚かったことが原因だった。薄く伸ばしたら、厚さが消えて、粉っぽさは消えた。ところが、薄く伸ばした生地を包丁で日本そばみたいに切ると、切り口からグルテンが出て、となりの麺とくっついてしまう。仕方がないから、どんどん沸騰した湯でゆでた。しかし、この方法だと、最初にゆでた麺と最後にゆでた麺とで時間差ができてしまう。
「これ、コシがないっすね」
 日本酒の会という仲間の飲み会で提供した。パスタが好きな若者の感想だった。そうなのだ、ゆで過ぎているから、コシがなくなっていく。
「俺、焼うどんかと思った」
 日本酒大好きの仲間にしてみれば、ちょうどいい肴になったようだった。

6817.8/21/2012
坂の下の関所・16章...346

 「冷たいごまだれ極ほそうどん」はつけ麺だった。
 このごまだれがとてもうまかった。うどんは、おなじみのこしのあるつやつや麺。ここの麺は小売をしている。飲食しないで麺だけを買いに来る客も多い。
 以前、日本酒の会を仲間としたとき、ここのふと麺を買って行き、最後に一口うどんを出したら、とても喜ばれた。
 食後は、仲通をひと歩きして大船駅ビルルミネの本屋で立ち読み。3時近くなったのを確認して、山崎に戻る。
 平日から、時間がゆっくりと流れている。
 夏の贅沢だ。
 銭湯「野田の湯」。入口の靴箱。75番をいつも使う。何だか縁起がよさそうだ。ときどきひとに使われている。そういうときは73番か77番にする。きょうは75番が空いていた。トランプよりも大きな75と焼印された木札をカバンに入れる。
「こんにちは」
「はい、こんにちは」
 ご主人の戸田さんがにっこりと笑う。450円を渡して、ロッカーの鍵を受け取る。
 3時開店の銭湯は、なぜか2時45分には客が入っている。シャッターの前でお客さんを待たせるのが忍びないという戸田さんの気持ちで、いつもよりも15分早く開店している。
 だから、3時に行くと、すでに洗い場では全身に石鹸の泡をまとったご老人が何人もいる。
 わたしは湯船を背中にした洗い場でかけ湯をする。正面の鏡に、背中側で入浴しているひとが映っていた。鏡の中のわたしを見て、細い目をさらに細めて笑っている。
 泥ちゃんだ。
 泥橋さん。にんにくを生で食べる超人。辛いものが大好きで、液体のタバスコを瓶のまま飲んでしまう。ことし定年だが、厳しい会社の命令でことしの最初は3ヶ月間の地方出向に耐えた。
 わたしは、振り返って、泥ちゃんに挨拶をする。
「やぁ、センセー、ご機嫌よう」
 こういうパブリックなところで、職業名を言うなっちゅうの。入浴しているひとや、洗体しているひとが、ほら、こっちを見るんだ。
「ずい分、ご機嫌なのは、そっちじゃないの。水曜から銭湯ですか」
 ご機嫌ようって、上品な方々がお別れのときに言う挨拶じゃなかったっけ。
 うーん、泥ちゃんの方角から、強烈なニンニク臭が漂ってきた。
「夏は仕事はお休みなの、いいのいいの」
「泥ちゃん、またにんにく、生で食ったでしょ」
 わたしの非難の目など、泥橋さんはまったく気にしていない。

6816.8/19/2012
坂の下の関所・16章...345

 水曜日は朝から曇っていた。
 わたしは、ことしの夏の課題作品である生パスタに挑戦した。初めて作るので、インターネットでレシピを5種類ぐらい取り寄せた。小麦粉を生卵だけで練るというのが新鮮だった。餃子の皮を作る要領だが、きっと微妙に違うのだろう。
 とりあえずこんなものかという麺を作って、ミートソースをあえた。
 火曜日に買ったビーサンとパスタ料理を持って関所に行く。
「こんにちは」
「いらっしゃい。暑いねぇ」
 若女将のおでこには汗が噴き出している。まだお昼前の時間だ。
「前に頼まれていたビーサン買って来たよ」
 わたしは、げんべいの包みを渡す。なかからレシートを出した若女将がレジから代金を払おうとする。
「これから大船に行ってくるから、帰りでいいや」
 代金は後で受け取ることにした。どうせ、そのほとんどが関所のビールや日本酒に消えるのだ。
「それから、これ」
 わたしは、パスタ料理の入ったタッパーを渡す。
「なに」
「生パスタを作って、ミートソースをあえたの。初めてだから、どうなのかなぁ」
「じゃぁ、冷蔵しておくね」
 料理を置いて、わたしは大船に向かう。
 大船仲通商店街。わたしがもっとも好きな商店街だ。とくに何かを買うわけではなくても、いつもひとが多くて元気がわいてくる。魚や野菜、果物が安くて新鮮なのだ。
 最近は、ドラッグストアとパチンコが大きな区画を独占するようになったが、まだまだ中心地を離れると昔からの小売店が頑張っている。
 昼時だったので、仲通商店街の入口にあるうどん屋に入る。
「運ど運や」
 暖簾に書いてある。ウンの間にドがあるから、ウドンなのだ。
 ドアをくぐったら、客がみんなわたしの方を見ていた。しかし微妙に視線が上を向いている。ドアの上にテレビがあって、そこでオリンピックを放送していたのだ。
 わたしはメニューのなかから、季節限定の「冷たいごまだれ極ほそうどん」を頼んだ。

6815.8/18/2012
坂の下の関所・16章...344

 葉山には小学校が4校ある。長柄小学校、葉山小学校、一色小学校、上山口小学校。中学校は2校だ。南郷中学校、葉山中学校。私立学校と高校はない。
 南郷中学校はすべて長柄小学校の卒業生だ。
 葉山中学校は、ほかの3つの小学校の卒業生が進学する。
 だから、長柄小学校に入学したこどもは南郷中学校を卒業するまでの9年間、同じメンバーと過ごすことになる。だいたいクラスは2クラスが標準なので、クラス替えがあっても、9年も経過すればどのこどもとも一度は同じクラスになったことがある関係になる。
 人間関係がとても濃くなる。
 だから、仲間外れやいじめが起こると修復や改善にとても時間がかかる。相手を意識しないという環境が作れないので、ぎくしゃくした日常を過ごさなければいけない。わたしが赴任したとき、先輩たちから「授業なんて何年もやれば次第にうまくなる。でもこどもの関係を良好に保つ技術は、いまから全力じゃなきゃだめだ」と何度も言われた。
 放課後には、こどもの様子を何度も質問された。
「休み時間に見ていたんだけど、あのこどもはだれにも相手にされていないよ」
「給食のときに教室を見たんだけど、わざとあのこどもだけおかずの量を減らされていないかなぁ」
 チェックはとても細かい。わたしがまったく気づいていないことが多く、指摘を受けて、翌日には対応した。
 長柄交差点から逗葉(ずよう)新道方面は曲がる。右手の丘陵地に長柄小学校がある。
 わたしが教員になって最初の5年間を過ごした学校だ。山頂を切り開いて学校を建設したので、山頂には学校しかない。地震のときの津波による被害から住民が避難してくる場所だ。
 道路から100段以上の階段が校門まで続いている。大学卒業当初、運転免許を持っていなかったわたしは、その階段を毎日昇り降りした。あのときの階段は、いまも同じように急傾斜地にまっすぐ伸びていた。
 小学校入口を通り越して、すぐ「げんべい・長柄店」を発見した。
 若女将のサイズは22.5。あらためてビーサンのサイズを見たら、22とか23はあるけど、その中間のサイズはない。仕方がないから両方買うことにした。以前はわらじも売っていた。室内ではくにはちょうどいい。しかし、新しいげんべいにはなかった。かつての元町げんべいにあった作業着や軍手などもなかった。代替わりをして、営業方針を転換したのだろう。
 わたしは自分用のビーサンとシャツを買った。
 せみしぐれの長柄の杜を背にしながら、逗子までの道のりを汗をふきながら歩くことにした。

6814.8/17/2012
坂の下の関所・16章...343

 関所で、げんべいの話が出たことがあった。
「えー、わたしにも買ってきてよ」
 そのときに、若女将から注文をもらったのだ。ふだんは、なかなか葉山に行くことはない。人間ドックで横浜に出ることが決まったとき、午後はそのまま横須賀線で葉山に行こうと決めた。
 逗子駅から海回りの京浜急行バスに乗る。若いカップルでいっぱいだ。バックにはタオルやしぼんだ浮き輪が入っている。若いカップルって、どうして男性よりも女性の方が目立つのだろう。日焼け止めでしっかり肌を守っているからか、男性よりも肌理も細かく見える。それに対して、青っ白い男性のすねや二の腕には、パワーが感じられない。
 ま、どうでもいいか。
 一人席に座り、窓外に目をやる。バスは駅前ロータリーを出発して京浜急行逗子駅を通過する。田越橋を右折する。右手に田越川を見ながら、渚橋へ向かう。渚橋の交差点は鎌倉方面からの国道134号線と交差する。地元では「海岸道路」で通っている。夏は渋滞のメッカだ。国道と市道では信号の時間が違う。国道が優先されるので、バスはなかなか交差点を通過できない。久しぶりの風景を楽しむわたしにはちょうどいい。
 田越川河口でこどもたちといかだを作ったなぁ。サーフィンの練習をしたなぁ。逗子の砂浜で夜遅くまで宴会をしたっけ。キャンプをしてこどもたちと朝日を見たよなぁ。
 バスは交差点を通過して、葉山に入る。海回りの出発点だ。
 右手に海が広がる。鎧摺(あぶずり)港。左には、大正時代から続く日影茶屋。日影茶屋は和食割烹だが、港の突端にある「ラ・マーレ・チャヤ」は正統的なフランス料理だ。初任給をもらったとき、両親と妹をラ・マーレに招待したことを思い出す。ワインが好きで、がばがば高いワインを飲んでいた母は、いまはもう天国だ。
 葉山マリーナを右に見ながら、バスはすれ違うのやっとという細い道に入っていく。こういうところを毎日運転するバスドライバーは、神経が擦り減ってしまいそうだ。
「次は、元町」
 アナウンスを聞いて、降車のボタンを押す。
 バスはクーラーが効いていたが、外に出たらアブラゼミの鳴き声とムンとする暑さが全身を包んだ。
 見慣れた風景だった。しかし、どこかが違う。
「あれ、シャッターが閉まっている」
 そうなのだ。げんべいのシャッターが閉まっていた。定休日はきのうだったのに、なぜ。せっかくここまで来て、わたしは愕然とした。
 とぼとぼ店先まで行く。しまったシャッターに張り紙がしてあったのだ。
「本店移転のお知らせ」
 げんべいは、店舗を別の場所に移していた。しかも2店舗もオープンしている。長柄(ながえ)店と一色(いっしき)店。長柄店は、山回りを逗子に戻る。一色店は御用邸近くだ。しばらくバスは来そうにない。
 わたしは、かつて過ごした長柄地域をぶらぶらしながら、長柄店を目指した。歩くほどに、頭のてっぺんから汗が額や耳、首筋に流れ落ちた。

6813.8/16/2012
坂の下の関所・16章...342

 葉山の夏は、5月の連休明けから始まる。梅雨もあるが、海からの湿った重たい風が一日中吹きつける。ぬるいサウナに入り続けているような感じだ。外出時には帽子は必需品だった。
 長ズボンは汗がくっついて歩きにくい。襟のある上着は、首回りの汗がべっとりついて、毎日洗濯しなくてはならなかった。
 そんなとき、地元のひとたちが生活雑貨を買う店を紹介してくれた。
 それが、げんべいだった。
 海回りにある雑貨屋だった。
 麦わら帽子、地下足袋、軍手、ビーチサンダル、Tシャツ、作業ズボン、虫取り網、虫籠、浮き輪、家庭用のプール、下着など。
 オリジナルブランドを作っていて、どの製品にも「げ」の文字がプリントされていた。ビーチサンダルは、すべて生ゴムを使用している。生ゴムは、ゴムの木から抽出した樹液のみを使う。石油精製品を混ぜない。だから、長く使っていると、どんどん足の形に変形していく。親指の付け根やかかとなどがどんどんへこんでしまう。やがて1ミリぐらいになると、ある日、穴があいて寿命が尽きる。あくまでも全部生ゴムなので、捨てるときは「燃やすごみ」でいい。
 わたしが藤沢に異動になって数年が経ち、げんべいは経営者が代替わりをした。その方が経営者として優秀だったのか、「げ」マークの製品を大きなデパートにどんどん売り込んだ。
 それまで、げんべいの製品を買うには不便な葉山にまで行かなければならなかった。それが、横浜や藤沢で買えるようになった。「げ」マークのシャツを着るおとなやこどもが藤沢でも見られるようになって、驚いた。
 ビーサンは、デザインを一般に募集して、優秀なデザインを商品として販売した。これがヒットして、げんべいのビーサンが有名になった。サッカーチームのロゴ、野球チームのマーク、映画のキャラクターデザインなど、次々と付加価値をつけたビーサンが販売された。
 わたしは、昔ながらの無地のビーサンが好みだ。いつも買いに行くと、いっぺんに3つぐらいは買ってしまう。ふだん使い、車の運転用、職場でのくつろぎ用など、生活場面に配置している。

6812.8/15/2012
坂の下の関所・16章...341

 桜木町駅から横浜に出る。横須賀線に乗って、久しぶりの逗子駅で降りた。
 関所の若女将に、「げんべい」のビーサンを頼まれていたのだ。
 自分用のビーサンもそろそろ買い足さないと、薄くなっていたので、ちょうどよかった。
 わたしは、教職に就いて、最初に葉山町に赴任した。鎌倉で生まれ育ったのに、それまで葉山に行ったことは一度もなかった。それぐらい縁のない場所だった。だから、どうやって行くのかさえわからなかった。小さな町で、電車が通っていないのが驚きだった。公共交通機関はバスしかない。道路が空いていれば南北の道路を15分ぐらい走れば、葉山の端から端まで通り抜けてしまう。東西方向は細くなっていて、丘陵地だ。ほとんどが市街化調整区域で、奥深い山が残っている。御用邸があるので、むやみな土地開発は禁止されていると聞いた。
 南北方向に長い葉山は、西側が海に面している。
 逗子市との境に田越川(たごえがわ)が流れている。
 北部の逗子市との境にかかる渚橋から、海回りと呼ばれる道路が海岸沿いに御用邸まで続く。反対に、逗子駅から葉山の東側に連なる丘陵地を縦貫する山回りと呼ばれる道路が、やはり御用邸まで続いている。
 海回りと山回りの二つの道路に挟まれている地域に、住宅地がある。
 海岸沿いは、漁港とマリーナがあり、観光客が多く集まる。鎌倉や逗子と違って、ほとんど砂浜はない。岩礁地帯が続いているのだ。やどかりやカニ、小さな魚やたこなどを見つけることができる。
 山回りには役場や消防署があって、地元で働くひとたちが集中している。飲食店も山回りに多い。
 わたしは、大学を卒業した22歳から5年間を葉山で過ごした。住んでいたのは鎌倉だった。毎日、葉山まで通った。そのうち何日かは、酔っ払って電車がなくなり、葉山の同僚の家にお世話になった。いまのように学校が赤外線防犯システムを導入する前の時代だったので、鍵を開けて校舎に入り、保健室のベッドで寝たこともある。
 のんびりした時代だった。
 独身の一人暮らしを案じて、保護者の多くが「きょううちで夕飯を食べなさい」と招いてくれた。そのまま宴会になり、そこで宿泊。翌朝、こどもといっしょに登校した。
 いま、そんなことをしたら教育委員会に訴えるひとがいるだろうなぁ。

6811.8/14/2012
坂の下の関所・16章...340

 朝から口に何も入れていない。
 バリウム検査が終わって、ソファ近くの飲料機械の前に立つ。
 どれも無料だ。ついつい貧乏性の癖が出て、飲まなきゃ損と思ってしまう。
 まずはあたたかいオニオンスープ。ゆっくり喉や食道を潤した。次は冷たいレモンジュース。最後はあたたかい緑茶。3杯も飲んでしまった。
 最後にオプション検査の骨密度を測る。右足のくるぶしにゼリーを塗る。検査する機器にくるぶしを入れると両端からパッドが近づいてきてくるぶしを固定した。それだけで、検査は終了。
 これ一回で3150円かぁ。
 検査はもうかるわけだ。

 内科医から所見を聞く。
 机上のモニターには、肺レントゲン写真、エコー写真、胃レントゲン写真が並んでいる。書類には血液検査、尿検査の結果が記入されている。
「どれも問題ありませんね。ただし適正体重より10キロも多いので、肥満です。痩せましょう」
 そんなこと、言われなくたってわかっている。

 会計を済ませる。
 1000円の食事券をもらう。
 ランドマーク、周辺のビル、中華街など、いくつかの飲食店で使えるようになっている。ただし、当日限りだ。
 朝食を抜いて、バリウムしか口にしていない。空腹だけど、胃に存在感がある。
 わたしは、ランドマークプラザ5階の「やまと」という豚肉創作料理の店に行った。
 窓際で、景色のいい席に座り、一番絞りの生ビール。至福。
 日替わり定食は、冷たいたぬきうどんとヒレカツのセットだった。
 夏休み中とは言え、働いているひとはたくさんいる。そういうひとを窓から見下ろして見つける。
 おーい、俺は人間ドックで仕事は休みだよー。昼から生ビールだよー。
 こころのなかで、自慢する。
 1000円の食事券を有意義に使って、わたしはランドマークをあとにした。

6810.8/13/2012
坂の下の関所・16章...339

 ゼリーをふいて、再びソファに戻る。
 そこからは、学校の健康診断項目が並ぶ。
 身長、体重、握力、肺活量。
「おなかを引っ込めないで」
 そう言われてもついつい無駄な息を吐き出してしまう腹囲計測。
 心電図、視力、聴力、眼底、眼圧。
 待ち時間がほとんどないので、どんどん検査が進んでいく。
 レントゲン撮影が終わった。
「胃の活動を抑える薬を注射します」
 胃部レントゲン検査。いわゆるバリウム検査の前に、左肩に筋肉注射を受ける。これがかなり痛い。筋肉に薬液がじわーっと広がっていくように、注射の後に自分でもまなければいけない。
 あの注射液は、胃だけの働きを抑えるのではない。見え方がぼやけたり、動きが緩慢になったりするので、全身的な作用があるのだろう。
 バリウム検査。
「まず、この白い粒粒を口に含んで水で一気に飲み干してください」
 その粒は炭酸の粒だ。長く口に含むと泡になってしまう。水といっしょにごくん。あごを引いてげっぷが出ないようにする。
 何度か、検査中にげっぷをして、やり直した経験がある。
 ロボットのようなベッドに背中を当てる。ベッドは垂直に立っている。大きな紙コップに半分以上、バリウムの白い液体が入っている。
「ゆっくり飲みましょう」
 窓の向こうから技師が指示をする。
 バリウムが食道を伝わる様子を撮影しているのだ。
「では、台が動きます。両端の手すりをしっかりつかんでください」
 垂直だったベッドがゆっくりと後方に倒れていく。地面と水平よりもさらに足がやや上がるぐらいまで倒れて止まる。
「手すりをぐっとつかんで。はい、がまん」
 たぶん、バリウムが胃のなかから出ていかないように上部に寄せているのだろう。しかし、この姿勢は腕力の弱いひとには辛いはずだ。
「右に一回転」
「左にちょっと腰をあげて、はいそこで息を止める」
「うつ伏せになって右腰をちょっとあげます」
 先端医療検査なのだろうが、この検査だけはなんだかとてもアナログな感じがする。