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6809.8/12/2012
坂の下の関所・16章...338

 紙コップに尿を採って、所定の場所に置いてきた。
 次は、採血だった。
「どちらの腕にしますか」
 わたしは、利き手と反対の左腕を出した。
「ちくんとしますよ」
 畳針のような太い尖った針が肘の内側に刺さる。わたしは、痛いことを承知でいつもあの瞬間を見てしまう。サディストの気質があるのだろうか。
 どぼどぼと、あまり勢いがいいとは言えない血液が小さな菅に溜まっていく。

 鮮血というよりも、なんだか紫に近いなぁ。
 きのうのワインが赤だったからかなぁ。

 ぼんやりと考える。看護師は菅に血液が溜まるたびに空の菅と交換する。3本の菅に血液が溜まった。
 血液は、からだの情報がたくさん詰まっている。オプション検査の情報源はほとんどが血液だ。癌にかかっているのもわかるというからすごい。コレストロールや中性脂肪も一目瞭然らしい。γ-gtpもわかっちゃう。
 針を抜いた後に、小さなガーゼをあてて、テープで留めた。
 ソファに戻ると、エコー検査が待っていた。
 超音波(エコー)検査は、内臓の様子が映像としてわかる。超音波を利用しているので副作用はない。
 パンツを腰骨まで下げる。上着を鳩尾まで上げる。技師の女性がおなかにゼリーを塗る。エコーで使う機器の滑りをよくするためだ。
「あれ、痣がありますね」
 おへその横に数日前にソフトボールの試合でボールをおなかで受けたときの痣だ。事情を説明した。
「痛かったら言ってくださいね」
 もう痛みのある時期は通り越していた。しかし、最近、痛みはなくなっていても、傷痕の治りが遅くなった。年を重ねるとはこういうことなのだ。
 胃や肝臓、すい臓や胆嚢、腎臓をエコーで調べる。そのたびに、ボールのようになっている機器がグルグルとおなかの上をスライドする。痛くもかゆくもない。それでも、からだには超音波が当てられている。
 医療機器の発達はすごい。

6808.8/11/2012
坂の下の関所・16章...337

 8時近くなったら、扉が開いた。
 わたしはアムスに来て、初めてよのなかには人間ドックのような検査専門の病院があるんだということを知った。検査専門だから、治療はしない。医師よりも、看護師や技師が多い。検査の最後に所見を言う内科医は、たいていほかの病院に勤務していて、日替わりでアムスに詰めている。
 アルバイトなのだろうか。
 名前を記入して室内履きに履きかえる。
 持参した事前の質問用紙、便検査、利用券を提出する。保険証で本人確認がされた後、ロッカールームの鍵を預かる。
 これが、治療を行う一般的な病院での人間ドックだと、急患や予約していた患者が優先になるので、一連の流れが途切れ途切れになってしまう。
「骨密度の検査が、保険組合さんからの補助で受けられますけど、どうしますか」
 受付の女性が説明してくれる。オプション検査というやつだ。
 基本的な検査で十分なのだが、オプション検査をするとさらに細かい情報を得ることができる。ただし、それぞれのオプションが有料なので、わたしは1年おきぐらいにしか、オプションをつけていない。
「おいくらですか」
 こういうことは遠慮なく聞く。
「3000円の補助が出るので、お支払い分は150円です」
 骨密度検査は3150円なのか。というか、150円って消費税分かなぁ。
「だったら、お願いします」
 オプション追加用紙に必要事項を記入して提出した。
 ロッカーで、検査着に着替えた。パンツだけを残して、あとはロッカーにしまう。上下スウェットのような検査着だ。
 大きな窓からみなとみらいの風景が見える。大観覧車の時計が8時半をさしている。大きなソファに座り、持参した本を広げた。
 ほどなく、名前を呼ばれた。
 最初の検査は採尿だ。
「この容器の2つ目のラインまで尿を入れてください。できれば、中間尿をお願いできます。できそうですか」
 かわいい顔の若そうな看護師さん。そんなこと、言われても、膀胱に聞かないとわかりません。わたしは答えに窮した。
「無理そうなら、最初からでもかまいませんよ」
 最初にそう言ってください。

6807.8/10/2012
坂の下の関所・16章...336

 火曜日。
 年に一度の人間ドック。わたしは40歳を過ぎた頃から、健康診断ではなくて、人間ドックを受診するようにしている。
 健康診断ならば、費用は無料、時間も短い。しかし、検査項目が少ないので、大きな病気を見逃しやすい。
 母や祖父など、身近なひとの死が、人間ドックを受けて、自分のからだの声を聞かなければと思った動機かもしれない。
 いつも、横浜ランドマークタワーのなかにある人間ドック専門病院「アムス」に通っている。厳密に言うと、去年だけ違った。去年は、神奈川県の職員になって25年が経過した「ご褒美」で県から脳ドック無料券をもらっていたのだ。残念ながら、アムスには脳ドック検査ができる機械がなかったので、ホテル「インターコンチネンタル」近くにある「けいゆう病院」で受診した。
 ことしは、もう無料券はくれなかった。いままで通り、アムスを予約した。
 8時までに行くシフトに入った。
 大船を6時半の京浜東北線に乗る。
 前日の夕方まで、関所で飲んでいた。一応、血中アルコール濃度に気をつけて、無添加のアルプスワイン赤を炭酸で割って飲んだ。しかもグラスに氷を入れて、さらに薄めた。これがジュースのように飲み心地がいいので、ストレートで飲むよりも量が進んでしまう。
 人間ドックの血液検査に影響がなければいいなぁと、自分勝手に心配する。

 じゃぁ、飲まなきゃいいじゃん。

 そうもいかないところが、人生の難しいところだ。
 7時過ぎの桜木町は、これから出勤するひとたちであふれていた。みなさん黙々と動く歩道に身を任せて、ランドマークタワー方面に吸い込まれていく。こういう近未来的な町で仕事をする。
 ちょっと憧れてしまうなぁ。
 でも、どこもかしこもアスファルトばかりで、やや息苦しい。
 エレベーターで、アムスのあるフロアまで上がる。扉の前に7時半に着いた。一番乗りだ。バックから小説を出して、立ち読みを開始した。

6806.8/9/2012
坂の下の関所・16章...335

2012年夏は、イギリスでロンドンオリンピックが開催された。

 田中さんが甚平を着て入ってきた。
 手にはタッパーが二つ握られている。
「あれ、お早いお着きで」
「きょうは、ちょっと早めに仕事から上がってきました」
 わたしは、8月上旬。こどものいない学校に勤務して、帰って来たところだ。
 道を歩くだけで、湘南地方はサウナ状態。汗がひかないまま坂の下の関所の自動ドアをくぐっていた。手には、凍ったグラスに生ビールが注がれている。
「これ、こないだの胡瓜。三日目ぐらいかな。こっちは今朝つけたばかりで、れいの昆布茶をまぶしたやつ。よかったら、先にやっていて」
「ありがとうございます」
 田中さんは、横浜に畑を借りている。いつの時期も野菜を絶やさないで、糠漬けを作る。関所に集まるひとたちの酒の肴として定番になった。わたしは、もともとあまり漬物は食べない。しかし、田中さんの胡瓜丸ごとサイズの糠漬けを食べたら癖になった。
 ことしの人間ドックは血液中の塩分濃度が上がっているかもしれない。
「きょうは何分で出てくるかな」
 銭湯に向かう田中さんの背中に若女将が声をかける。それぐらい田中さんの入浴時間は早い。
 わたしは陶器の皿を出して、胡瓜をいただく。
 がぶっ。
 糠の酸味と胡瓜の味が口のなかに広がっていく。
 もぐもぐ、思わず食べてしまうサイズなのだ。
「センセーは、いつまで仕事なの」
 若女将が尋ねる。
「あしたまででーす」
 こどもたちは、7月下旬から夏休みだが、教職員の夏休みは法定の5日間しかない。毎年、それに有給を組み合わせて、8月の大半を休みにしている。
 暑い中、仕事をしているひとたちには、とても申し訳ないのだが、そういう権利が認められているので、決してずるをしているわけではありません。

 日曜日からは、食堂をオープンするぞぉ。

6805.8/8/2012
脇道ロンドンオリンピック...5

 マラソン女子が行われた。
 ロンドン市内のバッキンガム宮殿前の「マル」を発着点に、五輪では初めての周回コースで行われ、エチオピアのティキ・ゲラナが五輪記録となる2時間23分7秒で優勝した。2位はケニアのプリスカ・ジェプトゥー、3位はロシアのペトロワ。日本勢は、木崎良子(ダイハツ)が2時間27分16秒で16位、尾崎好美(第一生命)が2時間27分43秒で19位。重友梨佐(天満屋)は2時間40分6秒で79位に終わった。

 テレビ放送を見ていた。
 日本のマラソンや駅伝ではおなじみの先導する白バイがいなかった。いつも「選手は排気ガスを浴びながら苦しくないかな」と思っていたので、なかなか健康的な画面だった。

 コースの道幅が極端に狭かった。こどもが数人で追いかけっこをするような路地がマラソンのコースになっていた。あれでは、追い越そうと思ったときに、前の選手の横をすり抜ける余裕がないのではないかと感じた。

 途中、石畳の路面があった。アスファルトがいいというわけではないが、石畳は凹凸があるので、つまずく危険はなかったのだろうか。

 大雨が降っていた。途中は止むこともあったが、スタート前、レース中も、水しぶきが画面でわかるほどの強い雨脚だった。選手たちの靴は、走るたびに「グショ」「グショ」っと水を含んでいたのではないか。

 中間地点をトップで通過した、イタリアのValeria Straneoさん。かなり陽気なひとのようだ。道幅が狭いので応援の見物人が選手の間近まで迫っていた。途中、彼女は何度か知り合いを見つけると、まるでジョギング中のような気さくさで手を降り、笑顔を見せていた。日本選手のような追い詰められた悲壮感は感じなかった。

6804.8/6/2012
脇道ロンドンオリンピック...4

 イギリスは、イングランド・スコットランド・ウェールズ・北アイルランドの4つの地方から成る。
 しかし、イギリス人にとっては、それは地方ではなく「4つの国」だ。
 だから、それぞれの地方には「国旗」「国歌」がある。言葉も微妙に異なっている。

 それはグレートブリテン島をだれがいつどうやって支配してきたのかという歴史と大きく関係している。
 簡単に言うと、イングランドを除く3つの王国があったところに大陸からイングランド人が渡ってきて、大半を征服してしまった。イギリスの正式名称の最後は「連合王国」なのだ。

 ブリティッシュという言い方で、イギリスを表す。
 これは「ブリテン島に住むひと」という意味だ。
 これに対して、イングリッシュと言うと「イングラン人」になる。スコットランドやウェールズの人は除外されてしまう。
 サッカーワールドカップでは、サッカー協会が代表チームを送ることになっている。サッカー発祥の地であるイギリスには、4つの地方にそれぞれのサッカー協会がある。その上部団体はない。つまり、それぞれのサッカー協会が独立しているのだ。だから、サッカーワールドカップには、イングランドチーム、スコットランドチーム、ウェールズチーム、北アイルランドチームが出場する。
 しかし、オリンピックは「1国1チーム」が原則。だから、ロンドンオリンピックのイギリスチームは、4つの地方から選手を寄せ集める必要があった。
 そもそもそういうチーム作りに協力的ではないので、チームワークがいいはずがない。
 結果的に、ほとんどがイングランドからで、残りがスコットランド。ウェールズと北アイルランドからは選手は選ばれていない。

 スコットランドでは、2年後にイギリスからの独立の可否を問う国民(住民)投票の実施が決まっている。
 イギリスの首都、ロンドンはイングランドの中心的な都市だ。
「ロンドンでのオリンピックは3回目だって。イギリスにはほかにも大都市はたくさんあるんだ。なんでイングランドばかり、おいしいところを全部持って行くんだ」
 ほかの地方のひとたちの本音が聞こえてきそうだ。

6803.8/5/2012
脇道ロンドンオリンピック...3

 無理に勝たない。
 オリンピックの舞台でそんなことが許されるのか。
 疑問に思っていたら、本当にあった。
 日本女子サッカー予選リーグ。すでに決勝トーナメントへの進出を決めていた女子サッカー。最終戦の結果によって、予選リーグの最終順位が決まる。
 決勝トーナメントが行われる試合会場は決まっている。
 遠く離れた会場へ移動するよりも、いま自分たちがいる場所に近い方がいい。
「引き分けでいい」
 監督が選手に指示を出した。
 引き分けると、二位が確定し、次の決勝トーナメントの試合会場は、チームが滞在する場所のスタジアムに決まっていた。

 引き分けでいいって、負けちゃったらどうするのよ。
 得点を入れるチャンスがあっても、わざとチャンスを逃せってことなの。

 あらかじめ決勝トーナメントをする会場が決まっているから、こういう事態が発生した。それではぎりぎりまで内緒にしておいた方がよかったのか。

 女子バドミントンダブルスでは決勝トーナメントまで進んだ中国、韓国、シンガポールの4組が失格になった。予選リーグで「無気力試合」をしたという。わざと負ける。それにより、決勝トーナメントの相手が決まるからだ。
 日本の高校野球のように、一回戦が終わった時点で、抽選。二回戦が終わった時点で抽選。そのつどそのつど抽選をするようにすれば、無気力試合は防ぐことができた。
「そもそもどうやって無気力試合だと判断することができるのか」
 失格に抗議する選手やコーチは口にする。
 素人にもわかるような負け方をしたのだろうか。
「お前、そこで空振りはないだろう」
「ネットに向って打ったら、シャトルは相手コートには入らないぞ」
 そんなばればれの試合をしたのだろうか。

 柔道は、自分に勝った相手が決勝に進むと、その選手に負けた選手が「敗者復活戦」に出場することができる。勝ち進んで決勝まで行くことはできないが、3位決定戦に臨むことが可能だ。だから、試合後の挨拶では「頼むよ、決勝まで行ってくれ」と頼むのかもしれない。

6802.8/4/2012
脇道ロンドンオリンピック...2

 選手の入場は、開会式の華だ。
 各国の選手にとって、オリンピックの舞台に立つことは、それまでの苦しい練習の日々を克服してきた最大のご褒美だろう。
 そのなかに、選手でも関係者でもないひとがいた。
「だれだ、あのひとは」
 インドの選手団。騎手の横を、すらっと背の高い女性が堂々と行進する。選手団はみな同じ色をした服装を着ているのに、その女性は私服と思われるブルーのシャツを着ていた。
 もっとも間近にいたインド選手団のひとたちは、だれも疑問に感じていない。
 
 もしも、日本選手団の先頭で騎手の横を私服の日本人が行進していたら、たちまち警備の人間に連れ出されているだろう。

 インドの方々が、おおらかなのか。
 この女性が、あまりにも図々しいのか。
 結局、青の女性は選手団といっしょにトラックを行進して、グランド中央まで入場した。
 大会関係者が、気づき、あわてて本人に確認をとった。
 開会式のフィールドには、ボランティアや出演者を含めて、関係者以外は入れないように厳重に警備態勢が敷かれていた。それなのに、あきらかに一般の青の女性がなぜ紛れ込むことができたのか。
 青の女性は、開会式に出演した多くのボランティアの一人だった。
 イギリスに住むインド人の女性だった。
 自分の出番が終わり、本当はそのまま別室に待機するか、帰るかしなければいけなかった。しかし、入場行進が始まると、興奮して、当然のごとく、インド選手団の一員として行進に参加したそうだ。たくさんいる選手団に紛れないで、目立つ先頭をにこにこ笑顔を振りまいて歩いた。
 それはまるで、私服で偽装したインドの高貴な階級の方かと思うほど、堂々としていた。

 日の沈まぬところはないと言われたほど、植民地時代のイギリスは世界中に植民地をもっていた。かつて、イギリスの植民地だったところが、入場すると、会場からはひときわ大きな拍手が沸き起こった。

 あなたたちがいまここに立っていられるのは、かつてイギリスが統治して、近代的な教育や政治や経済の仕組みを教えたからだ。
 よく、ここまで成長することができた。

 まるで、わが子の成長を祝福するような意味が込められていた。

6801.8/3/2012
脇道ロンドンオリンピック...1

 2012年7月下旬。
 ロンドンオリンピックが始まった。前回の北京オリンピックからもう4年も経過していたことに驚いた。
 開会式。
 オリンピックスタジアムには一面に芝が敷かれ、丘まで出来上がっていた。牧歌的な風景が出現していた。動物と人間が一体になって生活を営んでいた。シャーロックホームズが登場しそうな雰囲気だった。
 地面の芝がはがされて、巨大な煙突が何本もせりあがった。産業革命を象徴する工場の煙突だ。工場労働者に扮した出演者が続々と登場した。
 それぞれのオリンピックには、その国の歴史や民族の文化が表現されることが多い。
 イギリスも、その前例に合わせた演出なのかと思っていた。
 あれ、これって007。
 ジェームス・ボンドがバッキンガム宮殿に登場した。見学に来ていたこどもたちが気づく。宮殿の案内人の説明を無視して、ボンドを目で追う。
 ボンドは女王の執務室を訪れる。
「女王、時間ですよ」
 そこには、おそらく本物のエリザベス女王が演技をしていたと思う。ボンドとともにヘリコプターに乗る。ロンドンの街中をヘリコプターは曲芸のような飛行をしてオリンピックスタジアムにたどり着いた。屋上でホバリング。
 すると、ボンドと女王はパラグライダーを背負ったままヘリコプターから飛び降りた。
 えー。
 次の瞬間、ロイヤルシートのドアが開き、エリザベス女王がスタジアムに登場した。
 ヘリコプターから飛び降りたのはスタントだったとはいえ、それ以外は女王自らが登場していたのではないか。

 それにしても、こういうストーリーを皇室というか、イギリス王家はよく承諾したものだ。日本の宮内庁が相手だったら、にべもなく却下だろう。

 日本でだれもが知っているヒーローってだれだろう。それも007みたいに何本もシリーズものが制作されている映画のだ。車寅次郎はヒーローではない。それに渥美清さんがすでに他界している。ウルトラマンでは、ちょっとなぁ。クレヨンしんちゃんでは、宮内庁ではなくてもわたしでも怒る。ドラえもん、ゲゲゲのきたろう、さざえさん。どれも実写ではない。
 ひとびとが想像力で作り上げた「ヒーロー」って、思い浮かばない。

6800.8/2/2012
学校内人権侵害...4

 2学期終業式。
 一郎は母親に付き添われて登校し、体育館の隅で終業式に臨んだ。
 担任からいじめについて質問された。担任は関係者から順次事情を聞いた。そのなかには良夫と信也の両親もいた。
「うちのこどもがいじめなんかするわけがないだろ。何か証拠でもあるのか」
 2人の両親とも、こどもがいじめをしているという学校からの指導を受け入れなかった。
 担任も、いくら親に事情を説明しても、それを聞き入れてくれないので、深い追及はできなくなった。
「うちのこどもの塾の点数が下がってきたのは、センセーがいじめっ子のレッテルを貼って、偏見で接しているからだ」
 挙句の果てには、担任が悪者になった。
 一郎が不登校になったのは、当然の成り行きだった。
 就学前も就学してからも、家族ぐるみで付き合いのあった3人は、この一件で完全に分断された。
 2人と別れて別の個人塾に通った一郎は、順調に成績を上げていた。自分を苦しめる環境から離れた安心感が、学業に集中できる気持ちを育んだ。さらに、その個人塾は不登校対策として、昼間も学校の勉強を指導してくれた。実験や実習はできないが、基本的な学力を維持することはできた。
「終業式だけは出ておきたい」
 一郎の申し出を母親は学校に伝えて、クラスとは離れた場所で終業式に臨んだ。
「もうすぐ冬休みです。楽しい冬休みにするために、みなさんはどんな計画があるでしょうか」
 校長が全校児童に語りかける。
「ふだん学校にいるときにはできない経験を多く積んで、1月に元気なみなさんに会えるのを楽しみにしています」
 ありきたりの挨拶だなぁと一郎はため息をついた。久しぶりに学校に来た。体育館に入るときにクラスメイトの何人かが優しく声をかけてくれた。
 担任が見えたときには、思わず距離を置いた。
 母親が担任と言葉を交わしていた。何気なくクラスの列を見た。良夫と信也はいなかった。
「いまね、信也が良夫にいじめられてるんだよ」
 声をかけてくれたこどもの一人が、小さい声でつぶやいた。

 いじめられ、傷ついた。
 学校を休むという選択肢は、一つの解決策だ。しかし、根本的な解決策ではない。ただし、根本的な解決とは何か。それがはっきりしていない。
 一度、いじめ関係になるとよほどこころが広くないと、以前の関係には戻れない。