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6789.7/22/2012
大津市中学生自殺事件...5

 自殺直後の学校が実施したアンケート。
 そのなかから浮かび上がるいじめの実態。

・自殺の練習(「自殺の練習」「死ぬ練習」「自殺のやり方」)をさせられていた。
・首を絞める。
・昼食のパンを勝手に食べる。
・ハチを食べさせようとする。
・恐喝されていた。
・亡くなった生徒が遅刻したとき、「自殺の練習してたんか」と言われていた。

 これに対して、中学校は、アンケートを書いた生徒を特定する作業をした。
 アンケートは自由表記形式だったはずで、だれが書いたのかを特定したいのならば、配布の段階から記名方式にするべきだった。
 アンケートに、あまり公表したくない事実が書かれていたから、だれが書いたのかを特定し、進学や内申書へのプレッシャーをかけようとしたと思われてもおかしくない。
 なぜ、中学校は、アンケート書いた生徒を特定しようとしたのか。
 それは、内容が、中学校や教育委員会を不利にするものだったからだ。

「生徒の分際で、何でもかんでも、書けばいいってもんじゃないことを、教えてやらねばいかん」

 そんな心境だったのではないか。

 2012年7月、文部科学省は、大津市教育委員会から事後の対応や事実関係を聞き取る方針を決めた。
 中央官庁が、末端の義務教育学校の不祥事に関して対応をするというのは異例中の異例だ。日本全国、日々不祥事続きの公立学校で、いちいち文部科学省が出張っていたら、ひとも金も尽きてしまうだろう。
 高井美穂副大臣は「アンケートの結果をできるだけ知りたい、何があったのかを知りたいと、私も同じ親としてそう感じるのは間違いない」と遺族の心情に理解を示しているが、これもパフォーマンスではないかと疑ってしまう。

6788.7/21/2012
大津市中学生自殺事件...4

 加害者3人のうち、XとYはAに対してヘッドロックをかけていた行為について「遊びであり、いじめではなかった」と弁論している。また、残りのZはいじめの認否そのものを保留した。
 つまり、3人とも、自分たちの行為とAの自殺との間には関連性はないと主張しているのだ。

 事実だとしたら、学校も教育委員会も、無実の生徒を加害者に仕立て上げていることになる。
 ただし、それならば、なぜすでにこのうちの2人は、県外に転校してしまったのか謎が残る。
「悪いことは何もしていない」と主張すべきなのに。

 2012年3月の卒業式で、大津市長はこの中学校で挨拶をした。
 そのなかで、「自らも過去にいじめに遭い死にたいと思った」と話した。
 しかし、大津市側が裁判で争う姿勢を示したので、Aの父親は「あのスピーチは政治的なパフォーマンスに過ぎなかったのか」と批判している。

 おっしゃるとおり。

 中学校が自殺の後に実施したアンケートでは、15人の生徒が「自殺の練習をさせられていた」と回答している。
 これが新聞などのメディアに伝わったのは、2012年7月のこと。大津市教育委員会はアンケート実施後の2011年11月の記者会見で、このことを隠した。

 毎日新聞。2012年07月07日。
 大津市で昨年10月、いじめを受けた市立中学2年の男子生徒(当時13歳)が飛び降り自殺した問題で、生徒の父親(47)が滋賀県警に被害届を再び提出する意向を固めたことが7日、関係者への取材で分かった。父親はこれまで「同級生から暴行を受けていた」とする被害届を県警大津署に3回提出しようとしたが、いずれも受理を拒否されている。
 学校側は男子生徒の自殺後、全校生徒対象のアンケートを実施。複数の生徒からいじめを受けていた事実が判明した。暴行に関する説明もあったため、父親が昨年10月に2回、同12月に1回、同署を訪れて「被害届を出したい」と相談したが、「被害者が死亡しており、事件にするのは難しい」などと断られたという。同署の福永正行副署長は5日、「遺書もなく、犯罪事実の認定に困難な部分があると説明させていただいた。被害届の受理を拒否する意図はなかったと、当時の担当者から報告を受けている」と取材に答えている。

 警察も教育委員会と同様に、事件の真相解明には当初はあまり協力的ではなかった。

6787.7/16/2012
大津市中学生自殺事件...3

 2011年10月11日。
 中学2年の男子Aが自宅マンションで転落死した。
 同月中旬。
 大津市教委が全校生徒対象のアンケートを実施した。
 10月18日。
 父親が大津署に相談。
 10月20日。
 父親が大津署を再訪問。
 11月2日。
 同市教委がアンケートの結果を一部公表。「いじめはあった」が自殺との因果関係は不明。
 12月1日。
 父親が大津署に3度目の相談。
 2012年2月24日。
 Aの両親が市や同級生、保護者に損害賠償を求めて提訴した。
 5月22日。
 大津市で第一回の口頭弁論。市は争う姿勢を示す。
 7月4日。
 大津市教委が会見。対応に問題はなかったと改めて説明する。

 中学には学区がある。狭い地域社会で、これまで顔を合わせてきた住民同士が、法廷で顔を付き合わせる。結果がどうなったにしても、その地域でのその後の生活は、とても住みにくくなることだろう。
 それを覚悟して、Aの両親は、提訴した。
 そこまで、こどもが自殺した親を追い詰めなければいけない「事情」とは何だろうか。

 毎日新聞。
 大津市で昨年10月、同級生からいじめを受けていた市立中学2年の男子生徒(当時13歳)が自宅マンションから飛び降りて死亡し、両親が同市や加害男子生徒3人と保護者を相手取り約7720万円の損害賠償を求めて提訴した訴訟で、市側が22日の第1回口頭弁論で「市は男子生徒の自殺について過失責任を負っていない」と主張することが16日、訴訟関係者への取材で分かった。
 関係者によると、市は学校が行った調査から生徒へのいじめがあったと認めた一方、「いじめを苦にしての自殺と断じることはできない」と主張。訴状の「教員がいじめを現認し、漫然と見逃してきた」との指摘にも「誰が、いつ、どこで、どのようないじめを目撃し放置したか具体的に指摘していない」としている。

 誰が、いつ、どこで、どのようないじめを目撃したのかを具体的に指摘するためには、多くの生徒や住民が常にカメラや録音機を携行していなければならない。

6786.7/15/2012
大津市中学生自殺事件...2

 いじめ事件の舞台になった滋賀県大津市立皇子山中学校は、韓国の美湖中学校と交流のある同和地区校。
 いじめを受けた生徒を担任していた教員は、体育の教員。前任校は、滋賀大学教育学部附属中学校。そのときに、韓国への修学旅行のために行われた総合学習(ハングル講座、韓国の中学生との交流)の担当講師を務めていた。
 滋賀県の事情は不明だが、一般的に神奈川県の湘南地域では、国大の附属校で教壇に立つと、数年後には指導主事や教頭などの管理職が約束されている。いわゆるエリートコースだ。

 いじめの場合、被害者の特定は難しいことではない。
 反対に加害者の特定が難しい。
 知っていながら、黙っていた者も、加害者とみなすと、相当数の加害者がいることになるからだ。また、監視カメラの映像や物証が乏しく、加害の事実を客観的に立証することが難しい。そのため、どうしても証言にたよらざらるをえなくなる。
「やっていない」
 この一言で、そこから先の調査は不可能になるのだ。

 これまで報道された内容をもとに、強引な事件概要をまとめる。
 被害者は当時中学2年生のA。
 加害者も同じ中学2年生のXYZの3人。そのうちのXとYは、現在は滋賀県以外の中学校に転校してしまった。Zのみ在籍している。

 読売新聞。
 2011年の夏休みまでは、元気だったとの声が上がっている。また、外からは互いの家に宿泊していて、仲が良かったように見えたとの声もある。
 それが急変したのは、2学期になってからだ。同校生徒のアンケートには「2学期が始まってすぐ、廊下で思い切り、おなかや顔を殴ったり、跳び蹴りしていた」と書かれている。
 さらに、9月末の体育大会では、「はちまきで手足を縛り、粘着テープを口に張られていた」「ハチの死骸を食べさせられそうになっていた」と記載されていたほか、「最初は冗談でやっていたことが、だんだんエスカレートしていったらしい」との回答もあった。
 また、生徒の両親が、加害者とされる同級生3人とその保護者や市を相手に起こした損害賠償訴訟で、市側が原告の両親に対し、いじめの日時や現場などを特定するよう求めていることも判明。これに対し、両親は「学校の内部情報は我々には知り得ない。いつ、どこで、いじめがあったかの証明を求めるのは理不尽だ」と反論している。

 去年の夏休み後半に、4人の間に何があったのか。

6785.7/14/2012
大津市中学生自殺事件...1

 滋賀県大津市立皇子山中学校。オウジヤマと読むらしい。
 教育目標が3点掲げられている。

1:たくましく生きる生徒(確かな学力と気力・体力の充実した生徒) 
2:情操豊かな生徒(心豊かで、思いやりのある生徒)
3:社会性のある生徒(みんなに信頼される生徒)

 生徒も教職員も日々、この教育目標に向かってまい進した教育活動が行われていた。にもかかわらず、生徒にも教職員にも見えないところで、陰湿で執拗ないじめが繰り返されていた。

 大津市教育委員会のシナリオは、こんなもんだろう。
 しかし、実際はそうではないことが、生徒に対して実施したアンケートで明らかになりつつある。このアンケート結果は、いじめを受けた生徒の保護者に渡されたが、そのときに教育委員会は「外部へ非公開とすることを確約する」ことを強要した。
 個人情報が含まれているという説明だった。
 しかし、どう考えても、自分たちにとって都合の悪い情報が含まれているから、大騒ぎしないでくれという本心があったからとしか思えない。

 どうして、こうも行政で働くひとたちは、問題を隠したがるのか。
 問題が大きくなってから、頭を下げても遅いことは明確なのだ。
 隠し通せると思っているとしたら、問題の深刻さを認識していない。

 そして、おなじみのことだが、2011年度の校長は年度末で異動になっている。公には定期的な異動だろうが、実質的にはトカゲの尻尾きり。新しい校長は「当時のことは詳しくはわからない」と言い逃れできてしまう。

 皇子山中学校は、問題の中心にあるが、インターネット上で今年度版の「ストップいじめアクション」なるプランを公開している。
 昨年度のいじめによる自殺事件を振り返る文言は見当たらない。
 アクションの目標は「いじめをしない、させない、見逃さない、許さない学校」だそうだ。
 言葉が上滑りしていないだろうか。
 教職員のアクションのなかに「訴えに対する真摯な対応」がある。昨年度にこれが機能していれば、自殺は防げたのではないか。
 積極的な生徒指導のなかに「いじめ等の問題行動の早期発見早期対応」がある。これも昨年度機能していれば、蜂を食わせたり、鉢巻で手足を縛って暴行したりするいじめは防げたのではないか。

 この「ストップいじめアクションプラン」は、いつから始まったプランなのだろう。

6784.7/10/2012
ホームベース...8

 そのドラマは、アイドルグループのリーダーがサヴァン症候群の青年役だった。その役者の影響でドラマの視聴率が高かったのかどうかはわからない。
 サヴァン症候群は、一般的に自閉症の一つと言われている。特徴は、特殊能力を保持していると言われている。しかし、発現の可能性や、社会との適応能力など、個人差や未解明な部分が多いらしい。また、自閉症の診断を受けたひとが、すべてサヴァン症候群というわけではない。

 風景を一瞬見ただけで、後日、別の場所でスケッチブックに忠実に描写できる。
 2000年後の10月7日の曜日や、460年前の8月7日の曜日が瞬時に答えられる。
 歴代のエジプトの王の名前をすべて唱えることができる。
 音楽を一回聴いただけで、忠実にピアノで再現して演奏できる。

 こういった特殊な能力は、常人が努力しても、なかなか習得できるものではない。だから、おそらく脳のもつ多くの能力のうち、まだ解明できていない部分の能力が開花しているのではないかと推測されている。
 一般に「サヴァン脳」という言い方をすることもある。

 仙田は、ため息を吐く。
「高い視聴率だったってことは、多くのひとが見たということだよね」
 明男はにやにやする。
「そういうことです」
「ってことは、そのドラマを見て、うちのこどもはもしかしたら、サヴァンかもと誤解する親がいるかもしれないということかぁ」
「仙さんは、きっと、そう言うだろうと思ってたよ」
「あのドラマの決定的なすり替えは、事件の捜査という論理的な仕事に、サヴァン症候群の青年が協力して、どちらかというとプロの警察官よりも、有効な手立てを発見する部分なんだよ。サヴァン脳に限らず、自閉症のひとたちは論理を組み立てたり、見えないものを想像したりするのが、とても苦手なのに」
「俺も、仙さんの学校で介助員の仕事をしなかったら、そんなすり替えなんてどうでもいいと思って、ああいうドラマを作っていたなぁ」
 仙田は、ドラマの作り手が、視聴率という数値化された目標に向かって、自閉症という障がいを利用していたように思えて、くやしかった。

6783.7/8/2012
ホームベース...7

 明男は、いつの間にかサワーを飲み終えて、二本目を取り出していた。
「少しは食べながら飲まないと、肝臓が悲鳴をあげちゃうよ」
 仙田が気遣う。
「大丈夫です。とっくに悲鳴を上げています」
 そういう安直なことを言っていると、本当に肝臓が悲鳴を上げた時におろおろしてしまうのに。
「そうそう、今度仕事を増やそうと思ってさ」
 明男が、ため息交じりにこぼす。
「ほら、いまやっている深夜のスーパーのバイトは時間が減らされちゃってさ」
 どこも不景気なのか。
「どんな仕事をしようと思っているの」
 仙田は、空になった生ビールのプラスティック容器に天然水を入れて飲み干す。
「横浜らしいんだけど、小学生から高校生までのこどもを放課後に預かっている施設っていうのかなぁ」
「どういうこどもたちを預かっているの」
「詳しいことはわからないんだけど、たぶん仙さんのクラスに通うようなこどもたちだと思う」

 横浜は財政的に豊かな町だから、社会福祉にも多くの予算が使われているのかもしれない。
 支援が必要なこどもの放課後は、保護者が全面的に面倒を見る。しかし、そうすると保護者は仕事もできないし、夕方の買い物にも行けない。だから、多くの自治体には民間の福祉団体がデイサービスを登録している。社会福祉法人が実施しているケースが多いが、NPOが実施している場合もある。

「それなら、いまの学校での仕事の延長上になるね。でも、明男さんは午後の仕事が多いから、デイサービスの時間と重なるんじゃないの」
「そこはうまく調節するし、週に2,3回なら可能だと思うんだ」
「なんか、どんどんメディアの仕事からこっちの仕事にシフトし始めたね」
「俺たちの仕事で登場するこどもって、みんな作りものじゃん。仙さんたちのこどもを見ていると、みんな本物のこどもって感じがするんだよ。それに触れたら、もうドラマとか映画に出てくるようなこどもは、みんな嘘っぱちな気がしてさ」
「へー、最初のころは、なんだかんだと俺のことを質問攻めにしていたのに」
「きっと、学校の外にいるとわからないことが多すぎるんだろうなぁ。なかに入ると、これまで知っていたこととまったく違うこどもの姿が見えてきたんだよ」

 そんなもんすか。

「あ、こないだ、仙さんが馬鹿にしていた自閉症の、なんつったっけ、サヴァンだっけ、あのドラマの最終回を見ましたよ」
「おー、もう最終回なんだ。途中、打ち切りってやつ」
「違うよ、最終回はものすごい数字を取ったって話だよ」
 ものすごい数字とは視聴率が高かったということだ。

6782.7/7/2012
ホームベース...6

 こういう考え方は、眼前の問題性を利用した自説の展開である。
 問題が起こらない限り、自説は公表しない。
 つまり、多くのひとが「そうだよね。それ、おかしいよね」と感じる問題を探り当てて、そのことに対する反論を徹底的に繰り広げる。
 なぜ、問題に踏み込まないのか。
 自分が攻撃されることが怖いのだろう。また、踏み込んで、問題が解決できなかったときの対処が想像できないのだろう。
 関係者にげたを預ければ、いつまでも自分は問題の外にいることができる。関係者を責任という大義名分で追い詰めていけば、自分の無責任は棚に上げられるのだ。

 発達障がいは親の育て方で治る。
 こういう勉強会での指導に対して、なぜ日本医師会や精神医学界は徹底的な糾弾をしないのだろう。発達障がいのこどもをもつ親たちばかりが憤らなければいけないのか。

 障がいとは、そのひとが生きる社会によって決められてしまう。
 走るのが遅いと生きられない社会では、走るのが遅いひとは障がい者になる。
 黙っていないと生きられない社会では、おしゃべりは障がい者になる。
 遠くが見られないと生死にかかわる社会では、遠視は障がいではない。

 いまの日本に発達障がいという、脳の機能障がいが認められてきたのは、脳の成長が日本社会では、ひとが生きていく上で重要な役割を持ちすぎてしまったことを意味する。
 学校では偏差値、会社では学歴、社会人としての資格など、どれも脳の力が左右する。
 100年以上前の日本には、学校そのものがほとんどなく、こどもは親の仕事を見よう見まねで覚え、将来の技術とした。手先の器用さ、経験の有無など、五体のもつ感性やバランスが生きる上で重要だった。
 それが、脳を強調する社会に変化してしまった。
 だから、脳の機能障がいをもっていると生きにくい社会になってしまったのだ。

 とてもうがった見方で、発達障がい誤解論を展開する国会議員の心中を覗く。
 特別支援教育は、普通教育の10倍以上の予算がかかる。少人数のこどもに対して、多くの教職員が必要だ。だから、特別支援教育を縮小しようとする動きが先にあって、それを論理的に構築するための布石なのかもしれないとしたら、なんとも恐ろしい。

6781.7/3/2012
ホームベース...5

 最近、発達障がいという言葉が誤解されている。
 ひどい学者になると、自説のなかで、親の育て方によって「発達障がいは治る」とまで言い切っている者もいる。
 大日本帝国が、アジアで覇権を伸ばし、アジア征服を企んでいた頃、世間は障がい者や病弱者に対して厳しかった。
 兵隊として役に立たない人間は、国にとって不必要だという風潮だ。そういうこどもを産んだ親は、それだけで冷たい視線で見られた。

 強い国、強いひとを政府が目指し、軍隊が育て、教育が洗脳し、家庭が支えたのだ。

 2011年3月11日。東日本大震災で東北地方を中心に、ひとびとの生活は壊滅した。そこから立ち直るのに、一部のひとたちは「力」を強調した。あるいは同じ意味で「強さ」を強調した。

 日本人は、本当はとても強い民族なのだ。
 こんな試練でくじけてしまうほど、弱くはないのだ。

 こういう耳に聞こえのいい表現は、多くのひとのこころに届く。そして、だれもが「そうだ、そうだ」と納得してしまう。

 しかし、ナチスドイツのヒトラーや、ソビエトのスターリンが、全体主義を拡大していく手法とまったく同じということに気づくひとは少ない。

 全体主義社会では、個人の自由はまったく認められない。
 一部の権力者や統治者にすべての権限が集中し、ひとびとは税金を納めるためだけに浪費される。いのちある存在とは考えられないのだ。
 先述のひどい学者は、親学という耳に聞こえのいいオリジナル学問をPRしている。いまのこどもがかつてのこどもと異なるのは、いまの親がかつての親と異なるからだ。どうすれば、かつての親のような子育てができるかを説く。それが親学だという。
 この親学に興味を示した国会議員や、大阪維新の会の議員らが、勉強会のなかで「発達障がいは親の育て方次第」という考えを広めている。
 弱者排除の法則が、ついに権力の中枢からふたたび狼煙を上げ始めた。
 わたしは、こういうひとたちに共通する「脅え」や「狡猾さ」を感じることがある。こういうひとたちは、自分の眼前に問題が生じたとき、その問題に直接は踏み込まない。その問題の関係者や周囲の者に、問題性を叩きつける。直接踏み込んで問題を解決したら、世間にその問題性が伝わらないと考えているのではないか。

6780.7/1/2012
ホームベース...4

 ひとはこころのなかを読み取ることはできない。
 だから、相手が発するさまざまなサインから、こころのなかを想像する。
 瞳の動かし方、小鼻の開き方、口角の上下、表情全体の浮沈、声色の調子、話し言葉の内容変化など。とても総合的な能力が必要になるが、生きていくためには必要な能力なので、生き物が進化の過程で獲得してきた能力とも考えられる。反対に考えると、これらの能力が欠如していた生き物は退化し、絶滅していったのかもしれない。
 自閉症が中枢神経になんらかの特徴があるのではないかと言われている理由だ。
 佑子のように、染色体異常の場合は、あまり中枢神経には問題がない。精子と卵子が結合し細胞分裂をする初期の段階で、分裂が正常に行かなかった障がいなので、中枢神経への問題はあまりないのかもしれない。
「佑子はやっと明男さんをいつものセンセーとして受け入れたんだよ。だから、本当の付き合いはこれから始まると思えばいいんだ」
「あのにこにこは嘘だったのかぁ」
 サワーをごくりと飲んで、明男はため息をつく。
「だって、考えてごらんよ。佑子はもう11歳だぜ。思春期がもうすぐそこまで来ている。そういう女の子がいつまでも、小さいこどもみたいに甘えている方が気持ち悪いだろ」
「そりゃそうだけど、佑子の学力を考えると、そういう社会的な力ももっと低いっていうか、幼いっていうか、そんなふうに考えていたなぁ」
「きっと、多くのひとがそう思っているね。でも実際は違うんだ。こころの成長には障がいなんてない。どんなこどもも年齢相応の社会的な成長をしていく。それを言葉や態度でうまく表すことができるかどうかは、ひとによって違うけどね」
「じゃぁ、仙さんがよく言う自閉のこどもたちも、同じなわけ」
 最近の明男さんは、だいぶ勉強をしている。
「それは諸説あるし、まだ定着した理論はないんだ。でも、俺は医学で行ったらもっとも患者に近い臨床の場にいて、ふだん自閉のこどもたちを見ているじゃん。そうすると、このこどもたちはちゃんと受け止めて考えているんだけど、それをひとに伝えるうまい言葉が見つからないだけじゃないかと感じることが多いんだ。慰めるつもりで逆に傷つけてしまうとか、喜ぶつもりで逆に周囲が引いてしまうほどの切れ方をしてしまうとか。これは、なってみないとわかんないけど、言葉がしゃべれないよりも数倍もつらいと思うよ。いつも『そんなつもりじゃなかった』『なんでだろう』という気持ちがこころを埋め尽くしているんだから」
「ほら、仙さんのクラスにいる富山さん。あの子のふだんの言葉なんか聞いているとむかつくぜ」
 きっと、明男さんの受け取りが、いまの日本社会の福祉に対する世間の感情なのだろう。