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6759.5/6/2012
坂の下の関所 第15章...story330

 4月4日。水曜日。
 前日、列島を爆弾低気圧が通過した。
 前日は、わたしの母の命日だった。午前中に円覚寺にお参りに行って、午後は自宅で腰湯をして過ごした。
「ただいまぁ」
「おかえりなさい」
 関所で、若女将が迎える。
 わたしは、冷蔵庫から麦焼酎の「いいちこ」を取り出す。紙パックのお得サイズだ。
「はい、140円」
 レジで若女将に小銭を渡す。
 小さなサイズの冷蔵庫から、黒のホッピーを出す。コップに黒のホッピーを注ぎ、いいちこを注入する。
 ごくっ。
「ふーっ」
 仕事帰りの喉に、ホッピーの炭酸がしみわたる。
「あー、ひとが飲んでいると、わたしも飲みたくなっちゃう。飲んじゃおうかな」
 若女将が、冷蔵庫から缶ビールを取り出す。
 本当にわたしが飲んでいる姿に触発されたのか、それとも飲むタイミングを待っていたのか。
 奥の引き戸が開く。
「あー、こんにちは」
 若女将の娘さんが、お子さんを連れて出てきた。すっかり実家への帰り支度をしている。
「そっか、お子さんはもう幼稚園なんだよね」
「えー」
 若女将と大将に似た娘さんは、とても美人だ。お姉さんは、輪をかけて美人だ。弟も美男子だ。3人姉妹弟でモデルとして売り出してもよかったかもしれない。
 春休みに入って実家に戻っていた娘さん親子が居住している新潟県に帰るのだ。
「それじゃ、センセー、こんど、会えるのは夏です」
「気をつけてね」
 幼稚園が始まれば、そうそうたびたび新潟と神奈川を往復することはできないだろう。こんど会えるのは夏と言った娘さんの目元がちょっと寂しそうだった。
 自動ドアの向こうに消えていく背中を見送りながら、わたしは、若いママに、連休も梅雨もきっとすぐに過ぎて、あっという間に夏が来るよと声援を送った。

6758.5/4/2012
坂の下の関所 第15章...story329

 新校舎で始まる新しい年度を前にして、わたしはショックを隠せなかった。
 その同僚女性は、今年度で定年退職を迎える。
 特別支援教育の世界ではベテラン中のベテランだ。
 わたしと組んで、5年目になる。特別支援学級の教員は、昼間のほとんどの時間を同じ生活空間で過ごす。通常学級の担任と違い、同じ教室で同じ校庭で同じ体育館で同じ仕事をする。放課後も打ち合わせや会議をする時間が多い。
 特学の教員は、それぞれの家族よりも長い時間をともに過ごす。
 そういう業界内格言もあるほどだ。
 だから、人間関係がしっくりこないと悲劇になる。みんなおとなだから、互いを尊重しあおうとはするが、こころの根っこ部分では信頼しきれないものがあると、気持ちが疲れる。
 わたしは、そういう遠慮が嫌いなので、相手が先輩であれ、異性であれ、若者であれ、どんなときでも
「お前、いい加減にしろ」
「何度、言えばわかるんだ」
「少しは給料分は働け」
と、ハラスメントギリギリの発言を躊躇しない。
 そんなわたしの暴言にもめげないほど、できたひとなのだ。
 だから、彼女に万が一のことがあったら、今年度の特学は最初から大きな痛手を負う。
 4日に検査を受けると教えてくれた。
 関所でため息をつく。
 ため息をついて飲む日本酒「山猿」はあまりおいしくない。
 そこに、横浜の病院に勤務する佐藤さんが登場した。
「佐藤さん、専門的な話なんですけど、聴いてください」
「わたしの専門という意味かな」
「いや、医療分野という意味です」
 関所に立ち寄るひとたちは、仕事という空間から抜け出て、のんびりしたいから酒を飲む。そこで仕事の話を持ち出すのはご法度だ。
「いいですよ」
 やさしい佐藤さんは、受け止めてくれた。
 わたしは同僚女性の話を伝えた。
「たぶん90パーセント以上、脂肪のかたまりでしょう」
「腫瘍ということはないんですか」
「まぁ正確には、脂肪のかたまりも腫瘍なんですが、いわゆる癌のような腫瘍という意味では違います」
 わたしの説明を聞いただけで、さすが専門家はそこまで確信が持てるものなのかと、あらためて佐藤さんを見直した。

6757.5/3/2012
坂の下の関所 第15章...story328

 4月2日。月曜日。新年度初出勤。
 晴れた。
 午前中に新しい特学メンバーで最初の学年会をした。
 話し合いだけで3時間もすると、最後に頭のなかが暴走し始めた。それでも、新年度体制のほとんどを決めることができた。
 ランチは、学校近くの食堂「漁火(いさりび)」。夜は居酒屋になる。生簀があって、夜はそこから魚を網ですくって刺身を作る。
 昼は、5品の定食から選ぶが、小さなカウンターと小上がりが3つの狭い店内。いつも常連で混んでいるので、空いていることが珍しい。
 新年度初日だったので、11時半頃に食べに行った。
 一般会社の休憩時間よりも早く出たので、余裕で小上がりに座る。
 海鮮石焼丼。韓国料理みたいだったけど、お醤油と海鮮が焼いた石皿にこげて、香ばしい香りがした。
 午後は着任者紹介から始まる。他校から新しい教頭が来た。
 これまで校舎改築に貢献した教頭はプレハブから新校舎への引越しを完了して異動になった。本人は残留を希望したらしいが、教育委員会の学務課は非情にも定期異動を優先したらしい。新しい教頭は棚からぼた餅状態だ。ふたりとも女性。女性同士の教頭対決で、教頭会は今年度火花が散るかもしれない。
 着任者紹介の後、すぐに新年度準備の連絡や校務分掌がらみの提案があった。職員会議は設定されていないのに、あんなに資料が出て、提案や検討をしたら、有給休暇をとったひとは浦島太郎になるだろうと思った。
 学校では、打ち合わせと言えば連絡事項を伝える場。会議と言えば原案が出て話し合い、物事を決める場。大事なのは会議なので、会議を欠席することはほとんどない。しかし、打ち合わせは休んでも後日打ち合わせ内容を記録から確認すればいいので、休んでも大きな支障はない。
 そういうはずで長年、学校は機能してきたのに、最近の流れは打ち合わせでも重要事項をばんばん提案するようになってきた。ならば打ち合わせなどと予定に入れずに会議とすればいい。しかし、あえて打ち合わせとするのは、会議にすると多くの職員が参加して原案に反対する意見が出て会議が紛糾するから、欠席者のいる打ち合わせで強引に決定させてしまおうとするせこい考えが背景にあるのだろう。どこかの国の国会のようだ。
 夕刻、帰り際、同僚が深刻な表情をした。
「わたし、右脇の下にたまご大のしこりができたんです」
「えー、いつから」
「気づいたのは最近なんだけど、できていたのはもっと前からかも」

6756.4/30/2012
坂の下の関所 第15章...story327

 2012年4月1日。日曜日だった。
 新年度の始まりが日曜日というのは久しぶりだ。
 本来なら、この日に多くの役所で異動にともなう辞令交付式が行われるが、日曜日なので一日の猶予をもって、翌日の2日から辞令が交付される。
 新採用になったフレッシュなひとたち、長年の勤務先から新天地に異動になったひとたち、期待と不安で押しつぶされそうになりながら、辞令を受け取り、気持ちを新たにする。
 わたしは、いまの学校が4校目。
 辞令は4回受け取った。
 さすがに、4回も経験すると、緊張や不安はあまり感じない。それよりも、通勤方法や、学校周辺にはどんなお店があるのだろうという毎日の往復に関する情報に興味がうつる。
 ところかわれば、やり方や人間関係がかわるのは当然のことだ。
 そんなことに気持ちが左右されていては公務員はできない。
 異動がつきもものの公務員を覚悟して就職したのだから、異動のたびに「前任地では」と繰り返しこぼすおとなになっては情けない。
 だから、わたしには地域というかわらない場所が宝物なのだ。
 鎌倉の山崎地域。地名では「台」という無色透明な呼び方だが、町内会に残った戸ヶ崎、山崎、市場、末広、富士見町など、昔からの土地の呼び方には趣がある。
 そこに生きるひとたち、そこではたらくひとたち。ほかの町から引っ越してきたひとたち。狭い地域に多くのひとたちが片寄せあって暮らしている。このひとたちと、銭湯の野田の湯で会う。酒屋の関所で会う。焼き鳥屋の鳥藤で会う。モノレールの富士見町駅で会う。顔と顔を合わせて、互いに会釈をする。それだけで、ひとりじゃないんだと気づく。
 地域は、ふところであり、ゆりかごなのだ。
 4月1日は、朝から晴れていた。
 午前6時半からソフトボールの練習があった。山崎小学校の校庭に行き、地元のおとなたちとボールを追った。
 午前8時に自宅に戻る。職場の同僚に頼まれていたピザ生地を12個作る。
 前夜から浸しておいた昆布とどんこの出汁に、鰹出汁を合わせて一番出汁を作る。それを使って出汁巻き玉子を作った。出し殻に千鳥酢、醤油、唐辛子、日本酒、梅酢を入れて煮詰めた。出来上がりにジャコを混ぜた。
 休日だったが、車を出す。たくさんの着替え、白衣、ピザを積んで学校に運んだ。帰りに藤沢市市民活動推進センターに行き、今年度のロッカーの使用申請をした。古いロッカーから荷物を移した。
 自宅に戻り、関所に昼食用に出汁巻き玉子を届ける。その足で、大船のCoCo壱番屋に行く。狭い。研修生がおどおどしていて店長らしきひとが厳しくしつけていた。客として落ち着けなかった。手仕込チキンカツカレーの2辛を食べた。プレハブから新校舎への引越し作業で忙しかった前週に3回も同じカレー屋に行き、同じメニューを頼んでしまった。
 帰りに野田の湯、関所コースをたどった。

6755.4/29/2012
坂の下の関所 第15章...story326

 湘南の雪と言えば、3月10日にも降った。土曜日だった。
 東日本大震災から1年。3月11日は晴れていた。しかし東北地方は夕刻から雪になり、被災したひとたちは寒い夜を迎えることになった。
 あれから1年が過ぎて、湘南地方が、まるであのときの東北地方のように雪になった。
 わたしは、その日、午前5時半に鎌倉を出発して築地魚市場に向かった。
 数ヶ月に一度の買い出しだったのだ。関所で注文を集めて買い出しに行く。今回は12月ほどの注文はなかった。
 午前6時半。首都高速道路の銀座出口から地上に上がったら、大きなサイズの湿った雪が車のフロントガラスを覆った。
 頼まれた品物を買う。雪の築地は、いつもの築地よりも少し静かな気がした。
 しかし、テレビや雑誌で紹介される人気のにぎり寿司店にはいつものように長蛇の列ができていた。なかには中国や台湾、韓国のひとたちもいるという。あんな寒いなか、最低でも1時間以上も並ばされたら、きっと風邪をひいてしまうだろう。買い出しをしながら、横目で心配をした。
 東京都中央卸売市場築地市場。
 一般的には魚介類が有名だが、野菜やくだものなどの青果類を専門に扱う部門も大きな敷地を占めている。卸から競りで買った品物を仲卸が小売りに売るのが市場の役目だが、近年では、わたしのように仲卸に直接消費者が買いに行くケースもある。ただし、仲卸は小売店ではないので、商品の量は基本的に1キロからだし、商品に値札がついていないことが多い。小売店の目利きが市場を訪れ、仲卸の主と「これなんぼだい」「きょうのおすすめは」などと会話をしながら買い物をしていく。
 わたしが定期的に築地で品物を買ってこられるのは、以前までマグロの仲卸をしていたお母さんの存在が大きい。
 お母さんは偶然にも、わたしの近所に住んでいるのだ。娘さんは、中学校の後輩にあたる。仕事でも同じ学校関係に就職した。何かと縁のある家族なのだ。
 仲卸を退職し、鎌倉で悠々自適の生活を送るお母さんが、昔のよしみで築地に買い出しに行くときに同伴するのだ。
 「場内」とか「なか」と呼ばれる仲卸が軒を連ねている市場の心臓部に入ると、あっちこっちからお母さんに声がかかる。
「お、久しぶりじゃねぇか」
「たまには顔を出せよ」
「もうやってらんねぇよ」
 お母さんは、築地で初めて女性でマグロの競りに出た有名人なのだ。そして生来の世話好きで、築地で働くひとたちの生活の面倒を細かくみてきた。食パンを焼くトースターをプレゼントしただけで、感激されて、北海道のウニを大量にお礼にもらったこともあったという。
 築地の品物は全国から集まる。その品物は、どれも品質が抜群のものばかりだ。それをお礼にもらうのだから、自然と味に敏感になる。だから、いつもとは言わないが、ときどき築地の買った魚を食べたくなるのだろう。
 10時半には鎌倉に戻って、買ってきた荷物を仕分けした。
 それらを発泡スチロールに入れて、関所に届ける。
「いつも申し訳ありません」
 頭をかきながら、わたしはほかのひとからの注文の品物を関所の冷蔵庫に置かせてもらうのだ。

6754.4/25/2012
坂の下の関所 第15章...story325

 2月後半の湘南地方は寒波が襲来し、何度も天気予報では「夜は雪になるかもしれない」と情報を流した。しかし、ほとんどの場合は朝になると外れる予報ばかりだった。雪は降らなかったが、寒さはからだの芯から凍えてしまうほどだった。
 それでもうるう年で29日まであった2月最終日。
 わたしが出勤した時間は小降りだったが雪が次第に強くなり、10時ごろまでには積もった。
 休み時間にはこどもたちが外で遊べるほどになっていた。
 特別支援学級に通うこどもたちの多くは、下校時間に福祉デイサービスを利用している。通常学級のこどもが利用する学童保育の福祉版だ。しかし、デイサービスは車での送迎を原則にしているので、降雪によって道路の安全が確保されないときは、利用を制限する。この日はすべてのデイサービスが利用を中止した。各事業所から保護者に連絡が取られた。しかし、連絡が取れなかった保護者もいたので、下校後は対応に追われた。
 いつまでも学校の残しておくこどもの保育と、定期的に保護者に連絡を取る仕事とに分かれた。
 この日、県立養護学校は休校だった。賢明な措置だ。
 夕方にはほとんど雪は溶けて地面が見え始めていた。最後のこどもを保護者に引き渡して、やれやれと思いながら、帰途に着いた。
「ただいまぁ」
 関所の自動ドアをくぐる。いつもよりも声に張りがなかったかもしれない。
「お、きょうの連中は走り回ったか」
 レジで大将がにやにやしている。大将は、わたしが特別支援学級の教員をしていることを知っている。そして、こどもたちが雨とか雪が大好きなことも知っている。
「手袋もないのに外に出て雪だるまを作り、あまりの冷たさに、休み時間が終わってから泣いていた女の子がいました。遊んでいるときは楽しそうだったのに、授業時間になったら、冷たい冷たいといって泣くから、ありゃぁ確信犯じゃないかと話題になりました」
「センセー、きっとその女の子は、雪だるまを作っているときは本当に冷たさを感じなかったんだよ。それぐらい楽しかったんじゃないかな」
 なんとも大将の発想はやさしさに満ちている。
「それが、教室に戻って教科書やノートという現実と向き合って、急に感覚が正常に戻ったんだよ」
 はいはい、たぶんそんなものでしょう。
 わたしは、荷物をいつもの焼酎コーナーに置く。
「おや、センセー、お疲れです」
 烏丸さんが、宝焼酎のワンカップを手にしてお辞儀をした。
「こんなもんは、山形じゃぁ、雪のうちにははいんねぇよ。これぐらいの季節には、玄関の前に雪の壁ができて、それをスコップで階段状に削って、道まで上がるんだから」
 そんな豪雪地帯で育った烏丸さんにしてみたら、半日で溶けて消える雪など、雪のうちに入らないのだろう。

6753.4/22/2012
坂の下の関所 第15章...story324

 しばらく関所の前の道路に出て携帯電話をかけていた王さんが室内に戻ってきた。
「センセー、ムッシュ、大丈夫です」
「本当ですか、だって、あしたですよ」
 いま連絡を受けて、あしたの講師をやろうというムッシュのフットワークの軽さに脱帽する。
「ちょうど、火曜日はオフにしているから時間があるんですよ」
 王さんは、ムッシュが突然の申し出にもかかわらず話を受けてくれたことに、あまり驚いていない。
「俺としてはとても助かります。ムッシュにもよろしく伝えてください」
 関所で、仕事の話をつけるというのは不思議な感覚だが、こんなありがたい結果につながるとひととひととの関係は大事だと痛感する。
 結果的に、ムッシュはその翌日と翌週の2回も芸を披露してくれた。
 タップダンス、ハーモニカの演奏、風船を使った創作、洗濯板と指ぬきによる演奏など、ボードビリアンというカテゴリーの技だった。わたしは間近でプロの技を堪能できて個人的にとても楽しんだ。ふだんは大きな音に過剰に反応する自閉的傾向が強いこどもたちも、めずらしさが先に立って楽しんだ。とくに後半の風船創作では、こどものリクエストのままに風船を形にしてプレゼントしてくれたので、こどもたちは列を作って何度もほしがっていた。
 鼻と口で別々のハーモニカを同時に吹く。それも鼻と口とでは異なる音階を吹く。きちんとハーモニーになっているのだ。それをやりながら、足ではタップを踏む。素人のわたしには、超人技にしか見えなかった。
 2月に入って、さらに朝夕は寒い日が続いていた。
 土曜日。わたしは大船の100円均一ショップで、教材に使えそうな品物はないか、探していた。完成された教材は、文房具やで買うととても高い。しかし、完成されているので、応用がききにくい。100円均一ショップの品物は、素材として使えるものが多いので、組み合わせることにより、オリジナル教材になるのだ。そうやって創作した教材が学校にはいくつもある。ほかの教員も参考にしている。
 バックに教材の素材になる品物を入れて、野田の湯でからだを温めた。
 そして、関所の自動ドアをくぐる。
「ただいまぁ」
「お、きょうはどうしたのよ」
 大将が、レジの奥から顔を出す。5時よりも早い時間に関所に行くと、配達の合間の時間なのか、大将が店にいることがある。
「大船で教材になりそうな品物を物色してきました」
「休みの日ぐらい、仕事と関係ないことをすればいいのに」
「そうしたいんですけど、なかなか」
「ふだんの日は、学校からまっすぐここじゃ、仕事以外のことはできねぇか」
「たしかに、そうですね」
 自動ドアが開く。
「おや、いいひとに会った」
 カディさんが登場した。
「これから、こもれびですか」
「そう、それよりも、センセーにこれをプレゼントしようと思ってきた」
 嘘ばっか。わたしがここにいたのは偶然なんだから。根っからの商人のカディさんの言葉はいつも流ちょうだ。
 袋のなかから、カディさんは2種類の豆を取り出した。
「ひよこ豆と緑豆、センセー知ってるかな」
 いつももらっているじゃないか。

6752.4/17/2012
坂の下の関所 第15章...story323

 1月下旬の月曜日。
 朝も夕方も0度近くまで気温が下がる。
 関所の前に、見慣れた男が携帯電話をかけていた。
「王さん、おっす」
 わたしは、王さんに手を挙げて、脇を通り抜けた。
「おかえりー」
 若女将が迎えてくれた。
「いやぁ、疲れたぁ」
「何言ってんの。まだ月曜日じゃないの」
 電話を終えた王さんが、関所に入ってきた。
「センセー、あしたお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
 王さんは、演劇のプロデューサーをしている。わたしにはまったく縁のない世界なので、彼がどんな仕事をしているのかはさっぱりわからない。でも、わたしが勤務する特別支援学級の介助員もやっているので、仕事上のつながりがあるのだ。芸能の世界は、午後や夜の仕事が多い。学校のように早朝から昼までが勝負みたいな世界とは逆だ。その時間を使って、王さんは介助員をしてくれているのだ。1時間900円という安いお金だが、賃金ももらっている。
「また、先週のセンセーが来てくれるんですか」
 この時期の支援学級では、こどもたちに療育の専門家を招いている。3週間連続で火曜日の決まった時間に楽器遊びを中心とした授業をお願いしているのだ。先週が1回目だった。
「それがさぁ、きょうの夕方にご主人から電話があって、彼女が急病になって入院しちゃったんだって」
 えー、王さんがのけぞる。
「だから、しょうがないから、あしたはいつもどおり、わたしが音楽をやるんです」
 こどもたちは、毎年この時期の専門家の授業をとても楽しみにしている。
「きっと、ぶーぶー言うかもしれないけど、こればっかりはしょうがないもん」
 王さんの目が光る。
「センセー、前に話していたこと覚えているかな。ほら、ムッシュ竹内っていう芸人が、こどもたちに自分の芸を披露できないかって言っていたこと」
 そんなこと、あったっけ。
「でも、あしただよ。いまからじゃ、無理でしょ」
「ちょっと待っていてください。聞いてみます」
 王さんは、自動ドアから外に出て携帯電話を耳にあてた。
 もしかすると、これがプロデューサーという仕事なのかも。

6751.4/14/2012
坂の下の関所 第15章...story322

 わたしが昼間に仕事をしているとき、親父は昔の仲間と大船で新年会をしていた。
 その帰り道に、関所に立ち寄った。
 大将が相手をしているから、わたしは奥に引っ込んで自分の酒をちびりちびりと飲んでいた。
 自動ドアが開いた。
 つつつー。若そうに見える三菱の諭吉さんが登場した。ソフトボールをいっしょにやっている仲間だ。いつも深夜に帰るので、こんな時間に関所で会うことはめったにない。
「珍しいじゃん」
「たまには、こういう日もあるんですよ」
 諭吉さんは、親父とわたしの間にはさまるポジションに入った。
「こちら、お知り合い」
 親父が諭吉さんごしに、わたしに質問をする。
 どうだっていいじゃん。
「ソフトボールをいっしょにやっている諭吉さんです」
「あーそう、息子がお世話になっています」
 おいおい、小学生の保護者じゃないんだから。
「いえいえ、こちらこそ。でもないか」
 諭吉さんも、なかなか調子がいい。
「故郷はどちらですか」
 親父が、身辺調査をする。
「岩手です」
 へー、諭吉さんって岩手なのかぁ。知らなかったなぁ。
 それを聞いた親父の目が光る。
 やばい。そうだった。
「俺も、岩手。盛岡だけど」
「えー、ボクも盛岡なんです」
 じゃぁ、駅前の通りから一本入った辻の……。
 ものすごくローカルな話に花が咲いて、なぜか親父と諭吉さんは盛り上がっていく。
 わたしは、急速に疎外感に襲われて、とはいっても心地よい疎外感だが、ふたりの世界から距離を置いた。
 こういうタイミングって、だれか登場するんだよなぁ。
「おかえりー」
 若女将の声が響く。
 横浜のドクター、佐藤さんが登場した。
「佐藤さん、はい、こっちこっち、遠くに来て」
 わたしは、佐藤さんが親父と諭吉さんの会話に参加できそうにない立ち位置に招き入れた。

6750.4/10/2012
坂の下の関所 第15章...story321

 1月下旬の金曜日。
 太平洋沿岸は、東海地方から関東地方にかけて雪になる。
 近年の湘南地方は、暖冬の影響か、すっかり雪とは縁がなくなった。しかし、この日はしっかり積もるほどの雪だった。ただし、湿気の多いべたべたの雪なので、雪遊びをするこどもたちの服はすぐにぐっしょり濡れてしまった。
 冷えたからだをあたためるために。
 なんて理由はどうでもいいけど。
「ただいまぁ」
「おかえりー」
 関所の自動ドアをくぐる。
「きょうは、寒かっただろう。どうたった、連中は」
 レジの奥から大将の声がする。大将は、わたしが小学校で特別支援学級の教員をしていることを知っている。
「休み時間に遊ばせないと反乱が起こりそうだったから、許可を出したよ」
「そりゃそうだよ」
 手袋をしたほうがいいって言ったのに、濡れるからいやだという理由で素手で遊んだこどもが、雪が冷たいと言って泣いていた話。
 雪だるまを作って自慢していたこどもが、帰りに融けていて、だれのせいだと怒っていた話。
 数え切れないほどの逸話を披露した。
 すると、自動ドアの向こうに足元がふらふらしている親父の姿。こちらを見てにやにやしている。いやな予感がした。
「あら、お父さん。いらっしゃいな」
 若女将が手招きをする。
 いらないいらない、そんなことしなくていいのに。
「そっかぁ」
 ほうら、来ちゃった。自分から入ったのではなく、誘われたから入ったという状況を作り出す。
「きょうは、何だかご機嫌ですね」
 大将が親父をたきつける。
「わかるかなぁ。じつは大船で昔の仲間と、これ」
 お猪口を口に持っていく仕草をした。えー、飲んできたの。
「いいですね。でも、時間がえらく早くないですか」
 大将が時計をさす。
「みんな年寄りだから、夜の飲み会はだめ。帰りがあぶなくて。だから、昼から飲んでいたのよ」
 どうりで、ふらふらしているわけだ。