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過去のウエイ

6749.4/8/2012
坂の下の関所 第15章...story320

 メールを山ちゃんに送る。
「いま、北鎌倉駅から建長寺に向かっています」
 返信が来た。
 ということは、わたしの方が先に峠の茶屋に到着するだろう。
 約60分の山歩きを経て、目指していた峠の茶屋に到着した。
 わたしは、山ちゃんの競馬仲間を知らない。だけど、茶屋のベンチには2人連れしかいない。テーブルには、チーズや海苔、おでんが乗っている。明らかに山ちゃんの仲間のはずだ。
「あの、もしかして山ちゃんのお知り合いですか」
「あーあー、あんたがセンセーですか」
 あらかじめ山ちゃんから伝えておいてくれたらしい。わたしは近くのベンチに座った。首筋や額の汗をタオルでぬぐう。上着を脱いだら、シャツが汗で濡れていた。
「ありゃぁ、これじゃ風邪引いちゃうよ。あんちゃん、脱ぎなさい。乾かしておくから」
 茶屋のおばちゃんに無理やりシャツを脱がされて、上半身があらわになった。風がここちいい。リュックのなかから、着替えのために用意してある新しいシャツを取り出して着替えた。
 アサヒスーパードライを頼む。
「乾杯」
 まだ山ちゃんが来る前だったが、彼の仲間と缶を合わせた。
 ぐびっぐびっとビールが喉にしみていく。
「あー、うま」
 口角の泡を拭いたら、山ちゃんの姿が見えた。
「お先に」
 それから1時間ほど4人でおでんを肴にビールを飲んだ。
 関所での出会いから、まさか峠の茶屋で見知らぬ競馬仲間との宴会に発展するとは思ってもいなかった。
 山を降りる。3人は北鎌倉から横須賀線に乗った。大船に出て桜木町へ。野毛のいつものお店に行くという。樹林を抜けるハイキングをした午後に、競馬で盛り上がるひとたちがよのなかにいるというのが驚きだ。
 わたしは、そのまま地元の山崎まで歩く。
 野田の湯で、ゆっくり筋肉の疲労をとった。半身浴をしていたら、眠くなっておぼれそうになった。
 喉をカラカラにして、関所へ。
「ただいまぁ」
「おかえりー。あら、どこの山から帰ってきたのよ」
 一応、ハイキングスタイルをしていたので、若女将に驚かれた。
「山ちゃんと天園に行ってきました」

6748.4/7/2012
坂の下の関所 第15章...story319

 7日。曇りの土曜日。
 わたしは床屋に行った。思い切って、髪の毛をばっさり短くした。いわゆるスポーツ刈り。もともと天然パーマなので、少しでも伸びると髪の毛がはねてしまう。湿気が多いと、さらにはね方がひどくなる。そして、50歳を前にしたら、頭のてっぺんの部分が薄くなってきてしまった。周辺の髪の毛が長くても、てっぺんが薄くいと、カッパみたいな印象になる。
 わたしは、小学校時代から大学を卒業するまで、ずっと運動をしていた。だから、ずっと短髪で過ごした。高校時代は公式野球部に所属して、バリカンでミリ単位の短さにしていた。だから、髪の毛を短くすることには抵抗がない。
「久しぶりだね。昔みたいに短くするのは」
 床屋の主人に言われた。
 わたしは、ずっと同じ床屋にしか通っていない。地元から離れていないので、小学校のときに、父親に連れて行かれた最初の床屋に、いまも通っているのだ。そういう客は、世界遺産並みに珍しいらしい。そして、床屋の主人も、あのときのままだ。お互いに年齢を重ねたので、なかみにガタがきているが、人間そのものに変化はない。
 首筋に冬の冷たさを感じながら、わたしは散髪を終えて、北鎌倉の町を歩く。
 関所で会うシンロート社員の山ちゃんが、鎌倉の天園ハイキングコースに行くというので、峠の茶屋で待ち合わせることにしたのだ。山ちゃんは、土曜日や日曜日は野毛の場外馬券売場で競馬をするのが趣味のひとだ。月曜日の関所では、いつもほかの立ち飲み客が、山ちゃんの戦果を気にしている。
「仲間が、天園を歩くっていうんだけど、俺でも大丈夫かな」
 もう1年以上も前に、山ちゃんに相談された。野毛の仲間のなかに、山歩きが好きなひとがいるらしい。そのひとに、天園ハイキングコースについて質問されたそうだ。わたしは危険箇所や上り口を教えていた。それ以来、天気の安定した週末には、仲間とハイキングコースを歩き、峠の茶屋で一服するのが習慣になっていた。
「今度の土曜日に、ことし最初の山登りをするけど、よかったらセンセーもどうだい」
 関所で山ちゃんに言われていたので、正月でだぶついた腹のあぶらを落とすために、山歩きを決意したのだ。
 明月院を右に見て、今泉台の住宅地へとアスファルトの坂を一気に上ると、曇っていても背中にじわっと汗をかく。住宅地を抜けて、天園ハイキングコースの上り口に到達した。そこからは、いわゆる山道になる。
 ハイキングーコースといっても、ヒールの高い靴ではとても無理な道だ。標識はあるので迷うことはないと思うが、それでも天候が急変したら、雨具や飲み物を携帯していないと危険がある。尾根筋だが、アップダウンに富んでいる。準備運動をしないと、筋肉を傷めてしまうコースなのだ。

6747.4/3/2012
坂の下の関所 第15章...story318

 6日。晴れた金曜日。またまた藤沢の学校まで歩いて出勤する。気持ちがよい。
 特別支援学級では、こどもたちが縫い物をする。だから、ミシンが置いてある。わたしは、そのミシンを使って時間があるときに手芸をしている。この冬の作品は、やや大きいポーチ作りだ。
 手縫いのときは、布の端を折り返してほつれないようにしていたが、ミシンでジグザグに縫うことを覚えたら、簡単にできるのではまってしまった。
 しかし、調子に乗るといいことがない。最後の1枚になって縫うところを間違えた。ほどくしかない。手縫いをほどくのに比べて、ミシンで縫ったものをほどくのはとても大変だった。
 ミシンの掟。縫うところを間違えないこと。
 半ドン。すっかり恒例になっているひとり新年会は大船の土風炉。天せいろ950円。熱燗。
 天婦羅の揚げ方はよかったんだけど、油がこってりしていて、気持ち悪くなりそうだった。
 夕方近く関所の自動ドアをくぐる。
「ただいまぁ」
「おかえりー、きょうはたくさんだよ」
 若女将が笑顔で迎えてくれた。
 きのうの首都リーブスにくわえて、富士見町モノレール駅近くのシンロートもきょうから工場が動き出していた。
「あー、センセー、明けましておめでとうございます」
 店に入って正面左側、いつものコーナーにシンロートで元気な相田さんが陣取っていた。
「久しぶりです。お元気でしたか」
「元気もなにも、ひたすら食っちゃ寝ての繰り返しだから、そろそろ仕事しなきゃからだがもたねぇんだよ。センセーだってそうじゃないの」
 自分の生活が世界の中心だと思っている相田さん。2012年になっても本質は変わらない。そのいつもと同じところに安心する。
「こら、ミッキー、まだ散歩してないじゃないか」
 大型犬のミッキーを連れた中島さんが、ミッキーに引っ張られるように関所にやってきた。
「ミッキー、明けましておめでとう」
 店内のあちこちから、ミッキーに年賀の挨拶がかかる。
 うー、ワンワン。
 ミッキーも、挨拶を返す。
「いつもなら、もう少し歩いてからここに寄るんだけど、きょうは久しぶりににぎやかだったから、ここを通り過ぎないでまっすぐ入ってきちゃったんです」
 中島さんが頭をかく。
 ミッキーも含め、多くの立ち飲み仲間が戻ってきた。わたしはすっかり寄って、閉店近くの午後9時頃まで、飲んでいた。

6746.4/2/2012
坂の下の関所 第15章...story317

 5日。晴れた木曜日。寒い。藤沢の学校まで歩いて出勤した。早歩きでちょうど1時間かかった。いつもよりも10分短縮した。
 午前中は週案・2月の予定を作成し、新しく作っているファスナー付バックの裁断をした。逢坂剛の「しのびよる月」を読了する。
 半ドン。大船に戻り、ひとり新年会。駅前の観音食堂。
「いらっしゃーい。お一人様、カウンターでいいですか」
 たぶん小学校か中学校のときに同級生だったと思う女性がなかを仕切っている。お互いにたくさんの時間を経過して、それぞれのことなど忘れているのだろう。いや、わたしは覚えているから、彼女が一方的に忘れているのか。たしかに、あのときの面影をいまのわたしに探せと言っても無理だろう。
 カウンターの端に座る。
 カキフライ定食1300円。エビスビール680円。お燗400円。塩辛300円。かなり贅沢なひとり新年会になった。
 工場の仕事が始まった。関所の自動ドアをくぐる。
「おかえりー」
 きのうよりも、少し元気を取り戻した若女将の声が響く。
「やっと、メンバーが戻ってきましたね」
「そうねぇ、やっぱりうちはいつもと同じっていうのが、一番いいみたい」
 意味ありげな言葉で納得していた。
 正面の日本酒の棚の向こうで、首都リーブスの烏丸さんが、背中を丸めて焼酎を飲んでいる。
「こんばんは」
「あ、どうも、ご苦労サンです」
 やけに丁寧に頭を下げられた。
「どうですか、会社のほうでは、赤坂さんのことは少し事情がわかってきましたか」
 烏丸さんは、赤坂さんと同じ会社で働いている。
 こそこそと、足音を忍ばせて、わたしに近づく烏丸さんが言う。
「詳しいことは、わかんねぇけどよ。まずは3ヶ月は無理だろうってことだ」
 指を3本立てている。もしも、2ヶ月だったら、指は2本で勝利のブイサインになってしまう。
「えー、そんなにですか」
「やっこさん、ほら、病院に行くの、いやがってたから。だいぶよわっちまってたみたいだよ」
 かなり詳しいことがわかっているみたいだった。
「センセーも、飲みすぎには十分に気をつけてくださいよ」
「はい」
 そう言いながら、烏丸さんは、自分の焼酎をぐびっと喉に流していた。

6745.3/30/2012
坂の下の関所 第15章...story316

 正月4日。仕事始め。
 出勤。4時に起床した。晴れた水曜日。かなり寒くなる。
 藤沢の小学校まで歩いて出勤した。1時間10分ぐらいかかった。
 週案(一週間単位の授業プラン)・支援分担計画(一週間単位の支援者役割分担表)・餃子学習指導計画・学年会資料を作成した。
 半ドン。午後は休暇を取る。こどもがいない学校では何も急ぐことはない。自分のペースでゆっくり仕事にからだをなじませてゆけばいい。
 藤沢駅北口、ビックカメラのビルの上階にあるジュンク堂で本を探した。
 佐々木譲の「廃墟に乞う」と「暴雪圏」。パトリシア・コーンウェルの「変死体(上下)」。伊坂幸太郎の「ラッシュライフ」と「陽気なギャングが地球を回す」と「陽気なギャングの日常と襲撃」と「重力ピエロ」。東野圭吾の「ガリレオの苦悩」。堂場瞬一の「第四の壁」。
 ついついまとめ買いをしてしまう。
 大船に戻る。
 ひとり新年会を「海福」でする。握り寿司ランチと生ビール。
 野田の湯に寄る。
「あれ、さっき宇佐斗さんが出て行ったよ」
 野田の湯の主、戸田さんの女将が言う。
「ここで、飲んでいたのに、きょうは飲まないのかな」
 番台に450円を置きながら、わたしは質問する。
「ほら、関所がきょうから立ち飲み開始なんでしょ」
 そうだったそうだった、宇佐斗さんはそれを知っていのだ。
「みんなが待っているから、急がなきゃとか言っていたよ」
 なんでも、自分のいいように解釈できる宇佐斗さんは幸せ者だ。そもそも、みんなとはだれだ。わたしはこれからお湯につかろうとしているのだ。少なくともわたしは、関所で宇佐斗さんを待っている身ではない。それに、まだ周辺の工場が仕事を始めていないから、関所の立ち飲みメンバーは、まだそんなに多くはないはずなのに。
 つらつら思いながら、ことし最初の「日替わり湯」で汗を流す。
 のどがからからになった頃、関所を目指す。
「あけましておめでとうございます」
 すでに出来上がっている宇佐斗さんが、目を細めていた。
「いらっしゃい」
 久しぶりの若女将。なんだか元気がない。休み疲れかな。
「いかがでしたか、新潟旅行は」
「それ、聞かないで」
 ぴしゃっ。

6744.3/29/2012
坂の下の関所 第15章...story315

 正月3日。
 誕生日。49歳になった。晴れた火曜日。
 4時に起床した。6時にウォーキング開始。鎌倉にはまだ初詣のひとがいた。海岸からの帰り道はいつもと違って源氏山公園を経由した。
 箱根駅伝は東洋大学が大会新記録で総合優勝した。往路の柏原選手が超人的な山登りをした。
 毎年、この日は自宅で食事会をする。1月に誕生日を迎えるわたしと妻、妹の夫のお祝い、年賀のお祝い、去年できなかった娘の成人のお祝いなど、理由はたくさんあった。
 この日のために暮れに築地市場に買い出しに行っていた。
 メニュー。
 デンマークチーズピザ。成城石井にあったデンマーク産のチーズを使ったピザ。生地は手作り。北海道産の薄力粉「ドルチェ」と同じ北海道産の強力粉「はるゆたか」を同量使って作る。
 スルメイカ。関所の若女将に以前もらって冷凍しておいた新潟の一夜干し。網で焼いた。
 タラバガニ。築地で買ってきた。関節ごとに切り分けて、殻を半分だけ割いて、肉を出し、網で焼いた。
 マグロの刺身、マグロの握り寿司、軍艦巻き。
 千鳥酢サラダ、イーフー麺、ローストビーフ。
 親父が「このスープはうまい」とラーメンスープを褒めてくれた。築地で買ってきた「矢澤肉店」のばら肉を3時間煮出して取ったスープをベースに、ラーメンを作った。ばら肉だけだと脂っこくなるので、ネギやしょうがもたっぷり入れて煮る。
 おなかの皮が破れるのではないかと思うほど、たくさん食べた。集まった家族や親族も「苦しい」と言いながら食べていた。
 わたしは、元旦から3日間をいつもと同じように過ごした。
 少し運動不足になるので、一日のなかで時間を見つけて、大船仲通を歩いた。大船仲通商店街は、不景気の時代のなかで多くはシャッターを閉め、5日とか7日とかからの営業開始を宣言していた。一年のほとんどを歩行者天国かと間違えるほど、仲通にはひとがあふれる。それが正月の3日間はほとんど人通りがなくなる。ぜいたくな空間を独り占めして歩く。
 歩きながら、去年の大震災からまだ1年も経っていないことに驚く。
 またことしも去年の正月と同じような3日間を自分が過ごしているからだ。
 しかし、同じように見えても、気持ちのなかではまったく去年までとは違う。いまも被災地では多くのひとたちが仮設住宅で暮らしている。経験したことのない心細い正月だろう。深刻になりつつある放射能汚染によって、強制的に住居や暮らしを奪われた福島県のひとたち。見知らぬ土地での正月は、なんらかのこころの区切りがつくものなのか。

6743.3/28/2012
坂の下の関所 第15章...story314

 2012年。辰年。元日。日曜日。晴れ。
 わたしは午前3時半に起きた。
 大晦日に作っておいた昆布出汁とどんこ出汁を取り出した。沸騰した湯に鰹節を入れて、出汁を作る。冷めたら、昆布出汁とどんこ出汁にくわえて、一番出汁にした。
 それを基にしてお雑煮の汁を作る。鶏肉・大根・人参を入れて、酢・醤油・酒・塩で味付けをした。早朝のキッチンに、和風出汁の落ち着いた香りが漂った。
 築地に買い出しに行くメンバーと6時に待ち合わせて八幡宮へ初詣に行く。例年は、徹夜で盛り上がってきたひとたちが家路に着く時間なので、横浜や東京から電車で初詣に来るひとたちとの隙間で境内はひとがいない。しかし、ことしはいままでよりも多くのひとがすでに参拝に訪れていた。
 8時前に自宅に戻り、となりに住む親父に挨拶に行く。
 午前中は、だらだらと実業団駅伝を見ながら、お雑煮やおせち料理を肴に日本酒を飲む。
 14時からボウリングをした。親父たちのソフトボールチームのメンバーで、深沢の湘南ボウルに集合した。ボウリングは1時間で終了。15時からボウリング場に併設している居酒屋風ファミレスで新年会。さらに夕刻には大船に行き、メンバーが馴染みのスナック「鎌倉」で飲む。煮しめやおせちなどの正月料理が登場した。カラオケで歌いまくる。帰り道、「天龍」でラーメンを食う。どこをどう歩いたのか、だれがいくら支払いをしたのか、まるで覚えていない状態で、家にたどり着いた。
 らしい。
 そのまま、風呂には入らないで寝る。
 坂の下の関所は、元旦から3日まで連休。いつも毎週火曜日しか休みがないから、大将や若女将にはゆっくり心身ともに休養を取ってほしい。年末に聞いたところでは、お子さんたちにプレゼントされた新潟の温泉旅行に行くと言っていた。
 正月2日。曇りの月曜日。5時に起床した。小雨が降る。6時に鎌倉をウォーキング。前日よりも人出が少なかった。駅前のベッカーズでホッとドックを食べた。こういうチェーン系のお店は気軽だが気楽にはならない。都会のなかで「ひとりぽっち」を意識してしまう。
 多くの知り合いとわいわい言い合いながら、立ち飲みをする関所の存在が大きい。
 帰宅して、箱根駅伝をラジオで聴きながら仕事をする。午後は、大船で本を買う。ことし最初の銭湯、野田の湯に行く。
 なんと、やっていなかった。

6742.3/27/2012
坂の下の関所 第15章...story313

 翌日も、わたしは夕方から野田の湯に行く。
 きのう、銭湯であたたかったからだは、夜になっても冷えることなく、むしろ羽毛布団では汗をかいたほどだった。
 着脱場で服を脱いでいると、宇佐斗さんが風呂場から出てきた。
「あれ、きょうは遅いじゃないの」
「いや、別にそんなことは」
 いつも決まった時間に野田の湯に行く宇佐斗さんにしてみれば、時間を決めていないわたしの行動は、不思議なのかもしれない。
 かけ湯をして下半身を洗い、日替わり風呂で腰湯をする。ちょうどお客さんが少ない隙間の時間になった。広い風呂場が自分ひとりのための貸しきり空間になる。これなら450円は高くないかもしれない。
 となりの寝湯や超音波風呂にも行ったり来たりする。電気風呂には関心があるが、なかなか勇気が出ない。肩こりがひどかったときに、接骨院で電気治療をしたときの緊張した記憶がこびりついている。
 水風呂にも入る。サウナ客に迷惑をかけなければ水風呂も入っていいのだ。
 たっぷり時間をかけてお湯で古い角質をふやかして、からだを洗う。
 1時間ぐらい入浴して、出た。服を着ていると、番台のほうから大きな声が聞こえてくる。聞き覚えのある声だ。
 ありゃぁ、宇佐斗さんの声だ。
 わたしが来たときに出たのだから、ずい分長い時間、帰らないで番台で世間話をしているようだ。からだが冷えないのだろうか。
 わたしは着替えて、ロッカーの鍵を番台に返しに行く。
「ありがとうございました」
「はい、どうも」
 女将が番台に座っている。
「おぅ、センセーもこっちにおいでよ」
 番台の奥に、カタカナのコの字をしたようにソファが設置されていた。中央に小さなテーブル。そこにはカップの焼酎とホッピー、さきいかが乗っている。宇佐斗さんは、風呂から出てからかれこれ1時間も、ここで女将を相手に飲んだくれていたのだ。
「ここで酒を飲んでいいんですか」
 小声で質問する。
「いいもなにも、飲んじゃってるんだから」
 答えになっていない。ソファの横に、牛乳やジュースを冷やしている小さな冷蔵庫があった。壁が透明なガラスなので、なかが見える。その一番下の段に、レジ袋があった。宇佐斗さんは冷蔵庫のドアを開けると、そのレジ袋を取り出して、なかから新しいワンカップの焼酎とホッピーを取り出した。
「え、これって宇佐斗さんのキープなんですか」
 宇佐斗さんは、目を細めて、小さく頷いた。

6741.3/26/2012
坂の下の関所 第15章...story312

 わたしは、日替わり風呂から、一部始終を見ている。緊迫のドラマだ。
 鏡に写る背中のおあにいさんを宇佐斗さんが確認する。背中に絵が描いてあるおあにいさんは、自分の汗が宇佐斗さんの背中に飛んだことなど気づいていない。きっと気づいていても、なんとも思わないのだろう。
 そのまま、どぶんと水風呂に飛び込んだ。
 宇佐斗さんの堪忍袋の緒が切れた。振り返りざま、罵声を浴びせる。
「てめぇの汗が俺の背中に飛んだんだよ、おらおら、流せや。それになぁ、水風呂に入る前には汗を流してから入るんだよ。何にも知らねぇのか、おんどりゃ」
 おあにいさんは、負けてはいない。こういうときのために、日々、覚悟を決めているのだろう。
「なんだとぉ」
 水風呂から飛び出すや、宇佐斗さんに歩み寄る。
 ふたりの大声が、銭湯全体に反響する。たぶんとなりの女風呂にも届いているだろう。さっきまで、大声で聞こえていたおばちゃんたちのおしゃべりが沈黙している。
 扉が開いて、野田の湯の女将がモップを持って登場した。
「ふたりとも、何してんのよ」
「こいつが、俺にけちつけんだよ」
 おあにいさんがすごむ。しかし、ちょっと言い訳がましい。仁義なき世界のひとたちは、いちいち理由など言わないのではないか。
「あー、いいところに来てくれたぁ。このあんちゃんが、大事な大事なお客さんたちに迷惑をかけていたから、やさしく注意申し上げていたんです。そうしたら、かっとなって、暴力をふるってきて」
 宇佐斗さんの声は、さっきまでと異なり、いまにも泣きそうな小市民の声になっていた。
「ほんとなの、あんた。彫り物があるからって、いきがってんじゃないよ。何だったら、警察呼んでもいいんだよ」
 おあにいさんは、たぶん年齢は30代だろう。いきがってはいるが、修羅場の踏み方は少ないかもしれない。警察という言葉を聞いて、ややしゅんとなる。
「いや、暴力なんて、なんにも。ねぇ、みなさん、そうでしょ」
 急に周囲にいるわたしたちに援軍を求める。さっき、宇佐斗さんにかけ湯をしないで怒鳴られた若者が、どうしたらいいものか困っている。
「あ、そうだ。そろそろ出ようと思っていたんだったっけ。それじゃ」
 おあにいさんは、やや肩を落として背中を丸めて風呂場から出て行った。その背中を女将が追う。着衣場で、女将がおあにいさんに説教をしている。ドアが閉められて聞こえない。
 シナリオのある演劇みたいだった。日替わり風呂から出て、宇佐斗さんのとなりに座る。
「びっくりしました。まるで、ドラマみたいでしたよ」
「バッパとは、いつもこうして役割分担しているの」
「バッパって、だれですか」
「ここの女将だよ」
 ちゃんとシナリオのある演劇だったのだ。

6740.3/24/2012
坂の下の関所 第15章...story311

 日替わり風呂に入って汗を流す。
 宇佐斗さんも、同じ風呂に入ってきた。
 ドアをくぐって、30代の若者が入ってきた。近くのアパートで一人暮らしでもしていそうだ。その若者が、かけ湯をしないで、日替わり風呂に入ろうとした。
「あんちゃんよ、股の垢を落としてから入ってくれよ」
 宇佐斗さんの檄が飛ぶ。若者は、一瞬怪訝そうに目を細めた。しかし、汗粒が光るスキンヘッドに恐れをなして退散する。
「まったくよ、親は何を教えてるんだか」
 彼が風呂に入ってきたら、わたしは宇佐斗さんみたいに注意を与えただろうか。いやな気持ちになりながらも、見て見ぬ振りをしたかもしれない。風呂場のご意見番、宇佐斗さんは貴重な存在だ。
「若いやつぁ、まだいいよ。こないだなんか、いい年した爺が、こきたないもんぶら下げて、そのまま入ろうとしたから、ふざけんなって脅してあげたよ」
 そのおじいさんは、心臓が縮み上がったかもしれない。
 悪いことは悪いと、ズバッと言う。
 かつての町には、その機能があった。たとえ知り合いではなかろうとも、やってはいけないこととやっていいことの違いを、町のひとびとが共有していた。しかし、いつからか、こちらが注意をしても、逆切れされて、ひどい仕打ちにあってしまうような時代になった。そうなると、ひとはトラブルを恐れて、他人との境界線をくっきりと引いてしまった。
 だから、宇佐斗さんのように、高らかにその境界線を越えていくひとの近くにいると、気持ちがいい。スカッとする。
 そういえば、関所で世話になった赤坂さんも、だれかれとなくお客さんに声をかけていた。こどもにも、おとなにも、分け隔てなく声をかけていた。タバコを買いに来た仕事帰りのひとには、必ず「お疲れ様」と背中に声をかけていた。
 宇佐斗さんは、わたしよりも後に風呂に入ってきたのに、さっさと上がってスキンヘッドにかみそりを当て始めた。毛が抜けたわけではないので、まめに剃らないとどんどんひげみたいに生えてくるのか。意外と手間がかかりそうだ。
 野田の湯には別料金でサウナがある。日帰り温泉のような大きなサウナではない。テレビもない。ときどき利用しているひとがいる。
 大きな木の扉を開けて、サウナに入ってきた「おあにいさん」が登場した。背中に絵が描いてある。日帰り温泉は、からだに彫り物のあるひとや、シールを貼っているひとの来店を断っている。しかし、銭湯は基本的にだれでも受け入れる。
 おあにいさんが、からだの汗を両手でぬぐって、あたりに散らした。その散らした汗が、かみそりでスキンヘッドを剃っている宇佐斗さんの背中に飛んだ。
 やべぇぞ。