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6739.3/20/2012
坂の下の関所 第15章...story310

 素っ裸になって風呂場に入る。乾いている椅子と洗面器を探す。早い時間では、だれも使っていない椅子や洗面器があるからだ。
 湯船に近い洗い場に、液体シャンプーと固形石鹸とかみそりを置く。かけ湯をして下半身を洗う。ときどきかけ湯も、下半身洗いもしないで、すぐに湯船にどぶんというひとがいる。不潔、不衛生きわまりない。たいがい、そういうひとがいると、湯船に入っているひとがいやな顔をするが、口に出して注意をすることは少ない。
 まずは、日替わり湯に腰まで浸かる。ここは毎日すべての湯を交換しているので、一番風呂を目指すひとたちの人気が高い。きょうは「ゆず」だった。温度計は40度をさしている。湯から出ている部分にじっとり汗が噴き出す。今度は肩までゆっくり浸かる。頭のてっぺんからスーッと汗の雫がおでこに降りてきたら、いったん出て、小休止。
 次に、寝湯に入る。こちらは広い浴槽になっていて、電気風呂、寝湯、超音波風呂がセットになっている。眉間に皺を寄せて電気風呂で格闘しているひとがいた。わたしは寝湯にからだを横たえる。ここの温度計は50度近くをさしている。かなりの高温なので、水で薄める。どんなに水で薄めても、温度が下がればふたたび熱水を加えるようにできているので、水を入れることに躊躇はいらない。
「はぁー」
 思わず、声が漏れる。一年の疲れがどーっと毛穴から抜け出ていく。
 全身の皮膚の表面がぶよぶよし、古い角質がはがれようとし出したら、湯から上がる。
 洗い場で、髪の毛から洗う。次に石鹸を泡立ててひげを剃る。最後にタオルに石鹸をつけてからだを洗う。わたしは家では、泡立てた石鹸を手に盛って、そのままからだを洗っている。石鹸は必要な油分まで落としてしまうので、タオルでごしごしということはしないようにしている。しかし、銭湯ではなぜだかタオルで隅々まで石鹸の泡を塗りたくってしまう。
 たぶん、深い理由はない。
「ここ、空いてますか」
 となりに来たひとがいう。
「どうぞどうぞ」
 顔も見ないで、返事をした。
「本日は、ご利用いただきありがとうございます」
 はぁ?わたしは鏡に移った隣客を見た。そこには宇佐斗さんがいた。
「あれ、宇佐斗さん。そっか、いつも来ているんだもんね。でも、きょうは早いんじゃないの」
 関所で飲んでいると、いつも風呂上りの宇佐斗さんが登場することを思い出した。宇佐斗さんは、内風呂があるのに、毎日銭湯に通う精神的に余裕がある種類のひとたちのひとりだ。
「冬はね、畑に行ってもすることがないから、きょうはずっと家で読書をしていたの」
 ときどき見知らぬひとが手を合わせて拝むという、宇佐斗さんのスキンヘッドを見ながら、これならシャンプーはいらないだろうなぁと想像した。

6738.3/18/2012
坂の下の関所 第15章...story309

 12月最終週。
 わたしは、関所近くの銭湯「野田の湯」に行く。午後3時から開店なのだが、なぜか3時に行くともうからだを洗っているひとたちがいる。高齢の方々なので、服を脱ぐのに時間がかかるはずだ。銭湯に通う高齢のひとは、しゃきしゃきしていて、さっさと服を脱ぐことができるのか。いや、そんなことはない。パンツを脱ぎながらバランスを崩し、倒れそうになったひとをわたしは支えたことがある。だから、公式発表は午後3時開店だが、実際にはそれ以前にシャッターを開けているのだろう。みんな一番風呂に入りたくて、開店前から来ているのだ。
 鎌倉市内には、銭湯は4軒ある。材木座の「清水湯」。大船の「ひばり湯」。富士見町の「常楽湯」。山崎の「野田の湯」。4軒の銭湯のうち、清水湯を除く3軒は大船地区に集中している。わたしは、自宅から歩いて野田の湯に行けるが、となりに座ったおっちゃんと話をすると、腰越とか深沢など遠方から車で銭湯に来ているひとが少なくない。
「いいなぁ、あんちゃん。歩いて帰れるのか」
 おっちゃんの多くがうらやましそうにつぶやく。以前は、それぞれの地区に歩いて通える銭湯があったのだろう。しかし、どこの家にも内風呂が普及して、地域の銭湯は廃業したのかもしれない。だから、内風呂が普及しても、銭湯が残っている地域は貴重だ。そこの地域には内風呂がない家庭が多いわけではない。内風呂があっても、あえて450円も払って銭湯に行く精神的に裕福なひとたちが多いのだ。
 ということにしておこう。
「こんにちは」
 わたしは入口の自動ドアをくぐって、番台に450円を置く。
「いらっしゃい」
 だみ声のご主人、戸田さんが迎えてくれる。戸田さんの長男は、わたしの中学の先輩だ。同じ野球部の先輩だ。上下関係が人間関係を規定していたかつての体育会系野球部では、先輩と後輩の関係は殿様と家来のように厳しかった。だから、いまでも犬の散歩をしている長男の戸田さんに会うと、緊張してしまう。いまは銭湯の従業員という立場だ。しかし、先輩の父親にあたる戸田さんとは、無関係なので、緊張することはない。
「冷えますねぇ」
 番台に置いてあるロッカーのキーを受け取る。
 着脱場では、きょうも高齢の方々がゆっくりと服を脱いでいる。風呂場を見ると、まだ3時から数分しか経っていないのに、もう湯船に浸かっているひとやからだを石鹸の泡まみれにしているひといる。
 いったい、何時に来ているの。
 わたしは、ロッカーキーの番号を見て、同じ番号のロッカーの扉を開ける。着替えや貴重品を入れる。
 となりでパッチを脱ごうとしている高齢の方が片足立ちで裾を払おうとしてバランスを崩す。
「おっと」
 わたしは、倒れ掛かる肩を支える。
「わりいねぇ、あんちゃん」
 いえいえ、当然のことですよ。

6737.3/17/2012
坂の下の関所 第15章...story308

 暮れの関所は、毎年、立ち飲みが終了になる。
 お歳暮を買いに来るお客さんが増えるので、立ち飲み客がうろうろしていると迷惑をかけるからだ。ちょうど、シンロートや首都リーブスのような近くの会社が御用納めになって、仕事帰りに関所に寄る仲間がいなくなる時期とも重なる。
 しかし、わたしが関所で長居をするようになって、自宅が関所近辺にある仲間も、立ち飲みをするようになった。このひとたちは、暮れのほっと一息を関所で過ごすことができない。そんなとき、年末、ぎりぎりまで営業しているバス停前の焼き鳥屋「鳥藤」は憩いの場所になる。
 わたしは、関所の奥の冷蔵庫から鳥藤のママに頼まれた築地からの品物を運び出す。
「これから、鳥藤に荷物を運びます。佐藤さんも行きますか」
 足下に築地の品物を置いたまま、佐藤さんは考える。
「新鮮なままうちに持って帰った方がいいか、ちょっと一杯飲んで帰った方がいいか、迷うなぁ」
 佐藤さんは、右手で頭をなでながら悩んでいた。
「誘っておいて申し訳ないけど、鮮魚を買ってきた身からすると、一刻も早く家の冷蔵庫に運び入れてほしいです」
 わたしは、念を押す。
「やっぱ、そう」
 なんだ、わかっているのに、言ってみただけか。
 ふたりでバス停まで歩く。
「まだしばらくはこっちに来るんですか」
 佐藤さんの家は、ここからバスで7個ぐらい先なのだ。大船駅から途中下車しないでまっすぐ帰った方がずっと早い。でも、いつも関所や鳥藤に顔を出す。
「もう少し仕事があるので、たぶん来ると思います。でも、関所は休みだから、焼き鳥屋です」
 厳密には休みではない。関所は酒屋としての使命を果たすために、年末の大忙しモードに入るのだ。そのため立ち飲みという「行為」が休みになるのだ。
「じゃぁ、まだ年内は鳥藤で会えるかもしれませんね」
 ちょうど大船から京浜急行バスがやって来た。軽く手を振り、わたしは佐藤さんと別れて道路を渡る。
 3月に大きな地震があった2011年。もう少しで、終わろうとしている。来年以降は、2011年は過去になる。本当に過去にしてしまっていいのだろうか。震災で大きな被害を受けたひとたちは、復興の名の下に、安心した年末を迎えようとしているのだろうか。
 小さくなっていく佐藤さんを乗せたバスの背中を見ながら、ため息をつく。

6736.3/13/2012
坂の下の関所 第15章...story307

 12月24日、土曜日。早朝、5時に出発した。
 首都高速道路は順調で、築地本願寺周辺には、6時に着いた。
 毎年、暮れの買い出しは駐車場渋滞があるので、いつもよりも30分早く出発している。それでも、築地入口の信号から渋滞にはまった。
 予想以上に、早く帰る業者の車があったので、駐車場にはスムーズに入ることができた。
 おもに、関所に立ち寄るひとたちから受けた注文を次々と買い求め、9時には買い物を済ませた。鎌倉には10時過ぎに戻った。
 今回の買い出しでは、シンロートの社員、山ちゃんこと山田さんから大量の注文があった。マグロの中落ちや無頭冷凍海老などを、山ちゃんが指定した大船の立ち飲み屋に運んだ。昼過ぎの仕込みの時間に、大きな発泡スチロールを抱えて、ドアを開けた。
「こんにちは」
 間口は狭いが、奥行きのある店だった。立ち飲みと言いながら、カウンターにはバーの止まり木があった。
「あの、山ちゃんから頼まれていたものを運んできました」
 店主と思われる初老の男性に声をかける。
「そこのテーブルに置いておいて」
 そのとき、水洗トイレが流れる音がして、山ちゃんがトイレから出てきた。
「あー、センセー。ありがとう」
 ふだん見かける山ちゃんは夕方6時以降だ。仕事を終えてから会うのだから当然だ。こうやって、土曜日の昼間に明るい店内で会うと、何だか恥ずかしい。
「じゃぁ、俺、行くから。なかに伝票とおつりが入っているので、わかんないことがあったら、関所で言ってください」
「あいよ」
 もう山ちゃんの額は赤くなっていた。荷物が届くのを待って、飲んでいたのだろう。
 たしか、山ちゃんの家は相鉄線沿線のはずだ。なのに、休みの日に大船まで出てきてくつろげる店があるというのは、驚きだ。
 わたしは、仕事に就いたときから、仕事場の近くではあまり飲食をしないようにしていた。自宅に近いところまで戻ってきて、ほっと一息するタイプなのだ。仕事場の近くで、飲んでしまうと、きっと家に帰れない自分が想像できた。
 いったん家に戻る。朝からの疲れを取るために腰湯をした。
 午後5時に関所に行く。ちょうど、ドクター佐藤が築地の荷物を受け取るために関所に到着した。

6735.3/10/2012
坂の下の関所 第15章...story306

 わたしは、2ヶ月に一度ぐらいの割合で、築地に買出しに行く。
 築地、正確には東京都中央卸売り市場築地市場。魚介類が有名だが、青果部もあり、九州から完熟マンゴーも届いている。
 市場周辺には、おもに寿司屋を中心にした鮮魚中心の飲食店が軒を連ねる。魚屋も多い。いわゆる場外市場だ。
 多くの観光客は、場外のお店で何時間も並んで握り寿司を堪能する。それが「築地に行った」ことになる。
 しかし、わたしは仲卸が業者に販売する市場内で直接の買い物をする。場内と呼ばれるエリアでの買い物をする。
 全国から築地には、季節の旬のものが集まる。そして、年間を通じて、よいものが、とても安い。そもそも卸売りなので、ここで高値がついたら、魚屋の店先に並ぶときには庶民には手が出せない値段になってしまう。
 築地に行くようになって、もう10年近くになると思う。
 最初は自宅用の買い物をしていたが、少しずつ知り合いから注文を受け、それらも買ってくるようになった。
 12月下旬、この年の最後の買出しを予定していた。すでに関所に集まる佐藤さんやカンちゃん、山ちゃん、そして若女将から注文を受けていた。とくに手間と時間を必要とするマグロの中落ちは事前の電話予約が必要なので、注文は締め切っていた。
「わたしも、お願いしようかなぁ」
 宇佐斗さんは、注文すれば、簡単に品物が届くとでも思っているかのように気軽に言う。
 別に、わたしがお願いして注文を集めているわけではないので、お願いされなくてもいいのだが。
「いや、そんな無理に注文しなくてもいいんですよ。宇佐斗さんは、食べ物にこだわりがありそうだし」
 それとなく、お断りの打診をする。
「そーだなぁ」
 わたしが、若女将に渡した注文書の一覧に目を通している。まったく、わたしの言葉は耳に届いていないらしい。
「庄内のマダラって入るかなぁ」
 食べ物の話をするときの宇佐斗さんの目は、ふだんの半分ぐらいに細くなって幸せそうな表情になる。
「近海ものを扱う小畑さんという魚屋さんに聞いてみないとわからいないです」
 一応、注文者のリストに宇佐斗さんも加えてあげることにした。

6734.3/9/2012
坂の下の関所 第15章...story305

 宝焼酎のワンカップと黒ホッピーをもって、宇佐斗さんは若女将にお金を払う。
「これを飲んだら、黒ビールなんて飲めなくなるよ」
 日本酒ばかり飲んでいると、肝臓の値が悪くなるので、なんとかノンアルコールで喉ごしさわやかにと思って、以前、ホッピーをストレートで飲んでいた。いつの間にか、黒ホッピーが入っていた。
「黒ホッピーって珍しいですね」
 頭髪を全部剃った宇佐斗さん。いわゆるスキンヘッド。お寺に関係はないが、ときどき街で見知らぬひとに手を合わせられるという。その頭頂部を右手でポンポンと叩きながら目を細める。
「ここにホッピーがあったから、若女将に黒ホッピーも入れてってお願いしたんだよ」
 生ビールを入れる大きめのプラスティック容器にドボドボと宝焼酎を入れる。そこに、黒ホッピーを勢いよく注ぐ。ジュワーッと泡が湧き起こる。まるで黒ビールだ。
「ほら、あなたもちょっとやってみなよ」
「ありがとう、いただきます」
 わたしは小さめのコップを差し出す。宝焼酎が半分も入ってしまった。
「えー、こんなにいらないのに」
「ま、いいからさ」
 黒ホッピーが注がれる。乾杯。
 口にした焼酎の黒ホッピー割りは、たしかに黒ビールのような飲み口だった。さらに黒ビールのようなまとわりつく甘さや香ばしさはそんなにしない。
「あら、これ、飲みやすいですね」
 目を細めて、宇佐斗さんは小刻みに頷いた。
「そういや、オタクの娘さんのことを倅に聞いたら、よく知ったいたよ」
 以前、互いの家族の話になったとき、偶然にもこどもどうしが小学校や中学校の同級生だったことがわかった。じゃぁ、こどもに知っているかを聞いてみようとなったのだが、わたしはすっかり忘れていた。
 それにしても、宇佐斗さんはわたしのことを「あなた」だったり「オタク」だったり、異なる代名詞でどうして呼ぶのだろうか。ひとの名前を覚えるのが苦手なのか。
 いや、そんなはずはない。いまは休職中だけど、そもそもタクシー運転手なのだから、お得意さんも含めて、お客さんの名前は仕事がら覚える必要があるはずだ。
「センセー、今度、築地に行くんだってね」
 あら、センセーも代名詞扱いだ。
「はい、よく知っていますね」
「だって、ほら」
 彼が指差した先には12月のカレンダー。そこにはわたしの手で「築地」の文字が買出し予定日に書かれていた。

6733.3/6/2012
坂の下の関所 第15章...story304

 冷たい床に横たわりながら、赤坂さんは二日間も何を思っていたのだろうか。
 その数日前に、会社の健康診断の結果が届き、たくさんの再検査に力をなくしていた。
「いらっしゃい」
 若女将は、気持ちの整理をつけながらも、何も知らないお客さんへの対応に追われる。いつも仕事帰りに寄る大工さんだ。いつもと同じタバコとビールを買っていく。
 わたしは、差し入れの入ったタッパーを器に開けて、空になったタッパーを道路に面した流しに持っていく。軽くゆすいでおくと、家に帰ってから洗うときにラクなのだ。
 タッパーを洗って、関所に戻ろうとしたら、さっきの大工さんが神妙な顔でこちらを眺めている。
「いつものあんちゃん、最近見ないけど、どうしたの」
 冬でも真っ黒に日焼けしている彼が、わたしに話しかけたのは初めてだった。
「あんちゃんって」
「ほら、奥でいつも酒を飲んでいる」
 あー、そういえば、大工さんが帰りに立ち寄ると赤坂さんは必ず「ごくろうさん」と声をかけていた。
「赤坂さんのことですね」
「そういう名前なんだ」
「はい」
 わたしは、いま知ったばかりの事実をどこまで話していいものか、瞬時迷う。
 とても個人的な話だ。それを見知らぬひとに話したら、赤坂さんは困るだろうか。いや、赤坂さんにとって、彼は見知らぬひとと言い切れるのか。
「じつは」
 心配してくれているひとに、隠し事をするのはよくない。わたしは彼を信じて、倒れて病院に運ばれたことを話した。
「そっか」
 小さくつぶやいた大工さんは、ヘルメットをかぶった。
「いつも、ここによると彼が声をかけてくれていたんだ」
 ヘルメットのなかから、くぐもった声が聞こえた。赤坂さんのかける「ごくろうさん」の声が、大工仕事を終えて帰宅する彼の疲れを癒していたのかもしれない。
 わたしは軽く会釈をして関所に戻る。彼はバイクのエンジンをかけた。
 タッパーをティッシュで拭いていたら、自動ドアが開いた。
「いらっしゃい、あら、いまお帰りですか」
 わたしよりも背が高い宇佐斗さんが、風呂上りの湯気を漂わせて登場した。
「こんばんは」
 わたしは、何を飲もうか考えている宇佐斗さんに挨拶をした。その声が聞こえているのか、宇佐斗さんは、あごをやや突き出しながら会釈を返した。

6732.3/4/2012
坂の下の関所 第15章...story303

 鎌倉から仙台へ。電話をする。
「あ、突然の電話でごめんさいね。わたし、鎌倉の酒屋の者なんですが、いつも赤坂さんにお世話になっているんですよ。それが、ここ数日、会社にも店にも顔を出していないので、心配になってお電話しました。いつもは休むときは必ず電話をくれる赤坂さんが、何の連絡もしないので。えー、はい、何度かご自宅に電話をしたのですが、どなたもいらっしゃらないみたいで。息子さんは仕事が忙しくて、職場に寝泊りをしていると赤坂さんが言っていたような気がします。はい、それでね。大変申し訳ないのですが、娘さんの連絡先を教えていただけたらと思って電話を差し上げた次第です。ごめんなさいね、びっくりなさったでしょう。あ、はい」
 どうやら、先方は電話を信用してくれたらしい。受話器をもつ若女将が右手にペンを持つ。
「はい、はい、はい」
 電話番号をメモする。
 数分後、今度は教えてもらった電話番号へかけ直す。
「もしもし、わたし、鎌倉の酒屋の者なんですが」
 若女将は、事情を説明し、電話をかけた理由を話す。しばらく、無言で相手の話を聞いていた。表情が強張る。
「わかりました。くれぐれもお大事にと娘さんにお伝えください」
 静かに受話器を置いた。
「どうだったの」
 わたしは、いやな予感が当たっていないことを祈った。
「電話の相手は娘さんの旦那さんだったの。さっき赤坂さんと同じアパートの方から電話があって、何日も新聞がたまっていて不審に思ったんだって。そんなことはしないひとだから、ちょっと様子を見てあげてって。それで、すぐに娘さんがアパートに行ったら、倒れていた赤坂さんを見つけて、いま救急車で病院に運んだって連絡があったって」
 倒れていたってどういうことか。救急車が運んだということは、少なくとも最悪の事態は避けられたのだ。救急車は生きているひとしか運ばない。
「きっと詳しいことはこれから病院で明らかになるんだろうね。でも近所のひとが気づいてくれてよかったぁ」
 わたしは、全身の力が抜ける思いだった。
「それから、意識はあるって」
 意識不明になると、極端に生命を維持する能力が落ちる。倒れたからだで、必死に生きながらえようともがいていたのかもしれない。ただし、いつ倒れたのかが、今後の回復への分水嶺になるだろう。
 もっとも最悪なのは月曜の夜からだった場合だ。発見されたのが水曜の夕方。丸二日間近く倒れたままだったとしたら、動けない理由によっては後遺症が心配だ。

6731.3/3/2012
坂の下の関所 第15章...story302

 月曜日。
 その日は、いつもの立ち飲みメンバーだけでなく、久しぶりのメンバーも交代交代で関所を訪れ、とてもにぎやかになった。
 ドアの向こうは冷たい風が吹き抜ける。しかし、関所のなかは忘年会のように盛り上がっていた。配達を終えた大将がレジの奥に座り、瓶ビールをラッパ飲み。妻である若女将が小腹の足しにとおかずを提供していた。おふたりにとっては週に一度の定休日前。気持ちが少し楽になった瞬間だったのだろう。
 そんな喧騒のなかを、いつの間にか赤坂さんは帰って行った。
 いつもは、帰り際に振り返り、立ち飲みメンバーを見渡していくのに。
「そんじゃ」
 その声を聞かなかった。
 あとで思い返せば、よほど健康診断の結果にショックを受けていたのだろう。あるいは、すでに何らかの自覚症状が出ていたのか。
 火曜日で2学期の給食が終了した。こどもたちに配った給食の残りを少しだけタッパーに詰めて関所に運んだ。それも年内は終了した。関所は火曜日で定休日。
 水曜日。仕事を休むときは会社だけでなく必ず関所に連絡する赤坂さんが無断で休んだ。
 そして木曜日。
 わたしは、いやな予感がしていた。
「ただいまぁ」
 関所の自動ドアをくぐる。赤坂さんがいつもいるはずの正面の棚の向こう側を見る。
 いない。
「おかえりー。きょうも休んでいるらしいの」
 若女将が、わたしの視線に気づいて、教えてくれた。
「らしいって」
「昼に、烏ちゃんがタバコを買いに来て教えてくれたの」
 烏丸さんと赤坂さんは、関所の前の首都スリーブで働いている。
「絶対におかしいよ。こんなに長く無断で休むひとじゃないもん」
 わたしは、以前、焼き鳥屋「鳥藤」のママが倒れているのではないかと、ドクターの佐藤さんと心配して走り回った。
 荷物を置いて、頭を回転させる。
「赤坂さんの娘さんの電話番号ってわからないかなぁ」
「ちょっと待ってね。えーと直接はわからないけど、彼、こないだ仙台のご親戚に進物を贈っているから、その送り状の写しが残っているはずなんだ」
 書類フォルダーをめくりながら、一枚の薄い送り状を引き出した。
「あ、書いてある書いてある。ここに電話をして聞きだそう」

6730.2/28/2012
坂の下の関所 第15章...story301

わたしを関所に導いた日本酒が大好きな赤坂さんに贈る

 2011年暮れ。
 冬至が過ぎて、すっかり暗くなるのが早くなっていた。
「ただいまぁ」
 わたしが関所の自動ドアをくぐると、右側のレジに若女将。
「お帰りー。きょうも歩いて来たの」
「いや、寒いので電車です」
 藤沢の職場から関所まで歩いてちょうど一時間の道のりを、明るい季節は歩いて帰っていた。
「こんばんは」
 わたしは正面に日本酒やワインの棚を見ながら、右に折れ、レジ横のワンカップや焼酎が置いてある棚コーナーに荷物を置く。定位置だ。
 正面の棚の後ろ側は、塩やごま油などの調味料が並んでいる。その端に、30センチ四方のベニヤが置かれ、赤坂さんがコップに日本酒を注いでいた。注ぎながら、ため息をつく。
「あー、また病院に行かなきゃぁなんねぇ」
 会社の健康診断が数日前にあった。
 いつも結果はあまり良好ではない。再検査の指示が多いのに、行かない。
「前に再検査というから、病院に行ったのに、何でもないですよって言われたから、それ以来、行かないことにした」
 行かないのではなく、行かなくなったということを強調していたことがある。
 たしかに健康診断や人間ドックでは、再検査の指示があっても後日精密検査をすると異常なしということは少なくない。本当は喜ばしいことなのだが、ちょっと腹が立つ。赤坂さんの気持ちもわからないでもない。
「また結果が悪かったんですか」
 わたしは、奥の保冷庫から山口県の日本酒「山猿」を持ち出す。
「いつものことなんだけど、今回は医者がふたりもいて、必ず行ってくださいだって」
 そんなに悪いのか。
「糖尿だろ、血圧だろ、肝臓だろ。すぐにでも診てもらえってうるさいんだ」
 赤坂さんは、藤沢で息子さんと住んでいる。息子さんは横須賀で仕事をしているので、仕事が遅くなると職場に泊まってくる。結婚した娘さんは、藤沢市からは離れたところに住んでいた。ときどき実家に戻って、赤坂さんの身の回りの世話をするという。
 奥さんは、わたしが赤坂さんと知り合う以前に病気で亡くなっていた。
 息子さんが不在のときは、アパートでひとり暮らしになっていたのだ。飲みすぎて、帰り道に転んでけがをしたことは数度。休みの日には朝からほとんど何も喰わないでウイスキーの水割りを飲み続ける。そのため月曜日に飲みすぎで出勤できないことも数度。
 65歳前後だったと思う。