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6679.11/15/2011
NK細胞と睡眠...6

 自律神経の働きは、そのときどきの状況に応じて体をうまく適応させることだが、それを具体的にみると、このように交感神経と副交感神経という二つの神経が必要に応じて、ちょうどスイッチを切りかえるようにお互いがうまく切りかわりながら、各器官の働きを調節していることがわかる。そのおかげで、体や心の健康が保たれているのだ。
 本来このように、昼間は交感神経が働き、夜になると副交感神経が働いて、うまく自律神経のバランスが維持されているため健康が保たれている。
 ところが、悩みや心配事をかかえて交感神経の興奮状態がつづいたり、夜ふかしして生活のリズムが乱れ、本来なら副交感神経の働く時間帯に交感神経が働く状態がつづいたりすると、二つの神経の切りかえがうまくいかなくなる。そして、交感神経だけが、極端に偏って働くようになる。つまり自律神経のバランスがくずれるのだ。
 その結果、ときには活動させ、ときには休息させるという各器官のコントロールがうまくいかなくなり、全身ありとあらゆる器官にさまざまな不定愁訴(ふていしゅうそ・理由のはっきりしない痛みや不快感)があらわれる。これが自律神経失調症だ。

 副交感神経は午後10時前後から午前2時前後まで活発に活動すると言われてる。
 副交感神経の働きが活発になると、生体内にエネルギーを蓄積する方向で作用し、その為に、心臓の働きは低下し、心拍数は減り血圧も低下する。その反面、消化管運動や胆汁や唾液の分泌は高まり、血管は拡張し、体の末端が温まる。またストレスを抑制しリラックス効果をもたらしたり、細胞の増殖促進などの働きもある。
 この副交感神経が働いている時間帯は、ひとの成長ホルモン分泌が一日で一番多い時間と言われている。
 特に最初のノンレム睡眠のときに一日で最も多くの成長ホルモンが分泌される。まさに午後10時から午前2時が身長がよく伸びるかあまり伸びないかの勝負の4時間なのだ。この時間帯にぐっすりと熟睡していれば、成長ホルモンがど〜んと分泌されることになる。
 夜に何度も起きる、夢をいつも見る・・・は熟睡できていない証拠だ。
 身長を伸ばす成長ホルモンを多く分泌させるためにも、午後10時から午前2時の身長を伸ばすための黄金の4時間にぐっすり熟睡できる環境を整えたい。そのためにも遅くとも9時か9時半には寝床に入る習慣をつけたほうが健康なからだを維持できる。

6678.11/13/2011
NK細胞と睡眠...5

 一日中、体内をパトロールするNK細胞は、ある時間になるとやや働き(活性)が鈍くなる。
 それが午後10時から午前2時の4時間なのだそうだ。
 つまり、NK細胞がちょっとのんびりしながらパトロールをするので、侵入者を見逃したり、がん細胞に気づかなかったりしてしまう。
 だから、そういう時間帯は、からだの機能を全体的に休めて寝ていたほうがいいということになる。

 睡眠時間には個人差がある。
 理想は、毎日午後10時から10時半、遅くとも12時には眠りに就き、午前3時までの「睡眠のゴールデンタイム」はぐっすり眠ること。同じ5時間睡眠でも、午後10時から午前3時まで眠るのと、午前3時から8時までに眠るのとでは、疲労回復などに大きな差が出てくる。
 この時間帯に深い眠りが得られると、成長ホルモンの分泌を促し、子どもの体の成長を促進させたり、大人の老化防止に効果がある。この時間帯は脳細胞の休息・発育にとって大変貴重な時間だから、できる限り子どもには眠ってほしい。美容面からいっても、皮膚をつくり出す基底層の細胞分裂は、午後10時から午前2時ころがもっとも活発なことが確認されている。

 またひとのからだは昼間の交感神経から夜の副交感神経へと睡眠によって切り替わる。
 内臓の機能を支配する自律神経は、交感神経と副交感神経の二つの神経系統から成り立っている。
 交感神経の中枢は、背骨の中を通っている脊髄にある。交感神経は交感神経幹の神経節から皮膚や血管、心臓、肺、食道、胃、腸、肝臓、腎臓、膀胱、性殖器など全身の器官に広く枝分かれしている。
 一方、副交感神経の中枢は、脳神経の末梢や、脊髄の下のほうの仙髄と呼ばれるところにあり、やはり神経節を通して全身に分布している。
 交感神経は、別名「昼の神経」と呼ばれ、昼間、活動的なときに活躍する神経だ。交感神経が働くと、瞳孔は拡大し、心臓の拍動は速くなり、血管は収縮して血圧を上げ、体はエネルギッシュな状態になる。
 自律神経は、体を動かしたり、寒さや暑さなどの物理的な刺激にのみ反応するわけではない。精神的な刺激に対しても働く。たとえば強い恐怖を感じたとき、興奮したとき、はげしい怒りを感じたとき、緊張したとき、悩みや不安をかかえているときなども、それらに反応して交感神経が働く。
 副交感神経は「夜の神経」とも呼ばれ、体を緊張から解きほぐし、休息させるように働く神経だ。副交感神経が優位になると、瞳孔は収縮し、脈拍はゆっくりとなり、血圧は下降して、体も心も夜の眠りにふさわしい状態になる。

6677.11/8/2011
NK細胞と睡眠...4

 ある医療機関の実験で、19名のボランティアが、漫才、漫談、喜劇などを見て3時間くらい笑った実験の結果、笑う前と笑った後の血液を調べたところ、笑った後ではNK細胞の働きが活発になっていることがわかった。またNK細胞の活性化は笑い体験の直後に上昇し、その速度はがん治療に使われている代表的な免疫療法のひとつであるOK432を注射した時よりも早いものだった。

 では、笑うとなぜNK細胞が元気になるのだろう。
 それにはまず「楽しく笑う」といことが出発点になる。
 笑うと脳の前頭葉という部分に興奮が起きて、それが免疫をコントロールする間脳に伝達される。そして、間脳が活発に働きはじめ、無数の神経ペプチドという情報伝達物質を作り出す。この物質は、まるで感情を持っているかのようにそれがいい情報なのか悪い情報なのかを判断し、その判断によって自分の性質を変える。
 楽しい笑いの情報は、善玉ペプチドとして血液やリンパ液を通じて身体の中に流れNK細胞の表面に付着する。それに反応したNK細胞の働きは活性化し、がんを殺す力が強くなるのだ。いわば笑いによって作り出された善玉ペプチドは、NK細胞が戦うための栄養源となったわけだ。反対に悲しみやストレスは悪玉ペプチドを作り出しNK細胞の働きを弱めてしまう。

http://ww8.tiki.ne.jp/~shichifuku/NK/

6676.11/6/2011
NK細胞と睡眠...3

 NK細胞が欠乏すると、がん、後天性・先天性免疫不全症状、慢性疾患、感染症、自己免疫疾患、遺伝子疾患、行為障害などの疾病に罹りやすい。
 NK細胞の活動があまり活発でない若者はがんに罹り易い傾向があり、加齢と共にNK細胞は減退、病原体を攻撃する機能も衰える。
 ストレス・慢性的ストレスによる倦怠感・身体的損傷は免疫不全をもたらし、NK細胞の活動は抑制される。ストレスに継続的にさらされると、NK細胞の活動が停滞しがんなどの進行が加速され、他の免疫機能に影響をおよぼす。
 ナチュラル細胞の活動が鈍くなると、重度の慢性疲労免疫機能障害症候群(CFIDS=慢性疲労症候群)を経験する頻度が高くなる。  NK細胞が十分機能しない場合、他の免疫系統も機能することができなくなる。
 NK細胞の活性は加齢と共に減退する
 NK細胞は年齢によってその数が変化する。生まれたときは数が少なく、加齢にともなって増加。20〜30才の健康な人の場合、末梢血中のリンパ球に占めるNK細胞の割合は約10〜15%くらいだが、50〜60才になると、比率は約20%程度に上昇する。
 しかし、NK細胞の活性(破壊能力)は、逆に、加齢とともに低下していく。NK細胞の活性化は、15歳前後をピークに加齢と共に減少傾向にある。

NK細胞の活性を高めるためには
@喫煙をひかえる
A適度の飲酒を心がける
B質の良い睡眠をとる
Cムリのない適度な運動(歩く)をする
D笑う
E充分な休養などでストレスをためない
F体温を下げない
G薬・抗生物質を乱用しない
Hバランスの良い食事を心がける
I健康補助食品を利用する

 わたしは上記10項目のうち、A以外はかなり自信をもって実行している。
 さぁ、Bの「質の良い睡眠をとる」が出てきた。タイトルの「NK細胞と睡眠」の睡眠だ。
 と、その前にDの「笑う」というのがおもしろいので、こちらを少し説明しておく。

6675.11/3/2011
NK細胞と睡眠...2

 NK細胞の攻撃対象は、自分ではないものと変わってしまった自分だ。
 自分ではないものとは、外部から侵入したもの。バクテリアやウイルスのこと。
 変わってしまった自分とは、がん細胞のこと。
 じつは、健康なひとのからだでも毎日100万個(数千個という説もある)の細胞ががんになっている。
 これは驚きだ。わたしは、NK細胞について調べるまで、そんなにたくさんの細胞ががんになっているとは知らなかった。
 そのがん細胞をNK細胞はやっつけてくれる。

ルイ・パストゥール医学研究センターが提供しているNK細胞が、がん細胞を攻撃する瞬間の写真。
http://ww8.tiki.ne.jp/~shichifuku/NK/

NK細胞が、がん細胞に食いついた瞬間。

NK細胞の攻撃を受けて細胞膜が破られ、死滅したがん細胞は細胞外から流れ込んだ色素で染まっているのがわかる。
京都のルイ・パストゥール医学研究センターが撮影に成功したもの。

 NK細胞)は文字通り生まれついての殺し屋。殺傷力が高く、常に体内を独自でパトロールし、がん細胞やインフルエンザなど、ウイルス感染細胞や細菌を見つけると、単独で直接殺してしまう。この単独でやっつけるというのがミソ。どこかからの指令が出ているわけではないのだ。
 あー、人体は不思議だ。
 もしもNK細胞が裏切って、わたしたちの健康な細胞をターゲットにしたら、恐ろしいことになる。

 2004年、ロックフェラー大学のクリスチャン・マンツ博士、ガイド・ファラッツォ博士によるそれぞれの報告書によると、「身体のNK細胞は感染した細胞を認識し、破壊する能力を得る必要がある」こと、そして「NK細胞に、常時、栄養を与えなければならない」こと、また「NK細胞の、腫瘍や感染した細胞を破壊する能力は、誕生時には持ち合わせていない」ことを発見した。
 さらにマンツとファラッツォの両氏は、NK細胞の機能は、「特定の健全な免疫サポート活動に対して、誕生後、教育され、適応し、的を絞ることを理解し始める」と言っている。
 つまり、NK細胞は栄養と教育を必要としており、どの細胞が有害であるかという知識を、生まれつき持っているわけではないということ、また、特定の病気や感染細胞を攻撃するためには、誕生後に教育された結果、様々な状況に適応し、且つ、攻撃対象に的を絞った機能を持つと述べている。
 からだのどこかにNK細胞のこどもたちを教育する学校でもあるのかもしれない。

6674.11/1/2011
NK細胞と睡眠...1

 わたしたちのからだには白血球という血液成分が流れている。
 白血球は、体内に侵入した異物(ウイルスや菌など)をやっつけたり、体内でがんに変化してしまう細胞を除去したりする役目がある。一般的に「免疫(めんえき)」と呼ばれている作用だ。
 英語ではホワイトブラッドセルというそうだから、白血球はそのまんまの和訳だ。
 白血球にはいくつかの種類がある。
 そのなかにリンパ球と呼ばれている侵入者をやっつけるエキスパートがいる。
 リンパ球の70〜80%は「T細胞」、5〜10%が「B細胞」であることは判っていたが、残りの15〜20%の免疫細胞は長い間不明のままだった。
 この残りの15〜20%にあたる細胞が、NK細胞こと、「ナチュラルキラー細胞」だったのだ。NK細胞は、1975年に米国のハーバーマン、日本の仙道富士郎教授(山形大学医学部教授:免疫学)等によって同時に報告された。
 NK細胞は、NK/T細胞系列の進化において最初に生まれたリンパ球で、形態学的特徴により、大型顆粒リンパ球とも呼ばれている。
 NK細胞は、すでに健康成人の末梢血中にある一定数存在し、T細胞やB細胞が抗原で刺激されてはじめて働くのとは異なり、常に体内を独自でパトロールしながら、がん細胞や、ウイルス感染細胞などを殺す頼もしい「殺し屋」なのだ。
 NK細胞は、体内を常に独自でパトロールしながら、がん細胞やウイルス感染細胞などを発見すると、たとえ攻撃指令がなくても独自に戦闘態勢に入り、強大なパワーで敵(抗原・異常細胞)を殺してしまうという性質を持っている。特に、抗腫瘍効果には抜群の威力を発揮する。

「なぜ、そんな専門的なことをウエイで紹介するの?」

 目が点になってしまう。
 そんなひとに教えたい。
 わたしたちは、毎日、睡眠をとる。しかし、何時に寝ているかによって、からだの修復に差が生じていることがわかってきた。
 各方面の様々な実証や臨床実験から、午後10時から午前2時が睡眠のゴールデンタイムだということが報告されているのだ。どうしても、夜間の仕事でこの時間に起きているひとを除き、多くのひとがこの時間にぐっすり眠ることができれば、心身ともに元気なからだを維持できるというわけだ。
 その時間の睡眠と、NK細胞が関係しているので、なるべくわかりやすい言葉でNK細胞(ナチュラルキラー細胞)について考察する。

6673.10/30/2011
 こどもが小さいときに使おうと思って、おんぶをした上に羽織るコートがあるんですけど。一度も使わなかったんです。そういうのでもいいですか。

 何気ない申し出に聞こえるだろう。
 しかし、わたしは胸の奥がジーンとなった。
 山田さんのこどもは自閉的な傾向があり、おそらく乳幼児のとき母親といえども、肌の接触を拒んだのではないかと想像した。新しい命をおなかに宿し、やがて生まれてきたときのために未来地図を描く。そのときの準備として用意した「コート」だったのではないか。
 自閉的な傾向のこどもは幼いときほど、感覚が過敏だ。音に敏感だったり、光に敏感だったり、それぞれに敏感になってしまう対象は異なるが、肌の接触に敏感なこどもは比較的多い。それを忘れてついつい頭をなでてしまうと、逃げるように嫌がることがある。
 せっかく用意したコートだったが、使われることなく、しまわれていたのだろう。
 それが長い時間を経て、震災の被害に遭った方々へ役に立てばと思ってくださったのではないかと、勝手に想像したのだ。

「もちろんです。ありがとうございます」
 二つ返事で引き受けた。
 数日後、山田さんは大きな紙袋にコートを入れて持参した。
「一応、洗濯機で洗いました。でも、新品ですから、タグをつけ直しておいてます」
 細やかな心遣いに、また涙が出そうになる。
 支援学級の保護者の多くは、とても細やかな気持ちの方が多い。それは、自分のこどものことで、周囲に気づかうことが多いからだ。本当は、よのなかがもっと懐を広くして、いろんな立場のひとをそっと受け入れるようになっていればいいのだが。
 新品かどうかを示すために、タグをつけ直してくれた山田さんの気遣いは、必ず被災地で、コートを手にしたひとに伝わるだろう。
 山田さんのコートをきっかけにして、ほかの保護者からも防寒着提供の申し出が続くようになった。いっしょに働く同僚も、たくさんの女性ものの防寒着をいただいた。
 わたしは、飲み物や肴を買ったときのおつりを梶山さん募金として、提供している。往復のガソリン代や、休憩するときのコーヒー代などの支えになってくれればと願う。
 最近の報道は、大震災の被災地の復興よりも、福島第一原発事故による放射線の放出がらみが増えている。どこそこで○○マイクロシーベルト、どこそこで除染、どこそこで作物から検出など。もちろん、放射線の影響をモニタリングする必要はある。しかし、大津波によって、まだ避難しているひとや、生活の目途も立たないのに避難所が閉鎖されて、ほかの場所に移らなければいけないひとたちがたくさんいることを、忘れてはならない。

6672.10/29/2011
 東日本大震災の後、多くの救援物資が被災地に届けられている。
 そのなかに、自分でワゴン車を運転して、直接避難所に救援物資を運んでいるひとがいる。
 鎌倉市に住む梶山さん(本名)という男性だ。仕事が休みの日を使って一ヶ月に一度ずつ牡鹿半島の避難所に救援物資を運んでいる。話を聴くと、とくに牡鹿半島に親戚や知り合いがいるわけではないという。また、仕事もとくに運送とか医療関係ではないという。
 すごいひとだ。
「震災の映像を見て、これはやばい。何かをしなくちゃと思って、気づいたら、その辺のものをかき集めて、車を走らせていたんです」
 ものすごいひとだ。
 梶山さんがときどきわたしが仕事帰りに寄る近所の酒屋「淡路屋」に買い物に来る。震災前はそんなに話したことはなかったが、震災をきっかけに現地の話を聞く機会が増えた。
「タバコが不足しています」
「ガソリンが足りません」
「ハエ取り紙ってどこで売ってますか」
 被災地に物資を届ける。帰り際に、いま不足しているものを調べる。次に行くときに、それらを大量に運ぶ。これを一ヶ月単位で繰り返している。
 秋になって、女性ものの防寒着が不足していると聞いた。
「牡鹿半島のスーパーは津波の被害で品物がないんです。車を運転できるひとは、遠くの町まで買い物に行けますが、年配のお年寄り、とくに女性は運転できないひとが多くて、これからの寒い季節に防寒着が買えないそうです。なんとか、集まりませんか」
 夏の終わりに、梶山さんが淡路さんに集まる酒飲みに訴えた。
 淡路さんでは、店頭に救援物資募集の貼り紙をしている。その貼り紙を見て、物資を届けてくれる地域のひとがいるという。
 わたしは、学校でポスターを作って、廊下に貼った。特別支援学級では、こどもの登下校は保護者の送迎が原則になっている。だから、ほぼ毎日、わたちたち支援学級の教員はすべてのこどもの保護者と一声を交わす。
 その保護者たちが昇降口から教室まで来る途中の廊下にポスターを貼った。しばらくは、何の変化もなかったが、9月の終わりぐらいから、ポスターのメッセージを読むひとたちが増えた。
「センセー、まったく使ってないんですけど、昔のものでもいいですか」
「昔、上のこどもが着たセーターがあるんですけど」
「娘が一人暮らしを始めて、いらないって言った上着がたくさんあって、処分しようと思っていたんだけど」
 わたしに、質問するひとたちが増えてきた。
 そのなかのひとり、山田さん(仮名)は支援学級の保護者だ。

6671.10/23/2011
 赤い棒を持ち、トラックを狭い路地に誘導する大町くん。
 仕事をしているので、迷惑にならないように、声をかけないで通り過ぎる。
 その後も、その工事現場を通るたびに、彼の居場所を探した。
 ある時は、敷地の隅っこの水場で顔を洗っていた。またある時は、プレハブ小屋で土木作業のひとと親しそうに話していた。多くの作業員が帰り支度をするなか、黙々と倒れたパイプを元に戻したり、転がる石を端に避けたりしていることもあった。
 ふっと、何度目かに大町くんを見かけたとき、彼が顔を上げてわたしを発見した。
「あれー、センセー」
 もともと大きな目が、さらに見開かれて、笑顔になった。
「どうして、ここを」
「いつも、ここを通って帰っているんだよ」
 ということは、自分の仕事振りを見られていたのかと気づいたような顔をした。
 わたしは大きく手を振って、その場を離れた。
 バスの大型免許を取得して、バス会社に面接に行ったのだろう。しかし、残念ながら採用にはならなかったのか。まだ若いので運転手募集といつも貼り紙をしているバス会社に年齢の問題で採用されないとは考えにくい。給料や待遇面での折り合いがつかなかったのか。
 いずれにせよ、いまの彼はおそらくアルバイトに似た生活だろう。天気次第では、給料がもらえない日もあるかもしれない。
 仕事がないと言って、自宅に引きこもっている若者が多いと聞く。
 でも、仕事はあるけどやろうとしないと教えてくれたハローワークのひとがいた。
 きつい、安いなど、条件面で仕事を選んでいたら、給料など稼げない。肉体が言うことをきく若いうちは、何事も修行だと思って、働いてみればいい。そうすれば、学校や家庭で「みんななかよく」などと教わったことが、よのなかではちっとも役立たない現実を思い知る。だれかが、答えを用意してくれることはありえない。かすかな努力を過大に評価してくれる上司などいやしない。
 ボクは、こんなに頑張っているのに、どうして誰も評価してくれないんだ。認めてくれないんだ。
 一つの仕事を20年ぐらいやれば、自然と自分が自分を認められるようになる。周囲の評価など気にしないで仕事に集中できるようになる。
 大町くんのいまは、これまでタクシー会社に勤務していた生活と大きく異なる。それは彼が一番知っている。それが「いやだ」とか「間違っていた」とか「あのときに戻りたい」とか、後ろ向きになっていたら、あのときわたしに見せた笑顔はなかっただろう。
 大変っすよ、でもけっこうこの仕事、おもしろいっす。
 そんな声が聞こえてきそうだった。

6670.10/20/2011
 仕事帰りに、歩いている。
 おなか廻りに、いつのまにか浮輪のような脂肪が取り巻いた。
 人間ドックで、体重を減らすようにと指導されて二年が経過した。
 はじめは、腹筋やランニングなど、からだにストレスを与えることである程度のダイエットに成功したが、長続きしなかった。そこで、毎日の生活のなかでできることを考えた。それが、仕事帰りに歩くことだ。
 東海道線の藤沢駅から大船駅までは、電車だとわずか4分だが、歩くと60分はかかる。電車とは速い乗り物だ。その60分間を歩くことにしたのだ。
 でも、荷物が多いとき、帰りが遅くなったとき、雨の日などは無理はしないで電車に乗っている。帰る時間が近づいて、荷物が少ない、定時に帰れそう、空は明るいと、よーし歩こうという気分になる。
 ちょうど、歩き始めて30分ぐらいが過ぎると、藤沢市から鎌倉市への市境に差し掛かる。夏前から、そこで地面の整地工事が始まっていた。
 工事の説明を読む。薬品関係の研究と検査をする機関が、そこを造成して建物を造るそうだ。地面の整地工事を見ると、そこにそれまで何があったのかを覚えていないことに気づく。毎日、近くを通りながら、いざ消え去ってしまったら、覚えていないのだ。ひとの目は、見ているものと見えているもので、記憶の仕方が違うらしい。
 あれ。
 何日か、その工事現場を通り過ぎたとき、ヘルメットをかぶり、青い作業着の上下を着て、トラックなどを誘導している作業員に気づいた。
 大町(仮名)くんだ。
 わたしが仕事帰りに立ち寄る山崎の酒屋「淡路屋」にときどき顔を出す。天神下というバス停の近くにある焼き鳥屋「ふじや」で初めて知り合った。
 飲み仲間だ。
 立川とか八王子で働いていたので、わたしが彼とお店で会うのは遅い時間だった。わたしが早寝早起きの生活に変えてからは、あまり見なくなっていた。
 タクシー会社に勤務しながら、バスの運転ができる大型免許取得を目指していた。仕事を休んで二俣川まで試験を受けに行く日だけ、早い時間から帰りに淡路屋で飲んでいた。何回か試験に落ちた。そのたびに淡路屋で慰めた。
 大町くんはたぶん30代なかば。独身。鎌倉の大町に住む。旅が好きで、暇があると日本中を旅する。目が大きくて、顔もでかい。あまり酒は強くないのに、ついつい飲みすぎる。
 そんな彼が何度目かの挑戦で念願かなって大型免許を取得した。
「いまの会社を辞めて、バス会社に転職します」
 淡路屋かふじやのどちらかで祝杯をあげた記憶があった。
 今頃、バスの運転手かと思っていたのに、工事現場で働いていた。