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過去のウエイ

6669.10/18/2011
 そこにはわたし宛の名札がついた小さなタッパーが入っていた。
 うーん、これでは冷蔵庫を開いたひとは田岡さんがわたしにプレゼントをしようとしていることがばればれだ。悪いことをしているわけではないのに、わたしはそれをこっそり取り出して、自分の教室へ運んだ。
 横浜マリノスのデザインが描かれたタッパーには、アナンさんが作るお焼きが入っていた。しかし、よく見るとアナンさんのお焼きよりも薄くて均一でややパリパリ感がある。一枚を手に取る。円形の縁もきれいだ。アナンさんのお焼きは鉄板にベタッと張りつけた感じがして、周囲がでこぼこしている。
 もしかして、これは田岡さんがフェスタでアナンさんから豆の粉を買い、自分で作ったものかもしれない。一口、食べた。クミン、グラムマサラなどのスパイスが所狭しと口中を駆け巡る。あー田岡さんもこいつを買わされたのか。味は強制的にアナンさんからいただくお焼きと同じなのだが、食感が違う。パサパサしてないのだ。しっかりつなぎが入っている。
 これはうまい。
 わたしはタッパーをバックに入れて、自宅に持ち帰った。
 その日は火曜日だったので、関所が定休日。風呂を浴びてプレミアムモルツを陶器の専用グラスに注ぎ、田岡さんのお焼きを肴にした。
 水曜日。わたしはお礼の手紙とアナンさんから大量にもらっている豆や穀類を田岡さんにプレゼントした。お礼と称して、処分したわけではない。
「息子と東京の友だちとアナンさんのところに行ったんですよ」
 田岡さんは、アナンさんのお店に行ったときのことを教えてくれた。
「息子のことが気に入って、お客さんを待たせているのに、アナンさんはずっと息子としゃべっていました」
 その光景が目に浮かぶ。目の前に興味あることが迫ったら、周囲の状況がわからなくなるアナンさん。フェスタでも同じことをやっちまったか。
 わたしは、もっと地元のひとがアナンさんのこと、アナンさんのお店、アナンさんが考えていることを知ったほうがいいと思う。本人にあまり自分を強く売り込む気持ちがないから、なかなかその広がりが期待できない。だから、小さな力だが、今回のようなイベントを通じて、わたしの同僚がアナンさんのことを知ってくれたのは嬉しい。
「来年のフェスタでは、わたしも何か作ろうかなと思っているんです」
「わぁ、ぜひ行きます」
 田岡さんは目を輝かせてくれた。しかし、インドの香りが漂う飲み物や食べ物の片隅で、まったく異なるものを作るわけにはいかないだろう。いったい何を作ればいいのやら。

6668.10/16/2011
 その日の帰りに、田岡さん(仮名)にリーフレットのことを聞いた。
「どう、興味あるかな」
 田岡さんは、小学生のこどもがいるお母さん先生だ。ご主人も小学校の教員をしている。とても長髪なのだが、いつもきれに巻き上げているので、うなじがさわやかに見える。目はぱっちりと大きくて、教員としてのセンスもいい。
 こどものみならず教職員のなかにも田岡ファンは多い。
「アナンさんって、センセーがいつも帰りに飲むという酒屋さんで会うひとなんですか」
「そうそう。彼はあまり飲まないで、こもれびっていうプールに通っているんだけどね」
「この極楽寺のお店は、居酒屋なんですか」
 ぎょ、わたしの知り合いはみんなアルコール関係を思われているのか。
「違う違う。古民家で、インドから輸入したカレーのスパイスやチャイ、綿で作った服なんかを販売しているんだよ。成城石井とか伊勢丹みたいなちょっと高級な輸入品を扱うところに卸しているんだ」
「えー、すてき」
 アナンさんの名誉は回復された。
「連休中もやっているみたいだから、もし都合がついたら行ってみてね」
「ありがとうございます」
 職場で仕事とは関係ない話を楽しそうにする。ファンの多い田岡さんが笑顔で「すてき」なんて言うものだから、わたしは全身に周囲の男たちの飢えた視線を感じた。
「じゃ」
 そそくさとその場を離れる。そういえば、もうひとり年配の男性教員が深沢に住んでいた。でも、田岡さんに話した後ではなんとなく話しにくい。黙っておこう。
 連休明けの10月11日、火曜日。仕事を終えて、職員室に戻ったわたしのデスク上に田岡さんからのメモがある。
「さっき、田岡さんがメモを置いていきましたよ」
 なぜか、斜め向かいの独身男が、棘のある口調で教えてくれる。そんなこと、言われなくても見ればわからぁ。おめぇも暇だな、ちっとは自分の仕事に身を入れろ。とは言わない。
「あ、本当だ」
 演技をしておく。
『冷蔵庫にアナンさんの宿題が入っています』
 アナンさんの宿題ってなんだろう。きっとフェスタに行ったんだ。そこで、あのアナンさんのことだから、田岡さんに無理難題を吹きかけたのかもしれない。
 わたしは冷蔵庫を開けた。

6667.10/15/2011
 10月上旬に、鎌倉の長谷と極楽寺周辺でアート・フーズフェスタが開催された。どういう経緯のイベントかはまったく知らない。しかし、数年前から開催されているので、地元に密着したイベントなのだろう。
 そのイベントにわたしの知り合いが出店した。
 自宅を店にして期間中、訪れるひとを引き入れたのだ。
 その知り合いは、関所の小説で何度も登場するインド人のアナンさんという。ここでは本名でもいいだろう。輸入雑貨やスパイスを扱っている商人だ。本名を出すことで宣伝になるかもしれない。
「センセー、今度、これやるから来てよ」
 アナンさんは日本で過ごす時間がとても長いので、日本語がとてもじょうずだ。細かい機微になると眉間に皺を寄せるが、わからないことは「それなに」とどんどん質問する。
 そのアナンさんが、わたしに手渡したリーフレットがフェスタのお知らせだった。とても上質の紙を使った金のかかったリーフレットだ。
 ページを開くと江ノ電を中心とした長谷や極楽寺の地図。極楽寺駅に近いアナンさんの自宅に印がついている。
 アナンカフェ。
「なにをやるの」
「チャイ、女川カレー、オムレツ……。服、スパイス……」
 おー、アナンさんが関所にいつも持参する商品の数々ではないか。
「うちのせがれがね」
 アナンさんの長男はとても美男子で商売の才覚がある。せがれ、なんて、粋な日本語を使う。
「女川カレー、評判なのよ。まだ女川に行ったことがないんだけど」
 そのあたりのことは何度かアナンさんから聞いたが、わたしには詳しい事情がわからない。大震災以前から息子さんが、女川の食材を使ってカレーを考案していたのか、大震災をきっかけにしたのかなど。
 わたしは、関所でアナンさんからのプレゼントを試食しているので、カフェの様子が行かなくても想像できてしまった。
「俺の職場に深沢に住んでいるひとがいるから紹介してみるよ」
 深沢と極楽寺なら山をひとつ隔てて近い距離にある。それに深沢に住んでいるひとは、アートやフーズに興味がある。ちょうどいいかもしれない。
 わたしは、早速、翌日、そのひとのデスク上にアナンさんからもらったリーフレットと、わたしの知り合いが出店するのでよろしかったらというメモを置いた。

6666.10/13/2011
 10月10日は体育の日だった。月曜日だったが祝日なので仕事は休みだった。
 近所の中学校に、多くの男たちが集まった。近隣の公立小学校と公立中学校の保護者たちと有志の教員たちだ。
 すでにこのメンバーで春から秋にかけてのソフトボールリーグ戦を始めて10年以上が経過している。毎年、体育の日のゲームを最後にシーズンが終わる。
 昼過ぎにはゲームを終えて、近くのイベント会場を借りて懇親会になる。
 ことしもイベント会場には60人ぐらいの男たちが集まった。こどもを学校に通わせる保護者といっても、すでにこどもが学校を卒業している保護者も多い。現役の保護者ばかりではなく、もうこどもが学校とはかかわりがなくなっても、ソフトボールを通じてつながりあっているのだ。
 ことしは、地元のケーブルテレビがカメラ取材をしていた。近々放送されるという。地元のひとがテレビを通じて、わたしたちの活動を知る。なんだか不思議な感覚だ。
 懇親会には、イベント会場が発注したオードブルや、幹事が持ち込んだ飲み物がたくさん用意された。わたしは酔い過ぎないように、「関所」でアセロラドリンク・黒ウーロン茶・韃靼そば茶を買っていった。それとハイボールを交互にちびちびやりながら飲んでいた。
 リーグ創設のときからわたしはかかわったので、参加者のほとんどを知っている。名前は忘れても顔は覚えているケースを含めれば、全員を知っているかもしれない。
 アルコールが進んで、各自、自分の席を離れ、ほかのテーブルへ動く。
 ふだんはあまり話さないひとたちとも会話が弾む。
 地域の絆は、こういうたゆまない努力からしか育たないことがよくわかる。
「いつもホームページを見ていますよ」
 I中学校保護者のOさんが声をかけてきた。
「ありがとうございます。でもなかなか更新できなくて申し訳ない」
 わたしは、「大船カップ」と名づけられたソフトボールリーグのサイト管理をしている。
「いえいえ、そっちじゃなくて、小説のほうです」
「えー、関所のやつですか」
「そうそう、あれ、おもしろいですね。登場人物が最高にいい。いつか行ってみたいと思っているんですよ」
 まさか、ソフトボールのメンバーで、このウエイを見ているひとがいるとは思わなかった。
「ありがとうございます。ぜひ、足を運んでください。小説では書けないことが多いですが、実際に来てみると、実物たちの迫力に驚きますよ」
 少しオーバーに宣伝をしておいた。

6665.10/11/2011
坂の下の関所[14章]story300

 事実は小説よりも奇なりという。作家が考え出す物語よりも、日常生活のほうが、よっぽどおもしろいことは多い。
「何度もピンポンしても出てこないから、さすがに玄関を開けて、ただいまって言ったの。そしたら、どうしていたと思う。奥の茶の間で『サスケ』っていうテレビを見ながら母と姉はすっかり盛り上がっていて、ピンポンに気づかなかったのよ」
 わたしは、その光景を思い浮かべる。
 以前、わたしが書いている関所の話を若女将がコピーして、お母さんに送ったことがある。そのときにお母さんからお礼の手紙が届いた。その手紙はわたしの書斎の壁に、いまも画鋲で留めてある。そこには、こんなことが書いてある。

『私の知らない娘夫婦の生活がよくわかり、とっても嬉しいでした』

 今度は、若女将の口から、反対にわたしの知らないお母さんとお姉さんの生活の一端が見えてきた。
「久しぶりに帰ったのに、会うなり、『あれー太った』よ。そんなことないって反論すると『いやぁ、確かに太った、太った。ねぇ、太ったよねぇ』と姉に同意を求めて、姉まで『太った』って言う始末。いきなり15回ぐらい太ったを連発されたの」
 どうして帰って来たの。鎌倉で何かあったの。からだの調子でも悪いの。
 気づかう言葉はなかったらしい。テレビ番組のサスケで盛り上がっているところに、久しぶりに帰って来た娘を見て、太ったを連呼していた。それが事実に近いのだろう。
 この関所第14章も、いずれはコピーされて愛知県のお母さんに届くのだろう。末尾に、わたしからお母さんへのメッセージを添えて、章了としたい。

 名古屋駅から実家までの電車の風景は11年前と変わらないと須美子さんは言っていました。よのなかには、変わっていくものと変わらないものがあります。
 変わらないでほしいのに、変わっていくもの。
 変わってほしいのに、変わらないもの。
 きっと電車の風景は、そのどちらでもなく、ひとびとが長く守り続けながら、変わらないことを願ってきたものなのでしょう。
 ことしは3月11日に大地震がありました。藤沢の職場で、わたしは立っていられないほどの揺れを経験しました。その後の津波と原子力発電所の事故によって、大地震は大震災へと被害を悪化させています。
 関所に集うひとたちにも、震災の影響は大きく出ています。休日が変わってしまったので、いつも夕方から集まっていた立ち飲み仲間の顔ぶれがそろわなくなってしまったのです。
 今回の第14章は、そんな3ヶ月間を記してみました。
 いま関所のレジには二つの空き缶が置いてあります。そこには「復興募金」のカードが打たれ、お客さんたちがおつりの一部を入れています。その缶詰は津波で被害に遭った缶詰工場で流されなかったサバの缶詰を洗ったものです。募金は、地元の方(本文では仮名で香山さん)がまったくのボランティアで牡鹿半島まで物資を運ぶ手助けとして使っています。
 大地震の前の状態に戻れれば。多くの被災者が、それを夢見ているでしょう。変わらない日常のありがたさを身にしみて感じているでしょう。しかし、変わってしまったものを受け止めて、そこから新たな一歩を踏み出しているひとたちがいることに元気をもらいます。ひとりひとりの元気は、とても小さいものですが、少しずつ集まって、束になって、何かを変えていく力になればいいと願っています。
 ご自愛のほどを。

(第14章 了)

6664.10/10/2011
坂の下の関所[14章]story299

 10月9日、水曜日。
「ただいまぁ」
「あら、お帰りなさい」
 若女将がレジで迎える。月曜日はいなかったので心配したけど、きょうはいつもどおりだ。
 永田さんと、なにやら話し込んでいた。
「どこかに、行ってきたんですか」
「名古屋に行って来たの」
 若女将の母親は、愛知県に住んでいる。
「はーい、これ、お土産」
 海老せんべいを渡してくれた。ピンク色の海老せんべいは、噛むと香ばしい。
「うぉ、本当の海老だねぇ」
 決して、海老風味ではない。
「でも、どうして」
 わたしは、愛知のお母さんに何かがあったのかと心配した。
「もう何年も帰ってないし、たまには驚かせてみようかと思ったのよ」
 日ごろから、商売人は忙しくて、家族の時間を過ごせないと、自分に言い聞かせている若女将。本当に驚かせてみようと故郷に帰ったという話をそのまま信じていいものか。しかし、それぞれの人生に、それぞれの事情があるのだから、詮索はしない。
 自動ドアが開く。やや突き出てきた腹を叩きながら、相田さんが登場した。
「こんばんは。あれ、ママさん、こないだはどうしたの。どっか行っちゃったのかと思ったよ。夜逃げとか、家出とか、病気で入院とかさ。でも、見たところ、元気そうだな」
 ひとの人生にずばずば切り込むタイプのひとが、こんなに近くにいたとは。
 若女将が事情を説明しようとするのに、はははと笑い飛ばし、お菓子と飲み物を注文して、相田さんはさっさと自分のコーナーに行ってしまう。深くひとの人生に切り込んだつもりではないのだ。挨拶代わりに、直球勝負。
「お母さんやお姉さんが驚いたでしょう」
 わたしは、話を向ける。
「何しろ、11年ぶりだから。でも、田舎の風景って、長い時間が経ってもあまり変わっていないのよね」
 大船のようにひと月行かないだけで、店の名前も売っているものも変わっているということはないらしい。
「びっくりさせようと思って、午後9時ごろに着いて、ピンポーンって押したのよ。そしたら、だれも出てこないの」
 もしかして、物取りや緊急の病気で取り込んでいるところに帰ってしまったのか。

6663.10/9/2011
坂の下の関所[14章]story298

 泥橋さんとは、8月中旬に大船の観音食堂という店で偶然会って、しばらく飲んだきり、会っていなかった。 
「なんか、一回り、小さくなっちゃったんじゃないの」
 見た目に、こじんまりした印象がある。
「そうなんだよ。観音食堂で会った次の日の朝礼でぶっ倒れちゃってさ」
 えー、わたしは手にしたおちょこの山猿をこぼしそうになる。
「熱中症ですか」
 あの当時は、まだまだ暑い日が続いていた。
「いやぁ、それがね。気づいたら病院のベッド。救急車で運ばれたらしいんだけど、よく覚えてないんだよ」
 意識不明になったのだ。心臓か脳の病気が疑われる。
「次の日からずっと会社を休んで家で休んでいたんだよ。外出は、ときどき病院に薬をもらいに行くぐらい」
「どうしちゃったんですか」
「罰が当たったんだよ」
 泥橋さんは、真面目な顔をして、そんなことを言う。
「そんなわけないでしょ」
「いやぁ、本当なんだって。あのとき、センセーが知り合いと観音食堂で楽しそうに飲んでいたのに、わきからぼくなんかが割り込んで、いい気になって話しこんだじゃない。あのとき、しきりにセンセーが『いつ帰るんですか。あまり長居をすると罰が当たりますよ』って言ってたじゃん」
 確かに、その記憶はある。すでにわたしが観音食堂に入る前から、泥橋さんは観音食堂でひとり定食をとり、酒を飲んでいた。お勘定を済ませて帰ろうとしたところで、わたしを見つけて割り込んできたのだ。すでに呂律はあやしく、足元もおぼつかなかった。わたしの知り合いは、泥橋さんのことを知らない。だれだろう、このひとは?疑問に思いながらも、適当に合わせてくれた。しらふのときならいいが、酔ったときの泥橋さんは、説教っぽくなるか、同じことを何度も話し出すかのどちらかだ。知り合いに迷惑がかかると思って、早く帰るように「罰が当たる」と言ったのだ。
「どんな症状だったんですか」
「血圧が低くなっちゃってさ。上が80だよ」
 わたしはふだんでも上が100よりも少し下なので、それが低い血圧だとは思わないが、泥橋さんの血圧としては低いのだろう。
「きょうから、やっと仕事に復帰」
 復帰した日から、関所に寄って、生ビールを頼む泥橋さんを見て、たくましいと思えばいいのか、アルコールの怖さを感じればいいのか。

6662.10/8/2011
 10月3日。月曜日。
 すっかり空気が夏から秋に変わった。帰りに通る工場の掲示板で表示している湿度が60パーセント台になっていた。頬をなでる風が、涼しい。秋分を過ぎて、日の入りが早くなった。季節は確実に、夏の終わりを告げている。
 ことしの夏は、3月11日の東日本大震災以降、電力が不足するからと、東日本各地で節電が実施された。とくに大きな工場では、休日を変更して、働くひとたちの日常生活に犠牲を強いた。エアコンの設定温度が上がり、無理をしてエアコンを使わない生活を送ろうとしたひとが熱中症にかかった。
 その反面、福島県を中心とした原子力発電所事故の影響は、夏を過ぎても終息の気配を見せない。実りの季節を迎え、米やお茶などの農産物から、恐れていた放射性物質が検出され始めている。福島県に住んでいた多くのひとが、他県に引っ越した夏でもあった。
「ただいまぁ」
 関所に入る。外の風を入れるためか、自動ドアは開放されている。
「おっす」
 きょうは、若女将ではなく大将がレジにいた。時計は5時半を指している。飲食店への注文取りに忙しい時間のはずなのに、大将がレジにいていいのだろうか。灯油やビールの配達を待っているひとたちがいるのではないか。
 しかし、わたしがよけいなことを考えてもしょうがない。もしかしたら、この日は若女将が配達をしているのかもしれないのだ。
 一つだけ、問題があった。
 それは、給食の残りを運んでいたからだ。いつもならば、若女将に託して、奥の台所で電子レンジを使って解凍してもらう。しかし、大将だとなんとなく頼みにくい。悪いことをしているわけではないのだが、そこまで甘えていいのかという遠慮が胸を突く。いつも、給食の残りを容器に入れて持ち帰る。そのなかから立ち飲み仲間に酒の肴として、小分けして提供してきた。この日も、ネタは仕込んであった。
 永田さんが店の中央で静かに焼酎の水割りを飲んでいる。わたしは永田さんに近づく。
「永田さん、きょうも入れ物を持ってきたかなぁ」
「おぅ」
「きょうは、若女将がいないみたいだから、あたためるのはやめてみんな永田さんの入れ物に入れるよ」
「え、そうかぁ。わりいなぁ」
 店の奥。大きな冷蔵庫と調味料が並ぶ棚の間。人目につかないところで、永田さんがリュックからまだ買ってきたばかりの包装をはがす。そこには、お弁当に使えそうな立派なプラスティック容器が二つも入っていた。
「ちょうどいいや。二つもあるなら、全部入れられるかも」
「ありがとう。助かるよ」
 わたしは、月曜日のメニューから、関所に運んだジャコご飯、野菜の煮物、みそ汁の具だったわかめと玉ねぎを容器に移した。
「凍っているから、火を通してね」
 いつだったか、永田さんは、うちには電子レンジなんてしゃれたもんはねぇと教えてくれた。だから、解凍には鍋を使うしかないだろうが、調理は嫌いではないと言っているから何とかするだろう。
「センセーに悪いこと、しちゃったなぁと思ってさ」
 いきなり店の正面から懐かしい声が届く。
「あー、泥橋さん、久しぶり。どうしていたのよ」

6661.10/5/2011
坂の下の関所[14章]story296

 わたしは、鳥藤の古ぼけた年季の入ったカウンターを思い出す。その止まり木で、生ビールを傾けながら、鎌倉さんの落語のような話を聞いた。
 それによると、いきなりアマゾンというのは危険なので、その前に旅の練習をしたいということだった。どこに行くのかと思ったら、まずは台湾、次に香港だという。台湾や香港を旅しても、ちっともアマゾン旅行の練習にはならないだろうと思った。そのことを言うと、あくまでも旅の練習なので、海外に行ければいいのだそうだ。
「そんなにたくさん聞いているのなら、話に加わればよかったのに」
「いやぁ、そういうのは苦手なんです」
 そんな風には見えない。
「マスターは沖縄の方なんですか」
 メニューに、沖縄料理が多い。
「いえ、小田原なんです」
「え、同じ神奈川県の小田原ですか」
「はい。でも17年前に鎌倉に引っ越してきました」
「それ以来、飲食のお店をやっているんですか」
 職業柄、ついついひとの個人的な部分まで立ち入ってしまうのは、わたしの悪い癖だ。
「いえいえ、5年前まではふつうの電気関係の会社に勤めていたんです」
 脱サラをして、飲食を始めたのか。そこにはひとには言えない理由があったのかもしれない。想像しても、40歳を過ぎての脱サラと思える。会社勤めなら立場的に退職する必要はあまりない年齢だろう。そんなわたしの心配に気づく。
「会社から、2年間、シンガポールに長期滞在しないかという話があったんです。給料は日本の分と現地の分が出るので、戻ってきたら溜まった金でバーかなんかを始めたいなぁとは思っていました。もともと飲むのは好きだったので。でも、いろんな事情から、シンガポールに行くのはわたしではなく、別の人間になってしまって。そうしたら、何だか、仕事を続ける意欲がしぼんじゃってね」
 シンガポールでの2年間に大きな期待を抱いていたのかもしれない。自分ではなく、ほかのひとが行くことになったとき、どうして自分ではなくなったのか、納得のいく理由の説明は得られなかったのだろう。
「それで、思い切って、仕事を辞めて、ここを始めたんです」
 まったくの素人だったとは知らなかった。壁にはサーフィンボードが掛かっている。
「波に乗られるんですか」
「いまはここの2階に寝泊りしてますが、それ以前は稲村に住んでいたんです。だから、毎日のようにサーフィンをしていました。いまは稲村でスクールをやっています」
「えー、スクールって言ったら、マスターはインストラクターですか」
「ま、そんなとこです」
「だから、波情報を聞いて、いい波が来ているとここはクローズにしています」
 肩に力を入れないのんびりした生活があった。
 大金や安定した未来は保証されないかもしれない。しかし、自然に近い生活に身をゆだねることは、精神にとって、何よりもの栄養補給になるはずだ。
「さぶちゃんなんかも、一回だけど、来てくれたんですよ」
 共通の知人登場。地域の絆は、接点を広げれば広げるほど、だれかとだれかがどこかでつながるようにできている。

6660.10/3/2011
坂の下の関所[14章]story295

 クアパパのマスターは、180センチぐらいの長身だ。引き締まったボディはサーフィンで鍛えているのだろう。肌は小麦色だが、それが太陽の光によるものなのか、酒によるものなのかは初対面では判断できない。長髪は肩にかかる程度。ややウェーブがかかっている。とても歯並びがよく、色が白い。ホワイトニングでもしているのだろうか。年齢は、50歳を過ぎた程度。
 店にはカウンターに座っているわたしと、キッチンで調理しているマスターしかいない。わたしの正面にある大画面では、さっきから吹き替えのない英語のサーフィンが延々と続いている。
「もしかして、関所でお目にかかったことがありますか」
 マスターから切り出してくれた。
「はい、ときどきタバコを買いに来ますよね」
 わたしが関所にいることをチェックしていたのか。目立たないようにしているつもりでも、いつも同じ位置で同じ時間に立ち飲みをしていれば目立つのかもしれない。
「あと、こないだバス停近くの焼き鳥屋でもとなりに座っていらした」
 マスターはかなり記憶がいい。
 たしかに、わたしは数日前に、焼き鳥屋の「鳥藤」でカウンターで飲んだ。左隣の鎌倉さんと酒を飲んだ。あのときにわたしの右隣にマスターがいて、鳥藤の女将さんとマンツーで話していた。
「たしかに。あのときは鎌倉さんの旅話に付き合っていました」
 鎌倉さんは、関所の前にある首都リーブスの社員だ。工員ではなく事務関係の仕事をしている。ほぼ毎日、仕事帰りに鳥藤に寄って軽くウイスキーのホワイトを傾けていく。60歳の定年退職まで残りが少ない。
 わたしが行くと、いつもアマゾンに行く夢を語ってくれる。
 数年前までは、ロトシックスというくじを当てて、アマゾンに行くと言っていた。だから、カウンターに鎌倉さんを見つけるたびに、まだくじに当たっていないんだなぁと思ったものだ。
 定年が間近に迫り、アマゾン行きへの思いに変化が見られたようだ。それをこないだの鳥藤で聞かされた。その話にマスターは聞き耳を立てていたのだ。
「いやぁ、あのひとはユニークなひとだね。自分でパスポートの取り方も知らないのにアマゾンに行こうとしているんだから」
 そうなのだ。鎌倉さんは万事においてのんびりしている。そして、焦ることを知らない。いつも何とかなるだろうと余裕がある。だから、頼んだ食べ物を半分以上残しても、気にしないで帰ってしまう。
 あのときも、どうすればパスポートが取得できるのかと質問をされた。今頃、そんなことを質問してくる鎌倉さんに唖然としながらも、彼らしいと笑ったのだ。
「たしか、あのひとはそのために来年になったら旅の練習をすると言ってましたよね」
 マスターはかなり記憶している。