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6659.10/1/2011
坂の下の関所[14章]story294

 9月24日は土曜日だった。23日が秋分の日で休み。三連休の中日だった。
 わたしは、秋の晴れ間を楽しもうと、大船をぶらぶら歩いていた。昼飯をどこかで食べようと思ったが、どこに行っても、なぜか踏ん切りがつかなかった。理由はわからない。
 行列ができていた店では、並ぶのがいやだと思った。
 すぐにでも入れそうな店では、わたしの前に入店したひとが何となくいやだった。
 新しい店を発見したと思ったら、まだ開店していなかった。
 こういう日は、帰ってから、自分で作ろうと思った。テクテクと秋の日差しを浴びて、自宅への道を歩く。
 もう少しで関所というとき、「沖縄そば」「カレーつけめん」というのぼりが見えた。
 いくつかの飲食店が入っている小さな長屋。その端っこに「クアパパ」という店がある。いままでも何度か通り過ぎながら、興味があった。しかし、ひとりで初めての店に入るには抵抗があった。
 クアパパのマスターは、関所にタバコを買いに来る。バス停近くの焼き鳥屋でもカウンターで並んだことがある。でも、対面で話したことはない。サーフィンが大好きな湘南スローライフ実践マンという感じだ。
「こんにちは」
 思い切って、開けっ放しのドアから入った。正面にカウンター。右手にテーブル。焼酎、泡盛、ウイスキーなどが棚に並ぶ。わたしの好きな日本酒は入口近くの冷蔵庫のなかで冷やされていた。
「いらっしゃい」
 マスターは、調理していた。やがて、皿に盛った料理をラップでくるむ。
「ちょっと配達に行ってくるので、待っていてください」
 一見の客を店に残して、配達していいのだろうか。
 わたしが悪人だったら、どうするつもりだろうか。
「じゃぁ、待っているあいだに、生ビールだけでもいただけますか」
 網戸から吹き込む涼しい風を浴びながら、大型画面に流れるサーファンのDVDを肴に、わたしはひとりでカウンターの端っこで生ビールを飲んでいた。全体に茶色で統一した店内の雰囲気に、落ち着きを感じ、ひとりでいるのに、心地よい時間。
「すんません」
 しばらくして、マスターが戻る。
「おすすめは、カレーピラフプレートです」
 ビールを飲んでいたので、ご飯ものはいらない。メニューを見て、ソーキそばを選んだ。
「あー、ネギがないんですけど、いいですか」
 ソーキがないと困るけど、ネギがなくても許そう。生ビールを飲み干した頃、トロトロにとけそうなソーキを乗せたそばが登場した。

6658.9/27/2011
坂の下の関所[14章]story293

 関所はシャッターを半分閉めて、営業していた。
「ただいまぁ」
 まだ3時ごろだった。
「あらー、早いわね」
 若女将が迎えてくれた。
「電車が止まっちゃうと思って、早めに休暇を取ってきました」
「おぅ、センセー、難儀だなぁ」
 店の奥から、烏さんの声がする。
「あれ、早いですね。赤坂さんも」
 首都リーブスのふたりが、すでに酒を飲んでいた。
「ほら、こんな天気だから、仕事は早く終了したんだ」
 でも、帰らないで、関所にいたら、結局は台風の影響が強くなる頃に、帰らなきゃならなくなる。まぁ、おとなのやることだから、いちいち指導は必要ないだろう。
「学校は」
「きょうは休校になりました。だから、昼まで仕事をして、早く帰って来たんです」
「じゃぁ、給食はないんでしょ」
「はい、大船のときわ食堂で食べてきました」
 若女将の瞳が、きらっと光る。
「じゃぁ、もう飲んできたわね」
 鋭い読みだ。
「当たりです」
 ドアの外は、みるみる暗くなっていく。横風が強くなり、歩くひとたちが傾き始めた。
 プップー。
 クラクションが鳴る。ドアの向こうで近くの病院の送迎者を運転している男性が関所のなかに向かってジェスチャーをしている。若女将が強い風のなかへ出て行く。まったくクラクションでひとを呼び出すなんて、横着な。わたしもいっしょに出てみた。
 運転手が指差す先には、近所の草木の枝が折れて道路に落ちていた。それをどけてくれという意味らしい。まったく、そんなことは自分でやれと言いたかったが、若女将はやさしいので、いやな顔を一つもしないで、枝を拾ってあげた。
「まったく、自分で車から降りて拾えばいいのに」
 店のなかに戻ってから若女将に文句をぶつける。
「あー、あの方はよくお店に買い物に来てくださる方なのよ。互いに顔を知っているから、あーやって教えてくれたんじゃないかしら」
 見ず知らずというわけではなかったのか。地域の絆が、台風の強風で吹き飛んだ枝の存在を教えてくれたのだ。

6657.9/26/2011
坂の下の関所[14章]story292

 若い駅員はわたしの質問を聞いて、表情を混乱させた。まだこういう自然災害の経験が少ないようで、押し寄せる乗客たちからの様々な質問や要求に応じ切れているようには見えなかった。
「え、下ではそんなことを言ってるんですか。ちょっとお待ちください。いま確かめますので」
 彼は内線電話でホームと確認を取る。
「はい、はい。なるほど。わかりました」
 受話器を置いた彼は、わたしに向き直った。
「茅ヶ崎駅に到着した東海道上り電車が辻堂に向かっているのは確かです」
 その返事を聞いて、わたしは回れ右。ふたたびホームへの階段を目指した。わたしと同じように、清算コーナーで並んでいた多くのひとが、わたしと同じように階段を目指した。
 数分して、乗客であふれる東海道線が入線した。
「この後の上り電車は、しばらくございません。お急ぎのところ、申し訳ありません」
 そんなアナウンスをするものだから、ホームにあふれる多くのひとたちが、ものすごい圧力をかけて乗車口に押し寄せた。わたしは流れに身を任せて、乗車と同時にどんどん車内に押し込まれた。
 大船までの4分間は、あばら骨が折れるのではないかと思うほど、窮屈だった。
 風が強いためにただいま徐行運転をしていますという、車内アナウンスがあったが、わたしが知る限り、車窓の景色はいつも通りに動いていたから、運転手は通常運行をしていたと思う。
 大船駅ホームに降り立った。全身の力が抜ける。台風の接近に伴って、何とか藤沢を脱出した。その成功感で満たされる。まだ風雨は強くなっていない。
 わたしは空腹を感じて、モノレール駅近くの「ときわ食堂」に入る。
 店内はがらんとしていた。親父さんが、こちらへどうぞと4人がけをすすめる。たった一人のわたしに4人がけをすすめるのだから、あまり客は来ないと想像しているのだろう。
 カウンターの隅のテレビでは各地の台風情報を流していた。東海地方や名古屋では多くのひとに避難勧告が出ている。
 わたしは、瓶ビールとアジフライを頼む。「ときわ食堂」は蕎麦がうまい。蕎麦がうまい店は、間違いなく揚げ物がうまい。そのセオリーどおり、ここにアジフライは肉が厚くて、ジューシー。衣がさくっと揚がっている。
 至福のランチを済ませて外に出たら、現実に押し戻された。モノレールは強風で運行中止。タクシー乗り場は長蛇の列。迷うことなく、わたしはバス乗り場へと向かった。幸い、まだそんなに混んではいなかった。
 バス停の天神下で降りる。さて、関所は開店しているのか。だれか立ち飲み仲間はいるのか。期待をふくらませて、一方通行道路に入って、八百屋の角を曲がる。

6656.9/25/2011
坂の下の関所[14章]story291

 藤沢駅に午後1時30分頃に到着した。すでに雨が降り始めている。風も台風特有の地鳴りを伴う強いものになっていた。
 東海道線の電光掲示板を見る。そこにはこれから来る電車の時刻が表示されている。なぜか午後1時5分の電車が表示されている。嫌な予感がした。これまでの経験から、駅の電光掲示板に、いまの時刻以前の電車が表示されている場合は、電車が遅れていることを知っていたからだ。案の定、駅のアナウンスが繰り返している。
「お客様にご案内いたします。13時5分発の普通電車東京行きは台風15号の影響で徐行運転をしています。現在、二宮駅を出発したという情報が入っています。当駅到着は、13時40分頃になる予定です」
 もともと遅れていた電車が、たまたまあと10分ぐらいで来るというのだから、わたしはラッキーだった。しかし、ホームはずっと待っている客であふれそうになっている。
 わたしは、乗降口の列に並ぶ。読書をしていたら、ふたたびアナウンス。
「さきほど二宮駅を出発した東京行きは、現在、大磯駅に到着しました」
 お、確実に藤沢に近づいているではないか。さらに読書を続ける。
「大磯駅を出発した東京行きは平塚駅に到着しました」
「現在、平塚と茅ヶ崎間を走行しています」
 ずいぶん、JRはていねいなアナウンスをするではないか。
「お客様にご案内いたします。現在、台風15号の影響のため、平塚と茅ヶ崎間で風速計の数値を越えたため、運転を見合わせています」
 ぎょぇ。順調に藤沢駅に近づいていた東海道線は、相模川を越えることができずに、線路上で止まっているのか。わたしは、すぐに並んでいた列を離れて、改札口に行く。もしも風速計の限度を越えたというのなら、台風が通り過ぎるまで電車は動かないだろう。すぐにバスを使って大船まで移動することを選択した。
 改札口に上がって精算コーナーへ行く。スイカへの入場記録を消してもらわなければならない。
 ここでもアナウンスが流れている。
「現在、平塚と茅ヶ崎間で運転を見合わせていますが、さきほどの東京行きはすでに茅ヶ崎駅に到着したと連絡がありました。徐行しながら、これから辻堂駅に向かいます」
 スイカの入場記録を消してもらおうとしたわたしは、戸惑った。ホームのアナウンスと改札のアナウンスが食い違っている。こういう緊急時には情報が混乱することがしばしば起こる。たまたまわたしは精算コーナーの駅員に近いところにいたので、もっとも正確な情報を耳にすることが可能だった。
「さっき、ホームでは東京行きは茅ヶ崎の手前で運転を見合わせているって言ってましたけど、こちらでは茅ヶ崎を出発したと言っていましたね。どちらが本当か確認してください」
 こういうときは、非難してはいけない。努めて冷静に、聞きたいことだけを確実に質問する必要がある。

6655.9/24/2011
坂の下の関所[14章]story290

 9月21日、水曜日。
 台風15号は、停滞していた沖縄沖を離れて、九州や四国の南海上を北東方向へ移動した。近畿・東海地方に豪雨をもたらす。名古屋では10万人を越える規模の避難勧告と避難指示が出された。
 21日は早朝から風雨が強かった。わたしは、いつも築地の買出しに持っていく膝までの長靴を履いて出勤した。モノレールや電車に乗るときに、ちょっと恥ずかしかったが、足元が濡れると水虫の原因になるので、健康優先に後悔はしなかった。
 午前6時に出勤する。珍しく教頭が出勤してきた。ちょっと遅れて校長も出勤してきた。
「もしかして、この時間は通常なの」
 校長と教頭はわたしの顔を見て一様に驚いていた。
 ふたりは、こどもの登校に関しての相談をするために早めに出勤してきたのだ。きのうの段階で保護者には、21日の午前6時半に緊急電話連絡網で対応を流すと手紙を出していた。
 教頭は周辺の小学校の管理職とまめに電話連絡をする。こういうときでも「横並びの対応」が必要なのか。突出した対応への積極性は感じられなかった。
 結果。臨時休校になった。
 同じ日に6年生が日光へ修学旅行に行く。こちらは休校とは関係なく予定通りに出発だという。21日の午後から北関東は暴風雨になると思ったが、わたしが口をはさむ問題ではない。
 わたしは、支援学級の教員と電話やメールで連絡を取り合い、こどもたちへの対応を確認しあう。こうなったときのために、前日までに準備は進めていた。
 こどもたちは臨時休校でも、職員は出勤だ。台風が心配で休みたいひとは休暇を取るしかない。なのに、職員室の電話は、若い教員から「仕事は休みなのか」という問い合わせが続いた。教頭は頭を抱え「そんなわけないでしょ」とカリカリしていた。
 わたしは30年に近くなる教員経験で、何度か休校は経験しているので、職員は出勤という大原則は知っていた。しかし、休校を経験していない教員は、こどもと同じように自分も休みだと思ってしまうのだろうか。いやはや、それで給料が出ているのだから、世間に冷笑されるのも無理はない。
 藤沢は東海道線で大船とは駅が一つしか離れていない。歩くと1時間ぐらいかかるが、電車に乗ると4分で着いてしまう。途中に柏尾川という大きな川が流れている。数年前の台風で、東海道線が止まった。藤沢から大船へ行くバスも止まった。仕方なく歩いて帰ったとき、もう少しであふれそうになる柏尾川沿いを歩きながら、恐怖を感じた。小さな橋を渡りながら、もしも濁流が欄干を越えてきたら、ひとたまりもないと思った。
 だから、東海道線が止まる前に休暇を取ってとりあえず大船までは戻ろうと思った。
 3月の地震といい、今回の台風といい、自然との対話を少しずつ学ぶ。
 大船まで帰れば、生まれてからずっと住んでいる町なので、たとえ水没していても、マンホールがどこにあるかまで熟知している。もしかしたら、関所は早く閉まっているかもしれないと覚悟した。こんな日に、いつものように立ち飲みをする客などいないだろう。
 でも、いるかもしれない。
 どうかなぁ。
 とても、興味があった。

6654.9/23/2011
坂の下の関所[14章]story289

 日差しが暑いだけではなく、日差しがまぶしい。
 わたしは、大将にきび団子が入ったタッパーを渡す。
「きょうは早仕舞いでしょ。その前に、カディーさんが来たら、これを渡しといてください」
 なんだそれ?という顔をした。
「カディーさんから買ったきびで作ったきび団子です。すっげー手間がかかるわりには、味は大したことなくて、ちょっとがっくりなんですが」
 生ビールを頼む。
 いつ、カディーさんが来るのか分からなかったので、冷凍庫に入れさせてもらった。
 自動ドアが勢いよく開く。
「いやぁー、たまんねぇな」
 いつもはのんびりとした動作で、一日の疲れをいやしにくる烏丸さんが、俊敏な動作でアイスクリームの冷凍庫に向かう。
「頭、冷やさないと、壊れちまうよ」
 本当に頭を冷やしているのではないかと思うほど、冷凍庫のなかに頭を突っ込んでいた。工場の作業着を着ている。普段着しかみていないので、ちょっと新鮮だ。
「お疲れ様です」
 アイスクリームを抱えた烏丸さんは、疲れと暑さでやや目がうつろになっている。
 ラジオでは、九州や四国で台風15号が大雨を降らしているニュースを放送している。
 3月には東日本大震災で東北地方を中心に地震と津波で多くのひとびとのいのちが失われた。夏は猛暑で、熱中症で倒れたひとたちがいる。秋になったら、台風だ。
 ことしの日本列島は、自然の猛威を前にして、ひとびとの力がとてもひ弱だということを痛感する。だれが10メートルを越える大津波を予想しただろう。だれが原子力発電所が爆発することを予想しただろう。だれが山が崩れて川をせきとめ、家を流してしまうことを予想しただろう。
 わたしにとっての関所の日常は、そんな自然災害と無縁ではいられないだろう。
 いまは気づかなくても、これからことしの自然災害と関係のある何かが、わたしを待ち受けているかもしれない。
 それでも、わたしは仕事帰りには関所に寄る。数年前と比べると、関所の立ち飲み仲間は少しずつ変化している。遠くへ行ってしまった方もいる。たまにしか会わなくなった方もいる。新しく仲間に加わった方もいる。ずっと変わらず、飲み仲間を続けている方もいる。
 絆。それがわたしにとっての絆なのだ。大きなことはしていない。
 ボランティアや社会貢献活動や福祉活動をしているわけではない。
 ただ、ひたすら同じ日常を繰り返し、地元で同じひとたちと顔を合わせて声をかけあう。小さな話題の積み重ねが、少しずつかけがえのない絆をつむいでいく。
 いつか、関所は役割を終えて、静かにシャッターを閉ざす日を迎えるかもしれない。しかし、それは地元での絆が途絶えることを意味しない。そうなったときに、新しい関所が築けるように、いまのひとたちと過ごす日々が重要なのだ。

6653.9/20/2011
坂の下の関所[14章]story288

 学校に荷物を置いた帰り道、わたしは近所のフジスーパーで上新粉を買った。
 帰宅して、カディーさんから購入したきびを使って、きび団子作りに挑戦した。
 きび50グラムに対して、上新粉を100グラムも使うので、明確な意味できび団子と呼べるものかどうかは疑問が残った。でも、最初に入手したレシピを尊重して、とりあえず作ってみて、それ以降は自分なりにアレンジしようと思った。
 50グラムのきびを水で洗う。2回から3回水で洗う。米を研ぐ要領だが、きびの粒は米よりも小さいので、研いだ水を捨てるときにきびが流出しないように気をつける必要がある。
 よく水を切ったら、あらためて100グラムの水を入れて炊く。レシピには電子レンジで8分と書いてあったが、ももたろうの時代に電子レンジはなかっただろうから、鍋で炊くことにした。弱火でだいたい10分間ぐらい。ときどきヘラでかき混ぜないと、なべ底にきびが焦げつく。水分がほとんどとぶと、きびは最初の大きさに比べて3倍ぐらい大きくなる。香ばしい、懐かしいにおいがする。
 炊いたきびをすり鉢に入れる。一粒一粒がつぶれるまですりこぎ棒でする。やわらかく炊き上がっているので、大した力は使わない。
 全体として一つになったら、100グラムの上新粉と50グラムの水を混ぜて練る。この作業は一度すったきびをボウルにあけてやった方がやりやすい。わたしはすり鉢のなかでやろうと横着をしたら、鉢の溝に生地が入り込んで大変なことになった。また、たぶんきびからだと思うがかなりのグルテンのようなねばねば成分が出るので、ボウルのほうがやりやすかった。
 きびと上新粉を混ぜた生地を4つぐらいに分けて、蒸す。わたしはたっぷり10分間蒸した。
 蒸しあがった生地は、ヨモギ団子のようにぷるんぷるんの肌触り。ふたたびすり鉢に戻して、今度は搗(つ)く。すりこぎ棒を水で濡らして、餅つきの要領だ。ぷるんぷるんだった表面が、餅のように強く弾力を得ていく。
 最後は、一口サイズに手のひらで丸める。
 出来上がりをそのまま食べてみた。とても手間がかかるわりには、素朴な味しかしなかった。
 ももたろうが「お腰につけたきび団子」を、サルや雉に「あげましょう、あげましょう」とほいほいあげてたとしたら、よほど気前のいい男だったのだろう。それとも、あのきび団子はおばあさんが作ったものだから、きび団子を作る大変さをももたろうが知らなかったのかもしれない。
 試しに、韓国海苔で包む。これは海苔で包んだ餅感覚でうまかった。砂糖をまぜたきな粉をまぶす。これは文句なくうまかった。
 10個ぐらいをタッパーに入れて、関所に向かう。「きびの使い方を考えてよ」と押しつけていったカディーさんに成果を届けなくては。
「こんにちは」
「おぅ」
 大将がレジにいた。

6652.9/19/2011
坂の下の関所[14章]story287

 台風15号が沖縄近海で停滞していた。
 北の高気圧と太平洋高気圧が本州を包むかたちで動かないので、台風が進路を東に向けられない。そのために、台風が吸い寄せる太平洋上の湿気を含んだ空気が帯びのように九州から四国、近畿、東海地方を経て東北まで雨雲を運んでいく。たまたま関東地方は、そのはざまになって、とても9月中旬とは思えない猛暑に襲われていた。
 9月18日の日曜日は、関所は早仕舞いと聞いていた。
「何でよ」
 前日の土曜日に寄ったよき、赤坂さんがだだをこねるこどものように口を尖らせていた。電力対策で首都リーブスは数年前から夏場だけは土日出勤にしている。だから、日曜日も赤坂さんは出勤なのだ。関所周辺の飲食店は日曜日が休みが多い。きっと、赤坂さんにすれば、仕事帰りに寄るところがないのが不満なのだろう。
 まっすぐ帰ればいいのにな。
 そう思うのは簡単だけど、本人にすれば、家よりも落ち着くところで、仕事の疲れを落としたいのだろう。
 わたしは、日曜日の朝から仕事をしていた。家でできる仕事をしていた。
 そして、お昼近くになって一段落したので、車で学校に行った。給食の白衣、水泳の水着、ふだんの作業着などが土曜日のうちに洗濯をして乾いていた。それらと給食の残りを入れるタッパーを積んで学校に行った。月曜日にまとめて運べばいいのだが、電車通勤だとなるべく手荷物は少なくしたい。
 日曜日といえども学校には無給で働く職員たちが数人いた。
「あれ、珍しいじゃん」
 校長が呼びかけた。 「休みの日にも、出勤することあるんだ」
「俺だって一応はね。でも荷物を運びに来ただけだよ。やり残した仕事をしにきたわけじゃない」
「あんたは、仕事とプライベートをきっちりと切り分けているもんだと思ってた」
 どうも、校長はわたしに対して誤解しているらしいが、やりあっている時間がもったいないので、適当に相槌を打ってその場を離れる。
 そういえば、経済協力開発機構という世界的な組織の調査結果が新聞に載っていた。その結果、日本の教員は経済協力開発機構に加盟している先進国と呼ばれる国の中で、給料は安く、労働時間は長いことが判明したそうだ。また2005年の給料を100としたときに2010年の給料は95になっていたことも。
 わたしはそういうことを内側の人間として感じてはいた。しかし、あらためて外国との比較で示されると「わりにあわない仕事だなぁ」という思いを強くする。おまけに自民党の安倍総理大臣のときに決めた教員免許更新制度がちっともなくならないので、10年ごとに自腹で大学に2年間も通って免許を更新しなければならない。
 教員の不祥事が増えた。有能な若者が集まる職業には思えないのだろう。当然のことだ。

6651.9/18/2011
坂の下の関所[14章]story286

 味噌汁は、汁物なので凍らせても学校から関所まで運んでくる途中でリュックのなかでこぼれてしまう可能性がある。だから、廃棄処分はもったいないが、汁は捨てて具だけをすくってきたのだ。
「だって、汁まですくうと運んでくる途中でこぼれたらやだもん」
「味噌汁ってのは、味噌があってこその味噌汁だぜ」
 相田さんはご不満らしい。
「じゃ、味噌汁の具って思わないで、これからヌタを作ろうとしている一歩手前のわかめとたまねぎとジャガイモってのはどう」
「いや、ごまかされないぞ」
 ごまかしているわけではない。最初から、ネタをばらしているのだから。
 自動ドアが開く。
「あーら、センセー久しぶり」
 一葉さんが、登場した。
「こちらこそ」
「これ、さっき漬けたばかりなんだけど」
 一葉さんは、ビニル袋をわたしに渡した。そのなかには、大根、人参、キュウリの塩漬けが入っていた。塩漬けといっても軽く塩もみしただけなので、サラダ感覚だ。
 わたしは、一葉さんの差し入れを器に盛り分ける。それを関所の立ち飲みメンバーに配って歩く。
 そんなことをしていたら、さっき買ったばかりのホッピーがぬるくなってしまった。
「これ、栓を抜いてないから、冷たいのと交換してもいいかなぁ」
 若女将に尋ねる。
「あ、どうぞどうぞ、センセーはここに来てもひとのために何かをしているから、忙しくてかわいそう」
 毎日が駆け足で過ぎていく。
 さっき関所で笑っていたと思ったら、もうそれはきのうのことになり、おとといのことになり、先週のことになる。時間が自分のまわりだけ、新幹線のように高速で過ぎていくようだ。
「週末は連休だなぁ」
 永田さんが、給食のメニューをめくっている。
「連休ってのは、なんだ、やっぱり給食も休みか」
 そりゃそうだ。食べるこどもがいないのに、作ってもしょうがない。
「今度は、月曜が敬老の日だから。火曜日まで給食はないのか」
 ため息をついている。
「永田さん、火曜日はうちは休みよ」
 若女将が定休日を教える。
「うへー、じゃぁ次の水曜日まで給食はなしかぁ」
 もしかすると、給食本来の求められ方が、ここ関所にはあるのかもしれない。

6650.9/17/2011
坂の下の関所[14章]story285

 その後、何日経っても、わたしが関所に寄る日には、宮里さんは姿を見せなかった。きっと、相田さんの「かわいい攻撃」に嫌気がさして「二度と行くものか」と思ったのだろう。
 まったく、相田さんときたらなぁ。
 9月14日、水曜日。まじめに仕事をして、定時過ぎまで学校にいたので、関所に着くのが遅くなった。
「あれ、センセー、いつもよりも遅いんじゃないの」
 自動ドアをくぐって、正面に向かって左の隅で、相田さんが携帯電話を片手に、瓶ビールを飲んでいた。
「まじめに働くと、これぐらいの時間になるんですよ」
「そんなこと、言っちゃってさぁ。割り増しがつくんでしょ」
 割り増しって何のことだろう。
「割り増しって」
「残業手当だよ」
「俺たちの世界って、一切、残業手当はないんですよ」
 これは、本当の話だ。5時に勤務時間が終了する。その後、学校でどんなに遅くまで仕事をしていても、給料には関係ない。一円ももらえない。まったくのボランティアである。
 だから、わたしは給料がもらえる5時までにすべての仕事が終わるように段取りをしている。本当はこどもが帰ってから45分間の休憩時間がある。休憩時間は、近くの喫茶店に行ってくつろいでもいいし、自宅が近い人は干してある布団を取り込んでもいい。仕事をしなくていい時間だ。しかし、わたしは休憩を取らないで、翌日の授業の準備や、その日のこどもたちの活動の記録を書いている。
「残業手当がなくてもさぁ、ほら部活動とか顧問をしていると手当てがつくんじゃないの」
 相田さんは、何とかして、わたしの給料にプラスアルファをつけたいらしい。
「中学や高校の運動クラブの顧問とかには、多少の手当てはあるかもしれないけど、小学校ではそんなもんないですよ」
 わたしは、リュックのなかから、その日の酒の肴を取り出す。タッパーのなかには、味噌汁の具とコーンシチューが凍っていた。コーンシチューは火曜日の給食の残りだ。火曜日は関所が休みなので、そのまま冷凍しておいた。味噌汁は水曜日のメニューだった。水曜日は、白米、味噌汁、カジキのステーキ、大豆の五目煮、そして牛乳。味噌汁以外は、こどもたちが全部食べてしまったので、仕方なく味噌汁の具だけを集めたのだ。わかめ、たまねぎ、ジャガイモだった。
 若女将に電子レンジで温めてもらう。それを器に取り分ける。
「はーい、きょうは味噌汁の具とコーンシチューです」
「うわぁ、いつもわりいなぁ」
 永田さんが嬉しそうだ。
「センセー、味噌汁の具ってのはなんだ」
 相田さんが食いついてくる。