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過去のウエイ

6639.8/21/2011
坂の下の関所[14章]story274

 お盆に入った。
 関所周辺の工場は、交代でお盆休暇を取る。平日ならば多くの立ち飲み仲間でにぎわう関所も、週末のように静かになる。
 わたしは17日の水曜日を、自分の食堂最終日に決めていた。
 夏休みを使って、関所に集まるひとたちにお酒以外の食べ物を提供しようと始めた配達専門の食堂。18日は人間ドック。19日は所用。20日は土曜で21日は日曜なので、ひとが集まらない。そして、21日から仕事へ復帰する。
 だから、17日しか、ゆっくり料理を作っている時間がなかったのだ。
 おまけに17日は人間ドックの前日なので、自分で作っても同じようにパクパク食べるわけにはいかない。だから、本物の料理人の感覚だった。
 17日のメニューは、いつもよりも多かった。
 茄子の天婦羅、人参とネギのかき揚げ。これは小麦をこねすぎて、できあがりがあまりさくっといかなかった。相田さんが食べたら「へただなぁー」とどやされていただろう。
 沖縄麩のチャンプルー。生卵と出汁をたっぷりしみこませて、夏野菜炒めに突っ込む。以前、仙台麩を使って似たような料理を作ったことがある。沖縄麩のほうがさっぱりした感じだった。
 チーズ入りオムレツ。生協が宅配してくれるサービスを使っている。たまたま玉子がたくさん届いたので、連日玉子を使った料理を考えていた。オムレツは、4秒ぐらいしかフライパンに火をつけていないので、スピードが勝負の料理だ。なかが黄身でトローッととろけるように作るのが難しい。
 これらをタッパーや段ボールに入れて、関所に運ぶ。
「こんにちは」
「おぅ」
 昼時に近い時間だった。レジには大将がいた。
「これ、きょうの差し入れです」
「いつも、わりいなぁ」
「でも、きょうが最後です。あとでみんなが来たら、分けてください。俺は、あした人間ドックなので、食べることができないから、届けるだけです」
「おぅ」
 そう言いながら、奥の大型冷蔵庫に保管させてもらう。
 本当は、みんなが食べる表情を見ながら、うまくできたのか、失敗だったのかを判断すべきだろうが、そんな状況にいたら、自分も食べてみたくなってしまう。
 
 午後7時ごろに、カンちゃんから「お料理を食べていいのかなぁ」というメールが届く。すでに食事制限直前のわたしは、自宅からうらやましさを込めて「どうぞ」の返信を送った。

6638.8/20/2011
坂の下の関所[14章]story273

 10日の水曜日。ちょっとワクワクしながら、関所で立ち飲み仲間に手作りカレーをふるまった。
「センセー、これうまいよ」
 永田さんが感動してくれる。
「本当にタマネギとトマトから作ったの」
「えー、それにカディさんのスパイスを大量に入れました」
「へぇ、カレーってこうやって作るんだ。知らなかったなぁ。また作ってよ」
 簡単に言う。
「永田さん、このカレーは手間がかかっているのよ。煮込むだけで3時間もかかったんだから」
 若女将がフォローしてくれる。
「ふだん、野菜を食わない俺たちにはありがたいよ」
 赤坂さんが、箸の先にちょこっとつけたカレーを肴に日本酒を飲む。
 確かに、ほとんど繊維質しか残っていないけど、タマネギとトマトの量はとても多い。

 14日の日曜日。
「こないだピカちゃんの送別会をやったんだよ」
 東京でひとのために仕事をするカンちゃんが教えてくれた。
「送別会って、いよいよ引越しってこと」
「ほら、ピカちゃんの会社、横浜に移転したでしょ。だから、住む場所も変えるって言ってたのよ」
 若女将が解説。
「いきなりやってきて、カンに連絡を取れって言うんだから」
 どうやら、ピカちゃんはカンちゃんをご指名して、お別れを告げたらしい。
「鳥藤に行ったんだけど、全然いつもと違ってさぁ。一言も話さないの」
 カンちゃんがそのときの様子を教えてくれる。鳥藤は、関所に近い焼き鳥屋だ。ピカちゃんは、本当はとてもナイーブなひとなのだ。
「そんでね、その翌日に引っ越したの。そうしたら、もうきょうやってきた」
 ガクッ。若女将が言う。
「新しいところに行ったら、照明がなくて、一晩真っ暗ななかで過ごしたんだって。だから、こっちのアパートから持っていくって」
「そういうのは、横浜なんだから、近くの電器屋で買えばいいのに」
「きっと、それは言い訳でさ、こっちに戻ってくる理由が必要だったのよ」
 なるほど。

6637.8/16/2011
坂の下の関所[14章]story272

 大きな鍋にオリーブオイルをたらす。
 つぶしたニンニクのかけらを3個入れる。火をつけて、オイルにニンニクをしみこませる。ばら肉の脂の部分だけを使って、さらにオイルにこくを出す。
 あらかじめタマネギ3個とトマト6個をフードプロセッサでみじん切りにしておいた。まずはタマネギを入れる。底がこげないように、ヘラでかき混ぜながら、炒めていく。よけいな作業はない。ただそっとかき混ぜ続ける。退屈な作業だ。
 タマネギがあめ色に変わる。トマトのみじん切りを入れる。ジュースもそのまま入れる。火を弱めてぐつぐつ煮る。これも底がこげないようにヘラかき混ぜ続ける。
 この段階では、とてもカレーには見えない。濃厚なトマトスープだ。
 極楽寺に住むインド人のカディさんにいただいた様々なスパイスを、瓶を逆さまにして投入する。いままでスパイスの味がきついので少量ずつ使ってきたが、きょうだけは気持ちがいいほど使い切る。
 マサラ、クミン、ターメリック、ペッパー、コリアンダーなど、本場のひとが使うスパイスが大量に入っているのだろう。たちまちキッチンが異国情緒に染まる。
 胸肉を一口大にしておいた。あらかじめフライパンで焼き目をつけてある。途中からそれを混ぜ合わせた。カディさんのスパイスには、殻がついたままのものが多く、これでは食べるときに口のなかに違和感が残る。
 わたしは、ヘラで殻を潰しながらかき混ぜた。当然、胸肉も粉々になっていく。
 どんどんトマトの水分を蒸発させていたら、ドライカレーのようになってしまった。
 あわてて火を止める。きっとキーマカレーというのはこんな作り方をするのだろう。
 時計を見たら、オリーブオイルをたらしてから3時間が経過していた。
 まずは自宅でランチに試食。炊き立てのご飯と別盛のカレー。濃厚なカレーなので、少量でご飯がたくさん進む。お、なかなかいけるではないか。

 わたしは以前にギャバンのカレーセットを使って本格的なカレーを作った。そのときは13種類のスパイスをきっちり計量し、ヨーグルトも混ぜた。
 今回はそのときに比べると、はるかにアバウトに作った。基本はタマネギとトマト、それにスパイスなので、味見をしながら適当に作った。
 それでも十分うまいカレーができた。
 カディさんへのお礼として、空になったスパイスの瓶にカレーを詰める。残りをタッパーに入れて、関所への差し入れにする。立ち飲み仲間は、肉体労働のひとが多い。昼間に汗を流して働いているので、夏ばての防止にもカレーが役立つことだろう。ただし、みなさんにとってもカレーが小麦粉を使った市販のカレーだったら、舌には合わないかもしれない。
 ま、そのときは持って帰って自分で食べよう。
 わたしは、お世話になっている関所の家族用に平たく伸ばしたカレーをラップにくるんで冷凍した。こうしておけば、使いたいときに、必要な分量が使えるのだ。

6636.8/14/2011
坂の下の関所[14章]story271

 相田さんは、まだ皿に残っている餃子を箸でつまむ。
「センセー。これ、具が少なくないか」
 なかなか鋭い突っ込みである。
 わたしは、自分で皮を作ったときは、餡をぎりぎりまでは入れないようにしている。餡の水分が生地を溶かしてしまうからだ。そうすると、皮を閉じることができず、焼いている途中に餡が外に出てしまうのだ。
「一口餃子だからさ」
 そういうことにしておく。
「これじゃ、ワンタンだよ、ワンタン。知ってるでしょ。するっと食べちゃうやつ」
 そりゃ知ってますよ。
「相田さん、いいじゃないの。これはこれで」
 赤坂さんが助け舟を出してくれる。
「いや、俺は餃子にはうるさい男だから、妥協はしたくない」
 別にお金をもらっているわけじゃないのだから、相田さんは何に対して妥協したくないのだろうか。
 その後、相田さんと同じ会社のひとたちが何人か訪れた。そのたびに、相田さんは事前通知を繰り返す。
「これさ、センセーが作った餃子なんだけど、餃子だと思って食べるよりも、ワンタンだと思って食べた方がいいから。そのつもりで、よろしく」
 そんなことを言われて、同僚たちは、どうリアクションすればいいのか。
「おいしいワンタンですね」
 これではわたしに角が立つ。
「おいしい餃子ですね」
 これでは相田さんに角が立つ。

 9日の火曜日は関所が休みだ。
 みんなに満足のいく料理を作るというのは、とても難しいと相田さんが教えてくれる。
 時間がある火曜日の午後、どこかで飲むよりも、手間のかかる料理を作ろうと考えた。
 それは、たまに関所でスパイスをくださる極楽寺に住むインド人のカディさんを思い出して決めた。タマネギとトマトから本格的なカレーを作ろう。そのなかに、これまでいただいたスパイスをガンガン入れてしまおう。
 きっと香辛料が辛いから、相田さんは手をつけない。
 ひとの餃子をワンタンだと言い換えたお仕置きだ。

6635.8/13/2011
坂の下の関所[14章]story270

 8日の日差しが皮膚を刺す。
 わたしは、大きなお皿に餃子を乗せて、ラップをかけて、関所に運ぶ。
「こんにちは」
「わぁ、こんなに作ったの」
 お昼の時間帯に餃子を届ける。保冷剤を入れて、冷やすわけにはいかないので、お皿のまま持参した。

 大船で買い物をして、夕方に関所に再登場した。
 若女将に、餃子をあたためてもらう。
「きょうは、餃子なんです」
 いつもの永田さんや赤坂さんが、おっという顔をする。
「はい、お待ちどうさま。これ、センセーが皮から手作りよ」
 若女将が、餃子の宣伝をしてくれる。
「俺には信じれねぇ」
 赤坂さんが、コップの酒を口に運ぶ。休みの日にはついつい朝からウィスキーを飲んでいる赤坂さんには、想像もつかないのだろう。
 わたしは、陶器に2個から3個ずつ取り分けて、永田さん、赤坂さん、大将に渡す。
「ほう、皮がもちもちしてんな」
 永田さんは、なかなか鋭い。
「うまいよ、でも、これじゃ、売り物にはならないな」
 大将が感想をこぼす。
 どういうこと?
 わたしの表情を見て、関所の奥のコーナーを指差す。そこには、これから、昆布出汁の出汁巻き玉子を「安い玉子を使いやがって」と罵った相田さんがこれから来る。
「予行練習をしておかないと」
 相田さんの口に、合うかなぁ。辛くはしてないから、たぶん大丈夫だと思うけど。

「ちわっす」
 想像通り、相田さん登場。
「きょうは、餃子を作りました」
「へぇ、すげえじゃん、センセー。毎日、仕事さぼって、好きなことしてていいなぁ」
 そういう褒め方なのだろうか。
 相田さんが、一口、餃子を口に入れる。
「お、センセー、うめぇよ。皮が違うな」
 相田さんは、口は悪いが、食べ物の良し悪しはわかるらしい。手作りの皮を感じていただけたようだ。
「でもなぁ」
 おっと、油断してはいけない。

6634.8/12/2011
坂の下の関所[14章]story269

 ばら肉のミンチに味付けをしていく。
 こしょう、生姜汁、紹興酒大さじ1杯、醤油大さじ2杯、サラダ油大さじ1杯、塩少々、ごま油少々。それぞれの調味料を入れるたびに混ぜる。全部を入れてから混ぜると味に偏りが出る。好みに応じて、醤油の量は増やしてもいい。
 よく水気を切った白菜とニラを混ぜる。全体に粘りが出るまでよく混ぜる。ここで妥協をすると、皮に包む段階で水っぽくて後悔することになる。余分な水気はキッチンペーパーで吸っておく。

 まな板に打ち粉を打って、冷蔵庫から生地を出す。
 団子状の生地をまな板の上で中央から端に向かって両手を使って転がしながら伸ばしていく。包丁で真ん中を切る。さらにそれぞれを伸ばしていく。今度は、包丁でそれぞれを三分の一に切る。だいたい同じ長さの生地が6本できる。
 この1本から10枚の皮を作る。
 切った断面の両方に打ち粉をつけて、手のひらでまな板に押し付ける。500円玉ぐらいの円形に広がる。それを麺棒で薄く伸ばしていく。中央から周囲へ伸ばしていく。少しずつ生地を回転させていく。一周したら皮が円になるように微調整してできあがり。10枚の皮ができたら、餡を中央に乗せて、生地を折り曲げてひだを作る。できた餃子から、トレイに乗せる。10個ともできたら、一度、冷凍庫で凍らせる。たくさん作る(今回は60個)ときは、最初に作った餃子の生地からグルテンが出てきて、となりの餃子やトレイの底に生地がくっついてしまう。それを防ぐために凍らせてしまうのだ。
 これを6回繰り返す。
 手早くやらないと生地が乾いてしまうが、わたしの場合は30分ぐらいはかかってしまう。
 すべての餃子ができたら、焼きに入る。
 本当は、鍋にお湯を沸かしておいて、そこに突っ込んで水餃子にするのがおいしい。しかし、水餃子はその場で食べないと旨みが伝わらないので、焼いてしまう。

 フライパンを熱する。
 油をしいて、ちり紙などで平らに伸ばす。
 手早く60個の半分、30個の餃子を円形に並べていく。やや火を強めて、餃子の底の皮の色がキツネ色になるのを待つ。全体がきつね色に変わったら、火を弱めて、お湯を注ぐ。作った生地なので、あまりお湯の量はいらない。パン全体にお湯が広がる程度で大丈夫だ。
 蓋をして、蒸す。
 お湯が蒸発して、プツプツという音が聞こえてきたら、味付けでごま油を軽くかける。
 強火にして、完全に水分を蒸発させたら、焼きあがり。
 パン全体に大きめのお皿を裏返しにして乗せる。パンを左手で、皿の底を右手で押さえて、天地を逆にする。
 できあがりだ。

6633.8/11/2011
坂の下の関所[14章]story268

 8月8日は暑い月曜日だった。
 前日の7日の日曜日に大船の仲通商店街で買い物をしていた。
 ユータカラヤでばら肉のブロックは100グラムあたり108円で売っていたのだ。昨年の九州の感染病以来、ばら肉が130円よりも安くなることはなかった。久しぶりの100円台に、思わず2ブロックも買ってしまった。1ブロックがだいたい500グラムある。一葉さんにも頼まれていたので、合計では3ブロックも買った。
 さらに大きな白菜が半分で100円で売っていたので、これも買う。
 帰り道は、とても重かった。

 それを月曜日は朝から調理した。
 大鍋にたっぷりの水を入れて沸かす。ばらブロック肉を餃子用の250グラムを残して、残りを入れる。ばら肉からエキスを抽出するのだ。にんにくと生姜をいっしょに入れる。
「朝から家のなかににんにくが充満している」
 家人に小言を言われる。
 仕方がないから、換気扇を「強」にして臭いを外に出す。
「こんな時間から中華料理でも作っているのか」
 庭で彫刻を作っていた父親が台所を覗く。
 まったく、やりにくい。

 スープを作っている間に、フードプロセッサを出してきて、餃子作りの準備をする。
 北海道産の「春よ恋」という強力粉を300グラム計量して、網でこして、粒子をそろえる。
 165グラムの水を用意する。ワンタンは熱湯を使うが、餃子の皮は水で大丈夫だ。
 フードプロセッサに粉と水を入れて「練る」。フードプロセッサは、練りの初期をやってくれるので助かる。ある程度粉と水が一体になってきたら、まな板に出して、手でこねる。菊練りを繰り返して、生地を成形していく。だんごにして、濡れ布巾で包み、冷蔵庫で寝かせる。
 フードプロセッサの刃を交換して、カッターにする。
 白菜とニラとばら肉を計量する。白菜は500グラム、ニラは50グラム、ばら肉は250グラム。わたしはこのレシピがいつも覚えやすいので、使っている。これで60個の餃子ができる。皮を40個にすれば、やや大判の餃子になる。
 フードプロセッサを使って、白菜をみじん切りにする。ボウルに出して、塩をふり、水気を出す。ニラとばら肉をみじん切りにする。ばら肉は、やや形が残る程度にしておく。あまりミンチにしてしまうと、食べたときに、ジューシーさがなくなってしまう。

 ときどき大鍋を覗いては、あくを取る。

6632.8/10/2011
坂の下の関所[14章]story267

 極楽寺でインドからの輸入雑貨を扱うカディーさんが、プールに行く途中で関所に寄った。
「これ、どう。きょうはただだよ。次からお金取るから」
 いつものごとく、ものすごく一方的な商法でわたしの手にジップ付袋を2つ握らせる。
「何ですか、これ」
「ほら、こないだ、言ったじゃん。忘れたの」
 たくさんのこないだがあるから、いつのことを言っているのかわからない。
「忘れました」
「正直でよろしい」
 お褒めいただく。
「福島の被災地に行ってきたのよ。そこでカレーを作った。そのときに、向こうのひとたちにもらったの。粟と稗。何とか、売り物にならないかなぁ、センセー、考えておいて」
 それじゃ、と手を振ってプールに行ってしまった。

 粟はイネ科の多年草で、もともとは米という字も粟をさしていたそうだ。中国では昔から食用だった。4000年前の遺跡では、粟から作った麺が見つかっている。小麦など他の穀類と混ぜて利用されることもある。パンには、メリケン粉7に対してアワ3の割合で混ぜるとよく膨らみ、色が美しい。麺類ではうどん粉と半々、天ぷらの衣に加えるのもよい。

 稗もイネ科である。イヌビエから収穫できる実をさす。日本ではかつて重要な主食穀物であったが、昭和期に米が増産されるとともに、消費と栽培が廃れた。現代の日本では、小鳥の餌など飼料用としての利用が多いが、最近になり、優れた栄養価を持ち、また食物繊維も豊富なことから、健康食品として見直されつつある。増加しつつある米や小麦に対する食物アレルギーの患者のための主食穀物としての需要も期待されている。

 わたしは、粟と稗の袋を手にした。
「泥橋さん、これ、生で食べたことある」
 語尾を上げて質問する。
「ないよ」
「やってみようか」
 わたしは、粒が小さい粟を手のひらに出した。食べてみても、あまり味がしない。一粒がたぶんたらこよりも小さい。次に、稗を出す。こちらはやや粟よりも大きい。食べてみたら、香ばしい風味がした。まるでナッツを食べているような感じだ。
 うーん、どんな料理方法があるだろうか。

6631.8/9/2011
坂の下の関所[14章]story266

 わたしは関所で、片口やお椀に差し入れの炒飯を分ける。
「きょうは、酒の肴というよりも、ご飯なんです」
 へぇっという顔で、赤坂さんや永田さんがわたしを見る。
「でも、大きめのばら肉が入っているので、それを肴にしてください」
 自動ドアが開く。相田さんの登場だ。
「相田さんは、家に帰って飯を食うって言ってたよね。炒飯だけど、食べるかな」
 瓶ビールをぶら下げた相田さん。
「そんなに量はいらないけど、いただきます」
 ははは、こないだと同じ玉子だぜ。
「センセー、うまいよ。こういうやさしい味がいいなぁ」
 赤坂さんが、喜んでくれる。嘘でも嬉しいではないか。休みになると朝から酒を飲み続けている赤坂さんの胃袋に、米と玉子と肉を届ける。忘れていた消化を思い出してくれますように。
「お、これはいいなぁ」
 相田さんの御発声。パクパク食っている。
「うーん、肉もうめぇ。玉子もいい。やっぱりこないだ俺に言われて、玉子を変えたな」
 だから、同じ玉子だよーん。
 わたしは、一葉さんが差し入れてくれた葉唐辛子も炒飯の端に乗せた。
「センセーね。これ作っていたら、葉っぱが少なくなって実ばっかりになったの」
 一葉さんが言った通り、それは葉唐辛子というよりも、青い唐辛子の煮込みのうようだった。
「これは、辛いなぁ」
 赤坂さんが顔をしかめた。唐辛子をそのまま食べてしまったようだ。わたしも口に含む。中から種が出てきて、わたしの頭の中に火花が散った。
 そこに、ニンニクを生で食べる辛さの帝王、泥橋さんが登場した。
「泥橋さん、さっき一葉さんが差し入れてくれた葉唐辛子なんだけど、試してみてよ」
 わたしは、泥橋さんの皿に、ことさらに実だけの葉唐辛子をてんこ盛りにした。
「おいしいよ、たいしたことない」
 泥橋さんは平然としていた。
「少し、味付けが濃いかな」
 味わっている。驚きだ。
「だって、泥ちゃんは、タバスコを瓶ごと飲んじゃうひとだよ。これぐらい朝飯前だって」
 奥から山ちゃんが教えてくれた。

6630.8/8/2011
坂の下の関所[14章]story265

 8月3日、水曜日。
 2日に同僚のマンションで日本酒パーティーを開く。いつの間にか寝てしまう。そのままフローリングで朝を迎えた。腰や肩がガクガクした。
 一番電車で戻り、午前中は寝た。昼前に、せっかくの休暇を酔いつぶれて過ごすのはもったいないと起きる。熱いシャワーを浴びて、冷蔵庫からばら肉を出した。
 日本酒パーティーの締めに、冷やし中華をふるまった。そのときのために、きのうは朝からばら肉のスープを作り、残ったばら肉に塩と味噌を塗りこんで保存しておいたのだ。
 二本のブロックを半分から切って4つにした。
 さらに4つを半分にして8つにして、いくつかのタッパーに入れておいた。そのうちの2つを取り出して、包丁でさいころ状に切りそろえた。
 炒飯を作る。
 かつて、中華街のお店を食べ歩いて研究した炒飯の作り方は、腕が覚えている。紹興酒がなかったのが残念だが、日本酒で味付けを代替した。
 相田さんに「安い玉子」と言われた玉子を使って、炒飯を作る。
 中華鍋を温める。表面から煙が出るまで熱する。次に薄く油を敷いて、ティッシュで伸ばす。さらに煙が出るまで熱する。
 さいころのばら肉を軽く炒める。表面に焼き色が着いたら、ザーレンで油をこす。
 長ネギの端の硬い部分で、ネギ油を作る。割った生卵を、玉じゃくしで軽く混ぜてネギ油に注す。まだ十分に火が通らないうちに、白米を玉子の上に乗せる。玉じゃくしの裏に水をつけて、白米を薄く伸ばす。米の間に玉子を広げていく。
 やや火力を抑える。
 塩、オイスターソース、コショウをふりかける。よーくあおって、材料と調味料が米の間に広がるように混ぜていく。一粒一粒に空気が入り込むように、あおっていく。慣れない頃は、あおりすぎて、レンジ廻りに具材を散らばせたものだ。
 仕上げに、日本酒、中華出汁(ばら肉)、醤油、ごま油を加えて、火力を上げる。一気にあおって、汁っぽくなった炒飯を蒸し焼きにしていく。
 大皿に広げるように配膳する。よくプロは玉じゃくしでお椀のかたちに丸めるが、素人があれをやると、逆に水っぽくなるので、わたしはやらない。あおった意味がなくなるのだ。
 室温で冷まして、タッパーに分ける。
 残りを自分の昼食にした。玉子とばら肉しか使っていない炒飯だ。うまい。シンプルがいい。思わず、冷蔵庫からアサヒのプレミアムモルツを出して、専用カップで飲む。うーん、こちらもうまい。
 平日、水曜日。ふだんは絶対にできないぜいたくなランチの過ごし方だ。