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6629.8/7/2011
坂の下の関所[14章]story264

 8月1日、月曜日。久しぶりに昆布出汁を作る。久しぶりに作ったので、試しに昆布出汁で出汁巻き玉子を作った。
 関所に差し入れをする。
「きょうの玉子焼きは昆布出汁なので、味が薄くて玉子の味しかしないかも」
 一応、言い訳をしておく。
「センセー、これ、何も入ってないんじゃないの」
 一口、食べた相田さんが早速食って掛かる。
「だから、昆布出汁だけなんだって」
「昆布の味なんかしないよ、安い玉子を使っただろ」
 そりゃ、一個500円のウコッケイみたいな高級玉子ではないよ。
「お店を開こうとするんじゃ、これじゃ、いけねぇなぁ」
 うんちくになっちまった。
「おー、山ちゃん、これ食ってみな。センセーの玉子焼き」
 到着したばかりの山ちゃんに、相田さんは出汁巻き玉子を分ける。
 山ちゃんが、一口、放り込む。
「どうだ、これ、何の味もしねぇだろ。昆布だかわかめだか、出汁が効いてるんだって。でも、何もわかんねぇよな」
 まだ、山ちゃんは何も言ってないのに、相田さんは一つの方向に山ちゃんの気持ちを誘導する。
「これは、きっと玉子が悪いんだ。安いやつを使ったから、こういう何の味もしなくなっちまったんだ」
 山ちゃんは、目で、わたしに微笑みかける。
 山ちゃんは、相田さんと同じ会社に勤める。年齢は相田さんよりもずっと上で、社内では、立場が上なのだろう。

 あーあー、また相田が勝手なことを言っちまってー。センセー、ごめんな。

 わたしは、自分に都合のいいように勝手に山ちゃんの微笑を読み取った。
「ありがたいのよ。こうやって、率直に意見を言ってくれるひとがいるってことは」
 若女将が、腐りかけていくわたしのこころを見越して、腐敗を止めようとする。
「実際に、お店を開くときは、センセーが好きな味だけではお客さんに受けないってこと。そういうことを教えてくれているのよ」
 こころの腐敗は、ちょっと止まった。

6628.8/5/2011
坂の下の関所[14章]story263

 8月。わたしは本格的な休暇に入った。
 県の法律で認められている夏季休暇5日間、25年以上勤続したご褒美のリフレッシュ休暇5日間、有給休暇から5日間の合計15日間を上旬の3週間に集中的に夏の予定に計上した。
 小学校の仕事は、一般企業や自営業者のひとたちと違って、時間と空間の拘束が強い。
 朝の8時半から夕方の5時まで、決まった場所にいなければいけない。ちょっとそこまで出かけるにも、管理職の許可が必要だ。また、やらなければいけないことが、こどもがいる時間帯は分刻みで詰まっているので、自分の時間というのがほとんどない。
 わたしは、午前6時ごろに出勤して、自分の時間を作り出している。その時間がないと、こどもたちの授業準備ができないのだ。こどもが帰った後の時間は、会議や研究会が入ることが多い。わたしが勤務し始めた25年前は、放課後に会議があることなどめったになかった。しかし、いまは何かにつけて会議、会議、会議だ。外部からの圧力が強くなったので、みんなで集まって相談しておかないといけないことが増えた。会議が終わると、午後5時が近づいている。多くの職員は、勤務時間を過ぎても学校に残り、自分の仕事を片付けてから帰る。
 わたしは、朝のうちに済ませているので、さっさと帰る。
 そんな日常を過ごしていて、最大の楽しみは年に一度の夏休みだ。
 いつも、8月には休暇をまとめ取りする。
 休みを取って海外旅行や遊園地に行くためではない。
 心身ともにリフレッシュし、自分の時間を一日中、思いっきり過ごしたいのだ。
 寝たければ寝る。歩きたければ歩く。料理を作りたければ作る。本を読みたければ読む。
 今回の休暇は、わたしにとって、人間ドックとセットになった。休暇の後半に人間ドックに行くので、暴飲暴食は慎まなければならない。
「こんな時期だけ気をつけても意味がない」
 関所の立ち飲み仲間は言う。
 しかし、そういう時期が年に一度ぐらいあってもいいとわたしは思う。
 からだの大掃除というか、手入れ期間みたいのものだ。
 8月に休暇を取るために、7月中はほとんど出勤した。こどもがいない教室で、朝から帰りまで壁や床を磨く。2学期以降の学習の準備をする。ラジオをつけて、エフエム横浜を聴く。かなりの自由度だ。
 1学期は、給食の残りを関所に運んでいた。立ち飲みの仲間に、酒の肴としてふるまった。しかし、7月の中旬以降、給食は終わってしまった。
 よーし、8月になったら、午前中に関所用の料理を作って、昼に届けよう。それまでにジョギングを済ませておく。しぼった身体で料理を作り、午後は大船を歩く。夕方に関所に集い、仲間に味見をお願いする。
 とてもささやかなことだが、わたしにとってはふだん逆立ちしてもできない豪華な時間の過ごし方だ。

6627.8/4/2011
坂の下の関所[14章]story262

 大船で用事を済ませて、昼のうちに立ち寄った関所に戻る。立ち寄ったときに、ピザとマリネを預けてきた。
「ただいまぁ」
 自動ドアをくぐる。
「おかえりー。さっき、永田さんが、ピザ、ごちそうさまって言ってたわよ」
 若女将が教えてくれた。昼に立ち寄ったときに、どういうわけか、永田さんがいたのだ。もしかしたら、月曜日は仕事が休みなのかもしれない。
 シンロートの相田さん、山ちゃん、首都リーブスの烏丸さんたちが登場する。
「じゃ、あっためてくるね。お店をよろしく」
 若女将が奥に引っ込んで、ピザを電子レンジで温めてくれる。出来上がるまで、わたしがレジに入る。お客さんが来ても、待っていてもらうしかできないが、だれもいないよりはましだろう。
「できたわよ」
 ほっかほかのピザが運ばれてきた。
 わたしは、陶芸教室で作ったお皿にピザを並べる。片口やお椀にマリネを入れる。
「相田さんは、辛いのが苦手っていうから、このわさびの方は気をつけて。もう一つはトマトだから大丈夫」
 我が家では昼にピザを食べていた。そのとき、家族はわさびが辛すぎると閉口して、わざわざチーズの下から、わさびを出していたのだ。
「センセー、俺、唐辛子はだめだけど、わさびは平気だから、あはは」
「うん、これぐらいなら、平気じゃないかな」
 若女将も、わさびピザを味見する。
 ひとの舌は千差万別だ。
「このドレッシングはどうやって作ったの」
 マリネを味見した若女将。さすが、目の付け所が違う。
「これは、ほとんどがレモンです。それに酢を混ぜて、オリーブオイルを少し。蒸したときの野菜汁も混ぜています。でも、酢漬けにしているから、野菜からもうまみが染み出していると思うんだ」
 いわゆる野菜ジュースだ。キャベツやレタスを少なくしたから、トマトやたまねぎなど、甘みのあるジュースが出来上がっていた。もっとレモンを入れてもよかったかなと思うほど、酸味は少なくなっていた。
「何の味かなぁ」
 相田さんが首をひねる。
「あー、もしかしたら、鰹節かも」
「そうだ、これは鰹節の味だ。かなり強いよ」
 野菜の蒸し汁で鰹だしを作ったのだ。相田さんの舌は敏感だった。

6626.8/2/2011
坂の下の関所[14章]story261

 結果から先に言うと、24日の正午を過ぎても永田さんの家のテレビは放送を続けた。
 それがどういう理由かは不明だ。
 7月25日に関所で会った永田さんが笑顔で「いやぁ、テレビは映ったよ」と教えてくれたのでわかったのだ。そもそもテレビは映るものなので、映らない状況の方がおかしいのだが。

 週明けの月曜日。わたしは仕事を休んだ。
 病気だったわけではない。職場の小学校が翌日の火曜日に市内の小学校水泳大会の会場になる。そのため、前日から関係者がたくさん来校して準備をする。学校内のことを知らないひとたちがたくさん来校するので、たまたま勤務していると、ちょっとすみません攻撃に遭う。
「トイレはどこですか」
「水は飲めますか」
「更衣室はどこですか」
「校長先生はいますか」
 何でもかんでも聞かないで、少しは自分で調べてほしいと思うのだが、ぐっと言葉を飲み込んで、作り笑顔で質問に応じてしまう。そのため、水泳大会の前日と当日は、数年前から休暇を取って休むことにしている。

 月曜日は、午前中に台所に立つ。国産の小麦粉を使ってピザ生地を練った。強力粉と薄力粉を同量使う。ふるいにかけて、仕込み水で生き返らせたドライイーストを混ぜる。夏場はイーストの発酵速度が速いので、仕込み水には氷水を使う。常温の水でも、小麦粉を計量している間にぶくぶくと小さな泡を立てて発酵を始めてしまうのだ。
 発酵しすぎた生地は、間に空気の穴(正確にはイーストが出す二酸化炭素)がたくさんできて、食べたときにすかすかしてしまう。粉に水を混ぜるだけに見えて、なかなか奥が深いのだ。
 この生地を使って、トマトソースのピザとわさびベースのピザの二種類を二枚ずつ四枚作った。自宅のランチにそのうちの二枚を食べる。残りの二枚をカットして熱を冷ましてラップにくるむ。冷蔵庫に仮保存した。
 冷蔵庫のチルドに入っている夏野菜を片っ端からシンクの洗い桶に出す。野菜だけのマリネを作る。わたしは酢が好きなので、レモンやゆず、シークワァーサーを使ったオリジナルドレッシングでマリネを作ることが多い。マリネにすると野菜はしなっとなって、場所をとらない。また適度に水分が酢に溶け込んで、おいしい野菜ジュースになる。皮の硬い野菜は酢揚げにすることがある。今回は油を使いたくなかったので、蒸すことにした。
 鍋に湯を敷き、蒸し器をセットする。庭のピーマン、オレンジピーマン、しめじ、にんじん、たまねぎなどを蒸していく。蒸しすぎると色が変わるので、熱が通ったらさっと上げてしまう。
 大きなボウルにたっぷりのマリネを作り、タッパーに小分けする。自宅用と関所用に分ける。
 準備が整って、わたしはピザとマリネを袋に入れて、関所に向かった。

6625.8/1/2011
坂の下の関所[14章]story260

 厳密に言うと、鎌倉ケーブルというのはテレビ局の名前であって、チャンネルの名前ではない。
 鎌倉のように自然の谷あいが多い地域では、もともとラジオやテレビがまともに受信できない地域が多い。そういう地域では、行政が補助金を出して、ケーブルテレビへの移行を勧めている。いぜんは、UHFアンテナの導入を推奨していたが、鎌倉市と松竹が共同出資してJCN系列の鎌倉ケーブルテレビを作ってからは、ほとんどケーブルへと移行した。
 わたしはいまの家に転居してから、鎌倉ケーブルテレビと契約をした。
 これにより、地上波以外に、衛星放送(BS)、通信チャンネル(CS)が見られるようになった。大好きなアメリカンフットボールばかり放送するチャンネルがついていたので、大いにケーブルの恩恵にあずかっている。
 そのたくさんのチャンネルのなかに、鎌倉ケーブル自身が番組を提供している枠がある。大船や北鎌倉の地域情報や、台風や地震の情報、夏には花火大会の生中継などを放送する。おそらくは、防災放送の役割を担っているのだろう。
 永田さんの家のテレビは、突然、その鎌倉テーブルテレビの専用チャンネルが映るようになったというのだ。
「リモコンはありますか」
「ない。だって、ひとからもらったテレビだから」
 リモコンはテレビに必要なのではない。テレビに放送の信号を送るチューナーのコントロールに必要なのだ。リモコンがないということは、市役所のひとはデジタル放送のチューナーをつけていったわけではないようだ。
「でもな、TBSが映らないんだよ」
「え」
「たぶん、テレビが故障しているんだな」
 デジタルとは無関係だろう。
「もしかしたら、アパートのような集合住宅では大家さんが防災放送への移行をする義務があるのかもしれませんね。でも、それって地デジとは関係ないです」
「要するに、24日を過ぎて、見ることができるかどうかってことだよな」
「たぶん」
「いまから、鎌倉テレビに電話をして、デジタルにしてくれって頼めばいいのかな」
「そりゃもちろん。でも、永田さんは契約をしていないから、まず契約をするところから始まりますよ」
「なぁんだ、勝手に向こうでアナログからデジタルに切り替えてくれるわけじゃないんだ」
 確かに、それで切り替えができれば、わたしたちの生活は大きく変化することはなかった。
 7月24日は日曜日だった。わたしは茅ヶ崎にある日帰り温泉の塩サウナでテレビを見ていた。午前11時50分あたりから、番組はデジタル放送へのカウントダウンをしていた。日曜日も仕事の永田さんは、きっと夕方に家に戻ってから、答えを知るのだろう。

6624.7/31/2011
坂の下の関所[14章]story259

 ウイスキーグラスに氷を入れて、指でかき混ぜる。飲んでいるのは焼酎だ。
「それがな、こないだ市役所のひとが来て、テレビをいじっていったのよ」
 うーん、そういうことってあるのかなぁ。
「大家さんが、あんたはいつもいないから、最後になっちゃったって言ってたから、ほかの部屋はみんな終わっているんだろうな」
 いったい、市役所のひとはひとの家に上がりこんで何をしたのだ。
「なんか、テレビとアンテナのコードを入れる穴との間に端末をつけたんだな」
 永田さんの口から「タンマツ」という言葉が出て、おもしろい。
「そのタンマツはなんですか」
「そんなもん、知るけぇ」
 だろうなぁ。
「ところが、そのタンマツをつけたら、鎌倉ケーブルが映るようになったのよ」
 げ、どういうことだろうか。
「永田さんは、鎌倉ケーブルと契約をしているんですか」
「しているわけ、ねぇだろ」
 わたしは、意味がわからず、若女将に生ビールを頼む。琥珀色の液体の力を借りないと状況が飲み込めない。
「あの、整理しますね」
 わたしは、民事の相談を受けた刑事のようだ。
「ある日、市役所のひとが来た。そのひとがテレビに端末をつけた。そうしたら、いままで見たことがなかった鎌倉ケーブルが映った。っとまぁ、こういうことですか」
「大変よくできました」
 考えられる可能性は、複数ある。
「永田さんのテレビは、アンテナで見ているんですよね」
「たぶんなぁ」
「えー、たぶんってどういうことですか」
「ほら、アパートだから、部屋の柱に穴があって、そこに先っちょが二つに分かれているコードをつなぐわけ」
 いまどき珍しいアンテナ線を利用しているらしい。なるほど、テレビの頭にアンテナを乗せているのではないのだ。
「もしかしたら、アンテナは共同ではないですか」
「さぁな」
 あまり、そういうことに興味のないひとにとって、デジタル放送への切り替えはハードルが高すぎる。

6623.7/30/2011
坂の下の関所[14章]story258

 地上デジタル放送は、郵便はがきが勝手に値上がりしたり、消費税がどんどん値上がりしたり、介護保険が勝手に導入されたり、東電の都合でいきなり停電させられたり、そういうくくりと同じだ。
 そういうくくりとは、ひとびとの生活に大きく影響するのに、かんじんのわたし個人は何も知らされていなかった生活の変化劇のことを意味する。わたしがぼーっとしていて知らなかったのではない。わたしには、考えや質問や意見を発する自由が認められていなかった。
 日本の政府や官公庁は、たびたびこういう唐突な政策を強行する。
 中国で高速鉄道が事故を起こした。その車両を翌日、重機で埋めてしまった。その横暴さを日本のメディアは批判していた。しかし、そこまで極端ではなくても、国内に目を向ければ、同じように批判すべき対象はたくさんある。
 なのに、テレビも新聞も問題にしない。
 理由は、かんたんだ。批判すべき対象が大事な大事なスポンサー様だったり、許認可庁のお役人様だったりするからだ。
 にらまれたくないのだ。
 原子力発電に批判的な意見や発言を、国の予算で監視する業務がある。今回の原子力発電所の事故で明らかになった。反対意見を封じようとする国家機関の封建制と、それに税金が使われていることの憤懣を、だれも問題にしない。
 つくづく政治的には、行き詰っている国だ。

 そんな通信や情報機関が7月24日を境界にして、またまたひとびとの生活に大きな変化を強行したのが、テレビの地上デジタル放送への移行だ。
 わたしの知り合いには、アナログ放送とデジタル放送を明確に区別して説明できるひとは、ほとんどいない。わたしだって、素人の雑学程度の知識しかない。なぜ、アナログ放送を終了しなければいけないのか、とても理解していない。
 ただ「終了する」というから、「仕方がない」とあきらめている。
 アナログ放送を残して、デジタル放送にしたいひとは自分でお金を出して、移行しましょうというのなら、ゆるやかな変化として受け入れることもできる。しかし、これまでのアナログ放送を終了して、一斉に切り替えることの必然性と意味がまったく理解できないのだ。
 きっと多くのひとは、デジタル放送に切り替えても、これまでと同じ地上波を見るだろう。チャンネルが変わってしまったことに驚きながら。
 あのボタンがいっぱいのリモコンを駆使して、データのやりとりを楽しむひとなどほんのわずかだ。なのに、デジタル放送に切り替えた。
 きっと、ものすごく儲かっている業界があるのだろう。それぐらいの想像は、わたしにもできる。
「永田さんのテレビにはアンテナがついていますか」
 まず、そこから聞かないと通じないだろう。

6622.7/29/2011
坂の下の関所[14章]story257

 一般に夏休みというと学校はこどもだけでなく、教職員も休みかと思われている。
 これは、過去にそういう時期があったから、その頃にこどもだったひとたちが、いま40代から50代になり、社会の中堅層として活躍しながら「教職員夏休み説」を唱えているのだ。
「いまは、昔と違って、俺たちは出勤なの」
 だから、そういう誤解をしているひとたちに、わたしは巷の伝道師になり、事実を伝えてまわる。
 辻説法ならぬ、辻説明だ。
「またまたぁ、センセーなんか、働きが悪いから夏休みも働きなさいって言われているんじゃないの」
 口の悪いひとに反撃をくらう。
 それでも、伝道師はうろたえない。
「働きが悪いのは否定しないけど、働きのいいひとも出勤しなきゃいけないんだよ」

 台風6号が過ぎて、夏とは思えない寒気が上空を覆った。関東は軽井沢の高原並みにさわやかな空気に包まれた。

 7月21日も22日も、わたしは出勤をして、帰りに関所に顔を出す。
「いったい、何をしてんの」
 授業のない教員は、学校で何をしているのか。
 どうやら、立ち飲みのみなさんには基本的な疑問らしい。することは山ほどあるのだが、どれも大して魅力のある仕事ではない。ほとんどが掃除とか書類整理のような事務仕事、単純作業なのだ。だから、わざわざ説明はしない。

「ラジオを聴きながら寝てます」

 嘘も方便。このほうが面白いではないか。
「ラジオといえば、地デジが始まるってか」
 首都リーブスの烏丸さんが、間延びをした声で発言する。
 ラジオとデジタル放送は無関係だが、いちいち突っ込まないでおこう。
「そうですね。烏さんのところはもう変更しましたか」
「おぅ、ばっちりよ。マンションで一括してな」
 集合住宅では、個々に変更するのではなく、全体で変更することも可能なのだ。別に、ばっちりよと自慢することではないのだが、やはり、いちいち突っ込まない。
「センセーよぉ、うちのテレビはどうなんだ」
 永田さんが、深刻な表情で聞いてきた。うちのテレビはと言われてもなぁ。

6621.7/28/2011
坂の下の関所[14章]story256

 7月19日、火曜日。火曜日は関所は定休日だ。
 立ち飲み仲間のほとんどは、近くにあるバス停前の焼き鳥屋「鳥藤」に向かう。わたしは、肝臓を休める日を作るために、火曜日はそそくさと家に帰る。しかし、早くに帰り、シャワーを浴びて、ゆでたての枝豆を前に、缶ビールの栓を抜いてしまう。
 肝臓さん、ごめんなさい。
 台風6号が、大雨を降らしながら四国から近畿を経て、東海地方や関東地方に近づいていた。
 前日の媒酌人の苦労などふっとぶほど、19日の学校は忙しかった。
 教育委員会から各学校宛に「翌日(20日)は台風の影響で休校になるかもしれないので、本日中に成績表や20日に渡すものを全部渡すように」という指令が届いたのだ。
 防災頭巾、上履き、体育館履き、成績表、宿題プリント、道具箱など、19日と20日の2日間で渡そうと思っていたものを、一日で持ち帰らせろという。
 特別支援学級のこどもは、多くが保護者が送迎をする。それでも数人は自力で登下校をするので、わたしは合羽を着て、一番遠くに住んでいるこどもの家までいっしょに荷物を運んだ。
 少し、期待しながら、翌朝はテレビで天気予報を見た。しかし、台風6号はなぜか陸地から離れ、小笠原諸島へ向かってしまっていた。
 20日は通常通り開校だった。すべての荷物を持ち帰っていたので、終業式を終えたこどもたちは荷物の片付けも、配布物も何もない。することがなくなった。
「何とかしてよ」
 同僚たちの要望を受けて、たっぷり時間をかけた音楽の授業を下校時間までつないだ。同僚たちはその間、わたしの指導をフォローしていただけだ。これで同じ給料だというから、少し納得がいかなくなる。
 ま、いっか。割り切らないと胃に穴が開く。
「ただいまぁ」
 夕方に関所のドアをくぐる。
「おかえりー」
 若女将のいつもの声。
「どうだった、結婚式」
 あー、そっちか。なんだか、まだ数日しか経っていないのに、台風騒ぎでずい分昔のような気がしていた。
「赤ワインと白ワインを飲み続いていました」
 うん、これは事実なのだ。わたしは酸化防止剤の入っているワインを飲むと、翌日頭痛に悩む。しかし、長野のアルプスワインのように酸化防止剤の入っていないワインの場合は、まったく頭痛が起こらない。不思議な体質なのだ。
「フロアのひとに、酸化防止剤が入っているかどうかを聞いたら、ご安心くださいと言われてさ。がんがん注いでくれたよ」

6620.7/26/2011
坂の下の関所[14章]story255

 7月15日、金曜日。学校の給食は1学期最終日だった。ビーフシチューの予定だったのに、福島県産の牛肉からセシウムが検出されたので、教育委員会は、ポークシチューに変更してしまった。しかし、使う予定だった牛肉は埼玉県産だった。どうして、福島県産の牛肉ではないのに、使うのをやめてしまったのか。
 同じ公務員でありながら、役所で働くひとたちの頭のなかは、わたしには理解できない。
 こどもたち。このポークシチューがよほど気に入ったらしく、全部食べてしまった。
 というわけで、関所に到着したわたしは、いつものような給食の残りを持参していなかった。
「センセー、きょうで給食は終わりだったよな。きょうのは何だい」
 大船植物園で終日汗水流して働く永田さんは、もうすっかり給食の残りを楽しみにしていた。
「ポークシチューでした」
「おぅ、そりゃ、うまそうだ」
「でも、残念ながら、こどもたちが、みんなうまいうまいと食べてしまったので、きょうは残りはないんです」
「うへぇ」
 そのときの永田さんの寂しそうな、残念そうな表情を見て、申し訳なくなった。
 次々とおかわりをするこどもたちに「そんなに食べたら、太ってしまうぞ。残す程度がちょうどいい」とでも言って、一人分でも持ってくればよかった。
「しょうがねぇよな、永田さんは給食費を払ってねぇんだから」
 関所の奥から、首都リーブスの赤坂さんが追い討ちをかける。
「今度は9月です。でも、それまでに俺が家で何かこしらえて持ってきますから」
 赤坂さんから痛いところを疲れた永田さんは、ぺロッとべろを出して、表に行ってしまう。
 16日から始まる三連休。その最終日は海の日だった。
 わたしは、かつての教え子の結婚式に呼ばれていた。気楽に行ってお祝いをするのとは違う。当日だけではあるけど、仲人を頼まれていたのだ。関東では頼まれ仲人と言うが、正式には媒酌人と呼ぶそうだ。
 永田さんに、給食を届けられなくて申し訳なかったけど、わたしの頭のなかには、当日紹介する新郎新婦の生い立ちのことで頭がいっぱいだった。ぶつぶつ言いながら記憶をよみがえらせ、当日の原稿を思い出す。
「そんなの、原稿を見ながらでもいいんでしょ」
 若女将に言われる。その通りだ。
「そうなんだけど、この仕事をしている以上、原稿を見ながらっていうのは情けないじゃん」
 教員の意地なのかもしれない。よく式典で校長や代表が挨拶をする。そのときに原稿を読み上げると、同業者から苦笑される。覚えられないのかよと。こころのこもった言葉は、相手を見ながらしゃべるものなのだ。