top .. today .. index
過去のウエイ

6609.7/1/2011
東日本大震災第二部...10

 自宅が全壊したり、半壊したり、津波で焼失したりした多くの被災者のために自治体が仮設住宅を建設した。

 岩手・宮城・福島の33市町村で震災から3ヶ月で20225戸が完成した。しかし、入居しているのは11958戸に過ぎない。入居率100%は岩手県宮古市、洋野町、田野畑村、福島県新地町だけだった。

 岩手県陸前高田市では54%の入居率。5月下旬から6月上旬に完成時期が集中したために日赤からの家電セットが間に合わなかった。
 入居率がわずか15%の宮城県女川町では「希望する場所と違う」というクレームが。
 宮城県多賀城市では、抽選で入居が決まっても「こどもの通学が大変」という理由でキャンセルが相次いだ。
 阪神淡路大震災では、地震発生から3ヶ月で35000戸の仮設住宅が完成していた。それに比べると復興の遅れが目立つ。
 宮城県南三陸町の仮設住宅は、4畳半2部屋と台所、風呂がある。プライバシーが守られない避難所とは異なるが、壁が薄いので咳をするのもはばかられる。水道の復旧率が2%しかないので、朝晩のピーク時には給水タンクの水が止まることがしばしばあるという。みんなが一斉に風呂桶に水を溜めるかららしい。また、仮設住宅に入居すると食料の支給がカットされる。そのため、買出しが必要になる。車のないひとには食料が届かない。自宅があるのに避難所生活をして、食料を配給されているひとたちとの不公平感が高まっている。
 また、別の地域の仮設住宅では、高齢者が多く、身寄りのないひとも多い。ふだんから孤立を防ぐための集会場を求めると、役場の人間は「小学校の校庭を使っているので、集会場は建設できない」と断られた。入居したひとたちには、大きな壁が立ちはだかる。

 今回の震災では、こどもたちが親を亡くした。多くのこどもが親との生活を、何の前触れもなく、別れの言葉もなく、断ち切られた。
 高成田享(仙台大学教授)さんが代表になって、「東日本大震災こども未来基金」が創設された。
「基金内に支援するこどもを選ぶ選定委員会を設け、親をなくしたり、親が重度の障害を負ったりした小学生から高校生までの児童・生徒に資金援助をします。3か月に1回ずつ(振り込み手数料を節約するため)、平成28年7月までの約5年間、一定額をこどもの保護者の口座に振り込みます。ただし、高校を卒業・退学したり、就職したりした場合は、支給を打ち切らせていただきます。また、個人からの寄付については、その全額をこどもたちに支給します。そのために、法人や団体からの寄付金の一部は、ご了解をいただいたうえ事務経費に充当することがあります」
「募金及び支援期間を平成28年7月までとし、その時点で基金を解散するか継続するか改めて決めます。支給額は当面、月2万円を考えています」
 上記はホームページで紹介されている基金の説明だ。
http://www.mirai-kikin.com/

 権力闘争に明け暮れる政治家。都合の悪い事実を隠蔽することに必死の大企業。
 現場のひとたちの苦悩や苦労を、一般のひとたちが共有するしかないのだ。国にも会社にも期待はしない。だから、復興関連財源を税でまかなうという考えに否定的になる。役人や政治家が、税金を正しく目的通りに使うと思えないのだ。
 だったら、郵便局が受け入れ口座になっている「こども未来基金」に寸志を届けたほうがずっと有効だろう。
(東日本大震災第二部・終了)

6608.6/30/2011
東日本大震災第二部...9

 福島市立渡利小学校では、発熱などで早退するこどもが増えているという。5月半ばから連日数人のこどもが発熱で早退。6日には8人になった。
 郡山市立芳賀小学校では、軽い打撲や擦り傷程度で保健室を訪れるこどもが増えた。校庭の使用時間が制限されているので、校内を走り回る。その結果、衝突や転倒などで怪我をする。こどもどうしのトラブルも増えているという。
 郡山市の小児科医によると、放射能のリスクを理解できる高学年ほど、ストレスを溜め込んでいるという。
「将来、自分の出身地を隠したほうがいいのかなぁ」
「県外に行ったら、いじめられてしまうかも」
 こどもたちからの相談を受けている。
 
 福島県伊達市では、7月上旬にも市内すべての小学生・中学生・幼稚園児・保育園児の合計約8000人に、積算線量計を配布することを決めた。この線量計は衣服につけるバッジ型。一ヶ月間衣服につけて、研究機関に送り、線量を分析する。
 市長は会見で「子どもは学校だけで生活するわけではなく、住む地域も生活するパターンも異なる。放射線量は一律に個人で管理する必要がある」との認識を示した。
 市は6月補正予算案に原子力災害の健康対策経費として積算放射線測定委託費2400万円など計7810万円を計上する。こういう財源にこそ、日赤でだぶついている義援金が使えないものか。

 福島市立御山小学校では、校庭横のプールが緑色に濁っている。
 福島市は、市内の小学校と中学校の屋外プールの使用を見合わせる。関係者たちは、ふだんから肌の露出を控えて、夏が近づいても長袖姿のこどもたちに水着を着させることに不安を抱く。泳ぎながら、口から水を入れて、体内に放射性物質が取り込まれるのではないか。
 この小学校の校庭は、文部科学省の屋外活動制限の目安基準を超える放射性物質を検出したことがある。そういう校庭に、関係者はこどもを出す気持ちにはなれないという。

 福島県伊達市では、避難区域に指定されていない市内の一部地域で自主的な避難の準備が始まった。調査の結果、年間の被爆量が2ミリシーベルトを超えることが判明したからだ。伊達市では市営住宅を無料で提供して、避難民を受け入れるという。

 千葉県南房総市では、5月28日に市内にある7つの中学校校庭の土壌汚染結果を発表した。その結果によると、6つの中学校校庭から放射性物質が検出された。

6607.6/28/2011
東日本大震災第二部...8

 原発関連の作業員が年間に浴びる放射線量の上限は100ミリシーベルトだった。わたしはこの上限も、かなり危険な領域に踏み込んでいるとは思う。それなのに、今回、それが250ミリシーベルトに引き上げられた。2.5倍も危険性が増したのだ。
 がんで死亡するリスクは、100ミリシーベルトで0.5%高まる。仮に250ミリシーベルト被爆すると1.5%高まることになる。
 1.5%というのは病気の発現率としては、ものすごく高い。200人いれば3人ががんで死亡する可能性が高まるというのだ。
 東電が6月10日発表した。
 3号機と4号機の中央制御室で働いていた30歳代の男性と40歳代の男性が、高濃度の被爆をしていたことを。30歳代の男性は、678ミリシーベルトで、40歳代の男性は、643ミリシーベルトだった。

 また東電は、原発事故直後も女性社員や女性作業員をそのまま継続して勤務させていた。女性は、妊娠への影響が懸念されるので、まっさきに遠方へ避難させる必要があったのに、その義務を怠った。
 これに関しては、後日談がある。
 その後、現場から離れるように命令された女性が、インターネットに実名で手紙を投稿した。おもな主旨は「事故発生時から、ずっと命がけで働いているのは東電社員と関係企業のひと。だから、東電を非難するのをやめてください」というもの。この投稿に関して、多くの意見が寄せられた。その大部分は、事故の当事者が責任を負うのは当然だろうというもの。また、そんなに命がけを強調するなら、あなたは原発に戻るべきだというもの。
 そして、その手紙そのものが本当に避難命令を出された「女性」本人によるものなのかという疑い。これに関しては、東電幹部が頭をひねって作文したのではないかとまで非難されている。

 原発事故は、東電のだけの問題ではない。
 国内の電力需給安定のために、発電方法として、原子力を選択してきた有権者の問題でもある。もちろんわたしのように原発に反対してきたひともいるが、そのひとたちに責任がないというわけではない。自分たちの主張を多くのひとたちに理解してもらうことができなかった責任は存在するのだ。
 そして、わたしがもっとも責任を痛感してほしいのは、自民党と公明党政権で、原子力発電を大推進してきた国会議員だ。しかし、いまだにこのひとたちのなかから「あの選択は間違っていました」という謝罪の言葉は聞かれない。むしろ、貧乏くじを引いた民主党を非難する役回りで、問題を隠そうとしている。

6606.6/26/2011
東日本大震災第二部...7

 ストロンチウムは、体内に吸収すると骨に蓄積されやすい。
 そして、骨のがんや白血病を引き起こすと言われている。
 ストロンチウムは半減するまで29年もかかる。
 土壌に蓄積されたストロンチウムは、植物の根から吸収される。それを動物が食べる。その動物の肉をひとが食べる。あるいは、その動物の乳を人間が飲む。人間の体内に、口からストロンチウムが入り込む。
 だから、せめて食品のストロンチウム検査だけでも早めに行うべきだという専門家もいるが、まだそのような指示が政府や厚生労働省から出されたという報告はない。

 ストロンチウムはウランが核分裂をする過程で生成される物質だ。
 だから、ストロンチウムが土壌から検出されたということは、どこか近くでウランが核分裂を起こしていたことになる。
 今回の場合は、まさに福島第一原発のなかに収納していなきゃいけないウランが、かたちを変えて、はるか遠くまで飛散・拡散していたことを証明している。
 第一期で、わずか7地点しか調べていないのに、すべてからストロンチウムが検出された。
 もっと多くの地域で土壌を調べれば、もっと多くの場所が汚染されていることがわかるだろう。

 炉心溶融、溶融貫通などで、核燃料がかたちを変えて放出される。
 そのなかで人体にとって危険な放射性元素。だいたい砂粒の4分の1ぐらいの大きさだという。ヨウ素、ストロンチウム、セシウム。この3つには要注意。
 調査していることや、調査結果の公表が、遅すぎるので、わたしたちがそれらを知ったときには、すでに手遅れという段階かもしれないことが気がかりだ。

 また、原子炉の中で核燃料としてはもう役に立たなくなったウランやプルトニウムのかたまりを、今後、どうするかという大問題がある。
 いずれは、災害チームが編成され、それらを除去するのだろう。
 しかし、そんなとんでもなく危険な任務をだれが命令し、だれが担当するというのか。
 今回の事故以降、がれきの処理や放水作業などで多くのひとたちが決死の作業をしている。残念ながら、そのなかには体内被曝が確認されたひともいる。
 東電も政府も、被爆上限の引き上げという恐ろしい基準変更で、処理作業を正当化する。

6605.6/25/2011
東日本大震災第二部...6

 またまたそんなことだろうと思った。
 福島原発から20キロ以上離れた地域の土壌から、放射性物質のストロンチウムが検出された。そのことをテレビや新聞が報じたのは、だいたい6月8日以降だ。
 調査主体は文部科学省。
 いったいいつ調査をしたのかを、メディアは追及していない。
 自分で調べるしかないので、あれこれグーグルを駆使して関連サイトへアクセスした。
 その結果、一番最初に文部科学省がストロンチウムの調査をしたのは、3月16日だ。そして17日、19日。この三日間の調査が第一期だったようだ。しかも、このときの調査場所が不可解だ。
 合計で7地点でサンプルを集めている。もっとも原発に近いところで、原発から30キロも離れた場所だ。もっとも遠い場所では、なんと東北自動車道路や東北新幹線の西側、大玉村や西郷村の土壌を集めているのだ。大玉村でざっと原発から60キロ。西郷村は原発から70キロぐらい。ともにかなり離れた場所が調査地点に選ばれていた。

 3月16日といったら、まだ大震災の衝撃が広がっていた時期だ。東京電力の計画停電で関東地方は東京を除き、不便な生活を余儀なくさせられていた時期だ。
 そんな初期にあって、専門家は、すでに原発の放射性物質がかなり広範囲にわたって拡散しているかもしれないと予想、あるいは想定していたのではないかと疑ってしまう。
 新聞やニュースは、おおむね6月8日以降に調査結果を報道している。調査は、3月下旬から5月上旬に行われたとされる。その結果が公開された扱いだ。
 しかし、6月11日現在、文部科学省のどこのサイトを探しても、第一期の調査結果以外は公開されていない。メディアへのリリースが優先されているのかもしれない。

 わたしは、第一期の調査結果が、いまの段階で判明したとは思わない。
 とっくに判明していて、公開する時期を文部科学省や政府が「調整」していたのではないかと疑う。隠すわけではないが、頃合が大事だというせこさ。
 そこを疑問視するメディアもいない。

 発表に対するコメントは、お決まりだ。
「ただちに健康に対して影響が出る数値ではない」。
 原発事故が発生しなければ、ストロンチウムが検出されることはなかった。その危険性を強調すべきであり、日常生活上の留意点を説明する義務が、東電・文部科学省・政府には課されている。

6604.6/23/2011
東日本大震災第二部...5

 6月11日。関東地方は未明から昼頃まで大雨と大風に見舞われた。
 福島第一原発のある地域も、同じような天気だった。
 いくら汚染された水の除去を徹底しても、空から降ってくる雨にはかなわない。雨は原子炉に降り注ぎ、放射性物質をいっしょに海に川に流してしまうだろう。あるいは、空気中を浮遊していた放射性物質が、雨の雫に飲み込まれ、一気に地表に落下するだろう。
 今後、大雨や台風が関東地方から東北地方を襲うたびに、核の汚染が広がっていく。

 6月11日。震災から3ヶ月が経過した。
 原発事故は、終息へと向かうはずもなく、どんどん悪い方向へ向かっている。
 具体的な事故の進み具合を、東京電力がタイムリーに発表しないので、わたしたちはいつも過去の状況ばかりを知ることになっている。
 ここに至って、政府は1号機2号機3号機で、溶けて圧力容器の底でかたまった核燃料が、さらに圧力容器の底に穴を開けて、外側の格納容器にまで溶け出てしまったことを認めた。一般にメルトスルー(溶融貫通)といわれる状態だ。
 ただし、それがいつ、どれぐらいの規模で発生したのかは、いつものことながら、教えてくれていない。新聞もテレビもそういうことを質問しないし、問題視もしない。

 圧力容器の鋼鉄の厚さと、格納容器の鋼鉄の厚さは違う。
 圧力容器のほうが、格納容器よりも厚い。
 だから、格納容器に溶け出した核燃料が、さらに格納容器の底を溶かしてしまう可能性はとても高い。いま格納容器の底で、核燃料がどんな状態になっているのかという情報はまったく知らされていない。もしかすると、すでに格納容器の底にも穴が開き、そこから核燃料が漏れ出しているかもしれない。

 これは、東電も政府も発表したくないことだろう。
 なぜなら、だれにも手をつけられない核燃料が、どろどろと原子炉の建物の外に漏れ出してしまったことになるからだ。こうなると、放射性物質の空気中や地中への拡散はだれにも止められない。毎秒、ものすごい量の放射性物質がどんどん拡散していくのだ。
 核燃料は、1000度を越える超高温になるので、そこに水が触れたり、水のあるところにどぼんと落ちたりしたら、たちまち水蒸気爆発を起こす。爆発のエネルギーによって、水蒸気とともにセシウムやストロンチウム、プルトニウムなどの放射性物質が遠方まで一気に運ばれる。

 6月11日の段階で、東京電力のホームページにはまったく「メルトスルー」「溶融貫通」の文字は掲載されていない。

6603.6/21/2011
東日本大震災第二部...4

 福島第一原子力発電所を所有する東京電力株式会社。
 年間5兆円という利益を生んできた巨大企業だ。幹部には、経済産業省からのいわゆる天下りも多い。
 大学の専門機関に、研究費名目で多額の補助や助成をしてきた。そこで研究に没頭する原子力の専門家が、東電を批判するわけがない。批判したら、翌年の研究費はパァになる。しかし、現在の状況では、今年度や来年度以降、東電からこれまでのような補助や助成が行われるとは考えにくい。
 だから、東電を批判するのではなく、原子力発電の危険性をもっと一般人にわかるように専門家は説明すべきだ。

 地震発生からわずかな時間で、原子炉内の核燃料は溶けてしまった。そして、原子炉の底に落ちてかたまりを作った。その温度が高かったので、原子炉の底に穴を開けた。核燃料が、原子炉を包む格納容器に漏れ出した。
 この事実を東電が公表したのは、地震発生から2ヵ月後だった。
 こういう事実を後世の歴史家は、決して英断のくくりには入れないだろう。むしろ、どうして2ヶ月も隠していたんだと考えるのがふつうだ。
「言いたくなかったからです」
「やばいと思ったからです」
 正直に言ってほしかった。
 また震災当日は、東電の社長は内規で禁止されている公務での夫人同伴旅行をしていたことも、後日週刊誌がすっぱ抜いた。
 なかなかいいご身分です。

 各原子炉は、もはや発電を継続する状態ではない。
 入念に汚染を取り除き、ふたたび原子力発電所として活用することは困難だ。そもそも溶け落ちてしまった核燃料の処分さえ、その方法も時期も費用もまったく目途が立たないではないか。
 いまのように、危険な放射性物質のかたまりになってしまった核燃料が再臨界を起こさないように冷却し続けるしかない。冷却によって発電はしないから、まったく非生産的なことを「いつまでも」継続するしかないのだ。その費用を東電が負担し続けるとしたら、それは電気料金からの負担であり、それが無理なら国が税金を使うしかない。
 いずれにせよ、果てしない核のゴミ処理にこれから膨大な時間と費用と労力が費やされていく。
 そのことを東電は明言しないので、かわって菅首相が明言してはいかがだろう。

6602.6/20/2011
東日本大震災第二部...3

 世界の歴史が証明していることがある。
 自然災害や、戦争などで、国家が疲弊しているときに、政治家が自分たちの抗争を繰り返す。すると軍部が武力で政権を奪取する。
 クーデターだ。
 クーデターの結果、軍人が政権の中枢を担当することになる。
 戦前の日本がまさにそうだった。
 軍部は、その特徴から考え方の多様性を認めない。上官の命令がすべてであり、国家の意思は少数の者によって決められる。
 憲法は失効し、国会は停止。集会や言論は封殺され、反対勢力は排除される。裁判抜きの逮捕や監禁、拷問や処刑がこっそり行われ、治安警察が目を光らせていく。
 恐怖政治は、決して歴史物語ではなく、いまも世界で実行され、そして繰り返されていることだ。

 菅首相は、もっとも大きな貧乏くじを引いている。
 少なくとも内閣は、首相を支えないと、大きな国難を乗り越えるリーダーシップは発揮できない。
 出身母体の民主党は幹事長に任せておけばいい。
 民主党という名前や、小沢一郎議員のおかげで衆議院選挙に当選したひとたちには、あまり東日本大震災を乗り越えようとする意欲を感じない。むしろ、今後、永田町で国会議員として自分が長く生き残るにはどうすればいいかという狭い了見で右往左往しているように見える。そういうひとたちの発言など、内閣は気にする必要はない。メディアは、ワイドショーではないのだから、情報の選択をして、震災の復興に特化した情報を優先すべきである。

 民主党のなかにあって、政権を批判しているひとたちは、あまりにもこどもじみている。
 有権者は、民主党の政策に共鳴して投票している。かなりマニュフェストは守られていないが、それでも立候補者個人に恩義があって投票しているひとよりも、公約を参考にしているひとのほうが多い。と思いたい。
 だから、当選したら、急に民主党のやり方や政権に対して批判ばかりで、具体策を提示しないひとは、学級会で自分の意見が通らないからいじけている幼いこどもと同じに見える。
 そういう陰険で利己的なことに対して、おそらく軍隊の純粋な将校たちは許せない思いをつのらすのだ。

 原子力発電所は、大きな被害をこれからも拡大し続ける。そのことは明白になった。菅首相は、まず全国の原子力発電所の将来的な運転停止を内閣に提案。官僚には、代替エネルギーと、これまで原子力発電にかかわってきたひとたちの生活の保障を検討するように指示を出そう。

6601.6/19/2011
東日本大震災第二部...2

 いまもまだ東北から北関東にかけてのひとたちは、自宅から離れた場所で生活をしている。
 仮設住宅の建設も始まったが、完成しても、入居者のいないところもあるという。役所のやることは、どうしても前例主義や縦割りになって、市民の願いからずれていく。
 また被災者を受け入れていた民宿やホテルが、夏の観光シーズンを前にして、被災者の受け入れ期限を設け始めた。自治体からの補助だけでは、民宿やホテルは利益が出ない。常連の観光客を断ったら、来年以降の集客に影響が出る。苦渋の選択で経営者は、避難しているひとたちに次の避難先を紹介している。

 震災難民。
 生活を変えることは、大きな精神的負担を伴う。無職になり、教育の機会も失う。
 いまだ全国から集められた義援金は、日本赤十字社の口座にプールされているという。利息が発生したら、日赤の収入になるのだろうか。

 こんなときに、国会議員は政治抗争に明け暮れている。
 自民党と公明党は、原子力発電を推進してきた責任を負いたくないので、民主党政権の無能力ぶりにひとびとの目が向くようなパフォーマンスに躍起になる。
「内閣には不信任だが、自民党の党利党略に組するつもりはない」
 内閣不信任案の決議を棄権した共産党の主張はもっともだ。

 民主党は、どう考えても貧乏くじを引いた。
 長年の自民党・公明党による保守政権時代に終止符を打ち、高らかに二大政党制を実現させるはずだった。それを鳩山首相が反故にした。わずか1年で退陣。
 できないことを「できる」とマニュフェストに明記したことがいけなかった。
 できるはずだったのに「できなくなった」のなら、責任を負うべきだった。その責任とは、退陣するという逃げの一手ではなく、失敗の説明をするという責任だ。どんなことも、うまくいくとは限らない。だから、うまくいかなかったとき、どうしてだめだったのかを説明すれば、ひとびとのなかには「できなかったけど、仕方ない」と同調する考えが生まれたかもしれない。
 鳩山首相の大きな罪は沖縄問題だ。アメリカ海兵隊の県外移設をあれだけ声高に表明していたのに、結局は舵を反対に切った。そして、どうして県外移設が無理だったのかを言葉で説明しなかったので、嘘つきという印象だけ残した。
 その鳩山さんが、いまの菅首相を「ペテン師」と呼ぶ。なんて言葉の軽いひとだろうと思う。

6600.6/18/2011
東日本大震災第二部...1

 2011年3月11日を境にして東日本に住むひとたちの多くは、生活や考え方を大きく変えざるをえなくなった。
 食料品や生活必需品、嗜好品の数々が品薄になり、店頭から消えた。

 停電対策として、懐中電灯や携帯型のラジオに使う乾電池がなくなったときには驚いた。乾電池は工場で安定的に生産されているものだと思っていたら、たくさんのひとが同時に買うと品薄になってしまうものだったのだ。

 納豆が消えてしまったのにも、まいった。
 わたしは、納豆が大好きでほぼ毎朝納豆を食べている。だから、冷蔵庫には必ず買い置きがある。それが、店頭から消えた。少しずつ復活してきたときには「ご家族様2パックまで」とか「おひとり一回1パックまで」など買占め防止の販売がされていた。
 もともとわたしは、毎回1パックしか納豆は買わない。数日冷蔵庫に入れておくと、あきらかに粘らなくなるし、味も落ちるからだ。あの時はどうしてみんな納豆に群がったのだろう。
 保存食というイメージが強かったのか。調理しなくてそのままご飯に乗せるだけという手軽さが受けたのか。それともどこかの防災アドバイザーがテレビで「こういうときは納豆がベストです」みたいな宣伝をしたのか。
 東北地方は、納豆の生産では有名だ。生産しているところが被災して、納豆が不足したのだろうと思っていた。しかし、納豆は関東地方でも、愛知県でも作られている。鎌倉にも「鎌倉山納豆」工場がある。それなのに、一斉に納豆が消えるのはおかしい。
 後になってわかったことだが、納豆を入れる発泡スチロールを作る工場や、発泡スチロールの原料が届かなくなってしまったらしい。だから、納豆はだぶついていても、容器が不足するという状態になっていたという。だったら家からタッパー持参で売ってくれればよかったのにと、素人は甘く考える。
 あれから2ヶ月以内で、納豆は以前同様に店頭に戻ってきた。もう「1パック限り」のような強気な札は下がっていない。

 容器が消えたといえば、アルミニウムの缶を作る工場も被災した。仙台に大きな工場があった。だから、各社の缶ビールが品薄になった。昔のような瓶ビールは少ないので、缶が少ないからといって、瓶に代替するわけにはいかなかったのだ。これは、震災から3ヶ月で、ほぼ以前と同じように復活したといっていいだろう。