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6599.6/14/2011
コルドバの女豹...4

■赤い熱気球[野性時代(昭和57年3月)]

 マドリッドで大学教授をする日本医師。知人の紹介で赤い熱気球に乗船する。しかし、乗船の寸前に知人のこどもが異形肺炎になり入院したという知らせを受ける。驚いて知人とともに病院に行った医師は、彼のこどもが異形肺炎であるという病院の医師の診察に疑問を抱く。
 そもそも異形肺炎という名の病気はないのだ。マドリッドで最近になって流行しだした謎の肺炎だ。最近が原因だと思われているが、感染源が見つかっていないし、病原菌もわかっていない。しかし、事態は深刻で、病院に担ぎ込まれた患者のなかから死亡するケースも出始めていた。
 日本人医師は、肝臓研究の専門家とともに異形肺炎で亡くなったひとの患者の組織を調べる。すると、そこには毒物反応が現れた。異形肺炎は、肺炎ではなく、毒物中毒だったのだ。そのことを知ったひとたちが、次々と謎の殺し屋に消されていく。
 医師は、中毒にかかったひとたちに共通する食べ物を探した。その結果、広場で正体不明の行商人が市価の半値で食用油を販売し、それを買ったひとのなかから中毒症状が現れていることを突き止める。その食用油は、共産圏の国から密輸された工業用油そのものだったのだ。だれが、何の目的で、そんなことをしたのか。
 真相に近づいていく医師に、殺し屋の手が近づく。
 医師と殺し屋が熱気球のかごのなかで戦いあうラストシーンは、読んでいて時間を忘れた。

 逢坂さんは、必ずしも読者に近代スペインの歴史をレクチャーしようとしているのではない。また、スペインの歴史を知らないひとに、わかりやすい物語を創作しているのでもない。おそらく逢坂さんが、たまらなくスペインのことが好きなのだと思う。だから、舞台や人物をスペインに設定しているのだろう。
 しかし、スペインのことをほとんど知らないわたしには、近代スペインの歩んだ悲惨な運命が胸を打った。
 とくに、国粋主義者や軍国主義者、反乱軍がたまたま支配した地域で徴兵されたひとたちは、自分たちの主義主張に関係なく、ファシストたちの軍隊に入れられ、共和国政府軍と戦わなければならなかった不条理。もちろん、その反対も成り立つ。また、せっかく選挙で勝利し共和制を始めた左派連合が、結局は社会主義や共産主義などの考え方の違いで内部分裂、抗争へと突き進み、瓦解していく道筋は、戦後日本の学生運動がそっくりそのまま「真似」をしたようだ。
 同じスペイン人が、考え方が違うからという理由だけで、殺し合う。
 逢坂さんの小説に登場する日本人が質問する。
「どうして、同じ民族が殺し合うんだ」
 それに答えるスペイン人。だれもが同じ答えをする。
「それが、スペイン人だ」
 こういう割り切り方が、いまもなお「熱い」と言われるスペインという地域の魅力なのだろう。

6598.6/11/2011
コルドバの女豹...3

■グラン・ビアの陰謀[小説アクション(昭和56年5月)]

 理髪師のカルロス・オルテガは、一人娘のカルメンを誘拐された。左翼のテロリストであるブロンコが誘拐した。
 要求は、カルロスの店で整髪する内務大臣を暗殺することだった。
 カルロスじたいは政治的なことには興味がない。というよりも、政治的なことに首をつっこむと、スペインではいのちがいくつあっても足りないからだ。多くの市民は、自然に政治には近寄らない術を知っていた。
 内務大臣は、その日、たまたま時間がなくてフォトジャーナリストの段邦子とともに来店した。取材の時間が取れないので、整髪しているときに取材に応じることを許可したのだ。
 カルロスにすれば、それは誤算だった。
 内務大臣と二人きりになれるから、ブロンコの命令に従うことができるのに、別の人間がいては暗殺しても逃げ切ることができなくなる。
 物語の舞台は首都のマドリード。グラン・ビアとは「目抜き通り」の意味。マドリードは、ほぼスペインの中央部に位置する。
 フランコ亡き後、軍隊の一部が国会を占拠してクーデターを実行した。結果的には未遂に終わるが、フランコ時代を懐かしむひとたちは自分たちの権力が失われていくことをおもしろく感じていなかったのだ。だから、左翼テロ集団には、まだまだ標的は存在した。

■サント・ドミンゴの怒り[小説推理(昭和56年12月)]

 ギタリストの柏木は、マドリードのアトーチャ駅で治安警備隊の検問を受ける。
 列車のなかに、テロリストが混ざっていたという情報があったからだ。
 そんなとき検問から逃げ出した若者に向けて、治安警備隊員が発砲した。無関係の乗客でにぎわ駅の構内での発砲だ。それだけ治安警備隊には強大な権力が与えられていたのだろう。
 発砲によって負傷したのは、まったく無関係の柏木だった。
 一般市民を巻き添えにしたことを公にしたくない治安警備隊は、柏木に労働許可なしでのギター伴奏を大目に見てもいいと提案する。そのかわり、負傷は発砲によるものではないことにしろと。
 提案を受けた柏木と同じサント・ドミンゴ病院に、コチコチの国粋主義者、治安警備隊のヒメネス大佐が入院していた。国会に乗り込みクーデターを実行した張本人だ。国家の情報局は、ヒメネスがふたたびクーデターを実行しないように極秘裏にロボトミー手術をしようとしていた。
 そこに極右組織「新戦士団」から、ヒメネスを病院から連れ出すように指示を受けた殺し屋のテナサスが忍び込んでいた。

6597.6/7/2011
コルドバの女豹...2

■暗殺者グラナダに死す[オール読物(昭和55年9月)]

 この物語は、逢坂さんのデビュー作だ。
 1980年の第19回「オール読物」推理小説新人賞を受賞している。
 グラナダはスペイン南部、シェラ・ネバダ山脈のふもとの町だ。主人公は、日本人画家の「わたし」。作者は「わたし」に姓名を与えていない。
 グラナダには、過去に行われた芸術祭の調査で訪れる。
 たまたま同じ列車に乗り合わせたグラナダ出身の父子と知り合いになり、「わたし」はグラナダでの生活の世話になる。
 グラナダは、フランコが死んだ後も、保守的な傾向が強く、町には政治警察や暴力的な右翼主義者が暗躍していた。
 そんなとき、「エル・ガローテ」と呼ばれる殺し屋が登場した。彼は、内戦時代に残虐行為をした張本人を探し出し、首を絞めて首筋にナイフでとどめをさすというガローテと似たような殺し方をした。
 ガローテはフランコが考案したとされる処刑道具だ。鉄環絞首器具とも呼ばれ、鉄の環で死刑囚の首を締め上げ、最後に延髄に杭を打ちとどめをさす。フランコ圧政下では、拷問の道具としても使われた。
 やがて、グラナダに「エル・ガローテ」が忍び込んだという情報が駆け巡る。もしかしたら、自分が狙われるのではないかと脅えるひとたち。多くは、フランコ政権下で権力の恩恵を受け、罪もないひとたちのいのちを奪っていたのだ。
 なんだか、懐かしい西部劇のにおいがした。

■コルドバの女豹[ルパン(昭和56年秋)]

 内戦が始まる前にコルドバの至宝を隠したコルドバ銀行の頭取。彼の意思に従って、内戦終了後に至宝を探し出そうとするマリアの物語。
 インディー・ジョーンズばりの宝探し物語だ。
 しかし、そこに登場するのが、治安警察隊、労働総連合、ファシストの青年行動隊、テロ集団のETA(バスク祖国と自由)という敵対組織のオンパレード。
 コルドバもスペイン南部の町だが、グラナダよりも海からは遠い。シェラ・モレナ山脈のふもとの町だ。
 ここにも名前を明かさない探訪記者の「わたし」が登場する。日本人だ。もしかしたら、逢坂さんが自分を重ねているのかもしれない。
「キスしてもいいわよ」
「ぼくには色仕掛けは通用しない」
「キスしてよ」
「その手には乗らないといってるだろう」
「キスしてったら」
 マリアは、とても情熱的な女性なのだ。

6596.6/5/2011
コルドバの女豹...1

 作家、逢坂剛(おおさかごう)の作品に「コルドバの女豹」という短編集がある。
 講談社文庫から出版されている。初版は1986年9月15日。2008年4月までに18刷されている。
 収録されている作品は次の通り。

■暗殺者グラナダに死す[オール読物(昭和55年9月)]
■コルドバの女豹[ルパン(昭和56年秋)]
■グラン・ビアの陰謀[小説アクション(昭和56年5月)]
■サント・ドミンゴの怒り[小説推理(昭和56年12月)]
■赤い熱気球[野性時代(昭和57年3月)]

 どれも舞台はスペインだ。
 わたしは、逢坂さんの小説に出会うまで戦前から戦後の近代スペインについて、教科書に出てくるような平板な知識しか持っていなかった。しかし、「カディスの赤い星」や「イベリアの雷鳴」を読んで、近代スペインが歩んだ複雑で悲惨な歴史に強く興味を抱いた。
 なぜバスク地方のひとたちはいまもなお分離独立を叫んでいるのか。
 なぜ地中海に面したジブラルタル海峡は重要なのか。
 なぜ第二次世界大戦前夜に内戦をしていたのか。
 なぜ第二次世界大戦にスペインは参戦しなかったのか。
 現在のスペインは王国なのか、共和国なのか。
 なぜ南米の多くの国で公用語がスペイン語なのか。

 考えてみると、多少なりともスペインに関する疑問が浮かぶ。
 しかし、そういうことにあまり興味がなかったので、疑問すらも忘れてしまっていた。
 それを逢坂さんは、小説というスタイルで、スペインへの興味を引き戻してくれた。第二次世界大戦前夜のスペインは、国民が親兄弟に分かれて血で血を洗う悲惨な内戦状態だったのだ。戦後の朝鮮戦争を思い出す。しかし、根本的に違うのは、スペインの内戦は外国の代理戦争ではなく、スペインのひとたちが互いに異なる考え方を認めない立場で、憎みあい・殺しあったのだ。
 ドイツのヒトラーやイタリアのムッソリーニに匹敵する独裁者のフランコ総統は、戦後も長く権力を掌握し続けた。1975年に亡くなるまで、多くの異なる考えのひとたちを処刑した。それはフランコ体制が崩壊しても、その後も長くスペイン社会に暗い影を落とし続けた。
 コルドバの女豹に収録された5つの小説は、そんなフランコ亡き後もすさんだ社会の片隅で裏切りと恐怖が渦巻いていた物語を表現している。

6595.6/1/2011
meltdown...6

 再臨界。さいりんかい。

 原子炉の底でかたまりになってしまった核燃料。
 それが、溶融燃料の形状、配置、水との混合具合によって臨界条件が満たされてしまうようなことがあると(再臨界)、飛び交う中性子が減衰しなくなって連鎖反応が起こる。一瞬核暴走が起こり、その結果エネルギーと新たな核分裂生成物が発生する。水は減速材として連鎖反応を助長する方にはたらく。

 再臨界による核暴走は、爆発エネルギーを最大にしようとする原子爆弾の爆発とは機構が異なり爆発力は比較的小さい。しかし、再臨界によって水素爆発または水蒸気爆発が引き起こされ、原子炉全体ごと飛散した場合には、超多量の放射性物質が環境に飛散することとなり、被害は甚大になる。ただ、物理条件によっては、再臨界が起こっても爆発が起こらない可能性もある。

 再臨界事故を防ぐために、一つとしてホウ素が有効である。ホウ素は中性子を吸収するので連鎖反応を抑制する事が出来る。ホウ酸を冷却水に混合することがあるのはこの為である。制御棒にも中性子吸収剤が含まれているので、溶融燃料に制御棒も一緒に溶融していれば一定の効果があると考えられる。

 再臨界は、圧力容器、格納容器、使用済み燃料プールなど場所に限定されない。溶岩状、粒状などになった溶融燃料が窪んだ底部や容器の片隅に高密度に集まると危険度が高い。逆に平らな床に低密度で飛び散っている場合は危険度が低い。

 民間原子力施設で起きた炉心溶融事故には以下のものがある。

1966年 フェルミ1号炉事故(アメリカ合衆国)
1969年 リュサン原子力発電所事故(スイス)
1979年 スリーマイル島原子力発電所事故(アメリカ合衆国)
1986年 チェルノブイリ原子力発電所事故(ソビエト連邦、現・ウクライナ)
2011年 福島第一原子力発電所事故(日本)

 メルトダウンは、50年間に5回。10年に1度の確率で起こる事故だ。
 これは、想定外と呼ぶには頻度が高い。日本には、まだまだ稼動している原子力発電所がたくさんある。

 今後のエネルギー選択で、電力の生産に原子力発電がもっとも重要で有効なのかを、大きな犠牲のもと、考え直していこう。

6594.5/31/2011
meltdown...5

 水蒸気爆発。すいじょうきばくはつ。

 水は100度になると沸騰する。沸騰すると水蒸気という気体に変化する。
 よく湯気を水蒸気と呼ぶひとがいる。これは間違いだ。小学校の理科では不正解になる。湯気は、水蒸気が冷えたもの、あるいは水がこれから水蒸気になろうとしているものなのだ。
 水蒸気は気体なので、見えてはいけない。
 完全に見えない状態になると、水蒸気と呼ぶ。だから水蒸気はものすごい高温で、ひとが触れると、たちまち火傷してしまう。水の分子が自由に空気中を飛び回る状態なので、エネルギーも活発だ。
 なんてったって、機関車を動かす原動力になるパワーだ。

 核燃料は、2800度で溶ける。
 水は0度で溶ける。100度で気体になる。
 水と核燃料では、物質の特徴がまったく違う。100度で水蒸気になる水に、原子炉からポタリと2000度をこえる核燃料のかたまりが落ちたら、瞬間的に大量の水蒸気が発生する。
 この大量の水蒸気が、格納容器いっぱいに広がり、建物の内側からものすごい圧力で外に膨張しろうとする。建物の強度が限界を超える。
 どっかーん。

 格納容器とその中の圧力容器にあった超大量の放射性物質が大気、水に広範囲に飛散してしまう。
 水蒸気爆発を防ぐには、とにかく原子炉に冷却水を注入して、発生している崩壊熱を除去し続ける必要がある。

 ここでも継続的な冷却が必要なのだ。
 放射性物質に汚染された水の処理はどうするのだ。ものすごい量の汚染水ができてしまう。

6593.5/29/2011
meltdown...4

 溶融貫通。ようゆうかんつう。

 核燃料は、鉄よりも溶ける温度が高い。だから、核燃料が溶けてしまうと、それ以前に鉄が溶けていることになる。
 原子炉の底の鋼鉄が溶ける。そこからどろどろの核燃料がポタポタと流れ落ちる。原子炉を包む格納容器の底は原子炉よりも薄い。いまから原子炉の底に行って、格納容器の床を補強する仕事を請け負う業者はいないだろう。
 
 溶けた核燃料によって、原子炉の底とその下の格納容器の床に穴があく。つまり貫通状態が生じる。
 格納容器は、外部との接点があるので、溶融貫通が起こると、排水や排気を通じて、周辺に高濃度の放射性物質が拡散する。

 また格納容器の床を抜けた核燃料は、土台のコンクリートと融合する。
 チェルノブイリ事故では、容器を抜けた溶融燃料が他の物質を溶け込ませて溶岩状燃料含有物質、外観から「象の足」と呼ばれるものを形成した。

 わたしは、いま(5月中旬)の段階で1号機はすでに溶融貫通を起こしているのではないかと想像する。飛散している放射性物質が多すぎるのだ。また範囲も広大になっている。
 きわめて危険な状態と言えるだろう。
 なのに、原子力の専門家は「溶け落ちた核燃料の表面温度が100度前後と安定しているので大丈夫」と虚言する。どうやって、そんな危険な状態にある核燃料の表面温度を測定したのか。また内部温度が上昇すれば、表面温度も上昇するので、大丈夫な期間はどれぐらいといえるのか。
 専門家なのに、論理性も科学性もないはったりだけのコメントをする。

6592.5/28/2011
meltdown...3

 東電がまだメルトダウンを隠していた4月下旬。
「1号機の燃料損傷率は55%」と発表した。
 地震の翌日には、ほぼすべての燃料が溶けていたのに、よくいうわ。

 アメリカのスリーマイル島原発で1979年に起きたメルトダウン事故では、核燃料の半分が溶融していたことが判明している。完全に安全を確認して、原子炉のなかを徹底的に調査したのは、事故から10年後のことだった。
 福島第一原発では、スリーマイル島よりも燃料の露出時間が長かったので、もっと多くの燃料が溶けたと推測できる。そして、安全が確認できるまで、おそらく10年以上かかるだろうということも想像できる。なのに、政府や東電の工程表では「年内の復帰」を避難したひとたちに示している。
 それは無理だろう。気休めだろう。

 それでは、原子炉の底でかたまりになってしまった核燃料は、今後どうなるのか。
 わたしは、「今後」を本当に生きているのか疑問を抱く。
 すでに、原子炉の底でかたまりになったときから二ヶ月も経過している。実際は、もっと危機的な局面に移行しているのかもしれない。政府も東電も、そのことを知っていて、今度は夏あたりに発表する。そうなっても、呆れないようにしよう。

 どんどん冷やし続けることが可能になれば、メルトダウン状態でも大事にならないそうだ。しかし、どんどん冷やし続けるとはどういうことか。
 もう何の役にも立たない核物質のかたまりを何年も何年も冷やし続ける。
 それにかかる費用はだれが負担するのか。それによって必要なエネルギーの消費は、生産的とは思えない。そんな危険な仕事を、これからの若い世代が選択するのか。
 
 高熱の核物質が引き起こす三つの可能性。
 溶融貫通、水蒸気爆発、再臨界。
 これらを想定した対応策が急務だ。

6591.5/24/2011
meltdown...2

 1号機は、3月11日午後6時頃には、燃料のあたまの部分まで冷却水の水位が低下。午後7時半頃には、燃料がすべて水面から露出した。
 鎌倉の我が家では、その後の悪名高い計画停電ではなく、本物の停電でラジオと懐中電灯の夜を迎えようとしていた頃だ。
 あしたはどうなるのだろうという不安を抱えていた午後9時頃には、炉心の最高温度が2800度に達する。これは燃料自体が溶け始める温度だ。ものすごい高温である。
 そして翌日の朝、6時50分頃には燃料の大部分が原形をとどめず、原子炉圧力容器の底に、ドロドロと溶け落ちた。

 ちなみに核燃料棒の長さは4メートルもある。それらがごそごそと冷却水のなかから顔を出し、2800度まで上昇、やがてドロドロと溶けていったのだ。地震発生の翌日の朝までに。
 何度も言うが、そのことを東電が公表したのは、5月も連休を過ぎてからだ。

 いまもきっと何かを隠していると考えてしまう。

 この2ヶ月間に、福島第一原発の核燃料は、放射性物質を海や空気中、地面に大量に放出した。それらが、ひとや生き物に被害を及ぼし続けている。わたしたちの口に入るものからも、検出され始めた。
 神奈川県でも茶葉から放射性物質が基準値を上回って検出された。

 考えてみれば、メルトダウン状態になっていれば、そりゃ、どんどん放射性物質や放射線そのものが外部に放出されてもおかしくなかった。
 そういう「想定」を事故後の対応のなかで、原子力の専門家は「考えよう」としなかったのか。

 メルトダウン。
 メルト(melt)とは「溶融・トケル」ということ。だからmeltdownで「溶け落ちる」と訳すことができる。
 専門家の間では正式な言葉ではないらしい。しかし、4メートルの核燃料がドロドロと溶け、原子炉の底にポタリポタリと落ちていく様子を言い当てている気がする。問題は、その核燃料が2800度というものすごい高温だということ。よく鋼鉄製とはいえ、原子炉の底が熱で溶けないものだ。

 と思っていたら、じつは小さな無数の穴があき、原子炉を包む格納容器に漏れ出ていることがわかったそうだ。

6590.5/22/2011
meltdown...1

 2011年3月11日午後3時前。東北地方沿岸で起こった大地震は、岩手県から福島県、さらに茨城県や千葉県沿岸に大津波を引き起こした。
 その後の調査で、この大地震は3つの異なる地震が連続して発生したことがわかった。
 それぞれに規模の大きな地震だった。

 大津波は、沿岸の集落を飲み込み、多くのひとびとのいのちや生活を奪った。
 この大津波で、福島県にあった東京電力第一原子力発電所と第二原子力発電所も津波の被害を受けた。
 地震の揺れによって、まず発電所は発電を自動停止した。
 その後、核燃料の温度を下げる必要があったのに、冷却装置が働かなくなった。

「想定外の地震だった。想定外の津波だった」
 関係者は、想定外と言えば、全部許してくれるものだと勘違いしていた。

 じつは、このとき第一原子力発電所(第一原発)の炉内では、被害が拡大しつつあった。緊急用の電源を、津波の冠水で破損していたので、制御室のひとたちは、そのことに気づくことができなかった。
 冷却ポンプは電力さえ得られれば十分に作動した。なのに、電源装置が使い物にならなくなったのだ。これは震災後に、個人的に冷却ポンプを製造した会社の関係者から直接聞いた話なので事実だろう。東電は、電源装置が水に浸らないようにした方がいいというポンプを製造した会社のひとたちの忠告を無視したそうだ。「そんなことをしたら、費用が高くなってしまう」という理由で。
 大津波による緊急電源の喪失を想定外にしてしまったのは、東電という会社の体質だ。

 3月12日午前6時50分頃には、1号機で、核燃料が自らの発する熱で溶けてしまっていた。
 一部が溶けてしまったのではなく、全部、溶けてしまっていた。
 そのことを、東京電力が公表したのは、事故から二ヶ月を経た5月15日。ずいぶん、隠した。
 発表が遅すぎる。さすがに、内容として、発表したくなかったのだろう。
 なのに、また嘘をつく。

「事故直後のデータの解析に時間がかかった」とさ。