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6589.5/21/2011
ユッケによる中毒事件...4

 腸管出血性大腸菌は、軽度の下痢・激しい腹痛・頻回の水様便・著しい血便、などとともに重篤な合併症を起こし死に至るものまで、様々である。
 感染患者に、性別・年齢等有意な差はない。
 感染の機会のあった者の約半数は感染から3-5 日の潜伏期の後に激しい腹痛をともなう頻回の水様便となる。多くは発症の翌日ぐらいには血便となる(出血性大腸炎)。発熱は一過性で軽度(37 ℃台)である事が多い。血便になった当初には血液の混入は少量であるが次第に増加し、便成分の少ない血液がそのまま出ているような状態になる。有症者の6-7%は下痢などの初発症状発現の数日-2週間(多くは5-7日後)以内に、溶血性尿毒症症候群(Hemolytic Uremic Syndrome, HUS)、や脳症などの重篤な合併症が発症する。溶血性尿毒症症候群を発症した患者の致死率は1-5%とされている。
 重症合併症の危険因子としては、乳幼児と高齢者及び血便や腹痛の激しい症例が挙げられているが、それ以外でも重症合併症が起こる可能性がある。

 ベロ毒素(ベロどくそ、verotoxin)とは、腸管出血性大腸菌(EHEC, enterohaemorrhagic E. coli)が産生し、菌体外に分泌する毒素タンパク質(外毒素)である。一部の赤痢菌(志賀赤痢菌、S. dysenteria 1)が産生する志賀毒素(しがどくそ、シガトキシン)と同一のものであり、志賀様毒素(しがようどくそ、shiga-like toxin)とも呼ばれる。真核細胞のリボソームに作用して、タンパク質合成を阻害する働きを持つ。腸管出血性大腸菌や赤痢菌の感染時に見られる出血性の下痢や、溶血性尿毒症症候群(HUS)、急性脳症などのさまざまな病態の直接の原因となる病原因子である。
---Wikipediaからの引用はここまで---

 大地震の後の原発事故といい、安さが売りの焼肉屋での食中毒といい、日本の経済活動は全体的にひとびとの安全や安心よりも、「コスト」とか「利益」という数字に表される価値を優先してきたのではないか。
 事業仕分けという言葉で象徴される無駄の一掃セール。
 たしかに税金を無駄なことに使うのは困るが、本当は必要なことまで無駄扱いにされてはかなわない。
「いつ起こるかわからない大地震のために、莫大な予算を使って大防波堤を造るわけにはいかないだろう」
 原子力行政や原子力研究のトップに立つひとたちが、これまで大声で叫んできたことだ。
 その結果、町ごと避難を余儀なくされたひとたちは、これから何年も安全な生活や安心な毎日を送ることができなくなってしまった。
「たまには家族みんなで焼肉を食べよう。いまは安くてもおいしいお店があるから、そこに行こう」
 半永久的な不景気を生活者に押し付けた自民党公明党政権のツケで、いまの民主党政権は貧乏くじばかりを引かされている。ひとびとはおいしくて高級な肉が食べたくても、安い給料ではそういうお店には行けないのだ。だから、安くておいしい店ならば喜んで行く。
 どうして、こんなに安くできるのだろうとは考えない。安全を切り売りして、価格を下げているとは気づかない。
 その結果、いのちを奪われる。

6588.5/17/2011
ユッケによる中毒事件...3

 最初の犠牲者が4月27日。5月5日までの約一週間に4人もの方が、同じ食中毒症状で死亡した。

 焼き肉チェーン店「焼き肉酒家えびす」に牛肉を販売した食肉卸業者「大和屋商店」(東京都板橋区)では7日午前までに、腸管出血性大腸菌が検出されていないことが、合同捜査本部への取材で分かった。
 合同捜査本部は今後、同チェーンや同商店から流通や調理の状況を聴取するとともに、患者から検出された菌を詳しく鑑定する。また、細菌学者らから意見を聴くなどして、感染経路の解明を進める。

 問題の食肉は、どこの工場で加工されたのだろう。
 そして、その食肉はどんな状態で、福井県や富山県に運ばれていたのだろう。

---Wikipediaより---
 腸管出血性大腸菌(ちょうかんしゅっけつせいだいちょうきん、enterohemorrhagic Escherichia coli:EHEC)とは、ベロ毒素 (Verotoxin=VT) 、または志賀毒素 (Shigatoxin=Stx) と呼ばれている毒素を産生する大腸菌である。
 このため、VTEC (Verotoxin producing E.coli) やSTEC (Shiga toxin-producing E.coli) とも呼ばれる。この菌の代表的な血清型別には、O157が存在する。
 腸管出血性大腸菌による感染は、べロ毒素産生性の腸管出血性大腸菌で汚染された食物などを経口摂取することによっておこる腸管感染が主体である。また、ヒトを発症させる菌数はわずか50個程度と少なく強毒性を有するため、二次感染が起きやすく注意が必要である。また、この菌は強い酸抵抗性を示し、胃酸の中でも生残し腸に達する。
 生の牛肉やレバーの摂食で感染リスクが高いともいわれている。
 大腸菌は、耐熱性菌体抗原であるO抗原160種類以上と、易熱性の鞭毛抗原であるH抗原60種類以上によって分類される。

O抗原
ベロ毒素を産生することのあるO抗原としては、O1、O2、O18、O26、O103、O111、O114、O115、O118、O119、O121、O128、O143、O145、O157、O165などがある。そのうち、O157によるものが全体の約80%をしめる。
H抗原
上記で示したO抗原であっても、H抗原が異なる場合等はベロ毒素を産生しないものがある。
したがって、腸管出血性大腸菌などの血清型別を表記する場合には、Escherichia coli O157:H7などと表記する。

6587.5/15/2011
ユッケによる中毒事件...2

 砺波市は、観光が産業の中心らしいが、チューリップの生産も盛んのようだ。
 そんな北陸の小さなまちに、全国から注目が集まったのが、食中毒騒動だ。

 4月21日(木)。
 砺波市となみ町の焼き肉店「焼肉酒家えびす砺波店」を家族とともに訪れ、ユッケなどを食べた10歳未満の男児が、24日におう吐や下痢などを訴えて入院。27日にO-111が確認された。29日午前11時過ぎに、入院先の病院で死亡した。
 19-23日に同店を訪れた1-70歳の男女24人が食中毒の症状を訴え、うち21人が29日までに入院した。入院者のうち死亡した男児を含む6人が、重い合併症を起こす可能性がある溶血性尿毒症を発症した。

 4月27日(水)。
 福井県福井市の焼き肉店「焼肉酒家えびす福井渕店」で食事をした6歳の男児は下痢、血便などの症状で4月21日に入院。O-111が検出され、腎臓障害などを引き起こす溶血性尿毒症症候群(HUS)の疑いで重症となり、27日に死亡した。男児は発症前、福井市内の同チェーン店で食事をしていたことがわかっている。

 5月2日(月)。
 富山県警が、業務上過失致死傷容疑で砺波署に捜査本部を設置した。

 5月3日(火)。
 福井県警が、業務上過失致死傷容疑で福井南署に捜査本部を設置した。

 5月4日(水)。
 「焼肉酒家えびす」で発生した集団食中毒で、富山県の店舗で23日に食事した後、食中毒症状で入院していた40代の女性が4日午前、死亡した。同チェーンの食中毒での死者は3人目。
 富山県によると、女性は4月23日、同チェーン砺波店(同県砺波市)でユッケなどを食べ、27日に血便などの症状で入院。30日から意識不明になっていた。
 富山、福井両県警は、業務上過失致死傷容疑で合同捜査本部を設置した。

 5月5日(木)。
 4日に亡くなった女性ほ家族で、同じ店でユッケを食べ食中毒症状を訴え入院していた70歳代の女性が5日の朝に死亡した。
 富山県生活衛生課によると、女性は4月23日に砺波店でユッケなどを食べた。26日に下痢や腹痛を訴え、27日に入院。その後、溶血性尿毒症症候群(HUS)を発症し、5日朝死亡した。
 女性からは腸管出血性大腸菌O-111が検出された。同店の他の利用者からもO-111が検出されていることなどから、同課は同店での飲食が原因と判断した。
 女性は、4日に死亡した40代女性の家族。2人は家族5人で同店で食事をした。ほか3人のうち2人が食中毒の症状で入院しているという。
 同チェーンでは、砺波店でユッケを食べた富山県高岡市の男児(6)が4月29日に死亡。27日には福井渕店(福井市)で飲食した男児が死亡し、横浜上白根店(横浜市)でも女性1人が入院した。
 厚生労働省によると、富山県内の店で食事し下痢や腹痛などを訴えたのは、死亡した3人を含め70人。福井、神奈川両県と合わせて79人に食中毒の疑いが持たれ、死亡した4人のほかに23人が重症化している。同省は国立感染症研究所の専門家3人を現地に派遣し、5日に調査を開始。患者の発生状況やチェーン店の衛生管理状態を調べる。
 神奈川県警は、業務上過失傷害容疑で旭署に捜査本部を設置した。

 5月6日(金)。
 富山、福井両県警合同捜査本部は、チェーン店経営会社、卸業者などを家宅捜索した。その結果、死亡した4人が「福井渕店」「砺波店」で飲食した日に計307食のユッケを販売と判明した。

6586.5/12/2011
ユッケによる中毒事件...1

 焼肉チェーン店が食中毒を出した。
 5月7日までに4人もの犠牲者が出た。
 宮崎県で多くの牛や豚を殺処分にした記憶は、まだ鮮明に残っている。生産者が丹精込めて育てた牛や豚などの食肉が、加工や流通、あるいは調理の段階でおざなりになっていたとしたら、犠牲になった方ばかりでなく、必死の思いで生産している方々にも、とてもつらい思いをさせたことになる。

---Wikipediaより---
 韓国の料理であるユッケ(肉膾)。
 朝鮮語では、肉はユク(Yuk)、膾はフェ(Hoe)の発音で、連音化して「ユッケ」と聞こえる。「膾」は獣や魚の生肉を細かく刻んだもの(「なます」や刺身の一種)の意味である。
 この名前が示す通り、生肉を使った韓国式のタルタルステーキ様の料理である。生の牛肉(主にランプなどのモモ肉)を細切りにし、ゴマやネギ、松の実などの薬味と、醤油やごま油、砂糖、コチュジャン、ナシの果汁などの調味料で和え、中央に卵黄を乗せて供することが多い。ナシやリンゴの千切りを添えることも多く見られる。食前にはよくかき混ぜるのが良いとされる。

 ユッケは生肉を食するものであるため、動物の腸などから付着した腸管出血性大腸菌やサルモネラなどに感染する可能性がある。このため旧厚生省は「生食用食肉の衛生基準」(1998年(平成10年)9月11日生活衛生局長通達)により生食用食肉の規格や衛生管理について定め、これに沿った食肉に限り「生食用」と表示することとしている。しかし、これに基づく生食用食肉の出荷実績があるのは馬肉とレバーのみで、牛肉の出荷実績のある施設はなかった(2008年(平成20年)、2009年(平成21年))。この基準が遵守されず、多くの加熱用食肉が飲食店の自主判断で生のまま提供されているという。

 毎年、20件ほど食中毒が発生しており、広く知られたものでは2008年に炭火焼肉店でカンピロバクターによる食中毒が発生した事例がある。
---ここまで---

 そして、2011年4月29日。
 富山県砺波(となみ)市の焼肉チェーン店「焼肉酒家えびす砺波店」で、21日に家族とともにユッケなどを食べた10歳未満の男児が食中毒で死亡した。

 富山県砺波(となみ)市の人口は、49,470人(男:24,021人 女:25,449人)で、世帯は15,438世帯。市役所のホームページでは次のように紹介している。
「庄川の流域に開けた扇状地、砺波平野。
名水が潤す豊穣の大地は強靭な増山杉、黄金色の稲穂、色鮮やかなチューリップを育み、日本の原風景を彷彿とさせてくれます。また、カイニョと呼ばれる屋敷林の中、切妻屋根アズマダチの農家が、碁石を散りばめたように点在する散居村は春から夏は萌える緑、秋は黄金、そして冬は銀白のじゅうたんと四季折々、美しい田園風景を見せてくれます。
古き良き歴史と時代の躍動感が、人々の暮らしの中に脈々と息づき日本有数の住みよさを誇るまち。
新しい人の和、まちの和が、いま、水と緑の大地に広がっていきます」

6585.5/10/2011
 わたしの大好きな社会学者の宮台真司さんが、毎日新聞に寄稿した。
 そのなかで、次のように書いている。

「コストをかけ絆を培った者しか絆の恩恵にあずかれない」

 彼の考えをわたしが完全に理解しているとは言いがたいので、わたしなりに彼の言葉を受け止める。
 ここでいう絆とは、おそらくひととひととのつながりだろう。
 それは、困ったときに助け合うだけでなく、ふだんのときから道で会えば挨拶を交わし、夏になれば地域の祭りで汗を流しあうなど、意識して、つながりを維持し続けていることを前提としている。
 最近のひとたちは、近所づきあいを嫌い、隣りに住んでいるひとさえ、名前も顔も知らないことが多いと聞く。ひととかかわりあうことが面倒なのだろう。
 その面倒な部分を、面倒と感じないで乗り越えることが、きっと宮台さんの言う「コストをかけること」なのではないかと思う。面倒だけどいざというときの保険として、近所づきあいを大事にするという考え方では、とても長続きはしないだろう。
 地域には、さまざまなひとたちが住んでいる。目的を同じくして住んでいるわけではないので、政治的にも宗教的にも異なるひとたちが住んでいる。そういう違いを乗り越えて、ふだんから声を掛け合ったり、地域のイベントを運営しあったり、こどもを介してサークルに参加したり、旅行に行ったり、バーベキューをしたりする。一日のうち、どこかの時間で必ず町のどこかで「井戸端会議」が開かれる。

 そういう濃密な人間関係が苦手なひとたちは、きっと行政という組織(システム)を頼りにするのだろう。
 しかし、システムは虚像なので実体がない。大地震や台風などの自然災害や、爆発や火事などの大事故が発生したときに、迅速にシステムが作動するとは限らない。システム自体もひとが動かしているからだ。そして、多くの場合、システムは責任の所在が曖昧にできている。だから、対応に不備があったとき、システムのだれが責任を負うのかがはっきりしていない。また、責任を負ったところで、大事な家族や友人が死傷したときには、ふたたび元気な状態に戻るとは限らない。

 ふだんから近い距離にいるひとたちは、少しの言葉で相手の考えを察し、あっという間に大事な情報を伝達する。その迅速で効果的な対応が、きっと絆の恩恵なのだろう。

6584.5/8/2011
 これに対して、苗字の来栖などに使われる「栖む」という使い方。
 もともとは、難しい漢字や画数の多い漢字を簡単に表記した簡体字が、栖むの「栖」である。もとになっている漢字が、棲とのこと。
 つまり、両者には使い方に違いがあっても、意味には違いがないことがわかった。
 同じ意味があり、同じ発音をするのに、異なる表記をする文字を、「異体字(いたいじ)」と呼ぶ。ひらがなの「いとゐ」(ともにイ)、「えとゑ」(ともにエ)、「おとを」(ともにオ)も異体字だ。
 だから、棲むと栖むには、意味の上ではまったく違いがない。
 文章を書いているひとの感性として、どちらが好みかという問題だったようだ。たしかに、棲むと書くよりも、栖むと書いたほうが、画数が少なく書きやすいかもしれない。
 木へんに「妻」と書くか「西」と書くかによって、漢字に意味上の違いがあるわけではない。

「わたしはね、ツイノスミカ(終の棲み家)って、どっちの字を使うのかって迷っちゃったの。もしかしたら、西というのは日が沈む方角だから、人生の終焉を意味するときは、木へんに西の栖むを使うのかなって」

 一葉さんの文学的な感覚。
 この感覚が、わたしたち日本人が文字に対して抱く独特の感性なのだろう。文字は音を表す世界中のほとんどの文字世界のひとたちには、日本語みたいに文字そのものに意味がある文字文化は理解しづらいという。
 たとえば、英語で「a last house」か「the last house」かでは、まったく意味が変わる。
 しかし、日本語では「終の棲み家」でも「終の栖み家」でも意味は変わらない。ただし、読んだひとのこころに与える微妙な印象が異なる。その微妙な印象の違いを日本語は大事にしてきたのだ。
 意味は変わらないのに、文字が複数あるのはややこしい。覚えるのも大変だから、ひとつに統一しようという西洋的な合理性が、日本の国語学者にはあまりなかったようだ。だから、日本語は世界中で文法も文字ももっとも難しい言語の一つに数えられる複雑さを有している。
 江戸時代の終わりから明治時代にかけて、文字が読めるひとは人口の一握りしかいなかった。富国強兵策をとった明治政府は、有能な兵隊や工員を育成するのに文字が読めないのはまずいということで、すべての漢字とひらがなを廃止して、カタカナだけを日本語の文字にするという計画を立てたことがあった。だから、古い国語の教科書は「カタカナ」から始まる。しかし、文人や武人たち一部上流階級の猛烈な反対によって、カタカナオンリー策は消滅した。
 それからおよそ150年。
 いまも日本語は進歩、変化し続けている。

6583.5/7/2011
 自宅近所の酒屋「淡路屋」。
 このサイトでは「坂の下の関所」という名前でたびたび登場する。
 東日本大震災から約2ヶ月が経過した。5月4日のみどりの日。大船を散策し、日高屋ラーメンで「野菜たっぷりタンメン」をランチにした。あっさり塩味にキャベツや人参、タマネギがこれでもかというほど乗っている。麺は細い。自社製麺。会計時に必ずサービス券をくれる。次回来店時に大盛りを頼むと60円分が無料になる。わたしの財布には日高屋のサービス券がお札といっしょに入っている。有効期限があるから、有効期限の近いものから使う。
 野菜たっぷりタンメンは、なんと490円だ。ふつうの中華そばは390円。どちらもチェーン店とは思えないほど、スープに出汁が効いている。メンマやチャーシューはちょびっと。麺とスープが好きなわたしには、それだけで十分だ。
 大船のラーメン店散策は、後日報告するとして、この日は、帰りに関所に寄った。
 おそらく20度を越える暑い日だった。
 瓶ビールを買ってコップに注ぐ。喉を炭酸が刺激する。
「あら、先生、お久しぶり」
 近所のご婦人が来店した。小説「坂の下の関所」では、一葉さんという名前で登場させていただいている方だ。買い物の帰りだろう、バックから長ネギがはみ出している。
 クーラーのなかからキープしているおたるワインを取り出す。よく冷えているおたるワインをコップに注ぐ。ぐーっと喉に流し込む。うまそうだ。
「そうだ、先生に会ったら聞こうと思っていたことがあるの」

 一葉さんの質問は漢字に関するものだった。
 読書が大好きな一葉さんらしい、難しい質問だった。そのとき、わたしには十分な答えができなかったので、帰宅してから調べた。
 一葉さんはあるときに本を読んでいて「棲む」という漢字に出会った。もともと生息などと置き換える漢字で「スム」と読む。ところが別の本を読んでいたら、「栖む」と書いて「スム」と読む漢字に出会った。どちらが正しいのかという質問だった。
 わたしは、棲むという漢字は知っていたが、「栖む」という漢字は知らなかった。来栖という苗字で「クルス」と読むことは知っている。しかし、その栖を使って「スム」と読むとは知らなかったのだ。
 一般的な「住む」は、おもに人間がある場所に長く生活することを意味するときに使うようだ。だから、「草原に住む鹿」という使い方はしない。
 これに対して、「棲む」は人間だけでなく、動物にも適用される。「タヌキが棲む山奥」という使い方ができる。
 また「棲む」には、物理的に生き物が生活するという意味だけでなく、目に見えないけれど実態として想像できるものが宿るという意味でも使われる。音読みの「セイ」を使った棲息や同棲などはその適用例だ。また、世俗を離れて、田園地などで安らかに暮らす「棲遅(セイチ)」という状態でも使われる。
 住むよりも、奥行きがある使い方がされているのが、棲むである。

6582.5/5/2011
 どうやら原発事故というのは、基本的人権侵害のオンパレードらしい。
 基本的人権とは、日本の憲法が国民に約束している「ひととして生きる権利」のことだ。日本人は、基本的人権を憲法によって守られると宣言している。
 ひととして生きるには、住む場所が必要だ。
 その住む場所を、原発事故は奪う。避難とか退避という言い方で、強制的に国家権力が移住を迫る。
 ひとは動物なので飲食をする。飲食物の生産と供給が不可欠だ。
 その食べ物や飲み物の出荷や生産を原発事故は制限したり、禁止したりする。生産にかかわるひとたちの苦悩や口惜しさは、想像すらできない。
 住む場所と食べ物。さらにひとは働く。
 原発事故は、それまで働いていたひとたちから仕事を奪った。あるいは春先からの就職が決まっていたひとから採用の機会を奪った。
 職業の選択や、就労の機会を、原発事故はあっさりと消失させたのだ。

 日本で建設が予定されてきた原発では、必ずといっていいほど、建設予定地を中心に反対運動が起こった。住民が安全性を疑問視し、裁判所に訴えた。
 裁判所はいくつかの判例のなかで住民の訴えを認める。しかし、最高裁判所まで争われたケースでは、最終的に住民の願いは届かず、原発の建設が承認されている。
 原発の推進は、自民党や公明党が中心となって長年に渡って全国的に行ってきた。
 原発の建設は、日立や東芝などの大企業が政府の後ろ盾を得て湯水のように利益を吸い取って行ってきた。
 原発によって得られる電力の送信と販売は、電力会社によって独占的に行われてきた。
 原子力の研究は、日立や東芝や東電から多額の研究委託費を受け取っている大学の専門研究室で長年に渡って行われてきた。
 つまり、原子力発電の研究から電力の販売まで、すべての機関で「前向きに」利益を享受する仕組みが完成しているのだ。
 それらは危険だから、もっと推進には歯止めをかけなければいけないと発言しただけで、その研究者や従業員は、その仕組みから弾かれる、とばされる。
 これらを後押ししてきたのが、司法の世界だ。つまり裁判で建設を容認してきたのだ。
 ひとびとが、原発建設反対の主張を合法的に裁判所に持ち込んでも、判事は聞く耳を持たず、政府や大企業や研究機関の側に立って、訴えを却下し続けてきたのだ。
 だから、わたしはいつも最高裁判所判事の国民審査では全員の判事に×印をつけている。
 原発を推進するひとたちの「安全」を裁判所は信じ、原発に反対するひとたちの「危険」を裁判所は信じてこなかったのだ。
 東日本大震災の結果、福島第一原子力発電所の核燃料溶解事故が今後に渡って長期間続く事実は、消し去ることができない。

6581.5/4/2011
 今回の大震災は、発生から一ヶ月を過ぎて、ふたつの様相を示している。
 ひとつは、大規模な地震と大津波による自然災害だ。
 もうひとつは、原子力発電所の事故による人災だ。
 どちらも、まだまだ大きな爪あとを残し、多くのひとびとが被害を受け続けている。家族や友人、同僚などが行方不明になり、いまもがれきを捜索しているひとたちがいる。
 自然災害への備えは、日本列島のように昔から火山や地震の多いところでは準備されてきた。しかし、今回の地震と津波はそれらを上回るほどの規模だった。

 と、言われている。

 が、言い切ってしまう前に考える。振り返る。

 世界最大の防潮堤が造られていた町では、その防潮堤を越えるほどの大津波で多くの家屋や人命が失われた。
「この防潮堤があるから、大丈夫」
 町や県、もしかしたら国などの費用的な援助を受けて建設されたものかもしれない。これらは、巨大な組織が住民を守る義務を行使するはたらきととらえることができる。こういう大きなはたらきをシステムと呼ぶ。
 住民はシステムに守られて、安全な生活を送っていたのだ。そのシステムがまさか崩壊するとは思ってもみなかっただろう。わたしたちは、日々の生活のなかで「政治は何もしてくれない」とか「税金が無駄になっている」と愚痴をこぼす。これは、自分たちの生活を大きなシステムにゆだね、何かを期待している証拠だ。
 税金は、システムが合法的にひとびとから年貢を徴収する仕組みにすぎない。その税金を集めて、ひとびとの生活に必要なものに使うという建前を信じるから、搾取されっぱなし感が高まると不満が爆発する。
 大きなシステムは古今東西を問わず、大昔からひとびとを支配し、統治し、搾取してきた。人間とはそういう集団を形成する生き物なのだ。親分や頭領や領主が、市長や知事や総理大臣に変わっただけ。システムが作った掟を守らないと、ひとびとは罰せられてしまうようにできている。
 ところが、被災地の一部では大きな津波の経験から、大地震のときには「てんでんこ」に逃げろという教えが広く伝わっていた地方がある。「てんでんこ」とは、その地方の言葉で、バラバラにという意味だそうだ。
 いちいちみんなで集まって、無事を確認したり、不明者を探したりしていないで、すぐに自分の力で高所に逃げること。この教えが、その地方のひとびとの被害者をとても少なくしたそうだ。
 これは、システムがひとびとを守ったのではない。ひとびとのつながりが、教えとなって広がり、肝心なときに役立ったのだ。

6580.5/3/2011
 あまり報道されないが、基本常識として知っておこう。
 東京電力は、4つの原子力発電所を保有している。
 福島第一原発、福島第二原発、柏崎刈羽(かしわざきかりば)原発、東通(ひがしどおり)原子力建設所(建設途中)。
 柏崎は新潟県。東通は青森県。4つの原発のすべてが東北電力の事業管内に建設されているのだ。
 東京電力の事業管内、ひらたく言えばおもに東京都市圏の電気は、東北電力の事業管内にある原発で毎日毎日発電されてきたのだ。
「東京のひとたちの電気、作って、こんなあぶねぇ目に遭わなきゃならねぇなんて」
 福島第一原発事故で強制的に住んでいる土地を奪われたひとたちが嘆くのも無理はない。

 福島第一原発は、核燃料の溶解という最悪のシナリオをたどっている。現在進行形である。チェルノブイリ事故のときは、鉛を投入して溶解を止めた。いまの日本の報道を見る限りでは、水を使っての冷却のようだ。しかし、この方法は冷却した後の水の処理で困っている。海に垂れ流して、海洋汚染を引き起こし、土中に染み渡らして、地下水汚染を引き起こしている。
 東電の発表した復興計画では、強制的に避難させた住民を地元に戻す道筋が示された。しかし、チェルノブイリの事故例を参考にすると、とうてい信じられない。核燃料から飛散したり、融け出たりする放射性物質の毒性は、人間だけでなく生物すべてに悪影響を及ぼすのだ。その毒性が減少するのに、最悪のプルトニウムでは2万4千年もかかる。ヨウソが8日で毒性が半減すると強調されているが、放射性物質はヨウソだけではない。セシウムだって30年ぐらいかかるそうだ。プルトニウムは吸っただけで肺がんになると言われている。
 猛毒物質が拡散している場所に、ひとびとが再び戻れるまでには、とても長い時間がかかると考えるのが常識ではないか。放射性物質を取り除く方法や、取り除いたものをどこに運ぶのかとか、だれが作業にあたるのかなど、作業の前に決めなければいけないことが山ほどあるのだ。

 そんななか、総理大臣の指導力を問う声が、ひまな国会議員から続出している。与党からも売名かと思うほど顔出しして、同じ党の指導者を批判している者がいるので驚く。
 だれもが経験したことのない大震災が継続中なのだ。原発事故という最悪のカードを握りながら、多くのひとびとを困難に直面させ続けている大震災なのだ。だれがリーダーになっても、うまい舵取りなどできるはずがないだろう。失敗しても、もっとも困っているひとたちのこころとからだに届く政策を最優先するしかないのだ。
 ひまな国会議員は、率先して、避難所生活を送るべきだ。苦楽をともにして、何が必要なのか、何が求められているのか、何が余っているのかなどを体感し、政府中央に進言する。
 第二次世界大戦で、イギリスを勝利に導いたチャーチル首相は、終戦を待たずして、総選挙で敗れ、下野した。有権者が政治家を選ぶのだ。ひまな国会議員の権力闘争など、こんな大震災のさなかにやっている場合ではない。