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6569.4/9/2011
東日本大震災...22


[東京電力福島第1原発の1号機(左)。爆発前は右の建屋と同じ外観だった=福島県大熊町で2011年3月12日午後3時55分、本社機から貝塚太一撮影(毎日新聞)]

毎日新聞より

2011年3月14日 20時30分

2遺体発見…祖母、最後まで孫抱き 岩手

津波で壊滅的な被害を受けた岩手県宮古市田老で14日、倒壊した家屋の中から祖母と孫で3歳の男の子の遺体が発見された。現地入りした記者は、その様子を見ていた。祖母は孫をしっかりと抱きしめたまま亡くなっており、最後まで孫を守り抜こうとしていた。

 倒壊した家屋は津波に押し流され、元の場所から数百メートル離れた場所で見つかった。線路が上にあった。家族や親類らは午前中から、がれきの撤去を始めたという。ブルドーザーや手作業で柱などを一つ一つ取り除いていった。電動ノコギリを使って、流れついた街路樹なども切った。

 2人が発見されたのは午後2時を過ぎてからだった。折り重なるように倒れており、祖母が孫を両手で抱きかかえていた。

 その瞬間、撤去作業の様子を食い入るように見つめていた20代の男児の母親はその場に崩れ落ち、家族や親類らと抱き合って号泣し続けた。

 母親は「おばあちゃんは私が仕事の時、いつも息子の面倒を見てくれていた。2人が一緒に見つかって本当に良かった」と涙をぬぐい「でもやっぱり死に顔は見られなかった。まだ生きていると信じている自分がいるから」と声を詰まらせた。【西嶋正法】
(http://mainichi.jp/select/weathernews/20110311/news/20110315k0000m040069000c.html)

6568.4/6/2011
東日本大震災...21

 午前8時半頃に小学校に戻った。まだ通電している。
 卒業式の開式は、10時だ。
 わたしは、間が持たないだろう特学の教室を覗く。案の定、留守番部隊の教員たちが、眉間に皺を寄せて困っていた。
「散歩に行きましょう」
 幸い、空は快晴。学校周辺を歩くことにした。
 わたしが勤務している藤沢市本町周辺は、東電のグループ割では第一グループだった。本来なら、すでに停電が始まっているはずだ。
 5年生と6年生と歩く。日差しはあたたかく、一瞬、大震災を忘れてしまうほど、のどかな卒業の日だ。
 コースは、こどもたちといっしょによく散歩をしたおなじみのコースだ。
 南仲通りから銀座通りに入る。藤沢駅北口の大きな商店街だ。そこまで来たら、信号機が点灯していないことに気づいた。周囲を見渡す。ファミリーレストランは臨時休業になっていた。
 学校からわずかな距離で、停電は実施されていた。ここも同じ第一グループだ。こんなに近くで、停電しているところとしていないところが混在していると、そのうちにひとびとの不満がおおきくなるのではないかと想像した。
 第一グループの停電は10時までだったので、停電の影響を受けたところも、卒業式(だいたい10時開式)そのものには影響がなかったようだ。
 例年、卒業式が終わると、職員向けに学校からお弁当が用意される。お祝いの席につきもののめでたい弁当だ。しかし、業者が「確実に食材が入手できる目途が立たない」と注文を断った。各自、手作りの弁当か、コンビニの軽食を持参した。
 夕刻、わたしは家の近くの焼き鳥屋に入る。ここは第五グループなので午後6時20分から停電だという。
「せっかくの卒業式。お弁当も夜の打ち上げも中止だったんだ。せめて停電まで、乾杯させてください」
「どうぞどうぞ」
 焼き鳥屋の女将さんが微笑む。
 馴染み客がカウンターを占めていく。
「きょうは閉店が早いから短時間でどんどん頼まないと、終わっちゃうよ」
 酒も食べ物もみなさん、いつもよりペースが早かった。
「あー、そういうこと。じゃ、ちょっと待っていてね」
 近所の葬儀屋の方がカウンターから離れる。店の外で携帯電話。しばらくして、太いローソクを持参した。
「これ、業務用。通夜のときなどこれだけで12時間はもつから」
 午後6時40分ごろ。ぶちっと停電になった後も、そのローソクでしばらく閉店が延長した。

6567.4/4/2011
東日本大震災...20

 出勤してバタバタと仕事をする。
 午前6時20分から停電が予定されていたので、それまでに電話が必要なもの・コピーが必要なもの・印刷が必要なものなど電気を使うものを優先的に片付けていく。しかし、わたしの勤務する地域は、予定の時間になっても、通電し続けた。これまでの経験から、10分から20分遅れで、突然プツッと停電が起こっていたので安心はできない。だいたい1時間経過しても停電にならない場合は、その地域だけ、理由はまったく不明だが停電の計画から外れたことになる。本来なら嬉しいことなのだが、そのときになってみないと停電するのか、しないのかがわからないというのは、あまりにも東電は利用者を小馬鹿にしているのではないか。
 午前7時半近くになって、わたしは学区の通学指導のために割り振られた大きな交差点に向かう。もしも信号機が停止すると交差点は無法遅滞になる。警察官は、とても大きな交差点にしか配置されない。だから、ふつうに大きな交差点は教職員が交通整理をするのだ。
 5年ぐらい前までは、交通安全指導員という方が登下校時間帯に警察からの委嘱を受けてこどもたちの登下校を見守ってくれた。しかし、行政の「金がない」の一言で指導員さんは消えた。よのなかが不景気になると、安全が脅かされる。
 県立湘南高校入口の信号機でこどもたちの登下校を見守る。
「おはよう」
「卒業、おめでとう」
 この日は、5年生と6年生だけの登校なので、あまりこどもたちの姿はない。4年生以下はまだ寝ているのかもしれない。中学生の制服を着た6年生が多い。
 信号機近くの「ハルピン」という中華料理店のおばさんがさっきから歩道に出ては周囲をうかがっている。
「どうかしましたか」
「いえねぇ、きょう中学校はあるのかないのか、どっちかなと思って」
「どういう連絡が来ていますか」
「なんかね、6時からの停電のときは休校らしいんですよ。でも、ほら、この辺は停電のはずなのに、まだ停電にならないでしょ。だからほかの中学生が登校していたら出そうと思って」
 たしか、小学校は停電の有無に関係なく、東電が「あしたは計画停電を実施する」と発表した時点で、第一グループが6時過ぎからの停電になっていたら休校と決めていた。中学校は微妙に取り決めが違うのかもしれない。
「学校に問い合わせてみてはいかがですか」
 わたしも安易なことは言えない。
「学校からの手紙には電話での問合せはしないようにって書いてあってね。それに、こんなことで内申点が下がったらかわいそうでしょ」
 へー、そんなことで中学校の教員は内申点を下げるのか。日常生活の細部まで管理したら、信頼関係は生まれない。
「ざっと見たところ、中学生の登校する姿は見かけないですね」
 小学生の通学指導をしながら、わたしは「ハルピン」のおばさんの心配にもつきあっていた。

6566.4/3/2011
東日本大震災...19

 3月18日は金曜日だった。ちょうど大地震が発生してから一週間が経過した。
 小学校は、こどもの登校時の安全を確保するために、全教職員に通常の8時半よりも1時間前倒しをして7時半からの勤務を命じていた。そんな一週間の終わり。
 卒業式が予定されていた。
 藤沢駅周辺は、東電の発表によると第一グループ。
 この日の意図的な停電は、午前6時20分から9時半頃まで。
 わたしは、大船発午前5時44分の東海道線下りに乗った。東海道線が動き始めてもダイヤ通りではないだろうと思って数日は、学校と自宅を徒歩で往復したり、自転車を使ったりしていた。しかし、かなり復旧したとの情報を得てからは、いままでのように電車で行って、帰りは歩くというパターンに戻した。
 大船駅は節電のため、構内やホームの照明が落とされ、自動券売機も半分ぐらいは「調整中」の貼り紙とともに使用できない状態になっている。
 いつもの東海道線。乗降客もまばら。ところが藤沢駅に着いて驚いた。上りホームにひとがあふれていたのだ。まだ午前5時50分ぐらい。わたしのこれまでの20年近い藤沢出勤経験で、日の出前のこんな早朝から、藤沢駅がラッシュになったことなどない。
 おそらく、東電の意図的な停電によって午前6時20分以降、自宅にいると、出勤のために藤沢駅までたどり着けないと判断した多くのひとたちが停電前に出勤したのだろう。その証拠に学生の姿はない。
 横浜や東京で働くひとたちは、こんなに苦労している。
 東電本社のある東京都下23区内は、首都機能の維持のために停電をしないらしい。そこで働く多くのひとたちは停電する地域からこんな苦労をして出勤している。何かが間違っている。
 こんなことなら、午後7時以降、一斉停電。企業は従業員を午後5時には終業にして帰宅させる。夜のネオン禁止。停電は午後10時まで。その間、電気を使う公共交通機関は一斉に運休。とした方が、生活のパターンが固定化して暮らしやすいのではないか。そして、復興が完結するまで、首都機能を大阪に移転して、都内も停電を実施する。大相撲が延期になった大阪の体育館など大きな施設に首都機能を移転すればいい。
 毎日、きょうは何時から停電だっけと新聞やニュースでチェック。その結果、電車はどうなっているのかと調べる。こんな繰り返しはいつまでも続かない。ひとびとの我慢には限度があるのだ。
 ぶつぶつ文句を言いながら、藤沢駅から学校までの道を歩く。よのなかチェックのために、途中に2軒あるコンビニに立ち寄る。相変わらず、電池やインスタント麺がない。使い捨てカイロもない。おにぎりもない。いわゆるお弁当はかなり豊富だ。ビールや焼酎などのアルコールは、地震以前と同じぐらい並んでいる。「おやっ」と思った。せんべいやポテトチップなど、数日間見かけなかったかわきものが復活していた。

6565.4/2/2011
東日本大震災...18

 地震の津波によって、福島第一原発の自家発電装置が破壊された。これにより、自動停止した原子炉の発熱を下げる冷却水供給システムがダウンした。原子炉の熱が上がり続けるのは当然のことだ。
「地震の規模が想定外だった」
 東電関係者や原子力関係の専門家が口をそろえる。
 原子力発電は、ソビエトのチェルノブイリ、アメリカのスリーマイルの事故を振り返っても、とても大きな危険を背負いながらの発電システムだ。絶対の安全を保障しながら、最新の計画を立てる必要がある。
 その基準に、過去の事例を参考にしていなかったか。
 過去の事例を越える自然災害を想定していなかったとしたら、それは設計思想の根底に甘さがあったといえないか。
 その結果としての意図的な停電措置なのだ。それを計画停電とか輪番停電という表現によって、論点を置き換えていないだろうか。
 利用者から、料金を徴収している事業者が、意図的に利用そのものができないようにするのは、詐欺ではないだろうか。
 来月の電気利用料金の請求はどうなるのだろうか。
 また、この計画停電とやら、とてもお粗末な計画であることが暴露されている。
 やるやると言いながら、やらなかったり。やらないはずの地域で、やられてしまったり。
 地震で避難生活を送っている地域を、意図的に停電にしてしまったり。
 停電地域をグループ化した住所一覧に多くの重複地域があり、自分の住まいがどのグループに所属するのか、停電になってみないとわからなかったり。
 この停電によって引き起こされる犯罪や事故に対して、事業者である東京電力は責任を負うのか。
 同じように受信料を徴収しているNHKが教育テレビや衛星放送を深夜時間帯に停波すると発表したが、その分は返金してくれるのだろうか。
「こういう非常時に、そういう細かいことを気にするのはおかしい」
 余裕のあるひとは、そうやって憤るかもしれない。
 しかし、こういう非常時こそ、もっとも弱い立場のひとたちは、大きな力の言いなりにはなってはいけないのだ。  今回の計画停電に対して、多くの不満や不安が充満していても、デモや抗議集会が起こらないのは、地震でもっと悲惨な状況に置かれた方々がいるからだ。その方々の苦しみを思えば、停電ぐらいの不便はがまんしようという心理が働いている。こういう心理操作こそ、大きな力のもっとも得意とするところなのだ。
 わたしは、少なくとも、計画停電を受け入れることによって、被災地へ協力している気持ちにはなれない。東京電力は、計画停電などやっている暇があったら、東北電力に電力を供給して被災地の電力回復を急ぐべきだ。自家発電装置などを、被災地に送るべきだ。

(註:4月2日の毎日新聞によると政府は今回の震災名称を公式に「東日本大震災」と命名した。それを受けてこの連載タイトルも変更する)

6564.4/1/2011
東北関東大震災...17


[倒壊したビール工場の施設。建物屋上には避難した大勢の従業員の姿があった=仙台市内で2011年3月11日午後3時36分、本社ヘリから手塚耕一郎撮影(http://mainichi.jp/select/jiken/graph/20110311/25.html)]

 今回の大震災は、戦後の日本社会でだれも経験したことのない大きな被害を受けている。
 日々刻々と震災の被害が伝えられる。また、原発事故のように被害が拡大し続けているものもある。決して地震は終わっていない。
 だから、この記事を書いているのがいつかということで情報のなかみが大きく変わってしまう。いまわかることを伝えているが、翌日にはもっと別のことがわかるという繰り返しだ。被害の状況は、いまよりも翌日のほうが大きな被害になってしまう。
 なるべく、写真や文章、記事からの引用には、それがいつのものなのかということを記しておく。

 きょうは3月15日。地震発生から4日が経過した。
 藤沢市の公立小学校では、今年度最後の給食があしたの16日だった。しかし、食材の調達の目途が立たなかったのだろうか、15日の給食で終了してしまった。
 学校が給食を中止するというのは、よほどのことだ。台風が近づいていても「とりあえず、給食だけは食べさせる」というのが小学校の暗黙の了解になっている。
 発注した食材を捨てるわけにはいかない。保護者の猛烈なクレームに対応しきれない。給食費の返還を求められてもやっかいだ。理由はたくさんある。
 とりあえず給食を食べさせたために、下校時刻に大雨と大風の時間帯にあたり、こどもたちを危険な状態に追い込んでしまうことも過去にはあった。
 だから、2日も前に給食を終了するというのは、よほどのことなのだ。26年間教職にあって、わたしは初めての経験だった。

 東京電力は、原子力発電所の発電停止にともない、電力需要に供給が追いつかない状況を避けるために「計画停電」を実施した。
 14日が第一陣だったが、この日は夕刻に限られた地域のみで実施しただけだった。
 15日は5つのグループ全体で実施された。
 この「計画停電」とやら、なんともストンと来ない。
 民間の電力会社である東京電力の事情によって、電力の供給不足が生じていることに、わたしたちは気づいていないように、情報コントロールされていないか。

6563.3/31/2011
東北関東大震災...16

 原発に依存しすぎた東京電力は、原発が停止しているので、十分な電力が確保できなくなった。14日の週から、輪番停電という方法で、自治体ごとに交替で停電状態にするかもしれないという。

 NHKnewsより。
「福島第一原発 燃料が溶け出す 3月12日 15時55分

福島県にある東京電力の福島第一原子力発電所では、敷地内の1号機の周辺で、ウラン燃料が核分裂して発生する「セシウム」や「ヨウ素」という放射性物質が検出されたことから、経済産業省の原子力安全・保安院は「1号機で炉心にある核燃料の一部が溶け出たとみている」と発表しました。

福島第一原発では、敷地内の1号機の周辺で、ウラン燃料が核分裂して発生する「セシウム」や「ヨウ素」という放射性物質を、東京電力などが検出しました。「セシウム」や「ヨウ素」は、核燃料棒の中のウラン燃料が核分裂して発生するもので、原子力安全・保安院は、「ウラン燃料が詰まっている『被覆管』と呼ばれる金属製の筒が溶けた可能性がある」と話しています。セシウムが原子力の事故やトラブルで、施設の周辺で発見されたのは、国内で初めてだということです。また「被覆管の中のウラン燃料は2700度から2800度まで温度が上がらないと溶けないので、1号機の温度はかなり高温になっているとみられる」と説明しました。さらに、1号機では原子炉を冷やすために水を注入し続けていますが、水の高さが下がっていて、核燃料棒を束ねた「燃料集合体」が、最大で1メートル70センチほど露出していると説明し、原子力安全・保安院は、「格納容器から水が漏れている可能性も否定できない」と話しています。一方で、住民の避難については、「漏れた量や、気象状況などからみて半径10キロという避難の範囲を広げる必要はない」と話しています。原子力が専門の東京大学の関村直人教授は「今回、原発の敷地内で観測された放射線は決して弱い値ではなく、このまま冷やせない状態が続くと放射性物質がさらに漏れ出す可能性は否定できない。しかし、ほとんどの核燃料は今も原子炉の中に納まっていて、原子炉はすでに停止している状況だ。住民には冷静な対応をお願いしたい」と話しています。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110312/t10014624871000.html」

 この説明でも避難は10キロでいいと言っているが、翌日の13日には20キロ範囲に広げている。被覆管のなかのウラン燃料が溶け出したということは、被覆管そのものが溶けてしまったと考えるのがふつうだろう。2700度などという想像すらできない高温のウラン燃料がどんどん溶け出しても、原子炉というのは、熱で溶けたり、圧力が高まって爆発したりしないのだろうか。
 チェルノブイリでは、溶け出した核燃料が原子炉の床を溶かして地中に漏れ出たと記憶している。記憶違いか。

6562.3/30/2011
東北関東大震災...15


[防潮堤を越えて押し寄せた海水と散乱する魚箱=北海道根室市で2011年3月11日午後、根室市提供(http://mainichi.jp/select/jiken/graph/20110311/77.html)]

 南北に500キロの断層破壊が確認された。幅が200キロ。
 始めに1分40秒ほど岩手県沖の断層が破壊。50秒後に、宮城県沖で1分40秒、その後、すぐに福島県沖で1分40秒かけて断層が破壊した。

 わたしは、自分の気持ちが不安定になっているのを自覚する。
 それは、時間が経つに連れて「この地震が夢であってくれたら」という気持ちが強くなるのだ。本当にあったこととしての受け入れを拒み始めている。
 復興へ向けての長い道のりを考えれば考えるほど、何もなかった3月10日に戻れないかと思ってしまう。
 まして、原発事故が進行している。炉心溶融という最悪の事態を引き起こした。避難した方々が、ふたたび自宅に戻ることが可能なのかどうか定かではない。何万人ものひとたちの日常生活が、避難命令によって一瞬のうちに終了してしまったのだ。もしも、大量の放射性物質が飛散すれば、何年も周辺に立ち入ることはできなくなるだろう。

 NHKnewsより。
「福島第一原発3号機 緊急事態の通報 3月13日 6時39分

福島県にある福島第一原子力発電所3号機について、東京電力は、原子炉を冷やすために水を送る手段がなくなったとして原子力災害対策特別措置法に基づいて国に対し「緊急事態」を知らせる通報を行いました。今回の地震で「緊急事態」の通報を行うのは、6基目です。

東京電力の福島第一原発3号機では、原子炉を冷やすために水を送る装置が止まり、別の手段でも炉内に水を送ることができなくなりました。このままの状態が続くと、原子炉の中の圧力が高まり危険な状態が続くとして、東京電力は原子力災害対策特別措置法に基づいて国に対し「緊急事態」を知らせる通報を午前6時前に行いました。東京電力は、格納容器内の空気を外部に放出する作業に向けて準備を行うということです。格納容器内の空気を放出する作業は、12日に福島第一原発1号機で行われています。この地震で、国に「緊急事態」を知らせる原子力災害対策特別措置法に基づく、いわゆる「15条通報」がこれまでに行われたのは、11日の福島第一原発1号機、2号機、また12日の福島第二原発の1号機と2号機、4号機で、今回の福島第一原発3号機は、6基目となります。 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110313/t10014636131000.html」

6561.3/29/2011
東北関東大震災...14


[津波で海岸線一帯が水没し、火災が発生した住宅=福島県相馬市で2011年3月11日午後5時25分、本社機から貝塚太一撮影(http://mainichi.jp/select/jiken/graph/20110311/65.html)]

 3月13日9時11分asahi.com。
「福島第一原発周辺、70人以上が被曝した恐れ 保安院

 原子力安全・保安院は13日、東京電力福島第一原発の周辺で、70人以上が放射能を被曝(ひばく)した恐れがあることを明らかにした。保安院が福島県などから受けた報告をまとめると、福島県双葉町の住民9人から放射能を計測。そのほかに、双葉高校のグラウンドで移動に利用したヘリコプターを待機している際に被曝した可能性があるのが約60人いるという。

 放射能を浴びた経路や時間は調査中としている。

 枝野幸男官房長官は13日朝の記者会見で、福島県双葉町内でバスで避難した9人が被曝(ひばく)した可能性があることを明らかにした。福島第一原子力発電所1号機(福島県大熊町)からの放射性物質の放出によるとみられる。衣類や皮膚など身体表面の汚染を除去し、内部被曝がないかどうかを調べているという。
http://www.asahi.com/national/update/0313/TKY201103130036.html」

 NHKラジオの日曜討論(3月13日)に各党の政策責任者が登場した。
 国会を休会にして政府が震災の復旧に集中できる環境を整備する。
 この考えだけでも、異論があり、前進できなかった。
 被災地の復旧に十分な資金を充当できるように、今年度補正予算案の成立と、新年度予算案のうち関連する補正予算案の成立。
 具体的に必要な政策にもかかわらず、各党の思惑がぶつかり、調整不能。与党はこの際、新年度予算案全部を早期成立させようと意気込み、野党はそうはさせじと対立。
 茶番を演じている暇があったら、被災地を訪れ、最前線で復興の舵を取れ。警察・消防・自衛隊・医療など自らも危険に身を置いて、援助や救助をしているひとたちが、政治家の無作為にいつまでも目をつぶっていると思ってはいけない。

6560.3/28/2011
東北関東大震災...13


[JR新橋駅で、京浜東北線などの電車の運転再開を待つ人たち。左は回送列車=12日午前7時30分(共同)(http://mainichi.jp/select/jiken/graph/20110311/92.html)]

 よみうり.com。
「福島第一原発、半径10キロ以内の住民に避難指示

. 福島県警によると、政府は12日午前5時45分、福島第一原発の半径10キロ以内の住民に避難指示を出した。

 対象は5万1207人。
(2011年3月12日10時59分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110312-OYT1T00141.htm」

 この数時間後、第一原発一号機の建屋が爆発した。
 13日には、避難指示は半径20キロに広がる。炉心を冷却する方法がなくなったことを東京電力は認め、午前中から海水を使った冷却を開始した。海水を使うと、炉心や施設に塩分が付着する。塩分が付着すると発電機としては使えなくなる。
 一号機を廃炉にする決定が下されたのだろう。
 前日の避難指示が半径10キロ、翌日の避難指示が倍の半径20キロ。ものすごい勢いで事故が深刻度を増している。しかし、原子力保安院や政府の発表は「安全」を強調するものが多い。最悪のシナリオがあるはずなのに、この期に及んでも「無用な混乱を避けよう」とする役人意識が機能しているようだ。
 一号機に隣接する三号機も冷却水が不足し、燃料棒が露出。減圧させるために放射性物質を含んだ空気を大気に放出した。

 13日の昼、仙台の荒浜というところでは、津波に襲われた遺体が海岸に200体ぐらい放置されている。しかし、その遺体の回収作業は始まっていない。津波による二次災害を恐れている。