6539.2/19/2011
坂の下の関所・13章
...story 243
12月も中旬になってきた。
猛暑が信じられないぐらい、寒い日が続く。
「夏が暑いと冬は寒いんだなー」
日本酒をちびちび飲みながら、赤坂さんが感慨深げにつぶやく。
「みなさーん。ことしの立ち飲みは今週の日曜日までですよー」
若女将が、関所のメンバーに告知する。こないだまで、もっと早く終了すると言っていたのに、延期されたようだ。
年末の酒屋は配達やお歳暮の注文などで、ふだんよりも忙しい。そんなとき、いつものように店内でいつまでも立ち飲み客がいるのは迷惑なのだろう。また、常連の多くは近くにある工場で働いている。工場が年末年始は休みになるので、それぞれ自宅のある場所で過ごす。わたしのように、関所から自宅まで近いひとはいないのだ。みなさん、ここから大船に出てさらに電車に乗って帰っていく。そういうひとたちが、年末年始は集まらないので、立ち飲み終了という期限を設けているのかもしれない。
わたしのように、自宅が関所と近い人間は、休みの昼間にふらっと立ち寄れるところがなくなるのは不便だ。しかし、ひとりだけ抜け駆けをするわけにはいかない。
「あー、ずるーい」
ばれたら、ずっと言われそうだ。
あっという間に、立ち飲み終了の日を過ぎて、わたしは、年末の休暇を過ごしていた。同居している父が、朝から庭の手入れをしている。
「こないだ、関所をのぞいたら、だれもいなかったなぁ」
ちゃんと、みなさん約束を守っているんだな。
「あれか、なんか悪いことでもあったのか」
ん、どういうこと。
「みんな、インフルエンザになっちゃったとか」
「そんなこと、ないよ。みんなたぶん自宅で飲んでいるんじゃないかな。関所は年末は忙しいから、立ち飲みは禁止になるんだよ」
「へー、そういうルールなんだ」
まぁ、そんな大げさなものではないかもしれないが。
父は手を休めて腰をのばした。
「あそこにみんながいないと、なんか心配になっちゃうよ」
父は、常連客の名前など知らないだろう。それでも、ほとんどのひとたちの顔ぶれは覚えたのかもしれない。だいたい、帰りに自動ドアの向こうで店内を見回して、数秒で通り過ぎるだけだ。そのわずかな時間で、店内を観察していたのか。
6538.2/15/2011
坂の下の関所・13章
...story 242
11月26日。シンロートの山ちゃんが60歳の誕生日を迎えた。定年だ。
前々から関所のメンバーには教えてくれていた。その日、関所には、大船のバー「ゼロ」のマスターが早くから飲んでいた。ゼロは山ちゃんが行きつけの店だ。以前にもマスターは開店前に関所に来たことがあるので、わたしは顔を知っていた。しばらくして山ちゃんが登場した。
「あれ」
山ちゃんはマスターを見て驚いている。待ち合わせをしたのではないらしい。
「きょうは、ほら特別な日だから、ここでお祝いをしようと思ってさ」
マスターの声は大きい。山ちゃんは、照れている。
「定年、おめでとうございます。きょうまでご苦労様でした」
わたしは、山ちゃんに頭を下げる。
「よしてよ、そんな、改まってさ。まだ仕事を続けるわけだし」
再任用になったと聞いていた。それでもまだまだいまの時代、会社勤めで60歳の定年といえば、大きな区切りだ。
「さっきから、マスターがお待ちかねですよ」
山ちゃんは若女将からコップを受け取ると、醤油コーナーに向かう。
「きょうは、俺からということで」
マスターが、山ちゃんのコップに自分の焼酎を注ぐ。
「そんなぁ、気を使わなくてもいいのに」
山ちゃんは、遠慮しながらも、注がれるままにしている。
わたしは、山ちゃんがうらやましくなった。公務員なので、わたしの場合は3月31日が勤務の最終日だ。会社勤めの山ちゃんは誕生日が最終日なので、わかりやすい。工場がいつも通り稼動しているときに「それじゃ、お疲れ様」と終幕を引く。
小学校の3月31日は、まず勤務している職員がほとんどいない。学年替わりなので、新年度にならないとそろわない書類や情報が多くて、修了式から31日までの数日間は、探さないと仕事がない状態になる。当然だが、多くの職員はふだん消化しきれない有給休暇をどーんと使ってしまう。定年を迎えた3月31日。わたしは職員室の机を空にして、私物を自宅に送る。出勤簿用の印鑑や紅茶を飲むのに使ったマグカップをリュックに収納する。もはやすることがない。ほとんどひとのいない職員室を見回す。お世話になったひとたちは、とっくの昔に定年を迎えているのだろう。
そんな日の帰り道。関所に寄ったら、マスターのようなひとが待っていてくれるだろうか。
「裕福なまま死ぬのは不名誉なことだ」
アメリカの鉄鋼王、カーネギーの言葉だ。彼は莫大な財産のほとんどを地元の教育のために寄付をした。わたしが定年を迎えるとき、富や名誉があるとは思えない。自分の手の中に何があるのだろう。
6537.2/13/2011
坂の下の関所・13章
...story 241
その日、わたしは、のんびりではあるが、北鎌倉・鶴岡八幡宮・由比ヶ浜・長谷海岸・極楽寺・笛田を走りぬけ、梶原の坂道を登っていた。ランニングするには勾配がきついので、夏を思い出してウォーキング。
頂上のロータリーに着く。そこから町屋のモノレール駅方面へゆるやかな下り坂。わたしは重力に身を任せながら、ジョギングのペースを上げていた。狭い歩道を走るよりも、車道を思い切り走るほうが気持ちがいい。とても危険なのだが、午前6時ごろの週末の車道はあまり車が通らない。わたしは調子に乗って、直線のゆるい下り坂を走る。
アスファルトがところどころでひび割れて、でこぼこしていた。
右足の爪先が、そのどこかに引っかかった。次の瞬間、わたしは前のめりになり両手をついてアスファルトに倒れこんだ。倒れる瞬間に、手のひらを下にしたら、ギターが弾けなくなると気づいて、とっさに手の甲を下にして転んだ。走っている勢いがあったから、倒れながら、わたしは手の甲と左ひざを道路でこすってしまった。
左手の中指と薬指の外側に激痛が走る。左ひざにはこすれたような痛みが走る。ジャージの膝が破けていなかったので、そちらは帰宅してから処置しようと思った。アスファルトに面していた左手を裏返して、傷痕を見た。中指と薬指の第一関節の肉がえぐられていた。白い肉が見えて、赤い小さな点々から出血が始まる。わたしは二本の指を完全に口の中に入れた。口中に血液の鉄の味が広がる。蛇にかまれたときの要領で、まずは傷口周囲の汚れを吸い取っては、道端にペッペッと吐き出した。唾液の消毒作用を期待する。
大のおとなが指を二本しゃぶりながら、とぼとぼと家路を急ぐ。早朝から犬の散歩をするひとたちが、わたしの姿を見て怪訝そうな表情をしていた。わたしだって、そんなおとなを見たら「あやしい」と思うだろう。
しかし、帰宅してシャワーで傷口を洗浄すると、より大きな傷は指よりも左ひざの擦り傷だったことに気づいた。ジャージが破れていなかったので安心していたら、五百円玉ぐらいの擦り傷からジワーッと出血が広がっていた。普通の絆創膏でははみ出してしまう。二枚を並べて応急処置をした。膝の傷は、何度も乾いて治りかけては、膝の曲げ伸ばしによってふたたび破けて出血を繰り返した。だから、歩き方が不自然になった。
そんな歩き方で関所に寄った。
「その歩き方はどうしたの」
いつもと変わった様子に気づいた若女将が心配する。わたしは事情を話した。
「自分では足が上がっていると思っても、実際にはそんなに足は上がってないような年齢になったってこと」
その通りです。
「しょうがないわねー。特別にこれに座りなさい」
若女将は、レジの奥でいつも大将がくつろぐ椅子を出してくれた。
「あー、助かるー。ありがとうございます」
わたしは遠慮なく立ち飲みを放棄して、居酒屋状態に移行した。
6536.2/12/2011
坂の下の関所・13章
...story 240
ウォーキングをしていると、ジョギングやマラソンをしているひとがとても多いことに気づいた。健康がブームになっているのか、お金をかけないで体力を維持しようとするひとが増えたのか。みんな、道具やウエアにとてもお金をかけているように思う。
わたしは、普段着で歩く。ショルダーやリュックを持参する。飲み物、タオル、携帯電話、カメラが必需品だ。夏場はかなり歩きながら汗をかいた。汗をかくと、不思議なもので、運動をしている気持ちになってくる。
ところが秋になり、冬が近づいてきたら、いくら歩いても寒いだけで汗はかかなくなっていた。そうなると、本当にウォーキングが自分のからだのためになっているのか不安になる。
そんなとき、佐藤さんのマラソン挑戦話を耳にしたのだ。
これはいっちょ、走ったろかぁ。
だれかと競争するわけではないので、チンタラとのんびり走ってみることにした。平日は走る時間がないので、土曜や日曜の週末を設定した。佐藤さんが「走るなら、車の少ない早朝がいいですよ」と教えてくれていたので、5時とか6時とかに走り始めるようにした。
わたしの場合は、チンタラ走っているので、とてもジョギングとかランニングというレベルではない。だから、同じ時間に走っているひとたちにどんどん追い越される。これは、中学校や高校、大学時代に運動をしていた者として、かなりプライドを傷つけられる。だからといって、50歳が近いいま、明らかに鍛えているだろうランナー諸氏に見栄を張っても意味がない。
いいもん、いいもん。抜かしたいならどんどん抜かせー。やけになりながら、追い抜いたひとたちの背中にこころで投げかけていた。ところが、何週間か続けていると、不思議なもので、チンタラ走っているつもりが、少しずつ同じコースなのにタイムが短縮されてくるのだ。これは励みになる。
そして、ついに、ひとりの中年男性ランナーを追い越す日が来た。その日も、どんどんランナーに追い越され、挙句の果てに女性ランナーにまで軽快に追い抜かれ、がっくりしていたら、わたしの視界に「このひと、たぶん走っているんだよね」と思うほど、のんびりしているランナーを見つけた。みるみるわたしとの距離が縮まるのだ。上下黒のジャージ。ややサイズが小さい。腕もおなかもパンパンに肉がだぶついている。人知れず、ダイエットのために努力している同志がここにいた。わたしは、無理をしなくても追い抜ける範囲まで近づいた。もしも横に並んだとたん、同志が張り切って火事場のなんとやらを発揮しないように、わたしは「えいっ」と気合を入れて追い抜いた。
ひとたび追い抜いたら、後ろを振り向いたら失礼だ。どんどん彼との差が広がっていくイメージを大事にして、ややそれまでのスピードよりも速く走った。すると不思議なもので、ペースを上げたのに、呼吸も心臓もそんなに苦しくならないで、一定のペースアップに対応できた。
この調子なら、わたしもいつか佐藤さんみたいにフルマラソンに挑戦できるかも。
甘い思いが、こころをよぎったとき、神様は試練を用意していた。
6535.2/11/2011
坂の下の関所・13章
...story 239
しばらくわたしと話していた佐藤さんは、やがて谷戸の会の仲間の元へ入っていく。
わたしとは、反対側のコーナーで盛り上がっている。
仕事以外に、共通の目的でつながる知人がいるというのは、人生の幅を大きく広げてくれる。いつも仕事がらみの人間関係で生きていると、異なる世界のひとたちと出会いにくいのだ。きっと佐藤さんも、谷戸の会のメンバーとのつながりを通じて、医療関係者といっしょにいるときとは違った自分を出すことができているのではないか。
わたしは、幸いに、関所に寄ると、まず同業者とは出会わないので、毎日、人生の幅を広げていただいている。関所のメンバーは個性的で、生き様も異なる。みんな高齢になってきて、すぐに「俺が若い頃は」とか「昔はさぁ」などと、頼んでもいないのに、20年も30年も前のことを教えてくれる。生きた時代や社会が違うのだから、わたしの知らないことが多すぎる。その一つ一つにわたしは感動する。
まさに、教科書に書いてない歴史なのだ。ひとは、かつて口から口へと過去の出来事を語り継いだ。伝承と言われている。文字を書ける身分の人間など、社会のなかでほんの一握りしかいなかったのだ。
「それにしても、ボランティアのひとたちが短い時間を使ってビールで楽しむことすら、気に入らないひとがいるんですね」
レジの若女将に尋ねる。
「なんだか、寂しいよのなかになったわね。わたしだったら、いーれてって入って行ってしまうのに」
確かに、そういう姿は容易に想像できます。
「ところで、佐藤先生、今度、マラソンに出るのよ」
え、知らなかった。
「まったく、いつ休んでいるんでしょうね」
休みなどないのかもしれない。佐藤さんは、週末には、地方の病院に協力に行き、何もないときは谷戸の会で汗を流している。一日中、在宅している日は、年間に数日しかないだろう。その佐藤さんが、マラソンをして、心臓は悲鳴をあげないのだろうか。
ちょうど、佐藤さんが仲間から離れてわたしと若女将のところにやってきた。
「おかわりをいただけますか」
空になった生ビールのコップを差し出す。
「佐藤さん、マラソンに出るんですか」
わたしの質問に、佐藤さんは苦笑いでイエスと答えた。
「福島でね、来年の2月に」
まだ3ヶ月ぐらい先の話だが、話し方は余裕だった。もしかしたら、これまでもフルマラソンにはチャレンジしてきたのかもしれない。
わたしは、ダイエットのために1月からウォーキングを始めていた。8月の人間ドックでは、その成果が少しずつ現れていた。
6534.2/6/2011
坂の下の関所・13章
...story 238
佐藤さんは、わたしを見つけて近寄ってきた。
「どうも、お疲れさんです」
「いやぁ、そうねぁ、疲れたなぁ」
佐藤さんは、横浜の病院に勤務しているドクターだ。いつもは仕事帰りに関所に顔を出す。ふだんから、カジュアルな服装が多いのだが、きょうの服装は明らかに作業着なので、違和感を覚える。
「きょうは、どこで打ち上げですか」
「どこも行くとこ、なくて。きょうは、ここ」
おー、一日のボランティア仕事の後で立ち飲みとは、元気なひとたちだ。
「いつものお寿司屋さんとか、蕎麦屋さんとかには行かないんですか」
「それがね、まだ、ほら時間的には早いのよ」
なるほど、壁の時計は、まだ午後4時ぐらいだ。
「いつもは、作業の後に谷戸で軽く一杯やって、それから帰るひとと飲みに行くひととに分かれるんだけど」
そこまで言って、若女将に生ビールを頼む仕草をはさむ。さぞかし喉が渇いているのだろう。
「最近、あそこで飲んでいると市役所に電話をするひとがいて、役所から、やめてくれって注意されてるんです」
「あそこで飲んでいるって、別に大騒ぎをしているわけではないんでしょ」
「そりゃ、そうですよ。厳密には中央公園の敷地の外だし、人目につかない高台の倉庫前の空き地で飲んでいるだけなのに」
「そういうことをいちいち市役所に密告するひとは、たいてい匿名なんですよね」
「そうそう」
若女将から生ビールを受け取り、ぐーっと佐藤さんは喉を潤す。
反対側のコーナーでは、ほかのメンバーが「かんぱーい」とコップを合わせた。
「匿名なんか、無視すればいいのに」
わたしも、仕事柄、匿名による教育委員会への密告で注意や指導を受けたことがある。匿名というのはやっかいなのだ。相手に反論したいことがあっても、どこのだれだかわからないので、反論もできない。行政の担当者はなぜ匿名を無視しないのだろう。いちいち匿名に対応していたら、きっと現場は混乱するだろう。
「おそらく、市役所の担当者は自分が異動するまでの期間、何事もなければいいと思っているんですよ。だれからも文句を言われず、何も新しいことを考えず、ただひたすらきのうと同じきょうを繰り返せば、優秀な役人として出世していくのでしょう」
いつもは冷静な佐藤さんが、やや投げやりになっていた。
「そっかぁ、だから、最初の打ち上げから場所を探さなきゃいけなくなったんですね」
6533.2/5/2011
坂の下の関所・13章
...story 237
関所は、ゆるやかな坂の下にある。
だから、わたしの家路は、そのゆるやかな坂を上っていく。わたしの家よりも、さらに奥に、谷戸と呼ばれる場所がある。山郷にたまった雨水が小さな川を作り、谷あいを抜ける。川の両面には水田や畑が広がる。
わたしがこどもの頃は、谷戸の川に母親に頼まれて夕飯の味噌汁に使うシジミを取りに来た。梅雨を過ぎると、蛍が乱舞していた。カエルの合唱で、照明のない谷戸は埋め尽くされていた。
鎌倉には、そういう谷戸と呼ばれる場所が複数存在した。しかし、住宅地の開発によって、次から次へと谷戸は消えていく。
そのなかで、鎌倉市に働きかけて谷戸を保存する運動が広がった。その結果、わたしの住む場所に近い谷戸は、自然公園というかたちで整備することによって、開発から守られることになった。
しかし、いくら自然公園と言っても、あるがままの自然に手を加えることには変わりない。整地もする。大きなトラックや、地面を固める重機が谷戸の地面を踏み固めた。
まず、シジミが消えた。次に、蛍がほとんどいなくなった。蛍は幼虫のとき、水生で、カワニナという貝をえさにする。シジミやカワニナが消えた川では、蛍が育たなかったのだ。
あるがままの自然を残していたら、きっと住宅地として地主は土地を売り払い、今頃、木々も土も消えていただろう。
整備された大きな池や樹木、水田や畑が自然公園として残った。しかし、小さな川の水が元通りに戻ることはなかった。自然のバランスというのは、それだけ微妙なのだ。それでも休日には小さなこどもを抱いた家族連れが、弁当と敷物を持参して森林浴を楽しんでいる。かつての谷戸を知らない若い世代は、小さなこどもの手を引きながら、自慢する。
「ここにはこんなに自然が残っていて幸せね」
「こっちに越してきて、本当によかったな」
それが、造られた自然であるという事実は知らない。しかし、本物の自然にはフェンスやベンチ、整然と種類ごとにそろえられて樹木が植えられていることはない。もともとあったものを取り除き、新しいものを造ったのだろうという想像力ぐらいは働かせてほしい。
その自然公園で活動するボランティアグループが「谷戸を守る会」のひとたちだ。通称、谷戸の会。週末に集まり、米作り、野菜作り、剪定、枝打ち、餅つき、伐採など、公園周辺の作業を担っている。一日の仕事を終えて、夕刻になると、芝生に腰を下ろして乾杯。その後は、近くの蕎麦屋やラーメン屋、焼き鳥屋に流れて、打ち上げになる。だから、午後3時ごろになると、メンバーのうち若い衆が関所にアルコールを買いに来る。
その日は土曜日だった。わたしは大船で買い物をした後で、関所に寄った。平日と違い、立ち飲み仲間はいない。静かな店内に、ガヤガヤと汚い身なりの男たちが入ってきた。
「いらっしゃいませ」
若女将は、男たちとなじみらしい。驚く様子もなく挨拶をした。全体的に汗臭い。雨でもないのに長靴を履いて、そこに泥がついている。
わたしはその男たちのなかに、いつも仕事帰りにいっしょに飲んでいるドクターの佐藤さんを発見した。
6532.2/1/2011
坂の下の関所・13章
...story 236
鮑さんは、わたしよりも背が高く、たぶんわたしよりもやせている。うらやましい体型だ。
「先生、アルミナっていう粉を知っていますか」
いきなり、難しい質問だ。記憶の小部屋を総動員しても、その言葉は出てこない。
「アルミニウムなら知っているけど、アルミナっていうのは知らないなぁ」
「でも、さすが。ふつうのひとは知らないものです。俺も、今度のところに行って初めて知りました。かんたんに言うと、アルミニウムの原料がアルミナです」
昔から、アルミニウムという金属は不思議に思っていた。鉄よりも軽く、薄い。金属なのに、磁石がくっつかない。錆びない。
「そのアルミナを作る仕事をしています」
「え、アルミナって、作られるわけ?」
「外国から、ボーキサイトっていう岩というか、大きな鉱石がやってくるんです。それに、薬を混ぜて、アルミナを取り出す仕事なんです」
ボーキサイトなら、覚えているぞ。たしか、そうそう、アルミニウムの原料って教わった気がする。
「で、職場のひとたちはどうなの」
以前、夜勤があった工場は、ほとんど同じ契約のひとと話す機会がなかったとぼやいていたことがある。
「みんな、いいひとですよ」
目元を緩めながら鮑さんが応じる。
「そりゃ、よかったね」
「いいひとっていうか、冗談ばっかりで。どこまでが本気なのか、どこまでがふざけているのか、わからないんですよ」
少なくとも、以前の工場よりも人間味があるらしい。
どんな仕事も、大変だ。しかし、その大変な部分を同僚や上司、部下とわいわい言いながら連携して乗り越えていけるから、仕事は楽しくなる。大変な部分が、いつもだれかに集中して向けられていたら、人間関係はぎくしゃくして、仕事もつまらなくなる。
鮑さんが以前勤務していた工場は、24時間ずっと動いていた。だから、ひとは8時間ずつ交替で働く。同じ部署のひとでも、交替しながら働くので、いっしょに仕事をすることはなかったそうだ。仕事の引継ぎのわずかな時間だけ、勤務が重なる。でも、そんなわずかな時間では、冗談も、飲み会の誘いもない。ただ機械的に、事務的に、連絡業務のみだ。
「今度の仕事は定時なの」
「えー、それがありがたいです。たまにキューシュツもあるらしいですけど、基本はゲツキン」
キューシュツは、休日出勤。ゲツキンは月金で、平日のこと。
「じゃ、またここでいっしょに会えるね」
6531.1/30/2011
坂の下の関所・13章
...story 235
11月中旬になっていた。
帰り道。歩きながら読書をする習慣を多くの知り合いに「お願いだからやめて」と懇願されていた。それでも読んでいる部分が盛り上がっていると、なかなか読書歩きをやめられない。しかし、とうとう日の入りが早くなってきて、読みたくても周囲が暗くなり、文字が見えない季節になった。
これから冬至に向けてどんどん日の入りの時間は早くなっていく。
「ただいまぁ」
関所のドアをくぐる。
「あ、先生。お帰りなさい」
珍しく鮑さんが発泡酒を飲んでいる。
首都スリーブを退職し、夜勤のある三交替制のきつい工場で働いていた。秋で工場との契約が切れるので、暑い夏をまたいで仕事探しをしていた。ハローワークに通いながら、一週間に三つも四つも面接を受けていた。
「こんなに早くビールを飲んでいて、珍しいじゃん」
鮑さんは、わたしよりも10歳ぐらい若い。まだこどもは小学生だ。
「おかげさまで、新しい仕事が見つかりました」
わたしは、リュックを店のコーナーに置きながら、その言葉を浴び、中腰から顔を反転させて、喜んだ。
「やったぁ、よかったねー」
「えー、なんとか」
まだ小学生のこどもがいて、無職状態は本人も家族も不安と心配でいっぱいだっただろう。仕事を探している期間は、あまり積極的には関所に寄ることも少なかった。その鮑さんが、あしたからの生活に目途が立ち、ホッとしたのだ。
わたしは、大きな冷蔵庫から、瓶ビールを取り出す。340円を若女将に渡す。
「あら、珍しい。いきなりビール」
「鮑さんのお祝いだよ」
まだ、発泡酒を飲んでいたが、わたしはプラスティックのコップを受け取り、鮑さんの分を注ぐ。わたしがいつも使っているガラスのコップにも注ぐ。
「何だか、申し訳ありません」
恐縮しながら、鮑さんはわたしからプラスティックのコップを受け取った。
「じゃ、再就職、おめでとう」
プラスティックとガラスなので、チーンという音はしないが、乾杯をした。
「それで、今度はどんな仕事なの」
立ち入ったこととは思ったが、あえて触れないというのも不自然だろう。
6530.1/29/2011
坂の下の関所・13章
...story 234
土曜日に関所で泥橋さんと話していた。そこに関内で飲んできた父が合流した。
日曜日は、日帰り温泉でくつろいだ。年齢が50歳に近づいてきた。日々の疲れがどんどんたまるようになった。首周り、腰、背中。無理はしないようにしているつもりでも、かたまった筋肉がほぐれるのには時間がかかる。一週間に一度の日帰り温泉は、わたしのからだをリセットするために必要だ。
週明けの月曜日。仕事の帰り。
「ただいまぁ」
「はい、おかえりー」
若女将をはじめとして、相田さん、赤坂さん、烏さん、永田さんなどいつものメンバーが迎えてくれる。
わたしは、いつもの焼酎コーナーに荷物を置く。日本酒が冷やしてあるクーラーボックスを開ける。透明なせんべいのビニール袋。割れたせんべいばかりを集めたアウトレットせんべい。250円でお得なのだ。それもキープしている。
なに、これ。
われせんは、胡麻せんべい、しょう油せんべい、薄味せんべいの三種類が定番だ。それらが適度な割合でビニール袋に入っている。そのなかに、なぜか一枚の千円札が眠っているではないか。
どういうこと。
「わたしも、いままでいろいろなキープを見てきたけど、さすがに千円札のキープっていうのは初めてよ」
不可解な表情を浮かべているわたしに気づいた若女将が突っ込む。
「うーん、記憶がないなぁ。せんべいを冷やしておくと千円札になるっていうマジックかな」
「そんなもん、あるわけないでしょ。本当に覚えてないの。ほら、土曜日のことよ」
土曜日は、えーと。思い出すけど、キープしているせんべいの袋に千円札を入れた記憶はない。しかし、酔っているときの記憶には、まったく自信がないので、そこに何かがあったのだとは推測できる。
「あのとき、お父さんが煮込みのお代だってお金を置いてってくれたのよ。それをパパが受け取れないからって、そこに返しておいたわけ」
あー、思い出した。そうだそうだ、父は差し入れの煮込みを無料で受け取らずにお金を払っていったのだ。
わたしは袋のなかから千円札を取り出した。幸い、お札の表面にはしょう油はしみていない。どういうわけか、若女将の厚意が、父の善意に火をつけ、わたしの懐をあたたかくさせてくれた。こういう連鎖はいつでもウエルカムだ。