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過去のウエイ

6499.11/24/2010
Nさん、ありがとう ...3

それから何度か、焼き鳥屋でNさんに会う。
介助員さんとして働いてもらうには、最低限二種類の書類を藤沢市に提出する。
新規介助員登録と銀行口座振込み依頼書だ。
「ねぇ、いつになったらセンセーはあの書類を持ってきてくれるのよ」
会うたびにつつかれた。忘れていたわけではないのだが、Nさんが本気だとは思わなかったのだ。飲んだ席での約束ほどいい加減なものはないことを、わたしはいやっていうほど知っている。しかし、どうやらNさんは本気だったようだ。
「この書類を、今度、彼が来たら、渡しておいてください」
「本当にNさんはやるつもりなのかしら」
焼き鳥屋のママも疑心暗鬼。やっぱりわたしの感覚は正しかったのだ。

一ヶ月ぐらい、いや二ヶ月ぐらい経っただろうか。
いつも立ち寄る酒屋の大将が封筒をくれた。
「これ、焼き鳥屋のママから」
「え、ラブレターかな」
「バカいえ、茶封筒のラブレターなんて聞いたことねぇや。ほら、なんかNさんに渡してあったんだって」
あーあーあーあー、あの書類ね。
それが、日曜日だった。
月曜日、Nさんの書類を持って出勤した。放課後にでも時間を見つけて、体裁を整えて、教育委員会へ郵送しようと思った。その矢先、同僚が相談に来た。
「昨夜、Tさんから電話。親戚でご不幸があってきょうは休むって。シフト交換をよろしく」
Tさんは、かれこれ10年以上も同じ学校で介助員をやってくれているベテランだ。
きのう知っていたなら、きのうのうちに俺に電話してくれればよかったのに。同僚への不満を喉でぐっとこらえ、シフト表を広げる。 シフト表とは、その日、1校時毎の教員・介助員・ボランティアとこどもとの関係を示す表だ。特別支援学級では、授業時間帯だけでなく、給食や掃除の時間帯もシフトを組まなければならない。
わたしは、月曜日のシフト表を広げ、Tさんにお願いしているこどもをほかのスタッフへ預ける代替プランを練り始めた。同時に、頭の中で「そうだ、Nさんに頼んでみよう」と閃いた。瞬間的にNさんがいない場合といる場合の二種類のシフト表を作った。
そして午前8時少し前に、Nさんのご自宅に電話を入れた。午前8時。学校ではすっかり一日が始まっている時間だが、一般家庭ではどうだろうか。Nさんのように夜の仕事が多い方は、まだまだ寝ている時間だろうか。

6498.11/21/2010
Nさん、ありがとう ...2

焼き鳥屋のカウンターで就職活動に励むNさん。わたしは、仕事を斡旋するブローカーだ。
「よだれとか、汗とか、鼻水とか、つくよ」
一瞬、間のあくNさん。ゴクンとウイスキーを喉に流し込む。
「少し具体的に教えてよ」
「介助員っていってね、俺たちのような学校現場で、教員を補佐する仕事なんだ」
「カイジョイン。なんだか、いいねぇ。資格とか、いらないの」
「資格はいらない。やる気さえあれば」
「あるある、やる気満々だよ」
ときどき、うんこやおしっこの世話もしなきゃならないことは、教えなかった。

特別支援教育の現場では、こどもたちに対して、教員の絶対数が足りない。
法律で、8人に一人の教員という決まりになっている。この決まりがあるので、1人のこどもにかかりっきりになったら、残りの7人は放置される。ケガや事故が起こってもおかしくない。
そういうことが起こらないように、自治体では独自の対応策を実施している。
神奈川では、8人に一人という教員の決まりをもとに、5人を越えたら教員をもう一人追加配置できるような条例がある。この条例で雇う教員の給料は全額神奈川県が払う。法律に基づいて配置される教員の給料は国と神奈川県が折半だ。しかし、この条例は、いまの知事になってから骨抜きになっている。
「金がない」
大上段の理由。いつか大きな事故が特別支援教育の現場から発生するのではないかと危惧する。
藤沢市では、学校ごとに予算を決めて、教員の仕事を補佐する介助員という制度がある。通常級のなかに特別支援学級がある学校やいわゆる養護学校では多くの介助員さんが働いている。介助員さんの給料は全額、藤沢市が負担している。時給900円だ。教員の仕事を補佐するといっても、仕事のなかみは教員とほぼ同じなので、900円という給料は安すぎる。どの介助員さんも、とてもボランティア精神や公共の福祉への熱い思いが強い方々ばかりである。

介助員さんにも日常の生活があるので、学校側の都合でばかり仕事をお願いするわけにはいかない。朝から夕方まで勤務してほしくても、家庭の仕事があったり、学業があったりして、数時間単位での細切れで現場に入ってもらうことが多いのだ。
だから、いつも介助員さんは大目にキープしておかないと、いざというときに「頼めるひとがいない」事態に直面する。
わたしは、今年度、特別支援学級で介助員さんを依頼し、藤沢市に登録し、勤務形態を差配し、勤務実績を報告する仕事を担当している。だから、Nさんに紹介したのだ。

6497.11/20/2010
Nさん、ありがとう ...1

わたしがNさんと近所の焼き鳥屋で会ってからどれぐらいの時間が経っているだろう。
「センセーは、本当にセンセーをやってんの?」
初対面のときから、言葉に遠慮というものが足りなかったNさん。
タバコをプカプカ、酒をグビグビ、あまり食べ物は口に運ばない。
焼き鳥屋の薄暗い照明のなかなので顔色がよくわからない。でも、肌がツルツル・ツヤツヤという感じではなかった。
Nさんは、舞台やドラマのプロデューサーやイベントの企画を手がけている。
どこかの会社に所属しないで、フリーで仕事を得ている。
「俺みたいに、公務員でずっとやってきたモンには、そういう不安定な生活は想像できないよ」
打ち合わせのために遠くまで行き、3時間ぐらい相手の話に耳を傾け、その挙句に「やっぱりこの企画はやめましょう」というのはザラだというのだ。
プロデューサーやイベントの企画という仕事が、どれぐらいの稼ぎになるのかは、わたしにはさっぱりわからない。銀行振り込みなのか、現金支給なのかもわからない。まさか、小切手ではないだろう。
「想像しているよりも、ひどい世界だよ。売れなくなったら、ハイさよならだからね」
少し背中を丸めながら、焼き鳥屋のカウンターでウイスキーグラスを片手につぶやくNさんは、ちょっと絵になっている。業界人の悲哀ってやつ。 「いま、こういう舞台をやっているんだけど、センセーの地元でもやってくんないかなぁ」
プロデューサーは、どこでも仕事をする。
「これって、あのメグミさんですか」
舞台のタイトルは「めぐみへの手紙」。北朝鮮に拉致された横田めぐみさんを主人公にした舞台だった。東京公演を皮切りに全国での開催を目指していた。
少しでも力になれたらと、藤沢で知り合いに紹介したが、残念ながら実現へはこぎつけなかった。Nさんは、よのなかを見つめるときに大事な物語を扱っているんだと気づかされた。
「ねぇ、センセー、俺に仕事を紹介してよ」
「そんなこと言っても、舞台とか、撮影とかって、お金がかかるしー」
「だれも、そういう業界の話をしているんじゃないよ。センセーがらみでもいいからさぁ」
「だったら、マジ、あるっすよ」
「なになに、それ」
「でも、絶対にNさんは向いてないよ思う」
「そんなことないよ。金になるなら、どんなこともやりますよ」
「金になるっつったって、時給900円だもん」
「いいよいいよ、やるやる」

6496.11/16/2010
迷惑なエイペック ...3

11月14日。なんと鎌倉にエイペック関係者が訪れた。
13日は各国の代表者の夫人たちが建長寺と高徳院(大仏)を訪ねたそうだ。鎌倉市内は厳重な車両規制が行われた。わたしは、そんなやばい町にいるのがいやで、茅ケ崎にのんびりくつろぎに出かけていた。
そして、14日。かつてから陶芸教室を予定していた。
わたしの師匠は、葉山町に窯を構えている。数ヶ月に一度ずつ、ろくろ引きの陶芸を伝授していただいている。師匠は、年度始めに体調を崩し、ことしはあまり無理をしないように陶器を製作している。だから、素人相手の教室で迷惑をかけないように、体調の回復をずっと待っていたのだ。今回、ようやく「教えることができる」ようになったというので、泥にまみれに行こうと思っていたのだ。
それなのに、アメリカ大統領が
「わしゃ、もう一度、鎌倉で抹茶アイスをタベテェなぁ」
とでも言ったみたいで、鎌倉訪問になったそうだ。

ちなみに、多くのひとが知っていると思うが、鎌倉ではお茶はとれない。当然、抹茶も産地ではない。また、抹茶アイスが、鎌倉オリジナルのスイーツというのは聞いたことがない。
きっと、滞在先の横浜にも抹茶アイスはあるはずだ。わざわざ、アイス一つで観光地を厳戒態勢に変身させる必要はないだろう。
わたしは、鎌倉から逗子を抜けて葉山へ行かなければならなかった。それなのに、数日前から鎌倉市内のあちこちに車両規制の表示が目立つようになった。仕方なく、陶芸教室はキャンセルした。

14日、早朝。自宅を出て市内をジョギングした。
楽しみにしていた陶芸教室をキャンセルさせられた腹いせに「厳戒態勢」とやらを拝みに走った。市内の辻辻には、制服警察官が不審者を発見するべく目を吊り上げていた。背中には「大阪府警」とか「北海道警察」など、県外の警察表示が目立った。たしか、わたしの知識では警察は自治体管轄のはずだから、県外の警察官は神奈川県に来たら、たとえ制服を来ていても職務権限はないはずなのだが。その辺の事情はどうなっているのだろう。エイペックは、そういう法律面を超えるイベントなのか。
由比ヶ浜の海岸近くに、京浜急行バスの駐車場がある。バスの駐車場だから広い。その駐車場が、青と白の警察バスで占拠されていた。ナンバーも「下関」とか「なにわ」など県外のものばかりだ。みなさん、きのうはどこに宿泊したのだろう。鎌倉にはまともなホテルはあまりないはずなのに。海岸線にも警備のための警察官が大またで通行車両を睨んでいた。
高徳院は午前8時過ぎだというのに、わたしが確認しただけで3人も制服警察官が警備をしていた。いままで何度も早朝に散歩をしたが、高徳院だけがこんなに特別扱いを受けているのは初めてだ。大仏坂のトンネルを抜けて、常盤口へ向けて走る。なんと、鎌倉の入口にあたる八雲神社の交差点で検問が始まろうとしていた。明らかに、藤沢方面から鎌倉市内に入ろうとする車を鎌倉山方向に誘導しようとする作戦だ。

オバマさんは、こんなことを地元に強要してまで、抹茶アイスを食べたかったのだろうか。

6495.11/13/2010
迷惑なエイペック ...2

わたしは、政治的な立場でAPECの開催そのものにとくに意見はない。
それが、アジア太平洋地域のひとたちに平和と安定、雇用と自由をもたらす活動ならば「よいにこしたことはない」と単純に考えている。しかし、草の根で深い市民活動をしているひとからすれば「何を暢気なことを言っているんだ」と叱られるかもしれないが。

そういう本質的なことではなく、わたしにはエイペックが迷惑この上ないのだ。
週末に横浜に買い物に行くことが多い。
みなとみらい地区は、今回エイペックが開催されている国際会議場を抱える。神奈川県や横浜市にとっては、世紀のビッグイベントなのだろう。
9月頃から異変に気づいた。埋め立てた後にちっとも買い手の決まらない空き地に突然プレハブが何棟も建設された。やがて、そこには警察の護送車が全国各地のナンバーをぶら下げて常駐するようになった。
10月に入ってからは、こういう車両が警察にはあったのかと思うほど、ものものしい重厚な装備車両がランドマークタワーや赤レンガ倉庫周辺を、警戒運転し始めた。ウォーターフロントに、ちっとも似合わない光景だ。

11月に入ってからは、週末の横浜ショッピングを控えている。
自分が悪いことをしているわけではないのに、あの警察の威力は「会議が終わるまで一般人は近寄るな」と無言で宣言している。
加盟国から参加する多くの要人の警護。安全な会議の進行。無事に終了すること。警備を一手に引き受ける警察当局としては、メンツをかけたイベントなのだろう。
しかし、しろうとは「全国からこんなに集まって、それぞれの地元は手薄ではないのかな」と心配する。

わたしは、通勤に大船駅から東海道線を使っている。
風邪を引いたのでポケットティッシュで洟をかむ。そのポケットティッシュを駅のゴミ箱に捨てようとした。あれれ、黄色いシールがゴミ受けの穴に貼ってある。
「エイペック開催中はゴミの収集を中止します」
どういうことよ。ゴミを捨てるなってことかい。
ゴミ箱に爆弾などの不審物が混入しないように配慮しているのか。それにしたら、あのシールにかかった費用はいくらだ。
駅のコインロッカーも、まったく使えないようになっていた。
ふと改札口を抜けて見上げる位置に、警戒中の警察官が目を光らせている。

14日にエイペックは終わってくれる。
とっても迷惑なので、もう横浜では、いや神奈川県内では開催してほしくない。

6494.11/11/2010
迷惑なエイペック ...1

11月7日から14日まで横浜でエイペックの会合が開かれている。
エイペックは、APECの読み方。
正確には「Asia-Pacific Economic Cooperatin」の略語だ。日本語にすると「アジア太平洋経済協力」のこと。

2010年APEC公式ホームページより
「APEC(Asia Pacific Economic Cooperationアジア太平洋経済協力)はアジア太平洋地域の21の国と地域が参加する経済協力の枠組みです。経済規模で世界全体のGDPの約5割,世界全体の貿易量及び世界人口の約4割を占める当該地域の持続可能な成長と繁栄に向けて,貿易・投資の自由化,ビジネスの円滑化,人間の安全保障,経済・技術協力等の活動を行っています」

2010年APEC公式ホームページより「設立の経緯」
「1980年代後半,外資導入政策等によるアジア域内の経済成長,欧州,北米における市場統合が進む中,アジア太平洋地域に,経済の相互依存関係を基礎とする新たな連携・協力の必要性が高まりました。1989年,日本からの働きかけもあり,ホーク・オーストラリア首相(当時)はアジア太平洋地域の持続的な経済発展及び地域協力のための会合の創設を提唱しました。これを受けた形で米国,ASEAN等においても次第にアジア太平洋経済協力構想の実現に向けた機運が高まり,同年第1回APEC閣僚会議がオーストラリア(キャンベラ)で開催されました」

2010年APEC公式ホームページより「特色」
「APECの活動は,「協調的自主的な行動」と「開かれた地域協力」を大きな特色としています。「協調的自主的な行動」とは,APECがメンバーを法的に拘束しない,緩やかな政府間の協力の枠組みであり,各メンバーの自発的な行動により取組を推進することを示しています。このため,他のフォーラムに比べてAPECではより先進的な取組を行うことが可能となっています。そして,APECの活動を通じて得られたより自由で開かれた貿易・投資といった成果を,域内に止まらず,域外の国・地域とも共有するというのが,「開かれた地域協力」です」

しかし、APECの開催については「いらない!APEC反対の会」「京都財務相会合対抗行動実行委員会」など反対しているひとたちもいる。

6493.11/9/2010
11月7日(日)曇り ...2

円覚寺、建長寺を抜けて、巨福呂(こぶくろ)坂切通しの頂点へ向けて登り勾配。
止まりそうになりながら、歩みを進める。涼しい朝なのにおでこから、つつーっと汗がまぶたに入ってしみた。坂の頂点で、ギアチェンジ。
走るのをやめて、ゆっくりと歩き出す。
下り勾配は、走ると膝に負担がかかる。だから、下りは重力に身を任せてゆっくりと歩く。歩きながら、手ぬぐいで顔や首筋の汗をぬぐった。

坂を折りきると左側に鶴岡八幡宮。散歩のときは境内に入り、拝殿で拍手を打つが、きょうはしない。道路が平坦になった。ふたたび走り始めた。最初に家を出発したときよりも、足が軽くなっている。そのまま小町通りへ。
休みの日の小町通りは、観光客が大勢訪れて、前のひとの背中を見ながら歩く。しかし、午前8時の小町通りは、開店の準備を進めるお店のひとしか気配がない。
「小町通りって、こんなに短かったっけ」
拍子抜けするほど、あっけなく走り抜けた。そのまま下馬交差点を渡り、由比ヶ浜へ。海岸近くにある公園で水分を補給した。

秋の由比ヶ浜はサーフィンとウインドサーフィンを楽しむひとしかいない。
海岸に海の家のような売店はない。閑散としている。
鎌倉の海は、一年のほとんどを、こうして閑散としているのだ。夏の賑わいは、お祭り。
由比ヶ浜交差点を右折して、長谷へ向かう。左手に、ザブーンという波が打ち寄せる音を聞きながらのランニングは、とても贅沢な気分だ。

長谷から極楽寺への細い道を登る。あじさいで有名な成就院は、いまは静かに緑が深い。鎌倉の紅葉はまだまだ先のようだ。
極楽寺の坂の上から、見慣れたインド人が犬の散歩でこちらに向かってくる。
「おーい」
わたしは手を振る。
「おー、すばらしー」
彼が気づく。
「9時になったらトラマメができるから、うちに寄って行ってよ」
「汗をかいているし、このまま山崎に戻るよ。じゃぁね」
すれ違う。わずかな時間を共有した。
散歩のとき、地元をてくてく歩いても、知人に会うことはめったになかった。ランニングでも同じだろう。だから、点と点の出会いは運命のいたずらだ。お互いに、ちょっとほかのことをやったり、ちょっと何かを省いたりしていたら、会えない。

6492.11/8/2010
11月7日(日)曇り ...1

ジャージを着て、7時半に自宅を出発。鎌倉を走ろうと思った。
これまでは、ダイエットのために、鎌倉を歩いていた。歩いていると、同じように散歩をしているひとにたくさん会う。また、自転車に乗っているひとやランニングをしているひとにもたくさん会った。多くのひとが、自分の健康を考えていることを痛感した。

歩いていると、後ろから息遣いと足音が近づいてきて、脇を通り過ぎて、あっという間に前方に消えていくランナー。
「そんなに急いだら、せっかくの景色を堪能できないのに」
歩き始めたころは、そんなことを考えていた。
しかし、歩くことに慣れると、いつの間にか、わたしも同じ距離なら、より短時間で歩こうとしていた。意識をしたわけではないが、からだが散歩に慣れると、当然だが少しだけ歩く速度が上がるのだろう。
そのうちに、わたしを軽快に追い越していくランナーを見ながら、ムクムクとやる気が湧いてきた。
「いつか、俺も走ってみようかな」

汗びっしょりの夏は避けて、涼しくなったらやってみようと決めていた。
そして11月7日である。
前夜に家族の誕生会をして、しこたまビールと日本酒を飲んでいた。喉がからからになって、起きた。こんな状態で走るのは心臓に危険かも。
風呂を沸かして、ゆっくりお湯に浸かり、飯を食べた。早く起きたのでそれでも時計はまだ午前5時。仕方がないので、ロッキングチェアで寝る。
熟睡した。ふたたび起きたとき時計は午前7時半になっていた。
前の週から、ずっと喉が痛かった。この日は、酒で喉がからからに加えて、痛みもひどく、タンを何度も切りながら、うがいをした。
「ま、免疫力を高めれば、喉の痛みも消えるだろう」
軽いノリで、わたしは長袖とジャージというスタイルで走り始めた。

もしかしたら、早歩きのひとに追い越されるかもと思うほどのスローペースで走る。膝に負担をかけたくないからだ。疲れたら歩こうと決めていた。
午前8時の北鎌倉。鎌倉街道には、県外のナンバーカーが続々と走行している。七五三の季節なので、関係者かもしれない。排気ガスを吸わないように、権兵衛踏切を渡り、線路の側道を走る。いつも歩いていた道なので、時計を見ると、歩いていたときの半分の時間で北鎌倉駅に到達していることがわかった。かなりのんびり走ったつもりでも、歩いているときの倍のスピードだった。

6491.11/7/2010
トクガクの窓から ..door9

 Dは、5年生の男子です。
 実母と継父に身体的虐待を受け、児童養護施設に幼いときから預けられて生活しています。
 いわゆる「発達障害」はほとんど見られません。しかし、こころの傷が大きく、集団への適応を苦手にしています。暴力的な家庭環境が記憶にあるので、態度や発言も暴力的で破壊的です。養護施設の方々の献身的な支援のおかげで、4年生から5年生にかけて気持ちの余裕が生じてきました。
 とはいっても、まだ11歳のこどもです。
 気持ちが不安定になることも少なくありません。

 とても学校だけで育てられるこどもではないので、Dは入学したときから、専門機関と連携した支援をしてきました。
 専門機関とは、学校、施設、児童相談所です。だいたい3ヶ月に一度ぐらいずつ関係者が集まり、現在の課題と今後の対応を検討します。次の集まりで、前回からの対応の問題点を洗い出し、その後の対応を検討します。児童相談所は、おもに親や家族との対応を行っています。
 その集まりを「ケース会」と呼びます。
 アメリカでは、ケース会を招集するスクールソーシャルワーカーという職業が定着しています。日本では、法律でスクールソーシャルワーカーの必要性がうたわれましたが、実際に学校に配属されたという話は聞きません。
 学校だけで指導しきれないこども。
 いまも、これからも、どんどん増加していくことでしょう。家庭の協力が得られないケースが増えているからです。教師は、指導に限界を感じ、こどもの問題を抱えたまま悩みます。しかし、悩んでばかりでは問題は解決しません。
 教育と福祉の垣根を越えて、こどもの生活や自立にかかわるひとたちの連携は、今後はとても重要度を増すでしょう。
 特学では、以前からシステムとして「ケース会」が存在します。だから、こどもの状態に応じて、定期的・臨時的にケース会を開催します。多くは、学校から連携機関に声かけをして行われます。しかし、通常級の担任は、ケース会のやり方も、連携機関への連絡方法も知りません。だから、こどもの指導に悩みを抱えても、具体的な解決方法へとつながらないのです。

 Dのケース会には、学校から特学教員・校長・教頭、施設から担当保育士・カウンセラー・施設長、児童相談所から社会福祉司・臨床心理司が参加します。ひとりのこどもについて、これだけの専門家が集まり、学習と生活についての検討を行うのです。
 考えてみれば、Dはとても多くのひとたちによって支えられているのです。

6490.11/6/2010
トクガクの窓から ..door8

 たくさんの野菜や食べ物のイラストが一枚ずつ描かれたカードがあります。そのなかから、20枚を選び、ケースに入れます。ケースのなかには、20個のマスが書かれた用紙が数枚入っています。
 Cは、個別指導の時間になると、そこから用紙を出し、鉛筆を用意します。
 20枚のカードを重ねて机上に置きます。
 一番上のカードに描かれている絵を見て、名前を思い出します。思い出したら、それを文字にして用紙に書きます。カードの裏には答えが書いてありますが、20枚全部が終わるまでは答えは見ません。
 20枚全部の名前を用紙に書きます。今度は、カードを裏返して答え合わせを始めます。一文字ずつ赤鉛筆で○をつけます。間違っていたら、正しい文字を赤鉛筆で書きます。
 これを毎日繰り返します。だいたい15分ぐらいかかります。そのうち、少しずつ食べ物の名前と文字をCは覚えていきます。間違えが1つか2つになったら、カードを入れ替えます。そのときに、何度も間違えていたカードはそのまま残します。

 自分で問題を解いて、自分で答えをチェックする。
 この学習方法は、自分の間違えに気づく効果的な方法です。多くの教員は、こどもに問題だけを解かせて、正誤のチェックは教員がします。しかし、この方法では「あっているか、間違っているか」が基準になり、正しい答えは何かという大事な要素が抜け落ちがちなのです。
 もともとわたしはこどもの学力を定量化(点数などの数値で表す)する考え方には、疑問を抱いています。一つの漢字を覚えたことを10点とか5点という点数に置き換えると、覚えた漢字は何ですかと問われたときに、思い出せなくなるのです。方程式の問題を解いて100点だったとしても、一つ一つの問題を再現しようとすると忘れてしまうのです。
 学習では「何を学んだか」が重要なはずなのに、学んだ証を定量化するために、学んだなかみの影が薄くなるという矛盾が生じてしまいます。
 だから、特学ではほとんど点数による評価はしません。保護者には「いまどんなことを学習しているか」「その成果はどうか」という具体的なことを日々伝えるようにしています。

 Cを4月に担当したときに、会話のなかで違和感を覚えました。
 AとBとDは、すでに2年以上、わたしが担当しているので、学習以上に「返事の指導」を繰り返してきました。何かを言われたら「はい」と返事をするという学習です。ところが、Cはわたしが注意や指示を与えても、返事をしなかったり、あいまいに「うん」と応じたりするばかりでした。
 そこで、机に画用紙に赤ペンで「はい」と大きく書いて貼りました。返事がおかしいときは、その紙を指差して思い出させました。これも前年までの担当者が指導してこなかった結果です。