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過去のウエイ

6489.11/3/2010
トクガクの窓から ..door7

 4年生から担当したCは男子です。
 去年までは別の教員が担当していました。
 Cは、発語に困難さがあります。入学したときは、本人はたくさん話していても、周囲がほとんど理解できないほどでした。
 発語の問題は、原因や症状がたくさんに分類されます。
 Cの場合は、おそらくあごの発育と言葉の認識力に原因があるのではないかと想像します。というのは、保護者が専門機関で受診しても、専門医でさえ、言語の不明瞭さの原因が特定できていないからです。
 幼児の頃にやや摂食で偏りがあり、やわらかいものを中心とした食生活を送りました。いまでも、かたいものや野菜類は口にしようとしません。その結果、あごの骨や筋肉が十分に発育していないのではないかと想像しています。

 症状としては、音に置換が見られます。
 本来の音と異なる音で発音するのです。
 たとえばハ行とア行の置換です。本来「はい」というべきところを「アイ」と言います。また「あめ」というべきところを「ハメ」と言います。
 また、子音の母音化もあります。
 幼児に見られる現象です。音の認識が低いので、子音で発音すべきところを母音で補ってしまう現象です。
 たとえば「きんぎょ」が「インギョ」。「にんじん」が「インイン」のように。
 加えて、誤学習があります。
 野菜の「なす」を「ハツ」を言って「はつ」と書きます。茄子のことを「はつ」という名前の野菜だと学習しているのです。「だいこん」は「アイコ」。「ぶどう」は「ウドン」。「とんぼ」は「ドモモ」。
 これらは、3年生までに確認できたはずであり、それまでの指導に問題があったことを示します。誤った学習を修正するのは、学習が成立するよりも時間がかかります。

 発語の問題と、誤った認識の修正について、4月から重点的に教材を複数作成し、繰り返し指導しています。保護者には、専門機関で耳の検査と、言語療法士によるトレーニングを依頼しました。夏休みに診察してくれました。聴力に異状はなし。簡単な言語トレーニングをしてくれたようです。それだけでも、2学期からはかなり発音が明瞭になりました。そのため、音の置換はほとんどなくなり、誤学習の修正だけを重点的に扱っています。

6488.11/2/2010
トクガクの窓から ..door6

 昔から修行僧がお経を透かして写し取る「写経」という修行をします。
 写経は、文字を書く力(書字能力)を向上させるすばらしい方法です。昔のひとはちゃんと文字をきれいに書く方法を知っていたのですね。

 ノートの脇に手本を置いて、それを見ながら書くのは高度な能力が必要です。ましてや、黒板に書いてある文字をノートに写す作業は、かなり書字能力が高くないとできないことです。そういう能力がひとには、あるんだということを、親や教師が知っておかないと、文字を書くことを苦手にしているこどもは浮かばれません。
「また、マスをはみ出してる」
「どうして、真っ直ぐに書けないの」
「黒板に書いてあることを書くだけでいいのに」
 たくさんの否定的な言葉を投げかけられて、意気消沈してしまうでしょう。
 書字能力は、ひとそれぞれですが、自然に身につく能力ではありません。だれもが、なぞり学習や反復練習をしながら習得していく能力です。パソコンや携帯電話の普及で、これからは文字は「書く」のではなく、ボタンを「押す」時代へと移行するかもしれません。そうなると、鉛筆やペンはいらなくなるでしょう。書字能力の習得にひとよりも長い時間がかかって困っていたひとたちは、救われるかもしれません。
 しかし、とりあえず2010年の現在は、まだペンも鉛筆も現役バリバリです。

 わたしは、2年生でBに出会ったとき、国語のノートに一年間、赤いペンで短い文章を書きました。
「きょうから、にねんせいに なりました」
「きゅうしょくは、だいすきな あげぱんでした」
「もうすぐ えんそくで たのしみです」
 Bの学習は、その赤いペンで書かれた文字を一つずつ、はみ出さないように気をつけながらなぞることです。もしも、はみ出したら、消しゴムで消してやり直します。
 これを一年間続け、3年生になってからは、赤いペンで文字を書くときに、実線ではなく「点線」にしました。点と点の間の空白を自分で埋めていくのです。3年生の後半では、文字の書き始めに●を打ち、文字の書き終わりに■を書き、そのなかの空白を自分で書かせました。
 約二年間をかけ、Bの文字に関する空間認識はとても向上しました。4年生のいまは、画数の多い漢字を書くときだけ、マスに赤ペンで区切りの線を引くだけで、何とかバランスのいい文字が書けています。
 毎日、毎日、同じことを繰り返すので、こどもの成長は「わずか」です。しかし、毎日、続けないと一年後にわずかな成長が積み重なった成果へはつながりません。
 特学の指導は、次から次へと新しいことを指導する通常級のやり方と違って、同じように見えることを少しずつ進化させながら、意図的に繰り返す学習が中心です。

6487.11/1/2010
トクガクの窓から ..door5

 Bは4年生の男子です。2年生から担当しています。ことしで3年目です。
 学習の成立が、同年齢のこどもたちにくらべてゆっくりなこどもです。
 そのかわり、ゆっくり時間をかければ、多くの学習が成立する力をもっています。もしも、通常級に在籍していたら、ほとんどの授業内容が理解できないままに終わってしまうでしょう。テストでも低い得点になるかもしれません。そういう結果に対して、自分を卑下したり、学習意欲をなくしたりすることが予想されます。

 10年ぐらい前までは、Bのようなこどもが特学の主流でした。
 いわゆる「知的障害」という行政的なくくりに所属します。
 しかし、わたしは知的障害というのは、本当に「障害」なのだろうかと疑問に思っています。学習の理解にかかる時間が、同年齢のこどもにくらべて長いだけです。当然ですが、きっとあまり多くの内容を理解することは難しいでしょう。
 ただし、学校で教わるほとんどのことは、大きくなったときに「あまり役に立たない」内容です。「とても役に立つ」内容は、だいたい小学校3年生ぐらいまでの学習内容で網羅されているからです。

 そう考えると、Bは学齢は4年生ですが、おそらく6年生までに3年生までの学習内容は習得すると想像できます。それだけの力は持っています。
 こういうタイプのこどもは、通常級で同年齢のこどもたちと同じように生活をしてはいけないのでしょうか。学習の方法や内容に「違い」を認めてくれれば、十分に特学のように隔離された環境ではなく、通常級のなかで友人関係を育み、ダイナミックな遊びを楽しむことが可能なのにと残念に感じます。
 運動能力は生活年齢(実際の年齢)以上のものを持っているので、ドッジボールや野球、サッカーなど、チームスポーツも楽しめます。ルールの理解に時間がかかるので、コーチや監督がゆっくり教えてあげれば問題はなくなります。
 
 Bは、やや書字に関して、落ち込みが見られます。
 これは、空間認識の問題と言います。日本語の文字は、とてもバランス感覚が必要な文字です。あるマス目のなかに文字を書き上げるには、マスという空間を認識して、左上に小さくとか、右側に大きくとか考えながら書かないと、マスをはみ出してしまいます。とくに画数の多い漢字を書くときは、一画目をマスのどこに書くかで、書き終えた文字の位置が決まるほどです。
 Bには、そういう空間認識が育っていませんでした。だから、文字の大きさが統一されていなかったり、マスを上下左右にはみ出してどんどん拡大したりしていました。
「あー、またはみ出しちゃったぁ」
 口惜しそうに、消しゴムで文字を消していた姿が、最初の出会いでした。

6486.10/30/2010
トクガクの窓から ..door4

 たとえばひとは経験から色の名前を覚えます。折り紙や信号機などを見て、よのなかには色があふれていることを知ります。そばにいるひとがその色に「赤」「青」などの名前を話します。それを聞いて、色には個々に異なる名前があることも知っていきます。
 これらは、大脳のはたらきです。
 経験を統合して、知識としてたくわえ、ものの色とその名前をセットで記憶していく仕組みです。セットにすることをマッチング(一致)と言います。
 
 Aは、色のマッチングが苦手でした。
 赤と黄色のカードを用意します。
「赤」
 わたしが言った色のカードを選ぶ学習を入学当初にしました。しかし、Aは、口では「あーか」と言いながらも、その日の気分で黄色いカードを選んだり、赤のカードを選んだりしました。やがて、わたしの表情を読んで、正解を得ようとしました。
 つまり、アカという音と赤い色が一致できないのです。
 色認識は、わたしたちの日常生活でとても役立っています。
「青信号では、道路を渡りましょう。赤信号では、道路を渡ってはいけません」
「運動会の色は緑色です」
 もしも、色認識がなかったら、このような説明をしても、まったく話のなかみは伝わりません。
 経験を統合する方法ではなく、日々の学習という意図的なはならきかけで、習得させなければいけません。
 わたしは、「アカ」と言ったのに、Aが黄色いカードを選んだときは、「これは黄色。こっちが赤」と正解を教えます。そして、もう一度同じ問いかけをします。決して、間違えたことを責めたり、怒ったりしてはいけません。学習を成立させている信頼関係や意欲を低下させてしまうからです。かといって、「アカ」と言ったときに赤のカードを選んだときは、「これは赤ですね。では黄色いカードを選んでください」と淡々と次の問いかけをします。
「わぁ、すごーい。そうです、それが赤のカードです」
 このように大げさに褒めると、こどもは褒められたくて、正解を求めようとします。相手の喜ぶ表情を見たいとか、自分を褒める言葉を聞きたいとう動機で、学習に接します。これは、とても危険です。なぜかというと、こどもが相手との関係を優先して学習しようとしてしまうからです。
 わたしが、Aに色の名前を覚えてほしいのは、わたしとの関係を深めたいからではありません。Aの将来に、10個ぐらいの色を知っていたほうが生きやすくなるだろうと考えているからです。
 3年間かけて、現在は三色(赤・黄色・緑)の色マッチングの学習を行っています。

6485.10/26/2010
トクガクの窓から ..door3

 Aは、エンジェルマン症候群という遺伝性の障害があります。「知的」クラス所属です。
 遺伝性なので、同じ兄弟姉妹でも発生しないこともあります。Aの姉はノーマルです。遺伝性の障害は、染色体を調べることでわかります。同じように染色体異常の障害に、ダウン症があります。
 ただし、多くの夫婦は結婚前、あるいは家族計画を考えるときに、自分たちの染色体を調べるということはしません。

 エンジェルマン症候群のこどもは、世界中にいます。
 ある一定の割合で発生しています。
 わたしは、医師ではないので原因や共通する特徴を知る必要はありません。目の前のAの生きにくさを、少しでも緩和し、住みやすい生活へと導く力をつけさせることに集中します。
 Aは、とても親和性の強いこどもです。
 1年生のときから、こどものなかに進んで入っていくことが大好きでした。しかし、言葉が発せられないので、自分の気持ちを周囲のこどもに伝え切れません。笑ったり、一音の音(あー、うー)を出したりして、気持ちを伝えようとしますが、かなわぬ夢です。
 そのうち、「どうして、わかってくれないんだよ」とでも言いたいのか、腕を振り上げて、平手で相手をはたきます。かなり、勢いのある平手なので、まともにくらうと痛撃です。
 わたしも何度かいきなりおでこにくらい、目の前に銀色の小さな星がちらちらしたことがありました。
 何度も、言葉を教えようとしてきましたが、3年目になっても、まだはっきりとした単語になった言葉は発しません。それでも、言葉で気持ちを伝えようとする態度は育っています。
「ちっち」といえば(トイレに行きたいよ)。
「あちー」といえば(暑くなってきたね)か(寒くなってきたね)。ときどき(冷たいなぁ)でも使います。どうやら、温度に関係あることを言うときにまとめているみたいです。
「まんま」は(給食やご飯)、「まま」は(お母さん)を始めとする信頼できるひと。入学当初は、わたしも「まま」と呼ばれました。
「てんてぇー」は先生のこと。お母さんとわたしとを同じ単語で呼んでいたので、言葉の使い分けを一年間教えた結果、わたしを呼ぶときは「てんてぇー」と言うようになりました。
「ねんね」は眠いこと。幼児が使う言葉ですね。
「ぱぁ」はパズル。休み時間の遊び道具として、教えました。
「まぁ」は、大好きな特学のこどもの名前です。名前の最初が「マ音」なので、「まぁ」と呼んでいるのでしょう。

 このほかにも、特徴的な言語があります。
 入学当初、言葉らしいものを喋らなかったことを思うと、成長ぶりに驚くばかりです。もちろん、毎日、言葉を発生させていく地道な学習があったことは言うまでもありません。

6484.10/24/2010
トクガクの窓から ..door2

 トクガクは、公立小学校と公立中学校にあります。
 神奈川県では、こども8人に対して、教員が1人配置されます。
 これまでは、こどもが5人以上になったら、さらに加配教員(全額神奈川県の予算で雇う教員)を配置していました。しかし、この制度は残念ながら、財政逼迫(仕分け!仕分け!)のあおりをくって、縮小傾向にあります。
 医療・教育・福祉を真っ先にぶった切る政治は、長続きしません。

 わたしはいま4人のこどもの担当です。
 クラスには18人のこどもが在籍しています。種類は「知的」クラスと「情緒・自閉症」クラスです。藤沢市内には、このほかに「弱視」クラスのある特学もあります。しかし、ほとんどの特学は、「知的」クラスと「情緒・自閉症」クラスの2種類でしょう。
 18人のこどもに対して、3人の正規教員と1人の臨時任用教員と1人の非常勤教員の5人の教員で指導や支援を行っています。非常勤の方は、週に20時間の勤務なので、午後になると帰ります。だから、実質的には4人の教員がフル稼働で動いています。

 自分が担当しているこども。
 年間の指導計画を立案し、教員間で検討し、実行します。
 保護者との窓口になり、家庭訪問や個人面談のときには直接の対応をします。保護者も、困ったことや質問があるときは、担当に連絡をしてきます。
 また、特学では毎日、連絡帳にこどもの様子を書きます。それを書くのも担当の仕事です。あまりにも連絡帳にこどもの様子を書くことに夢中になりすぎて、目の前のこどもから目を離すことのないように気をつけなければいけません。連絡帳を書く時間が特設されているわけではないので、それぞれ時間を見つけています。

 わたしが担当している4人のこども。ABCD。Aは3年生で女子。BとCは4年生で男子。Dは5年生で男子。Aは入学から担当しているので、ことしで3年目です。Bは2年生から担当しているので、やはりことしで3年目です。Cは、ことしから担当しました。Dは、4年生から担当しているので、ことしで2年目です。
 年度末になると、翌年の担当を決めます。教員間で話し合って、組み合わせを決めます。こどもどうしの関係性や、能力差、保護者と教員との関係など、総合的に判断します。複数年担当するのは、できるだけ避けるべきですが、総合的な判断のもと、やむを得ず3年以上担当することもあります。
 Aは、入学から担当している女子です。3年生になりました。ずっといっしょに勉強したり、遊んだりしてきたので、成長ぶりがとても具体的にわかるこどもです。

6483.10/20/2010
トクガクの窓から ..door1

 トクガクとは、特学と書きます。
 特別支援学級の省略語です。
 数年前の法律改正前までは、神奈川県では、特別「指導」学級と呼んでいました。だから、省略語も同じトクガクです。
 ちなみに、この法律改正によって、それまで養護学校と呼んでいたものを、特別支援学校と呼ぶようになりました。これは、省略してトクガクとは言いません。
 ややこしい。

 ひとは、生まれる前は子宮にいます。
 母体から栄養を受け取り、排泄物を母体に戻します。この段階で何らかのトラブルがあり、脳に影響を受けると、出産後までその影響は持続します。
 また、出産時にへその緒が首に巻きついて脳に酸素がいかない状態を生じてしまうと、出産後に、低酸素脳症という症状が出ることがあります。
 さらに、生まれてからわずかなうちに高熱を発すると、未熟な脳は熱に耐えられずにダメージを受けることがあります。そのダメージは、その後も持続します。
 このように、ひとの脳は生まれる前から生まれた後も含めて、いつも危険と隣り合わせです。そして、何らかの損傷を受けると、肝臓と違い、回復することは困難です。
 そして、遺伝という要素も追加されます。通常の分娩で生まれても、言葉が遅かったり、歩行が遅かったりという事実に数年後に気づくケースです。これは、遺伝子のなかに、何らかの特徴があるとしか考えにくいものです。

 トクガクに通うこどもは、ほぼ全員、これらの特徴をもっています。
 衣服の着脱、トイレ、食事などの日常生活に支援を必要としています。支援を得ながら、少しずつ自分でできることを増やしていきます。
 近年、このような特徴のこどもに加えて、自閉的特徴のこどもも多く入級するようになりました。自閉的特徴のこどもはほぼ日常生活に必要な力はもっています。服のボタンを留めるのに支援が必要ということはありません。箸の上げ下ろしに手を添えるということもありません。
 自閉的特徴のあるこどもは、ひとがひとのなかで生きていくときに必要な「社会性」「関係性」「想像力」の習得に支援が必要です。
 どんな場面で「ありがとう」と言えばいいのか。
 ひとを傷つけたら「ごめんなさい」と謝らなければいけない。
 自分のルールでばかり物事を進めることはできない。
 目前の状況を整理する手がかりを習得する。
 こういった力をつけさせる指導と支援を繰り返します。

6482.10/19/2010
おるたネットというサイトで公開している日記より
..2010年8月20日

きょうの鎌倉は曇り空。
海岸にはほとんど海水浴客はいません。
夏が遠ざかっていくのを感じます。

どうやらここ数日引き潮になっているみたいで、海岸がどこまでも広く砂を露出させています。
まったいらな湿った砂の平面。
肩幅よりも大きく足を広げて沖を眺めます。

学校は、拘束の多い組織です。
時間の拘束、場所の拘束、ひとの拘束。
その拘束にいまも慣れないわたしは、長期の休みに「ひとりの自由」を求めます。

職務専念義務といういやーな服務規程があって
勤務地(つまり学校の敷地)を校長の許可なく離れることは禁止されています。道路を隔てた八百屋にきゅうりを買いに行くのも、厳密な校長なら「許可」を要求します。

1997年に湘南に新しい公立学校を創り出す会という市民活動体を立ち上げたとき、可能な限り、拘束の少ない組織にしたいと願いました。

日本国内にアメリカのチャータースクールを参考にした特別認可公立学校制度を作る。その制度に従って、自分たちの作りたい学校を開校する。

目的がはっきりした組織です。
いつか目的を達成したら解散することが夢でした。
しかし、どういわけか、組織というのは
それ自体がジンカクをもってしまうみたいです。

外部の方が「会の方向性は」とか「それは全体で共有しているんですか」と、組織としての答えを求めるようになります。
もともと、そこまで細かく詰めたら拘束が厳しくなってやりづらいから、目的に近づく手段をおのおのが計画し、実践あるのみ……というスタンスでした。だから、外部の方には、場面場面で異なる方向性を感じたのかもしれません。
目的が同じでも、手段が異なると、なんとなくジンカク部分が疑われるのです。

すると、手段に到るまで細かいミーティングが必要になります。個人の役割も分担します。
いま、振り返ると、このやり方は対外的にはわかりやすいのですが、活動の成長にはマイナスでした。
・ミーティングのためのミーティング
・言葉の端々をとらえた応酬
・発言力によって体制が傾いていく
・だれもが納得する着地点を求めるようになる
・ソシキ内の肩書きでヒエラルキーができる

いまの湘南に新しい公立学校を創り出す会はとても小さな活動体です。一時は200通近い会報を毎月発送していました。事務作業の連続です。
それが、いまでは15通程度。それも季刊。
イベントの企画よりも、考え方の熟成にゆったりとした時間をかけています。
それでも毎月繰り返してきた定例会は150回を越えました。

外部の方には
何も達成できなかったソシキに映るかもしれません。
内部のひとにも
いつも挫折ばかりのソシキだったなぁとため息ばかりかもしれません。

それでいいんです。
ソシキは、それを動かすひとが重要です。
いま13年以上の激戦を潜り抜けてきたつわものがまだ6人から7人もいて、つながりを持ち続けているからです。
このつわものがいる限り
ソシキを越えた自由な発想と活動が今後も続くと信じられるのです。

6481.10/16/2010
おるたネットというサイトで公開している日記より
..2010年8月19日

お盆を過ぎると湘南の海はめっきりひとが少なくなります。わたしはきょうも仕事を休み、ウォーキングです。暑さばかりが目立った夏ですが、海面にはこの時期特有のクラゲがプカプカ浮いていました。

あー、ちゃんと季節がわかってるんだなぁ

ちくりと刺されると腫れて痛いクラゲですが、暑さにもめげない姿は頼もしく感じました。

振り返ると、海岸沿いの国道。歩道や歩道のベンチ周辺にはものすごいゴミが散らかっていました。
いつも少しは気づいていましたが、けさの量はとても多かったです。
花火の芯、線香花火、ろうそく、マクドナルドのパッケージ付紙袋、セブンイレブンのレジ袋、カルビーのポテトチップの袋、数限りない種類のペットボトル、紙パック、食べ残しと思われるから揚げ……。
さすがにわたしは近くを探して大きめのレジ袋を3枚手にして「燃やすごみ」「プラゴミ」「缶・ペットボトル」に分別して集めました。

ご苦労様です。
すれ違うジョギングランナーが励まします。
大変ですね。
ワンコの散歩をしている方が同情します。

あなたも汚いと思いませんか。
喉まで出かかる言葉を飲み込んで、ゴミを集めました。

汚すひともどうかしている
汚れた町を放置するひともどうかしている

ペスタロッチさんが見ていたら怒るだろうなぁ。
この町には善がないのか、とね。

しばらく集めていたら、鎌倉市の清掃事業団のひとたちが来たのでゴミを引き継ぎました。彼らは退職後に登録したシルバー財団から派遣されているひとがほとんどです。年金の支払いがままならない社会では定年後も働くことが必要です。仕事に軽重や質の上下をつけるのは偏見ですが、汚れた海岸やトイレの清掃を、たとえ仕事だからとはいえ、彼らにまかせっきりのよのなかって、違う気がしました。

自分のゴミは持ち帰る。
町を汚したら、だれかが迷惑を受ける。
こんな簡単なことを
家庭も地域も学校も、だれも教えきれないのはなぜでしょうか。

若者ばかりが悪者ではありません。
歩いていると、車窓からポイっと火種のついたタバコを道路に捨てる中年のひとや、明らかに回収物が違う曜日にゴミを出す中年のひとが、男女を問わずにいるんですよ。

6480.10/13/2010
おるたネットというサイトで公開している日記より
..2010年8月16日

きょうも5時半に出発して鎌倉を歩いています。
思索の旅です。

「まったく!平日なのに! 」

お怒りはごもっとも。
わたしの夏季休暇5日間と有給休暇10日間を使って、8月4日からどかんとホリデーをとっているのです。
だから、これまで傍観していたMLやSNSに登場することができています。あー、このいのちももうすぐ終わります。

きょうは七里ガ浜を歩きました。
教員になって10年目の夏。ここの住宅街を訪れた記憶がよみがえりました。
アニキは当時同じ学校の先輩教員でした。
ややメタボ、タバコとお酒は人並み。血圧が高くて薬を携帯。30代後半でした。

まだ学校にパソコンのパの字もなかった頃(1995年前後)、アニキは自費でパソコンを買いそろえ、不足部品は自力で作り、教室に並べていました。いまでいう「情報教育」の先駆者です。当時は、フロッピーがAドライブのほかにBドライブも使えました。MOなんていうメディアもありましたね。
穏やかな性格のアニキは、すぐに沸点に達してあたりかまわず「お前ら、教員なんてやめちまえ!」と叫んでいた坊ちゃんのわたしを、よくかわいがってくれました。となりのトトロの「トトロ」みたいな風貌で、こどもたちに人気がありました。縁がなかったのか独身でした。

夏の暑い日。アニキのお母さんから電話がありました。

「うちの子(アニキ)が部屋で倒れています。 先生、すぐに来てください。」

「お母さん、わたしはもちろん行きますが、その前にこの電話を切ったらすぐに救急車を呼んでください。電話番号は119ですよ。」

病弱なお父さんを看護のお母さんとともに通院で送ったアニキ。帰りの時間になっても迎えに来ないのでお母さんが不思議に思ってお父さんをタクシーに乗せ、帰宅して異変に気づいたのです。その動揺ぶりは、わたしには察せないほどの大きなものだったでしょう。だから、救急車よりも先に何の役にも立たないわたしに電話をしてしまったのだと思います。

わたしが七里ガ浜のアニキの家に行ったとき、すでにお母さんとアニキは救急車で病院でした。咄嗟の判断でお父さんの自宅看護を引きつぎ、電話を借りて、管理職に情報を伝えました。
倒れていたというアニキの部屋。そこにはパソコン、デスクトップ、キーボード、プリンタ、マザーボード、たくさんの配線、ハンダ、ハンダゴテが無造作に置かれ、アニキが「何かをしていた」雰囲気だけが残されていました。夏休み明けにまた教室に自分で用意したパソコンを増やそうと思っていたのかもしれません。

アニキは脳の血管が破れ、そのまま意識不明になり、病院に着いてからすぐに心臓も停止。お母さんからかかってきた涙の電話は、いまも耳奥にこびりついています。

公立学校にはアニキのような教員もちょっとですがいます。みんながみんな、型にはまった官吏と勘違いされると、アニキの魂はお盆の空に戻っていかないかもしれません。
合掌。