6469.9/19/2010
虐待の根は深い
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2人のこどもが死んで腐っていた。それを見たのに、下村容疑者は放置した。
警察が遺体を発見する数時間前の29日夕、下村容疑者は約一カ月ぶりに部屋に戻った。その時の様子を、府警に「子どもの体は茶色に変色して腐っていた」と淡々と話しているという。
わずか15平方メートルのワンルーム。近くの美容院やカフェに勤める若者が多く住んでいるという。30日早朝、大阪府警西署員が室内に入った時、玄関やベランダは閉め切られ、熱気と異臭が鼻をついたという。現場と同じ3階住人のフリーターの男性(27)は「自分が仕事から帰る午前3時ごろから明け方まで、毎日のように子どもの泣き声が聞こえた。叫び声のようで尋常ではなかった」と証言した。ベランダには菓子の食べかすなどごみが散乱してハエがたかり、異臭を放っていた。虐待も頭をよぎったという男性は「最近、泣き声が止まっていた。死んでいるのかなとも思ったが、まさか本当とは……」と絶句した。
マンション住人のデザイナーの男性(26)は「数カ月前から生ごみが腐ったようなにおいがしていた。ベランダに出ると、強烈な刺激臭で驚いた」。約1カ月前までは「うー」という子どものうめき声が聞こえていたという。
別の住人の女性会社員(27)は「子どもを見たことはないが、今年の冬ぐらいから『痛い』とか『わー』とか泣き声がしていた」と最悪の結末に肩を落とした。
捜査本部への供述で、下村容疑者は「出て行ってから1週間ぐらい後には『子どもはもう死んでいる』と思った」と振り返っている。その間、知人宅などを転々としていたとみられ、「途中で帰って子どもを助けなければという気持ちにはならなかった」とも話しているという。
死亡した幼児2人の祖父母で、下村容疑者の元夫の祖父(49)らは「元気でいるよう祈っていた。また会えると信じていたのに……」と声を詰まらせた。
祖父母によると、下村容疑者と元夫は06年12月の結婚後、約半年間、祖父母宅で暮らした。その後、引っ越したが、下村容疑者は生まれたばかりの桜子ちゃんを週に何度も連れてきた。子育てに熱心で、祖母(47)から離乳食の作り方を学んだ。
離婚時、祖母は下村容疑者に「桜子と楓のことで何かあったら連絡して」と頼んだという。しかし、連絡はなかった。祖父母は「2人は寄り添うように死んでいたと聞いている。言葉も見つからない」と涙を流した。
この祖父母の年齢に注目する。若い。下村容疑者が結婚したとき、祖父は45歳、祖母は43歳。長女が生まれて文字通り祖父母になったのは、46歳と44歳のときだ。一般的には、まだ孫のいる年齢ではない。若すぎる祖父母に、母性を示していた下村容疑者。その仮面の下に、やがて2人のこどもを邪魔に感じていく暗い側面が潜んでいたのだろうか。それとも、結婚生活が続けば、このような悲劇は起こらなかったのだろうか。
6468.9/15/2010
虐待の根は深い
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事件F「こどもを捨てる」
7月30日。大阪府警は、風俗店従業員の下村早苗容疑者を死体遺棄容疑で逮捕した。母親は23歳だった。
今年6月下旬、同区南堀江1のマンションの自室に、自分の長女の羽木(はぎ)桜子さんと長男の羽木楓(かえで)さんの遺体を遺棄した、としている。司法解剖の結果、死因は不明で、死亡推定時期は6月ごろだった。死亡の数日前から何も食べていなかったとみられる。捜査本部によると、下村容疑者は6月下旬より前、2人を残して部屋を出た。同月下旬に帰宅すると、2人が死亡していたという。その後も友人宅などを転々とし、今月29日夕、再び部屋に戻ったが、腐敗した遺体を見てまた部屋を出た。
06年12月に結婚し、大阪市内で生活していたが、昨年5月に離婚。子どもは父親の籍に入れたまま引き取った。今年1月から大阪・ミナミの風俗店で働き始め、店の寮のワンルームマンションで子どもと生活していた。下村容疑者は「ご飯をあげたり、風呂に入れるのが嫌になった。子どもなんかいなければいいと思うようになった。置き去りにして、ご飯も水も与えなければ、小さな子どもが生きていけないのは分かっていた」と供述している。
管理会社には、異臭や泣き声の苦情が相次いでいた。29日、管理人が風俗店に連絡。店の男性従業員が110番通報して発覚した。大阪市こども相談センターには、マンション住民から虐待を疑う通報が3月30日から5月18日に計3回あった。計5回の訪問をしたが、呼び鈴を押しても反応がなく、不在票を置いて引き揚げた。子どもの安否確認や警察への連絡もしなかった。
1990年のバブル崩壊時、下村容疑者は3歳だった。
長女は3歳、長男は1歳だった。幼児が2人、ごみが散乱する部屋で、母親に捨てられ、餓死した。
これだけ児童虐待が増えると、この事件もそのなかの一つとして消えていくのだろう。しかし、わたしはこのケースの特異性は、ほかの虐待とやや異なる傾向を見出す。これまでの虐待は、親や同居人が周囲から見えない家庭という密室環境で行われていた。だから、発見が遅れたり、虐待が発見できなかったりした。
もしも、公園や路上で暴力やネグレクトをしていたら、多くのひとが気づく。虐待する人間は、ひとに気づかれたくないという意識があったのだろう。
しかし、下村容疑者は、家庭という密室環境にこどもを残して、自分が出て行ってしまった。残したこどもをだれかに預けることも、家のドアの鍵を開け放つこともしないで、自分だけ逃げてしまった。残してきたのは、親や兄弟姉妹ではない。自分が産んだこどもだ。それも1歳と3歳だ。赤ちゃんと幼児だ。わたしがほかの虐待と異なると感じる傾向は、まるで家出をするように消えているところだ。
母性がない。
ついに、母性がないまま母親になる世代が誕生してきたことが恐ろしいのだ。
母性が育たなかったのではない。こどもを身ごもり、子宮で育て、出産する。二度も同じ経験をしていながら、こどもの存在そのものが邪魔になったのだ。
「テレビゲーム世代は、主人公が死んでゲームオーバーになっても、またスイッチを入れれば生き返るから、ひとの命の尊厳を知らない」
かつて、そういう批判でテレビゲームが悪者扱いになった。
出産という経験をしていても、自分のこどもに「いのち」を感じることができなかったのだ。それは、つまり、自分自身にも「生きている」という実感がわかない生き方をしているのではなかったのか。
6467.9/12/2010
虐待の根は深い
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事件E「日常的に殴る蹴る」
7月26日。兵庫県警尼崎北署は、会社員の河野義竜容疑者とパート従業員の寿美枝容疑者を傷害容疑で逮捕した。父親は34歳。母親は31歳。
25日午後3時半ごろから翌26日午前0時40分ごろまでの間、義竜容疑者の財布から現金数万円がなくなっていることを問いただすため、長男竜也君の顔を殴るなどの暴行を加えたとしている。2人は竜也君が「ゲーム機を買った」と言ったため、「どこにあるのか」と問いただしたという。長男は9歳。意識不明の重体だ。
長女(6)を含む4人家族。
2人は調べに「顔を平手で殴り、体もけった」などと供述。同署は2人が代わる代わる竜也君に暴行を加えていたとみており、日常的な虐待がなかったかも追及する。2人はいったん離婚したが、現在は同居中で、内縁関係にある。竜也君の同級生によると、竜也君が食べ物を残したり、学校に忘れ物をして帰ってくると、寿美枝容疑者から大声でしかられていたという。竜也君から「お母さんから『妹の食べ残しを食べろ』と言われた」という話や、「お母さんにたたかれたので、金属バットで殴り返した」という話を聞いている。近所の話によると、昨年、指に包帯を巻いていた竜也君が「お母さんにたたかれて、(骨に)ひびが入った」と話していた。義竜容疑者が竜也君に「出て行け」と怒鳴る声も聞こえたという。
兵庫県西宮こども家庭センターなどによると、竜也君についての虐待の通報や情報は、事前に寄せられていなかった。
1990年のバブル崩壊時、父親は14歳、母親は11歳だった。
壊れていく核家族の典型という見方もできるが、近所のひとたちが虐待に気づいていたのに連携機関になぜつながらなかったのかわからない。それほどまでに地域性は失われているのだろうか。これだけ日常的な暴力が繰り返されていたのなら、学校や地域はもっと早い段階で通報することができたのではないか。それをさせない理由があるとしたら、この夫婦が地元でも有名な札付きか、クレーマーだったとしか思えない。
殴られたことが原因で意識不明ということは、長男には何らかの脳のダメージが考えられる。意識が回復したとしても、今後は後遺症や障害と向き合わなければいけないかもしれない。たとえ親といえども、こどもの一生をそこまで左右していいとは考えたくない。残された長女は、夏休み明け、いままでと同じ小学校に通うのだろうか。
6466.9/11/2010
虐待の根は深い
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事件D「木箱で窒息」
7月24日。神奈川県警港北署は、無職の渡辺幸子容疑者と同居している板金工の駒場宣武容疑者を監禁致死容疑で逮捕した。渡辺容疑者は21歳。駒場容疑者は37歳。
昨年12月18-19日の間、自宅にあった木製の箱(縦78センチ、幅37センチ、高さ55センチ)に渡辺容疑者の次女、優樹菜さんを入れてふたをし、酸素欠乏で窒息死させたとしている。次女は1歳だった。
両容疑者と優樹菜さん、渡辺容疑者の長女、駒場容疑者の母親の5人暮らし。
昨年6月に児童相談所職員が訪問。冷房の利いた部屋で、窒息死した優樹菜さんの姉(3)がおむつ一枚のままでおり、両手にはめられた手袋が粘着テープで巻き付けられるなどしていたためネグレクトと判断、定期訪問を始めた。ふたりのこどもに対して、常習性の虐待行為が認められる。
職員は、優樹菜さんが木箱に入れられる前日の同12月17日まで計9回訪問。12月4日の訪問時、優樹菜さんの額にあざなどがあったが、虐待とは判断しなかったという。17日には、渡辺容疑者が4月から保育所に2人を預けることを了承し、25日には区役所に申し込みに行く予定だった。相談所は「当時は今後の見通しが立ったと思い安心していた。事件に気付けず申し訳ない。今後は訪問の度に各部屋の様子を確認するなど再発防止に努めたい」と話している。
1歳と3歳の姉妹は、ともに若すぎる母親と、16歳も年上の男に日常的な虐待を受けていた。木箱に入れられた次女は「夜泣きがうるさい」という理由で監禁された。その結果、酸素が欠乏し亡くなった。乳幼児が泣くのは、本能的な欲求と、肺を鍛えるという効果がある。それを「うるさいから」という理由でこらしめるのは、あまりにも利己的である。親になりきれていない。おとなになりきれていない。
1990年のバブル崩壊時、母親は1歳、同居していた男は17歳だった。
母親の渡辺容疑者は、18歳で長女を、20歳で次女を産んでいる。ともに駒場容疑者のこどもではない。ふたりの姉妹の父親が同一人物かは不明。そもそも結婚という法的手続きを踏んでいたのかも不明。残された長女を、いま70歳の駒場容疑者の母親が育てているのかも不明。
わずか1歳で、言葉の意味もひとのぬくもりも奪われたまま殺された御霊に合掌。
神奈川県警は二日連続で児童虐待事件を扱っている。
6465.9/7/2010
虐待の根は深い
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事件B「頭に切り傷」
7月18日。沖縄県警与那原署は、27歳の会社員の母親を傷害容疑で逮捕した。沖縄県警は氏名の公表をしていない。
16日午後5時半ごろ、自宅アパートで長男の頭を殴るなどし、頭に約3センチの切り傷を負わせたとしている。長男は3歳。
4歳の長女を含む3人家族。長男は病院、母親は警察。長女はどこに預けられたのか。
これまでも同様の暴力がふるわれていたと思われるが詳細は不明。児童相談所などの連携機関が、どのようにかかわったかも不明。
不明なことが多すぎるので、事件が把握できない。
ここでは27歳という若さが際立つ。23歳のときに長女を出産、翌年に今回けがを負わせた長男を出産している。どの段階で離婚したのか、最初から結婚状態にはなかったのかは不明。ふたりのこどもの父親が同一人物かも不明。
事件C「親が寝た隙に逃げる」
7月23日。神奈川県警戸塚署は、自称タイル職人の大塚明容疑者と同居している佐々木加奈江容疑者傷害容疑で逮捕した。大塚容疑者は34歳。佐々木容疑者は36歳。
22日午後9時から23日午前6時までの間、自宅アパートで、11歳で大塚容疑者の男児の全身を殴るなどして2週間のけがをさせたとしている。大塚容疑者らは「多少手や足を出したが、しつけの一環」と供述しているという。同署によると、男児は23日朝、自宅近くのコンビニエンスストアでおにぎり二つとパン一つを万引きし、トイレ内で食べているところを店員が発見。通報を受けて駆け付けた署員が、男児の全身にあざがあることに気付き、事件が発覚した。男児は「18日から何も食べさせてくれず、親が寝たすきに逃げ出した」と話したという。
こどもに食事や衣服を与えず、親としての子育てを放棄する育児放棄をネグレクトという。ネグレクトは、急速に増え、拡大している。暴力を伴わないケースでは、発覚が遅れる。育児できないおとなが、しつけを語ってはいけない。しつけとは、おとなの思い通りにこどもを手なずけることではなく、こどもが社会生活を送っていけるように知らないことやできないことを教えていく営みだ。だから「身」に「美」と書く。
1990年のバブル崩壊時、父親は14歳、同居していた女は16歳だった。
6464.9/5/2010
虐待の根は深い
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事件A「洗濯機に突っ込む」
6月30日。九州の福岡県警は、江頭順子容疑者を殺人容疑で逮捕した。34歳。
長女の萌音さんに対する殺人容疑だ。彼女は5歳だった。
長崎県平戸市の海で、萌音さんの遺体を抱いて岸壁のロープにつかまっているところを捜索中の長崎県警の捜査員が見つけた。逮捕容疑は同27日午後2時ごろ、自宅で萌音さんの首にひものようなものを巻き付けて殺害したとしている。
母親は、今年5月ごろから自宅で数回にわたり萌音さんの両手両足をテープで縛って洗濯機に押し込み、水を入れて作動させたという。その際、口を粘着テープでふさいで声を出せないようにしたうえ、洗濯機のふたを閉めてテープで固定し、逃げ出せないようにしていたという。このほか、5月には部屋の棚に両手を広げた状態で縛り付けたうえ、水を入れたバケツを肩からひもでつるして放置したという。江頭容疑者は08年に夫と離婚。今年5月に市内の別の場所から現在地に転居したが、そのころから、萌音さんが言うことを聞かないなどとして虐待をエスカレートさせたらしい。
久留米市によると、江頭容疑者の近所の住民の通報で昨年12月から萌音さんへの虐待について把握し、電話や家庭訪問を繰り返した。今年6月には萌音さんの首に絞められたような跡があるとの通報もあったという。
常人の行いとは思えない。何が母親をここまで残酷な鬼にしてしまったのだろう。口をふさがれた状態で洗濯機に押し込まれ、水を注入され、回転させられた娘の恐怖は、想像を絶する。5歳の娘は、母親からの狂気でおそらく逃げることも抗うこともできなかったのだろう。
娘を洗濯機に押し込み、注水のスイッチを押して、扉に粘着テープを貼り、スタートさせたときの心境は、どんなに言い訳をしても殺意があったとしか思えない。
1990年にバブル経済が崩壊した。その後、全国的に会社や銀行の倒産が相次ぎ、失業者があふれた。高校や大学を卒業しても就職できないひとが多かった。江頭容疑者は当時14歳。バブル経済の崩壊は、都市から地方へと影響が広がっていく。そんななか、鳴り物入りで首相になった小泉さんと竹中大蔵大臣は、「痛みを分かち合う」ために外国資本の導入を進めた。多くの会社や銀行が外国資本に救われた。それは、生活者を救ったのではなく、経営者を救ったということを、多くの有権者は気づかなかった。経営者の痛みは減ったが、生活者の痛みは残り、広がった。
2005年29歳で母親になった江頭容疑者は、2008年32歳でこどもを連れて離婚した。3歳のこどもは、前頭葉が完成に近づく。思考・想像・意欲をつかさどる前頭葉は、親の不安定な生活に対して、抗議の意味を込めて「言うことをきかない」行動に出たのではないだろうか。
発見されたときの状況を考えると、容疑者自身も死に場所を探していたのかもしれない。精神鑑定が行われるだろう。ひとりの女性が、大きく壊れていった。この容疑者の成育履歴が、人格にどのような影響を与えたのかも調べられるだろう。離婚に到った原因も、虐待のきっかけの可能性がある。
5歳の御霊に合掌。
6463.9/2/2010
虐待の根は深い
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2010年6月30日から7月30日までのちょうど30日間に、わたしが知っている限り、6件の児童虐待容疑で親や同居人が逮捕された。
児童虐待は、育児放棄や身体的暴力、性的暴力などの総称なので、逮捕容疑はもっと具体的だ。傷害が多い。残念なことに監禁致死や殺人も含まれていた。
わたしが見落とした新聞記事があるはずなので、この30日間では実際にはもっと多くの逮捕者が出ているだろう。また、事件になっていないだけで、いまこのときにも進行している虐待は数多くあると考えていい。
虐待事件が報じられるたびに、多くのひとは「なんてむごい」「鬼としか思えない」「だれかに相談できなかったのか」など一般的な感想を抱く。しかし、児童虐待は刑法で裁かれるような意図のある犯行とは異なる種類のものだ。親や親にかわるものが、自分のこどもや同居しているこどもの自由を奪い、人格を傷つけ、ときには心身をボロボロにし、最悪の結果として生命さえも終結させてしまう。その感情の移り変わりは、常人には想像しにくいが、はじめからむごかったり、はじめから鬼だったりしたわけではないだろうと思いたい。だから、児童虐待で死に至らしめても、容疑者が死刑や無期懲役になった判例はない。
もしも、児童虐待のニュースを知って、がっくりする感情を持ちながらも、次の瞬間には別のことで頭がいっぱいになって、がっくりした感情をきれいさっぱり洗い流せるひとがたくさんいるとしたら、今後も児童虐待は減らないだろう。それぐらい日常的になってしまうかもしれない。「あーあそこのうちもね」「うちの親戚がさぁ」というレベルの話になってしまうかもしれない。
それはまずいだろうと思う。
なぜなら、虐待は現象であって、問題の本質ではないからだ。
虐待を引き起こすような社会が抱えている問題に気づかない限り、多くのひとは「かたちをかえた虐待」と対峙することになり、不安と悲劇の連鎖はなくならないだろう。つまり、いまこれだけ虐待が表面化しているというのは、日本の社会が抱えている多くの問題がちっとも解決へ向かっていない証なのだ。
多くの問題って、いったい何だ?となる前に、今回の6件の事件を見てみよう。容疑者が逮捕された時系列で紹介する。だから、必ずしも事件が起こった時系列とは一致しないことを了解してほしい。また、大阪の幼児置き去り致死事件は、後述でさらに突っ込んでいる。
さらに、わたし個人は学校教育現場に身をおいているので、親によるこどもへの虐待に接してもそんなに驚かない。もちろん、具体的な過去の事例については公表できないが、教壇に立った25年前から、事実として虐待は起こっていた。何度も親に対して「やめてほしい」と訴えたが、「そんな事実はありえない」と反論され、どれも解決へは向かわなかった。昨年度から市の就学支援委員会の委員に任命され、毎月、小学校に就学するこどものケース検討をしている。毎回10人から20人のこどもについて検討するが、必ず虐待が疑われるケースが含まれている。
6462.9/1/2010
坂の下の関所-12章-
..story206
わたしも、教員になった25年以上前は給料を現金で受け取っていた。そんな期間が数年間はあったと思う。いつから完全に銀行口座に振り込みになったのか、もう忘れてしまった。
「でぇもな。まっすぐけぇんないと、途中でパチンコに寄ったら、ぜーんぶ使っちまうから、やばいんだ」
「そんなこと、言って。じつは全部つぎ込んでしまったこともあるんじゃないの」
「いや、それはしない。必ず、いったん帰る。帰ってから封筒から何枚か抜いて遊びに行くのよ」
夕方の訪れとともに、空に灰色の厚い雲が広がっていた。
いつもは、西の空が赤く染まる時間なのに、きょうはすでに外は暗くなりかけている。
ペシャ、パシャ。乾いた音が遠くで聞こえる。
「おー、きょうはみんな帰ったほうがよさそうだぜ」
配達を終えて戻ってきた大将の表情が真剣だ。
「雲の動きが早すぎるから、あっという間に嵐になる」
断定的な言葉に真実味が宿る。
わたしも、佐藤さんも、赤坂さんも、烏さんも、関所にいた立ち飲み仲間は、そそくさと帰り支度を始めた。
「じゃぁ、またあした」
自動ドアを出て、それぞれが自宅方向に舵を切る。
わたしは、いきなりの急な坂にとっつく。ふっと閃光が走った。肩をすぼめ、身構えた。5秒ぐらい後に、バリバリっという音。まだ雷は雲の中でとどろいている。やや早足に坂道を登り切る。
登り切ったところで、男女の高校生が部活帰りなのか、スポーツバックを抱え、ふたりでガードレールから遠くの景色を見ていた。晴れていれば丹沢が見えるだろうが、きょうは雲にさえぎられて何も見えない。ふたりは、何を見ているのだろう。
脇を通り抜けた。
自宅までもう少しというところで、大粒の雨が頬を打った。
来た。いよいよ来た。
鍵を開け、玄関に身を入れた瞬間。ドアの向こうで、閃光と同時にドカーン。落雷の衝撃が伝わってきた。関所のメンバーはバスやモノレール、タクシーに乗れているだろうか。
服や靴、荷物をタオルで拭く。上がりかまちに腰掛けながら、わたしにとって、関所の立ち飲み仲間はどういう存在なのだろうと考えた。きょうのように、雷の危険が迫れば安否を心配する。それぞれに仕事が違うので、日常的には意識のなかに存在しない。ただの立ち飲み仲間なのだろうか。それにしては、ほかのだれよりも多くの会話をしている。職場の同僚や家族以上に、日常的に会話をしている。会話を通じて、互いの考えや疑問を交換する。答え方や仕草で、相手の人間性が見えてくる。
「はーっくしょん」
それどころではない。早く風呂に入らないと風邪を引きそうだ。夏風邪は長引くから、気をつけないと。
(12章・終わり)
6461.8/30/2010
坂の下の関所-12章-
..story205
だれだって、楽しみもあれば不安もある。わくわくするときもあれば、がっくりすることもある。とくに、つらいとき、悲しいとき、弱っているとき、ひとは何かに頼ろうとする。
「佐藤さんは、そうやってお仲間の仕事をフォローして、けっこう体力的につらいと思うんだけど、気持ちまで疲れてしまうことってないんですか」
佐藤さんも、焼酎をしまって、高清水を取り出した。
「もちろん、からだは疲れます。でも、こういうことで気持ちがへこむことはないなぁ。以前、仕事がらみのことで、精神的につらいことはありました。でも、それ以降、気持ちの持ち方をコントロールしようと心がけました」
わたしにも、似たような経験がある。必死になって仕事をすると、ついついやりすぎて、自分よりも仕事をしないひとをさげすんで見る癖がつく。これがエスカレートすると、ひとの気持ちを踏みにじって、傷つけ、仕事の上で、トラブルを引き起こす。
「悪いことをしている気持ちはないのに、だれも自分を正しく評価してくれないと、こんなにがんばっているのに、何にもわからない周囲がおかしいんじゃないかって、思えてくるんですよね」
佐藤さんは、高清水をコップに注ぎながらうなずいた。
「結局、そういうのって、自分が何をやりたいかではなく、いつもひとの目を気にしているだけなんです。だから、仕事でも趣味でも中途半端になってしまうか、周囲と壁を作ってとことん突き進むかになってしまう。ひとの評価が重要だからです。でも、冷静に考えればわかることです。ひとは、ひとを評価なんてできないし、否定も肯定もできないとね。ひとが自分をどう思っているか、見ているかを気にしているひとは、それ以上の気持ちで、自分がひとのことを評価していることに気づけない。自分より上、同じぐらい、自分より下という三段階でしか、ひとの分類ができないんです」
「秋葉原で多くのひとを殺傷した男の裁判が始まりましたね」
「あー、あれはまさにこういう典型でしょう。すべてをネットや母親の育て方など、自分以外の責任にしている。それでいて、やった行為に対しては後悔し、反省している。つまり、自分は悪気はなかったのに、ほかのモノやひとのせいで、悪いことをしてしまった。ごめんなさいという構図です」
「これから、こういう考え方の犯罪は増えていく予感がするなぁ」
「親がこどもを自分の思うような路線にはめようとする。その期待にこたえようとしたけど、どこかで息苦しくなる。ここでいう親とこどもは、会社と従業員とか、よのなかと個人と言い換えてもいいんです。つまり、自分でものを考えようとしないと、いつか地面がぐらついたときに、全部、ひとやもののせいにしてしまう。そこには、希望も解決策もなにのにね」
わたしと佐藤さんの会話を、となりで烏さんがするめをくわえながら聞いていた。
「ふったりとも、難しいこと、しゃべってんなぁ。俺なんて、ちんちくりんよ。でもな、昔はよかったんだよ。いまみたいに、給料は振り込みじゃなくて、手取りだったから」
烏さんが聞いていたのは、何だったのだろう。
6460.8/29/2010
坂の下の関所-12章-
..story204
割れせんべいの「吾作」。ゴマせんべいを探し、さらに手の中で細かく割る。
「そこにあるわりと大きな病院なんですけど、麻酔科医がひとりしかいないんです。俺の大学のときの同級生で。だから、彼は24時間勤務なんです」
「それって、労働基準法違反でしょ」
「もちろん、ある時間になったら帰っていいんですけど、いつでも呼び出されたら、病院に行かなきゃいけないっていう意味で」
それは、大変だ。旅行にも行けないし、深酒もできない。デートはおろか、映画を見ていても落ち着かないだろう。
「ただ、彼は酒は飲めないんです」
それは、救いだろう。
「でも、仕事のストレスを、どういうかたちで発散してるんでしょうね」
「それが、かなりユニークなんです。一ヶ月に4日連続で二回の8日間の休みがあって、その4日間で香港に旅行に行っちゃう。必ずいつもってわけじゃないけど、ほとんど香港です。同級生だから、けっこうな年齢だけど結婚はしていません。そんな生活を何十年も続けているんです」
「佐藤さんは、その4日間のピンチヒッターってわけですか」
「そうです」
「その方は、もう何十年も香港に行っているとしたら、お店や通り、ホテルの従業員にも、かなり顔がきくんでしょうね」
「えー、相当なビップ待遇だと聞いています」
およそ10日間の連続勤務。そして4日間の連続休日。この繰り返しを何十年も。
「うらやましいような、ちょっと自分には難しいような」
「いろんな生き方があっていいんですよ。もちろん、彼だって、いつも楽しい4日間ばかりではないと思いますよ。何かおもしろくないことを背負って香港から戻ることだってあるでしょう。ただ、自分と自分の仕事との間に、休みは連続して思いっきり過ごすぞっていう折り合いをつけて、それをやり切っているんでしょう。その休みのときに、だれかがフォローすれば、彼の折り合いは実現する。だから、できるひとが、できる時間に、そのフォローをしているわけです」
佐藤さんは、早朝の新幹線で鹿島に行き、終日の手術勤務に入る。その話を、とても簡単に話す。医療を志すひとの気持ちは、常人よりもずっと深いのか。
「ときどき、旅行に行かないで、鹿島で会うことがあります。彼は飲まないんですが、いっしょに食事をします。そういうとき、俺が酒を飲んでいても、脇でお茶をおいしそうに飲んでいますよ。結局、だれかに迷惑をかけない限り、自分が満足した生き方を送ることが、とても幸せなんだなぁって、思います。そういう彼の生き方を不思議に思ったり、文句を言ったりするひとがいても、きっと彼は意に介さないでしょう。自分に自信があるっていうのかな。余裕を感じるんです」
ぐい飲みに入れた山猿を軽くなめた。