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6449.8/14/2010
坂の下の関所-12章-
..story193

 散歩は、ことしに入ってから本格的に始めた。
 去年の夏、人間ドックで「メタボリック症候群の一歩手前」と診断された。メタボリック症候群そのものが「生活習慣病を引き起こす一歩手前の状態」だから、さらにその一歩手前、つまり二歩手前ということは、そんなに気にする必要がないことなのかもしれない。
 でも、そのときに管理栄養士と「来年の体重目標」を立てた。そのために、日々の取り組みを相談した。管理栄養士は、仕事として、だれに対しても同じように計画を立てるのだろう。わたしは、そのとき立てた計画を年末まで実施してきたつもりだったが、劇的な効果は上がっていなかった。朝食後に腹筋を10分ずつ。これがけっこうきついのだ。時間がなくてさぼることもあった。やりながらも、きょうは5分にしようと規模を縮小させたこともある。
 そんなんじゃ、成果は出ない。
 年が明けてから、わたしは次の作戦に出た。
 歩こう。万歩計を買って歩数を記録しよう。
 いつも仕事帰りに利用している東海道線に乗らないで、藤沢から大船までを歩く。普通に歩いて、60分かかる。これを続ければ、少しは腹回りの脂が落ちるかもしれない。
 さらに、週末の土曜日か日曜日に近所を散歩しよう。
 テレビでも散歩はブームになっていた。ウォーキングではない。散歩だ。ひたすらに目標を決めて、歩くことだけを目的にするのではない。歩きながら、季節を感じ、店を覗き、うまいものがあれば立ち止まる。気分転換の散歩でいい。
 藤沢から大船まで歩く。それまでは、酔って藤沢で最終電車がなくなり、タクシー代金をけちったときだけ、歩いていた。どこをほっつくのか、だいたい2時間かかった。ひどきときは3時間ぐらいかかり、全身、引っかき傷がついていたこともある。だから、覚悟して始めた。しかし、素面で歩けばぴったり1時間の道のりだった。
 東海道線は、都内の山手線と違い、駅と駅の間が長い。その駅、一つ分を歩いているという事実は、かなりわたしの腹周りに刺激を与えた。とても少しずつだが、体重は減少傾向になった。
 週末の散歩は、横須賀線やバスで動いていた鎌倉を、自分の足だけで歩くという事実が、自信を与えた。
 あれ、けっこう、俺のからだって、動くじゃんと。
 寺をめぐった。自然公園をめぐった。小町通りで甘味を食べた。海岸で風に吹かれた。こだわりのパン屋でベーコンパンを買った。鎌倉の散歩は、予想以上に楽しい。
「だれかといっしょなの」
 関所で聞かれたことがある。
 ひとといっしょだと気を使う。散歩はマイペースだから楽しい。わたしは、だれとも散歩をしない。ひとりで歩く。しかし、春までの散歩は、最終的に食堂や飲み屋に入り、疲れたからだを生ビールでいやしていた。これでは、体重は減らない。やばい。これでは、生ビールを飲むために散歩をするようになってしまいそうだ。それに気づいて、少し作戦を変更した。それまで、昼前に出発し夕方に戻る設定だった。それを早朝に出発して、昼過ぎに戻るように変更した。こうすれば、午後はシャワーを浴びて、昼寝や読書に当てられる。
 この作戦変更は功を奏し、体重の減少傾向は確実なものとなる。そして、ついに、わたしは一日三万歩作戦を始める。

6448.8/13/2010
坂の下の関所-12章-
..story192

 サッカーワールドカップは、熱戦が繰り広げられていた。
 わたしは、ふだん3時半から4時ごろに起きるので、それぐらいから始まるテレビ中継は、日常生活の延長だった。ただし、5時半に出勤するので、後半が終わっても同点の場合、延長戦は見ることができなかった。
 ワールドカップに登場するチームは、どこも素人のわたしが見ていても、うまかった。タフだった。芸術的だった。だから、テレビ中継を見ていて飽きなかった。
 サッカーは、いつ点が入るかわからないから、退屈だ。
 ずっと、そう思っていた。それは、あまり上手ではないプレーの試合を見ていたから飽きていたのだろう。うまくて、タフで、芸術的だと、なかなか点数は入らなくても、わくわくするようなシーンやハラハラするようなシーンが連続する。だから、ついつい試合に引き込まれてしまうのだ。
「あれ、銀のカップが置いてあるね」
 関所。ボトルが冷えているクーラーに見慣れない銀のカップが置いてあった。
「カディーさんが、マイカップと言って、置いていったの」
 若女将が教えてくれた。
 カディーさんは、インド人だ。関所近くにある鎌倉市営の「こもれび」というスイミングとフィットネスが合体したスポーツ施設に通っている。おもにプールで歩いているという。こもれびの往復で、関所前を通過する。頭からすっぽりかぶる薄い生地のインド服を着ているので、遠くからでもよくわかる。鼻が高く、瞳が黒くない。しかし、日本語はとても格調高く、上手だ。
 いままでは、関所前を通過することが多かったのだが、関所の常連である中島さんが仕事関係で知り合いになったことをきっかけに、ときどき顔を出すようになった。
 カディーさんは、煮豆を持ち歩く。小瓶にわけて持ち歩き、行く先々でプレゼントする。天狗豆、大豆、小豆、黒目豆。カディーさんのおかげで、いくつかの豆の名前を覚えた。豆そのものは、とてもおいしい。ヘルシーだ。しかし、味付けがいつも似たようなインド独特の香辛料を使っているので、同じに感じる。
 醤油に慣れている日本人には、微妙な味やコクの違いがわかる。
 きっと、香辛料に慣れているインドのひとにはそれぞれの分量の違いで、風味や軽重の違いがわかるのだろう。しかし、残念ながら、関所のみなさんにはその違いはわからない。よく、プレゼントしてくれる煮豆を口にしながら「こないだと味が同じだ」という声をよく耳にする。
 あるとき、カディーさんは極楽寺に住んでいるということを知った。ずいぶん、遠くからここまで来ていることになる。
「今度、散歩がてらに行ってみようかな」
「たぶん、カディーさんの家の近くに中華料理屋さんがあると思うの。そこのママと、昔、いっしょに宝塚を見に行く仲だったのよ。一度、お店に行ってみたいと思うけど、うちと同じ火曜休みだから行ったことがないの」
 若女将が教えてくれた。よし、ランチはその中華料理屋。その足で、カディーさんの家を探してみよう。
 カディーさんは、自宅をお店にしていると教えてくれていたのだ。

6447.8/11/2010
坂の下の関所-12章-
..story191

 南米出身のモンデは、サッカーに興味があるかもしれない。
「いよいよ、ワールドカップが始まるね」
 話のきっかけになればいいと思った。
「そうそう、楽しみね。南米、たくさん、すごいよ。ブラジル、チリ、アルゼンチーナ(モンデの発音では、アルデンティーナと聞こえた)、パラグアイ(これもモンデの発音では、パラガァと聞こえた)、ウルグアイ(これはウルガァ)。5つも出るよ。それにアメリカ、メキシコ。アメリカ大陸すごいね。こんなにたくさん。みんな強いよ」
 きっかけどころじゃない。南米のサッカー熱に火をつけてしまった。
「ペルーは出ないの」
「うーん、ちょっと残念。でも、南米のひと、みんな国は違っても応援するよ。エスパニュールつながり。ブラジルだけ違うけど」
「ブラジルはポルトガル語だっけ」
「そう、ちょっとエスパニュールと違うよ」
「でも、ちょっとなら、なんとなくわかるのかな」
「そう、なんとなくなら、わかるよ。日本の言葉も、国によって、違うでしょ。それに似ている」
 モンデのいう国とは、おそらく故郷と書いてクニと読むものだろう。近いところにいい例がいる。
「烏さんは、山形というクニのひと。だから、ここの言葉と違うね」
 モンデは、烏さんと同じ工場だから、彼の言葉を知っている。
「烏さんの言葉は、ときどきわからないことがある」
「えらい、モンデはときどきなら。俺なんて、ほとんど、わからない」
 日本酒の棚の向こうで、コホンと烏さんの咳払いが聞こえた。
「ペルーでは、こどもが生まれると男の子なら、みんなサッカーボールをプレゼントするよ」
 みんなというのは大げさかもしれないが、小さいときからサッカーボールが身近にある生活環境なのだろう。日本のように、サッカーを「習う」環境ではなく、サッカーで「遊ぶ」環境がこどもの頃からあるのだろう。
 ニンテンドーDSをして、スイミングに行って、ピアノを習い、塾に通い、ときどきサッカーをするわけではない。サッカースクールに行き、試合には親が付き添い、移動にはパパたちが運転手になる環境ではない。
 どこまでがコートなのかわからない空き地で、裸足のこどもも混ざりながら、朝から晩までボールを追いかける原石のようなサッカーが生活にあるのだろう。
「日本チームは、どれぐらいまで行くかな」
 モンデは、ちょっと肩をすぼめる仕草で、微笑んだ。
「カメルーン、デンマーク、オランダ。みんな強いね」
 それが答えだった。

6446.8/9/2010
坂の下の関所-12章-
..story190

 赤坂さんは、気前がいい。
「ママ、こいつに生ビールをお願い」
「はい」
 財布からお金を出そうとする彼に対して、これは赤坂さんからとよ、若女将は生ビールを渡す。
「いただきます」
 彼は、赤坂さんに礼を言って、近くに立っているわたしにも目でお辞儀をした。なかなか礼儀正しい若者だ。
「モンデ、このひとは学校のセンセーだ」
 ひとは、どうして職業から説明するのだろう。とくに教員の場合は、名前よりも職業を先に言われてしまうことが多い。逆に、わたしが赤坂さんを知人に紹介するときに「このひとは、研磨職人だ」と言ったら、ちょっとおかしいだろう。
 多くのひとは、センセーと聞いて、一瞬、ひるむ。
 それだけ、学校とか教員のイメージや記憶は悪いものなのだろう。「いやぁ、先生ですか。会えて嬉しい」と喜ぶひとには、会ったことがない。だから、初対面のひとには、名前で紹介してほしいのに、赤坂さんは、わたしの気持ちには気づかない。
「おー、センセー」
 生ビールの泡を唇につけながら、モンデと呼ばれた青年が驚く。
「モンデは、どこの国から来たの」
 国際交流が始まる。
「ペルーだよ」
 なかなか日常会話が上手ではないか。語尾までしっかりしている。ただし、初対面のひとに「だよ」という語尾はいただけない。
 ま、そんな細かいことはいいか。
 わたしにとって、ペルー人といえば世界中でたったひとりしか知り合いはいない。ローリーだ。
「モンデ、昔、工場で働いていたローリーを知っているかな」
 うんうん。モンデは首を小刻みに縦に振る。これって、ペルー式の肯定合図か。
「知ってるよ。ローリー、とても世話した」
 逆だろ。世話になったというんだよと、教えてあげた。
 アメリカから始まったサブプライムローンの破綻は、その年の終わりには日本国内の派遣労働者解雇へと影響した。派遣労働者のうち、外国人労働者は真っ先に契約打ち切りになったのだ。首都リーブスのように、熟練した技が必要な工場では、国籍に関係なく、仕事のできる人材は必要だった。たとえ不況になっても、人材を確保しておかないと、次に大きな景気の波が訪れたときに、作業できる工員がいなくなってしまうからだ。首都リーブスでも同じはずだった。
 それなのに、あの年末。50歳に近いローリーは「きょうでお別れね」と陽気に笑って、関所から去った。
 こどものいる日本人女性と結婚し、川崎方面に住む。ふたりのこどもは作らないと言っていた。理由は、彼女の連れてきたこどもを愛せなくなってしまうからだと。虐待の末に、継父がこどもを殺す事件が頻繁に起こる日本人感覚が異常だということを、ローリーは知っていた。
「モンデは、あのときもこれにならなかったんだ」
 これ。そう言いながら、赤坂さんは自分の首を手刀で切る。派遣労働者が情け容赦なく解雇された悪夢の季節に、会社から雇用を保障されたのだ。
「若い、まじめ、仕事ができる。これがよかったんだろうなぁ」
 しみじみと、赤坂さんがモンデの肩を抱く。気づくと、モンデの腕にはバンドエイドが貼ってある。わたしの視線に気づく。
「これ、やけど」
 モンデが教えてくれる。バンドエイドを外して、傷口を見せようとするから、それは手で制した。
「湯を差すから、飛び散るんだよな」
 この場合の「湯」とは溶鉱炉のなかでどろどろになった液状の金属だ。それをいくつもの型に流し込んで行く作業を「湯を差す」と呼ぶ。
 最初、わたしはこの専門用語がわからず、鋳物工場は冷却用にお湯を使っているのかと思っていた。そのことを、ほかのひとに聞いたら、液状の金属に湯をかけたら、水蒸気爆発を起こすと言われた。「先生は、もっとよのなかのことを知らないといけねぇなぁ」と。
「長袖の服を着るとか、熱を防ぐシールドを用意するとかしないの」
「暑くて、そんなもの、用意しないよ。Tシャツが一番、いい」
 外れかけたバンドエイドを、ぺったんぺったんと腕に押しつけながら、モンデが教えてくれた。

6445.8/8/2010
坂の下の関所-12章-
..story189

 もうすぐ夏至。
 日暮れが確実に伸びてきている。仕事が終わってから、関所に集まるひとたち。顔をあわせたときに、まだ店の外が明るいと、なんだかいつもと様子が違う。
 でも、わたしはそれだけ長く関所に居座れる気持ちになって、夏の関所は嬉しい。若女将や大将には迷惑な話だろうが。
 鋳物を専門にする首都リーブスの赤坂さんは、研磨職人だ。かなり前に、機械が停止している工場を案内してもらったことがある。鋳物を機械のやすりで削って仕上げる。
「一日にどれぐらい磨くんですか」
「多いときは六千ぐらいかな」
 わたしのように、時間で区切られている仕事と違い、工場の仕事は注文された品物を作るまでは終わらない。仕事の能率が低いと、終わる時間が遅くなる。分業が徹底している工場では、どこかの工程で作業が遅れると、それよりも後ろの工程のひとたちの作業がもっと遅れる。だから、各自が自分の仕事に対して手を抜けない。
「一つ磨くのに、五秒ぐらいかな」
 そうでしょう、そうでしょう。
 それぐらいのペースで磨かないと、とても一日に六千個も磨けない。わたしと同じ時間に関所で酔っ払うことは不可能だ。クーラーから桜色の紙パックに入った酒を取り出す赤坂さんに尋ねる。
「いまも、磨いているんですか」
 いや。赤坂さんはガラスのコップに日本酒を注ぎながら首を振る。
「注文がなくなったから、いまは別の仕事」
 どんな仕事かはわからないが、ひじから下の腕がやけどに近い状態に腫れあがっている。本人は「汗疹」と言っているが、毎日高熱にさらされた皮膚が傷ついているように見える。
「じゃ、炉の解体は」
「それも、別のやつがやっているよ」
 鋳物工場では、定期的に溶鉱炉を解体する。毎日、ものすごい高熱で金属を溶かし、型にはめていく。溶鉱炉は、解体して、整備しないと、すぐに隙間ができて、溶けた金属がこぼれ出てしまうそうだ。炉の解体は、工場が休みの週末に行われる。もちろん時間外なので、ふだんとは別の日当が出る。
「給料安いから、その日当がありがたい」
 赤坂さんは、かつて炉の解体をしていたとき、教えてくれた。その仕事も、ほかのひとがやっているのか。
「お、こっち、来い」
 赤坂さんが、自動ドアの向こうに手招きをする。イヤホンを耳にした若者が、関所前を通り過ぎようとしていた。手を振って帰ろうとする。「いいから」。赤坂さんは、それでも彼を手招きする。
「あしたは、休みだろ」
 若者は、イヤホンを外すと、会釈をしながら、関所に足を踏み入れた。
「センセー、こいつがいま俺に代わって、炉の解体をしているよ」
 彼は明らかに日本人ではなかった。

6444.8/7/2010
坂の下の関所-12章-
..story188

 関所の店内には有線放送のような音が流れている。
 ときどき若女将がCDデッキを持参して、お気に入りのCDをかけては小声で口ずさんでいるので、音源がラジオなのかデッキなのか定かでないこともある。
 ラジオ放送のスピーカーは天井に埋め込まれている。いくつかあるスピーカー。長年の労苦によって、現在、元気な一台が天井から放送を流し落とす。そのスピーカーは、ちょうど山ちゃんと相田さんの定位置の真上にあるのだ。だから、わたしのように二人の定位置と反対のポジションにいると、ラジオ放送はほとんど何を言っているのかはわからない。何かを伝えているのだろうとは思うが、具体的ななかみはわからない。
「というわけで……から始まった……カーワールド……初戦のメキシコ……は……ちました」
 こういう聞こえ方ではストレスが溜まる。
 バタン。保冷庫の扉を閉じる音がした。左右にからだを揺らしながら、野球帽をかぶった烏丸さんがウイスキーのウーロン茶割りのペットボトルを買いに来た。
「あら、センセー、お久しぶりです」
 うそー、きのうも会ったよ。
「南アフリカは、遠いなぁ」
 お、関所にもサッカーワールドカップに興味を持つひとがいたとは。
「始まりましたね、いよいよ」
 うんうん。烏丸さんは何度も頷く。山形県寒河江市郊外の農村育ちの烏丸さんは、いまでもふるさとの言葉を大事にしている。そのため、早口でやられると聞き取れない。
「やっとな、まだボチボチだけどよ」
 ずいぶん、サッカーに興味があるような言い方だ。
「これから一ヶ月もやるんですね」
「そうかなぁ、そんなに続くといいんだが。寝不足になっても困るんだ」
「そんなに続くといいんだがって、こういうのって予定が決まっているから、途中で止めるってことはないでしょ」
「わっかんねぇよ、また、いつ、これになっか」
 烏丸さんは、自分の首を手刀で切った。なんか、ずれている。
「サッカーのことじゃないんですか」
「は、サッカーって、なんのこっちゃ。夜勤の話じゃ、ねえのか」
「なぁんだ、夜勤のことだと思っていたんですか」
「俺だって、昔はやっていたんだよ」
「もう、夜勤のことはいいですよ」
「違うよ、これ」
 烏丸さんは、足でボールを蹴るジェスチャーをした。
 ほんまかいな。
「烏さんが、サッカーをやっていたなんて話、これまで聞いたことないですよ」
「だれが、サッカーをやっていたなんて言ったの。これだよ、卓球」
 さっきのは、ボールを蹴るジェスチャーにしか見えなかった。少なくとも、手にラケットを持っていたようには、絶対に見えなかった。

6443.8/6/2010
坂の下の関所-12章-
..story187

 2010年6月。南アフリカ共和国で、サッカーワールドカップが始まった。4年に一度の世界大会なので、テレビも新聞も、開幕前から大騒ぎだ。
 しかし、関所に集まる面々にとっては、あまり大きなイベントではなさそうだ。
「昔から勝負師ってのは、勝負の勘を鋭くするために、賭け事にかかわっていたんだ。それをいちいち取り上げて、相撲は日本の国技だからみたいな言い方で突っ込んだら、力士がかわいそうだよ」
 毎週末に競馬に夢をかけている山ちゃんこと山田さんが、焼酎をホッピーで割りながら熱弁を振るう。山田さんは、ことしの秋で60歳の定年退職を迎える。見た目にはとても60歳には見えない。やはり競馬で勝負の勘を鋭く磨いているから、若々しく見えるのか。
 関所は、酒屋だ。
 日本酒、ビール類、ウイスキー、ワインなどはもちろんのこと、お茶、ジュース、コーヒーなどのソフトドリンクも扱っている。そのほかにもクッキーやせんべい、塩や砂糖などお菓子や日用品も並べている。季節には、贈答品を送るサービスまでしている。
 売り場は、三間四方ほどある。約九坪ぐらいだ。ほぼ店内は正方形をしている。道路に面した西向きが大きな自動ドアと窓になっている。
 自動ドアをくぐって右側、つまり南側にレジと焼酎コーナーがある。いつもわたしやドクター佐藤が陣取る場所だ。
 自動ドアをくぐって正面、つまり東側には横一列の商品棚と壁に埋め込まれた保冷庫がある。商品棚にはワイン、日本酒の一升瓶がきれいに並ぶ。反対側の商品棚には、塩や砂糖、醤油や炭酸が並ぶ。保冷庫は大きな扉がいくつかついている。お茶やコーヒーなどのソフトドリンクから、ハイボールやチューハイ、ビールなどのアルコールまでがギンギンに冷えている。
 自動ドアをくぐって左側、つまり北側には縦一列の商品棚と壁の商品棚が並ぶ。棚と棚の間には細い通路がある。縦一列の商品棚には、ヨッちゃんの酢漬けイカ、ポテトチップ、ベビースターラーメン、せんべい、缶詰など、ちょっとした駄菓子や酒のつまみが並ぶ。30円から売っているのだから、毎日買っても破産はしない。壁の商品棚には年代物のウイスキーや紹興酒が並ぶ。熱弁を振るっている山ちゃんは、ウイスキーの商品棚と保冷庫のぶつかる角が定位置だ。
 立ち飲み仲間の定位置は、法律で決まっているわけではない。
 ただなんとなく暗黙の了解がまかり通っている。しかし、日常生活には、このなんとなくだけど、暗黙のルールというのが確実に存在する。それを何も知らないひとが往々にしてぶち壊していく。何も知らないのだから、ルールを壊しても仕方がないのだが、少しは空気を読めよという、その場のひとたちの念力が伝わらないと、そういうひとは浮いてしまう。
「邪魔だよ、帰れ」
 みなさん、おとなだから、そんなことは言わない。
「しかし、関取ってのは儲けてんなぁ。一回の勝負に何万も賭けるんだから」
 山ちゃんのとなりでウイスキーのロックを傾ける相田さんの声が聞こえる。

6442.8/5/2010
仮設校舎の1学期 ..5

もともと特学(特別支援学級)というのは、中途半端な位置づけだ。
特別支援学校のように独自の教育課程をもっていない。個別支援は認められているが、遠足・音楽会・運動会などの大きな行事は、通常学級の教育課程にあわせなければいけない。だから、教員どうしの仕事は大きく違うのに、互いにどんな仕事をしているのかを理解しあう機会はまったくない。一年に一度だけ、新採用の教員が義務で授業を見学に来る。たったそれだけだ。
「一日に一回は必ず、顔を出して、こどもたちの様子を観察するのは当然でしょう」
特学のある学校の校長には、そう豪語するひとがいるという。わたしは、そう豪語するひとにも、それを実践するひとにも、残念ながら会ったことがない。

だから、一般の公立小学校のなかで特学は孤立しがちな存在だ。
孤立しないように、交流学級の担任とは綿密な連絡を取り合う。向こうから情報を提供してくれるようなことはまずないので、いつもこちらから声をかけるように配慮する。特学や特別支援学校しか経験していない教員には、それを不満に思うひとがいる。しかし、わたしのように13年間も通常級の担任もやった経験があると、見下しているわけでも、忘れているわけでもなく、自分のクラスの仕事で手一杯なのだ。だから、こちらから働きかける。
校舎が正式なものでも、孤立しがち。
仮設校舎では、もはや孤立というよりも、忘れられているのではないかと思うことも多い。
いかに、大きな集団のよさを特学のこどもたちに伝え、特学のこどもたちのあたたかさを大きな集団のこどもたちに感じさせるかは、永遠の課題だ。それはプレハブだからできないなどと言い切るものではない。確実に時間は経過し、プレハブで卒業して行く学年が2つもあるのだから。
(終わり)

6441.8/4/2010
仮設校舎の1学期 ..4

6月18日
3.4校時に水泳実施。特学は、1年生と2年生の水泳枠の時間帯にいっしょに入水している。水泳の目標が「水遊び」なので、ともに同じことを目標にしているからだ。しかし、最近は低学年でも「息継ぎ」や「バタ足」などの泳ぎにつながるなかみを指導することもあるので、同じ時間枠を使っても、コースロープを張って、別々のメニューにしている。この日の抱き合わせは1年生だった。好天で、気持ちいい。なのに1年生は水泳学習中止。なんと水着に着替える練習だとか。きょうじゃなくてもいいだろうに。放課後は、15:00から個別指導計画の検討最終回。1時間でSさん担当の4人分を終わらせた。16:00から、学習支援相談センターのIさんと教育委員会のMさん来校。春に転校してきたAについて情報を提供してくれた。保護者自体がかなりの自閉症の特徴を持ち、カウンセリングも受けているそうだ。緊急性を感じて来校してくれた。一方的に学校や担当への不信感を高め、細部への疑問や要求に徹した相談だった。Sさん個人ではなく、チームで対応することにした。6時過ぎまでかかる。
後に知ることになるが、この日の早朝。東海道線内で鎌倉市の公立小学校に勤務する教員が痴漢で現行犯逮捕された。それまでに何度か痴漢報告があり、鉄道警察隊が不審な男をマークしていたのだという。この教員は約一ヵ月後に懲戒免職になった。この教員の父親は藤沢市の公立小学校の現役校長だった。翌週、激震が走った。

7月5日
出勤したら、校長が早く来ていた。前日の4日に特学教室のドアから泥棒が侵入。こどものものを物色した。いつもと変わっている様子はないかと聞かれた。わたしは前週の金曜日は早く帰っていた。最後の戸締りでドアの鍵を確認しなかったらしい。泥棒は物色しているときに作動したアラームによって警察に現行犯逮捕された。プレハブはドアや窓の立て付けがあまいので、クレセント錠をかけていても、簡単にドアを外すことができる。

7月8日
前日の夕刻に、工事現場から不発弾が見つかる。旧校舎の保健室床下2メートルに埋まっていた。太平洋戦争当時の米軍のものと思われるそうだ。万が一爆発していたらと思うと、校舎の解体はおそろしい。

6440.8/3/2010
仮設校舎の1学期 ..3

5月12日
職員の打ち合わせでトイレの報告あり。男子トイレも女子トイレもA棟2階のトイレが水があふれる。理由は不明だが、トイレに水を送る管がずれてしまい、それぞれの便器で少しずつ漏れたのが集まったらしい。排水が流れたのかと思ったが、上水だったので一安心。プレハブは立て付けが悪いので、ネジで固定してあるものは時間とともにずれると思っていた。2階のトイレがあふれたので、その下にある1階のトイレは天井から水がぽたぽたとしたたっているという。立て付けが悪いといえば、特学の教室のドアのいくつかは、1学期の終わりにはほとんど開閉できないほど、上のレールと下のレールがずれてしまった。

5月24日
出勤すると職員室のコピー機がオンになったままだった。決まりでは最後に帰るひとがスイッチを切ることになっている。プレハブだからという理由ではない。最近は、教員が不足しているのか、神奈川県は多くの小学校教員を採用している。藤沢市でも5年間ぐらい連続で、各小学校に2人ずつ配置している。そのため、全部で30人ぐらいしかいない教員のうち半分近くを20歳代の教員が占めるようになった。このひとたちはまだ経験が浅いので、仕事の要領が悪い。5時の退庁時間から仕事を始める者もいる。帰りが午後11時というのもザラみたいだ。そういうひとたちが、コピー機のスイッチを切るのを忘れたのだろう。
同じ日に管理棟のA棟から、特学教室のあるB棟に行くと、廊下の電話が鳴り続けていた。旧校舎の電話機を持ってきて、プレハブにつけた。旧校舎の電話機はどれもものすごい年代物で、しょっちゅう故障していた。プレハブに移しても、電話機の不調は変わらない。修理の仕方を知らないわたしは、電源コードを元から抜いておく。しばらくするとその電話は撤去されていた。

5月28日
プレハブは壁も骨材も鉄なので日光によって熱を持ち、室内が異常なほど高温になる。だから、どの部屋にもサンヨーの業務用エアコンが設置されている。騒音と震動で苦しんでいたが、この業務用エアコンだけはとても便利だ。何しろスイッチをつけたとたんに冷気が部屋に広がるすぐれものなのだ。そのエアコンの室外機が校舎の周囲にずらっと並ぶ。校庭がないので、休み時間になるとこどもたちはからだを動かして遊ぶ場所がない。この日、休み時間に特学の教室から窓外を眺めていた介助員さんが、室外機の上を伝い歩きする低学年のこどもを発見した。

6月8日
旧校舎の解体が本格的になる。重機で鉄筋コンクリートの建物を崩して行く。埃や砂、コンクリートの粉が舞うのを防ぐために、消防用の太いホースで散水する作業員が数箇所に立つ。そのなかで3階の建物に命綱をつけて作業していたひとが、重機に引っかかり落下する事故発生。パトカー、救急車、消防車が集まり、工事現場は騒然となる。特学室内も、当然、騒然となる。