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6419.6/22/2010
ガッコー「海風」第二章 ..page9

1月7日・午前10時・校長室

 佐藤は、扉の手前で深呼吸をした。
 朝のうちに相談したいことがあると校長の鶴湯には伝えてある。そのときに、10時に来いと言われたのだ。3学期を前にした授業の準備をしなければいけないのに、職員室にいても、仕事が手につかなかった。
 まして、自分の席からは離れているが、同じ職員室に浅葉が何食わぬ顔でいることが許せなかった。手首や唇が、知らないうちに、わなわなと震えている。恐れと怒りが、こころのなかで渦を巻いていく。
 やっと10時になったのだ。
「失礼します」
 校長室の扉を手の甲で軽くノックして、佐藤はドアを押した。
「どうぞ」
 校長の鶴湯の声がした。
 佐藤は校長室に入る。窓に近い大きな机で、鶴湯はパソコンに何かを打ち込んでいた。あしたから新学期が始まるので、学校便りの原稿でも打ち込んでいるのだろう。佐藤は、想像しながら、来客用の応接セットの脇に立っている。
「相談したいことって、どんなことですか」
 どうやら、ソファに座って話を聞くつもりはないらしい。
 仕方なく、佐藤は応接セットを横切って、校長と事務机をはさんで正対した。
「あの、相談というのは、浅葉先生のことです」
 意外だったのか、鶴湯の目が軽く見開かれたような気がした。パソコンのモニターを倒して、鶴湯は佐藤を見上げた。
「浅葉先生が、どうかしましたか」
 言いにくそうに、佐藤はうつむき、唇をかむ。異変に気づいた鶴湯が、沈黙を破った。
「そちらに座りましょう」
 応接セットを指差した。
「わたし、12月の忘年会で浅葉先生にいやなことをされたんです」
 ソファに浅く腰掛けて、佐藤は思い切って口を開いた。きのう、この一言で、教頭の井桁は、瞬時にすべてを察してくれた。
 浅葉は、教員の世界では有名なセクシャル・ハラスメント男なのだ。酔ったはずみでからだを触られた女性は数限りない。そのなかに被害を申し出る者もいたが、多くはほかに目撃者や証人がいないためもみ消された。
 多少、驚きの表情を浮かべているものの、鶴湯はまだ佐藤の真意をつかめないでいるらしい。仕方なく、佐藤は思い出したくもない忘年会での出来事を、話さなければならなかった。
 執拗にからだを触る浅葉。はじめは冗談かと思っていたが、次第に指の力は強く、眼光は鋭くなった。酒に酔っているだけで、ここまではできないだろう。このひとは、酒に酔ったという言い訳を使って、セクハラを抑制できないこころのひとなのだ。
 そう気づいたときには遅かった。

6418.6/20/2010
ガッコー「海風」第二章 ..page8

1月7日・午前8時30分・職員室

 職員室は縦長の構造だ。
 短い辺の壁に、大きな黒板が埋め込まれている。その黒板を背にして、校長と教頭の席がある。教職員は、長い辺の壁に平行に各自の机を並べている。だから、校長と教頭の机と教職員の机は垂直の関係になる。校長と教頭は、職員室の端から、教職員たちの横顔を見ながら執務しているのだ。
 教職員たちの机は、担当する学年ごとにかためられている。一番、校長と教頭の机に近いところは6年担任のシマだ。
 ちょうど、教頭の井桁のまん前が6年1組の担任である浅葉の席だ。浅葉は出勤してからずっと研究紀要に目を通している。
 井桁は、前日に女性教員の佐藤から浅葉に飲み会でセクハラを受けたことを告白された。職員室の中ほどにある佐藤の席。井桁は、自分の仕事をするふりをして、佐藤に気を配る。佐藤は、着席してからずっと何度もため息をつき、何もしていない。寝不足なのか、目が腫れている。
「教頭先生、来月の上旬に研究発表会があるので、出張に入れておいてください」
浅葉が、スチール製の回転椅子を動かして井桁にからだを向けた。
「そんな招請状が来ていたかしら」
井桁は、佐藤の苦悶を想像し、浅葉への怒りを表情に出さないように苦労する。
「いや、ここの研究発表会だから、委員会からの招請状はないと思います」
浅葉は、ここと言いながら、私立カルディア学園の研究発表会の紀要を指差す。
「私立学校の研究会は、校長の許可がないと出張扱いにはならないのよ」
 それぐらいのこと、あなたが知らないはずはないでしょ。ついつい井桁の言葉はきつくなってしまう。浅葉は、整髪剤で湿っている前髪を手のひらで軽く抑えながら、笑みをこぼす。
「もちろん、校長先生には許可をとってありますよ」
「わかったわ。時間と場所をメモしてくれるかしら」
「ここに書いてありますよ」
浅葉は、カルディア学園の研究紀要を井桁の机上に乗せた。
 本来、教員の出張は、教育委員会が主管する研究会や連絡会に参加することを意味する。まず学校長宛に招請状が届く。それに校長が目を通す。出張の必要があると判断したとき、招請対象の教員に出張命令が出る。教員は、出張命令簿を作成して出張に行く。
 とても役所的な面倒な手続きを踏む。出張には旅費が出るので、扱いは段階を踏む。しかし、私立学校や民間教育団体の主催する研究会や研修会への参加は、招請状が届かないので、自費で参加するのが一般的だ。にもかかわらず、校長は浅葉の研究会参加を出張扱いにしたという。それぐらいの権限は校長に認められてはいるので不思議なことではない。しかし、3月で定年を迎える校長の天下り先としてささやかれるカルディア学園の研究会に、浅葉が参加することは、何かのつながりを疑わざるをえない。
 井桁は、2月の出張予定のエクセルファイルに、浅葉の研究会参加を入力しながら、同じ内容を自分のメモ帳にもペン書きした。

6417.6/19/2010
ガッコー「海風」第二章 ..page7

 仙田は、部屋のなかを見回した。小百合の姿がない。
「父ちゃんよ、小百合はどこにいるの」
「俺にそんなこと、聞くかぁ」
 じゃぁ、だれに聞けばいいんだよという言葉を飲み込む。統合失調症を薬でコントロールしている錦は、精神が通常である瞬間があまりない。だから、まともな会話は成立しない。
 仙田は、玄関に戻る。靴箱はないが、靴がまとめて置いてある場所を見つけた。そのなかから、ふだん小百合が履いている靴を探す。ない。外出しているんだ。
 山尾小百合は11歳だ。しかし、脳の知的発達が遅い。同年齢のこどもに比べて、5歳程度遅れている。つまり、からだは思春期に入ろうとする少女でありながら、精神は小学校1年生程度だ。何もしゃべらなければ、そこそこかわいい表情の小百合が、繁華街をひとりでうろつく。どういう手合いがからんでいくかが想像できる。
 とくに小百合の行く手にあてはない。しかし、仙田は海南市の繁華街へ向かって小走りしていた。走りながら状況を整理する。
 母親は、いつもと違うこぎれいな姿で家を出る。スーパーでパートをしているが、あの様子ではこれからパートに行くとは思えない。元旦から同窓会や新年会というのも聞かない。人目を忍んでだれかに会いに行くのか。朝っぱらから。ま、夫があの調子ではわからないでもないが。
 父親は、本人の話では徹夜で飲んでいる。スルメイカにマヨネーズと醤油をつけて、日本酒を飲んでいた。何本も空の一升瓶が転がっていた。そのうちのいくつかは、ついさっきまで中身が入っていたと思われる。きょうが七日。大晦日からずっとというのは大げさだとしても、連日酒が尽きなかったことは想像できる。
 ひとり娘の小百合はいない。これが最大の問題だ。知的障害のある11歳の女の子が、両親に保護されることなく、所在がわからない。これが障害のないこどもだったら、俺はここまで探すだろうか。小百合には善悪の判断や、損得の計算ができない。気持ちいいこと、嬉しいことがあれば、無条件でそれらを受け入れてしまうだろう。だから、探しに行くのか。
「いや、障害の有無は関係ない」
行く手に、JRの駅が見えてきた。バスとタクシーのロータリーから道が放射状に伸びている。そのうちの一つ、ゲームセンターやコンビニ、ファミレスが並ぶ太いバス道路へ、仙田の足は向かった。

6416.6/15/2010
ガッコー「海風」第二章 ..page6

 そのとき、勢いよくドアが仙田側に開いた。ちょうどドアを叩くのと同時だった。部屋のなかから、厚めの化粧をした山尾百合が出てきた。 「あら、先生。どうしたの」
 いつもは、だぼっとしたセーターとモンペのようなズボンをはいている百合が、きょうはめかしこんでいる。襟が立った白いシャツ、からだの線にぴったりのベスト、本物ではないだろう革のコート。ヒールの高いブーツまではいている。
「どうしたのは、こっちの台詞だよ」
 百合が、こういう服装をするのを初めて見た。仙田は、頭の先からブーツの先までしげしげと見つめてしまった。
「やだ、センセー、いやらしい目で見ないでよ。じゃぁね」
 おい。
 仙田に何かを言わせる隙を与えずに、百合は狭い通路から階段に消えた。ドアは開け放たれている。もう一度、ノックをするべきか迷う。
 しかし、仙田はノブに手をかけ、ゆっくりとドアを開いた。
「こんにちは」
低い声で、ゆっくりとしゃべった。返事や反応がない。
「海風学級の仙田です」
もう一度、低い声で、ゆっくりとしゃべった。
 山尾の部屋は、ドアを開けると、いきなり小さなダイニングキッチンになっている。シンクには、汚れたままの食器と鍋が放り込んである。ダイニングキッチンの向こうにもう一部屋ある。ガラス戸が中途半端に開いている。その向こうにひとの気配がする。
「山尾さーん、仙田ですよ」
今度は、通る声でターゲットに狙いを定めた。気配が動いた。
「どうぞー」
 山尾錦、41歳。小百合の父親だ。仙田は、靴を脱ぎ部屋に入る。ガラス戸を開ける。
 和室の中央にはこたつが一つ。こたつには、スルメイカ。マヨネーズのチューブ。醤油さし。一升瓶とガラスのコップ。
 錦は、こたつ布団を肩までずり上げて、首以外をこたつのなかに埋めていた。目を閉じている。仙田は、ほぼ真上から見下ろす。
「また、朝っから飲んでるんですか」
非難しても、効き目がないことは承知しているが、黙ってやり過ごす気分ではない。
「正確には違うな」
目を閉じたまま、錦は思案顔だ。
「大晦日、除夜の鐘を聞いた頃から、ずっと飲んでた」
「そんなこと、自慢にならないの」

6415.6/14/2010
ガッコー「海風」第二章 ..page5

1月7日・午前8時・山尾小百合宅

 海南市との境界まで歩いた。
 海風町に比べて、鉄道が通っているので、海南市は繁華街が大きい。この辺りに住んでいるひとたちの生活圏は、町よりも市だろう。
 コーポ・オーシャン。山尾小百合が住んでいる。
 山尾は河鹿が担任している。しかし、教員になって3年しか経過していない河鹿に、家庭訪問の発想はないだろう。仙田は、ひとの分を働いている。しかし、河鹿に借りを作ろうしているのではない。できることがあるのに、世俗のしがらみに惑わされて、それを遠ざけることは、二度としたくないと決めているのだ。こどもにかかわる仕事を選んだ以上、こどもに苦痛が与えられる状況を事前にキャッチし、対策を練りたいのだ。それほど、よのなかは病んでいるし、おとなは弱りきっている。
 教え子が死んだ。死んだ教え子を最初に発見した。腕のなかで何度も揺すった。閉じたまぶたは二度と開かなかった。
「あなたが悪いんじゃない」
妻は何度も言った。
「お前のせいじゃない」
同僚は何度も言った。
 自分を責める仙田は、酒に逃げた。自分をかばうひとたちの善意が偽善に思えた。
 妻の誕生日に、レストランでおいしい思いをしていた。そのときに、ひとりのこどもが静かに息を引き取った。そのことをまったく予想していなかったと言い切れなかった。
 母親は逮捕された。しかし、警察官に連行されていくとき、唇の端にふっと安堵の表情を見せたのを、仙田は知っている。彼女にしても、こどもとの生活は苦痛だったのだ。母親になるということを、だれからも何も教わらないままこどもを産んだ。夫は蒸発する。こどもの脳には障害がある。そういうこどもを担任した自分が、学校にいる時間だけ支援をすることはできない。生活を含めて支援しないと、そのこどもの自立にはつながらない。だれもあてにできないのだから、自分がするしかない。
 わかっていたのに、あの日はそれができなかった。
「上の部屋で休みなよ」
 ゆうひのマスターが、酒におぼれる仙田をたしなめた。
「はい」
なぜか、素直になれた。
 いまの仙田が、こどもたちの親に正面から切り込んでいけるのは、ずっと後悔を背負っているからだ。同じ後悔をしないために、躊躇を捨てたのだ。
 コーポ・オーシャンの階段を上がる。手前の日当たりのいい201号室。表札には漢字で「山尾」と記されている。拳骨を握り締め、ドアを叩いた。

6414.6/11/2010
ガッコー「海風」第二章 ..page4

 道を歩きながら、仙田は背中を丸めた。
 海からの風が直接頬に吹きつける。雪はめったに降らない。しかし、冬の風は冷たい。むしろ、海水の方が気温よりも高くて、冷えた朝には海から凍った蒸気が霧のように立ち込めることがある。
 アウトドアでも使えるコートなので、防寒対策はばっちりだ。しかし、コートから出ている部分は無防備になる。手はポケットにしまえる。でも顔を隠すことはできない。
「結局……」
何かの事件が起こらないと、よのなかは動かないようにできているのか。
 明らかに、こどもが放棄され、育てられていないことがわかっているのに。このままでは、確実に事件や事故に発展するとわかっているのに。細い腕を抱えながら、こたつのなかで眠っていた拓郎の顔が浮かぶ。
 仙田は、数年前に妻と別れた。
 そのときも、いまと同じように仙田はネグレクト家庭のこどもを担任していた。休日になると、その家庭を訪問し、生活全般の支援もした。
「あなたがそこまでする必要はないんじゃないの」
家庭生活を犠牲にして、仕事に没頭する仙田に、妻は言い放った。
「俺が何とかしなきゃ、だれが面倒みるっていうんだよ」
その家庭も、父親は蒸発し、若い母親が夜の仕事をしながらこどもを育てていた。
「こどもを面倒みるなんていって、本当の目的は別にあるんじゃないの」
一度、歯車が狂い始めると、夫婦間の溝は広がるばかりだった。
 あの日は、妻の誕生日だった。たまたま週末と重なった。
 海風町にしてはめずらしい豪雪の晩だった。仙田は、まともな暖房器具のないその家庭を思い出していた。しかし、こんな夜ぐらい母親は仕事を休むだろうと考えた。それに、妻の誕生日だから、海の見えるレストランを予約していたのだ。
「乾杯」
タイヤにチェーンをつけたタクシーで、夫婦そろってレストランに向かう。予約のときに頼んであった海が見えるテーブルにつく。積もった雪が桟橋に広がる。海面は闇に消え、レストランの明かりが寄せては返す波を映し出していた。
「週末も仕事で忙しかったのに、きょうはありがとう」
妻が少しきれいに見えた。苦労をかけ続けていることは、わかっていた。今夜の誕生祝が、広がった溝を少し縮めるのに役立てばいいと思った。
 電気を止められ、暖房器具のない暗い部屋で、知的障害のある男の子が、その夜、寒さと飢えで息を引き取った。
 その事実を知ったのは、翌日、出勤してからだった。登校しないこどもを心配して、家庭訪問した。母親は仕事先から帰ることができず、朝になってもそのこども以外だれもいなかった。仙田は、遺体の第一発見者になった。
 俺が殺したんだ。母親への怒りよりも、自分への憎しみが大きかった。

6413.6/8/2010
ガッコー「海風」第二章 ..page3

1月7日・午前7時・雑賀拓郎宅

 仙田は、背伸びをした。
 両手を伸ばし、かかとが浮いた。上半身を大きく後ろにそらす。顔が上を向く。アパートの壁に消えかかった黒いペンキで、日南荘という文字がかろうじて見えた。
「さぁて、拓郎は生きてっかな」
冗談とも、本気とも取れる自分の言葉に身震いをした。
 木造の日南荘は、いつ倒壊してもおかしくないほど壁も屋根もくたびれている。錆びていないところを探すのが大変な階段。一応、二階建てだ。拓郎の部屋は一階の一番奥の102号室だ。通路には光が当たらない。暗い。それでも、部屋のなかにはトイレと風呂は設置してある。
 新聞の広告。裏が白い広告を長方形に切り取り、そこに水性ペンで「102」と書き、セロテープでドアに貼ってある。表札はない。右手を拳骨にして軽くドアをたたく。朝から名前を呼ぶと、近所に誤解されるかもしれない。ドアをたたいても、なかから反応はない。
 まさか。
 何度も育児放棄で児童相談所が介入している家庭だ。また、こどもを残して出て行ったのか。
 仙田は、反射的にドアノブを回す。鍵はかかっていない。どういうことだ。
 ドアを開ける。
「おはようございます」
とりあえず、挨拶をしておこう。黙って入ると、後々、盗人扱いされかねない。小さなキッチンと4畳半一間。ドアを開けただけで、部屋のなかが一望できる。
 部屋の中央にこたつ。そのこたつに拓郎が寝そべっていた。仙田が挨拶をしても起きない。靴を脱いだ仙田が、拓郎のそばにしゃがむ。口のまわりについた飯粒が乾燥している。
 飯は食わせているな。
 仰向けに寝そべる拓郎の胸が上下する。
 よし、生きている。
 母親の博美がいない。冷蔵庫を開ける。見事に何も入っていない。空気を冷やしてどうするんだ。キッチンを観察する。レンジが使われた形跡がない。食事はコンビニか。風呂場を覗く。バスタブを右手の人差し指のはらで10センチほどこする。こすったはらを見る。うっすらとほこりがこびりついていた。一週間ぐらい風呂をわかしてないな。
 うーん。拓郎が寝返りを打った。仰向けの姿勢から、からだの右側を下にした横向きの姿勢になった。左腕が、だらんとこたつ布団から出た。仙田は、拓郎の腕が2学期よりもひとまわり細くなったような気がした。この家庭は、学校給食制度がなくなったら生きてゆけない。
 仙田は、靴を履き、静かにドアを閉めた。博美はどこにいるのか。たまたま買い物に出かけただけかもしれない。反対に、夕べから帰っていないのかもしれない。この事実を、だれかに告げるべきか。とくに犯罪が起こっているわけではない。だれかが困っているわけでもない。だれかに告げても、この事実に変化がないことはわかっている。

6412.6/6/2010
ガッコー「海風」第二章 ..page2

プロローグ

 1月6日。冬休み中の海風学級に、授業準備と教室環境整備のため仙田が出勤する。後輩の河鹿にも準備出勤を言ってあったのに休んでいる。比翼は出勤していなかったがそれ以前に来てワックスがけをした様子だった。
 校長室に丹野母子が相談に訪れる。校長と教頭が応対した。
 食堂「ゆうひ」では、忘年会でセクハラを受けた佐藤が、教頭の井桁に相談をする。
 母子からの相談を受けた校長は、仙田に「なりすまし」についての質問をする。校長は詳しい事情を話さない。仙田は「なりすまし」はいじめの原因になっていると説明した。
 ゆうひのビップルームでセクハラの相談をする佐藤。ランチを食べに仙田が来ると、あわただしく井桁と佐藤が帰ってしまう。何かがあるらしいと感じながらも、自分の仕事で精一杯の仙田。
 カゴメ宅。夜。井桁が届け物を渡す。佐藤のことを相談する。組合に話を持って行こうとする井桁を佐藤が制したことを伝える。話を大きくしないで校長の指導力に期待していたそうだった。

 学校に関する物語だが、もちろんすべてが架空の話だ。どのディテールも、具体的なイメージや過去の出来事と重なる部分はない。25年以上も学校に勤務した作者が、学校の内側で起こりそうな物語を空想して書いた小説である。
 だから、それぞれの登場人物や、出来事について、だれのことだろうとか、どのことだろうという詮索は意味がない。
 テレビや小説に描かれる学校や学園は、実際の教育現場とは、かけ離れたことが多いので、多くのひとたちに誤解を与えているだろうと心配している。だから、限りなく、物語の環境としての学校や学校内部の人間関係は、現在の公立学校の姿と酷似させるように努力した。
 学校を聖域化し、教員を聖職化するドラマや物語は、作者の思い入れの世界で完結している。実際の学校は、日々変化のまっただなかで、少しずつこどもたちが成長したりつまずいたりする世界なのだ。だから、一つの物語が、完結する瞬間というものは感じにくい。あえて、感じる瞬間があるとしたら、それは卒業の瞬間だろう。しかし、それさえも、すべてを完結させることができたから、卒業なのではない。小学校なら6年間、中学校なら3年間という時間が経過したから、卒業なのだ。何も完結しないまま卒業していくこどもたちが、ほとんどではないかと思う。
 わたしは、ガッコー「海風」をなるべくおとなの視点で描く。
 こどもの視点になると、わたしの意図が、登場するこどもの言動に反映してしまいそうで危ないのだ。

 それでは、第二章をよろしく。

6411.6/4/2010
ガッコー「海風」第二章 ..page1

プロローグ

 小説「ガッコー海風」第二章の連載を開始する。
 第一章の連載終了から時間が経過したので、ここで内容をおさらいしよう。
 まずは登場人物から。

仙田太助…45歳。海風小学校教諭。海風学級情緒学級担任。教員23年目。障害児学級の担任歴は10年目。
河鹿 蛍…25歳。海風小学校教諭。海風学級知的学級担任。新卒で特学担任になる。3年目。
比翼カゴメ…63歳。海風学級介助員。校長定年後、退職して、介助員を希望する。
佐藤秋絵…30歳。海風小学校教諭。3年1組担任。忘年会で浅葉からセクハラを受け心理的ショックを追う。独身。
浅葉喜一…52歳。海風小学校教諭。6年1組担任。セクハラをした張本人。3月で勧奨退職予定。私立カルディア学園小学部教務主任に内定。
鶴湯 元…60歳。海風小学校校長。3月で定年退職。私立カルディア学園小学部部長に内定。
井桁知耶子…55歳。海風小学校教頭。比翼の後輩。比翼を尊敬している。校長に反感あり。カゴメの家から徒歩10分。
丹野 幸…42歳。保護者。6年1組に娘の雪が在籍。いじめに遭う。浅葉に相談するが逆にセクハラを受ける。
丹野 雪…12才。児童。携帯電話のなりすましいじめを受ける。浅葉にセクハラを受ける。
雑賀拓郎…9才。児童。海風学級児童:情緒障害児。カナー症候群。エラコリアあり。被虐待児。
雑賀博美…30歳。保護者。雑賀拓郎の母親。夫は2年前に蒸発。拓郎に対するネグレクトと言葉の虐待あり。パートと実母の援助で生きる。
山尾小百合…11歳。児童。海風学級児童:知的障害児。6歳程度。父親統合失調症。生活保護。
山尾 錦…41歳。保護者。山尾小百合の父親。薬物依存で逮捕・措置入院を繰り返す。共産主義的考え方。
山尾百合…40歳。保護者。山尾小百合の母親。旅館の仲居をしていたときに夫と出会う。駆け落ち。
地久 淳…48歳。飲食店経営。飲食店「ゆうひ」マスター。アルコールあり。オリジナル料理。
地久 桜…47歳。飲食店経営。地久淳の妻。こどものいない夫婦で「ゆうひ」を経営している。

 場所は架空の町「海風町」。風光明媚な湘南地域の一角だ。
 2008年1月6日の出来事が、第一章の内容だった。
 海風町は、都会からJRで1時間程度。私鉄バスがひとびとの交通手段。相模湾に面していて、漁業と観光の町。人口は5万人。
 学校は公立学校だけ。小学校が2校に、唯一の中学校。
 企業や大学の保養施設や個人の別荘が多く、固定資産税が町の大きな収入源になっている。
 道路は山の手通りと海岸通りがあるが、ともに狭い。
 住民は古くからのひとと、新興住宅地に入居してきた新しいひとが半数ずつ。
 市街化調整区域が多く、自然林が多く残っている。

6410.6/1/2010
戦争が始まる ..voice6

 戦後の日本社会はどこの国とも戦争をしていない。
 この事実は、大事な真実を包み隠してしまうので気をつけないといけない。
 1950年から1953年までの3年間、朝鮮戦争があった。厳密にはこの戦争は、いまも終わっていない。休戦協定が結ばれたままだ。だから、先日、韓国の哨戒艇が沈没した原因が、北朝鮮によるものだとしても、戦争状態にあるのだから当然だという見方が成り立つ。
 このとき、戦後の経済的復興を朝鮮戦争は後押しした。日本国内の基地を出撃及び後方支援基地としていたアメリカ軍やイギリス連邦占領軍が、武器の修理や弾薬の補給、製造などを依頼したことから、工業生産が急速に伸び好景気となり、戦後の経済復興に弾みがついた。
 1960年から1975年までの15年間、ベトナム戦争があった。北ベトナムと南ベトナムが戦争をした。双方で、民間人だけでも450万人が死んだと推定されている。
 当時の日本の総理大臣は、佐藤栄作だ。佐藤総理は、日米安全保障条約に基づき、ベトナム戦争の期間中、7年6ヶ月間にわたって、開戦当時はアメリカ軍の統治下にあった沖縄や横須賀、横田などの軍事基地の提供や、補給基地としてアメリカ政府を一貫して支え続け、1970年には安保条約を自動延長させた。その見返り的に、1968年には小笠原諸島、ベトナム戦争からの終結を前にした1972年には沖縄県のアメリカからの返還を実現した。
 朝鮮戦争とベトナム戦争は、戦後の東アジアで起こった大きな戦争だ。その戦争で、日本の国土は、アメリカや連合国の基地として使われた。朝鮮戦争では、政府が極秘裏に旧海軍の軍人を掃海業務に派遣している。
 同じく総理大臣を務めた中曽根康弘は当時のアメリカの大統領に日本列島はアメリカの不沈空母であると明言している。沈まない航空母艦。戦闘機は日本の飛行場を使ってよろしいというわけだ。ぜひ、彼の地元に航空母艦を旗艦とするアメリカ軍飛行場を誘致してほしい。どれだけ音速の戦闘機がうるさく、不快で、邪魔な存在かを肌身に感じてほしい。
 自分の家の庭で寝起きする兵隊が、ほかのひとの庭で人を殺す。町を焼く。野山に爆弾の雨を降らせる。兵隊は、交代で自分の庭から戦争に出かける。一仕事終えると自分の庭に戻ってくる。戦争相手にとって、庭を貸しているわたしは「敵」ではないのか。もしも兵隊に脅されて庭を貸していたのなら、いのちが大事だから仕方がなかったと理解してくれるかもしれない。しかし、喜んで庭を貸し、武器の修理や衣食住の面倒まで見ていたら、わたしはかれらの立派な味方ではないのだろうか。
 戦争をしている国家に味方をすることは、戦争に参加していることと同じなのだ。
 敵が攻撃対象にしても、おかしくない。
 戦後、長く続いた保守政治は、日本列島という大きな庭をアメリカ軍に貸しすぎた。しかも、予算をつけて面倒まで見ている。その金があるなら、スイスのように自国の軍備を増強して、少しずつアメリカ軍基地の閉鎖を進めればよかった。そういう長期的な視野に立つ政治家が登場しなかったので、だらだらとアメリカ軍に庇護された図式からの脱却が困難になっている。
 言うまでもないことだが、日本国内のアメリカ軍は、アメリカ大統領の命令で作戦が実行される。日本の総理大臣が指揮しているわけではない。だから、もしかしたら、アメリカ大統領は、日本人に銃を向ける命令を出す時期が来るかもしれない。歴史に「絶対○○はない」とか「必ず○○はある」という確定した未来はない。
「そんなはずはない」
 そうあぐらをかかない方がいい。他国の軍隊が駐留し続けるということは、占領されていることとどう違うのだろうか。アメリカ軍と自衛隊が協力関係にあるというのなら、どうして指揮命令系統が異なるのだろうか。総理大臣が自衛隊と同じように、アメリカ軍に命令を出せるようにならないと、いつまでも自分の庭に平和は訪れない。
 戦争は、いきなり始まらない。少しずつ少しずつ既成事実が積み重ねられて、あるとき堰を切ったように軍事的緊張のバランスが崩れ、一気に衝突へと向かう。