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6409.5/29/2010
戦争が始まる ..voice5

 日本の若者の多くは、おそらく戦争には反対だろう。
 自分が死ぬのはいやだし、命令でも外国人を殺すのは気が引けるだろう。超どん底の不景気を生き抜いている若者にとって、国家は自分のために何もしてくれない存在なのだ。家族も崩壊し、恋人なんていない。孤独を友とした生き方を余儀なくされている若者は決して少なくない。そのことすら、おそらく政治家や権力者は知らないだろう。
 さらに、現在の若者の多くは、帝国主義打倒、共産主義排除、マルクス・レーニン主義云々など、そういうイデオロギーは皆無だ。自分の主義主張がないから、国を守るとか、家族を守るという概念は生まれにくい。自分の主義主張をもたないように、戦後の文部行政は学校を装置としてこどもたちを教育してきたのだ。
「日教組がこどもをだめにした」
 街頭で演説している方がいるが、決してそんなことはない。そんな単純な理屈ではないのだ。それに、ちゃんと計算すればわかるはず。日教組に加入している教職員は、全体の3割もいない。7割は日教組に入っていないのだ。若干はほかの労働組合に属しているが、多くは上(管理職や教育委員会)の命令を粛々と受け止め、日々の授業に反映させているのだ。
 もしも、本当に日教組がこどもをだめにしたというなら、わずか3割の日教組に加入している教職員たちは、たった3割で、全体のこどもをだめにするほどの影響力のあるすばらしい人材であろう。
 スイスでは、戦争をしないために軍隊や軍備を増強しているのではない。他国に侵略されないために、軍事的に強い武装国家を維持しているのだ。もしも、スイスを侵略した国家があったなら、その侵略以上の損害を与えることを目的とした軍事行動がとられる。それを憲法も国民も支持している。ただし、永世中立国という立場で、自ら他国を攻撃することを禁止している。
 つまり、攻撃されない限り、戦争はしないという立場だ。
 そのために、どの国とも中立的な立場を貫く。
 アメリカ軍の沖縄普天間飛行場の移設問題で揺れる2010年の日本社会。少し他国に学んではいかがだろう。
 スイスのように、国民皆兵という制度が必要かどうかは議論が分かれるところだろう。しかし、アメリカ軍にいつまでも頼らない体制を作るなら、だれが国防の任に当たるのかははっきりさせなければならない。
 ちなみに自衛隊は、英語で「Self Defense Force(自衛軍)」と表記されるが、日本国外での報道や書籍、航空無線、船舶無線では、陸海空自衛隊がそれぞれ「Japan Army(日本陸軍)」「Japan Navy(日本海軍)」「Japan Air Force(日本空軍)」と呼称される。外国に対しては、軍と言い放っているのだ。
 去年の3月末の自衛官は248,303人、即応予備自衛官は8,408人、予備自衛官は47,900人、予備自衛官補は3,920人だ。これは世界では24位。人数としては少ない。しかし、軍事費4兆8千億円は世界でも上位に属している。
 中国の人民解放軍陸軍の総兵力は344万人。事実かどうかは不明だが、北朝鮮の朝鮮人民軍は100万人と、日本の国防白書には記されている。アメリカは、144万人で、予備役が145万人もいる。
 これからの戦争は、軍隊の規模ではなく、兵器の能力で決まるとも言われている。だから、兵員が少ないことは、それだけで戦力が弱いとは言い切れない。スイスは、日本と同じように20万人の兵員と予備役がいる。しかし、スイスの面積が東京の23区の2倍程度ということを考えると、割合としては、日本よりもはるかに多くの国民が兵員とも言える。

6408.5/28/2010
戦争が始まる ..voice4

 永世中立国ということは、戦争が始まったら、どこの国にも味方をしないということだ。
 だから、第一次世界大戦では武装中立を保持した。国際連盟の本部はスイス国内のジュネーブに設置された。第二次世界大戦では、ドイツとイタリアという枢軸国と国境を接しながらも、武装中立を守り、領空を侵犯する連合国戦闘機、枢軸国戦闘機、どちらもおかまいなしに空軍(陸軍航空隊)は迎撃した。
 戦後の国際連合にも参加しなかった。その理由は、公平中立な国際機関とは言えないというわかりやすいものだった。しかし、2002年9月10日に国民投票の結果を受けて190番目の加盟国となった。
 戦争が始まったら、どこの国にも味方をしないこと。それは、反対から見れば、どこの国も敵にするということだ。
 だから、スイスの国防は徹底している。日本のようにそこかしこにアメリカの軍隊が基地を作り、軍人や軍属(軍人の家族)がアメリカの法律に守られて生きるなんてことは、ありえない。
 スイスの正規軍は、近代的で高度な装備を有する。同時に多数の成人男子が予備役もしくは民間防衛隊(民兵)として有事に備えている。軍事基地が高い密度で存在する上、岩山をくりぬいて建設されるなど高度に要塞化されており、主要な一般道路には戦車侵入防止の為の装置や、小屋に擬装したトーチカが常設してある。
 国民皆兵を国是としており、徴兵制度を採用している。20から30歳の男子に兵役の義務があり女子は任意である。スイスの男性の大多数は予備役軍人であるため、各家庭に自動小銃(将校等は自動拳銃も含む)が支給され、各自で保管している。かつては弾薬も各自で保管していたが、2007年9月より安全上の理由によって、これらは回収され軍が管理するようになった。対戦車火器や迫撃砲など、より大型の武器は地区単位で設置されている武器庫に収められている。これらの支給火器が犯罪に用いられることはごく稀である。
 近年、国際貢献を前提とした軍のプロフェッショナル化のため、徴兵制を廃止する法案が3回、国民投票にかけられたが、いずれも否決されている。
 政府によってスイスの一般家庭に配布された小冊子『民間防衛』の内容からもうかがい知れるようにスイス国民はあまねく有事に備えている。政府が食糧を数年分貯蔵していたり、学校にも緊急避難用のシェルターが装備されている。
 スイス軍は陸軍のみであるが、航空隊(空軍)、船舶部隊(水軍・海軍とも呼ばれる)も保有する。
 船舶部隊は主に国境をなすレマン湖(ジュネーヴ湖)とコンスタンス湖(ボーデン湖)に配置されている。10から20隻の哨戒艇が主力であるが、有事の際はライン川を遡行する大型商船を徴用し、武装する予定となっている。
 軍事的な自立を高める為に兵器の国産化にも熱心である。かつては戦車や航空機も国産していたが多くの国と同じように開発費用の高騰で断念した。一方で小火器や装甲車は依然として高い国際競争力を持ち世界中に輸出されている。銃器のシグ社製品やピラーニャ装甲車等が有名。
 国防の基本戦略は、敵国にとって仮に侵略が不可能でないとしても、侵略のメリットよりも損害の方が大きくなるようにすることにある。2002年の国連加盟後もこの基本戦略は変わっていない。
 スイス憲法は連邦政府に委任すべき事項を規定している。憲法に規定のない事項については州政府が主権をもつ。例えば参政権の規定は州政府に主権があり、1971年に憲法で婦人参政権が確立したのちも、1990年に至るまでアッペンツェル・アウサーローデン準州では婦人参政権が制限されていた。憲法改正は容易であり、10万人の改正要求があった場合は改正提案に対する国民投票が実施される。 憲法改正が多い国で、過去140回以上にもわたる改憲を行っている。
 戦後、日本社会は軍隊を解体した。同時に、警察予備隊から発展させた自衛隊を保有する。自衛隊は、現在では世界の軍隊に肩を並べる実力と装備を有している。立派な軍隊だ。しかも、徴兵によって組織された軍隊ではなく、専門的な訓練を受けた職業軍人集団だ。このような正規軍とも呼べる軍事集団が存在するのに、なぜアメリカ軍が必要なのだろうか。

6407.5/25/2010
戦争が始まる ..voice3

 永世中立国。いつまでも、どこの国とも戦争をしない。
 「会議は踊る、されど進まず」と揶揄されている1814年から1815年にかけてのウィーン会議で、スイスは世界で始めて国家としての永世中立を認められた。
 ウィーン会議は、フランス革命とナポレオン戦争終結後のヨーロッパの秩序再建と領土分割を目的として、1814年9月1日から開催された。1792年より以前の状態に戻す正統主義を原則としたが、各国の利害が衝突して数ヶ月を経ても遅々として進行せず。1815年3月にナポレオンがエルバ島を脱出したとの報が入ると、危機感を抱いた各国の間で妥協が成立し、1815年6月9日にウィーン議定書が締結された。ウィーン会議の結果成立したヨーロッパにおける国際秩序をウィーン体制と呼ぶ。このウィーン議定書のなかに、スイスの永世中立が記されている。
 正式名称は、スイス連邦。連邦というのだから、いくつかの自治州で構成されている。
 州という考え方は、いまの日本社会ではなじみが薄い。しかし、1868年以前の日本社会(いわゆる江戸時代)では似たような制度だった。幕府と藩との関係が、州と連邦政府との関係とイコールではないが、イメージとしてとらえておくのは必要だろう。
 州には、法律を作る議会がある。法律はその州のなかで適用される。国家全体にかかわる法律は連邦議会で作る。連邦議会で作る法律が、各州の法律とぶつかったり、反対の内容だったりしないように、連邦議会と州との関係は憲法で規定されている。もともと、歴史的に州とはその地方の「まとまり・共同体」だったので、連邦といえども、他地域からの押しつけには根強い反対感情が強い。アメリカのように、州によって教育も軍事力も税金も何もかも違うのは、自分たちの州のことは自分たちで決めるという自治に関する意識が強いからだろう。それを法的に支える仕組みがあるのだ。
 スイスの正式名称は5つもある。
ドイツ語名:Schweizerische Eidgenossenschaft
フランス語名:Confederation Suisse
イタリア語名:Confederazione Svizzera
ロマンシュ語名:Confederaziun Svizra
ラテン語名:Confoederatio Helvetica
 ロマンシュ語なんて、聞いたことがない。どこの国の言葉だろう。おっと、自らの不勉強をさらけ出す。
 英語文化圏が、かなりお嫌いなようですな。正式表示が5つもあるのに、英語はない。
 正式名称のほかに通称も5つある。
ドイツ語名: Schweiz(シュヴァイツ)(通常は女性定冠詞を付して“die Schweiz”と表記する。)
フランス語名:Suisse(スュイス)
イタリア語名: Svizzera(ズヴィッツェラ)
ロマンシュ語名: Svizra(スヴィツラ)
ラテン語名: Helvetia(ヘルウェティア)
 略称は、ラテン語名の頭字語(アクロニム)である CH を用いる。つまり、スイス国内の硬貨や切手には、ラテン語表記が定められているのだ。わたしたちが、ふだんスイスと呼ぶ国は、あちらに行くと「ヘルウェティア」と呼ばないと通じないことを、日本の学校は教えない。
 もちろん公式な英語表記もある。公式の英語表記は Swiss Confederation、通称は Switzerland(スウィツァランド) で形容詞はSwiss(スウィス)。
 日本語表記はスイス連邦、および、スイス。漢字による当て字では瑞西と表記し、瑞と略す。稀にドイツ語の正式名称から「スイス誓約者同盟」という訳がなされることがある。

6406.5/23/2010
戦争が始まる ..voice2

 日本の憲法。第9条は戦争と平和に関する条文だ。

1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 この条文には大きな3つの意味が含まれている。すなわち「戦争をしない」「戦力をもたない」「戦争を行う権利を認めない」。
 文章だけは、戦争を放棄した内容であり、平和を求める目的が明確だ。
 憲法は戦後、すぐに作られた。その直後における憲法改正審議(1946年)では、日本共産党の野坂参三衆議院議員が、自衛戦争と侵略戦争を分けた上で、「自衛権を放棄すれば民族の独立を危くする」と第9条に反対し、結局、共産党は議決にも賛成していない。また、南原繁貴族院議員も共産党と同様の「国家自衛権の正統性」と、将来、国連参加の際に「国際貢献」で問題が生ずるとの危惧感を表明している。それは「互に血と汗の犠牲を払うこと」なしで「世界恒久平和の確立」をする国際連合に参加できるのか?という論旨であった。
 これらの危惧は、1946年にすでに発生していたのだ。それを、いたずらに先延ばしした結果、東西の冷戦終結後、自衛隊を海外に派遣する論議のなかで現実的な重みをもつようになった。
 日本の憲法9条を考えるとき、中央アメリカ何部の共和制国家「コスタリカ共和国」を思い浮かべるひとは多いだろう。北にニカラグア、南東にパナマと国境を接しており、南は太平洋に、北はカリブ海に面している。首都はサン・ホセ。1948年に、憲法の規定によって軍隊を廃止した世界初の国である。また、チリやウルグアイと共にラテンアメリカで最も長い民主主義の伝統を持つ国であり、中央アメリカでは例外的に政治的に安定が続き、かつ経済状態も良好な国家である。
 しかし、コスタリカには世界最強とも言われる警察組織がある。その半数を占めるといわれる市民警察には、国境警備やテロ攻撃の任務を専門に扱う部署があり、対戦車砲まで装備されている。イギリスの軍事機関(国際戦略研究所)は、この部署を「準軍隊」と格付けしている。ちなみに、その機関によると日本の自衛隊は立派な軍隊である。また、コスタリカの憲法は常設の軍隊を廃止したが、非常時には大統領の命令で軍隊を組織できるようになっている。つまり、戦争が始まりそうになれば、徴兵制が行われるということだ。政治的にはアメリカ追従の方針なので、中国とは一線を画し、台湾と近い。
 いまの日本と似ている。
 日本の憲法第9条は、現実を反映しているものとはもはや言えない。それは、戦後の保守政治が、憲法を無視して、既成事実を先行させた結果だ。だから、憲法の理念と、よのなかの現実に違いが生じてしまった。いまや自衛隊は、名前だけは軍隊ではないが、名実ともに軍事力を保持した大きな組織だ。海外にも派兵している。国防を任務とする趣旨から離れて、外国の紛争地で治安や他国の軍隊に協力した仕事をしている。
 このおとなたちの不作為を、こどもや若者はあきらめと同時に、どうでもいいという投げやりな思いで受け止めるだろう。どうせ、自分たちには何もできないのだと。
 しかし、どんなにあきらめても、どんなに投げやりになっても、戦争が始まれば、有無を言わさずに戦争地に送られ、上官の命令で突撃をするのは、若者たちだ。そのときになって逃げたり、隠れたり、文句を言ったりしても、手遅れだ。
 今一度、憲法9条を思い出す。国際紛争を解決する手段として武力を使ってはいけないという考えは、人類がいまもつかみえていない崇高な理念ではないか。その理念を達成するために、どうすればいいのかを考え、具体的な行動に示さないと、わたしは歴史教科書で学んだ戦争の時代に生きることになるだろう。

6405.5/21/2010
戦争が始まる ..voice1

 わたしは戦争を体験していない。
 わたしと同世代のひとのなかには、世界各地の紛争地帯で仕事をしているひとがいる。武器をもって戦争をしているとは限らない。危険な地域で仕事をしなければいけない事情があるということだ。また、少なからず知り合いの中に自衛隊員がいる。多くのひとは国内の基地に所属しているが、わずかだがイラクやソマリアに派遣された知人もいた。幸い、無事に任期を終えて帰還した。残された家族の苦痛は想像を絶した。
 沖縄県にあるアメリカ軍の普天間飛行場が閉鎖される。
 かつての自民党公明党政権のときに、アメリカ軍と政府は普天間飛行場の移設に合意した。
 いま、民主党の総理大臣の決断や判断をとやかく突き上げる自民党や公明党の政治家がいる。
「それって、違うよなぁ。もともとは、あななたたちが、移設先をはっきりと示さなかったから、こんなにこじれているんじゃないか」
 わたしは、そういう違和感を持ち続けている。
 民主党の政権公約は、国外移設もしくは県外移設だったと思う。
「これまで、沖縄県のひとびとにはアメリカ軍基地という重い大きな負担をかけてきました。同じ負担をどうして沖縄県民にばかりかけられましょうや。これからは、沖縄県以外の日本人も同じ負担を分かち合いましょう。それができないなら、日米安保条約じたいを見直して行くべきです」
 H総理大臣は、これぐらいのことを言ってもいいだろう。
 わたしの住む神奈川県は、沖縄県に劣らずアメリカ軍に関連する機関が多い。横須賀の港、厚木の飛行場、逗子の旧弾薬庫など。このほかにも通信施設や作戦指令など多くの施設が存在する。そして、驚くなかれ、神奈川県の空はほとんどがアメリカ軍の専用飛行空域なのだ。だから、わたしは生まれたときから、旅客機よりも戦闘機や戦闘ヘリのほうを多く見てきた。羽田に民間の飛行場があるが、そこを離発着する旅客機は神奈川県の空を避けて飛行している。そうしないと厚木基地で離発着する軍用機と衝突してしまう危険性があるのだ。
 鹿児島県徳之島が槍玉に上がっている。
「平和な町に軍隊はいらない」
「アメリカ軍基地断固反対」
 島のひとびとが掲げるプラカードには、アメリカ軍アレルギーのような文句が並ぶ。
「静かな空を守りぬくぞ」
 威勢のいい言葉を見ながら、やはり違和感を覚える。
 神奈川県の湘南地方では、授業中に戦闘機の轟音で耳をふさぐケースが少なくない。防衛施設庁が優先的に防音設備をサービスするエリアは狭い。その周辺地には、民家にも学校にも防音設備などない。だから、相模湾から厚木飛行場を目指して飛行してくる音速ジェット戦闘機は、空を切り裂く爆音を撒き散らす。
 こういう地域が同じ日本にはあるということを、「静かな空」に守られたひとたちは知っているのだろうか。
 たえず戦闘機の部品落下事故や(かつては戦闘機じたいが墜落して住民が死んだ事故があった)その他の危険性と隣り合わせの日常。  自分たちだけが静かな空を堪能する権利があるかのようなものの言い方、主張の仕方には納得したくない。
 東シナ海ではきな臭い事態が発生した。韓国の哨戒艇が北朝鮮の特殊潜航艇(小型の潜水艦らしい)の魚雷で沈没。多くの乗員が死亡した。
「韓国のでっちあげだ」
 いつものように北朝鮮政府は、声明を発表している。韓国政府がマッチポンプ(自作自演)したとするには、犠牲が多すぎる。真実は、永遠の闇の中に消えるかもしれない。そして、政治的決着という事実が捏造されるのだ。その捏造された事実が、歴史の確定事項になり、未来の教科書に記されていく。真実と事実との間の違いは、時間とともにだれも気にしなくなる。
 戦争が近い。

6404.5/20/2010
坂の下の関所・11章 ..story 186

 王さんは、わたしよりも収入も多いだろし、社会的ステータスもずっと上だろう。時間や仕事も自由になる立場のひとだろう。それだけ、苦労やひとに言えないつらさも多いだろう。
 そんな王さんが、東京や横浜に仕事で出かける。夕方や夜の打合せや仕事に出かける。
 関所の脇を通り過ぎる。なかを覗く。
 泥橋さんが撒き散らすニンニク臭にみんなが逃げ回っていたのかもしれない。
 赤坂さんと烏丸さんのとぼけた会話が笑いを誘っていたのかもしれない。
 山ちゃんの競馬予想に大将がからんでいたのかもしれない。
 相田さんが、ひとの話をまったく聞かないで、前夜のクラブのお姉さんたちの話題を披露していたのかもしれない。
 職場を出るときに「よ、ちょっと帰りに一杯引っかけていくか」という間柄ではない。
 なにしろ、一杯引っかけに行ったら、必ず会う間柄なのだ。
 わたしが、王さんと、鳥藤を出たのは、日付が変わる直前だった。ふたりで、右に左にふらふら揺れながら深夜の山崎を歩く。
 途中、シャッターが降りた関所前を通過する。
「なんだ、もうやってねぇのか」
 王さんが、シャッターにつぶやく。
「そりゃ、そうですよ。みんな寝てますって」
 ことしの春は雪が降りそうなほど寒い日があったかと思うと、初夏と思うほど日差しが強い日もあった。一ヶ月以上、数種類の桜が山崎の町に通りに谷戸に咲き続けた。
 軽い傾斜の坂道を王さんと登る。
 ふと、中学を卒業し、バレーボール留学で山口県に行った美鈴さんのことを思い出した。彼女は元気だろうか。厳しい練習や、上下関係に耐えているだろうか。
 そうだ、山中さんにもらった写真がどこかにあったはずだ。美鈴さんや美鈴さんのママ、若女将や相田さんたちと写っていたっけ。
「何をにやにやしているんだよ」
 ふらふら歩きながら、王さんの観察眼は鋭い。
「いえ、別に」
 王さんは、グッとわたしの肩を抱き、体重を傾けながら、ふらつく足元を支えようとする。
「当てようっか」
「はっ、何を」
 わたしの質問に応じないで、王さんは続ける。
「関所で何かいいことがあったんだろうなぁ。きっとそのことを思い出したんだろう。どうだ、図星だぜ」
 どうして、わかるんだろう。
「あそこで話したこと、感じたこと、考えたことは、あそこを離れたときによみがえってくるんだよ。不思議な店だ」
 わたしは、王さんと振り返る。坂の下の関所は、シャッターを街灯に照らし出されて、あしたに備えて一休みしているようだった。

(十一章・終わり)

6403.5/18/2010
坂の下の関所・11章 ..story 185

 居酒屋や酒屋にいると、シナリオがないのに、うまい具合に、客の出入りがかぶらない。だれかが帰ると、次の客が登場する。その絶妙なタイミングは、まるで扉の向こうで出番を待っているかのようだ。
 わたしのポットの湯は二つ目になっていた。
 佐藤さんが帰った席に王さんが座る。
 つまり、わたしの隣りの席は、木下さん、佐藤さん、そして王さんが連続して登場し退場して行った客が途切れる隙間がない幸運の座席なのだ。
「先生、久しぶりですね」
 いつも仕事に終われ、疲れた表情の多い王さんだが、今夜は少し元気そうだ。
「俺もそろそろ帰らなきゃと思っていたところなんです」
 少し腰を浮かせようとしたら、わたしの肩を王さんが押さえる。
「そんな、俺はいま来たばかりなんだから、もう少しいてよ」
 わたしは、王さんの仕事について一方的に話を聞いた。今夜の王さんは、大きな仕事をなし終えた解放感が漂っている。
「王さんの仕事に比べたら、俺の仕事なんて、アマちゃんですね。それに毎日が同じ繰り返しだし」
 王さんは、紺色のパッケージの短いピースに火をつける。深く煙を吸い込む。鳥藤のカウンター。ぶら下がっている電球目がけて、ゆっくりと煙を吐く。
「先生ね。俺はいつもあそこの関所の前を通り過ぎるとき、なかで盛り上がっているみなさんを見てうらやましいんですよ」
 王さんの仕事は、時間が一定していないので、夕方から仕事に行くということも珍しくない。
「でも、俺たちみたいに時間に拘束されているわけじゃないから、動きとしては自由度も大きいでしょ」
「そういう自由がほしくて組織に勤めるのは選ばなかったんですけどね。この歳になると、だんだんきつくなってきて。俺なんか、関所の前を夕方たまに通っても、関所のみなさんは、いつもと同じように盛り上がっている。たまに通ってそうなんだから、これはもう、いつも同じように盛り上がっているとしか考えられないでしょ。あー、このひとたちはなんて幸せな一日の終わりを迎えているんだろうって、妬けてくるんですよ」
 わたしは、振り返る。思えば大学を卒業した1985年3月以降、ずっと平日は8時半に学校に出勤してきた。この春で26年目だ。26年間も、繰り返し繰り返し平日は8時半に学校に出勤を繰り返した。8時半よりも早く出勤するのは当然だが、それより遅く出勤したことはない。だから、朝の連続テレビ小説を見たことはない。だから、一日のうち朝の時間は気持ちが張り詰めている。それに対して、一日の仕事を終えた5時以降は、たしかにささやかなくつろぎのひと時だ。

6402.5/16/2010
坂の下の関所・11章 ..story 184

 焼き鳥を数本注文した木下さんは、うまそうに高清水をなめる。
「いえいえ、とんでもない。ボクは、反省したんです。たしかに先生の言う通りだとね。だから、勇気を出してひとりでここに入れたのかもしれません。そうしたら、やみつきになって、もう何度もお世話になっているんです」
 家族が入院している。その苦しさを、木下さんは自分なりの方法で解消しているのだ。
「ボクはね、関所のみなさんがうらやましい」
「どういうことですか」
「あんなすてきな酒屋はないですよ。お店は商品を売ればいいという時代でしょ。そんな時代に、関所は商いで一番大事なことを忘れていない。それは、ひとなんですよ。どんなに売れても、逆にどんなに売れなくても、商いっていうのは、ひとがすべて。いいひとたちが集まる店は、長続きするんです。その魅力は、あのご夫婦です」
 きっと若女将と大将はいまごろくしゃみをしているに違いない。
「商いも含めて、生きていくってことは、ひとがすべてですよね」
 少しわたしも、ロマンティックになってきた。
 木下さんは、その後も二杯高清水をおかわりした。そして、腕時計を見て、おっと驚き、それじゃ、病院に戻りますと帰って行った。高清水を三杯ということは、おそらく三合以上は飲んでいる。アルコールの匂いをさせて、病院で怒られないのだろうか。
「いらっしゃい」
 きょうの鳥藤は絶好調だ。
 振り返ると、佐藤さんだ。横浜で病院に勤務する。麻酔の専門医だ。病院の中には麻酔医を常駐させないところがある。佐藤さんは週末になると、そういう病院に出向いて手術のチームに入る。このひとが休むのは一年間に数日しかない。
「ここ、いいですか」
 ちょうど木下さんが帰ったカウンター席が空いている。
「関所には行ってきたんですか」
「いや、きょうはもう時間が遅いので、こっちに直接来ました」
 あら、いつの間にか、そんな時間になっていたのか。
 ママは、佐藤さんにおしぼりを出したら、何も訊かないで、高清水の一升瓶からお燗用のコップに酒を注ぐ。電熱でお燗ができる。お燗している間に、佐藤さんの好物である砂肝を焼く。二本焼く。佐藤さんは、一言も注文していないのに、飲み物も食べ物も出てくる。彼にとって、ここはとても重宝なお店だろう。
 佐藤さんは小一時間飲んで行った。あしたは、大船に6時過ぎで、東京から新幹線で那須なので、もう帰りますと言い残し。翌日にそんな早起きが控えているのなら、真っ直ぐに帰ればいいものを。
「いらっしゃい、あら珍しい」
 ママが、いらっしゃいに言葉を追加する客は、特別な客だ。振り返ると、そこには王さんがいた。

6401.5/15/2010
坂の下の関所・11章 ..story 183

 こころのなかで乾杯をする。
 一口、喉に流し込む。湯に溶けたいいちこが、香り豊かに胃袋に吸収されていく。
「いらっしゃい」
 きょうの鳥藤は、平日でも客が足を向けている。きっとママは忙しくなり、カウンター客の相手などしていられなくなるだろう。
「あれ、先生じゃないですか」
 え、わたしは振り返った。
「あー、木下さん」
「なぁんだ」
 ここ空いてますかと、わたしに尋ね、返事を待たずに木下さんはわたしの隣りの席に座った。
「先日のピザ、ありがとうございました。とってもおいしかったです」
「あそこのパン屋は気に入ってるんだよ。おいしくてよかったぁ」
 木下さんは、見事に総髪白髪だ。薄くなったり抜けたりするタイプではないらしい。最近、頭頂部の髪の毛が細くなってきたわたしとしては、うらやましい限りだ。
「辻堂まで買いに行ったんですか」
 木下さんは、辻堂のパン屋からピザを買い、関所のみなさんへと差し入れてくれたのだ。生地もチーズもとてもシンプルでボリュームのあるおいしいピザだった。
「いや、ボクは辻堂に住んでいるから」
 知らなかった。最近、こちらに引っ越してきたのかと勘違いしていた。関所にたびたび顔を出すようになったので、地元のひとと決めつけていた。
「じゃぁ、お仕事かなんかでこっちに」
 おしぼりで顔を拭いた木下さんは、ちょっと間を置いた。
「女房が、そこの病院に入院していて、その面倒をね」
 辻堂から、ここまでほぼ毎日、見舞いに来ているという。よほど、仲のいいご夫婦なのだ。
「よけいなことを訊きました。申し訳ありません」
 わたしは、頭を下げた。
「ママ、ボクはコップ酒ね」
 木下さんは、高清水をコップで飲む。
「ずっと病院にいると気が滅入るから、昼飯は近隣で食べているんです。ここも気になっていたんだけど、なかなかひとりで入る勇気がなくて」
「それで、こないだ関所で会ったとき、みんなで飲みに行きましょうって言っていたんですね」
「はい、でも先生に、ここに集まるひとたちはひとりでのんびり飲むのが好きだから、約束してどこかでいっしょに飲むのは苦手だと思いますよって言われました」
 わたしは、そんな偉そうなことを講釈したのか。
「重ね重ね、よけいなことを申し訳ない」

6400.5/11/2010
坂の下の関所・11章 ..story 182

 病院の前で倒れたのに、どうしてその病院のひとは自分のところで診察しようとしないで、救急車を呼んだのかはわからない。
 わたしは、壁のかけ時計を見る。まだ夕方の7時になろうとうしている。
「よし、きょうは鳥藤に行きます」
 泥橋さんは、にこにこ笑っている。軽く右手を上げて、行ってらっしゃいと言っているようだ。
「いいなぁ、いいなぁ。ホルモンかなぁ、カルビかなぁ」
 若女将がうらやましそうにする。鳥藤は関所から歩いてすぐの焼き鳥屋だ。バス停のまん前にある。
「出前が届くのを待っているから、よろしく」
 大将が、わたしの背中に声をかける。たしか、鳥藤は持ち帰り禁止だったはずだ。
 バス通りを渡り、鳥藤ののれんをくぐる。カウンターに数人の客がいる。テーブルにも一組の客がいる。ママは、カウンターのなかで右に左に忙しそうだ。
「いらっしゃい」
 ちらっとわたしの顔を見て、疲れた声で迎えてくれる。いつものことなので、気にしない。わたしは、空いているカウンターに腰掛ける。
「久しぶりですね」
 忙しく動き回りながら、ママはおしぼりを出してくれた。
「そうですね。一月ぶりかな。なにせ、公務員は給料が下がる一方だから、飲み代もなくなってしまって」
「何をおっしゃるんですか」
 わたしは、おしぼりで手と顔を拭く。
「お飲み物は何にしますか」  いつもなら、生ビールか冷酒を頼む。しかし、財布の軽い日が続くので、少し考える。
「あそこの棚のいいちこをキープするといくらですか」
 わたしは、カウンターの壁の棚に並んでいる900mlのガラス瓶のいいちこを指差した。
「これを入れるなら、一升瓶のいいちこを入れたほうが500円もお得なのよ」
 なぜ、そういう料金設定にしているのかはわからない。
「じゃぁ、そうしてください」
 わたしは、すんなり同意する。こういうことは、素直に従うのが一番いい。
 新しいボトルをカウンターに置く。ポン。栓を抜くと気持ちのいい音がした。
「何で割りますか」
「お湯にします」
 ママは、やかんからポットにお湯を注ぐ。わたしはそれを受け取り、コップの半分に湯を移す。コップの内側が、湯気で曇った。一升瓶のいいちこを傾けて、トクトクトク。焼酎がお湯になじんでいく。